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  • 悲報

    また一人身近な友人が亡くなった、山登りの友人で❝うたごえ❞も楽しむ仲だった、彼女は登山歴など語ることなど無かったがそれを知ると驚くばかり、彼女の名前は山高さん、歴史に名を刻む業績こそないがその内容は素人離れしている、例えば危険な山の代名詞にも例えられ男でさえ登ることを躊躇う剣山(つるぎさん)には3回登ったとか、南アルプスをテントを背負って二泊で縦走したとか、極めてアクセスの困難な東北の名峰朝日連峰の縦走や飯豊連峰の縦走とくればもはや名のある登山家の業績には聞くが普通の主婦の実績としては聞いたことがない、但しこれらは単独登山ではない、血を分けた肉親以上に親しく行動を共にしたOさんの存在を抜きには語れないことも付け加えておく、ある時彼女は私に❝山登りはやりきった❞と言う思いはあると言った、さもあらんである、話...悲報

  • 実家と言う名の古里

    姫島(故郷の海岸から50キロほど離れた小島)私が生まれた実家は妹夫婦が住んでいる、家系は長男である兄が継いだが実家を離れて自分の家を持った、その兄も亡くなってまた一つ里帰りの目的が失われた、❝古里は遠きにありて思うもの❞となりつつある、さびしい限り、だが実家には妹夫婦の住んでいるので帰省する宿には困らない、古里を離れた友人や知人の多くは代替わりした実家には宿泊しがたく帰省してもホテルに泊まると聞く、自分の実家に気兼ねなく宿泊できるのも親や兄弟が元気なうちであろう、兄嫁とか甥、姪の代になればそうはいかない、この度の兄の葬儀でも妹の世話になった、最早血を分けた肉親は妹だけになった、だんだん古里が遠ざかる、だんだん古里は心の中だけのものとなる、それが究極の古里なのかもしれない。実家と言う名の古里

  • 芽吹きの季節

    平年ならばこの季節まだまだ風は冷たくて散歩に出るにも手袋が必要であろう、ところが今季異常気象なのであろうかここ数日4,5月の陽気だと言う、そのせいか我が家の庭の草花たちも芽を出し始めた、(ラッパ水仙の新芽)スイセンは庭のあちこちで群れて芽を出している、その一部を鉢植えにした、群れ咲く美しさ、それはそれでいい、だが一輪だけの美しさには及ばない、数年前から芽吹きの頃に一株一鉢の鉢植えにして咲くのを待つ楽しさをも味わっている、(左からオオアマナ、テッポウユリ、ムスカリ)私はオオアマナの花が特別好きだ、6篇の花弁は純白で清楚、❝ベツレヘムの星❞の別名を持つらしい、どんな経路でわが家に来たのか謎でどこまでもミステリアス、2,3年前まで我が家の庭には6種類ほどの百合が咲いていた、オニユリ、テッポウユリ、カサブランカ、...芽吹きの季節

  • 伊美神社(いみ、、、、)

    純白の神職の衣装に身を包んで恭しく祭壇に祝詞を奏上する風景、都会ではあまり見られない懐かしい風景である、どんど焼きの火をつける前の五穀豊穣、家内安全のお祈りであろうか?この写真は国東半島伊美町の伊美神社前の空き地で行われていた祭事を撮ったもの、捨てがたくアップした、神主の後ろには住民十数名が慎ましく首(こうべ)を垂れていた、この日国東を訪れた目的のひとつに半島の沖合に浮かぶ姫島に渡ってみたいと言う希望もあった、というのもこの島には子供たちが白装束に身を固め狐のお面をかぶって踊るお祭りがあると聞いてそれが永い間私の憧れになっていた、この町の港からフェリーが就航しているが渡るには時間が足りない、せめて港を確かめるだけでもと来た、フェリーの着岸を見た帰りの道すがら写真の風景に出くわしてシャッターを押した、序(つ...伊美神社(いみ、、、、)

  • 国東半島(くにさき、、、、)

    国東はわが故郷中津から南に20キロほどの距離にある、海の近くに山が有り山の近くに海がある、変化に富んだ地形が好きである、人に知られたものなど何もない、そこは車の往来が少ないので信号機がない、私は帰省の度に暇さえあれば車で国東を訪れる、道路が海辺を走ったり山間(やまあい)を走ったり、こんな道路を目的もなく走るのもまた乙なものだ、だが今回は目的が有った、真玉海岸を見てみたかった、ただいま豊後高田市が売り出し中の風景だ、潮の引いた遠浅の干潟に夕日が差すと潮溜まりのあちこちが鏡面反射する、それは今や写真家の間では全国区並みの知名度を得るまでに知られるようになった、だが残念ながら曇ってダメだった、潮の時間帯も合わなかった、だが救いは有った、夷(えびす)温泉を探して山間に伸びる道を心行くまで走り回った、鄙(ひな)びた...国東半島(くにさき、、、、)

  • 故郷は遠きにありて思うもの

    先ごろ兄の葬儀で帰省した、葬儀が澄んで初七日までの間時間が有ったので国東半島を訪れた、それを書こうと思いを巡らせていてタイトルの言葉が頭に浮かんだ、誰が発した言葉か思い出せなくてネットで調べた、詩人、小説家の室生犀星らしい、この詩には❝そして悲しくうたうもの❞と言うフレーズが続く、一般には望郷、つまり故郷を懐かしむ詩として親しまれているがそれほど単純なものでもないらしい、萩原朔太郎を始め様々な研究者(?)がこの詩に言及しているが一節には当時東京と金沢の間を行ったり来たりしていた犀星は故郷の金沢には受け入れられていなかったことからこんな詩が生まれた、つまり異郷にあって故郷を懐かしんでいるのではなく金沢に居て自分の存在を疎(うと)んじられているのを感じて故郷にいることを後悔している詩であるとの解釈である、勿論...故郷は遠きにありて思うもの

  • ヒューマン・フェスタ in こだま

    このタイトルが何を意味するのか、どんな目的があるのか、私にはイマイチ理解しきれていない、サブタイトルには「人権フェスティバル」と書いてある、ともあれ妻の友人グループに誘われてこんな催しに参加した、会場は本庄市のはにぽんプラザこれまた❝はにぽん❞が何を意味するのか全く分からない、参加の目的はこの催しに妻の友人グループの一人が大正琴の演奏で出演すると言うので、なぜって?この友人グループは私のカラオケの発表会に必ず聞きに来てくれる、言うなればそれもこれも高齢者の時間つぶしの一環に過ぎない、出演するKさんは大正琴の先生で「琴美月」と言う会の指導者である、揃いのユニホームに身を固め馴染の曲を演奏した、(1)酒よ(2)君といつまでも(3)千曲川(4)海その愛(5)北の漁場司会者の会場の皆さんに演奏に合わせて歌ってほし...ヒューマン・フェスタinこだま

  • 散歩の土産

    出かける用事もなく家でゴロゴロしていた、4時半頃になって暫く白鳥の様子を見ていないので散歩を兼ねて見に行こうと小型のカメラをポケットに入れて出かけた、白鳥のたまり場は散歩ルートの土手からは200メートルほど離れた位置に見える、だがこの日は全くその姿はなかった、ここのたまり場は餌場ではないので常時みられるという訳ではない、時間帯によっては白鳥たちは餌を探しに出かけてしまう、已む負えず通常の西向きの散歩ルートに歩を進めた、いい塩梅に空が焼けてきた、川を横切る橋の上へと急いだ、そして撮ったのが上の写真、白鳥は取れなかったけど代わりにいいお土産が出来た。散歩の土産

  • 「思い出は美しすぎて」

    こんなタイトルの映画が有った気がする、確かに美しいものはさらに美しく辛かった出来事はさらに辛く着色されて思い出すのが思い出である、6歳違いの兄との思い出は何と言っても帰省する度に連れて行ってもらったカラオケであろう、民謡教室を主宰する兄は声が良かった、それはカラオケを歌っても共通する、私と比べて高音部が楽に出るし声の伸びの違いは羨ましいほどであった、ある時例によって兄が私を誘った、いつもは義弟や兄嫁、私の妻なども同伴するのだがその時は二人きりであった、カラオケショップは隣町の閑静な畑の中にあった、行きつけの店らしく行くなりマスターが兄を先生呼ばわりする、他にも客は5,6人ほどいた、その中に一週間後に九州地区のカラオケチャンピオン大会に出場すると言う若い女性がいた、兄も顔見知りらしく私に紹介した、歌の実力は...「思い出は美しすぎて」

  • 大人の休日倶楽部

    已む負えない事情で実家の九州に帰省することになった、時間に制約のない旅なら昨年同様に車を利用する、だが今回はそうはいかない、可能な限り早くいかねばならない、新幹線で行くことに決めた、そうなれば「大人の休日倶楽部」が使える、使用条件は100キロ以上だ、しかも65歳以上は乗車券、特急券は3割引き、新幹線も3割引き(のぞみを除く)だが初めてのケースで買い方が分からない、そこで予め購入しようと早朝6時駅に行った、券売機を操作しての購入になるが駅員がやっても買えなかった、高崎駅のみどりの窓口なら確実に買えるからそちらで買ってくれと言う、止む無く家に帰り支度を整えて高崎駅に向かった、最初に大人の休日倶楽部を使ってチケットを買いたいと言う、切り取りのできる会員手帳の中に日付や目的地を記入するページがあるのでそれに記入し...大人の休日倶楽部

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