❝ひろってみろ❞とでも言うかのように今朝も玄関先に無数と言っていいほどの椿の花が落ちて崩れて散らかっていた、毎年この時期になると落ちた椿の花を片づけるのが朝の日課になっている、昨日も一昨日も10日ほど前から大量の落花が始まった、厄介なのは落ると花も額もバラバラに分解するのでそれを一つずつ拾わなければならない、面倒なことこの上ない、武士の社会では椿の花は忌み嫌われた、首が落ちることをイメージさせたからと言われているが実際は片づけるのが大変な花だからではなかろうか。落ち椿
❝ひろってみろ❞とでも言うかのように今朝も玄関先に無数と言っていいほどの椿の花が落ちて崩れて散らかっていた、毎年この時期になると落ちた椿の花を片づけるのが朝の日課になっている、昨日も一昨日も10日ほど前から大量の落花が始まった、厄介なのは落ると花も額もバラバラに分解するのでそれを一つずつ拾わなければならない、面倒なことこの上ない、武士の社会では椿の花は忌み嫌われた、首が落ちることをイメージさせたからと言われているが実際は片づけるのが大変な花だからではなかろうか。落ち椿
わが家の女房殿も若くはない、77才の古希となった、彼女の周りを見るとごく親しく付き合っていた友人が2人も亡くなっており出歩くことが困難になった人もいたりで意気消沈気味の昨今であった、それが先日プールの友達(週3回プールでウオーキングをしている)とセリ摘みに行くと笑顔で出かけて行った、お昼の時間を過ぎても帰ってこない、連絡もないまま止む無く自分でうどんを茹でた、それを水で絞めて薄めためんつゆだけで食べる昼食となった、ところがこれが実にうまい!ひとつには茹でたてと言う事もあるだろう、またひとつにはおつゆに具を絡ませないシンプルさは独身時代を思い出させる特別な味でもあったのだろう、カカ様よ俺の昼飯のこと等自分で何とかする先は永くないのだから今の暮しを大いに楽しんでくれと願う一日であった。女房元気で留守がいい
4月9日現在北関東近郊の桜は満開を過ぎたと見えて散り始めた、さてさて桜が散ってしまわないうちに行田市の忍城(おしじょう)に写真を撮りに行かなければならない、わが写真クラブの写真展に出展する準備を完了してない、テーマを「桜とお城」と決めて出展する積りでいるがまだ作品が揃っていないのである、忍城には度々撮影に行っているがここでの作品を1点出したいと思っている、そこで午後から撮影に行った、忍城まで国道17号線を走って約1時間、昨日の雨と風で城内の敷石に桜の花びらが所狭しと張り付いていた、お堀はお堀で花びらが花筏状態で塊になっているところを見ると満開をとおに過ぎていることを思わせた、それでも写真には充分なった、1時間ほどかけて撮影を終えた。お城には桜が良く似合う
耳が遠くなった、忘れ物が多くなった、とかく高齢者の会話となると悲観的な話になりがちであるがそれらも自然の摂理と受け入れられればシニアライフもまた楽しである、わが家は妻と2人暮らし、人の手を借りずに自分のことは自分でできる程度に健康体である、一昨日はゴルフに行った、アベレージゴルファー程度には楽しんでいる、終日曇ってはいたが雨に降られることもなく満開の桜を鑑賞しながらゴルフプレーを楽しんだ、スコアーは94打だから良くもなく悪くもない、兎に角前の2日間は家でゴロゴロしていたので格好の気分転換になった、昨日は山に登った、山仲間2人に連れられて榛名山群の1峰、相馬山(1,411M)に登った、標高1,000メートルほどの地点に車を置いたのだから標高差:400メートル程、11時から登り始めて12時15分頃に頂上に到着...シニアライフも又楽し
朝も寒さを感じないほどに暖かくなってきた、わが家の庭の花たちも散歩で見かける花たちも競うかのように私を見て、私を写真に撮ってと言うかのように自己主張している、そんな花の幾つかをアップした。ハナニラムスカリツルキキョウボケプリムラレンギョウヒトリシヅカ最近の私には花たちが欠かせぬ友達になりつつある。野山の賑わい
某日妻が親友の娘S子から妻あてにパパさんにゴルフを教えて欲しいと連絡が有ったと言う、S子は年齢不詳ながら独身、一人暮らしを謳歌している、当初なにも俺に教わらなくてもその気になれば手を取って教えてくれる男など五万といるだろうにと思った、彼女の家庭とは長年家族ぐるみの付き合い、頼まれて悪い気などするはずもない、当方腕に自信はなくもない、現在は自分の体が思うように動かなくて成績はイマイチ低迷してるけど講釈ならそこそこできると思っている、OKの返事をして練習日の日取りを昨日と決めてあった、行きつけの練習場へS子を伴って出かけた、馴染の受付のおばさんが怪訝な顔で俺を見る、この練習場には40年近く通っているがこんなことはなかったのでどんな関係だろうと疑問が湧いたのであろうか、女としての円熟味を漂わせるS子は少しばかり...ゴルフレッスン
土筆摘みをした、つくしの卵とじがビールのつまみに最高に美味しいと言う友人がいて彼に送るため摘んだ、首都圏に住む友人の生活圏内ではなかなか手に入らないらしい、当方にすれば❝よくもまぁこんなもの食べる気になるものだ!❞とは言うものの食べたこともないのにそれでは土筆に(?)いや食べる人に失礼だよね、ほろ苦いらしい、それがいいのだとか、ところがこの土筆我が畑にとっては大敵で取ってもとっても根を張って野菜を育てるための栄養分を横取りしてしまう、土筆の根は深い、しまも縦横無尽に伸びている、今年も又土筆の根との格闘の時期になった。つくし摘み
水仙の花を大量にもらった、当初は花瓶に放り込んで置いた、水仙と椿の花遊び
帝釈天に行った、帝釈天と言えばトラさんでお馴染の葛飾区柴又にある、この寺の正式名称は経栄山・題経寺という日蓮宗の寺である、トラさんシリーズで見る限りの帝釈天は殆どが表の庭を取り囲む建物の一部分ばかり、ところがこの帝釈天の本堂裏にはそれはそれは立派な日本庭園があることはあまり知られていない、この日(3月24日)私は友人と連れだって帝釈天にお参りした、日曜日と言う事もあり寺の内部も参道も観光客で溢れていた、本堂にお参りしてから友人に導かれて本堂を取り囲む3面の壁面を見て回った、一面ごとに緻密な彫刻の板が張り巡らされている、説明には彫刻の絵柄は法華経の内容を表すと書いてあった、続いて緋毛氈の敷かれた渡り廊下を渡って行くと美しく手入れされ永い年月を偲ばせる池を配した日本庭園が有る、そしてその全体を隈なく鑑賞できる...帝釈天の裏庭
昨日(22日)日帰り温泉❝カンナの湯❞で行われたカラオケ大会に出場した、大会と言っても出場者は僅かに20人、来たついでに出てみるか程度の大会だ、毎月一回開かれている謂わば客寄せの行事であろう、大広間に集まった客はせいぜい出場者の家族や友人知人程度でポツンぽつんと塊になって座っている、12時半に出場登録を済ませて出場順のくじを引いた、6番目だった、「吾亦紅」を歌った、客が居ないのだから緊張などない、結構うまく歌えたと思った、だが、結果は機械の採点で80,129点90点台が数名いる中でこの点数だと真ん中より後ろの方であろう、表彰は優勝、準優勝、三位まで、カラオケ大会出場など❝及びでない❞結果となって早々に浴場に向かった。尚「カンナの湯」は30数年(?)ほども前に「アカシアの湯」の名前で埼玉県営の日帰り温泉とし...及びでない?
カカ様にせかされ友人に諭されて2日がかりでジャガイモを植えた、連作を避けて去年とは違うところの土を鍬で耕し畝を切ってやっとの思いで終えた、わずか3Kg、42株に過ぎないがやる気になるまでが気が重い、毎年そうだ、家庭菜園に過ぎないが土いじりは高齢者には重労働、昨日朝から初めて取りあえずはスギナの根を取り除く作業、2時間ほどでギブアップ、今朝は6時から畝を切って植え付け作業、3時間ほどで作業終了、懸案事項1件完了。ジャガイモを植えた
友人のKさんが車を買った、彼は一人暮らし、それなのに買った車は7人乗り、グループで出かけることが多いのでそんな選択になったのであろう、このグループには一人暮らしが多い、しかも私を含め全員が70代以上、先の無い高齢者だ、試運転に出かけることにした、行く先は私に任せると言う、白河市の小峰城を目的地に決めた、昔の関所跡の❝白河の関❞があるのは福島県、急ぐ旅でもないので行きは一般道、国道50号線を東に小山市まで行けば新東北道が北に向かって一直線に走っている、道幅も広く走りやすい、それでも目的地まで5時間かかった、この城の特徴は石垣にある、高い石垣に守られた城だ、石垣だけでも絵になる、天守閣だと思って見ていた建物は案内人の説明によると天守閣ではなく3階櫓だとのこと、広大な敷地の割には貧疎だとは思った、石垣との組み合...小峰城
「群青と緑青」と題する美術展を見た、サブタイトルに神々しい❝あお❞とある、パンフレットには群青と緑青について次のような説明が書かれてあった、ーー日本画に用いられる代表的な天然顔料で古くから珍重されてきた群青と緑青は銅が永い年月をかけて変化したものです、その鮮やかで美しい色彩は視線を引き付け表現や描写のキーポイントとなる大切な部分で使われますーー会場は高崎駅前の高崎市タワー美術館、この日この近くにあるビッグカメラにプリンター用のインクを買いに来ていた、買い物を終えて久しぶりにタワー美術館に寄ってみようと思った、この美術館ではこれまでにも多くの美術展を見ている、それも伝統的な日本画を中心に据えた美術展が多い、今回こんな企画展をやってるなんて知らずに来た、作品は50点足らずで小規模ではあったが出品作品のメンバー...群青(ぐんじょう)と緑青(ろくしょう)
庭のラッパ水仙が一輪だけ咲いた、咲いたのは一週間前のこと、今朝(3月16日)見たらラッパ状の部分だけは色が変わらず周りの花びらは少しばかり色落ちしていた、これを見てフトひらめいた、❝花の色は移りにけりないたずらにわが身世にふる眺めせし間に❞これに二枚の写真を添えて同級生のLINEに投稿した、実のところこれが古今集に掲載された小野小町の歌だとは知らず枕草子の随筆の1節かと思っていたが間違いが分かり訂正した、小町の歌は桜の花の移ろいにわが身に重ねて歌ったものらしいが美貌を誇った小野小町の歌と知れば一層味わい深い。花の色はうつりにけりな、、、
ゴルフの話コンペに優勝した、しかもハンデキャップなしのベスグロ優勝を兼ねる結果が殊更嬉しい、今年に入って10回程プレーしているが80台のスコアーは全く記録してなかった、それが82打のベスグロ優勝だから驚き、神の御加護か奇跡が働いたか、不思議なものだ!これがゴルフと言うものか、この日の会場は太平洋クラブ高崎コース、コンペの名称はAFC会、会員は今では20名足らずになってしまったが元々は200名に近い大きな会であった、それが分裂や高齢化で名称も数も変わって細々と続いている、だが私にとってはこの会こそが自分の40年近いゴルフ歴を物語る唯一のコンペだ、だからこのゴルフ場では通算で300回近くプレーしている、生涯のベストスコアー73打もこのゴルフ場で記録した、この日抜けるような青空で風は冷たかった、ティーグランド脇...神の御加護か?
花瓶をもらった、先日ひな祭りの夜のこと、わが家にはひな祭りを祝う姫はいない、せめていなり寿司でもと妻が腰を上げた、大目に出来たので一人暮らしをするKさんを呼んだ、その彼が自作の花瓶を持ってきてくれた、なかなかの出来栄え、彼は敷地内に陶器を焼く釜まで持っている、現役の頃は作った作品を祭りの会場などで販売して小遣いを稼いでいた、手先の器用さでは人後に落ちない、その彼も数年前に奥方に先立たれて一人暮らし、奥方がうちの連れ合いと大の仲良しで親しく交流していた、❝亭主の面倒を頼む❞とでも言うかのようにあっけなく彼女は旅立った、彼らには二人の娘がいる、二人とも遠隔地に家庭を持つ、一人は千葉、一人は中東のドバイ、勿論事あるたびに帰って来ては父親を慰めてはいる、だが普段の寂しさは埋められない、悲しいことにKさんは不治の病...Kさんの作った花瓶
高崎城址、乾櫓と桜今年も所属する写真クラブの写真展が近づいている、そろそろ出展作品を決めなければならない、新しい作品を選ぶのが常識だが最近は齢のせいかあまり撮影に出かけない、そこで今年もタイトルを決めてシリーズで出展することに決めた、これなら古くても違和感はない、去年は城シリーズで出展した記憶がある、今年も城の写真を中心に据えて題して「城と桜」とでもしようか、選べば脳裏に浮かぶ写真は結構ある、城と言うテーマは写真にすれば魅力に溢れている、時代を象徴する美しさが有りロマンがある、いつものことながら早朝に目が覚めるので布団から抜け出してパソコンを立ち上げ選ぶ作業に没頭している、城を収めたフォルダーを引っ張り出して桜の写ったファイルを選び出す、結構懐かしくもあり楽しい作業だ、藤堂高虎と今治城一昨年3人の友人と車...城と桜
また一人身近な友人が亡くなった、山登りの友人で❝うたごえ❞も楽しむ仲だった、彼女は登山歴など語ることなど無かったがそれを知ると驚くばかり、彼女の名前は山高さん、歴史に名を刻む業績こそないがその内容は素人離れしている、例えば危険な山の代名詞にも例えられ男でさえ登ることを躊躇う剣山(つるぎさん)には3回登ったとか、南アルプスをテントを背負って二泊で縦走したとか、極めてアクセスの困難な東北の名峰朝日連峰の縦走や飯豊連峰の縦走とくればもはや名のある登山家の業績には聞くが普通の主婦の実績としては聞いたことがない、但しこれらは単独登山ではない、血を分けた肉親以上に親しく行動を共にしたOさんの存在を抜きには語れないことも付け加えておく、ある時彼女は私に❝山登りはやりきった❞と言う思いはあると言った、さもあらんである、話...悲報
姫島(故郷の海岸から50キロほど離れた小島)私が生まれた実家は妹夫婦が住んでいる、家系は長男である兄が継いだが実家を離れて自分の家を持った、その兄も亡くなってまた一つ里帰りの目的が失われた、❝古里は遠きにありて思うもの❞となりつつある、さびしい限り、だが実家には妹夫婦の住んでいるので帰省する宿には困らない、古里を離れた友人や知人の多くは代替わりした実家には宿泊しがたく帰省してもホテルに泊まると聞く、自分の実家に気兼ねなく宿泊できるのも親や兄弟が元気なうちであろう、兄嫁とか甥、姪の代になればそうはいかない、この度の兄の葬儀でも妹の世話になった、最早血を分けた肉親は妹だけになった、だんだん古里が遠ざかる、だんだん古里は心の中だけのものとなる、それが究極の古里なのかもしれない。実家と言う名の古里
平年ならばこの季節まだまだ風は冷たくて散歩に出るにも手袋が必要であろう、ところが今季異常気象なのであろうかここ数日4,5月の陽気だと言う、そのせいか我が家の庭の草花たちも芽を出し始めた、(ラッパ水仙の新芽)スイセンは庭のあちこちで群れて芽を出している、その一部を鉢植えにした、群れ咲く美しさ、それはそれでいい、だが一輪だけの美しさには及ばない、数年前から芽吹きの頃に一株一鉢の鉢植えにして咲くのを待つ楽しさをも味わっている、(左からオオアマナ、テッポウユリ、ムスカリ)私はオオアマナの花が特別好きだ、6篇の花弁は純白で清楚、❝ベツレヘムの星❞の別名を持つらしい、どんな経路でわが家に来たのか謎でどこまでもミステリアス、2,3年前まで我が家の庭には6種類ほどの百合が咲いていた、オニユリ、テッポウユリ、カサブランカ、...芽吹きの季節
「伝え続けたい日本の心」と題する本が友人のKさんから送られてきたことは前に書いた、内容は産業界の一線で活躍するN氏(ダイキン工業)が仕事の合間を縫って今日なお歌い継がれている唱歌や童謡の作られた背景を訪ね歩いた全16曲の記録である、ここで最初に取り上げるのは「荒城の月」作詞:土井晩翠、作曲:滝廉太郎であることは知られている、滝廉太郎は大分県竹田市の出身、岡城で知られた美しい石垣の城跡がある、作曲当時廉太郎は若くして東京音楽学校の助教授、他に「箱根八里」や「お正月」等も発表した21才の新進気鋭一方土井晩翠は宮城県仙台市の出身、詩集「天地有情」等を発表し島崎藤村と並んで美文調の詩人として注目されていた、仙台は伊達藩62万石の大大名で青葉城を有していた、だがどちらも天守閣などの建物は残っておらず石垣に往時を偲ぶ...「日本の心」(2)
先日友人夫妻を伴って箱根に行った折不思議な経験をした、どんな不思議かって?車のキーを紛失したのに車が普通に動いたのだ、それに気づいたのは箱根の一歩手前足柄サービスエリア、北本市の友人宅から出発して北本インターで圏央道に乗り2時間ほど走ったので休憩のため東名高速の手前厚木パーキングに寄った、駐車スペースを捜し回るほど混んでいた、用も足し15分ほどで出発、東名道に入って走ること更に40~50分、夫人同伴でもあるので最後のパーキング足柄サービスエリアで用を足すべく寄った、皆を降ろして車をロックしようとキーを探せどキーが見つからない、ポケットはもちろん、車に置き忘れたのかポケットから滑り落ちたかと車中を探せどない、えぇ~!!!何たる失態、キ―ホルダーには家の鍵と燃料エネオスのエネキーと称する給油キーも付いている、...車のキーを紛失?
箱根に行った、同居人(妻)を助手席に乗せ北本市に住むH夫妻を誘って箱根のガラスの森美術館を訪れた、元々この小トリップはH夫妻の呼びかけ、親しい間柄のH夫妻とは年数回出かけている、行く先も運転も一切私に任されているが苦にはならない、今回も行く先についてはかなり悩んだ、これまでは山歩き主体に出かけていたがH氏が抗がん剤治療を始めて山歩きや人込みは避けなければならなくなった、箱根まで圏央道から東名を走って凡そ2時間半、古くからの友人なので道中の会話も楽しい、運転する私にとっても快適なドライブだ、この美術館はH夫妻は初めてと言う事で大いに喜ばれた、館内はさながらおとぎの国、ヨーロッパ風、折しも馬頭琴の演奏会が開かれていた、異国情緒たっぷり、モンゴルの大草原が連想される、ガラスの作品群も目を見張るものばかり、美しい...ガラスの森美術館
タケノコ堀をした、知人宅の竹やぶでタケノコが出てるからとの連絡を受けて早速出向いた、毎年旬のタケノコを掘らせてもらっている、掘るのも重労働ながら楽しい、先ず雑草に覆われた竹やぶで草や枯れた小枝をかき分けてからタケノコの周りの土を掘る、根本付近まで掘ったところにスコップを入れて断ち切る、今年も10数本掘ったところで終わりにした、掘ったタケノコの大部分は友人知人に配って喜ばれている。タケノコ堀り
写真を撮りに行った、場所は神流川(かんながわ)の上流で神流町、ここの川の中に丸岩と名付けられた大きな岩がある、その岩にツツジや松が根を下ろし今つつじが咲いていると言う、その岩まではおよそ30キロほどの距離、優に1時間はかかる、着いたのが11時頃だったせいかツツジの色が出ない、同じ場所で友人が撮った写真を見せてもらったけどツツジの色が断然いい、撮った本人に聞こうと思ったが❝そりゃ~腕前の違いだよ❞なんて言われるのが落ちなのでやめた、多分彼が撮ったのは朝方の太陽がまだ高く上がる前だろう、神流川のミツバツツジ
わが庭は春爛漫、色々な花が咲き誇る、パンジー、サクラソウ、ハナニラ、手前の赤い花は分からない、庭の奥では椿が毎朝何百もの花を落とす、花びらばかりではない、額片をバラバラに散らかすのが憎らしい、わが家の庭には小砂利が敷いてある、その中に散らすので一片一片拾わなければならない、それを拾うのが私の毎朝の仕事、今朝も拾いながらこんな歌(短歌)が出来た、❝あと何年この庭掃除出来るやら思えば楽し椿の落花❞出来た歌を友人2人に送った、反応はまだない。春爛漫
サンフラワー・パール号フェリーは船会社によって乗船の仕方が違う、一昨年小樽から新潟まで乗船した新日本海フェリーでは車の同乗者は車とは別の乗船口から乗ったが今回は車に一緒に乗ったまま乗船した、スタンダードの客室はシティーホテルと全く同じ、乗船手続きの時に渡されたカード式のキーを使って6階の部屋に入った、4畳ほどの細長い部屋には2段式のベッドがあり、部屋にはクローゼットからテレビ、洗面台、部屋着も洗面用具まで供えられていた、サンフラワーは他のフェリーに比べて車を使用しない❝歩き乗船客❞が多いのもうなづける、ロビーは乗船客で込み合っていたので風呂も混んでいることを想定して2時間ほど遅らせて入った、大分~神戸航路は瀬戸内海を航行する、明け方5時過ぎ明石海峡大橋下を通行するので写真を撮りたかったが暗すぎて満足のいく...帰省旅,第七話(フェリー・サンフラワー)
実家で4泊を過ごした、その間博多に住む甥が家族連れで会いに来てくれた、1才になる娘のカワイイこと、人見知りすることもなく私の膝の上に来て写真を撮らせてくれた、真帆ちゃん兄の家に滞在していた時予告もなく横浜に住む甥が突然現れた、兄の所有する車の廃車手続きをするために帰って来たらしい、兄本人はまだ車の運転に未練を感じて手放したくはない様子だったがそこは周りの意見も聞いて甥が決断したらしい、老いては子に従え必要な事だ、この日一族郎党10人の大集結になった、写真を撮った、この幸せがいつまで続くことやら?滞在5日目の朝帰宅の途に就いた、アマリリスの鉢植え、スズランの鉢植えなど車に積みきれないほどの土産を載せて8時実家を後にした、目指すは大分港、ここから神戸までフェリーサンフラワーでの船旅だ、北九州から東京までのフェ...帰省旅,第六話(芝原善光寺、杵築城)
妹夫婦の暮らす実家に荷を解いて翌日兄を見舞った、胃を三分の二以上切除したと言う体調は想像以上に厳しいもののようだった、ソファーに横たえた体を起こすのも大変な様子、思わず❝そのままでいい、起きなくてもいい❞と声をかける程弱弱しくなっていた、健康を自慢していた身体も85才を過ぎて一旦病気に見舞われるとこんなにも弱弱しくなってしまうのかと思わずわが身を振り返った、翌日妹夫婦に誘われて高千穂峡に行った、前々から行った事がないので行きたい旨は告げてあった、義弟の運転する車で4人7時頃出かけた、高千穂は大分や熊本の県境にも近い宮崎県の山奥にある、東九州自動車道を南に走って大分市を過ぎて内陸方向に向かう、数年前に訪れた竹田城址や原尻の滝の標識をしり目にナビの案内に沿ってひたすら走る、飛び飛びに集落が現れて秘境らしい雰囲...帰省旅,第五話(高千穂に行く)
8時頃ホテルを出て瑠璃光寺に向かった、同じ山口市内だけど距離がある、新山口は新幹線の駅が出来て開発された地域だ、通勤時間帯と重なって少々混雑、ナビに導かれて瑠璃光寺に9時頃到着、瑠璃光寺は知らなかったけど山口市を検索して国宝の五重塔があることを知った、歴史が有り雰囲気のあるいい寺だ、五重塔の佇まいは素晴らしい!これまで五重塔は幾つも見てきたけれどここのは国宝だけあって洗練されている、池に映りこむ構図は写真にもってこいだ、池に泳ぐ緋鯉とコラボさせて撮った、裏手に若山牧水の歌碑があった、歌碑には次のように刻まれていた、❝はつ夏の山のなかなる古寺の古塔のもとに立てる旅人❞司馬遼太郎の「街道を行く」の一節が刻まれた碑も立っていた、観光客は少なく静かな境内はしばし池の鯉でも眺めながら思索にふけりたい気分にさせた、1...帰省旅、第四話(山口市~中津市)
この日(3月21日)は朝から雨模様、傘をさしての松江城観光となった、車を停めて橋を渡ると砂利の敷き詰められた広場の正面に高さ10メートルほどの壮大な石垣が目に飛び込んでくる、右手上方向に大樹に半分遮られて天守閣が見えた、この城の見ものに石垣がある、曲線を描く石垣は美しい、防御の要をなす石垣は壮大であり且つ美術的であることに驚かされる、思わずカメラを向けたくなる美しさだ、つづら折りの坂を上って行く、天守閣のたつ広場は桜祭りでもやるのか梵天が立ち並ぶ、早咲きのピンクの桜が黒色基調の天守閣に色を添える、城内部の木質感は彦根城と変わらない、最上階からの眺も抜群だ、稚拙な表現でもどかしさを感じてしまう、もう一つ松江城と聞いて頭を過るのが不昧公、松江藩中興の祖と称される7代藩主松平治郷である、大名茶人としても知られて...帰省旅、第三話(松江市~山口市)
ホテルでバイキングの朝食を済ませて8時に出かけた、彦根城は8時半開門と聞いていた、二の丸駐車場の料金は高い、入場料が800円なのに駐車料は1,000円だ、いったいどんな基準なんだろう?同居人はお城が高台に有るので登れないから下で待っていると入園の気は全く無い、けっこう厳しい坂道を登っていく、石垣には厚い苔が張り付くように生えていた、門構えからして昨日の犬山城と比べて格段に大きくて重々しい、そこで犬山城の成瀬家(35,000石)と彦根城の井伊家(300,000石)の石高を比較すると10倍の差があることが分かった、城の規模の違いは宜(むべ)なるかなである、桜の開花に1週間ほど早かったが幸いなことに開花している木もあり桜を入れて様々に写真を撮った、天守閣に登った、こちらの城も国宝である、作られた当時のままなので...帰省旅、第二話(彦根~松江)
過日病気療養中の兄を見舞うため九州まで帰ることにした、ただ帰るのも面白くない、そこで途中観光しながら車で帰ることに決めた、高齢者のロングドライブを危惧する息子たちの声もあったが過去には数十回の経験もあるし今を逃せば車でなど九州まで帰れないのは必定で意を決したと言うのが正直な心情、3月19日(日曜日)同居人(妻)と二人ホンダNボックス(軽車両)に荷物を積み込み6時に出発した、藤岡インターから上信道を佐久まで行きそこからは一般道を岡谷まで走る、岡谷インターから再び高速道路に乗る、遠回りを避ける処置だ、(高速道:119Km,一般道:58Km)和田峠付近では朝方雪が降ったらしく白銀の世界が広がっていた、そんなこともあろうかとスタッドレスタイヤは交換せずに付けたままであった、中央高速は標高の高い所にあるので眺めも良...帰省旅、第一話(高崎~彦根)
姫アヤメ庭セキショウ暫くの間謎の花だった、どんな過程でわが家に来たのか全く不明、プランターの片隅に花を咲かせていたので花のサイズに合わせて鉢を選び植え替えた、俺の好きな花の条件をそなえている、紫色で一輪咲きで小ぶりな花、お気に入りだが名前が分からなかった、知り合いに聞きネット検索もしたがたどり着けなかった、ニワセキショウのプランターで咲いていたのでニワセキショウ(2)の名前で写真ファイルに収めてあった、ところが今日アヤメの検索するうちにこの花の画像が現れた、❝姫アヤメ❞であることが分かった。些細な事ではあるが胸のつかえがとれて気分爽快。姫アヤメ
親交の深いKさんから本が送られてきた、「伝え続けたい日本のこころ」サブタイトルに「唱歌・童謡で学ぶ」とある、添付された新聞の切り抜きは日経新聞の2012年暮れの文化欄、経済人として現役時代を過ごしてきたKさん、新聞の切り抜きは一線を退いて10年以上にもなる今日までも保存してあるのだろう、内容は送られてきた本の著者が仕事の傍ら全国の唱歌や童謡の歌碑巡りをした記録、それが本の内容である、切り抜きに添付された付箋にはKさんがこの本に誘発されて10年前に北茨城市の三木露風の記念館を訪れて大いなる刺激を受けたと書いてある、そこである切っ掛けで歌の好きな私を思い出しこの本をわざわざ取り寄せて送ってくれたという訳だ、本の内容は私にとっては一字一句見逃したくないことばかりで有難い「贈り物」を頂戴した、本の内容については数...「日本のこころ」
昨日ゴルフに行った、太平洋クラブ高崎コース、スタートの時間が早かったので2時には終わった、このまま帰るのも脳がない、そこで安中梅林が近いので回り道をすることにした、梅林の散在する山道はドライブにも最適だ、梅の香漂う風を感じながら走っている内に不治の病で病床にある友の顔が浮かんできた、そこで出来た一句まわり道車に梅の香閉じ込める安中梅林
芽吹きの季節になった、花たちがあちこちで咲いている、種を飛ばせて芽吹いたのであろう、なかには花壇の外の通路にも、花壇の中と違って通路は栄養分が少なくいせいか小ぶりで単体の花が多い、そこがいい、ひときわ可憐さを感じる、だが通路は駐車違反なので動かすことに決めた、花とバランスの取れる器を探した、パンジーとサクラソウの花である、そこでできた一句サクラソウ一輪だけの美しさ花遊び
妙義山の奇岩群友人からブルーレイが届いた、彼は永年に亘ってわが故郷の情報を送ってくれる、今回の情報は2002年のサッカーワールドカップ日韓大会でカメルーンの事前キャンプ地に選ばれた大分県の中津江村とカメルーンの交流を描いたドキュメンタリー番組だ、題して「カメルーンは家族」誘致に至る経緯から20年を経た今日までの村を挙げての交流は胸に迫るものを感じさせた、そもそも中津江村は大分県でも僻地、大分市から車で2時間程もかかる熊本県に近い山間地、人口は僅か650人ほどの小さな村だ、誘致に名乗りを上げた84ヶ所の中でも最も小さく最も不便な自治体であった、村人でさえ❝こんな何もない所で合宿するチームなんかある訳がない❞と思っていたと当時を振り返る、事実グランドと言えどただの草原で宿泊する設備など全く整っていなかった、そ...中津江村
アズマイチゲ五木寛之作詞弦哲也作曲でペギー葉山の歌う「夜明けのメロディー」を歌いたくて練習している、歌詞がいい、ーー朝の光がさし込む前に目覚めて孤独な時間が過ぎるあの友はあの夢は今はいずこに※還らぬ季節はもう忘れてしまえばいいすてきな思い出だけ大事にしましょうそっと口ずさむのは夜明けのメロディ※ーーー私の練習は専らパソコンのユーチューブ、これを繰り返し繰り返し見ながら歌い聞きながら歌う、朝起きては歌い出かけて帰っては歌う、それでも足りずにノートに書き写して歌う、最初のころは出だしの言葉も浮かんでこなかったのが繰り返すごとに途切れ途切れ流れのいい所から曲が頭に浮かんでくるようになる、練習を始めてから1週間過ぎた今歌い手の歌う姿が曲と共に浮かんでくるようになった、この曲ジャンル的には艶歌の範疇ではないのかもし...夜明けのメロディー
十日町市松之山(4月の風景)ゴルフの話80才にもなってシニアでもないがわが新町ゴルフクラブのシニアは80才からである、何がどう変わってくるかと言うとプレーする距離が変わってくる、我々がプレーしている玉村ゴルフ場の場合通常(レギュラー)は18ホールのトータルの距離が6,199ヤード(5,579メートル)だけどシニアーになると5,286ヤード(4,757メートル)となり923ヤード短くなる、これは打つ場所(ティーグランド)の距離を変えることで調整されている、今回始めてシニアのティーグランドから打ったけどなるほど楽である、これまで四っあるパー3のホールを除いてはパーオン出来るホールなどなかったがそれが可能なホールが多くなった、結果には表れていないが精神的に楽になったのは否定できない。結果アウトコース:45打イン...シニア・デビュー