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気楽に語らう⭐︎創価学会非活のブログ⭐︎ https://watabeshinjun.hatenablog.com/

元創価学会活動家から非活になり、現在は退会した信徒が、創価学会や日蓮正宗、また顕正会等の大石寺系教団の問題点を語ります。

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2022/08/06

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  • 米英諸国の惨敗を評する牧口常三郎。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は創価学会の初代会長・牧口常三郎が真珠湾攻撃の日本勝利に関連して米英諸国を批判していた事実についてです。 具体的に宮田幸一他校定編『牧口常三郎全集』第10巻「宗教論集・書簡集」(第三文明社、1987年)から、挙げてみたいと思います。創価学会(当時は創価教育学会)の当時の機関誌『価値創造』第6号(昭和17年2月10日刊)〜第7号(昭和17年3月10日号)に掲載された牧口常三郎の文章である「価値判定の基準」の冒頭です。以下の画像は『牧口常三郎全集』第10巻28ページのものになります。 文章の冒頭ですが、明確に牧口常三郎は「我が国を過小に評価した米英諸…

  • 法華経自体に示唆される法華経創作説。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は大乗非仏説ということと、大乗経典創作者ということを考えてみたいと思います。 多くの方が既にご存知のことですが、推測するに大乗仏教は多くの経典を創作し、それを修行する集団として維持発展されてきたものと考えられます。以下のブログ記事で以前に中村元氏の見解を紹介しましたが、中村元氏は「大乗経典は、それ以前に民衆の間で愛好されていた仏教説話に準拠し、あるいは仏伝から取材し、戯曲的構想をとりながら、その奥に深い哲学的意義を寓せしめ、しかも一般民衆の好みに合うように作製された宗教的文芸作品である」と述べています。 「大乗仏教運動と教化の特徴」 https:…

  • 文証がない教説は否定されるべきとするのが日蓮の思想である。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて私はこのブログで、日蓮遺文やら経文やらを具体的に引用し、その本来の意義や教団の矛盾点等を明らかにすることが多いです。 さてそんなブログの執筆姿勢なのですが、一部の創価学会や日蓮正宗、顕正会等の大石寺系教団信者たちから謂れのない非難中傷を浴びることがあります。その中で多いのが「道理証文より現証にはすぎず」(『三三蔵祈雨事』創価学会旧版御書全集1468ページ)と言うことを持ち出して、「文証では日蓮の法門はわからないのだ」とする議論です。 『三三蔵祈雨事』は確かに大石寺現存の真蹟(三位日順の写本も現存)ですが、この引用部の前には明確に「日蓮仏法をこころみる…

  • 『立正安国論』で予言された災難は「爾前経」由来である。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は日蓮の『立正安国論』における予言が『法華経』由来ではないということについて、少し書いてみます。 以前からとても気になっていたことなのですが、日蓮が『立正安国論』で「神天上の法門」を述べる際、その論拠として示されるのは実は『法華経』ではなく、法華涅槃時に当たらないいわゆる「爾前経」ばかりなのです。 「神天上の法門」とは『立正安国論』で述べられるのですが、正法が行われていない時、善神は法味に飢えて守るべき国土を捨て去り、そのため悪鬼がやってくるので、国に災難がやってくることを言います。この根本原因を説明するのに『立正安国論』で説明のために引用される…

  • 『御義口伝』における『科註』の『補註』への改竄。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて『御義口伝』の偽書説を書いた記事として以下の記事があります。 「大石寺写本『御義口伝』の改竄」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2017/10/08/000000 この中で書いたことですが、『御義口伝』には、日蓮滅後13年後の1295年(元貞改元元年)に刊行された徐行善の『科註妙法蓮華経』からの引用が存在します。 『御義口伝』の末尾に書かれた元号は「弘安元年正月一日」、つまり1278年です。また日蓮が亡くなったのは弘安5年(1282年)です。 日蓮が自身の死後に刊行された書物をどうやったら講義で引…

  • 大石寺、東西坊地の争い。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は日道と日郷の間に起こった大石寺坊地の所有権問題について、誰でもわかるようにわかりやすく書いて紹介してみたいと思います。 多くの人がご存知のように、大石寺の坊地は東坊と西坊に分かれています。日興と日目の死はともに正慶2年(1333年)ですが、これをきっかけとして日仙と日代の間で方便品読不読の問答が起こります。問題はこれに止まらず、大石寺の東西の坊地をめぐり、所有権争いが起こったのです。 この遠因がどこにあるかというと、大石寺の寄進者でもある南条家の相続上の問題から、大石寺の東西坊地を東西に分割し、それぞれを別々に寄進させてしまったことにあるのです…

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