和尚に声をかけられたときと同じに気分は低く地を這う様であった。空に闊達に伸び上がる杉の木立を抜け澄明は白河にかえろうとしていた。もやりとした思いを朱雀にぶつけ問い質してみたいことがある。一刻も早く白河に辿り着きたい澄明であるのに足取りは重く、捗らない。「苦しい」胸のうちの塊を言い表せばその一言になる。思わぬ呟きになった独り言を発した後、澄明はぞっとした思いにつかまれた。「なにもの?」嫌な気配がある。澄明が見据えた杉の木立の後ろから女がぬるりとあらわれた。姿を見せた女の嫌な気配のわけをたぐるまでもない。「妖孤?」だが、何故、妖孤が澄明の前に姿を現したのか。「お察しの通り」姿形こそ人の姿を見せているがその正体が何度も転生を繰り返す九尾狐であるのは澄明の眼下においては歴としたものである。女は澄明を舐めるように見...―沼の神―5白蛇抄第11話
この時澄明の胸に妖孤の一言が韻授となって、えぐりこまれたと知るのはあとのことになる。帰ってきた澄明の顔色の冴えぬを気づかぬふりで正眼はたずねた。鴛撹寺の和尚が澄明を尋ねて来たのはもうひと刻もまえになる。澄明の見廻りの場所を和尚に教えれば、案の定澄明の帰りが遅い。鴛撹寺の和尚の用件に梃子摺っているのかと思えば、わざわざ澄明を名指してきた和尚の用件も気になってくる。ましてや、澄明が沈鬱な顔であればいっそう気にかかる。「なんであった?」和尚の件を尋ねられたと判っているのに澄明の口を付いたは妖狐の事だった。「妖狐があらわれました」わざに狐如きが現われたと報告するわけがない。と、なるとその狐は天変地異の前に空を舞うという白狐か?はたまた、幻惑を操り人心を惑わすを楽しむ齢経たお咲狐か?「九尾です」澄明が重ねた言葉を聴...―沼の神―6白蛇抄第11話
とうとうと流れる涙があわれである。澄明が鴛撹寺をあとにし、比良沼へ足を運んでからの三日の間。澄明に教えられたとおり次三朗は楠の怪を抑えた。楠は元に戻るにも木挽きの屑がない。木挽きの屑があっても次三朗に盛り込まれた切り口の塩が屑を寄せ付けず木肌を盛り返す事もさせぬだろう。諦めるしかない。楠も覚悟が欲しい。愛しい者が悟法をしく。これで、未練ごと切られて行くを楠も望んだ。「やっと・・」次三朗の涙である。「やっと、たおれました」楠の大木はみしりと片ぶき、ゆるりと身体を斜に落していった。楠がどうっと倒れ身を横たえた境内で枝は取り払われ、大火にくべられた。次三朗と赤子は小さな枝を取ると火の中にくべこんだ。「ちゃいよ」次三朗が声をかけると赤子は火に枝をなげこむ。木屑もそうした。赤子は楽しげに木屑を掴むと「ちゃあ」と、声...―沼の神―16白蛇抄第11話
次の日の朝である。目覚めると妹のかのとが澄明を覗き込んでいた。「ど、どうしました?」八葉はむかしから体の弱かった亡母咲世に変わり白河の賄いを一手にひきうけていた。その八葉の元へ里子に出されているかのとであった。八葉は何もかも、八葉がかのとの実の母でないことも、まだ、存命であった咲世こそがかのとの真の母であることもかのとにつげ、白河の家につれてきていた。「すこしは、くどの事をおぼえたらどうですか?」澄明の上掛けをむしりとりながら、いつもの小言をくわせてくれる。小言の小煩さにくらべ、口調はこころなしか、はずんでいる。澄明も怪訝に妹をみつめなおし、あらためて、たずねた。「どうしました?」どうやら、かのとは勿体をつけたいらしい。「うふふ」笑って、答えようとしない。ならば、もう一度尋ねられたいにきまっている。「何か...―沼の神―17白蛇抄第11話
澄明に一縷の光明を見せたかった観音の思いに突き当たると澄明はかのとに示唆された選択がいっそう、ふしぎである。久世観音はまた、救世観音とも表されるとおりである。が、なんで、澄明なぞを救済しようとする。こんなしにくいつまらぬ女陰陽師なぞ、どう、もがこうが、捨て置けばよいほどにちっぽけな存在でしかない。こんな・・つまらぬ澄明なぞに。己をさいなむ責めはやがて、澄明の瞳から雫をたらさせそうである。「ひのえ」姉の瞳の潤みにきがついたかのとは、予想以上に楠の裁断に応えている姉なのだと慰める言葉をさがしていた。「だいじょうぶですよ」澄明はかのとの情を喜ぶ。「あなたが、気に病まなくていいのですよ」「は・・い」けれど、たった、十七。人としてのありふれた幸せに手をのばそうとしている自分に比べ陰陽の道を歩んだ姉は、姿さえ男のつく...―沼の神―18白蛇抄第11話
「これは、これは」澄明の姿を捉えると鴛撹寺の和尚は手を擦り合わせる蠅の如きである。「いかがですか?」愚問かもしれない。目の前には楠が横たわり、かけられた綱が地面に伸びている。綱の側にはいくつもの土を蹴散らした足跡が深い。どう見ても楠を動かせなかったと判る。「いけませんなあ」やっと、切り倒した楠に安堵したのもは束の間だった。「次三朗さんが来て下さって、澄明さまに教えられたとおりにしてくださったのですが」こんな事態は予測していなかった和尚である。「澄明さまがきてくださったのは・・・・?次三朗さんが話しに窺うといっておりましたが?」いつの間にか澄明さまになったのが可笑しくもむずがゆい。「ええ。昨日。きてくださいました」和尚の目が澄明を窺う。次三郎に言われてきたとならば澄明は楠の怪を取り払う知恵を授けにきてくれた...―沼の神―19白蛇抄第11話
方丈に入り茶を整える和尚の手元を見詰めながら澄明は外の気配に耳を凝らしている。人足が来たら、まず和尚の所にやってくるだろう。次三朗の事は人足も楠との由縁ごと、じゅうじゅう承知の事であろう。人足も幼子と次三朗のうずくまる姿にしのびがたく感嘆の声をあげよう。だが、次三朗親子を跳ね除けて吾らが楠を引かねば成らぬと思い込んでいる人足である。次三朗がどいてくれといわれるまえに、次三朗からじかにことの次第を語らせる前に澄明が人足達をさがらせてやりたい。「おはようござります」ぬうと方丈の濡れ縁に顔を出した人足頭である。和尚の前に座る丹精な顔立ちの若い男が例の陰陽師であるなと頷きながら澄明にも礼を返す。「どうすりゃあいいんですかい?」頭も楠の前に座る次三朗に何と言えばいいのか、見当がつかない。見当がつかないのをそのまま次...―沼の神―20白蛇抄第11話
楠を結んだ綱を伸びた背筋に廻すと、よいとなの声を腹に貯めるように深く息をすった。「はあああああーーー」凛と透る声が静かな境内にひびきわたり。大きく、高らかな節回し一声。「よいとな」どう覚えたか腕の赤子は榊を振りながら「ちょい、ちょい」と、唱和する。片腕で軽く引いた綱が張り切ると楠がするりと水の上の流木とみまがう動きで次三朗の寸分前に泳ぐ。「あああ」人足達の驚嘆の声は昨日びくとも動かぬ楠をしっておればこそである。「よいとな・よいとな」しゃしゃと榊が振られちょいちょいと声がはずむ。筋張った腕に絡められた綱で次三朗を締め付けるまいとばかりに楠は綱の緩みを追う。軽く引けばその緩みを崩さぬように楠が追う。「みょうと・・ですよね」歩み寄ってきた澄明が頭にそっとつぶやいた。「そうです。是が、最後の夫婦ごと」頭の声に被さ...―沼の神―21白蛇抄第11話
―くたびれた。心底くたびれたー澄明は、どお、と、襲い来る睡魔にかてず、夕餉もそこそこに自室に引きこもると夜具も延べず畳につっぷしてしまった追ってきたかのとも小言の甲斐がない。寝息を立て始めている姉をほっておこうと思うくせに、手は押し込みをあけて上掛けを引きずり出している。こんな調子ではかのとがいなくなる、この先がおもいやられる。澄明いや、ひのえは、自分ごとはおろか、父正眼の世話をするどころではない。母八葉とて、一日中白河の家におられはしない。それに・・。かのとも、とつげば子をなそう。できれば、八葉にてつないにきてほしいのだが、こんな白河の家人をすておくわけにはいくまい。かのとの先先の心配までは余分というものだが、「に、つけても、つくづく・・」八葉は丈夫な女子である。風邪のひとつでもこじらせて、白河の賄いに...―沼の神―22白蛇抄第11話
夜半遅く目覚むれば、なんとしたことか、足袋もそのままに畳に寝入っている。上掛けはどうやら怒りん坊の妹がしょうことなしにかけていんだようである。正眼もさすがに年頃になった娘の寝相を案じ夜中にのぞく愚挙もしない、澄明も上掛けを引っ張り出した覚えがないのだから妹のはからいでしかない。『随分、また、怒っておったのでしょうな』朝から膳も片付けずに出かけた上、晩も食し終えると早々にへやにひきこもった。正眼の茶碗を洗うは娘の役としても、姉の物までしらぬ。かのとはあなたの端女でない。たんび怒りながら、たんび洗うてくれる妹に甘えてばかりいる。こんな形でもかまわれていたいのが本音かもしれない。こんなもの寂しい思いを考えるにつけ、何かが大きく欠損していると思う。その欠損を言い表す言葉がなんであるかは自分でも判らないがどこから生...―沼の神―23白蛇抄第11話
政勝に抱かれる夢の続きを模索していた。楠の真摯に心を打たれ、恋情に生きる姿は羨ましさを生む。せめて、我が身に赦されるは幻の政勝を追うだけかと嘲り半分でありながら、愛しさに手を伸ばさずにおれなかった。沼の神を呼ぶ己の心の仇を振り返る暇さえないほど焦がれる政勝の姿に抱かれたい飢えにとらわれていた。だが、澄明の前に現れた沼の神はあろうことか、一番望まぬ白峰の姿を見せていた。「なぜだ?」自問自答に答える前に浅はかにも、もろく政勝を求める己の勝手が身を責める。沼の神は少なくとも澄明の心を晴らす道具ではない。で、あるのに、澄明は恋情に目がくらみ、政勝の姿を呈する沼の神を求めた。「おまえのさきはこのおとこのものであろう?」沼の神に制された心は己のもろさでしかない。確かに現実と夢の狭間を心が行き来している。白峰が現に身を...―沼の神―24白蛇抄第11話
「なんで、ここに・・これる?」沼の神がどこに飛翔するは好き勝手である。だが、此処は少なくとも白峰大神さえ恐れる朱雀を奉じる聖地でもある。朱雀を祭る澄明は又朱雀の守護のなかである。そこに平気でこれる?と、成ると、やはり、沼の神は澄明に邪心をいだくものではないと考えられる。澄明の思いをあざ笑うかのような板戸の向こうである。「朱雀の護りか?笑止」沼の神がいう意味はどういう意味であろう?いつか正眼が案じたとおり、白峰の域より高い者でしかないということであり、なれば、朱雀をもはるかにしのぐ高位の者であることさえ、見抜けぬ澄明とわらうか?「お前は朱雀にわしがことふさいでおろう。朱雀の護りをあてにせぬお前がなんで朱雀の守護の中におろう」沼の神にいわれるとおりである。確かに澄明は朱雀の側に居るが羽の下に入らずに居る。「お...―沼の神―25白蛇抄第11話
―沼の神―白蛇抄第11話(28)終えました。いろいろなものを登場させて澄明を解脱・達観させようとするのですが、結局、まだ、腑に落ちない。うろこが落ちない(目から・・w)そして、最後に「我の思いを抱いてこそ吾より、他も救える」と、くさびを打たれるわけですがこれが、できたか、どうか・・・その答えはすでに、「吾よりも、他も救う」ー他(も)が、重要なのですが・・(も)・・です。(を)じゃないーいくつかの章で、他をも救っているわけで、イコール「吾よりも、他も救えている」イコール「我の思いを抱いてこそ」が、完成しているという事になる。次は理周第12話この作品は、女性からの評価が多かった作品です。波陀羅・邪宗の双神にでてくる藤原永常も登場します(ちょこっと)説得力・ネゴシエーター能力を問われた第11話だった。
澄明は今朱雀と対峙している。沼の神が教えようとした思いはいくばくか澄明の中に育まれつつあったが、沼の神が何者であったのか今ひとつわからない。澄明の尋ねを黙って聞いていた朱雀であったが、やっと口を開いた。「澄明・沼とはどう書きます?」問われた事にまま答える澄明である。「水を召す・・・ですね」「そうですね。ならば水、これはなんですか?」考え込む澄明である。沼を水を召すと解くのは字面通りであるが水とは如何?と、問われれば頭をひねるしかない。「わかりませんか?」答えを出せず黙り込む澄明にそっと助け舟をだす。「水を注ぐ音はどうですか?」音から考えるかと発想の転換についてゆけない自分の固さが可笑しいが澄明は思うままに答える事にした。「じゃあ、じゃあ・・か?」ところが、朱雀はそうでないという。「いいえ。じょう、じょう、...―沼の神―終白蛇抄第11話
足掻ききれず、三日の後。澄明は比良沼に足を運んだが、沼は静まり返り、何ひとつ、動く気配もみせなかった。さらに三度。日を置いて比良沼を訪ねたが、結果は同じだった。いったい、なんであったのだろうか?突然目の前に現われた奇妙な生物は僅かの間に澄明の心の岐路を見せつけた。―お前の心に答えた―沼の神が言うた事は本当のことだと思う。白峰の暴挙を喜んで受けられる法はないか?結句澄明が心に岐路を作る基はそこでしかない。沼の神が教えてくれた事は、澄明が探っていた、白峰の暴挙を喜んで受ける法であったと思う。自分の思いの愛しさを知ってみれば、また、白峰の思いも、いけるものの一心として澄明の中で愛しいものであると考えられるようになった。思い一心に生きるものは、すべからく、尊い。こう思えるようになったのは、沼の神の示唆による。自分...―沼の神―27白蛇抄第11話
「成る。成らんではない。心一つこそがいとおしいの」「あ?」沼の神の言葉に澄明の胸の中に一心に思いのまに生きた楠が浮かび上がった。澄明もまた、沼の神のように、楠の思いを愛しいと思った。『澄明の・・この私の、この思いこそが愛しい?』そういうことか?そういうことなのだ。自分の中のこの思いこそが愛しい。『お前の言うとおりだ。この思いをこそ尊ばず白峰にくじられる事ばかり儚んでいた』上を向いた澄明の顔は又澄明の心も上向いている事をみせる。落ちてくる涙をこぼすまいと上を向いた顔を沼の神に向けなおすと沼の神は静かに語りかけた。「この、男の心もいじらしいと思うてやれぬか?」俯く哀しげな白峰大神である。ふと、ふと、いじらしい。白峰大神のことではない。ここまで、澄明の心をとらえようと哀れな道化さながら幾度も姿を変転させた沼の神...―沼の神―26白蛇抄第11話
宿根の星幾たび煌輝を知らんや掲載し始めました。これは、天文敦煌星により宿生をみるというものですが、星読みをからめ大国渤海と小国和国の動乱を描く超スペクタクルに仕上げようとしてぽしゃりました。一大決心をし、明治維新のころのような志士をそろえ・・・超スペクタクルは、豪華絢爛七転八倒狂喜乱舞のとにかく、壮大すぎるドラマに仕上げるつもりでした。が、こけました。書きあげたのは、星読みが、絡んだ数奇な運命・・に、なってしまい力量の無さ内在する「引き出しの中身」のなさ。いたく、痛感しつつ、例の如くの「物語は書き上げてこそ。完成させてこそ」と、仕上げた物で、頭でっかち、尻つぼみの作品に掲げるかどうか迷ったのですが出しますー出しました。一方で、時代物BLコメディ(13)一応、終了。ー書くかもしれないww-これは、新作落語の...オムニバス病
「くそ~~~~~~~」朝から殿が大きな声で喚いております。お食事だって、言うから新之助は控えて食の間の外で待っております。でも、あんなに殿が怒っていたらその声、いやがおうでも、新之助に聞こえます。どうしたんでしょね?やっぱり、新之助、気になって見にいっちゃいます。「どうなさったのですか?」そっと、たずねる新之助に一目もくれず殿はやってきたお女中を怒鳴りつけます。「いいか、そんな奴・・かまゆでの刑じゃ!!」え?そんな?いくら、殿が殿だからって、お女中(かな?)が粗相をしたって、いくら、腹がたったってかまゆではいきすぎでしょう?できるだけ、やんわりと新之助は殿にきいてみました。「殿・・どうなされたんですか?」新之助を見つめ返した殿の顔は怒りというより、悲しみ色・・・。『なにが・・あったんだろう』新之助は殿をお...釜茹での刑に処す★新之助シリーズ第11話
今日もこそこそと、師範の留守をねらって、剛之進と逢引をしようと師範代は師範の部屋にやってきたのですが・・・・。「おりょ?」留守のはずの師範の書斎の中になにやら、人の気配。どうやら・・・、師範の書斎を逢引の場所に使おうなんて考えはポピュラーだったようで・・・。ふむ・・先を越されてしまったと腕を組んだ師範代。待ち人きたらず状態では、場所をかえるわけにもいかず、剛之進がくるまで、「やれやれ・・ここで、まつしかないか」と、書斎の縁側、障子戸ひとつむこうに腰をかけていたのは、よかったのですが・・・・。「ふんふんふん♪」「はんはんはん♪」なんだか、障子一枚むこうは随分、興に乗ってる様子。「むむむ・・・」誰だろうってのは、口実で、お手前教授ねがおうかしらんってなもので、よせばよいのに、障子のすきまをそっと覗いて見た師範...しないで、しないで!!★新之助シリーズ第10話
沼の神を呼んだときに現われた淫卑な男が澄明を抱いていた。「あさましい・・」沼の神の見せた淫卑な男の姿のことではない。目の前で何度となき沼の神の変転をみれば、否が応でも是が己の心の象りでしかないとかんがえつく。と、なれば、この淫卑な男も澄明の心の象りである。己の心の底で政勝を求めているを見せつけられ、澄明は我を忘れ、幻に身を任せようとした。政勝恋しのはて。叶わぬ恋のはて。幻で己の憂さをはらそうとした。これもあさましい、己の欲である。だが、幻であっても政勝への思い一途になるなら、澄明の思いは真といえるかもしれない。ところが、己の思いを晴らす欲に狂いきれもしない。己の思いだけに照準を合わすことさえ出来ない。澄明の心に忍び込んできたものは疑いであり、保身である。沼の神こそ、白峰の先をなして、澄明をくじろうとしてい...―沼の神―15白蛇抄第11話
伏せた瞳を上げると、目の中に映った沼の神は、政勝の姿だった「え?」沼の神は澄明の思いを映し込んだのだ。「ほ?」沼の神も一瞬の変転を悟った。「親の苦渋をしりとても望まれたい男はこやつということか?」「い・・え」澄明の戸惑いをみぬく。「妹と争う、も、省みぬお前でありたいが、本当だろう?」「違う・・」「ちごうておりはせぬ。お前は白峰の如く勝手気ままに望むものに触手をのばす事もできぬ。白峰の勝手な生き様は羨ましくもあるがそれをうらやめば己がつぶれる」「ちが・・う」「ちがわぬ」政勝の姿が澄明をときふせようとする。そうだといえば澄明はどうなる?何もかも、正眼の一言が元で心を寄せた相手も諦めるしかなくなった。だが、正眼を責めたくはない。己に与えられた定めに従うしかないと決めた澄明のどこが子供だという?沼の神のいいぐさは...―沼の神―14白蛇抄第11話
「哀れな。小ざかしい知恵は己によるものでない故に、哀れな」呟きがきこえ、澄明の前に姿を見せた沼の神の姿に澄明は己の目を疑った。だが、是こそが実体なのかもしれない。澄明は後に引く間合いを取りながら、いやらしげな男をみつめた。「ふん。正眼にいらぬ知恵をつけられ、心の目が開かぬか?」股座の脹らみをなでさすりながら澄明を見る男の目は女子への色欲をありありと浮かべ、だらしなくあいた口元も、すいたらしさを表すばかりで賢人には程遠い代物でしかない。「そ・・それが・・」本性か?父正眼に見破られたゆえ、澄明をたばかることができなくなったか?それとも、この澄明が沼の神のつぶやきのとおり、正眼の危惧に己の心の目を曇らせたか?どちらを信ずればよい?「己を護ろうとばかりする者は弱い者じゃの」藪をにらむかのような目つきが澄明の女子を...―沼の神―13白蛇抄第11話
妖狐は気が済んだかもしれない。が、実の所、妖狐の言葉が澄明をさらなる困惑の只中に落としているとはしりもしない。一つの疑念は終焉を迎えたが、思いが今生で叶わぬなら転生の後にかけるといった、妖狐の言葉に澄明はぞくぞくする悪寒さえ感じていた。これこそ、朱雀の言う「白峰の心が晴れぬ限り、お前は来世でも同じことをくりかえすであろうの」であり、「因縁は更なる因縁を産む。お前は其の流れに飲み込まれたまま生き続けたいか?」と、沼の生物が明かしたそのままであろう。楠に悟らされた通り白峰を幸いな気持ちにさせてやることができねば、妖狐の如く、白峰も澄明の来世を待つことになるのではないか?こう考え付いた澄明の背中に冷や汗が粘るように伝い落ちてゆくのがかんぜられた。楠や妖狐にとりまぎらわされ、後にしていた沼の生物との会話が現の如く...―沼の神―12白蛇抄第11話
手の中にはまだ赤子の柔らかな命の息吹がのこるようである。次三朗の峻烈な思いもうらやましくさえある。命を懸けて得た物の重みの名残りが澄明を無言のまま圧している。得手勝手といわれようがほしくある次三朗のおもいである。別れの辛さよりこの手にしたかった赤子の息吹である。命や、杓子定規な定法などいくらのせても楠の量りはかたむきはしない。白峰もおなじか?さすれば、白峰を無明地獄に突き落とすはこの澄明か?たった一つの愛しさを欲するが、とが、でないとするなら、それを与えぬ澄明こそ人でなしか?「あはは」木陰から笑いでたるはまたも妖狐である。澄明の反問を平気で読み下し、ずけずけと音に成す。「まっこと、いやならば、お前も誠をみせればよかろう」「誠?」嫌だという誠とはなんであろう。関らぬことよと思っていたはずの妖狐の突飛な言葉に...―沼の神―11白蛇抄第11話
其の後朱雀は黙りこくった澄明をじっとまっていたが、澄明にやっと「もう少し考えます」と、告げられると南天に帰することにした。次の日の澄明である。鬱々とした思いは昨夜の朱雀とのやり取りを反芻させるだけである。朱雀のいうとおりである。確かに楠の誠は命をかけたものであろう。だが、例え其の先で死を持って帳合をあがなうとしてもこれを赦す久世観音が、不遜におもえる。なってはならぬことであるなら、成らす前にとめるべきである。其の上で久世観音の言う事を聞こうとせぬときりたおしてしまえばよい。それもせずに何故楠の情恋をかなえてやらねばならぬ。何故?こう思う裏側で確かに白峰をつきくずせぬものがないかとさぐっている。せめて、事を塞ぐことができないなら、人と人でない物が交わるが過ちであると、楠を決済せねばならぬなら、白峰にも何らか...―沼の神―10白蛇抄第11話
「おまえの頭の中にある事は白峰の暴挙のことだ」まるで、妖狐とおなじである。だが、あえて前言撤回と言った朱雀である。「おまえは、命かければ恋を、願いをかなえられる事に憤っておる」「・・・」「もっと、言えば、白峰の暴挙に命かける誠なぞあってほしくない。誠があるばかりにお前は虫けらのごとくに白峰に翻弄される」「いえ」否定はしたものの其の通りですとばかりに澄明の頬につたうものがある。流れ落ちる涙を拭いもせず澄明は朱雀をみすえた。「なにゆえ、望まぬ事を強いるが許されるのです?片一方の誠だけを掬い取って、願いを遂げねばなりませぬ?白峰が神格だからですか?神だから得手勝手な願いが叶うのですか?」「澄明。そこがお前の情の怖さよ」ふるふると握った拳がふるえだしてくる。「白峰が誠であれば澄明は供物として、おのれをさしだすにこ...―沼の神―9白蛇抄第11話
「朱雀よ、いでませ」朱雀に問うてみたい事があると正眼に云ってみたものの澄明の声にかすかな迷いがある。が、守護をしく紅き鳥は澄明の迷いさえみすかしてあらわれた。「妖狐とおなじことなぞいいはせぬ」朱雀は澄明の今日の出来事をすべてしりつくしているようである。「はい」朱雀の瞳は半眼になり澄明の言葉を待ちじっと、持している。「とうてみたいことがございます」「なんぞ?」「楠のことです・・そのおり」澄明の尋ね事が神への批判に繋がるかと思うと言葉を吟味せざるを得ない。「久世のことか?」気取るに早いはいかに朱雀が澄明を守護しようと焦点をそそいでいるかにすぎないが、見透かされる気分と云うものはこうかと壇上の飾のように身体が固まってくる。「久世のことをどう悪態をつこうがかまわぬ。お前の心をさらけてしまわねば、底に沈めた思いを気...―沼の神―8白蛇抄第11話
「比良沼で見た事もない生き物にあいました。父上はしっておるでしょうか?」「おう?」どうやら、澄明の今日一日は、楠やら九尾だけでなかったようである。比良沼の生き物と交わした話を伏せながら、正眼の見識を待つ。「聞いた事がある。だが、不思議な事に観たもの観たものすべて、違う容をいいおるそうな」「そうでしょう」澄明の頷きはおもいあたるふしがあるということになる。「どうして、そう思う?」「私の見る前で姿を変転させました」「なるほど」と、なれば生き物は観る者の心の映しを象っていると言う事になる。成れば、生き物は澄明の最初の目にどう映り、次の姿が何を映えさせたかと気になるのは、正眼の親としての思いか?はたまた同じ道の徒である陰陽師白河澄明の推眼を量りうる思いか?「初めは得体の知れぬ、まるで、ぬえのようにも」蜥蜴と猿を交...―沼の神―7白蛇抄第11話
昔馴染みを書き終えてもうひとつ、思ったことがある。ー悪人を書けないんだなーと、いうこと。悪事は書ける、と、(一応)思う。悪人という定義自体自分の中では、あやふやなのだと思う。根っからの悪人はいない、と、考えているのかもしれない。この悪人をして、「悪」と呼び「悪心」を持つものが「悪人」ということになるか・・・「悪心」とは、悪事をしようとする心。他人に害を与えようとする心。また、人をのろう心。と、ある。と、ここで、思い出すのは大本王任三郎。ー悪はやっつけるのでなく、改心させるーと、いうようなことを言っていたと思う。人を悪人にする「根源」は、「悪心」であると言っている気がしてくる。では、「悪心」を「善心」に入れ替えることができたら悪人でなく、善人が出来上がる。ようは、物語の「悪人らしきもの」も、「悪心」を「善心...ー悪人を書けないんだなー
不思議な話・不思議な体験はいっぱいある。それが、あまりにも、荒唐無稽すぎてかつ、なんの「証拠」も残っていないため一過性の出来事だと考えるし一種、トランス状態だったのだろうと思う。ー悟空がサイヤ人になるみたくその状態は普通・普段ではないー考え方の一つにこういう?能力・トランス状態を含めは自分本来じゃないと思っている。人柄そのまま人を思いやればその人の状態に気が付き時に、助になる言葉をかける。普通で当たり前の姿であり、超能力とか?でなく人柄のなせるわざだから、普通の人でありたいと思うし普通・・・平凡即ち非凡であるかもしれない。その考えを投影しているのがー悪童丸ー3白蛇抄第2話「某は好かん。法術、加持、祈祷の類はあくまでも自力ではない。剣あってこそ加護がある。何らかの神に縋ってそれを己の力と過信して居るような輩...ー普通の人でありたいー
昔馴染み、終えました。まだ、さしはさみかったことここ、付け足した方が良かった?とか、浮かんでくるのですがそのまま・・消化不良はこちらで、ぶつくさ。ラストのあたり、浮浪雲と三治は何も言わず、立ち去った・・・と、言うことに成ると思いますが書かない。織田が礼をのべたいと言った時にー阿片のことでも、感謝してるおかげで親子の命を救えたーと、いうもうひとつ過去の織田と兆治の経緯も敷いてみたかったのだけど・・やめた。さんざ、ーたった一言ーのために書いた。と、言い募りながらそれが、どれか、判らない。あるいは、浮浪雲がその言葉を聞いて原作では、ーあちきの負けですねーと、言ったと思うがそれくらい、(織田お)器がでかい。と、言うことを語らせても良かったかもしれないとも思う。が、三治というちょっと鈍い男の目をとおして浮浪雲も織田...読み手の胸を借りる
昔馴染み 原作 浮浪雲の登場人物 ・キャラクターについてのウィキ
雲(くも)主人公。元々は武士であったが、現在は品川宿の問屋「夢屋」の頭(かしら・現代で言う代表取締役社長)である。仕事は二の次で、作中では仕事をしている描写はほとんどないが、番頭の欲次郎が病気で寝込んだ際、誰も仕事をする者がいないため、その際には渋々仕事をしている。何を言われても暖簾に腕押しであり、女を見れば老若美醜にお構いなく「おねえちゃん、あちきと遊ばない?」と決め台詞をやることで有名。また、女だけでなく陰間とも関係を持った事があり、それが原因で騒動となり、この時は雲も逃げ回っている。見かけは髷をきちんと結わず、前に結って、女物の着物を身に着けたいわゆる遊び人の風体をしている。風習や物事に一切囚われず飄々としているが、実は柔軟かつ強靭な精神力を持つ。また、老若男女を問わず、非常に人を惹きつける魅力を持...昔馴染み原作浮浪雲の登場人物・キャラクターについてのウィキ
ひょっとこの女将とてつないのお弓が口をそろえて、ほめそやす。浮浪のだんなは、その話を黙ってきいているのか、酒のつまみにしているのか。「それがさ、ほんとに、目の前さ。ねえ、お弓ちゃん」「うんうん」と、頷くお弓の頬が上気しているのもわけがある。「そりゃあ、見事な采配だけど、それだけじゃないんだよ。これが、いい男っぷりでねえ」お弓の上気のわけはそれらしい。「胸がすくっていうのは、こういうことをいうんだねえ」女将とお弓が連れ立って歩いていた。その真正面向こう、商家のだんなだろう。だんなの後ろからすり抜けざまに男がだんなの懐に手を入れた。「あ、あれは、すりだって判ったんだけどあっというまに、あたしらの横をはしりぬけていったんだよだんなは、まだ気がついちゃいない。そのまま、歩いてくるからじきにあたしらの横を通る。教え...昔馴染み・・・1
女将がいくら考えてもすりの「どうりで」の内訳など判るわけがない。すりは、すりで、浮浪のだんなに酒を注ぎにいく。「その節は・・」と、詫びを入れるすりに浮浪のだんなは、「なんだっけ?」と、覚えていない様子を見せる。「あ・・まあ・・・あの」他に人が居るせいで、仔細を語りたくないようだった。が、思い切って告げる。「あんときと、同じようなていたらくで、こっちのだんなと・・」と、わずかばかりににおわせたところで、浮浪のだんなも判った。ついでに女将もさっしがついた。「三治さんだったっけな」ようやっと名前を思い出してくれた様だった。江戸にながれてきて、まもなしだった。三治は、こともあろうに、浮浪のだんなの懐をねらった。ところが、ずいと傍によろうと思うと浮浪のだんなは突然しゃがみ込む。しかたがないと傍らをとおりぬけ川の淵に...昔馴染み・・・2
朝からかめのおしゃべりを聞かされやっと話が止まったころに浮浪のだんなは、外に飛び出した。ひょっとこは、朝飯にありつこうと人足たちが集まっているだろう。しかたがない、どこへゆくでもなくぶらぶらと歩いていると大川の河原端に黒山の人だかりがある。あれが、かめの言っていた人相書きだなと近くに寄って、眺めることにした。かめは、人に押され背も高くないためまともに定まり書きは読めずちらりと人相だけをみたといっていた。ー悪い事するような顔じゃなかったんだけどねーと、言いながらー人は見かけによらないともいうしーちっとも美人じゃない自分にだって見かけとはちがう美しいところがあるんだと、半ば自分に言い聞かせていたのかもしれない。集まった者たちは、近寄ってきた男が浮浪のだんなだとわかると人相書きの前まで一本、道を開けた。人相書き...昔馴染み・・・3
朝から黒山の人だかりがある。これを見過ごす手はないと三治が懐の厚そうな奴を物色していたところにー浮浪のだんなだー昨日の今日でもあるだんなの目の届くところですりは、できねえと浮浪のだんなが人相書きをながめおえて立ち去るのを待つことにした。ところが、浮浪のだんなが「島をぬけたんだ。仲間をひとり、ぶち殺している」と、言った途端人波が消えた。波どころじゃない雑魚1匹見つからなくなってしまった。ーよくよくのご縁ってやつだー三治がすりに失敗するたびに浮浪のだんなが現れる。ーもう、今日はあきらめろってことだなーと、切り替えが早い。早いのも、わけがある。昨日の1分銀ひょっとこで一度に使える額じゃない。お釣りもない。と、いわれ、そのまま残りは預けることにした。その銭で、朝飯をくうも朝から一杯ってのも悪くないかもしれない。「...昔馴染み・・・4
お弓が答えるより先に女将がまくしたて始めた。「いえね・・・この子の岡惚れでしかないんだけど・・」どうやら、お弓は昨日の男にぞっこんになってしまったらしい。「いい男っぷりで、心も広いみなりもこざっぱりしていてなにより粋を絵に描いたようでそりゃあ、あたしだって、なにも思わないっていったら嘘になる」が、女将をはるだけのことはある人を見る目の幅が違う。「そんな男だからねえ、いい女がいるに決まってるしむしろ、あの落ち着きぶりは妻帯して、子供がいるせいだろうと思ってたんだ」ところが、お弓はおぼこい。すっかり熱をあげてしまった。お弓が、女将に打ち明ければ、無理だろうよとたしなめてやれたのだろう。「あたしも気が付いてやれなかったのが悪いんだけどね。幸いと不幸がいっぺんにやってきてしまったんだよね」幸いはお弓の有頂天をいう...昔馴染み・・・5
浮浪のだんなは、酒で良いが、三治はどうだろう。「三治さんは、飯だろ?」あたりを付ければ案の定「そうしてくれ」と答えるがなんだか、うかぬ顔つきになっている。無理もない。確かに織田は良い男っぷりすぎる。が、一言のもとにー織田とひきくらべるなんて、しょってるーと、いなされると気分があがってこないだろう。三治だって、別段不細工という面構えではない。だが、三治がすりだと知っているお弓にすれば織田と三治は、天と地ほど違って見えるかもしれない。だけど、織田だって、なにを生業にしているやら?「だんな・・織田っていうのは?」名字を許される身分ということになる。女将が尋ねるに「元はさむれえだな。それに、なにかな、薬草のような匂いがしていたから医者か・・・蘭方でも学んだのが仇になったか」医者にもなれず、侍にもなれず・・いったい...昔馴染み・・・6
ひょっとこからでてくると三治は大川の人相書きを見に行くことにした。悪い事などしそうもない顔というのがどういうものかと思ったのもある。ちらりと頭をかすめたこともあるが、ありえないと、思った。人相書きの前で浮浪のだんなが「島をぬけたんだ。仲間をひとり、ぶち殺している」といった。だから、ありえないと思った。だが、三治のまなこに映った人相書きのその顔は与吉に思えた。ーこりゃあ、与吉じゃないかー与吉のわけがねえ。こりゃあ、何かある。前みたいにはめられたのかもしれない。「絶対裏がある」つぶやいてると気が付かずにいた三治の後ろで「たしかにあちきは極楽とんぼですよ」と、浮浪のだんなの声がした。「あ?」ひょっとこでつい、すりの言い訳をしたのはいいが極楽とんぼの懐から、するんだといってしまったのは浮浪のだんなへのあてつけにな...昔馴染み・・・7
あれから三日。三治はひょっとこと大川をなんど往復しただろう。浮浪のだんなは、なにか掴んできてくれるはずだと、思うがそんなに簡単ではないのだろうとも思う。大川の人相書きを眺めていたら浮浪のだんながひょいとあらわれはしないか?ひょっとこで、飯をくらってたら浮浪のだんながひょいとあらわれはしないか?と・・・ひょっとこからまたも、大川ばたに足をのばした三治の目に織田の姿が見えた。あれから、逢っちゃいなかったがお弓ちゃんが泣きべそをかいたのも織田が夫婦で、ここにきていたせいだ。お弓ちゃんにとっては間が悪いというより、良かったというべきだろう。でも、今日は織田は一人だった。ゆっくり三治が近づいていく間も織田は人相書きをやけに熱心に見ていた。「だんな、織田のだんな」三治に気が付くと織田は手を振った。「だんな、なにか、気...昔馴染み・・・8
次の日から3,4日三治は兆治の様子をうかがっていた。兆治はいっこうに長屋からでる様子がない。水は甕にでも汲みおいてあるのだろう。おまんまは、竈で炊いている?着物は洗濯女の所にでも、もっていくのか?家から外にさえ出ていないとみえるのは、たんに、出たとこを、見ていないだけなのか?ー参った・・ー四六時中、長屋を見張っている訳にはいかない。女房連中に見とがめられたら井戸端の噂話になり、はてには、兆治に感づかれるかもしれない。ーどうすりゃいい?ー策をねるより、先に不思議な気がしてくる。ー島を抜けた時に、隠し場所から千両箱の一つでも抱かえて、江戸にもってきてるのだろう。楽に暮らせるのは判るが外にも出ず、長屋で一人いったい、この先どうする気でいるんだ?死ぬまで、こうやっている?誰とも喋らず・・呑みにもいかず?わけがわか...昔馴染み・15
みかけない女、人目から隠れるそぶりそんな女がいたら、付けていきゃいい。と、思ったが、妙な女は見当たらない。堂々と歩いているかもしれない。と、なん人か、つけてみたがどれも、これも、兆治の居る長屋に入り込むことは無かった。すぐ見つかると思う方が、せっかちすぎる。と、自分をなだめてあくる朝・・・しとしと、そぼ降る雨だった。傘の内なら、人目をしのげる。これは・・・見つかるかもしれないと三治は朝のとうから、女を探した。大店の旦那の妾なら、身なりも良かろう。夜は、旦那を待ってあてがわれた家にいるんじゃないか?動くなら朝の内か?陽のあるうちに、旦那を迎えるご馳走を買いに行くだろう。いつもの、買い物にかこつけて、兆治に逢いにいくんじゃねえか?そう当て推量を決め込んで三治は長屋のまわりをうろついた。すると・・・傘の内に、ご...昔馴染み・16
雨だから伝八はぶつぶつ言っていた。ーおっつけやむだろうが、中途半端にそぼ降りやがる左官殺すにゃ刃物はいらぬ雨の三日もふればいい。って、いうがよまあ、死ぬほどの雨じゃねえが・・・ー女房のお浜は手のいい洗濯女だった。干しても生乾きで、饐えた匂いになるのが関の山。今日は、やすみにしておこうと家にいた。そこに戸口から小さな声が聴こえてくる。ーおや?誰だろう?ー閑を持て余した伝八の仕事仲間か?ーなんだよ、小せえ声で・・やましい誘いなら・・・俺は・・・ー戸をあけてみりゃーあれ?だ・・ーしいと、指をたてる浮浪のだんなであると判ると伝八の声も小さくなった。ーん・・な?どうしたんです?ーー隣の兆治に用事があってねー伝八はいぶかし気に眉をひそめた。ー隣に用事があるなら、隣にじかに行けばよいでしょうと、いいたいところだが、あっ...昔馴染み・17
やっと、声がでてくると三治は浮浪のだんなをなじりだした。ーだんな、判っていて、なんで、わざわざ、ー織田のだんなの顔がうかんでくる。具合が悪い女房のために、お結ちゃんのためにめしを炊いて、ひょっとこに采はねえかとたずねてきてた。つゆひとつ、織田のだんなは疑っちゃいないだろう。おいらだって、こんなことは知りたくなかった。織田のだんなの幸せとそれを見ている幸せが、もろともに崩れてゆくなんてこれっぽっちも思ってないってのにそれを、平気でぶち壊してお島さんでしょう?そんな言葉があるもんか。ーお島さんは、元々兆治の女房みたいなもんだったんですよ。それが、織田さんに阿片を横流ししたことが元で兆治は捕まってしまった。織田さんが、行く当てのないお島さんの面倒を見てやろうと思ったのは兆治を島流しにしてしまった罪滅ぼしみたいな...昔馴染み・18
漏れ聞こえてくる声は痴情のさま、そのままであったがそれが、静かに成ると兆治が、お島をかき口説き始めた。ーお島・・おまえは因果な女だよな。お前、恋しさで島を抜けてみりゃ事もあろうに、織田とくっついていやがるーーだって・・・仕方がじゃないじゃないかあんたがいなくなっちまって・・・ーーせめてるんじゃねえさ。俺が人を殺してまで逢いたくてたまらなかった女だ。織田だって、うつつをぬかすに決まってる。だけどな・・・お前があいつに抱かれてるのかと思うと胸のこのへんがな、焼ける様にちりちり痛くなるんだーお島は返す言葉を無くしているのか・・・ややするとーだから、早く、連れ出しておくれよーお島は、兆治とどこかに出奔したいのだという。ー判ってるさ、だから、今、諏訪の天馬村に家を建てている。金は運び込んであるから、もうしばらくした...昔馴染み・19
浮浪の帰ろうと背をたたかれるまで、三治は呆然自失で、壁の前に座り込んでいたらしい。我に返ると、今聞いたことが夢なのか現なのか、しばらく判らなかった。だんなに背を叩かれたことが現であるときがつくと三治は、どこをどう歩いたかだんなの背をおって、ついて歩くだけだった。「三治さん、大丈夫ですか」ん?と、呆けた頭で三治は考え直した。ーなんで、三治さんと、よぶんだろうーーなにが、大丈夫なんだろう?ー考えを巡らせはじめると、それが、はずみになり胸の中でしこった物が湧き出始めた。ーそうだ・・・お島さんが・・・いや、お島さんばかりじゃないお結ちゃんも腹の子も兆治の子で織田のだんなを・・・ー情けなくて、もう、思い出したくないと思うのに兆治のしゃべった事お島さんが兆治と出奔する気でいること・・次々、湧き上がって来ていた。ーだん...昔馴染み・20
ーそんな・・だんなじゃ、無理なんですか?奉行に顔が効くし、金は別になくてもいい。おいらが、与吉のおふくろさんの面倒をみるー三治の言葉に浮浪のだんなは、嬉しいような、困ったような複雑な顔を見せた。嬉しい顔になった訳は、こうだった。ー三治さんが与吉のおふくろさんの面倒をみようという気になったのはこれは、与吉さんが一番喜ぶことでしょうー困った顔になったのは・・ーだけど、三治さん、そのままじゃあいけない。すりの稼ぎで、面倒をみれるわけがないし三治さんが捕まった日には、おふくろさんの支えもなくなる。支えてくれていた人をよりどころに思うようになるのは人の常でしように、その人がすりをはたらき、その金で、自分を支えていたと知ればおふくろさんは、身の置き所がなくなる。与吉が遠島になったのも自分のせいあげく、三治さんあなたも...昔馴染み・21
家に帰りつくと、翌朝まで何も答えなかった浮浪のだんなの顔を思い出しながら三治は考えていた。ー浮浪のだんなは、最初からおいらが、与吉のおふくろを見てやると良いと考え小石川のことも胸算用したんだと思う。そんな人が織田のだんなに人殺しなんかさせるわけがない。それに、織田のだんなが、兆治を始末して、兆治が居なくなるってことになっても織田のだんなもおとがめを受けて居なくなっちまうことになる。そうしたら、一番困るのはお島さんだろうし、お結ちゃんに腹の子だ。織田のだんなが、そんな考えなしの事をするとは思えない。ーふと湧いた思いに自分で得心すると次にきになるのは織田のだんながどうするつもりかということになる。それは、浮浪のだんなの言った通りだと思う。「織田さんは、自分の手で兆治をお役人にひきわたそうと考えてるんですよ」ー...昔馴染み・22
兆治のやさにたどり着くと・・・戸口で、お島さんが倒れ伏していた。血の気が引いていく三治をしりめに浮浪のだんなは、お島さんの懐、帯に手を入れる。ー大丈夫です。織田さんはぬけめがないー浮浪のだんなは、いったい何をしているんだ。お島さんは、息をしているのか?ー織田さんが、落としているんですよー気を失わせている、と、言うことだと判るとーなにをしてるんです。はやく、活をいれてあげなきゃー三治は、気が気じゃない。ーいいんですよ。織田さんは、わざと・・・ですーと、言ったまま浮浪のだんなは動こうとしない。ー織田のだんなは?ー兆治と争っているはずなのに物音がしない。ー大丈夫です。兆治もちょっと、おとしてるんじゃねえでしょうかねー浮浪のだんなは、中に入ろうとする三治を押しとどめた。すると、まもなしに兆治の罵声が響いた。ー活を...昔馴染み・23
ー兆治さんやはり、最初に礼をいいましょうー兆治の懇願には、答えず織田は話し始めた。戸口の三治は奇妙な織田だとみていた。礼をいうもそうだが、なぜか、織田のだんなは兆治を、兆治さんと丁寧に呼んでいた。ー私は医者ですから・・お島が身ごもっているとすぐに気が付いたのですよ。兆治さんは二十年島送りお島は、どうやって暮らしていくか・・それで、私と所帯をもとうと説き伏せてお島には、お結が、どちらの子か判らないと思わせる為に月たらず生まれたと、信じさせたんですよー兆治は初めて、まともに織田の顔をみたと思った。ーじゃあ・・・あんたは、お結が俺の子だと、はなから判ってたということかーーそれだけじゃありませんよ。お島の腹の子も、兆治さんの子ですー兆治ははっきり断定する織田が変だと思った。兆治もお島の腹の子は、どちらの子か判って...昔馴染み・終
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