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2022/07/11

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  • 引っ越しました

    ブログの引っ越しが済みました。新しいブログは「はてなブログ」です。タイトルは元に戻り「daddy-kのいきあたりばったり」で引き続きお付き合いいただける方は上記をクリック、またはこのURLまでお願いします。https://daddy-k.hatenablog.com/思えばAOLブログからスタートし、teacup、gooと旅して来たなぁ今度こそ続きますように。私のネタが尽きるまで…引っ越しました

  • 中島公園のヤマザクラ

    前日の寒地研に続き中島公園の桜を見て来ました。こちらの公園にはソメイヨシノなどもありますが、目につくのはヤマザクラ。北海道で咲くの寒冷地性の桜で「エゾヤマザクラ」として、本州の物とは区別されているようです。正式には「オオヤマザクラ」と言うそうですが、一般的なヤマザクラよりも花の色が濃く、「ベニヤマザクラ」とも呼ばれるそうですが、その色と、待ちに待った春と言う事で、道民に愛されています。旧teacupのブログの時に、ヤマザクラに付いてこんな事を書いていました。昔”ヤマザクラの君”という言葉がありました。何となくロマンチックな響きはまるで清少納言みたいですが、誉め言葉では無く悪口なのです。イメージする人物をあげると、赤塚不二夫のおそ松くんに出てくるシェー!の「イヤミ氏」や、山上たつひこの喜劇新思想体系に出てく...中島公園のヤマザクラ

  • チシマザクラが咲きました

    三月はまだ寒いけど四月になると暖かになる、これを三寒四温と言う…等という与太郎は私だけですが、無事春が巡り来てようやく桜の便り。沖縄の1月緋寒桜から始まる桜前線の終着は5月根室の千島。道東の帯広でも開花したそうで、桜前線ゴール間近のはずが昨日は生憎の雪だったそう。桜に舞う雪とは風情ある気もしますが、道東の方々にとっては迷惑な話だったで事でしょう。酒の「雪中梅」はあっても「雪中桜」は聞いた事が無いですし。昨年は5月6日の開花宣言で満開は11日だったそうですが、今年はどうでしょう?今年も昨年に倣い、5日から11日の間で、「日本一の遅咲き桜×映えるサイロのライトアップ」が予定されているそうですが、一度見てみたいですね。順調な天気が続きますように。札幌の寒地研(寒地土木研究所)にもチシマザクラが植わっていますが、...チシマザクラが咲きました

  • 大地の恵み 山菜展

    緑が嬉しい季節、山菜取りを楽しむ人も多いでしょう。野山が友達だった私も大好き。雪の残る沢で摘んだサワワサビ(正式な名称はいまだ不明)から始まり、フキ、セリ、コゴミ、ミツバ、王者の行者ニンニク、タランボ…思えば、小さい頃から食い物には執着していました。毎年この時期は故郷に帰り、慣れ親しんだ山で山菜取りをしてきたのですが、老眼が進んだこの頃、片道三時間以上のドライブはキツくなり、最近はご無沙汰ですが、来年は久し振りに行ってみたいものです。せめて目で楽しんでこようと、道立衛生研究所が開催する山菜展に行って来ました。ここには昨年も来て色々学んだはずが、一つ学ぶと二つ抜け落ちるなぁと愚痴りながら…右は食べた事の無いアズキナ(ユキザサ)。左上段はお馴染みの山菜ですが、セイヨウワサビ(ホースラディッシュ)は明治の外来種...大地の恵み山菜展

  • 春の蕾を探して(2)円山公園

    日本人は桜が好きですよね?江戸の昔から。落語にも花見で酒を売ろうと出かけた二人、共同で仕入れた酒をお互いに飲んでしまい、酒は完売したはずなのに(?)手元には残らなかったという「花見酒」とか、「花見の仇討」に「長屋の花見」などが出て来ます。札幌市内の開花宣言はまだですが、街中には既に咲いている桜もあり、なら円山公園はどうだろう?と、昨日様子を見て来ました。坂下グラウンドの周りが早いようで、咲き掛けのものも一~二輪ありましたが、あともう二日ほど欲しいという状況でしょうか?でも春が来たようでワクワク。そして大好きなカツラの木もハート形の葉を出しました。これも嬉しい。山の中腹にはまだ緑になる前の紅いカツラも残っていて、山裾を染めてくれありがとう。キバナノアマナも咲き出しています。私は食べた事が無いのですが、これは...春の蕾を探して(2)円山公園

  • 市民ギャラリー/スプリング・コンサート

    昨日は市民ギャラリーまで散歩。美術ではなくロビー・コンサートを聞きにですが。オルガンのファニー・クソーさんはキタラの25代目の専属オルガニスト。2月のキタラのウィンター・コンサートは、彼女の編曲によるラヴェル等でさしたる印象は無かったのですが、ポジティフ・オルガンとヴァイオリンとのデュオには興味をそそられて。この日のプログラムですが、テーマが「音楽のオデュッセイア」だそう。オデュッセイアとは、ギリシャの英雄ユリシーズがトロイ戦争の後、10年もの歳月をかけ、困難に立ち向かい故郷を目指すと言う壮大なストーリーだそうです。デュオでコレッリのヴァイオリン・ソナタでスタート。ああ、いい感じじゃないですか。ポジティフ・オルガンとヴァイオリンの音量バランスがピッタリだし、多目的展示室のはずですが天井が高く、まるでシュー...市民ギャラリー/スプリング・コンサート

  • 春の蕾を探して

    お酒飲む人花なら蕾今日も咲け咲け明日も咲けと言う都々逸があると、以前も書いたと思いますが、そろそろ酒…もとい、咲けの季節かな?と蕾探しに中島公園へ。ヤマザクラかな?だいぶ蕾が膨らみ、順調に行けば予想通り来週には花が見られそう。キタコブシはそろそろ開花しそうだし、ハウチワカエデもソメイヨシノも、シダレ柳も良い感じになっています。エゾアカガエルはこの枝にジャンプするのかな?日本庭園のカタクリも咲き出しましたが、ここのオープンは25日予定と言う事で、残念ながら垣の外からしか見られなかったので、移動して豊平公園の野草園に。ここでもまずは桜の蕾をチェック。啓翁桜ですが、ほぼ他の桜と同時期に開花かな?そして野草園ではカタクリが咲いていました。お久しぶりです。一年のご無沙汰でした。太陽に笑顔のヒマワリもいいけれど、私は...春の蕾を探して

  • ケティ・レスター/ラヴ・レター

    仕事以外で人と知り合うきっかけは、今は大概SNSでしょうけれど、PCも携帯も無い時代は手紙を使った文通が主でした。そこで交流が続いている人がペン・フレンド。私の中では「文通」も「ペン・フレンド」も、とうに死語になってしましたが。私も高校生の頃、同級生の紹介で文通をした事がありました。顔も知らぬ女性とのやり取りは、最初はドキドキしましたが、元来が筆不精でしたから、10回もやり取りしたかな?長続きせずそのままフェード・アウトでしたが。あの頃は雑誌に文通希望欄みたいなのがあり、○○の好きな人文通しませんか?等と載っていて、当然住所も氏名も明記されていました。それで個人情報が悪用された、という話は聞いた事が無かったように思います。良い時代だったというべきでしょうけれど。こうした文通を通じて気が合い、そこから恋愛感...ケティ・レスター/ラヴ・レター

  • ケニー・ヴァンス/エコーを求めて

    20年以上も昔仕事終りの夕暮れの公園、どこからかコーデッツの「ロリポップ」が聞こえ、見ると若いお嬢さん達がまだ珍しかったアカペラで練習をしていました。そこはエコーが響く場所では無かったけれど、ケニー・ヴァンスの「ルッキング・フォー・アン・エコー」が連想されて、今もこうしたスタイルの音楽に興味を持ってくれる人がいるんだ!と、嬉しくなった事を思い出します。ハイ・スクール時代、僕とぺーニーとアイラ、二人のイタリア人の男の子とオール・ディズを歌い、ムーン・グロウズやハープ・トーンズに、ザ・デルスなどを練習したものだった。地下鉄やロビー、講堂、玄関の壁など、エコーが返る場所を求めて。明日のを成功を夢みて、ストリートで練習に励む若者達の姿は、元J&ジ・アメリカンズのケニー・ヴァンス(右)の姿だったのかも。そしてこのア...ケニー・ヴァンス/エコーを求めて

  • 早春を捜して野草園へ

    今年の札幌の積雪は昨日時点でまだ15cmあり、平年は昨日2日が積雪ゼロになる日だそうですが、今年は今週末になりそうかな?ともあれ4月に入ったので春探へと。豊平川を渡る風は心地よく…とは言いませんが、河縁のネコヤナギが春を告げています。ネコヤナギを見ると「Pussywillows,Cat-Tails」と言う曲が浮かび、昨年のブログでケニー・ランキンの歌が好きと書きましたが、クロディーヌ・ロンジェの歌も大好きで、その儚げなウィスパーリングヴォイスが、川風に揺れるネコヤナギにも似て好きなのです。豊平公園の野草園を訪れると、公園内は雪が残っていますが、野草園は木のお陰で積雪が少なく、半分くらいは土が顔を出し、福寿草も前回より花が増えています。嬉しい。園芸植物ではスノードロップが早くも花を。チューリップはいまお目覚...早春を捜して野草園へ

  • 演歌みたいなR&B

    普段は歌謡曲を聞かない私が言うのもピント外れ?とは思いますが、古い洋物ポップスの中には、なんとなく、歌謡曲をイメージさせる曲もありました。リックとランスの「さいはての慕情」(1962年)は、日本だけのヒットのようですが、短調の寂しげなハーモニカのイントロからしてセンチメンタル歌謡曲。克美しげるほかのカバー盤がヒットしたのも納得。というか良くこれがアメリカで発売されていたな?と。R&Bの世界では、ジ・エキサイターズの「テル・ヒム」(1963年)も、短調の歌謡ポップス的で良かったし、サビで長調に転調するとこも好きでした。両方とも短調のメロディが、歌謡曲ぽっく感じさせてくれるのでしょう。Doo-Wopグループのヴァーノン・グリーンとザ・ファントムズの「スィート・ブリーズ」となると、短調のメロディにハナから泣きの...演歌みたいなR&B

  • 唱歌を聞きつつ 春を待つ

    歳と共に唱歌や抒情歌が好きになりましたが、子供の頃は意味も分からず、ただ平仮名を追って皆で斉唱していたので、意味を取り違えて覚えていたものもありました。雪はウサギの足跡を目印に通り道に罠をかけ、捕まえ肉鍋にしました。さほど美味しいとは思わなかったったけれど、うさぎ美味し?(故郷)と歌われるし…とか、朧月夜に浮かぶのは山の葉?(朧月夜)、浜辺に行くのは明日か?(浜辺の歌)など、いま思うと"こっぱずかしぃ"(北海道弁)今頃になり、ようやく言葉と情景が一致する様になりました。が、きっとあの頃も、先生が授業の中できちんと説明してくれていたのだと思います。だけど、劣等生の私はまるで先生の話を聞いていなかったからなぁ…あの頃の歌詞はみな格調が高く、米国のラブ・ソングだった「モリ―・ダーリン」も、♪ものみな憩える静寂の...唱歌を聞きつつ春を待つ

  • もう一つの「みんな夢の中」

    先月NHKで「伝説のコンサートテレサ・テン」が放映されました。1985年12月の映像だそうで、当時は和モノに興味は無かったのだけど、多少幅が広がって来た今ならと、気なく録画しておいたのですが、思っていたよりずっと良かったので保存決定。特に気に入ったのが「夜来香」と「何日君再来」。1930-40年代と古い中国の曲で、日本でもその頃から親しまれているそうです。でもさすがは本場の歌姫テレサ・テンさん。私はおおたか静流さんが日本語の詩を書き、歌っているのも好きですが、聞き比べると意外とテレサ・テンさんとおおたか静流さんの声質が近い気がします。むろんメリスマの廻し方など歌い方は違うのですが、高域の艶やかな部分が似ているようで。おおたかさんの「夜来香」はアルバム「リピート・パフォーマンス」で、また「何日君再来」は「リ...もう一つの「みんな夢の中」

  • 北海道博物館 見る・知る・考える

    北海道博物館の企画展示で、楽器や口琴類などが展示されていると知り行って来ました。楽器と言うより、音を出すものを集めた感もあり、小鳥や動物をおびき寄せる笛などが多く展示されていましたが、そちらは20日に見所解説のトークがあるそうで、その時また来るとして、初めて見た楽器が月琴(下左)。幕末から明治にかけ愛された楽器だそうで、丸い胴に二本の複弦を弾片というピックで弾いたらしいですが、おそらく複弦の片方は共鳴弦なのか?、まさかマンドリンのようにユニゾンで弾くとは思えないし、ちょっと興味が湧いた楽器でした。隣にあったのが古いスチール・ギター。製造したのはテスコ(TEISCO)で懐かしいですね。今は無い会社ですが、高校生の頃はとっても手が届かなかったエレキ・ギターのブランドで、スチール・ギターも作っていたそう。という...北海道博物館見る・知る・考える

  • 最初は名もなき若者だった

    ボブ・ディランの「時代は変わる名もなき者」と言う伝記映画がある、と言う事で久し振りに映画館へ。あっと、今は複数の映画を同時上映するから、シネマ・コンプレックスと言うのですね、昭和のジジィはエイガカンとしか思い浮かばなくて。小さめの客席で夫々の興味に合せ選べるのは良いです。多様化したニーズに応えている。誰もが知っていた昭和のヒット曲に対し、今のヒット曲はターゲットが明確に分かれている、それに似てるなと何の脈絡も無くそんな思いがよぎりましたが。ニューヨークに出て来た若者、ロバート・アレン・ジマーマンが、ボブ・ディランとして歌い始め、新進気鋭のフォークのプリンスとしてその才能を開花させてゆく。その姿を見つめる"女王”ジョーン・バエズの熱いまなざし。※後に改名しボブ・ディランが本名になったそうです。そして常に前に...最初は名もなき若者だった

  • テンプテーションズ/マイ・ガール

    ベースのイントロが印象的なヒット曲と言うと、私が思い浮かぶのは2曲位しか無いのですが、一つはベン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」で、これはアメリカで20世紀に最もTVやラジオから流れた曲の第4位でした。※1999年のBMI(ブロードキャスト・ミュージック)調べによる。もう一曲がザ・テンプテーションズの「マイ・ガール」で、前者のベースはロイド・トロットマンが、後者はジェームス・ジェマーソンが弾き、ベース・プレーヤーとしてはジェームスの方が有名なはずです。両名共ジャズからスタートし、スタジオ・ミュージシャンになったそう。ロイドは名前しか知らないのですが、ジェームスはモータウンが誇るファンク・ブラザーズで知られ、数多くのレコーディングに参加し、世界中のベース弾きの尊敬を集めている人です。モータウンを代表す...テンプテーションズ/マイ・ガール

  • 高田恭子/みんな夢の中

    自ら作詞・作曲し歌うと言う、シンガー・ソングライターの先駆けでもある浜口庫之助さんは、数々のヒット曲を生んだ人として有名で、私も好きですが、有名バンドで曲を書いている中にもファンが多いと聞いて納得。個人的に一番好きな曲は、島倉千代子さんの「愛のさざなみ」です。でも詩は「なかにし礼」が書いているので、ハマクラさんの作詞作曲となれば、高田恭子の「みんな夢の中」が好きです。それが発売されたのが1969年の今日3月1日だったそうです。ジャケットを見てあれ?マイク真木のバンド、ザ・マイクスにいたあの娘だと。ビージーズのカバー「星空のマサチューセッツ」は、高田恭子のコーラスの絡みも生き、出来は悪くなかったと思うけれどヒット的には残念だったはず。B面は村井邦彦の書いた「夢の牧場」。sus4(サスフォー)を使ったコーラス...高田恭子/みんな夢の中

  • あの頃は普通だった?こと

    この「恋のバイカル」というレコード、中古で安く見つけたのですが、ちょうど黒沢進さんのグループ・サウンズ(G.S)関連の本が人気となり、彼が言い出した"ひとりGS"と言う言葉にもノッかりまして。ジャケットには本名、誕生日はともかく、身長・体重の個人情報までしっかりと。そして3サイズまでも。それが本当の数字かはともかく、グラビア・アイドルでも無いのに…もっとも当時はそういう人達はいなかった?当時はこうした情報は普通だったのですね?これを見て思い出したのが古い社報。昭和の時代には各職場の花を紹介する記事があり、仕事ぶりや趣味、家族構成などが紹介され、最後に"こっそり教えちゃう"と言う所では何と、3サイズまで紹介されていたのです。アーカイブでかなり古い物まで見る事が出来ましたが、さすがに昭和40年代中頃にはこのコ...あの頃は普通だった?こと

  • 恋のダイヤモンド・リング

    むかしの話なので記憶は曖昧ですが、歌舞伎役者は家柄が全てだから、たとえ大根でも周りが引き立てくれて格好がつき、二代三代目と名人が出来上がるが、噺家は個人の力量が全てだから、名人が二代続いた試しがない…みたいな話を読んだ事があります。もっとも陰で大根と言われた役者が今の際に、自分の力量がわかるのに何代目と言われて生きるのは辛かったと言ったという話もあるし、落語では志ん生の息子の馬生、志ん朝が共に名人でしたし、今は馬生の孫の小駒(金原亭)がどう成長するかが楽しみですが。さて1965年2月20日付でビルボード№1となったのが、ゲイリー・ルイスとプレイ・ボーイズの「恋のダイヤモンド・リング」でした。ゲイリー・ルイスと聞いて、ああジェリー・ルイスの息子と思い出す人は、もうそう多くはないと思いますが、父親のジェリーは...恋のダイヤモンド・リング

  • ジーン・チャンドラー/ 恋のスーパー伯爵

    たった1曲のスーパーヒットを残し、その後チャートで活躍する事なく消えていったワンヒット・ワンダー(一発屋)と言うと、その曲が印象的であるほど宴の後…的な淋しさが募ります。例をあげると失礼ですが、60年のマーク・ダイニングの「ティーン・エンジェル」とか。ジーン・チャンドラーが歌い、1962年の2月17日付で3週連続№1となった「恋のスーパー伯爵(DUKEofEARL)」も、特大ヒットがゆえにそれに近い印象ですが、彼は70年にも12位となる「グルーヴィー・シチュエーション」がヒットするので、一発屋は失礼ですが。彼はデューケイズというグループのリード・シンガーとして活躍し、その時この曲を吹き込んだものの、所属のレコード会社がこの曲を気に入らず、ならばと変名で別の会社で発売した所が大ヒットという話だそうで、最初の...ジーン・チャンドラー/恋のスーパー伯爵

  • 岡田奈々の「ヘイ・ポーラ」

    俺達はロック世代だぜとイキがっていた70年代、下の世代ではアイドル人気が始まり、林家たい平が初めて買ったレコードが天地真理だったと演芸番組で。真理ちゃん下敷きに真理ちゃん自転車もあったとか。その頃からアイドル商売が拡大して来たのですね?アイドルに興味は無かったけれど、最近ネットで岡田奈々のインタヴュー※を見かけ、そうか彼女ももうデビュー50年にもなるんだ!とか、へぇー綺麗な美魔女になって…なってなどと、失礼な事を思ったのでした。※青春ドラマで一世風靡も…結婚は出来なかったんですよりドラマもCMも記憶にないけれど、「青春の坂道」は清潔感と10代少女の可愛らしさがあって、良いんじゃないと思った記憶はあります。と言うか、彼女のレコードを持っている事を思い出しました。「クリーム・ソーダ」と言うアルバムです。今は無...岡田奈々の「ヘイ・ポーラ」

  • さっぽろ雪まつりの国際雪像

    今年も雪まつりの時期。この日(7日)は49回目となる国際雪像コンクールを見に。あいにく曇りで気温は零下の真冬日。前日は4度と暖かく、ススキノ会場の氷像が一基倒れてそうですから、雪まつりには適温ではありましたが。ここではコンテストが行われていて、優勝したのはモンゴルチームで題は「人生」。男女が出会い人生と共にし子を産み祖先を養う。モンゴルでは人生で最も大切な事として子に伝えて来たそうです。生命の木を大切に手に持ち、体で覆って守る若い夫婦の姿の例えが良く、制作スタッフの衣装(4日)もお国が出て好ましく、秘かに応援していました。ほかの入賞作品もどれも素敵でしたが、①タイの「世界の水かけ祭り」の雪像は、タイの伝統的な新年祭ソンクラーンで、団結と感謝を象徴する儀式だそうです。この象が良く出来ていて皮膚のシワもリアル...さっぽろ雪まつりの国際雪像

  • ロックン・ロールが死んだ日

    アメリカではまた飛行機事故があったそうで怖いです。搭乗したら機長に命を預けるしか無いのだけど、ヘリコプターに突っ込まれるとなると…皆さんのご冥福をお祈りいたしますのと共に、思い出すのは音楽界での飛行機事故。音楽産業の隆盛と共に音楽スター達はコンサートなどに東奔西走。ビックともなると自家用機で移動するのですが事故も起きる。大好きなビック・Oこと、オーティス・レディングの自家用機が湖に墜落し、全員が亡くなったのが1967年12月10日。切々と歌うラティモア・ブラウンの「オーティス・イズ・ゴーン」を聞くとジーンとします。溯ればグレン・ミラーの乗った飛行機が消息不明になったのが1944年12月15日。慰問楽団を率いイギリスからフランスへ移動した専用機の消息が途絶え、彼を敬愛していたと言うマンハッタン・トランスファ...ロックン・ロールが死んだ日

  • ついにザ・バンド最後のピースが…

    70年代は本格的なロックの幕開け。その頃ザ・バンドの名前は聞いた事があったとは思うのですが、当時はさして興味が湧かず聞かずじまいでした。それがディランとバンドのライヴ「偉大なる復活」の中で、リチャード・マニュエルの歌った「アイ・シャル・ビー・リリースト」に衝撃を受け、このバンドに興味を持ったのが74~5年頃だったと思います。思い出はセピア色…みたいな写真が並びましたが、これはオリジナルに近い色なのです。それはともかく、確かに半世紀も前のアルバムなので、ウェットな思い入れは乾いてきましたが、印象に残るバンドでした。そして最初のアルバム「ミュージック・フロム・ビック・ピンク」を買い求め、「南十字星」なども買ったなぁ。ラスト・アルバムとなった「ラスト・ワルツ」も感動的だったし、ゲスト陣も豪華なのは、彼らがミュー...ついにザ・バンド最後のピースが…

  • アイヌ文化フェスティバル

    折り込みで「アイヌ文化フェスティバル」を知り、先週末の土曜に行って来ました。受付で資料を入れた袋をもらいましたが、ウポポイのロゴの入ったしっかりしたもので嬉しい。12時に開場し講演は1時から。その間にロビー展示を見学。木彫り実演や刺繡(右上)の実演には人が集まり、割り込む余地が少ないので私はゆっくり展示パネルを拝見し、改めてアイヌの人々の信仰や生業、食や芸能の知識を仕入れましたが、帯広や函館に行かないと見られない図書館所蔵の絵や写真もあり、ありがたい事です。アイヌの人達は何となく山の民、と思うのは山育ちの私の乏しいイメージですが、北の荒れた海に漕ぎ出す海洋民族でもあったそうです。人々は板綴船(イタオマチプ)でロシアの沿岸やカムチャッカを訪れ、猟の獲物エゾシカやクロテン毛皮などで交易したそうです。彼らが使っ...アイヌ文化フェスティバル

  • ランニング・ベア 悲恋の物語

    映画もミュージカルにも無知ですが、シェイクスピアの悲恋物語「ロミオとジュリエット」位はわかります。16世紀の古い話でありながら、今も映画や歌に生き、60年代には映画の「ウェスト・サイド・ストーリー」が大ヒットしたのも記憶にあります。思わず「ウェスト・サイズ・フトーリー!」、なんてオヤジギャグが浮かぶのは置いといて、ポップスのヒット曲にもこの物語を基にしたと思われる曲があって、若きインディアンの英雄ランニング・ベアと、美しいインデオの娘リトル・ホワイト・ドーヴの悲恋の物語。互いに愛おしいく思う存在なのに、暴れる河をはさんで見つめあう事しか出来ない二人。互いの属する部族は争っていて恋を成就させることが出来ない。意を決した二人は互いに暴れる川に向かって泳ぎ出し、ようやく手が触れたところで河は…ジョニー・プレスト...ランニング・ベア悲恋の物語

  • ジョニーは悲惨な戦争に

    60年代から青春が始まった(?)私にとって、懐かしいのがアメリカのフォークソング。ピーター・ポール&マリー(P.P&M)のギターが気に入り、教本ソノシートの「悲惨な戦争」などをお手本にピッキングの練習した事は以前書きましたが、ギターの練習に必死にで?歌詞の中身はあまり頭になかった事を今頃になって反省。戦争に行く兵士ジョニーに恋人が、「髪を切り男の姿になるから連れて行って」と言う内容はご存知の通りですが、この曲は元々はアイルランドのバラッドだったそうです。それが南北戦争の時代に広がってゆき、PP&Mがそれを改作してヒットに。私が最初にP.P&Mで気になったのが「虹と共に消えた恋」ですが、この曲も同じバラッドから派生した曲だそうで、確かに「Johnny’sgoneforasoldier」という歌詞が出てきます...ジョニーは悲惨な戦争に

  • 時の流れを誰が知る

    年が改まりまた一つ歳を重ね、「門松は何とかの一里塚」などと読んだ一休宗純の皮肉に、少し共感を覚える歳になりましたが、寒い今時期だからマイナス思考になるのか?日中の気温がプラスになる三月とかに正月があると、もっとポジティブになれるのかも。沖縄では二月の旧正月を祝う地域もあるそうで、寒緋桜の咲く正月は素敵でしょうね。季節の移ろいがあるから折々の楽しみがある、道民はそう思って今は辛抱の時期ですが。話が時の移ろいとなると、色々ある中で私が好きなのが、サンディ・デニーの書いた名曲、「時の流れを誰が知る」(WhoKnowtheTimeGoes)があります。今日は彼女の誕生日。なので少しだけこの曲に触れてみたいと思います。鳥たちが夕空を去ってゆくあの鳥たちはどうしてその時を知るの?過酷な冬を前に私はまだ夢みている。時と...時の流れを誰が知る

  • タンホイザー序曲で開けた朝

    新年早々雪掻きが必要な朝、まぁ良いでしょう、動いた後のビールはご褒美だし、どうせ正月は飲んだくれているから口開けにはちょうど良いし…さて普段オーケストラを聞く事は無いくせに、初春を迎える今日だけは何故かオケが似合う気がし、酒を続けながら聞いています。と言うか、私が正月に相応しいと思い聞いているのは、いつもワーグナーの「タンホイザー序曲」一択。あの冒頭の静かな始まりが、暗かった空が白んできた様子に感じ、そして徐々に空が明るくなってゆき、やがてシュルシュルと揺れる様な弦楽器が入ってきて、雲が切れ太陽が顔を出す。そんな風に聞こえ、新しい年の始まりと重なるのです。持っているのはテンシュテットのワーグナー管弦楽曲集だけで、それも聞き比べし買った訳でも無く、他を知らないくせに。でもアルバムの他の曲も好きで、クラッシッ...タンホイザー序曲で開けた朝

  • カーラ・ボノフ/悲しみの水辺

    70年代後半にソロ・デビューし、「ささやく夜」や「麗しの人」などのアルバムで、ギュッと心を鷲づかみにしてくれてたカーラ・ボノフ。ジワッと滲みて来るシンガーの一人で私は好きです。派手さは無く、少しくぐもって聞こえますが、乳白色(?)で誠実さを感じさせる温かな声。声に似合った楚々としたいずまいも、とても好ましく感じます。私のお気に入りの1曲は、アルバム「ささやく夜」のラストの「悲しみの水辺」。「河は広く渡しも渡れない飛ぶ羽も無い二人にボートを下さい(中略)この恋に沈みそうな私そして私には泳ぐ術もない」という歌詞は、何かの例えなのかは分かりませんが。アルバムの最後が引き締まり、レコードを止めるのも忘れて余韻に浸りたいような名唱。後半から出て来るガース・ハドソンのアコーディオンや、バックのジェームス・テイラーの歌...カーラ・ボノフ/悲しみの水辺

  • 村の教会でクリスマス礼拝

    今月二度目の北海道開拓の歴史村、この日は村の教会で10年振りにクリスマス礼拝に。クリスチャンでは無い私ですが、この教会は私の故郷にあったもの。浦河郡荻伏町(現浦河町荻伏)にあった元浦河教会で、献堂が明治27年(1894年)と今年で築130年。ほかには旧浦河支庁庁舎(上左)もあり、この二つが故郷につながっている感じがし懐かしいのです。教会の煙突をサンタさんが上っています(上右)。子供の頃「サンタさんは煙突から入って来るのよ」と聞かされ、子供心にもあの細い煙突からどうやって?と心配しましたが、この日ようやく謎が解けました。北海道仕様のサンタさんは妖精サイズだったのですね。建てたのは「赤心社」の人々。彼らは岡山県人や兵庫県氏族士族などで設立された開拓結社で、北海道殖民状況報文根室国・日高国によると、「同年十四年...村の教会でクリスマス礼拝

  • E.L.O / テレフォン・ライン

    最近の若い年代にはダイヤル式電話の使い方を知らない人が多いそうで。無理も無いですよね、最近ではお目にかかる事も無いし、赤電話や黒電話なんていまや骨董品扱いかも。でもBB世代の若い頃は手紙と電話、あと、狼煙位しか通信手段が無かったのです。だからデートの約束一つも大変でした。大概は家族全員で固定の黒電話が一つでしたからそこに掛けるしか無く、直接本人が出ると良いのだけど、誰が出てくれるかわからない。相手のお母さんはまだ理解がありそうだけど、お父さんは苦手だし…とドキドキ。切り出しの言葉を何度も口の中で繰り返し、深呼吸してから意を決しダイヤルを回す。コール音が聞こえ、「もしもし…」出たのは…ここから先が面白いのですが続きはまた?もし相手から掛かって来たらまた大変で、トゥルルル…「はいもしもし」、アチャ!妹がとって...E.L.O/テレフォン・ライン

  • コニー・フランシス/渚のデイト

    米国の歌手テイラー・スウィフトが世界ツアー(149公演)を行い、チケット売上が3000億を超え、音楽ツアーとしては過去最高となったそうでおめでとうございます。私はNetでしか聞いた事が無いのですが、なるほどいい歌手で人気があるのがわかります。でも60年代のポップスで音楽に目覚めた私にとって、今も女性のフェバリット・シンガーと言えば、コニー・フランシスです。日本で当時のティーン達が歌ったカバー・ポップス、弘田三枝子の「ヴァケイション」とか、九重佑三子の「ロリ-ポップ・リップス」などのカバーもコニーのオリジナルも好きでした。余談ですがVacationの綴りは中学生でもほぼ全員が書け(歌詞で綴りが歌われた)、英語教師が苦笑いしていたなどという話もあったとか。もしコニーの数々のヒットが無かったら、カバー・ポップス...コニー・フランシス/渚のデイト

  • 岸千恵子/津軽あいや節

    私が社会人デビューした頃はカラオケが無く、宴席の唄は手拍子のアカペラ。「お前も何かやれ」などと言われると、ポップスかフォークしか知らない私は大変困ったのですが、ベテランの皆さんは手拍子に合う民謡などで、上手に場を盛り上げていました。あの頃はまだ宴会でも耳にし、のど自慢などでも唄われていた民謡ですが、今テレビで目にする事はあるのでしょうか?民謡は心のふるさと…などと昔はやっていましたが。90年代あたりまではまだ時々やっていたはずで、岸千恵子さんはそれで知りました。今日はその"揺さぶる民謡"で親しまれた岸千恵子さんの命日。70歳を前に亡くなられてから、もう13年も経つのですね。ワールド・ミュージックの流れに乗り、シェブ・ハレドとかジプシー・キングスとか、コブシの回った"血の濃い音楽"を聞き始めたあの頃、たまた...岸千恵子/津軽あいや節

  • 開拓の歴史村の炭焼き小屋

    私は道産子三代目ですが祖父は岐阜県旧春日村の出身。そこは滋賀県に接した岐阜最西端の村で、家業は木地師や炭を焼いて暮らしていたそうです。木地師は滋賀県が発祥と言われますが、そこから山伝いに伝わったようです。今は廃村ですが、20年以上前に両親と弟とで訪ねた事があり、初めて来たのに何故か懐かしいのは不思議な感覚。なおここから揖斐町谷汲まで14㎞の遊歩道があり、1000m超えの鍋倉山を通るので、東海自然歩道の三大難所の一つと言われるそうです。祖父は私が小学校に入り前る前に亡くなったので、直接は聞いていないのですが、北海道に渡ってからは、主に炭焼きで生計を立てていたみたいです。父の代になってからは水田と畑に代りましたが、農閑期の冬はやはり炭を焼いていました。ですから冬の山と炭焼きとは、私の中でセットで結びつくので、...開拓の歴史村の炭焼き小屋

  • ザ・シルキー/悲しみはぶっとばせ

    60年代若者文化の一つビートルズ。そのカバーソングは世界中でどれ位あるのでしょう?各国の言葉でカバーされた知らない物を含め、途方もない数かも。日本でも彼らの初期にカバーされたクール・キャッツの「プリーズ・プリーズ・ミー」とか、大瀧詠一プロデュースの「イエロー・サブマリン音頭」とかがあって、懐かしいですねぇ。私はそうしたカバー盤は、寄せ集めたCDでしか知らないのですが、その中にはおッと思う曲に出会う事もあり、ザ・シルキーの「悲しみをぶっ飛ばせ」はそうした一枚でした。初めて耳にした時、アコースティックなのにいい感じのフォーク・ロック的な音、コーラスの編曲も新鮮に聞こえ、いま思うとこの頃のレノンは、自分でも「ディランに影響を受けた」と言ってたみたいですが、だからそんな音が合うのかな?と。女性1名にギターとベース...ザ・シルキー/悲しみはぶっとばせ

  • The Nashville Theens/タバコ・ロード

    今でこそ頑固な反喫煙者として、"望むべきは無煙社会!"などと吠えている私ですが、実は黒歴史があり、キャビン85を1日に2箱も吸っていたチェーン・スモーカーの時代がそれ。狭い事務所の中で、モウモウと人間蒸気機関車をやってた時期があったのです。あるとき新入女子社員から、高校生の妹が「お姉ちゃん不良になったのね!タバコ臭い!」と叱られたと。むろん彼女は吸っていません、犯人は僕らで、事務服に着替えるにも関わらず、その臭いを家にまで持ち込ませてしまってすみません、本当にごめんなさい、反省しています。…煙草にまつわる痛い思い出で。真っ当な(?)タバコの話で思い出すのは、イギリスのビート・グループのナッシュヴィル・ティーンズの「タバコ・ロード」。全米14位(1964/11/07)となった彼ら最大のヒットで、日本でもヒッ...TheNashvilleTheens/タバコ・ロード

  • サッポロファクトリーの真っ赤な秋

    真っ赤だな真っ赤だな蔦の葉っぱも真っ赤だな~という童謡の作詞者は薩摩忠さん…って、あれ?フランク赤木の「暗い港のブルース」の詞を書いた人と同じ名前?調べるとまさしく同じ人だそうで、知らなかったぁ~と一人で赤面。いま時期のツタの様に?ツタの紅葉が見頃かな、市内でツタと言えばサッポロファクトリーと先日見てきました。今日の札幌は積雪の朝でしたが、行った日は最高の天気。さすがは晴れ男…って、お天気の日を選んで行っただけですけれど。日本のツタは一種類だそうですが、アメリカではもっと種類があり総称しIvy(アイヴィ)。種類は違うけど同じく赤くなるツタウルシもPoisonivyだそうで、触れるとかぶれ、ひどい時はショックを起こすそうで、ノベルティ・ソングを得意とするザ・コースターズのヒット「ポイズン・アイヴィ」は、男心...サッポロファクトリーの真っ赤な秋

  • 北海道大学のモデルバーン

    還暦を過ぎ頃から先人の苦労話とか、そうしたものが展示されている場所に興味が湧き…といっても、"先人の歴史を学ぶ"などという大それたものではなく、小さい頃の思い出と重ね合わせ、「ああそうだったねぇ」と、ノスタルジーに浸るという程度の話ですが。北海道大学の敷地内にあるこの模範農場は、札幌農学校時代の明治10年(1877年)に出来、北海道の農業振興に大きく貢献。お手本となったサイロなどの建物は、北海道の風景に馴染み"北海道ノスタルジック"という感じを出してくれて、その雰囲気がとても好きですが、この日はそこに収蔵されている農機具などを見てまわる事に。穀物庫(コーンバーン)=写真右には我国で独自発達した鍬類が展示され、国内唯一の鍬や鋤の標本群として全国から集められたそう。一つずつ詳しく見ていないのですが、土の違いや...北海道大学のモデルバーン

  • オーヴァーランダース/恋は落葉のごとく

    木々の多くは葉を落とした札幌。晩秋というよりもう初冬で、はぁ~ッとため息の季節。やがて根雪で達観というか、諦めがつくまで、こんなグズグズな毎日が続くのですが。幸い今日はいい天気、こんな日は楽しい音楽でも聞いて気分転換…と思うのですが、秋を歌った歌は多くがしっとりした曲。そんな今時期らしい歌で私が好きなのが、イギリスのグループ、オーヴァーランダースの「恋は落ち葉のごとく」です。センチメンタルで歌謡曲チックな泣きの入ったメロディ、歌詞がTheleavesarefalling…と始まるのですが、このfallingをフォーオオォリンとする譜割りが昭和の歌謡曲を思い出させ、昭和三十年代の「夜霧の第ニ国道」の譜割り、「つ~らアアァい恋なアアアアら~」と重なるのはトシだから…はともかく、人様にお勧めするような曲ではあり...オーヴァーランダース/恋は落葉のごとく

  • バディ・コールとオルガン

    シアター・オルガンほか、鍵盤楽器の名手バディ・コールの名を聞くと、未だに心拍数が上る…気が。昔バディのオルガンは良いと聞き、輸入盤専門店で探すも無く、ジャズ人名辞典にもその名は無く、手掛かりが見つからず途方に暮れていた頃を思い出すので。彼は若くして…というか若干14歳にして、ロスアンジェルスでシアターオルガン奏者としてデビューしますが、シアターオルガンは、30年代半ばに無声映画がトーキーに代わった事で廃れ、多くの奏者は失業の身となったそうですが、ここで時代が味方。1934年のローレンス・ハモンド発明のハモンド・オルガンがそれで、多くの奏者はオルガン奏者などに転進、ハモンド社も一気に奏者が増えwin-winの関係となったようです。バディ・コールもハリウッドに移り、スタジオ・ミュージシャンとして自らのトリオを...バディ・コールとオルガン

  • 独りオーケストラ シアター・オルガン

    シアター・パイプオルガンとかシネマ・オルガンと呼ばれる楽器は、1900年代にアメリカで生まれ、無声映画のシーンに合わせ音楽を奏でたり、動物の鳴き声や機関車等の効果音を発したりと、たいそう映画を"音で彩った"そうです。パイプの音のみならず鍵盤と連動させた打楽器、時には管楽器やバンジョー等も鳴らしたと言いますから何とも大がかりな楽器で、そのコンソール(演奏台)も五段マニュアル(鍵盤)とか豪華なものだったようです。後にトーキーの時代となり、多くは映画館からお役御免となりますが、その独特の音色には熱心なファンがいて、アメリカでは「シアター・オルガン・ソサエティ」と言う団体もあるそうですし、日本ではその音を目指した電子オルガンもあります。ローランド創始者の梯さんもシアター・オルガンを愛した様で、電子オルガン市場が下...独りオーケストラシアター・オルガン

  • 紅葉の中島公園

    10月も今日で最後。札幌は気温が下がり、紅葉は山から平地に下りて来ました。手近な場所で紅葉狩りをしようかと。それにピッタリなのが中島公園の中の日本庭園。池を配置した庭を池泉回遊式庭園と言うのですか?陽があたるとその池の周りの紅葉が水面に映り込みとても素敵。雪吊りの準備も終り、雪よさあ来い…とういうか、降雪期には閉鎖されますので今年見られるのもあと少しかな。私が紅葉の時期に好きなのは、茶室の八窓庵の庭。石燈籠のとなりで水が滴り、それを受けるのは手水鉢と言う呼び方で良いのでしょうか?無粋な人間なもので物の名前を知らずすみません…はともかく、紅葉が散って鉢の周りの彩りとなっているのは今の時期だけ。これ好きです。日本庭園を出て地下鉄駅方向に向かうと、イチョウも見頃を迎えています。思いのほか綺麗だったのはミズナラ。...紅葉の中島公園

  • 道立近代美術館/皇室の至宝

    皇室の至宝と聞いて思ったのは蒔絵とか工芸品のイメージで、さして興味をそそられ無くて…が、HPを調べると若冲や応挙のほか、北海道にまつわる作品やゆかりの作家の作品も展示とあり、これは行って見なくてはと、散歩日和を選んで行って来ました。一部は撮影がOKでありがたく写真をUPしましたが、蒔絵の器とか普段の生活とは縁が無いし…と思っていたのですが、実際に見てみると風炉といい、蒔絵の香箱といい実に良いのです。品と言うか風格と言うか、これが雅というものなのか?とちょっと感動。笙を見るのは初めて。意外に小さい楽器でしたが、立体感のある塗は高蒔絵だそうで、楽器の興味と共に優美な姿に気持ちは鎌倉時代。昔聞いた笙のCDは…でしたが、あの時は和楽器との組合せ。もしかして、洋のリードオルガンとかは意外に合うかも。いっそカンテレと...道立近代美術館/皇室の至宝

  • 浮気なスーは翔んでヘレヘレ?

    今は死語ですが、70年代に"翔んでる女"と言う言葉が流行り、語源はその頃欧米で流行ったフライング・ガールから来ているそうですが、自己の信念に基づき自由にふるまう女性…くらいの意味だったと思います。私の知り合いのダイバーさんは、社会人デビューした頃「あなたは空を翔んでるみたいね」と言われたそうですが、フフッ可愛いですね。そのころ私は翔べずに泥の上を這い廻っていましたが、先輩方が扱いに困惑されたという意味では同類でしょうね、きっと。♪トンデヘレヘレというと、オールディズ・ファンにお馴染みのディオンが、1961/10/23付の全米№1ヒットとした「浮気なスー」。最初の邦題は「悲しい恋の物語」で、日本語カバーのスリー・ファンキーズはこちらのタイトルで歌っていました。私は当時まだ小学生。それにしてもあのカバー・ポッ...浮気なスーは翔んでヘレヘレ?

  • 豊平峡ダムと定山渓五大紅葉

    札幌の藻岩山が"山粧ふ"(やまよそおう)感じとなり、標高が高い定山渓の紅葉は今が見頃かな?久し振りに豊平峡ダムの紅葉を愛で、あとは豊平峡温泉の露天風呂で湯につかりながら…と思い確認すると、「かっぱバスで行く定山渓五大紅葉」というのが出てきました。コースは①定山渓大橋、②朝日高架橋、③定山渓ダム、④舞鶴の瀞、⑤八剣山で、ガイドさん付き700円はリーズナブル。それも良いかと観光案内所で申し込みを済ませ※、時間に余裕があったので、コースにはない「二見吊橋」の景色(写真左)をパチリ。※事前予約は受けて無いそうです。バスに乗っての順路①~④は車窓から(右4枚)で少し味気ないですが、大型バスは止められ無いので仕方ないですね。①と④は温泉街から近く、後から散歩してでも見られますし。⑤八剣山ではバスを止め10分の休憩。種...豊平峡ダムと定山渓五大紅葉

  • 花嫁/藤沢ミエと猪俣猛

    先日ジャズドラマーの猪俣猛さんが亡くなられたそうです。88歳とは言え元気に活躍されていた様子で、70年以上に渡るという音楽家人生に敬意を表するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。ジャズがわからなかった昔(今もですが)、外売り半額のワゴンにタクト・レコードから出ていた「猪俣猛とウェスト・ライナーズ」のLPを見かけ、安いのとジャズを勉強してみなくては…みたいな気持ちで買った事がありました。今はもう無くなった狸小路の店で。確か20歳を少し過ぎた頃でしたが、音楽感性は子供だった私には高尚すぎ、早い時期に手放したのですが、訃報の後で気になってネットを調べたところ、三万円近くの値が付いているようで、えっ!手放さなきゃ良かった…今更ですが。そんな猪俣さんに久し振りに出会ったのが、はしだのりひことクライマックスのヒット...花嫁/藤沢ミエと猪俣猛

  • 萱野茂記念館と二風谷コタン

    自分としては、今年はアイヌ文化に触れる機会が多かった方かなと思いつつも、日高地方で生まれた私がまず先に行かなくてはならなかったのが二風谷で、いつか行こうと思いながら、微妙な距離の遠さについ初めての訪問となりました。私が行こうとしたのは萱野茂さんの資料館でしたが、2019年に町の「二風谷コタン」が整備されたと言う話は、恥ずかしながら行く前の地図調べで初めて知ったのですが。先に訪ねた萱野茂二風谷アイヌ資料館。この建物は1972年に二風谷アイヌ文化資料館として開館。その後土地・建物・資料を町に無償移管。1992年にアイヌ民具を集め、一部は新たに制作し再スタートしたそうです。なお二階には世界の少数民族の品が並んでました。上右の「キラゥウシトミカムイイコロ」と言うのは、ユカラの一節に出て来るそうですが、明治以前にご...萱野茂記念館と二風谷コタン

  • 忠犬ポチに会ってきました

    先日公園を歩いていると、ストライキをしているワンちゃんに出合いました。腰をどっしり降ろし前足をガッチリ突っ張って、まだ帰るのは嫌だと言ってるのか、もう歩きたくないと言ってるのかはわかりませんが、微笑ましい風情に思わず「根性入っていますねぇ」と話しかけると、飼い主さんも「そうなんですぅ」と苦笑いされていましたが。モフモフは普通に好きですが、犬派?猫派?どちらかと言うと犬派かな?小さい頃は犬が友達でしたが、今の様な家族の位置付ではなく番犬として。犬小屋は外にあり針金を渡したセルフの散歩で、隣の家と距離がある昔の農家の多くはそうしていました。今は中型犬でも室内飼が常識になり、我が家は無理なので今は猫を飼っていますが、たまにはワンちゃんの頭も撫でたいな、吠えられるリスクのない石像なら良いだろうと、普段は行かない散...忠犬ポチに会ってきました

  • 太陽がいっぱいの季節は終り

    今朝の札幌は冷たい雨の朝、日中の気温は16度までしか上がらない予報、はぁ~ですね。陽が出ていたとしても低く影は長く傾く時期に。もう10月ですからねぇ。私が生まれる前ですが「斜陽族」という言葉が流行ったそうです。戦後の体制の変化と共に没落してゆく華族を書いた小説「斜陽」から来たそうで、私は読んだ事がないのですが、何となくディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」と重なるイメージですね。ナントカ族という括りは都合が良かったようで、その辺りから色々な「族」が生まれ、1950年代には「太陽族」が流行り言葉に。子供の頃なのに覚えているのはその頃は一つの言葉が長寿だったせいかな?それから流行り言葉の寿命が夏の太陽の如く短かくなり…。夜が長くなり何か普段は聞かないものでもと、例によってジャンク・レコード漁りへ。ふと...太陽がいっぱいの季節は終り

  • アイヌの伝統音楽の講座

    市民公開講座で「アイヌの伝統音楽について~カムイとのつながりを意識する~」というリーフレットを見かけ行って来ました。無料と事前申し込み不要にもつられ(?)ですが、日本音楽療法学会が主催し、講師は北海道博物館研究職員の甲地理恵さんとあり、怪しげなセミナーでは無さそうですが、ちょっと敷居が高いかな?とも思いつつ…。冒頭での文化相対主義という言葉は初めて聞きましたが、それは優劣をつけるものではない、聴感には文化的バイアスがかかっているなどと言われると、まったくそうだなポップスから始まりワールドミュージックなどのブームに乗っかって来て、私の耳も少しはバイアスが軽くなっているか?と思いながら興味ある話が続きます。歌うメロディの種類やパートの数、歌い出すタイミングによりいくつもの種類があり、違う高さの音が同時に鳴響く...アイヌの伝統音楽の講座

  • エドウィン ダン記念館

    ウォーキングに良い季節、この日は少し遠くまでと真駒内のエドウィン・ダン記念館へ。エドウィン・ダンの事は何も知らず、初めて行くのに下調べもせず。でも行きゃわかるだろう、その方が情報が新鮮だし…と、都合のいい理屈をつけて。カロリーベースの食糧自給率は全国で4割も無いそうで、最も低いのが東京都の1%、最も高い北海道は194%あるそうです。※農林水産省の食料自給率都道府県ランキング2023年版より。その北海道農業の基礎を築いたのが、明治政府が招いた「お雇い外国人」の人達。代表的なのが「少年よ大志をいだけ」のクラーク博士と思っていたのですが、クラーク博士が日本にいたのは9カ月。むろん期間と功績は関係無いと思いますが。それに対しエドウィン・ダンは10年近く住んだそう。明治政府の依頼で短角牛の買付けに訪れた農場の息子が...エドウィンダン記念館

  • ベン・ウェブスター/ダニーボーイ

    「ダニー・ボーイ」を知ったのはハリー・べラフォンテの歌からだったか、サム・テイラーのテナー・サックスだったか、ともかく私がまだ中学生の頃だったと思います。その後シル・オースチンなども知ったのだけど、あの頃人気があったのはサム・テイラー。この曲や「ハーレム・ノクターン」などの官能的な響きにやられたファンが多くいて、その勢いで歌謡曲も多く吹込み人気者になったようで何よりです。私がジャズ・サックスのベン・ウェブスターを知ったのも「ダニー・ボーイ」からで、ジャズに詳しい友人が「これ良いよ、サム・テイラー真っ青だよ」と教えてくれたのが記憶に残っていますが、なるほど良くて一発で好きになりました。個人的感想ですが、同じテナー・サックスでも一番ムード・ミュージックに寄せているのがシル・オースチン。いま聞くと若干クサいです...ベン・ウェブスター/ダニーボーイ

  • さあ 新しい鮭を迎えよう

    9月は鮭の遡上するシーズン。道民が呼ぶアキアジ(鮭)は、アイヌ民族の生活に欠かす事の出来ない大切な魚で、シペ(本当の食べ物)とかカムイチェプ(神の魚)と呼ぶそうです。アイヌ語のアシリチェプノミは新しい鮭(アシリチェップ)を迎える儀式で、「川をきれいにしますから、海からたくさんの鮭を上がらせて下さい」と、カムイノミ(神への祈り)で豊漁を祈り、その年最初に採れた鮭を捧げる儀式だそうで、知識として片隅にはあったのですが、実際に見た事は無かったので行って来ました。明治以降、川をのぼる鮭の全面禁漁に伴い儀式は消滅しましたが、アイヌ民族復権のひとつとして、1982年(昭和57年)におおよそ100年ぶりに復活し、今は道内各地で行われているそうですが、最初が札幌だそうで又ひとつ無知がバレましたが…※札幌市のHPを参照しま...さあ新しい鮭を迎えよう

  • セルジオ・メンデス&ブラジル'66

    セルジオ・メンデス、通称セルメンと言えば、フージョンなどが人気だった80年代に全米4位の大ヒットとなった「愛をもう一度」を思い出す人も多いのでしょうね?あれからもう40年も経つのかぁと思いつつ、化石時代の音楽に親しんでいる私が思い出すのは、もっと古い「セルジオ・メンデス&ブラジル'66」の時代で、「マシュ・ケ・ナダ」が日本でもヒットしました。アントニオ・カルロス・ジョビンや、ジョアン・ジルベルトなどで聞くボッサ・ノーヴァは、お洒落な大人の音楽と言う感じでしたが、そこに飽き足らない若者向け音楽としてロックの要素も取り入れウケたのが、セルジオ・メンデスとブラジル'66と言う事でしょう。そこで取り上げられたのがビートルズの「デイトリッパー」、歌っているのがラニ・ホールとジャニス・ハンセン(右)の二人のアメリカ人...セルジオ・メンデス&ブラジル'66

  • サッポロピリカコタンとイオルの森

    先日参加したウポポイとサッポロピリカコタンのツアー、ブログではウポポイの事だけで終わってしまいましたが、ピリカコタンも見所が一杯で、私が知っている昔の姿とは大違いだったので、先日あらためて行ってみました。特に気になったのは「イオルの森」で、これは昨年春から始まり、アイヌ文化と切り離せない狩猟・採取の場を再現しようと始まった取り組みだそう。知らなかった!とても良い事ですね。※NPO法人近自然森づくり協会HP⇒https://morihug.net/square/001153.htmより市内から定山渓方面に向かうと見えてくる観音岩山は通称「八剣山」。軽登山にも最適で、私は秘かに「ステゴザウルス山」と呼んでいるのですが、そこからは間もなくで目的地。イオルの森はまだ1年目なので、ヒョロとした植物もありますが、アイ...サッポロピリカコタンとイオルの森

  • 高石友也さん/受験生ブルース

    北海道出身の"日本のフォーク"歌手といえば、中島みゆきに松山千春が有名ですが、その大先輩が雨竜町(ヒマワリで有名)出身の高石友也さん。彼の「受験生ブルース」の大ヒットが1968年ですから、日本のフォークの先駆けの一人でした。彼のスタイルは東京のカレッジ系と異なり、アングラ系とか関西系とか呼ばれ、前者は主にモダン・フォークを、後者は初期のディランとかカーター・ファミリーなど、アメリカのルーツ・ミュージックを日本語に置き換え、歌って来たあたりが違ったような気が。両方が混ざり今の"日本のフォーク"になったと思うのですが、どちらかと言うとカレッジ系の方が主流に近いのかなぁ?日本のフォークに疎い私が言うのもなんですが。受験生ブルースはリアルタイムで聞いていました。当時はコミカル・ソングと思って聞いていたのですが、い...高石友也さん/受験生ブルース

  • 民族共生象徴空間 ウポポイ

    ウポポイが出来てもう4年も経つのですね、アイヌ民族の歴史や生活を広く紹介するのは良い事だけど、過去に和人が行った事の反省には触れずきてる気がして、今まで行った事が無かったのだけど、見もしないで勝手な想像するのは違うか?と。そう思っていた所に、札幌市のサッポロピリカコタンとセットで周遊バスツアーがあると知り、無事キャンセル待ちの抽選にも当ったので先日行って来ました。ウポポイの前身は白老町にあったポロトコタンで、ウポポイに移行のため2018年に休館。これはアイヌ語で"大きな湖にある集落"という意味だそうで、昔からあった白老アイヌの人々の集落を昭和40年代にポロト湖湖畔に移し、資料館や野外博物館を整備したもので、私が行ったのはもう10年も前の事ですが。入るとすぐに見えたコタンコルクルの像。案内には「和人入植の遥...民族共生象徴空間ウポポイ

  • ザ・ドリフターズ/渚のボードウォーク

    ザ・ドリフターズと言えば昔「ラストダンスは私に」の日本語カバー(どうぞ踊ってらして…)がヒットした割に、当時の知名度はイマイチだった気が。その後「いかりや長介とドリフターズ」が人気となり、ザ・ドリフターズの話をする時「じゃない方の…」と前置きが必要でした。正統派J・カントリーだったドリフターズは、何度ものメンバー交代・リーダー交代を経てコミック・バンドに転身し成功をおさめ、私もその頃は大笑いして見ていました。頻繁なメンバー・チェンジは、グループである以上よくある事のようで、1950年代に結成され、一時期クライド・マクファーターを擁し、全米R&B部門1位の「マニー・ハニー」(1963年)のヒットなどで人気のあったザ・ドリフターズも同様に色々あったみたいです。なによりアメリカでは徴兵でメンバーが欠けたりしたよ...ザ・ドリフターズ/渚のボードウォーク

  • ウッドストックから55年目の夏

    夏とロック、北海道で今の時期に開催されるライジング・サンほか、今は日本でも色々なフェスティバルがあるのでしょうが、私が思い出すのは、1969年8月15日から開催された伝説の「ウッドストック・フェスティバル」で、思えばあの頃がポップスやフラワー・ミュージック、ロックン・ロールなどがロックへ変ってゆく転換点だったと思います。大規模コンサートの運営経験が無い若者4人が立上げ、フォークから当時の尖ったロックまで30組以上が出演。40万とも60万とも言われる人が集まったそうですが、広大な土地のため警備の手が届かず、次々とフェンスを破った観客が入ってきて収支は大赤字に。何ともあの時期らしい話ですが、救われるのはアルバムや記録映画がヒットし、その赤字を補ってトータルではプラスに転じたそうで良かった、良かったです。若者た...ウッドストックから55年目の夏

  • ノッてけノッてけ 太陽の彼方に

    サーフィンが日本に持ち込まれたのは戦後、米兵が神奈川などで適地を見つけ遊び始めたのが最初だそうで、60年代になるとそれを真似る日本人も出て来たそうです。まだ中坊だった私がサーフィンを知ったのは歌からでした。それがジ・アストロノウツの「太陽の彼方に」で、シンプルで覚えやすいそのメロディは藤本好一のカバー盤でもヒットし、普段音楽の話をしない同級生達も「ノッてけノッテけ…」と口ずさむ程の人気でした。(後にゴールデン・ハーフの盤でもヒット)この曲は1964年の発売で、私の記憶では、エレキギター・ブームの火付け役となったのがこの曲だったと思います。翌年その人気に合わせアストロノウツと、まだ評判で無かったはず(?)のヴェンチャーズがジョイントで来日、それをきっかけに7月にはヴェンチャーズが単独で再び来日※し、例のテケ...ノッてけノッてけ太陽の彼方に

  • 夏だ!スイムだ!GO-GO’s

    60年代初めのツイストの大ブームの後、レコード会社は二匹目の泥鰌を狙い、毎年"夏のニュー・リズム"を仕掛けました。モンキー、ドドンパ、ブーガルー、スクスクなどを。そして65年にビクターがプッシュしたのが"スイム"というダンス音楽。今年の夏は"スイム”で行こう!と、キャンペーンを張ったうちの1枚が、このゴ―・ゴーズの「チッキン・オブ・ザ・シー」で、泳げない君もおいでよ、一緒に浜辺でダンスを踊ろう、というカナヅチ応援歌(?)でした。GO-GO'sは80年代のガールグループを思い出す方が多いと思いますが、こちらは古き良き60年代のアメリカン・ポップス。日本盤はジャケが独自で、楽器も持たない(当時は楽器を持つだけでカッコ良かった)地味な兄ちゃん3人では絵的に…と差し替えたのでしょうけど。彼らはLPも出ています(右...夏だ!スイムだ!GO-GO’s

  • ザ・タイムス/なぎさの誓い

    北海道にも短い夏が来た!海に行こうよ、白い雲が浮かぶ水平線を見に行こうぜ。そして二人で渚を駆け、想い出たくさん作ろうよ…なんて青春マンガみたいなイタい妄想をするのはBB世代の勘違いオヤジ。第一そんな甘酸っぱい想いなんか無いくせに。AswestrollbytheseaUnderstarstwinklinghighabove~輝く星空の下、渚を二人で手をつないで歩こう(stroll)…これぞ正しい"青春の海"じゃないですか。そしてプロポーズ。愛しているよ君を寄り添って教会の道を歩こう愛し合う二人(Somuchlovehavewetow)と。ザ・タイムス(TheTymes)の「なぎさの誓い」(SONUCHINLOVE)が、全米№1に輝いたのは1963年の今日8月3日。潮騒と海鳥の声、フィンガースナッピングに導か...ザ・タイムス/なぎさの誓い

  • 園まりさん/花はどこへ行った

    キングストン・トリオが歌った最初のフォーク№1ヒット「トム・ドゥリー」は、恋人を殺した罪で絞首刑になった実在の人物を歌った曲だそうです。後追いで曲を知った私は、当時はあまり後味の良くない曲だと思っていましたが、実は恋人を殺したのは彼女の恋敵の女で、トムはその罪をかぶり縛り首になったと言う悲しい話なのだそうで。真犯人を男に置き換えた映画「拳銃に泣くトム・ドーリイ」と言うのがあったそうで、首をうなだれ歩くシーンに流れるこの曲は、見た方には特に印象深いシーンだったそうです。№1ヒットにはならなかったのですが、我が国で一番親しまれている彼らの曲と言えば、多分「花はどこへ行った」でしょう。ピート・シーガーがウクライナの民謡を元に書いたと言われるこの静かな反戦歌は、60年代初頭のベトナム戦争拡大に対する反戦平和のうね...園まりさん/花はどこへ行った

  • 風に吹かれて/P.P&M

    1950年代末から吹き荒れたフォーク・ソング=フォーク・リバイバルの嵐は、伝承音楽の掘り起こしや近隣国の大衆音楽の取り込み、反戦や公民権運動のムーヴメントの中で…などと言う情報は、ただのポップス・ファンの高校生とって関心のない話でした。でも、当時ラジオから流れていたキングストン・トリオの「500マイル」や、ブラザーズ・フォーの「グリーン・フィールズ」などは良い曲だなとは思いましたし、更にインパクトがあったのが、ピーター・ポール&マリー(以下PPMと略)の「虹と共に消えた恋」でした。そこで乏しい小遣いをはたき買ったのがソノシートのお手本演奏付教則本。演奏をしていたのは小室等・山岩爽子からなる「PPMフォロワーズ」。本は確か朝日ソノラマから出ていたと思いますが、ハード・カバーの立派な物で、結局モノに出来なかっ...風に吹かれて/P.P&M

  • ザ・ロネッツ/恋の雨音

    今日の札幌は気の弱い雨がごくわずか。夏は突然の雷と共に一天俄にかき曇り…みたいな強気な方が似合う気が。傘を差しかけてくれる人が現れるチャンスかも知れないし?夕立が縁結びの噺で思い出すのが「宮戸川」。家を閉め出された半七と家に入れてもらえないお花。叔父さん宅の二階で夜中の雷と雨、驚いたお花は思わず半七の胸に抱き付き…年頃の娘を夜に閉め出すのは不自然な気もするし、晩熟の半七をロック・オンしたお花と母親の計略に篭絡した半七と言う解釈も。色っぽい場面での志ん生のオチに笑いました。もう一つ思い出すのが「お初徳兵衛」。屋形船で御法度のはずの船頭一人芸者一人の所へ激しい雨。この芸者のお初が子供の頃から徳兵衛の事を好きだったと聞かされる所に雷…と女から男に告るという珍しい話で、長い話の中の「浮名の桟橋」の場面でした。さて...ザ・ロネッツ/恋の雨音

  • 酒飲みは 今日も咲け咲け

    ビールが美味しい季節になりました。いつ飲んでも美味しいのですが、体が汗をかいた後のビールは特に美味しいですよね、この一杯のために夏を待っていた(?)のですからグラスを冷やし薄く氷の張った状態で出て来る居酒屋がありますが、あれはいけません。チューハイじゃないんだから。よく乾いた清潔なグラスに注ぎ5~6度の飲み頃で出すのが本寸法でしょ…はオヤジの戯言で、今はチューハイの方が多く出るらしいですが。それはさておき、過日ススキノで昼呑みをしてきました。今は昼の顔も持ったと言われるので、昔ススキノで呑んだ仲間と大人の社会見学(?)です。シネマやお洒落な物販店が入ったココノススキノは活気があり、夜のススキノしか知らない私にはなかなか刺激的。開放的なウィンドから見るススキノのシンボル、ニッカの看板もいいものです。小型店が...酒飲みは今日も咲け咲け

  • ミリー・ジャクソン/もしこれが愛ならば

    普段さほど聞かないレディ・ソウルですが、好きなシンガーは当然いて、3人挙げるとしたらローラ・リーにキャンディ・スタントン、アーマ・トーマス、エラ・ワシントン…その日の気分で少し迷いますが、ミリー・ジャクソンは絶対外せないかな。一番アルバムを持っているのが彼女だから…といってもデビューから5枚目迄ですが。最初に気に入ったのは4枚目の「愛のとりこ」。ここで歌われていたのがあの不倫ソングの帝王、ルーサー・イングラムの「IFLOVINGYOUISWRONGIDON’TWANTTOBERIGHT」。"君を愛する事が罪になるなら僕は罪を犯す"という、熱烈に不倫の正当化(?)をした歌ですが、A面最初の「IFLOVING…」から不倫相手に語りかける「THERAP」、そして「IFLOVING…」に戻る濃い10分間にすっかり...ミリー・ジャクソン/もしこれが愛ならば

  • 紫陽花に小ぬか雨

    札幌も紫陽花が咲く季節となり、この日は曇り空だけど降水確率は高くない予報だったので、コンデジだけ持って中島公園を周って来ました。ここにはガクアジサイは植えられていないようで、見た限り手毬咲ばかりです。場所なのか種類のせいなのか、まだ心持ち小さ目かな?と言う気もしますが充分に見頃。とりどりの色は優しく柔らかで良いですね。そのとりどりの色は、土が酸性なら青、アルカリ性なら赤になるそうですが、ここでの色の違いは栽培種の違いなのでしょうね?多分。紫陽花にはカタツムリが似合うかな、でも雨が降らないと出てこないかな?と言う訳で、葉の裏まで探してみたのですが、残念ながらこの日は見つからず。きっと探し方が下手か、執着心が不足なのかどちらかでしょうけれど。池の周りに今年生まれたカモ達がいました。走り回ったりお昼寝をしたりと...紫陽花に小ぬか雨

  • Kitaraのバースディ・コンサート

    札幌市の中島公園にあるコンサートホールKitara(キタラ)は、1997年の7月4日に開館し、以来パイプオルガンの備わった音楽専用ホールとして市民に親しまれています。当時の案内には「170万人都市・札幌の都心にある中島公園に音楽環境が結晶した新ホール」とありますが、27年前のあの頃は170万だったか(現在は197万)と、そんな昔でも無いのに、何か懐かしい気がしてくるのは、当方のジジィ化が加速しているせいでしょうか?建物の方も27年と言えば立派に中年だなぁ…などと思いつつ、この日はそのバースディと言う事で、お祝いのワンコイン・コンサート。しかも年に一度くらい(多分)しかやらない、プロジェクターでの演奏者の手元アップ付き。演奏は午前の「まずはここから公演」では吉村怜子さんが。私の聞いた午後の「もっとじっくり公...Kitaraのバースディ・コンサート

  • 水木しげる 妖怪百鬼夜行展

    妖怪やお化けの類は好きで、特別熱心に集めている訳でも無いのですが、水木しげるさんの描く妖怪には親しみがあり、生誕百周年に合せた展示会という事で行って来ました。会場は札幌芸術の森美術館で、ここに来たのは「月光ノ絵師月岡芳年展」以来。調べてみたら月岡芳年が開催されていたのは2017年。実に七年振りですか?普段から美に疎いことが知れますね、そしてこの時も奇想物の絵師でしたので、やっぱりそんなのが好きだと言う事がバレバレですが…私が妖怪を好きなのは、小さい頃から空想に遊ぶのが好きな子だったからでしょうか?水木先生の「私はゲゲゲ」に出てくる「のんのばばぁ」みたいに、私のそばにはそんな空想の手助けをしてくれる人はいませんでした。妖怪アンテナも無いですし…が、子供の頃になんとなく覚えているのは、母が話してくれた拝み屋み...水木しげる妖怪百鬼夜行展

  • カスケーズ/悲しき雨音

    今年の本州の梅雨入りは記録的に遅かったそうですね?梅雨の無い北海道は蝦夷梅雨と呼ばれる雨が多い年もありますが、今年は例年通り…と言うか例年より雨が少なく、札幌の今まで90日間の降水量は101㎜と平年の59%だそうです。一方で平均気温は平年より2度高く、昨日は今年初の30度超え。今日も30度を超え真夏日になる予想で、これからの一週間も28度前後の日が続く予報。いよいよ夏本番です。適度に晴れと雨とがバランスをとってくれないと、農家も困るし野菜が高いのも困るし…と言うわけで、今日は今の時期お馴染みの「悲しき雨音(RhythmoftheRain)」の話を。曲を書いたのはリーダーのジョン・ガモー。雨音が語りかけるんだ僕がバカだったと恋した娘は新しい出発をしたけど僕の心まで持っていった事を知らないんだ…う~ん青春の蹉...カスケーズ/悲しき雨音

  • アーサー・ブラウン/ファイアー

    私はアメリカン・ポップスが好きで、イギリス勢はあまり…なのだが、そんなフラワー・ミュージックやフォーク・ロックが中心だった1968年に、イギリスからゴツイ一発。それがアーサー・ブラウンで、後のヘビ・メタにも通ずるこの手のロックはそもそも苦手…のはずが、ジャケットに驚き歌に驚き、ポップス指向の強かった私にはインパクト大で。素人目に黒魔術?を思わせるいで立ち、その黒塗りのメイクはKISSが登場する遥か前で、何より頭上の「炎のヘルメット」、これはアセチレンとかを燃やしているのかな?熱く無いのでしょうか?自ら名乗る通りの「THECRAZYWORLD」を感じさせます。日本では私同様に戸惑った人が多かったのか、中位のヒットで終わったはずですが、英国では1位、全米で2位の大ヒットに…位の印象だったのですが、ありがたくも...アーサー・ブラウン/ファイアー

  • 1966年 ビートルズの頃

    私達BB世代にはビートルズのファンが多いですね、自分の息子に「今仁(イマジン)」と付けた人も実際いたし、高校時代のポップス同好の士N君…愛称"ポール君"もビートルズが大好きで、当時のビートルズのLPは全て持っていたはず。学校帰りに彼の家に寄って、ココアを飲みながら「これいいだろう?」と、「ガール」とか、「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」とかたくさん聞いたっけ(聞かせられた?…ごめんN君)だからあの頃のビートルズの曲は大概覚えています。でも、アメリカン・ポップス派の私はビートルズはあまり…で、ベスト盤「オールディーズ」一枚っきりの時代がしばらく続き、後に二枚組(赤盤)が出たのでこれを買い、更にポップスの基礎教養(?)だからと、アップル盤のデビュー盤から「ラバーソウル」までは揃えました。でもアップル盤の「ウ...1966年ビートルズの頃

  • 札幌の博物館活動センター

    市の広報で初めて知った博物館活動センター、行った事が無いのでどんな所かとyahooで地図を出し、行けばわかるはず…と澄川駅から行ってみるとこれが…地図をいい加減に判断した自分が悪いのだが、道は分かりにくい上に坂もあり、なかなか歩数増量(?)になってしまったが何とか到着。私の家からは澄川ではなく、南平岸方面から来た方がわかり易かったなぁ…はさておき。入るとすぐにアンモナイトの化石。手前には異常巻きアンモナイト。螺旋状をしたユーポストリコセラス(右奥)や、U字型を規則正しく繰り返すニッポニテス(手前)等がありました。年代はチューロニアン=9000万年前の白亜紀後期、異常巻きアンモナイトが出現した時期だそう。そして後者のニッポニテスは主に北海道から出土し世界的に知られるそうです。また、学名にNIPPONを冠する...札幌の博物館活動センター

  • 市民の川辺 精進川

    豊平川に沿って所々に植えられているハマナスも満開。スズランの白、ライラックの紫、そしてハマナスが紅をさし、短い春を飛び越えて札幌は一気に初夏の装い。そんな陽気に誘われこの日の散歩は久し振りの精進川。この流れを遡り澄川方面まで行って、ご褒美は純連でランチの計画で、まずは22条橋からスタート。氷池の跡は天然氷の切り出しに昭和初期まで使われ、農家の貴重な収入源となったそうですが、今は小魚がいるだけだなぁとボンヤリ往時に思いを馳せていたら、散歩中の幼稚園児?に話しかけられ、思わぬふれあいもあったりで何か良い一日になりそうな予感。平日なので、幼稚園児たちが去った後は人も少なく、のんびりと散歩が出来ます。途中で仮面をつけた未開部族との遭遇はありましたが。…いいジジィが何やってんだか……歩道の終点の小さな滝。アイヌの人...市民の川辺精進川

  • ボニー・タイラーの青い瞳

    私は青い瞳に弱くて…と前回書きましたが、中でもっとも好きなのがボニー・タイラー。彼女の吸い込まれそうな瞳を見ると、小笠原島のボニン・ブルーの海を思い出します。と言っても一度しか行った事が無いのだけれど。その魅力の瞳が映えるのがこのアルバムのジャケットかな?これは80年代にCBC所属になってからのベスト盤。そのブロンドの髪に青い瞳と、私が引き込まれる気持ちが伝わるでしょうか?歌手だから、歌が気に入らなければハナから問題外、瞳は付加価値(?)なのですが、彼女はそのロック・フィーリングや、ハスキー・ヴォイスがまずありきの才色兼備。80年代入ってからの彼女は70年代よりシャープな顔立ちになった感じます。歌い方もよりパワフルになり「愛のかげり」や、日本でも大ヒットした「ヒーロー」など、何度もグラミー賞にノミネートさ...ボニー・タイラーの青い瞳

  • 青い瞳の歌

    青い瞳に惹かれます。そんな瞳に真っ直ぐ見つめられたら、硬直して動けなくなるかも。メデューサに睨まれたみたいに石にはならないにしても…ちなみにトルコでは、古くから「メデューサの目」という青いガラスの細工物が、魔除けのお守りとされるそうですが。石にはされないけれど、日本には冷たい息を吐きかけ凍死させる雪女がいて、魅入られたら巳之吉の様に動けなくなるかも…などと戯言を言うと、日本の雪女なら瞳は黒だろう!と突っ込まれそうですが、雪の精なら青い瞳が合いそうと思うので…青い瞳と言えば和製ポップスの先駆け、ブルー・コメッツの「青い瞳」。初めて聞いたのは洋盤を流すL盤アワーのチャートで、歌は英語だったので本気で北欧あたりのグループ?と思い、後で日本人と知り、おお坂本九のSUKIYSKIに続くか?と期待しました。グループ・...青い瞳の歌

  • レイ・ブライアント/アット・モントルー

    今日6月2日は、ジャズ・ピアニストのレイ・ブライアントさんが亡くなられた日なので、以前に旧ブログで書いた話を再掲載しました。思い出話のまた思い出になりましたが。また昔話…私が20代の頃だからゥン十年も前ですが、音楽はLPレコードの時代に、凝ったオーディオ装置でジャズのレコードを聞かせる「ジャズ喫茶」がありました。BGMに軽いジャズが流れる店は今も結構あると思いますが、このジャズ喫茶は何千枚単位のLPコレクション、濃いコーヒー、アルテックやJBLなどの超大型スピーカーに、マッキントッシュなどの高級アンプなどが必須。あと、大音量に、個性的な店主というのも、成立要件だったか…な(?)1980年代に絶滅危惧業種に指定(?)され、今は全国でもほぼ一部しか残っていないと思われますが、あの当時札幌市内には「アクト」、「...レイ・ブライアント/アット・モントルー

  • 二回目のオルガン特別講義

    オルガン音楽にはまったくと言っていいほど無知で、そもそも背景となる宗教にも関心が無いのですが、ルネッサンス期のオルガン曲、バードとかタリスを流している時間は結構好きです。そしてメカマニアの要素も少しだけあるのでその構造にも興味が。それらについて知ろうと思えば、図書館に行くと秋元道雄さんの書いた本など何冊か見つかるのですが、いざ借りて読みだすと、数分でサンドマンが砂を撒きに来るので…という訳で、少し時間が経ちましたが、先日二回目(多分)になる、大谷大学の学生対象の特別講義が開催され、興味があるので聴講してきました。数少ない私の学びの場です。今回の講師は24代の専属オルガニスト、ウィリアム・フィールディング氏。前回の吉村怜子さんの講義はとてもわかり易くて良かったのですが、今回は通訳を経由しての講義。その分30...二回目のオルガン特別講義

  • ライラックス・イン・ザ・レイン

    明け方の札幌はごく弱い小ぬか雨で、木の葉にとってもうれしい雨。ちょうどライラックが咲く季節なので、「ライラックス・イン・ザ・レイン」という曲を思い出しました。30年代に作られたこの曲、あまりジャズメンに取り上げられる事はないみたいで、私はジュニア・マンスとカール・パーキンスでしか聞いた事が無いのだけど、しっとりと美しいバラードで、今朝の雨にとても似合う気がします。※引用したのはカール・パーキンスの演奏。さてライラック、植物園のウスゲハシドイはまだ蕾でしたが、大通公園の創成川に沿って植えられているのを思い出し、先日行ってみると咲いている木に出合いました。何本か植わっていて大半は、おお!もう少し、という感じ(5/22日)でしたが、中で一本派手にデモンストレーションをしている(?)木がありました。なかなか良い感...ライラックス・イン・ザ・レイン

  • ハンカチノキとホウノキ

    アカシヤの花の下で、あの娘がそっと瞼を拭いたのは赤いハンカチ…と、ハンカチから石原裕次郎の「赤いハンカチ」が思い浮かぶのは昭和世代。日活映画のスターで、歌う銀幕スターとしてヒットも多く出しますが、彼の歌い方はチェット・ベイカーをお手本に※していたそうで、確かにその気張らない、粋な感じは良く似ている気はします。それはさておき、北大植物園の続きは樹木で、今見られる珍しい木の花がハンカチノキ。花を取り囲んだ大きな苞葉が、確かに白いハンカチーフに見えます。中国原産のこの木は一属一種だそうで、そう言われると孤高の木という感じがし何だか格好良く見えます。あらためて入口から時計回りに回ると、藤棚も開花しツツジとのコントラストが綺麗。高山植物のゾーンではヤマツツジ(右)が満開、子供の頃にお尻の蜜を吸って遊びましたが、左の...ハンカチノキとホウノキ

  • 植物園のレブンアツモリソウ

    嬉しい花の時期が続きますが、北大植物園ではレブンアツモリソウが今見頃です。アツモリソウは道東・道北方面に咲く花で、私は図鑑でしか見た事が無いのですが、濃い朱色らしいです。その礼文島のクリーム色の固有変種がこちら。礼文島ではそのどちらもが見られ、更にシロバナアツモリソウというのも混在して咲いているそうで、行って見てみたいものです。体力が残っているうちに…経済力もですが。平敦盛からのアツモリソウとくれば、熊谷直実のクマガイソウと言う訳で(一ノ谷の合戦)、こちらは露地植えでわりと数が見られます。矢除けの母衣(ホロ)に見立てられる花はアツモリソウも同じですが、こちらはブサ可愛く(?)感じるのは私だけでしょうけど。他にも鉢植えで大事にされているのが左よりツルラン、サルメンエビネ、キリシマエビネ。北米のエンレイソウも...植物園のレブンアツモリソウ

  • 歌姫 アーマ・トーマス

    ニューオーリンズの歌姫として知られるアーマ・トーマスは、ソウル・ミュージックのファン以外には馴染みが無いかも知れませんが、私は「イッツ・レイニン」や「ブレイク・アウエイ」、「ルーラー・オブ・マイ・ハート」※など、好きな曲が結構あります。※オーティス・レディングにより「ペイン・イン・マイ・ハート」に改作されヒットしたのは有名ですが。今日5月16日は、彼女の最大のヒットとなった「ウィッシュ・サムワン・ウッド・ケア」が、ビルボードで17位となった日…1964年の事ですから今から60年も前の話ですが。彼女を知ったきっかけは、多分ソウル評論家の桜井ユタカさんからだった気がするのですが、ローリング・ストーンズがカバーした「タイム・イズ・オン・マイ・マインド」からだったかも知れません。これは彼女が「ウィッシュ・サムワン...歌姫アーマ・トーマス

  • クロユリも咲きました

    先月黄色い花のカタクリを見た北海道立衛生研究所の薬用植物園、5月10日が一般公開なので、この時期の二週間の変化は大きいのでは?と思い再び行って来ました。早目に来たので時間までベンチで仰向けになり空を見上げます。良い季節になりました。まずは気になっていたクロユリ、おお愛らしく咲いています。うつむき加減の花が好き…ですが、鉢が低い地面に置かれているので少しうつむき過ぎですが。クロユリと言うと♪黒百合は恋の花~という歌を思い出します。黒百合は全国で見られるそうですが、この歌詞にはニシパ※にあげようか、黒百合は毒の花アイヌの神のタブーなどの歌詞があるので、私は高山~北海道の花と思っていました。※尊敬する男などの意味らしいです。また昔話で某グループ・サウンズが出した「黒百合の詩」という曲、これがアソシエイションズの...クロユリも咲きました

  • 緑の桜が咲きました

    新緑が藻岩山をつつみ、いよいよ花の季節から緑の季節へ。だから今咲く桜もピンクから緑へ…とは強引ですが緑の桜を観て来ました。咲き始めだからなのか鮮やかな緑。初めて知ったギョイコウ(御衣黄)という桜、植物園で見たミドリザクラより濃い緑は江戸の中頃にサトザクラを品種改良したものだそうで、雅な名で見てみたいと思っていたら、札幌でも植わっていると聞いて行ってみたのが星観緑地。桜の開花宣言から数日おいて行ったのですが、この時は「まだですね、ソメイヨシノと八重桜の間位で見られると思います」と聞き、頃合いを見計らって次に行った日(5/2)もまだダメ。でもこの日は、前に来た時は無かった案内看板が設置されていたのでもう少しかな?と。ここまで来たら意地(?)と三度目のチャレンジ。来年にしようという発想が無いのですねぇトシになる...緑の桜が咲きました

  • 前田大橋が木の橋だった頃

    10年近く前ですが、仕事で外回りをしていて出会った手稲区の軽川に架かる前田大橋。"大橋"と言っても小さな川の生活道路ですが、その水車を模した木の欄干や、木を使ったスカート部など、とても気に入りました。この手稲山から流れる軽川は今でこそ小川ですが、昔はもっと水量があって、あちこちで水車の廻る音がしていたのでは無いか?このデザインはその記憶をとどめるため?そう思い役所などに問い合わせるも経緯は不明のまま。私の探求心不足ではあるのですが。ただ、手稲の駅前に「水車」という美味しい餅菓子屋さんがあり、その店に「初代が軽川の水で水車を廻し精米を始めたのが始まり」とあり、そう外れてはいないと思うのですが。※当時アメブロに「水車大福と団子と」としてブログを書きましたのでご参考まで。仕事をやめ、こちらに来る事も無くしばらく...前田大橋が木の橋だった頃

  • 北大植物園で春めぐり

    冬季間お休みだった北大植物園、屋外部分がオープンしたので春を愛でて来ました。ふぅ北海道の春は忙しいなと嬉しい悲鳴ですが、この時期楽しみなのがここでしか見た事の無い黄色いミズバショウ。今年はまだ小さいです。あと一週間位で見頃かな?キクザキリュウキンカ(中)はいま見頃ですが、普通のリュウキンカはもう半分くらいは花が落ちていました。それを見ながらいつものように時計回りで高山植物園へ。アポイ岳も花のシーズンの始まりかな?と思いつつのヒダカイワザクラ、テシオコザクラにユウバリキンバイ、エゾノチチコグサ…鉢にプレートが付いているので助かりますが、さすがに高山植物の女王コマクサはプレートが無くともわかります。ただいま可憐な蕾が顔を出し始めたところです。本日はお日柄もよろしく…と、ゼンマイの茎の綿毛を集めているヒガラに出...北大植物園で春めぐり

  • 黄色い花のカタクリ

    黄色いカタクリは何度か見た事がありますが、これは北米原産の種類みたいで、日本には栽培種で入ってきているようです。ここ北海道立衛生研究所の薬用植物園には、結構な数が咲いているのは知りませんでした。普段は一般公開していない場所だから。この日は「春の山菜展」開催で一般開放され入場は無料。数年前にも一度来た事があり二回目になるのですが、前回に比べこちらの学ぶ姿勢が変わった(?)のでしょう、新しい発見があり、ゆっくり時間をかけ拝見させてもらいました。たまたま前日食べたシャクに興味を持ったのですが、よく似た植物でドクゼリがあり、これはトリカブト、ドクウツギと並ぶ日本三大毒草だそうで。それで今までシャクも採らなかったような…気もしてきましたが、見分け方を学んで来ました。確実なのはシャクの根元にはハカマ(写真右)があり、...黄色い花のカタクリ

  • 浦臼神社のカタクリ

    札幌から少し距離がありますが、浦臼神社のカタクリを見たいと国道275をドライブ。おお、なるほど。神社の横にはカタクリとエゾエンゴサクが一面に広がり見事です。初めて来てみましたが良いですね。"里山の春の妖精”カタクリとエゾエンゴサクの共演。私の故郷に近い様似町の観音山も、海の青を望みながらカタクリを愛でられて素敵だけど、ここのエゾエンゴサクの青とカタクリのピンクも素敵、そしてスケールが大きい。ようやく今年は開花期に間に合った…と言いたいですが、少しピークは過ぎた感もあります。でもまだ充分楽しめ散歩する人達、三脚に"大砲"レンズをセットし構える人達、このお花畑にはリスが現れそれがお目当て。私もそこは楽しみにして来たのですが。いつも思うのですが、私はうつむき加減の花が好き。空に向け眩しい笑顔の花も素敵だけど、う...浦臼神社のカタクリ

  • 星置緑地の水辺

    星観緑地の後は近くの星置緑地へ。去年来た時はかなり遅い28日でしたが、今年ももうミズバショウは終り頃で、その代わりエゾノリュウキンカが満開になっていました。子供の頃ヤチブキと呼び、茹でて食べた貴重な春先の"青物"で、食感はなんとなく覚えているのですが、今は、たまに食べてみたいと思い出す程の味では…無いですね。エゾアカガエルの卵です。拡大してみるとオタマジャクシの格好になって来ています。子供の頃はカエルが一杯いましたが、近付くとピタッと鳴き声が止まるので、♪カエル、カエル、鳴かないとコッコ※とるぞ…と囃し、ボッコ※の先で卵塊を引っ張り上げて遊んだのは、北海道育ちの子供あるあるではないかと。※コッコは卵の事で子+コ、ボッコも棒+コで、北海道~東北の方言。そのオタマジャクシの捕食者(?)、エゾサンショウウオの卵...星置緑地の水辺

  • 星観 (ホシミ) 緑地の桜を見に

    札幌の桜の開花、4/11時点で私の予想は20日としたのですが、それより速い18日でした。それから気温が下がって満開は遅れる?と思ったのですが、この日はお天気が良かったので、そろそろ見頃かな?と行って来ました。今回初めて知った星観緑地は札幌と小樽市銭函の境にあり、星置緑地とも割と近いかな?緑のウォーキングで併せて回るのにちょうど良い?と思いつつ車で移動ですが。この場所は銭函の海に近く、札幌市内より気温は低目。そのせいなのか?種類の違いなのかはわかりませんが、桜の木全体で見るとまだ蕾のものも多くありました。その中でひときわ濃厚なピンクの蕾も見かけました。種類は不明ですが、中の何本かがこの元気なピンクで開花が楽しみ。満開になった桜も、まだ蕾の桜も併せて見られるのは今時期のメリット。ほかの緑もグングン増え、見上げ...星観(ホシミ)緑地の桜を見に

  • マクンベツ湿原の水芭蕉

    私は話の最後に余計な一言を加える事が多い(らしい)のだが、本人はユーモアのつもりで言っているのが、往々にしてブラック・ユーモアになったり、失言になっているらしい。そのあたりが無自覚なのは困ったものです。この日は失言…そうだ、湿原を見に行こう!と、無自覚のまま(?)マクンベツ湿原へ。ここは石狩市を流れる石狩川に沿った湿原で、道内屈指のミズバショウ群生地ですが、この日はまださほど多く開いて無くて、見頃を迎えるのは来週あたりからでしょうか?それでも場所によっては白い苞が開いて綺麗でした。周りに生えているのはハンノキ。ここのミズバショウは湿地の特性?なのか、西岡水源地などの他の場所に比べ、せっかくの白い苞が泥や浮遊物(?)などで汚れている個体が多いのですが、その中では割と綺麗に開いていたものをピック・アップしてみ...マクンベツ湿原の水芭蕉

  • サンタルベツ1955

    新聞の紹介で手稲区の「三樽別」地区を描く細谷きよ子さんと、水彩の塩見アイ子さんお二人の作品展とあり、三樽別って今もある細い川だよね?と思って行ってみることに。三樽別は今の手稲区富丘辺りを指す地名でしたが、細野さんの「1955三樽別の片隅で」は、そこで暮らしていた細野さんの5~8歳の思い出を絵にしたそうで、まさに私と同年代の方でした。私の住んでいた太平洋岸の田舎町とはかなり離れているのですが、絵の内容の大半が私の思い出とも重なります。都会と思っていた札幌と私の舎住んでいた田舎が、子供達は同じような生活をしていたんだと思うと嬉しくなって。こちら「モミの木」の絵の部分で、モミの木を担ぐお父さんと、ミズキをかついだ女の子。この頃からのクリスマス飾りはハイカラなお宅ですね、我が家はモミの木は覚えが無いのですが、歳の...サンタルベツ1955

  • つぼみ探しに公園へ

    いま時期の札幌の平年気温は10度くらいだそうですが、先日は6月下旬並みの22度にもなりびっくり。次の日は4度という18度の寒暖差は厳しかったのですが、なんとかこの日は平年並みに戻ると言うことで、公園で木の芽の膨らみを探してみました。最初に見たのは体育館横に植わったエゾヤマザクラ。かなり芽が膨らんできています。これからは15度前後のお天気になるでしょうから、この様子では20日位には開花が見られるのではないかな?と楽しみ。…予想が当たると嬉しいのですが、その時は一人秘かに乾杯かな?チシマザクラ(右下)はまだ少し硬いようですが、例年より蕾が多い気がして楽しみです。ほかの桜では遅咲きのヤエザクラ(上中)はまだ硬い感じで、シダレザクラはまだ近寄れなくてわからないのですが、全国標本木(?)のソメイヨシノ(左)はしっか...つぼみ探しに公園へ

  • 前田伸子 ガラス絵展

    鳥の版画を見た次は、新聞記事でもう一つ興味を持った「ガラス絵」展を見てきました。こちらの撮影も「今回は宜しいですよ」との事でありがとうございます。美にも疎いので、ガラス絵ってステンドグラスみたいなもの?などと思って来てみると、キャンバスの代わりにガラスに描いた絵が並んでいて、描かれている作家さんも割といらっしゃるみたいです。特徴といえば、生地と違いガラスが絵具を吸わないため、色がくっきりと残り、それがとても鮮やかで綺麗なことでしょう。こちらは「雪渡り」という作品の一部ですが、そのクリアな感じが伝わりますでしょうか?次は、いま時期らしい「春はすぐそこに」という作品で、落葉樹はまだ葉が出る前ですが、丘の上はもう春めいた明るさ。手前には春を待つ狸の親子。作者は北海道出身だそうで、もしかしてエゾダヌキかな?可愛い...前田伸子ガラス絵展

  • Accotori 北国からの鳥だより

    札幌も昨日ようやく積雪ゼロになったそうで、特に早かった昨年とは10日遅れ、平年と比べても3日ほど遅れたそうですが。大通公園もすっかり春景色…と言いたいところですが、雪が寄せられていた場所は、まだご覧の通り。ま、それも春への通過点ですしね。さて普段はギャラリーなど縁が無いのですが、昨日は新聞で見た「北国からの鳥だより~野鳥をモチーフにした木版画の世界」に興味を惹かれ見て来ましたが、さすがにビジネス・ゾーンや商業ゾーンは、まったく雪が残っていませんでした。北海道で鳥の版画というと、ダイナミックなシマフクロウの版画で有名な、手島圭三郎氏が私でも浮びます。今回拝見したAccotoriさんはお名前も作品もはじめてですが、彼女も手島さんの指導を受けているお一人だそうで、いいなぁ絵心のある人は羨ましい。ウトウの狩りの様...Accotori北国からの鳥だより

  • ロック版 ピーターと狼

    クラッシクに疎い私にプロコフィエフの話など出来ないのだが、ロック・ヴァージョンなら多少は首を突っ込んでも…という訳で、ロックになった「ピーターと狼」のお話です。この曲ではピーターが弦楽四重奏、狼はホルン…などの楽器で表すそうですが、ここではそれがロックの楽器に置き換わっています。むろん演奏するのはロック・ミュージシャン。~最近はロック楽器にも強いオケ・メンバーもいるそうなので、その人達が演奏するのも面白そうですが~メインとなるギターは、我が国のギター・キッズに絶大な人気のあったゲイリー・ムーア。彼は10代の頃よりクラッシクにも興味を持ち、ヴァイオリンの楽譜をギターで弾いていたという逸話もありますからこの企画にはピッタリかも。ロック・コンボに多様な表現の幅を持ち込んだのがシンセサイザー。その演奏陣も豪華でマ...ロック版ピーターと狼

  • ロック版 くるみ割り人形

    以前行った「オルガン・ウィンター・コンサート」で、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」から「行進曲」が演奏されたとき、頭をよぎったのがエマーソン、レイク&パーマー(EL&P)のロック版「ナット・ロッカー」でした。この曲はキース・エマーソンのオリジナル・アレンジだろうと思っていて、彼の曲は他にも「展覧会の絵」などあり、彼がクラッシックもキッチリ学んだのではないか?という印象からですが、実はお手本となるアレンジがあったのだと後で知る事に。そのお手本となったのがB.バンブル&ザ・スティンガーズで、恥ずかしながら初めて聞いたグループですが、彼らがシングル曲を出していたのが60年代初頭だそうで、なら私はまだ小学生(!)なので知る由もなく、そもそも曲が日本で発売されていたのかも不明。…と、言い訳し気が済んだ所で彼らの...ロック版くるみ割り人形

  • 豊平川 ネコやなぎ散歩

    3月下旬ともなるとさすがに日中はプラスの気温。まだ5~6度と低いけれど二日続けて良いお天気。なのでこの日はネコやなぎを見るため豊平川沿いを散策してきました。十九条橋から見ると散歩コースは除雪されていませんが、一部にはスノーシューの人達が歩いた道?がつき、川縁では白くて柔らかそうなふくらみが見えています。紫式部が「まゆにこもりたるはいとおかし」と表現したという、冬芽が開き"まゆ"からフワフワの毛が顔を出す…残念ながらもうそんな開き始めの頃は過ぎていました。三月も下旬ですからね。ネコやなぎは猫の尻尾からの連想なのでしょうけど、同じ連想をした国は多いみたいで、ドイツもフランスもそうみたいですし、英語ではお馴染みのニャンコのしっぽ=プシー・ウィロウ(PussyWillow)です。カナダを代表するシンガー&ソングラ...豊平川ネコやなぎ散歩

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