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はなちゃんのみそ汁 番外篇 https://hanamisosoup.com

妻は乳がんで他界。 残り少ない余命を覚悟して、幼い娘にみそ汁の作り方を教えました。あれから14年。 妻は家族に何を遺そうとしたのか。 その思いを娘に知ってほしくてブログを開設しました。 亡き妻と僕の“心の往復書簡”。

はなちゃんのパパです。音楽とお酒が好きです。毎年、妻の追悼コンサート「いのちのうた」を主催しています。最近、ウクレレを始めました。

hanamiso
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住所
福岡市
出身
宮若市
ブログ村参加

2022/06/25

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  • 勇気と笑いの花束を

    ミッちゃんにやっと会えた日 どんだけ、清水ミチコさんが好いとーとやって言うぐらい、 千恵はミッちゃんが好きだった。 そして、とうとう、ミッちゃんに会う日が訪れた。 2019年12月28日、熊本城ホールで開催した「いのちのうた」(こくみん共済coop主催)。 ステージの巨大スクリーンに「目マン」に変身した千恵が映し出された。 そこで、ミッちゃんが千恵のことを紹介してくれたのだ。 会場のお客さんたちが、「目マン」の千恵を見て、大笑いしてくれた。 本望だっただろう。 「いのちのうた」で千恵を紹介する清水ミチコさん(2019年12月28日) hanamisosoup.com ビフォー&アフター 〜目マ…

  • 一杯のコーヒーで「飲酒運転ゼロ」を後押し

    講演回数は1220回 わが子の命を奪った飲酒運転が社会から亡くなるのを目指し、地道に「ゼロ」を呼びかける女性がいる。 NPO法人「はぁとスペース」(福岡市東区)の代表を務める山本美也子さん。 僕と娘は、実家の宮若市に帰省する途中に時々、寄らせてもらっている。 併設のカフェで、僕たちはコーヒーをいただく。 コーヒー豆は、夫の浩之さんが焙煎している。 一杯のコーヒーを注文することで、ご夫婦の活動を後押しできれば、と思う。 「はぁとスペース」でコーヒーを入れる山本美也子さん(2021年年4月20日) 2011年2月、粕屋町で起きた飲酒運転事故で長男寛大(かんた)君=当時(16)=を亡くした 丁寧にド…

  • 元気が出る贈り物

    「絶対、全部食べようね」 千恵が他界した後、わが家には、数えきれないほどの贈り物が届いた。 どれも感激したが、特に印象に残っているものがある。 それは、「愛媛のおばあちゃん」を名乗る見ず知らずの女性からだった。 段ボール箱の中には、たくさんの食品が詰まっていた。 カップ麺、スナック菓子、レトルトのカレー・・・。 「因島のはっさくゼリー」の包装紙には「お母ちゃんのぶつだんへ」と書かれていた。 手紙には「はなちゃん。しっかり食べて、元気を出してください」。 僕と娘は「絶対、全部食べようね」と約束した。 「愛媛のおばあちゃん」から届いた贈り物(2010年8月26日) おこさらまんち(2007年10月…

  • 嫌なことを忘れさせてくれる親友

    はなとまゆ まゆちゃんは、はなの親友。 「嫌なことも、悲しいこともまゆに会ったら全部忘れる」(はな) 中学1年の春、彼女は広島に引っ越した。 以来、年に一度、泊まりがけで、はなに会いに来てくれる。 中学2年のまゆちゃん(右)。今は大阪在住の大学生(2016年4月7日) youtu.be 高校1年のゴールデンウィーク(2018年5月5日) はやったなあ。おっぱっぴー(笑) はなとまゆちゃん。小学6年生(2014年9月2日) おっぱっぴー(2007年10月24日) 「いのちのうた」の翌日、イムズにムスメと行った帰りに、 疲れ果てたムスメが、風呂も入らず寝てしまいました。 ん? 腕に、何か・・・ な…

  • 娘が弁当を作り始めた理由

    「を」と「で」の違い 娘はアルバイトを経験し、お金を稼ぐ大変さに気づいた。 「お昼の外食は、バイト代が惜しいな。弁当ひとり分の食材費って150円ぐらいだよね」 亡き妻の教えを覚えていてくれたのだ。 わが家は、月曜、火曜、木曜の週3日が「弁当の日」になった。 うれしいことに、娘が大学に弁当を持って行くようになると、娘の友人たちも手作り弁当を持ってくるようになったという。 これから大人になる娘たちにとって大切な経験。 弁当作りを学ぶのではなく、弁当作りで学ぶ。 「を」と「で」は、天と地ほどの差がある。 些細なことかもしれないが、こうして、社会が変わって行くんだな、と思う。 注:ちなみに外食も大好き…

  • 清志郎さんの「無敵バッジ」

    祝デビュー35周年 東京から福岡に戻った10月25日夜。 時間が遅かったため、娘の提案で、自宅近くの「大阪王将」で食事をした。 餃子、油淋鶏、炒飯、酢豚、青椒肉絲を注文。それとビール。 中華を食べながら、娘に三宅伸治さんと飲んだ吉祥寺の夜の話をしていると、 スマホにLINEの着信があった。 hanamisosoup.com 三宅さんのデビュー35周年記念イベントのお知らせだった。 もちろん知っていたが、仕事が入っているため、行けないのだ。 悔しい。どうして仕事を入れてしまったんだ。ちくしょー。 40周年は必ず行きます。 miyake-shinji.com ※ゲストは甲本ヒロトさん。 15年前、…

  • 三宅伸治さんとハイボールな夜

    無茶振りは嫌よ ここは東京・吉祥寺。 三宅伸治さんに会って来ました。 「いのちのうた」(12/3)で演奏する曲の確認です。 三宅伸治さんと吉祥寺をふらふらと歩く(2022年10月24日) 打ち合わせは、メールでも良いのですが、いつも、「わかりました。じゃあ、後でセットリストを送りますね」と返信はあるものの、待っても待っても、送ってこない。 だから、僕が東京に行って、三宅さんの目の前で確認するのです。 でも、油断大敵。当日まで何が起こるかわからない。 4年前は、本番直前のリハーサルで「スローバラード」の音合わせをしていると、ニコニコ笑いながら「安武さん、ここで一発、ソロをぶちかましてください」と…

  • あなたの命に寄り添いたい

    妻の涙 千恵が「いのちのうた」の舞台で、会場を見渡しながら、涙をポロポロとこぼした。 彼女は人前で涙を見せたことがなかった。 でも、語りを終えて前奏を弾き始めると、最後まで、しっかりと歌い切った。 つらくて悲しい涙ではなく、心地よい涙。 あなたの命に寄り添いたい。 僕も舞台の下手から念を送った。 出演者と来場者が創り出した「お互いの命をたたえ合う幸福感」が会場を包み込んだ。 会場を見渡しながら涙をこぼした(2007年10月20日)撮影:横田敦子 コンサートが終わると、支えてくれている友人らと抱き合った(2007年10月20日) 僕も、この不思議な感覚を何度も体験した。 2019年3月27日。 …

  • かっこいい大人たちが集合

    高塔山ロックフェス 連日のライブ。 昨日は、「高塔山ロックフェス2022」(北九州市若松区)に行った。 (公式)高塔山ロックフェス 「高塔山でロックがしたい」 2004年、「シーナ&ロケッツ」の故シーナさんの言葉から始まったロックフェス。 今流行のジャンルレスな巨大フェスとは違った「めんたいロック」の起源、鮎川誠&シーナとルースターズが出会い、音を育んだ思い出の地で開催されるロックフェスである。 シナロケのTシャツを着た70歳代の女性。 大江慎也さんや鮎川誠さんのロックを聴きながら、涙を流す僕らと同年代の男性。 かっこいい大人たちが、高塔山野外音楽堂に集合した。 Shiya Oe & Supe…

  • あなたの命はあなただけのものではありません

    秋は何かと忙しい 昨夜、Public bar Bassic.であった「きばらしナイト」。 ※大阪のASAMIさん親子が主催する音楽イベント。 出演は、ウルフルケイスケさんとザ・ファックゲッツ。 僕はカメラマンとして参加した。 ギター演奏するウルフルケイスケさん(2022年10月21日)撮影:安武信吾 222枚の画像データを主催者に渡し、そのまま、会場のBassic.で打ち上げ。 行きつけの屋台「味府」にも寄って、牛タンと餃子とラーメンを食った。 帰宅は深夜1時。 寝ている娘にちょっかい出して「酒くさい」と怒られた。 アルコールが抜けてない10月22日の朝。 今から「高塔山ロックフェス」に出かけ…

  • 親子でほめ合う朝の食卓

    プレザーブスタイルのジャム 娘がブルーベリージャムを作ってくれた。 「それなら、明日の朝食はパンがいいね」 僕は、野菜やチーズ、粗挽きソーセージなどを用意して、 昨晩から今日の朝食を楽しみにしていた。 2022年10月21日 パンはいつもより厚く切った。 トーストにしてバターを塗り、ブルーベリージャムをのせて食べた。 自然な甘みと酸味。ブルーベリーそのものをパンと一緒に味わっているような感覚だった。 「プレザーブスタイルっていう製法だよ。パパ、知ってた?」 ジャムの中に一定程度の形が残った果肉が入っているものを指すそうだ。 「プレミアムだね。めちゃくちゃうまいよ」 僕が感想を伝えると、娘は「パ…

  • 「ありがとう」しか言えません

    ずっと、生きていてほしい 15年前の「いのちのうた」。 hanautaをサポートする予定だった千恵は、 いつの間にか、コンサートの中心人物になっていた。 打ち合わせをしていたわけではないが、 他の出演者たちが、そんな空気をつくってくれた。 僕は最初から最後まで舞台の下手に立っていた。 千恵は歌だけでなく、語りでも命の尊さを伝えようとした。 生きてほしい。 ずっと、生きていてほしい。 そう願いながら、僕は千恵を見つめていた。 撮影:横田敦子 (左から)こやまよしこさん、三宅伸治さん、海童さん、千恵、Masahaさん(2007年10月20日) 「いのちのうた 第1章」のチラシ(2007年10月20…

  • 25年前にタイムスリップ

    奇跡の再会 天国の千恵が企画したのだろうか。 とても、不思議で愉快な夜だった。 昨日、大切な友人が、6年ぶりに訪ねて来てくれた。 韓国人のヨム・ウンジュさん。 今は、カナダ・バンクーバーに移住している。 25年前、福岡教育大に留学中だった彼女を取材したことがきっかけで親しくなった。 hanamisosoup.com 当時、ヨムさん手作りの韓国鍋を一緒に囲んだ松尾陽一も駆けつけてくれた。 僕らは30代前半だった。千恵と出会ったのも、その頃。 「みんな年を取ったなあ」などと笑いながら、互いに近況を報告し合った。 広島お好み焼き「童童(わらべ)」で食事。右から陽一、はな、ヨムさん(2022年10月1…

  • 亡くなった人たちへの贈り物

    鮎川誠さんの言葉 3年前の「いのちのうた」には「シーナ&ザ・ロケッツ」の鮎川誠さんに出演してもらった。「ユー・メイ・ドリーム」を歌う直前、鮎川さんが、こんな話をしてくれた。 シーナが天国にいって4年、今年で5年目。 でも、俺たちはシーナと一緒に旅をしています。 いつもシーナと作った歌を歌っています。 天国のはなちゃんのお母さんやら、シーナやらが、 「はがいかー」(悔しい)ち、言うぐらい俺たちは楽しまないかん。 輝いて生きんといかん。 それが、亡くなった人たちへの最高の贈り物と思うとります。 会場全体が、温かく、やさしい空気に包まれた。 追悼コンサートの意味を教えられたような気がした。 来場者に…

  • がんと向き合う「3つの大切なこと」

    「うるとまらん」は助けてくれない 4歳の頃の娘は「ウルトラマン」と言えず、「うるとまらん」と言ってました。 「お子様ランチ」は「おこさらまんち」。 「トウモロコシ」は「とうろもこし」。 「色鉛筆」は「エロえんぴつ」。 おっと、失礼。 調子に乗って、脱線してしまいましたが、きょうは、そんな話ではありません。 「うるとまらん」を前に緊張気味の娘(2007年11月3日) がんになっても「うるとまらん」は、助けてくれないっていう話です。 では、どうぞ〜。 タリッキー卒業(2007年10月17日) がんになると、本当に、さまざまなものに出合います。 初発入院時。7年前。 がん初心者。 右も左もわからなく…

  • さくらと吾郎

    夫婦のユニット名 妻の闘病生活が新聞連載で紹介されたことは、以前、こちらのブログで書きました。 hanamisosoup.com 妻は、ブログのハンドルネーム「六本松さくら」で連載に登場。 まだ、実名での取材対応には、躊躇しておりました。 僕は今、実名を名乗っておりますが、当時のハンドルネームは「六本松吾郎」。 夫婦のユニット名は「さくらと吾郎」。 昔、「昭和枯れすすき」という大ヒットした演歌がありました。 歌っていたのは「さくらと一郎」。 パクったわけではありません(笑) 昭和枯れすすき さくらと一郎 ※1番・初代さくら、3番・二代目さくら - YouTube 主治医のコメント(2007年1…

  • 東京でバズる

    シリーズ累計100万部を突破 イケイケだったあの頃。 書籍編集者として、東京には何度も上京した。 ジュンク堂書店新宿店の書籍売り場(2007年10月12日) 後に、シリーズ累計100万部を突破した「食卓の向こう側」。 全国の新聞社でつくる出版協議会から講演を頼まれることもあった。 トークセッションのポスター(2007年10月12日) 左からフリーライターの渡邊美穂さん、漫画家の魚戸おさむさん(2007年10月12日) 千恵のブログの読者だった「門左衛門さん」(後ろ姿・髪を結っている女性)も会場に来てくれた(2007年10月12日) トークセッションのテーマは「食育」。 東京では、あまり知られて…

  • 心が大人になる前に

    「目撃者f」動画配信スタート 昨年の「いのちのうた」で歌った『パパのうた』。 反抗期真っただ中の娘、脱サラで新しいステージに足を踏み入れた父。 僕たち父子家庭の「これまで」を歌ったような曲だった。 作詞・作曲は、友人のコヤナギシンジさん。 福岡を拠点に活動するシンガーソングライターだ。 シンジさんが作った歌の中で『パパのうた』のほか、もうひとつ、思い入れのある曲がある。 2019年3月20日午前2時すぎ、シンジさんからメッセージが届いた。 「はなちゃんの言葉にインスピレーションを受けて、曲を作りました」 曲のタイトルは『Smile』。 Bメロの頭、「心が大人になる前に」のフレーズは、僕が娘にも…

  • 「喪失」と「悲嘆」を語り合う

    吉田さんのおむすび ある出版社の企画で「喪失」と「悲嘆」を語り合う対談に参加した。 お相手は、故・佐藤初女さんの「森のイスキア」の活動を福岡で受け継いでいる吉田俊雄さんと紀美子さん。ご夫妻は、大学生だった次男を亡くされている。 「家庭を顧みない仕事人間だった」と、次男を亡くした当時の自分を振り返る俊雄さん。「僕は息子のことを何も知らない。自分の人生は何だったのだ、家族を何と思っていたんだ」と、仕事しかしてこなかった自分の生き方に自責の念を覚えたという。 佐藤初女さんとの出会いは、俊雄さんを変えた。 「自分が中心の生き方から、ともにいるという生き方への気づきを(初女さんに)促された。それは人と交…

  • みなさんの人生に、幸あれ

    助けられているのは僕たち家族です 千恵が亡くなった後、本を書いた。 それがドラマになり、映画化もされた。 全国の人たちから励ましの手紙やメールをいただいた。 音楽イベント「いのちのうた」は毎年、続けている。 講演会場では、娘を抱きしめてくれる人がいる。 福岡市内であった講演会の後で、娘を抱きしめる女性(2016年10月3日) 何度も娘にお礼を言われ・・・(2016年10月3日) 記念撮影(2016年10月3日) 同じような境遇の人、病と闘っている人、生きづらさを感じている人から、 「前を向く力をありがとう」などと感謝されることもある。 でも、逆なんだ。 千恵がブログに書いているように、 僕たち…

  • 心に残る「父の手料理」

    ローストビーフとハヤの甘露煮 亡き妻千恵の両親は、長崎県大村市で精肉業と焼肉店を営んでいた。 義父が、牛肉の塊にじっくりと火を通したローストビーフは絶品だった。 僕の父も凝った料理が得意だった。 毎年夏は、はなを連れて山口県の川に出かけた。 そこで釣ったハヤを父が長時間炊いて作る甘露煮は骨ごと食べられた。 はな10歳。川釣りを初体験(2013年6月9日) 淡水のサビキ釣りと呼ばれる「オランダ釣り」。100匹近く釣れた(2013年6月9日) 鶏は丸ごとさばき、刺身、唐揚げ、水炊き、もつ煮などのフルコース。 かっこよかった。 僕は憧れの眼差しで、台所に立つ父を眺めた。 日々の料理は、母が作ることの…

  • 「まずは心の復興を」

    旦過市場と小倉昭和館 2度の大火に見舞われた北九州市の旦過市場。 結婚前、妻が北九州市の中学校に勤めていたため、 僕たちは、旦過市場とその周辺をよく歩いた。 鮮魚店、ぬか炊き店、精肉店、八百屋、角打ちができる酒屋・・・ 「いいのが入っとるよ」「寄っていかんね」 北九州の台所として、庶民の胃袋を満たしてきた場所。 なじみの人でなくても温かく受け入れてくれる懐の深さが魅力だった。 8月10日夜、82年続いた老舗映画館「小倉昭和館」も、猛火にのみ込まれた。 数年前、3代目館主の樋口智巳さんは、映画「はなちゃんのみそ汁」、僕がプロデューサーを務めたドキュメンタリー映画「いただきます みそをつくるこども…

  • 妻に見せたい、19歳の娘

    「ああ、これが親なのか」 保育園児の娘が運動会で走っている姿を初めて見たとき、涙が出た。 横では、妻が「はなちゃーん!」と絶叫していた。 僕は、動画撮影しながら「ああ、これが親なのか」と思った。 娘は2月生まれで、他の子どもたちに比べて体が小さかった。 しかも、「順位」や「競う」という概念をまだ理解しておらず、 徒競走では、先に飛び出した子の後をニコニコしながら、ついて走った。 19歳になった今も争いごとは好まず、のんびり屋。 でも、キレッキレのダンスを踊り、ウェイクボードを乗りこなす。 そんな娘の姿を妻に見せてあげたかった。 「いのちのうた 第12章」(2019年7月13日) 「いのちのうた…

  • あのとき、本当の家族になった

    最後の5行で、もうじゅうぶん がんの治療費について書いている妻のブログを読んだ。 確かに家計が大変な時期もあった。 家計だけじゃなく、なんもかんも大変やった。 でもね。 君が寝たきりになっての1カ月間、おむつを替えてあげることができて、俺は幸せやった。 はなは、回復を祈り、ホワイトボードにメッセージを書いた。 あのとき、俺たちは、本当の夫婦になった。 本当の家族になった。 ブログに書いてくれた最後の5行で、もうじゅうぶん。 こっちこそ、ありがとう。 (2008年6月23日) 2008年6月23日 金銭感覚の崩壊?(2007年10月5日) がんになってから、食事療法を取り入れるようになってから、…

  • ちょっとでも異変を感じたら

    ピンクに染まる福岡タワー 福岡市民なのに福岡タワーには滅多に行かない。 9年前、娘を連れて友人たちとサイクリングに行ったときが最後かもしれない。 10月は乳がん月間。 毎年、福岡タワーにピンクリボンのイルミネーションが灯る。 まだ、一度も見たことがない。 久しぶりに娘とタワーに行ってみようかな。 付き合ってくれるかな。 www.fukuokatower.co.jp 友人たちと自転車で福岡タワー前を出発(2013年12月19日) 自転車にハマっていたころ。楽しかったなあ(2013年12月19日) 10月は、乳がん月間(2007年10月4日) 10月は、乳がんの月。 世界中で、日本全国各地で、さま…

  • 妻はパクリの天才だった

    高取保育園の「炒り玄米」 娘が通っていた高取保育園では、子どもたちのおやつの一品に「炒り玄米」があった。 「炒り玄米」とは、空炒りした玄米に天然塩をまぶしたもの。 ポリポリとした歯ごたえがあり、香ばしくて、ほどよい塩味。 食べ始めると止まらなくなる。 僕も妻が作った「炒り玄米」をいつも会社に持参し、小腹がすいたときにつまんでいた。 2007年、福岡市の大型商業施設で、僕がプロジェクトに参加していた「食卓の向こう側」のアンテナショップを立ち上げることになった。 担当者と顔見知りだった妻は「炒り玄米」を新商品として提案。 採用されると、妻は自ら店頭に立ち、自家製の炒り玄米を売り始めた。 子育て中の…

  • 娘を思い「がん検査」に向き合う

    100万回生きたねこ 千恵は絵本が好きだった。 2000年7月、千恵が乳がんの手術(左乳房全摘出)をするかどうか迷っていたとき、勤めていた小学校の同僚が、絵本「100万回生きたねこ」(講談社)を病室に持ってきてくれた。 絵本「100万回生きたねこ」を読む千恵(2007年9月28日) 死が愛する人を奪うことがある。 愛する人が死んだ後を生きるのは悲しい。 心にぽっかり穴が開く。 体の一部がちぎられたように感じる。 それは、死んだ人を深く愛した証拠だ。 死ぬこと。生きること。愛すること。 この絵本には、そうしたことが書かれている。 (function(b,c,f,g,a,d,e){b.Moshim…

  • 「いのちのうた 第15章」開催のお知らせ

    いいことがあるといいね〜君にも僕にも♪ 亡き妻千恵の追悼コンサート「いのちのうた」。 ロック歌手の三宅伸治さんをはじめ、親しくさせていただいているミュージシャンの皆様の協力をいただき、今年も開催が決まった。 2022年12月3日。福岡市・親不孝通りのブードゥーラウンジで。 ポスターは、15年前、親子2人で初めてステージに立った千恵とはなの写真を使った。 ****************************************** いのちのうた 第15章 俺たちは家族だ! 2022年12月3日(土) 15:00 開演 ( 14:00 開場 ) 会場:ブードゥーラウンジ(福岡市中央区舞鶴1…

  • 家族と生きる幸せ

    「ありがとね、ムスメ」 娘に読んでほしい、この日の妻のブログ。 パパも同じ気持ちだよ。 2004年12月20日撮影 感慨深い日 〜1年前の私から〜(2007年9月26日) 大したことはしていないのですが、 今日は、本当に、感慨深い1日でした。 なぜなら、1年前の今頃、私は、病院のベッドの上にいて、 管につながれていたからです。 治療のための、たった1週間の入院でしたが 夜中、眠ることができないほどの身体のあちらこちらの痛みに耐え、 布団の上でうめいていました。 家族と離れて過ごさなければならない現実に、涙していました。 1秒、1分、1時間、1日。 今日は、 こうして生きているありがたみを、かみ…

  • サツマイモの正しい食べ方

    犬は飼い主に似る わが家には2匹のミニチュアダックスがいた。 チョコタンの「さくら」とレッドの「アビー」。 犬の性格は、飼い主に育てられていく過程で得た体験によってつくられる傾向があるという。 飼い主が明るく、いつもニコニコと笑顔で接していると、犬も明るくやさしい性格になる。 飼い主が神経質だと、犬も神経質になる。 人間の子育ても、同じなのかもしれない。 さくらとアビーは、千恵に似ていた。 いつも「なんかちょーだい」っていう顔をしていた。 さくら(左)とアビー(2007年5月12日) 以下は千恵のブログ。 よく芋を食ってました。 むくみは取れども今度は垂れるの巻(2007年9月25日) 芋がう…

  • うれしいメールとロックな夜

    始動の秋 久しぶりに、対面で語り続けた1日だった。 昼過ぎ、福岡県内の中学校で講演をした。対象は、中学2年の生徒たち。全国の小中学校で広がる食育活動「弁当の日」の取り組みを紹介しながら、妻亡き後、娘と暮らした14年間を振り返った。 夜は、古くから付き合いのある男性と食事をした。 その男性は、僕が崖っぷちに立たされていた20代の頃、助けてくれた「恩人」でもある。 彼との食事に選んだ店は、福岡市中央区渡辺通の鉄板焼き「童童(わらべ)」。 10数年ぶりに会った彼は、イベント会社の社長になっていた。 今は、誰もが知る福岡の劇場で、話題のミュージカルや音楽イベントを手がけている。 男性は、北九州市出身で…

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