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はなちゃんのみそ汁 番外篇 https://hanamisosoup.com

妻は乳がんで他界。 残り少ない余命を覚悟して、幼い娘にみそ汁の作り方を教えました。あれから14年。 妻は家族に何を遺そうとしたのか。 その思いを娘に知ってほしくてブログを開設しました。 亡き妻と僕の“心の往復書簡”。

はなちゃんのパパです。音楽とお酒が好きです。毎年、妻の追悼コンサート「いのちのうた」を主催しています。最近、ウクレレを始めました。

hanamiso
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住所
福岡市
出身
宮若市
ブログ村参加

2022/06/25

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  • 天気と食は西から変わる

    10年先を走る料理家 千恵は、念願かなって、ホールフードの提唱者、タカコ ナカムラさんに会えた。 本当にうれしそうだった。 導いてくれたのは、当時、書籍の編集で僕と付き合いのあった「大地といのちの会」の吉田俊道さん。千恵の生まれ故郷長崎県大村市から近い佐世保市で対面した。 タカコさんに抱きつく千恵(2007年9月16日) 野菜作りの達人と10年先を走る料理家が手をつないだ西の果てで、千恵はつぶやいた。 「天気と食は、西から変わるっちゃけんね」 この日を境に、千恵の動きは加速度を増した。 2015年1月27日付、朝日新聞「ひと」 吉田俊道&タカコ ナカムラ 〜世界最強の2人〜 長崎の西の街、佐世…

  • 「幸せ」を提供できる場所

    人生の節目に家族写真を 最高にうれしくて、楽しい1日だった。 宮崎市でうどん茶房「ふなや」を営む船ヶ山清史さんのご家族が、僕の実家の若宮写真館(福岡県宮若市福丸178-2)を遠路はるばる訪ねてくれたのだ。 udonsabou-funaya.studio.site 次女の明衣(めい)ちゃんが、家業のうどん店を継ぐことになり、その記念も兼ね、家族写真を撮影した。 ※以下の写真はご家族の許可を得て掲載しています。 前列右がめいちゃん。せいたろう君(長男)は「変顔」でスタート(2022年9月23日) お姉ちゃんが好き(2022年9月23日) パパも好き(2022年9月23日) どの写真も、せいちゃんが…

  • 続・苦しいときこそ、ご飯とみそ汁

    娘の手作り「はなちゃんのみそ」 娘が仕込んだみそを商品化することにした。 「はなちゃんのみそ」。 近い将来、全国で販売する。 製造・販売元は、山形県白鷹町の「すずき味噌店」。 https://suzukimisoten.com 店主の鈴木徳則さんとは、妻の千恵が生きていたときからの付き合いだ。 低温熟成。大豆、米、塩などの素材を厳選し、添加物は未使用。 本来の作り方で時間をかけて作っているから、出汁をとらなくてもうまい。 「はなちゃんのみそ汁 青春篇」出版記念パーティーでは、試作品を参加者に配布した。 ラベルのイラストは、旧知の仲である漫画家の魚戸おさむさんが提供。 「売ってほしい」と、すこぶ…

  • 娘が元祖ヤングケアラー?

    心に刻まれている「喜びの味」 昨夜、佐賀県唐津市から帰宅すると、娘が台所に立っていた。 「しばらくの間、パパと夕食が食べられないので、今夜、はなが作るね。ゆっくりしてて」 娘は次の日から、夜のアルバイトが4日連続で入っていた。 僕は、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、食卓で料理を待った。 冷えたビールを飲みながら、台所に立つ娘の後ろ姿を眺めた。 幼いころに、料理を作る喜び、食べてもらう喜びを知ったからだろうか。 しばらく、料理を作ることから遠ざかっていた時期もあった娘だが、「今は、すごく楽しい」と、台所に立つ幸せを噛みしめている。 「喜びの味」は娘の心の深いところに、しっかりと刻み込まれているに違…

  • 誰かの希望になれるなら

    妻の闘病が新聞連載に 妻千恵が名付けた「ダンディーT」とは、西日本新聞社の僕の同期であり、友人の田中耕記者。2007年10月、彼が妻の新聞連載を書いた。 妻の実名を出さず、ブログのハンドルネーム「六本松さくら」の名で。 連載タイトルは「いのちのうた」。 出会いから、乳がん発症、結婚などを経て出産まで。 何度も妻に直接会い、しっかり取材をしてくれた。 計8回、読み応え十分の内容だった。 その後に続く新聞記事、ドキュメンタリー番組、出版物、ドラマ、映画など、あらゆる媒体のベースになったのが、この連載だったと思う。 沖縄県・恩納村のビーチを歩く千恵とはな。写真は新聞連載に使用された(2007年9月8…

  • 女子大生と「もつ鍋祭り」

    娘と暮らす父親の特権 妻のブログを読んでいて、もつ鍋が食べたくなった。 わが家の冷凍庫には、グリーンコープ生協で買い置きしていた「国産牛ミックスホルモン」(300グラム)が2袋ある。 娘と2人で600グラムは、ちょっと多い。 「もつ鍋を食べにおいで〜」 娘の大学の友人、りんか&のりかに連絡。 すぐに、日程が決まった。 この2人、いつも「友人の父」の遊び相手になってくれる。 女子大生と「もつ鍋祭り」。 娘と暮らす父親の特権ですな。 画像は、女子大生ではなく、おじさんたちとの「もつ鍋祭り」。 博多のロックミュージシャンたちと妻の命日に追悼もつ鍋会(2017年7月11日) 韓国風もつ鍋(2017年7…

  • 娘の整形疑惑!?

    元気もらえるコメント 手前味噌だが、先月、YouTubeにアップされた日テレNWES「家族を生きる」の評判がいい。 制作担当者は、10年以上の付き合いになるFBS福岡放送の伊﨑健太郎ディレクター。 現在、このドキュメンタリーのロングバージョンも編集中で、25日深夜(日付は26日)、同局エリアで放送予定だ。 YouTubeの視聴者コメントも好意的でうれしい。 娘も目を通しており、「心が落ち込んだときに読むと元気をもらえそうだね」と話していた。 これまで、「子どもを台所に立たせるのは親の育児放棄」「毒親」「幼児虐待」などと、SNSに批判的な投稿があっても、あまり反応しないことにしていたが、今回は、…

  • ある新聞記者との出会い

    すべては、ここから始まった 「同業他社の枠を越えて付き合ってもらえませんでしょうか」 2009年の春。深夜、1通のメールが届いた。 金子元希さん。朝日新聞西部本社の記者からだった。 出会って3カ月が過ぎた6月14日。 朝日新聞に「小さな手、朝の台所」「亡きママと『約束』」という見出しで、僕たち家族を取材した記事が掲載された。 手のひらにのせた豆腐に包丁を落とすはな。隣で僕が見守る。 親子が立つ台所の写真が添えられていた。 その夜、パソコンを立ち上げて目を疑った。 僕が引き継いだ妻のブログのアクセス数が、1日で8万件を超えていたのだ。 すべては、ここから始まった。 朝日新聞に掲載された写真は書籍…

  • 「俺の人生、ツイていた」

    女子大生の名は、松永千恵 1998年の初夏。 西日本新聞宗像支局の記者として働いていた。 初めての支局勤務にようやく慣れてきた頃だった。 ある日、珍しく、若い女性が支局にやってきた。 大学院声楽科コンサートの取材依頼だった。 その女子大生の名は、松永千恵。 白いコットンのワンピースを着ていた。 初夏の澄んだ空気と暖かな日差し。 そのせいか、玄関に立っている彼女はキラキラと光って見えた。 彼女を職場に通し、小さな応接の椅子に座ってもらった。 ハンカチでしきりに汗を拭いていた。 「歩いてきたの?」 「西鉄バスに乗って来ました」 僕は、冷えた麦茶を差し出した。 そんなことは、滅多にしたことがなかった…

  • 道に迷ったときは、自分の情熱が向く方に進む

    ホールフードとの出合い 千恵がずっと会いたがっていたタカコナカムラさん。 タカコさんは、台所を通じて持続可能な暮らしを実現させるライフスタイル「ホールフード」の提唱者。 whole-food.jp 亡くなる7カ月前に会うことができた。 わずかな期間だったが、タカコさんとは、とても濃密な付き合いができた。 ホールフードスクール福岡校設立のための準備に全力を尽くした。 タカコさんが東京で経営する「kanbutsu cafe」福岡店の構想も抱いていた。 それらが、千恵の生きる力になった。 幸せだったと思う。 2008年8月、タカコさんが、kanbutsu cafeスタッフの桉田優子さん、ホールフード…

  • 「当たり前の日常」に思うこと

    待つ時間は、至福の時間 台風14号の影響で外に出ることができなかった19日夜。 娘が夕食を作ってくれた。 パパは、カボス割りの麦焼酎を飲みながら、夕食の出来上がりを待った。 朝食の塩むすびのお礼なのか、台風でアルバイト先が休みになったからなのか。 理由はよく分からないが、これほどうれしいことはない。 「あるもので作るから、できたものを食べてね」 出来上がりを待つ時間は、至福の時間だった。 妻が生きていたころは、帰宅すると、いつも夕食が準備されていた。 それが当たり前の日常だったから、感謝の気持ちが薄かったような気がする。 自分が家事や子育てをするようになって、思い知らされた。 「当たり前の日常…

  • お手本のような自主上映会

    塩むすびの調味料は「まな板」 台風14号が福岡上空を通過した9月19日の朝食。 僕は、どうしても、娘に「塩むすび」を食べさせたかった。 いつもは、ご飯を塩で握り、その中に梅干しを入れたり、海苔を巻いたりするが、 今朝のおむすびの味付けはシンプルに2種類だけ。 ひとつは塩。 そして、もうひとつの調味料は「まな板」である。 塩むすび(2022年9月19日) まな板の素材は五葉松。 このまな板を器に使うと、塩むすびを食べながら、五葉松のなんとも言えない良い香りを楽しむことができる。娘は、「すごくいい香り。おかずは何もいらないね」と満足してくれた。 この食べ方を知ったのは2日前だ。 友人たちが主催した…

  • 食品売り場をうろうろ

    デパ地下で腹を満たす 千恵は幼い娘とよく、デパ地下の食品売り場をうろうろしていた。 2人のお気に入りは、天神大丸。 買い物に行ったはずだったが、いつも手ぶらで帰ってきた。 娘のお腹はパンパンだった。 いつも、どこでも、食べていた(2007年8月14日) 娘のお腹はパンパン(2007年7月6日) 以下、妻の過去ブログ。 千恵と娘、2人で行った「沖縄旅行記」。 沖縄の市場でも、試食をしていたのだろうか。 飼おうかどうしようか・・・(2007年9月13日) 寝る前にちょっとチェックしてみようとパソコンに向かい、 アクセス数を見て、びっくりしているところです。 今まで一日に350~500強アクセスくら…

  • 「わかりあう」ということ

    「生きた証を残したかった」 妻をがんで亡くされた元読売テレビアナウンサーの清水健さん。 彼と初めて出会ったのは、2017年秋。 文藝春秋が企画した対談だった。 清水さんの妻奈緒さんは2015年、29歳で他界。 そのとき、長男は生後112日だった。 清水さんの綴った「112日間のママ」(2016年、小学館)は大きな反響を集めた。 本を書いた理由は、僕も清水さんも「妻の生きた証を子に残したかった」からだ。 僕たちは、文藝春秋本社の会議室で、初めて顔を合わせたのだが、互いに「初対面とは思えない」と口にするほど、対談は滑らかに進んだ。 あらためて、文藝春秋の2017年12月号の特集「命がけでわが子を産…

  • 明けない夜はない

    心と体をととのえる 映画「弁当の日」を完成させた直後、「はなちゃんのみそ汁 青春篇」を一気に書き上げた。 プロモーション活動は、新型コロナに大きな影響を受けた。 自主上映会はキャンセルが相次ぎ、仕事も減り、収入は激減した。 いっそのこと遊んじゃえ。 そう切り替えて、海や山に出かけた。 何も考えず、部屋の中で、ぼーっと過ごす日も多かった。 こんなに自由に暮らしたのは、人生で初めてだった。 コロナ流行「第7波」の新規感染者数が減り始めた。 そろそろ、ちゃんと仕事をしなきゃなあ。 そう思っていた矢先。 昨日、1本の新聞記事がLINEで送られてきた。 友人であるノンフィクションライターの女性からだった…

  • 仲間たちに支えられた14年

    手作りうちわ こんなものを作って、わざわざ届けてくれた家族がいる。 「SHINGO59」。誕生プレゼントのうちわ(2022年9月11日) 富武さん家族。 こういう遊び心は好きだ。 富武ファミリー。左から祥子さん、なっぺ、健一さん(2022年9月11日) 富武健一さんの妻祥子さんは、千恵の大学(音楽を専攻)の後輩。 この家族と知り合ったのは、偶然だった(きっかけは忘れた。すまん)。 7年前、千恵の誕生日には、こんな贈り物を。 いつも、気にかけてくれてありがとう。 youtu.be カホンを叩いているのは、長男のそうご。 悪ガキだったが、魅力的な高校生になった。 見覚えのあるうちわは、2014年誕…

  • 娘のウェイクボード奮闘記

    初めて歩いた日 ウェイクボード合宿2日目。 娘も大学の友人2人を連れて、芦屋ヨットハーバーに合流した。 波は穏やか。気温も30度を超え、絶好のコンディションだ。 僕が滑った後、娘が海に入った。 プレジャーボートが動き出した。 ロープが、ぴんっと張った瞬間に顔から水面に落ちた。 転んで、転んで。 体が水面に浮かんでこない。 「はなのあんな顔見たことない」 娘の友人が心配そうに見つめる。 海水を飲み、咳込む。 娘の表情から笑顔が消えた。 「第2ラウンドもあるよ。ちょっと休もうか」と声をかけてみた。 だが、あきらめない姿勢は母親譲り。 娘は首を横に振った。 「はなちゃん、ノリノリでいこうや〜」 プレ…

  • 59歳の晩夏、やればできる

    戻ってきた体力 先週、台風で延期になったウェイクボード合宿。 このまま夏を終わるわけにはいかない。 天候の回復を待ち、昨日、海に向かった。 初日(9/12)の芦屋ヨットハーバーは、絶好のマリンスポーツ日和。 夏が戻ってきたような暑さだった。 4年前、55歳で始めたウェイクボード。 その年の夏、若者たちに混じって練習をしていると、真っ黒に日焼けした20代の男性から年齢を尋ねられた。答えると「その年齢で始めようとする気持ちがすごいですね」と驚いていた。 確かに、運動能力は年相応に落ちてはいたが、毎日、4キロ走り、腕立て、腹筋を続けているうちに体幹は強くなっていった。少なくとも、記者時代の自分より、…

  • はなちゃんのアジフライ定食

    おいしい顔ってどんな顔? 昔、そんなCMソングがあった。 1980年代、雪印のネオソフト。 大きななパンにかぶりつく子どもの笑顔がかわいかった。 さて、 今回は、おじさんの「おいしい顔」。 見苦しいので、遠慮なくスルーしてください。 はなパパの「おいしい顔」(2022年9月11日) でも、うまかった。 パパの誕生日に、娘が作ってくれたアジフライ。 マジでアジのアジがよかった(ややこしい)。 衣はさっくり、身はふわふわ。 タルタルソースの玉ねぎがいい仕事をしている。 はなのアジフライ(2022年9月11日) 連続写真でどうぞ。 いただきま〜す(2022年9月11日) いくよ〜(2022年9月11…

  • やさしいは、かっこいい。

    ふぞろいのロウソクたち 今朝、起きたら、紙に包まれたロウソクが居間のテーブルに置いてあった。 昨夜、音楽仲間たちがお祝いしてくれたバースデーケーキのロウソクを僕が持ち帰ったのだ。 よく見ると、色は同じだが、形が微妙に違う。 店のオーナーとの雑談の中で、僕が午前零時に59歳になることを伝えたため、急いで用意してくれたのだろう。 「ふぞろいのロウソク」に込められたオーナーの気持ちに、うるっときた。 5と9のロウソク(2022年9月11日) 誕生日の祝いの場となった店は、ヒートウェイヴの元メンバーでベーシストの渡辺圭一さんが経営する親不幸通りの「public bar Bassic.」。 昨日は、ここ…

  • 妻、「六本松さくら」を名乗る

    生前の言葉が本の帯に 千恵はブログで「六本松さくら」のハンドルネームを名乗った。 「六本松」は、自宅近くの地下鉄駅名。 隣の駅が「桜坂」だから、名は「さくら」。 いい加減である。 その「六本松さくら」が、本の帯を書いたことがある。 「いのちをいただく」初版の帯(2022年9月10日撮影) 食肉センターで解体される牛の「みいちゃん」と女の子の関わりを描いた「いのちをいただく」(西日本新聞社)。 右が初版。左が最新版。本の題字は6歳の娘が書いた(2022年9月10日撮影) 千恵が他界した後、僕が編集に携わった本である。 「朗読を聴いて、うちのムスメが食事を残さなくなりました」 原文を読んでいた千恵…

  • 君の幸せが、パパの幸せ

    「ナカムラのひと」 「みそ汁が歩きよる」 中学時代、こんな言葉を浴びせられ、部活ではいつも1人で弁当を食べていた。 机の中には「死ね」と書かれたメモ紙が入っていた。 娘は、そのことを隠していたが、12歳の心身は耐えきれなくなっていた。 ある朝、登校中に校門の前で過呼吸を起こし、倒れてしまった。 保健室に駆けつけた僕に「ごめんなさい。パパに心配をかけたくなかった」と告白した。 昨夜、新聞社の元同僚と久しぶりに飲んだ。 時間を忘れてしまうほどの心地よい時間だった。 夜遅く帰宅したら、娘が通う中村学園大から郵便物が届いていた。 封筒の中にあったのは、広報誌「CELERY(NO.124)」。 14ペー…

  • いのちの島

    沖縄で音合わせ 沖縄から戻ってきた妻と娘。 旅の目的は、「いのちのうた」でユニットを組むhanautaとの音合わせだった。 この時、西日本新聞社のカメラマン(伊東昌一郎記者)も沖縄に同行。 妻の闘病は、その後、新聞連載になった。 沖縄の海を眺める千恵とはな(2007年9月8日) 沖縄ではハイビスカスをアカバナーと呼ぶ(2007年9月8日) 千恵の膝で眠る娘(2007年9月8日) 恩納村のビーチ(2007年9月8日) こやまよしこさん(左)の自宅で音合わせ(2007年9月8日) 以下、沖縄滞在中の暮らしを綴った千恵のブログ。 どこに行っても、誰と一緒でも、暮らしの真ん中には娘がいた。 千恵は、あ…

  • 夏の終わりの「お寺キャンプ」

    最後はサプライズ 台風11号の影響で、1泊2日のウェイクボード合宿が中止になった。 娘が誘った友人は、アルバイトを休んで空けた2日間。 「夏の終わりを別の形で楽しみたいね」 あきらめきれない僕たちは、宿泊する予定だった常福寺(北九州市若松区)に向かった。 台風が九州北部を通り過ぎて、青空が見え始めた午後3時に到着。 この寺の住職、堀田さんは代替イベントを用意してくれていた。 参加者が1人1品料理を作る「お寺キャンプ」。 近くのスーパーに買い物に行き、各自献立を考え、食材を購入した。 会場は、常福寺の本堂。 本堂の照明を落とし、テーブルに置いたランタンの火を灯す。 事前に申し合わせをしたわけでは…

  • 勉強は二の次でいい

    「誕生日は何が食べたい?」 もうすぐ誕生日(9/11)。 「誰の?」って。 パパでござるよ。 先日、娘が、こんなことを尋ねてきた。 「誕生日は何が食べたい?」 「何がほしいか」ではなく「何が食べたいか」である。 娘は、僕が一番喜ぶプレゼントが、手料理だということを知っているからだ。 勉強は二の次でいい。 健康で生きる力が身についていれば、将来どこに行っても、何をしても生きていける。 それが、僕たち夫婦の子育ての原点。 「勉強しろ」と言ったことがなかったので、本人は心配になったのかもしれない。 今では勝手に勉強するようになった。 人生に必要と思えばやる。それでいいと思う。 娘は、台所に立ち始めて…

  • ARBと「英ちゃんうどん」

    「悲しき3号線」 高校時代、車で事故を起こし、剣道部をクビになった。 目指していた「玉竜旗全国高校剣道大会」には出場できなくなった。 小4から続けていた剣道が、青春のすべてだった。 生きる目的がなくなるほどの喪失感だった。 真夜中に、仲間たちとバイクで国道3号線を走りながら、ARBの「悲しき3号線」を大声で歌った。集合場所は、3号線沿いにある「英ちゃんうどん本店」(宗像市徳重845)。うどんが見えなくなるくらい煮昆布とネギと天かす(いずれも無料)をぶっかけて食べた。 大学入学当初は、遊んでばかりだった。 だが、そこで、同郷の先輩に出会い、僕は再び竹刀を握ることになった。 その先輩からは「お前の…

  • 寿司屋で働く娘に会いに行く

    六本松の「すし宗」 昨夜は、娘のアルバイト先で食事をした。 福岡市中央区六本松の「すし宗」。 大将の宗さんとは、妻が亡くなった後、ずっと付き合いが続く。 和食の店で接客を勉強したい、という娘を採用してくれた。 たまに娘が学生感覚で甘っちょろいことを言う。 そんなときは「はなちゃんには立派な大人になってほしいから」と、ガツンと叱ってくれる。 人として、信頼できる職人さんだ。 日本酒の銘柄を説明(2022年9月3日) 客の右側から酒を注ぐ(2022年9月3日) 以前、訪れたときよりも慣れてきた(2022年9月3日) 常連のお客さまにもかわいがってもらっている様子を見て、少し安心した。 小ぶりのイカ…

  • 前髪ぱっつんな娘

    親ばかでごめんなさい 娘の髪型を振り返ってみた。 前髪ぱっつんが好きだった。 ママに前髪を切ってもらって、ぱっつんに(2005年9月ごろ) 長い髪にあこがれた小学1年生(2009年11月23日) 小学4年で、三つ編みに(2012年10月14日) 福岡市城南区のヘアーメイク「nicotto(ニコット)」で初めてのコーンロウ。アフリカンダンスに夢中だった小6の頃(2014年4月25日) ポニーテールで登壇した映画製作発表記者会見(2014年12月4日) 西部ガスの取材ではショートカット。中学1年(2016年2月20日) 高校2年。17歳の誕生日(2020年2月20日) 大学2年の現在(2022年4…

  • 真顔の「まつがい」は笑いを誘う

    いつか、リベンジを 「いのちのうた」でコヤナギシンジさんの「パパのうた」を歌った。 高校の同級生、栗原靖史にギターの伴奏を頼んだ。 心を込めて歌ったが、緊張のあまり、出だしで歌詞を間違った。 「いのちのうた」で「パパのうた」を歌う(2021年11月20日、撮影:chiyori) 靖史も急な依頼に応じてくれた。 練習は一夜漬け。 途中、音をはずした。 ギターで伴奏する靖史(2021年11月20日、撮影:chiyori) 歌いまつがい。 弾きまつがい。 大人の「まつがい」は真顔であればあるほど笑いを誘う。 いつか、2人でリベンジを。 リンク 千恵の愛読書だった糸井重里さんの著書「言いまつがい」。落…

  • はなちゃんのクリスマス

    イブに友人のサプライズ 父一人子一人になった。 クリスマスイブは娘と2人。 僕は寂しさを紛らわそうと、大きなツリーを買い、イルミネーションで部屋中をキラキラに装飾した。 娘はチキンとケーキをお腹いっぱい食べて、 サンタさんからのプレゼントを楽しみに眠りについた。 時計が午前11時を回った頃だった。 酒を飲んでいると、インターホンのチャイムが鳴った。 玄関には、8月の花火大会の日にウクライナ人を連れてきた「あの男」が立っていた。 hanamisosoup.com 男は、サンタクロースの格好をしていた。 仕事を終え、娘にプレゼントを届けに来てくれたのだ。 生まれ故郷の同級生、松尾陽一。 あんたって…

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