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はなちゃんのみそ汁 番外篇 https://hanamisosoup.com

妻は乳がんで他界。 残り少ない余命を覚悟して、幼い娘にみそ汁の作り方を教えました。あれから14年。 妻は家族に何を遺そうとしたのか。 その思いを娘に知ってほしくてブログを開設しました。 亡き妻と僕の“心の往復書簡”。

はなちゃんのパパです。音楽とお酒が好きです。毎年、妻の追悼コンサート「いのちのうた」を主催しています。最近、ウクレレを始めました。

hanamiso
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福岡市
出身
宮若市
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2022/06/25

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  • 死んどるばってん、生きとるごたる

    「ナマケモノ」かもしれないが「怠け者」ではない 妻は自分のことを動物の「ナマケモノ」に例えていた。 下関市立安岡中学校で講演(2018年12月6日) でも、この世に体がなくなった今も、まだ、働いている。 死んどるばってん、生きとるごたる。 上大岡トメさん(2007年12月13日) 一昨日、何気なくメールチェックしていたら、上大岡トメさんから、メールが来ていた。お元気ですか?のご挨拶とともに、ご自身の近況、そしてそして、ナンと。ブログを読んでくださっているとのコメント。 トメさん! 覚えていてくださって、メールまでくださって、 本当に、ありがとうございます。 トメさんは、言わずと知れた、 ミリオ…

  • 4歳の娘がリクエストしたロックンロール

    「いのちのうた」まであと4日 4日後に迫った千恵の追悼コンサート「いのちのうた」。 先日は、トランペットの比良松先生とテナーサックスの大谷さんと今年初めての音合わせ。 「あれだけ時間があったのに、なぜ、もっと早く練習せんかったのやろうか」 確か、昨年も同じことを言っていたような・・・。 年に一度の法事のような音楽イベント。 昨夜も懐かしい人から前売りチケットの予約が入った。 ありがとう。本当にありがとう。 「久しぶり〜」「元気しとった〜」 の声が会場に飛び交うことを想像しただけで楽しい。 いよいよ、4日後。 15年前、4歳の娘が三宅伸治さんのライブでリクエストした曲もやります。 皆様への感謝の…

  • 「もし、ママが私を産まなかったら・・・」

    妻がこの世にいた証し 2015年8月31日の夜。 中学1年のはなが千恵の遺影を見ながら、つぶやいた。 「ママはどうして、私を産んだのかなあ。もし、私を産まなかったら、今も生きていたかもしれないよね」 千恵が娘をどれだけ愛し、生まれて来てくれたことに感謝していたか。 僕はそのことをはなに伝えなければならないと思った。 生後半年のはなと千恵(2003年8月ごろ) 生まれてくることができない人もいる(2007年12月8日) 久しぶりに行ったマクロビオティックの料理教室で、顔見知りの女の子に声をかけた。気軽に。 なぜなら、2カ月前、彼女のお腹は大きく幸せなくらいにふくらんでいて。 笑顔も素敵で。 「1…

  • サンタさんへの手紙

    19歳のクリスマス クリスマスが近づいてきた。 わが家では、1カ月前までにサンタさんへの手紙を書かないとプレゼントは届かない。 娘は19歳。サンタさんが家に来るのは、今年で最後。 今朝、起きてきた娘に「手紙は書かなくていいの?」と聞いてみた。 「うん。いいよ」 今年は、書かないつもりらしい。 サンタさんが「寂しい」って、言っているような気がする。 10年前は、手紙に手作りクッキーも添えていた(2012年12月24日) お約束の飾り付け(2012年12月24日) 娘が好きなイチゴのタルト(2012年12月24日) 11歳。おもちゃから実用品に変わり始めた(2014年12月10日) 12歳。販売先…

  • そろそろ、よかかなあ

    最近、思うこと じいさんになっても、恋はしたい。 したっていいよね。 人間だもの。 そんなふうに思うようになったのは、大学生になった娘のひと言がきっかけだった。 「パパも、彼女つくったらどう?」 おーい。 そろそろ、よかかなあ。 はなと千恵 相手は、おらんけど。 キスの味(2007年12月6日) 今朝、洗面所で顔を洗い、着替えようとしていたら、 向かいのトイレのドアがいきなり開き、便器に座っていた旦那と 目が合いました。 ぎょぎょ。 目が合うなり、 「君のがんは治るよ。うん。絶対治る。消滅するばい。うん。」と。 と言い放ち、パタンっと、ドアを閉めた彼。 ・・・。 心強い一言、ありがとう。 でも…

  • うそつき千恵さん

    形見のメガネ 千恵は、極端に右目の視力が悪かった。 時々、彼女のメガネを見ては思い出す。 千恵のメガネ。使う予定はないが、処分もできない(2022年11月25日) やっぱりわたしはツイている?(2007年12月3日) 去年秋から今年の春先までしていた抗がん剤の「タキソテール」の副作用で、まつ毛がことごとく抜けたわたし。悲しくもないのに涙があふれてくるので、コンタクトが合わなくなり、ついに今年の7月に、コンタクトを買い替えました。快適な「見える」生活を送っていたところ。 昨日の朝、装着しようと思って手にとったところ、パリッと3分の2ほど割れてしまいました。 があああ~~~~ん。昨日は、そんなこん…

  • くるくるヘア

    育毛剤の効果 髪がずいぶん細くなってきたので、昨年から育毛剤を試している。 娘から「パパ、後頭部の毛が増えてきたね」と言われた。 増えてきたのではない。 太くなってきたのだ。 もうしばらく使ってみようと思う。 昨年の「父の日」はくるくるだった(2021年6月20日) 本日は、抗がん剤後の毛の話。 くるくる(2007年12月1日) 髪がずいぶん伸びてきました。が・・・私って、こんなにくるくるだったかしら・・・と思うほど、くるくるなんですけど・・・7年前に禿げたときも、生え始めに、 自分の微妙なくるくる具合を確認して愕然としましたが。 抗がん剤で禿げた人が、次に新しい髪が生えてくるときのパターンは…

  • うれしくて飲み過ぎた富山の夜

    実は「グリーフケア」だった 昨夜、3年ぶりに富山の友人に会った。 ハイボールを飲みながら、彼がポツリとつぶやいた。 「今年は『いのちのうた』に行こうかなあ」 北陸新幹線、在来線などを乗り継ぎ、福岡まで約6時間。 それでも、「体験しておかなければならない気がするんです」。 うれしくて、昨夜もまた、飲み過ぎた。 2006年に妻の千恵が始めた音楽イベント。 その2年後、茫然自失だった僕の背中を押してくれたのが、三宅伸治さんだった。 「はなちゃんのため、千恵さんのために続けてください。僕はいつでも協力しますよ」 三宅さんは、イベントの裏方だった僕にギターを持たせ、ステージに引っ張り上げた。 無我夢中で…

  • その気持ちに感謝状

    微妙に短いマフラー 短いマフラーだったけど。 うれしかった。 うまい、へたではない。 その気持ちに感謝状。 千恵が編んでくれたマフラー。ちょっと短かった(2022年11月21日)撮影:安武はな 大切に使います。 恐怖の手仕事 〜その後〜(2007年11月20日) 昨日重い腰を上げて作ったこれ。 本日、無事に、ムスメが保育園へ護送いたしました。 ムスメが先生に渡したところ、 先生「わあ~~~~はなちゃんが作ったの?すごいねえええ」 ムスメ「え。ちがうよ。これね、ぜんぶママがつくったと」先生「・・・あ、そーですか・・・」 せんせい、せんせい、 それはせんせ~~~~いい~~~~~♪ しばらく、立ち直…

  • 千恵が遺した未完成の編み物

    クリスマスカードに感謝の言葉 埃まみれになりながら、泣いたり笑ったりしていた。 2021年4月、長い間、手をつけることができなかった亡き妻、千恵の遺品を整理した。 さながら、“タイムカプセル”を開いているようだった。 寝室のクローゼットからは、僕たち家族の大切な思い出が次々と出てきた。 千恵が身につけていたピアスなどのアクセサリーや娘が成人した時に贈るために買ったベビーリング、紙袋の中からは編みかけのセーターと中途半端に短い手編みのマフラー・・・。 その未完成らしき編み物を手に取ると、変色した封筒が僕の足元にぽとりと落ちた。 渡せずじまいだったのだろうか。 「あわてんぼうのサンタより」と裏書き…

  • 泣きたくても、泣けなかったのかもしれない

    それでも、人生は続く 元読売テレビのアナウンサー、清水健さんの講演会にゲスト出演させてもらった。 僕が千恵を亡くしたのは2008年7月。娘は5歳だった。 清水さんは、読売テレビの「夕方の顔」として、ニュース番組のキャスターを務めていた2015年2月、妻の奈緒さん(当時29歳)を乳がんで亡くした。長男の出産から4カ月後のことだった。2年後に会社を辞め、育児をしながら、自身の経験を語る講演活動を続けている。 奈緒さんも千恵も闘病中、涙を見せなかった。 泣かなかったんじゃない。泣きたくても、泣けなかったのかもしれない。 今も妻の闘病生活を振り返りながら「なぜ、あのとき・・・」と、くよくよ悩む。 それ…

  • 手帳に記された家族の記念日

    千恵はまだ生きるつもりだった 2021年4月13日。十三回忌を終えた翌年の春だった。 足の踏み場もないほど散らかったクローゼットの中を片付けていると、山積みになった服の下からエコバックが出てきた。 エコバックを開けた。 目に飛び込んできたのは、オレンジ色の分厚い手帳。 千恵が愛用していた日めくり式の2008年版「ほぼ日手帳だった」。 千恵が最後に使用した「ほぼ日手帳2008年版」 6月中旬ごろまで、見覚えのある小さな文字がぎっしりと書き込まれていた。 千恵の命日は2008年7月11日。 亡くなった後のページにも、クリスマス、友人との約束などが記されていた。 やっぱり、千恵はまだ生きるつもりだっ…

  • 喜びも悲しみも分かち合える

    12月9日はブログ記念日 千恵は毎日ブログを書き続けた。 ブログを通じて、全国に仲間ができた。 喜びは仲間と分かち合うことで倍になり、悲しみは仲間と分かち合うことで半分になった。 来月9日は、千恵がブログを開設して16周年。 あのとき、 「続けてよかった」と君が言ったから、12月9日はブログ記念日。 来月あたり、いっときますか?(2007年11月13日) アクセス数の推移を見ているのは、 小判を数えながら、にやけている悪代官みたいで楽しい(他に例えがなかったのか?)。 いつも応援してくださって、支えてくださって、 見てくださって、コメントやメッセージやメールくださって、 本当にありがとうござい…

  • 記憶にございません!

    聞き覚えのあるセリフ シス・カンパニー公演「ショウ・マスト・ゴー・オン」(作・演出:三谷幸喜)を観劇した。 同作品は、28年前、三谷さん率いる劇団「東京サンシャインボーイズ」の演目でもあった。 そのときの感動を娘と共有したくて、今回、親子で見に行った。 令和の時代に合わせて、コロナの話題があったり、かなりリニューアルされていたが、開幕して3分で笑いが沸点に達し、ラストまでずっと煮えたぎっている構造は変わってない。 娘も楽しんでくれた。 三谷作品は、演劇も映画もほとんど見ている。 3年前に上映された映画「記憶にございません!」も面白かった。 映画「記憶にございません!」のポスター 記憶喪失になっ…

  • 待ち望んでいた日がやってくる

    助手席でビールが飲める ついに、この日が訪れた。 妻が他界し14年。 僕は待ち続けた。 今朝、「頑張ってくるね」と言って、娘は出かけた。 自動車運転免許の試験日なのだ。 もうすぐ、車の助手席でビールが飲める。 実家で飲んでも、運転手がいるから大丈夫。 どれほど、この日を待ち望んだだろうか。 自動車教習所では入所から卒業検定まで順調だった娘。 「運転は私に任せて。得意かも」と頼もしい。 でも、事故だけは起こさないようにね。 娘とビートル(2012年10月20日) 娘とビートル(2021年6月20日) 娘が選んだ色「デニムブルー」(2021年4月27日) 以下、妻の過去ブログ。やっちゃった事件。 …

  • みそ汁との組み合わせが最強の食材

    冬は根菜をたっぷり 7月末に仕込んだみそが出来上がった。 甕のふたを開けると、みその香りが部屋中に漂う。 冬は根菜類をたっぷり。 レンコン、ゴボウは、体を温める効果の高い食材。 みそ汁との組み合わせは最強だ。 これに少しの豚肉を加えれば、旨みと栄養もアップする。 ご飯は、ふるさと宮若の新米。 炊き立てのご飯と具だくさんのみそ汁があれば、じゅうぶん。 冬が旬の根菜類は体温を上げてくれる(2022年11月15日) 午前7時半。 食卓から「うまいぞー」と叫んでみた。 だが、娘は起きてこない。 正しい?食べ方(2007年11月12日) しるが、おいしい。 ちら見。 ちゃわん見。 夢中で。 飲んで飲んで…

  • 娘のソウルメイト

    徹夜で作った銀の指輪 僕が杉森映徳を取材したのは、宗像支局に勤務していた頃だ。 1998年だっただろうか。 彼は、福岡教育大の大学院生だった。 食肉センターで手に入れた牛の首を鍋で煮る路上パフォーマンス。 その肉を食った後に残った骨で作る立体作品。 彼の風貌や話し方、思考と発想。 1950年代から1960年代に活動した前衛美術グループ「九州派」の匂いがした。 彼の魅力と才能に惹きつけられ、僕は何度も飲みに誘った。 千恵と映徳が顔見知りだと知ったのは、それからずっと後のことだった。 (左から)映徳とアニータ、はなとパパ。ライブペインティングの会場で(2021年3月14日) 15年ぶりに再会した2…

  • 素敵な出会い

    お祝い事は「テシマ」で 千恵の体が抗がん剤に耐えきれなくなり、食事療法を始めてすぐの頃だった。 食事指導の先生から鴨肉を勧められ、半年ほど前に知り合った手嶋法子さんに相談した。 法子さんは、夫の義之さんとイタリア料理店「テシマ」(福岡市南区大橋)を経営。 営業時間外に訪れた僕と妻に、バルサミコソースをかけた鴨のローストを食べさせてくれた。 あれほどうまい鴨料理は食べたことがなかった。 professions-of.jp はなと法子さん(2020年12月9日) 千恵と法子さんは、気が合った。 何でも話せる間柄だった。 葬儀の後、法子さんは火葬場にも訪れ、千恵の骨を拾ってくれた。 手嶋家との付き合…

  • 千恵が愛したジャズシンガー

    最後のプレゼント 千恵の病状が悪化し、会話することもできなくなった頃、 綾戸智恵さんのコンサートが福岡市であった。 コンサートは、勤務先の西日本新聞社が共催だった。 担当していたのは、事業局に所属していた僕の後輩。 僕は無理を承知で、彼に千恵宛てのサインを頼んだ。 2008年7月5日の夜、彼が自宅にサイン入りのCDを届けてくれた。 「綾戸さんのCDだよ。千恵のためにサインも書いてくれているよ」 千恵は、にっこり笑って、そのCDを抱きしめた。 それが、千恵への最後のプレゼントになった。 会社の後輩が届けてくれた綾戸智恵さんのサイン入りCD(2008年7月5日) ひゅーひゅー 〜綾戸智恵50′ライ…

  • 君は愛されるため生まれた

    千恵の病室で流した曲 最近、聴き続けている曲がある。 ずっと、聴くことができなかった曲。 あのときの悲しみが込み上げてくるので、避けていたのかもしれない。 ようやく、その曲を聴けるようになった。 あれは14年前の7月11日。 千恵が亡くなる数時間前だった。 僕は、千恵が病院に緊急搬送されたことを助産師の内田美智子先生に電話で伝えた。 偶然にも、内田先生は、病院近くの高校で講演を終えた直後だった。 病室に駆けつけた先生は、僕に1枚のCDを手渡した。 そのアルバムの中には、教会で歌い継がれている曲があった。 君は愛されるため生まれ(詞/曲:イ・ミンソプ) 君は愛されるため生まれた 君の生涯は愛で満…

  • 波がじわじわ

    大分で映画「弁当の日」上映決定 世の中が少しずつ動き始めている。 この2年間、部屋に閉じこもりがちだったけど、 外に出かける機会が多くなった。 月曜、火曜、木曜の週3日は弁当を作る(2022年11月10日) 仲間たちと作った映画「弁当の日」の自主上映会の問い合わせも増えている。 沖縄に続き、大分でも上映会(入場無料)の開催が決まった。 お申し込みはこちらから。 www.zenrosai.coop チラシ表 スペシャルゲストは当日のお楽しみ。 チラシ裏 波がじわじわ来てます。 大きな波でなくていい。 息長く、しつこく、ささやかに。 楽しみながらロングラン。 沖縄のお申し込みはこちら。 hanam…

  • 沖縄で映画上映と親子トーク

    思い出いっぱいの島 沖縄には毎年、親子で出かけています。 亡き妻も大好きだった日本最南端の県。 その沖縄で、僕が仲間たちと一緒に製作したドキュメンタリー映画「弁当の日 『めんどくさい』は幸せへの近道」の上映会が開かれます。 12月17日(土)午後2時半、会場は沖縄県糸満市の「 くるる糸満ホール」。 主催は、映画の協賛もいただいている「シャボン玉石けん」です。 入場無料。 上映後は、はなとパパの親子トークも。 大丈夫か(笑) お申し込みはこちら。 www.shabon.com 僕と娘は、16日入りの2泊3日。 久しぶりの沖縄旅行、失礼、沖縄での仕事です。 ご一緒にどうですか。 www.his-j…

  • 「木」ではなく「松」です

    宛名に込められた友人の思い 2007年の「いのちのうた」の会場にはたくさんの花が届いた。 その中のひとつに「六本松さくら」宛ての花があった。 贈り主は、友人の瀬野文宏さん。 千恵の実名をご存知なのに、敢えてブログのハンドルネームで。 ユーモアが楽しい。元気も出る。 「いつも、あなたのブログを読んでますよ」 そんなメッセージのようにも受け取れる。 撮影:横田敦子 六本松さくら宛てに贈られたバラのアレンジメント(右)(2007年10月20日) 「いのちのうた」の楽屋に届いた花(2007年10月20日) ヒルズ族 〜木じゃなくて、松ですが・・・〜(2007年11月5日) ごくごく一部の身内から、クレ…

  • いらんことを言う癖

    ダイアモンド婚 娘と芝居を見に行った。 30年前に見た芝居と同じ演目。 開演前、「あそこに置いてある小道具が最後の場面で・・・」 と舞台を指差し言いかけた僕に、娘は「それ以上、言わんで!!」。 そりゃ、そうだな。ネタばらしはいかん。 僕の性格は、母親似なのだろうか。 母もサービス精神のつもりで、つい、いらんことを言う癖がある。 そして、無口な父が、母をたしなめる。 若いころは、よく夫婦喧嘩もしていた。 でも、やっぱり、仲が良い。 今年、両親は結婚60周年のダイアモンド婚式。 半世紀以上も一緒にいるって、すごいことだと思う。 父さん、母さん、おめでとう。 盛大にお祝いしなきゃね。 今年、僕は初め…

  • 心優しい大学生の姪、縁ある保育園に

    ふうかからのLINE 姪っ子のふうかからLINEでメッセージが届いた。 ふうかは僕の弟の長女。 メッセージには「会いたいなあ〜」と書いてあった。 はなの都合を聞いて、月末に会うことにした。 2008年夏。 妻の初七日法要を終えた頃、ふうかと妹のゆめかが、わが家に泊まりに来た。 弟夫婦が、はなのことを心配して娘2人を連れてきてくれたのだ。 ゆめかは4歳だったので、1泊だけして、両親と帰った。 7歳のふうかは1人居残り、それから数日間、はなの遊び相手になってくれた。 妻が亡くなって、まだ1週間。 はなに笑顔でいてほしい、と思ったのかもしれない。 保育士を目指していたふうかは今、大学4年生。 このほ…

  • 「こげなもん、食えるか」

    無農薬に込めた思い 今年も新米がおいしい季節になった。 わが家の朝は、無農薬栽培の玄米を炊く。 口に含むと、もぞもぞするような感触があった。 米に交じったもみ殻だった。 それを見て、無農薬栽培にこだわり続けたある農家を思い出した。 15年前、千恵は、あることがきっかけで、その農家を応援するようになった。 こげなもん、食えるか(2007年10月30日) 私のセリフじゃないですよ。クレームの話です。イムズに臨時開設している農産物直売店で聞きました。 さまざまな生産者の方が農産物や加工品を出品されています。 その中に、農薬や化学肥料を使わず野菜、米を栽培されている進利行さん(福岡県みやこ町)のコーナ…

  • 妻のブログに胸騒ぎ

    治療経過は順調だったが・・・ 娘との日常を切り取った妻のブログ。 かわいいなあ、幸せだなあ、と読み進めていたところ、 最後に、気になることが書かれてあった。 日ごろは、彼女が決して口に出さないような内容。 多分、僕しか気づかないこと。 千恵は抗がん剤の服用を続けており、治療の経過は順調だった。 悪い状況が訪れる予兆でなければいいのだが・・・。 胸騒ぎがした。 ママへの手紙を読む娘。千恵はもう1人産むつもりだった マイブーム By ムスメ(2007年10月28日) かのじょは、 くる日も、 くる日も、 そのあくる日も、 こうして眠りにつきました。 夜中にロディの不気味な笑顔を見るのは、ママは、け…

  • 亡き母の闘病記を読み、戸惑う娘

    妻がブログにつづった一節 ある休日の午後。 僕が車を運転しているときだった。 後部座席に置いていた僕たちの本『はなちゃんのみそ汁』を手にする娘の姿が運転席のミラーに映った。出版からすでに1年半が経っていた。ようやく、はなが本を読む気になってくれた。喜びと不安が、半々だった。 「おもしろい。ママって、笑えるね」 その声に少し安心した。 30分ほどすると、静かになった。 車を止め、後部座席を振り返ると、はなは本を閉じ、目をつぶっていた。 読むことを中断したのは、生き続けることを切望した千恵の気持ちを初めて知ったからだった。そこには、千恵が亡くなる5カ月前、ブログにつづった一節が記されていた。 yo…

  • 能楽殿でロックンロール

    千恵、ロックに目覚める 三宅伸治さんが演奏を始めると、若者も年寄りも、ネコも犬もノリノリになる。 誰もが拳を突き上げ、ジャンプする。 2007年10月20日。 クラシック音楽を学んできた千恵が、ロックに目覚めた記念日。 痛快だった。 音合わせをする千恵と三宅さん(2007年10月20日) 三宅さんに能楽殿の規則を説明。舞台では足袋を履かなければならない(2007年10月20日) 能楽殿でオールスタンディング(2009年10月31日) (function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a; b[a]=b[a] function(){argume…

  • はなは、千恵。千恵は、はな。

    子育ては、親育ち 道に迷ったときは、はなの心の声に耳を澄まし、その声に従うようにしてきた。 そのときどきの選択は、今思えば、間違ってなかったように思う。 たぶん、はなの声は、千恵の声だから。 いろいろあったけど、今があるのは、はなのおかげだ。 はなは、千恵。千恵は、はな。 みそ汁を作った娘。喜び合う(2011年10月8日)撮影:垂見健吾 朝の食卓(2011年10月8日)撮影:垂見健吾 子育ては、親育ち。 少しぐらい、僕は親らしくなれたのだろうか。 2022年10月31日付、朝日新聞 記事を読みながら、2人で過ごした14年間を思う。 親子で撮ったプリクラ(2009年12月13日)撮影:パパ 天か…

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