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  • 歴史はおもしろい!①〜知人が増えていく?

    小学6年生の頃、母がマンガ「天上の虹」(持統天皇物語)を買ってきました。この頃ちょうど学校で百人一首の勉強をしており(持統天皇ってあの「春過ぎて夏来にけらし白妙の〜♪」の人やん)と思い、読み始めました。大化の改新の頃の話から始まります。 小学6年生の私にとっては、「天上の虹」は大化の改新以上に衝撃的な内容でした。(今は大化の改新が日本の歴史を大きく変えた、ということは理解しています。) 義理の親、兄弟でも謀反の疑いがあれば容赦なく殺す、兄妹が不倫関係になる、叔父の所に姉妹揃って婚姻関係を結ぶ、、、等当時の私は卒倒しそうになりました(笑)。 内容は本当におもしろく、涙するところもあり、夢中になっ…

  • ブログを始めて気づいたこと

    ブログを始めようと思ったきっかけ。 独身一人暮らし、終活のことを考え始め、部屋の片付けをしようと思い、YouTubeで「ミニマリスト」という生き方に出会い、ミニマリストを目指し始めました。部屋がかなり片付いてきた頃、婦人科系の病気で入院、手術。これらが、私の価値観を大きく変えた、というか 「本当に大事な物は何か」ということに気づくことができました。 私にとって本当に大事な物は、健康、大切な人たちとの時間、そして自分の心だと気づきました。(手段としてのお金も大事だと思います(笑)) このまま今の仕事を続けると、心も体も壊してしまうと思い、退職することを決めました。 家族や友人に自分の思いを伝えよ…

  • 最近の日課〜地味だけど、私にとっては楽しいです

    退職前の有休消化中。職場から離れてホッとしている、反面時々私に訪れる 「社会に貢献していないな、、、」という不安な気持ち。 「今の弱っている私にできることは、心も体も休ませること!」と自分に言い聞かせる毎日。 生活リズムは崩さないようにと、起床時間は6時。コップ1杯のお水と、野菜ジュース1杯飲む。(オリーブオイル小さじ1杯入れたら栄養の吸収がいいらしいです) ・お散歩(約30〜40分くらい)周りに誰もいなければすずめちゃんとハトさんにご挨拶。 ワンちゃんとお散歩している方にも挨拶してみようかと思いながら、勇気がなくできない、、、。散歩をしていると、自転車では気づかなかった発見がいっぱい。 毎日…

  • まさか母が、アルコール依存症予備軍?②

    私や姉も父に暴言を吐かれましたが今は一緒に暮らしていないので、昔の嫌なことは大分薄くなっていると思います。 母の方が父に相当暴言を吐かれていますしずっと一緒に暮らしているため、当時のことを忘れることができないのでしょうね。 父はお酒をやめて昔のように暴言は吐かなくなりましたが、母は父と普通に話をすることができないのです。父を見るとイライラしてしまうようです。 母は花を育てたり、ご近所の方とおしゃべりしたりストレス発散はしているようですが、それでも家に帰れば父の顔を見なくてはいけなく、それがストレスのようです。 母は現在80歳。肝臓の数値も悪くなってきています。さらに気になるのが、物忘れが多くな…

  • まさか母が、アルコール依存症予備軍?①

    母は、父や私とはちがい、明るく社交的で友人も多いです。ヨガや絵を習いに行ったり、最近は花を育てることにハマり、多趣味です。 そんな母でしたので、私は深く考えていませんでした。 父がアルコール依存症だったため、常に両親は喧嘩をしていました。母が一人泣きながら台所でウイスキーの水割りを飲んでいることもありました。 母は父のようにお酒を飲んで豹変することはなく、家事をきっちりこなしながら、パートで働いていました。 母も歳をとってきて、さすがにウイスキーは飲まなくなりましたが、缶チューハイを飲むようになっていました。 私は、父がお酒をやめたら母もやめるだろうと思っていたことと、飲んだとしても缶チューハ…

  • アルコール依存症だった父③

    父は毎日きっちりアルコール専門病院に通い、お酒を全く飲まなくなりました。 吃音のため人前で話すことが苦手だった父が、病院でのミーティングにも参加するようになりました。(ミーティングというのは、「断酒」は一人では行うことが難しいため、参加している方達が自分達の思いを話し、お互い否定せずひたすら話を聞き、みんなでお酒をやめようとというものだと思います)父にとっては、ミーティングや断酒会に参加することが、「自分の仕事、使命」のように思っていたのかもしれません。 心配だった離脱症状については、本人はイライラすることもあったようですが、家族に当たり散らすということはありませんでした。 それから約10年が…

  • アルコール依存症だった父②

    診察までの間、父に問診したり、血液検査などありました。 そしていよいよ先生との面談。診察室に父だけ呼ばれました。本人だけ入ってくださいと。 私たちは不安な状態で待合室で待っていました。 数分後、父が診察室から出て来ました。父は私たちの方を見て、 「俺、酒やめるわ!」と、笑いながら言いました。 私たちはキョトンとしてたと思います。私たち家族が何十年もお酒をやめてほしいと訴えて来たのに、先生との面談数分で父から「酒やめる!」と言ったのです。 先生との詳しい話の内容は分かりませんが、先生から「このままお酒飲んでたら死にますよ」と言われたようです。 すごく優しそうな先生だったのですが、やはり先生の力は…

  • アルコール依存症だった父①

    私の父は幼少の頃から吃音(どもり)だったそうです。そのため、話そうとすると真似されたり笑われたりするため、父は若い頃からお酒を飲んでいました。父曰く、「お酒を飲むとスムーズに話せる」とのことでした。 私が物心ついた頃には、すでに父はアルコール依存症(当時はアル中と言っていました)だったと思います。 父はお酒を飲まないと大人しいのですが、お酒を飲むと豹変しました。暴力を振るうことはありませんでしたが(母の頭を殴ったことはあったようです)、母に対して耳を覆いたくなるような暴言を浴びせ、それを止めようとする姉や私に対しても暴言を浴びせて来ました。両親は喧嘩するか無視するかのどちらかで、父と母が普通に…

  • 依存しながら、生きていきます

    私は中学、高校生の多感な頃、流行りの「歌」をほとんど聴いていませんでした。 人とのコミュニケーションを取ることが難しかったためか、「人の歌声」がしんどく感じていました。 そんな私でも社会に出て働くようになって、「飲み会」「カラオケ」に参加する必要が出て来ました。精神的にはきつかったですが、なんとかやり過ごして来ました。「カラオケ」に関しては歌うことは勘弁してもらい、専ら聞くことに専念していました。(もちろんコロナ禍になってからは行ってません) そんな中職場の人たちとカラオケに行ってミスチルの「イノセントワールド」を聴いて、「あら、すごいいい曲」、、、。「え?知らないの?」「・・・はい」 有名な…

  • 公園に「お邪魔します」〜かわいいご近所さん

    退職を決意する3ヶ月ほど前から職場でお昼ご飯を食べるのもしんどくなってきて、お天気がいい日は一人で公園でお弁当を食べることもありました。 木漏れ日の中、小鳥のさえずりを聴きながらの公園ランチは、癒しの時間でした。 公園でお弁当を食べていると、いつもハトに取り囲まれます。何もあげないとすぐに諦めて、去っていきます。 ある日、公園のベンチに座ってパンを食べていたら、珍しくすずめが3羽、私に1mくらいまで近づいて来ました。人慣れしているすずめだなと思っていたら、さらにどんどん近づいて来て、ベンチのすぐ横に停めてある私の自転車のサドルに乗って来ました。必死に鳴きながら私に近づき、必死になりすぎて自転車…

  • 「そんなに節約して楽しいの?」「はい、楽しいです!」

    ミニマリストを目指すようになって物を買うことが減り、以前はお給料ぎりぎりでの生活でしたが、かなり余裕が持てる状態になりました。すごく節約して生活費を切り詰めたわけでもないのに、ミニマリト効果はすごいです。 退職することを決め、次の仕事も決まっていないため、本腰入れて節約を向き合わないといけないなと思いました。切り詰めて行うとしんどくなってしまうため、楽しくできる方法を考えました。 「自炊」はもちろん、作れる物は自分で作る、ということを考えました。 私はパンやおやつなど甘いものが大好きですが、毎日少量でも積み重なると、 例)1日 パン、おやつ代 約200円として 1ヶ月 約6000円。 これを手…

  • 私の強みって何?②・・・心の中の核になっているもの

    「北海道に行きたい」という思いは、私に原動力を与えてくれました。 当時、約30年近く前になるのでスマホはもちろんなく、ガイドブックや時刻表で調べたり、電話で問い合わせしたり、我ながらよくやったと思います。アルバイトでお金を貯めたとは言え、まだ19歳だったのでそんなにお金はありません。宿をどうしようかと思い、行き当たったのが「ユースホステル」でした。1泊2食付きで3000円〜5000円くらいだったと思います。「知らない人と相部屋?」というのが引っかかりましたが、贅沢は言ってられません。宿はユースに決めました。 7月に富良野、稚内、礼文島まわりました。見渡す限りの大自然と、広い空(空がすごく近く感…

  • 私の強みって何?・・・1人でも楽しく過ごせること?

    私の持っている資格といえば、「介護福祉士」「介護支援専門員」しかない。 四捨五入すると50歳、、、私は何がしたいというより、何ができる?私の強みは? 考えて考えて出てきた答えが「1人でもそれなりに楽しくやってきた」かなと。 (それ以外思いつかないのが辛いところ) 保育園児の頃から、一人で遊んでいた。鉄棒が好きで、一人で空きもせずひたすら逆上がりをやっていた。保育所で何人かで遊ぶこともあったが、私が苦手だったのが「ままごと」。 お父さん、お母さん、お姉ちゃん、妹など、それぞれ役を与えられるだが、何を話せばいいのかさっぱりわからなかった。(ままごとというのは即興で行う高度な遊びだと思うのは、私だけ…

  • ミニマリストを目指して⑧〜私が目指すミニマリストの形

    仕事を手放したことで、改めて職場の方達、利用者様、その家族様方達の優しさにも気づくことができました。本当に感謝です。 少しずつ現れてきた「私の本当の心」は、「17歳の私」でした。 30年近く経った今でも、大勢の人付き合いが苦手、人混みが苦手、騒音が苦手などなど。 「これが私」とやっと受け入れることができました。 そんな私の「本当の心」を大切にしながら、「本当にやりたいこと」を探して行こうと思います。 最初の「ミニマリストを目指したきっかけ」、 高齢になり家での生活が難しくなる前に、片付けておくということでした。 かなり物は減らしましたが、ミニマリストさんに比べたらまだまだ多いと思います。 今の…

  • ミニマリストを目指して⑦〜仕事を手放して気づいたこと

    ケアマネージャーという仕事は、様々な制度の知識はもちろん必要ですが、何よりも必要なものは、「コミュニケーション力」だと思います。 内向的な性格である私には難しい仕事だとは思っていましたが、訪問介護、介護施設で働いてきて、最終目標はケアマネージャーの仕事をやりたいと思いました。 ケアマネの仕事は、私が想像していた以上に私にとって難しい仕事で、毎日疲弊していました。同じ職場の先輩ケアマネは、私より困難ケースをたくさん担当しています。先輩ケアマネは困難なことが起こると、さらに仕事に燃えて生き生きとしているように見えました。そんな先輩ケアマネを見て、「私も経験を積めばいつか先輩のようにできる」と思って…

  • ミニマリストを目指して⑥〜退院後「健康、お金、時間」のバランスを保つために

    退院後にまず取り組んだのが、「健康管理」です。食事、睡眠、運動、当たり前のことを、私はおろそかにしてたと反省。野菜と果物、タンパク質を中心にバランスととれた食事を摂り、最低でも7時間は寝るようにし、毎朝お散歩(雨の日はYouTubeを見て運動)を行いました。 「お金の管理」については片付け効果もあり、物を買うことが減ったので、支出が格段に減りました。お金の勉強もしようと思い、「お金の大学」という本を買いました。すごく売れている本なので、ご存じの方も多いかと思います。お金のことだけではなく、生き方、考え方、お金の使い方など、ほんとに目からウロコがボロボロ落ちる内容でした。固定費の見直し、削減(格…

  • ミニマリストを目指して⑤〜入院、手術

    婦人科系の病気で、先生から入院、手術が必要と言われました。私にとって、入院、手術は、もっと歳をとってからするもの、と勝手に思い込んでいたので、先生から言われた時は、「え?私が入院?手術?」と信じられない思いでした。 出産経験のない私は入院が初めてで不安でしたが、看護師さん達はとても優しく、大袈裟ではなく本当に天使のように感じました。 主治医、看護師さんはもちろん、麻酔科の先生、薬剤師さんも手術前に丁寧に優しく説明してくださり、「私の手術をしてもらうことで、多くの方々に協力してもらうのだな」と改めて感謝の思いが湧いてきました。 手術は全身麻酔で行われました。手術後麻酔から目が覚めた時は、なんとも…

  • ミニマリストを目指して④〜「本当に嫌なこと」と気づいた後にとった行動

    もともと人と接すると心身共に緊張し、疲れてしまう性格でした。 高校2年生で学校に行けなくなり中退、その後は通信制の高校に行かせてもらいました。 この頃の私は自分のことしか考えられず、自分だけが辛い思いをしていると思っていました。両親にはもっと辛い思いをさせてしまったと気づいたのは、10年以上経ってからです。 通信制の高校を卒業し、社会に出て働かなくてはいけなくなり「このままではいけない」と、人付き合いがうまい人の真似をして、なんとかやり過ごしてきました。 「働く」、という事は喜びを感じることもできましたが、やはり心身共に疲弊していました。 20代、30代があっという間に過ぎ、気づけば40代。 …

  • ミニマリストを目指したきっかけ③〜物を減らした効能

    片付けた後の心の変化はまだまだあり ・今ある物達を大切にし、手入れ、管理をするようになった。 ・物を買うとき、本当に必要な物か、慎重に吟味するようになり、物を買った後の後悔がかなり減った。しっかり吟味して買ったので、買った後その物に対する愛着が大きくなった。 ・物を買うとき、安さや見栄ではなく、本当に自分にとって必要か、という買うことに対する基準が明確になった。 ・買う物が減ったので、買い物にかける時間と労力が減り、結果節約にもなった。 ・「収入が低くなったら、もう少し狭くて安い物件に引っ越しできるな」と、引越しに対するハードルが下がった。 などなど、結果片付けて本当によかったです。 ただ、片…

  • ミニマリストを目指したきっかけ②

    片付けが進んでいくと、捨てる物、残す物の選択がだんだん難しくなってきました。 頂いた物や想い出の物など。本当に大事な物、必要な物以外は、管理も手入れもしておらず、埃をかぶっていました。それらの物は厳選し、これらの物を捨てる時は罪悪感を感じたので、「今までありがとう、ちゃんと管理できなくてごめんね」と心の中で謝りながら捨てました。 捨てる、片付けるという作業は、想像以上に体力、気力共に必要でした。片付けを始めて1ヶ月間で2kg痩せました。 これらの心身の苦痛を経験したことにより改めて、「高齢になってからの片付けは体力的にもきついし、捨てる判断をするのも難しいだろう」と実感しました。 そこから一気…

  • ミニマリストを目指したきっかけ ①

    私はケアマネの仕事をしていました。3年ほど前、身寄りのない一人暮らし、認知症の男性利用者様の担当をしていました。その方の認知症状が進み、ご自宅での生活が困難になってきました。ご本人もご自宅での生活に不安を感じ、施設入所を選ばれました。 施設入所が決まり、施設に持っていく物、処分する物の選別を、その利用者様と一緒に行いました。 自分の物でも「捨てる」という行為は心が痛みますが、利用者様の物を「捨てる」「片付ける」という行為を、利用者様に選んでもらいながら、とはいえ私にとっても心身共に負担がかなりかかりました。その後2週間くらい体調不良が続きました。 私の心の中に、「身寄りのない一人暮らし、それは…

  • 今の心の状態(有給消化2日目)

    仕事を辞めると決断してから(約8ヶ月間)残りの日々は、電話の音、人の話し声に異常に敏感になり、音が鳴るたび、ビクビクしてた。 やならければいけない仕事が溜まっており、1つの仕事を片付けようとしても、別の仕事のことが気になったり、頭の中のあらゆる箇所でサイレン(これもあれもやらないといけない!)が鳴っている感覚でした。 お昼休みは職場で過ごすことがしんどく、お天気のいい日は近くの公園で休んでいました。 今は1日が静かに過ぎていき、頭の中のサイレンも鳴らなくなりました。 私は独身一人暮らしだし、さみしくなったり不安になると思っていたけれど、今のところ心も体もとてもいい状態です。 今まで読みたいと思…

  • 仕事を辞めた後の過ごし方

    6月10日付けで退職なので、今は有給消化中。 友人は「せっかくだから旅行に行ったら?」とか、「社会と繋がっておくように、英会話とか習い事したら」とか、「婚活したら?」等言われる。 私が「今は何もしたくない」と言うと、怪訝そうな顔をされる。 今は何かをするエネルギーが枯渇している感じ、なんです。 そんな中でも私のできること、やりたいことはある。 早朝のお散歩。朝5時から6時くらい、静かな街中を歩く時間は、私にとってとても大切な時間。今の時期お天気がいいとちょうど日の出の時間になり、とても気持ちいい。小鳥のさえずりを聴きながら歩くのも気持ちいい。各家庭で育てているお花や、道端にひっそり咲いているお…

  • 涙もろくなりました

    わたしは今まで「わたしには人としての感情が欠けているのだろうか」と思うくらい、涙が出ませんでした。学生時代は私にとっては、とてもしんどい日々でした。 とにかく毎日緊張して、授業中に本読みを当てられると、声が震えるくらい。 そんな状態だから、友達もほとんどいなかったのです。 このままではいけないと、社会に出てからは人の真似をして、なんとかやってきた。 でも、その状態は私にとっては無理をしていたのだろう。 40歳半ばすぎになった今でも、職場、利用者様とのやり取りで、毎日疲弊していました。 とうとう体が悲鳴をあげ、仕事に行く前には涙が出てしまうようになっていた。退職を決意しました。 職場の方、利用者…

  • 健康はありがたい

    退職日が近づいて、引き継ぎ、書類整理でてんてこまいになってしまったためか、 体調を崩してしまった。頭痛、嘔吐で、起きることができない。食べたもの全部出し切ったのに、それでも胃液が上がってくる。 普通に食べて、動くことができるって、本当にありがたいと実感しました。 退職までもう少し、体調整えて、しっかり引き継ぎして、書類整えて、 お世話になった利用者様、職場の皆様、関係者の方々に、感謝の言葉を伝えていこう。

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