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  • 東歌(31)・・・巻第14-3424~3425

    訓読 >>> 3424下(しも)つ毛野(けの)三毳(みかも)の山のこ楢(なら)のす目(ま)ぐはし児(こ)ろは誰(た)が笥(け)か持たむ 3425下(しも)つ毛野(けの)安蘇(あそ)の川原(かはら)よ石踏まず空(そら)ゆと来(き)ぬよ汝(な)が心 告(の)れ 要旨 >>> 〈3424〉下野の三毳の山の小楢のように美しいあの子は、将来いったい誰のために食物の器を差し出すことになるのだろう。 〈3425〉下野の安蘇の川原の石を踏まずに、空を飛ぶ思いでやってきたのだ。さあ、お前の本当の気持ちを言ってくれ。 鑑賞 >>> 下野(しもつけの)の国の歌。下野国は栃木県一帯。3424の「三毳の山」は、栃木県佐…

  • み空行く月の光にただ一目・・・巻第4-710

    訓読 >>> み空行く月の光にただ一目(ひとめ)相(あひ)見し人の夢(いめ)にし見ゆる 要旨 >>> 月明かりの下でたったひと目見かけただけの人、そのお方の姿が夢に出てきます。 鑑賞 >>> 作者の安都扉娘子(あとのとびらのをとめ)は伝未詳ながら、物部氏と同祖の安都氏出身の娘子とされます。「扉」は字(あざな)か。『万葉集』にはこの1首のみ。大伴家持を中心とした贈答歌群中にあるため、家持をとりまく女性の一人だったかもしれません。 「み空」の「み」は美称。「相見し」は、ふつう男女の関係をもったことを言いますが、ここでは「ただ一目」とあるので、視線を交わした、あるいはちょっと逢った程度のこととみられ…

  • 百済野の萩の古枝に・・・巻第8-1431

    訓読 >>> 百済野(くだらの)の萩(はぎ)の古枝(ふるえ)に春待つと居(を)りし鶯(うぐひす)鳴きにけむかも 要旨 >>> 百済野の萩の古枝に春の訪れを待っていたウグイスは、もう鳴き始めているだろうか。 鑑賞 >>> 山部赤人の歌。「百済野」は、奈良県北葛城郡広陵町百済にある野とされますが、「くだら」の名の地は関西には何か所かあり、大阪市天王寺区と見る説もあります。百済国からの帰化人がいたための名だろうとされます。春の光景を眼前にして、まだ冬だった頃に見かけた百済野の萩の古枝にいた鶯を思い出しています。斎藤茂吉はこの歌を評し、「何でもないようであるが、徒に興奮せずに、気品を持たせているのを尊…

  • 木の暗の茂き峰の上を・・・巻第20-4305

    訓読 >>> 木(こ)の暗(くれ)の茂(しげ)き峰(を)の上(へ)を霍公鳥(ほととぎす)鳴きて越ゆなり今し来(く)らしも 要旨 >>> 木々のうっそうと繁る峰の上を、ホトトギスが鳴きながら越えている。今にもこちらまでやって来そうだ。 鑑賞 >>> 4月、大伴家持が霍公鳥を詠んだ歌。「木の暗」は、木が茂って暗いところ。「今し」の「し」は強意。「来らしも」の「らし」は、確かな根拠にもとづく推定。「も」は詠嘆。 4305について斎藤茂吉は、「気軽に作った独詠歌だが、流石に練れていて旨いところがある。それは、『鳴きて越ゆなり』と現在をいって、それに主点を置いたかと思うと、おのずからそれに続くべき、第二…

  • 【為ご参考】「東歌」について

    巻第14には「東国(あづまのくに)」で詠まれた作者名不詳の歌が収められており、国名のわかる歌とわからない歌に大別し、それぞれを部立ごとに分類しています。当時の都びとが考えていた東国とは、おおよそ富士川と信濃川を結んだ以東、すなわち、遠江・駿河・伊豆・相模・武蔵・上総・下総・常陸・信濃・上野・下野・陸奥の国々をさしています。『万葉集』に収録された東歌には作者名のある歌は一つもなく、また多くの東国の方言や訛りが含まれています。 もっとも、これらの歌は東国の民衆の生の声と見ることには疑問が持たれており、すべての歌が完全な短歌形式(五七五七七)であり、音仮名表記で整理されたあとが窺えることや、方言が実…

  • 梅花の歌(4)・・・巻第5-828~833

    訓読 >>> 828人ごとに折りかざしつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも 829梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや 830万代(よろづよ)に年は来(き)経(ふ)とも梅の花絶ゆることなく咲き渡るべし 831春なれば宜(うべ)も咲きたる梅の花君を思ふと夜眠(よい)も寝なくに 832梅の花折りてかざせる諸人(もろひと)は今日(けふ)の間(あひだ)は楽しくあるべし 833年のはに春の来(きた)らばかくしこそ梅をかざして楽しく飲まめ 要旨 >>> 〈828〉人それぞれに手折って髪飾りにして楽しんでいるけれど、何とも素晴らしい梅の花だろう。 〈829〉梅の花が散ると、続いて桜の花が咲…

  • うち日さす宮道を人は・・・巻第11-2382

    訓読 >>> うち日さす宮道(みやぢ)を人は満ち行けど我(あ)が思ふ君はただひとりのみ 要旨 >>> 都大路を人が溢れるほどに往来しているけれど、私が思いを寄せるお方はたったお一人っきりです。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「正述心緒(ありのままに思いを述べた歌)」。「うち日さす」は「宮」の枕詞。「宮道」は、藤原京の都大路とされます。官人の妻が、朝、出仕して宮道を行く夫を捉えての歌でしょうか。あるいは作家の田辺聖子は、次のように評しています。「愛の不思議にはじめて遭遇しておどろく、そのさまがういういしいので、まだ十代の恋だろうか。素直なおどろきが、忘れがたい思いを残す。『万葉集』には強い…

  • 我れゆ後生まれむ人は・・・巻第11-2375~2376

    訓読 >>> 2375我(わ)れゆ後(のち)生まれむ人は我(あ)がごとく恋する道に逢(あ)ひこすなゆめ2376ますらをの現(うつ)し心(ごころ)も我(わ)れはなし夜昼(よるひる)といはず恋ひしわたれば2377何せむに命(いのち)継ぎけむ我妹子(わぎもこ)に恋ひぬ前(さき)にも死なましものを 要旨 >>> 〈2375〉私より後に生まれてきた人は、この私のように恋に落ちて苦しい目にあってはいけない、決して。 〈2376〉男らしく堂々とした男子だと自分のことを思っていたが、正気さえ失ってしまった。夜となく昼となく、ただただ彼女が恋しいばかりで。 〈2377〉なぜ命を保ち続けてきたのだろう。あの子に恋…

  • 志賀の海女は藻刈り塩焼き・・・巻第3-278

    訓読 >>> 志賀(しか)の海女(あま)は藻(め)刈り塩焼き暇(いとま)なみ櫛笥(くしげ)の小櫛(をぐし)取りも見なくに 要旨 >>> 志賀島の海女たちは、藻を刈ったり塩を焼いたりして暇がないので、櫛笥の小櫛を手に取って見ることもできずにいる。 鑑賞 >>> 「志賀」は、博多湾の志賀島。現在は陸続きになっています。「藻」は、海藻の総称。「櫛笥」は、櫛を入れる箱。「小櫛」の「小」は、接頭語。海人の女がその生業にあまりにも忙しく、女として大切な髪をいたわる暇もないことを嘆き憐れんでいます。『万葉集』で「海人」を詠んだ歌は66首あり、地名を冠して呼ばれることが多く、その大半は海人自身によるのではなく…

  • 防人の歌(22)・・・巻第20-4370

    訓読 >>> 霰(あられ)降り鹿島(かしま)の神を祈りつつ皇御軍(すめらみくさ)に我れは来(き)にしを 要旨 >>> 武神であられる鹿島の神に祈りを捧げながら、天皇の兵士として私はやってきたのだ。 鑑賞 >>> 常陸国の防人の歌。「霰降り」は、あられが降って喧(かしま)しいことから、同音の「鹿島」に続く枕詞。「鹿島の神」は、古来、軍神として崇められた鹿島神宮。常陸の国府を出立し、その道すがら長久を祈願したものと見えます。「皇御軍に」は、天皇の兵士として。

  • 防人の歌(21)・・・巻第20-4407

    訓読 >>> ひな曇(くも)り碓氷(うすひ)の坂を越えしだに妹(いも)が恋しく忘らえぬかも 要旨 >>> 日が曇って薄日がさすという碓氷の坂、まだこの坂を越えたばかりなのに、無性に妻が恋しくて忘れられない。 鑑賞 >>> 上野国の防人の歌。「ひな曇り」は、曇り日の薄日の意味で、同音の「碓氷」にかかる枕詞。「碓氷の坂」は、上野と信濃の国境の碓氷峠。その険しい山道は、東山道随一の難所とされていました。当時は、上野からは碓氷峠を越して信濃に入り、それから美濃へ出たようです。「しだに」は、だけでも、時に。 徴発された防人は、難波津までの道のりを、防人部領使(さきもりのことりづかい)によって引率されます…

  • あしひきの山道も知らず・・・巻第10-2315

    訓読 >>> あしひきの山道(やまぢ)も知らず白橿(しらかし)の枝もとををに雪の降れれば 要旨 >>> どこが山道なのか分からない。白橿の枝がたわむほどに雪が降り積もったので。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「冬の雑歌」1首です。「あしひきの」は「山」の枕詞。「とををに」は、たわみしなうほどに、の意。なお、左注には、「或本には三方沙弥(みかたのさみ)が作といふ」とあります。 窪田空穂はこの歌について、「清らかな拡がりをもった境が、調べに導かれて、ただちに気分となって浮かんで来る歌である。気分本位の詠風となった奈良朝時代の先縦をなしているとみえる歌であるが、それとは異なった趣がある。奈良朝…

  • 我が袖に霰た走る・・・巻第10-2312

    訓読 >>> 我(わ)が袖(そで)に霰(あられ)た走(ばし)る巻き隠(かく)し消(け)たずてあらむ妹(いも)が見むため 要旨 >>> 私の袖にあられが降りかかってきて飛び散る。それを袖をに包み隠し、なくならないようにしよう。妻に見せたいから。 鑑賞 >>> 『柿本人麻呂歌集』から「冬の雑歌」1首です。『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『柿本人麻呂歌集』から採ったという歌が360余首あります。『柿本人麻呂歌集』は『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。 ただし、それらの中には明らかな別人の作や伝承歌もあり、すべてが人麻呂の作というわけ…

  • 敷島の大和の国に人二人・・・巻第13-3248~3249

    訓読 >>> 3248敷島(しきしま)の 大和の国に 人(ひと)多(さは)に 満ちてあれども 藤波(ふぢなみ)の 思ひ纏(まつ)はり 若草の 思ひつきにし 君が目に 恋(こ)ひや明かさむ 長きこの夜(よ)を 3249敷島(しきしま)の大和の国に人(ひと)二人(ふたり)ありとし思はば何か嘆かむ 要旨 >>> 〈3248〉この大和の国に、こんなに多くの人があふれているのに、藤のつるがからまるように心がまつわりつき、萌え出した若草に対するように忘れられないあの人に、逢いたい逢いたいと思いつつ明かすのでしょうか、こんなに長い夜を。 〈3249〉大和の国にあの人がもしも二人いると思うことができるなら、ど…

  • 我が背子が捧げて持てるほほがしは・・・巻第19-4204~4205

    訓読 >>> 4204我が背子(せこ)が捧(ささ)げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋(きぬがさ) 4205皇祖(すめろき)の遠御代御代(とほみよみよ)はい布(し)き折り酒(き)飲みきといふぞこのほほがしは 要旨 >>> 〈4204〉あなた様が捧げ持っていらっしゃるホオノキは、まるで貴人にかざす青い蓋(きぬがさ)のようですね。 〈4205〉遠い昔の天皇の御代御代には、葉を折り重ねて酒を飲んだということですよ、このホオガシワは。 鑑賞 >>> 題詞には「攀(よ)ぢ折れる保宝葉(ほほがしは)を見る歌二首」とあり、4204は講師(国分寺の主僧)の恵行(えぎょう:伝未詳)が家持に贈った歌、4205…

  • 橘は実さへ花さへ・・・巻第6-1009

    訓読 >>> 橘(たちばな)は実さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜(しも)降れどいや常葉(とこは)の木 要旨 >>> 橘という木は、実も花もその葉さえも、冬、枝に霜が降っても枯れることのない常緑の樹である。 鑑賞 >>> 天平8年(736年)11月、葛城王(かずらきのおおきみ=橘諸兄)らが、姓(かばね)と母方の橘の氏(うじ)を賜わったときの聖武天皇の御製歌。左注には「このとき、太上天皇( 元正天皇)、聖武天皇、皇后(光明皇后)が共に皇后宮においでになり、宴を催されて橘を祝う歌をお作りになり、併せて橘宿祢らに御酒を賜った」旨の記載があります。 橘の木そのものを讃えることによって一族を祝おうとする意…

  • 妻もあらば摘みて食げまし・・・巻第2-220~222

    訓読 >>> 220玉藻(たまも)よし 讃岐(さぬき)の国は 国からか 見れども飽かぬ 神(かむ)からか ここだ貴(たふと)き 天地(あめつち) 日月(ひつき)と共に 足り行かむ 神の御面(みおも)と 継ぎ来たる 那珂(なか)の湊(みなと)ゆ 船 浮(う)けて 我が漕(こ)ぎ来れば 時つ風 雲居(くもゐ)に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺(へ)見れば 白波騒く 鯨魚(いさな)とり 海を畏(かしこ)み 行く船の 梶(かじ)引き折りて をちこちの 島は多けど 名くはし 狭岑(さみね)の島の 荒磯面(ありそも)に 蘆(いほ)りて見れば 波の音(おと)の 繁(しげ)き浜辺(はまへ)を 敷栲(しきたへ)…

  • 【為ご参考】『万葉集』の時代背景

    『万葉集』の時代である上代の歴史は、一面では宮都の発展の歴史でもありました。大和盆地の東南の飛鳥(あすか)では、6世紀末から約100年間、歴代の皇居が営まれました。持統天皇の時に北上して藤原京が営まれ、元明天皇の時に平城京に遷ります。宮都の規模は拡大され、「百官の府」となり、多くの人々が集まり住む都市となりました。 一方、地方政治の拠点としての国府の整備も行われ、藤原京や平城京から出土した木簡からは、地方に課された租税の内容が知られます。また、「遠(とお)の朝廷(みかど)」と呼ばれた大宰府は、北の多賀城とともに辺境の固めとなりましたが、大陸文化の門戸ともなりました。 この時期は積極的に大陸文化…

  • 遣新羅使人の歌(13)・・・巻第15-3595~3599

    訓読 >>> 3595朝開(あさびら)き漕ぎ出(で)て来れば武庫(むこ)の浦の潮干(しほひ)の潟(かた)に鶴(たづ)が声すも 3596我妹子(わぎもこ)が形見(かたみ)に見むを印南都麻(いなみつま)白波(しらなみ)高み外(よそ)にかも見む 3597わたつみの沖つ白波立ち来(く)らし海人娘子(あまをとめ)ども島隠(しまがく)る見ゆ 3598ぬばたまの夜(よ)は明けぬらし玉の浦にあさりする鶴(たづ)鳴き渡るなり 3599月読(つくよみ)の光を清み神島(かみしま)の磯廻(いそみ)の浦ゆ船出(ふなで)す我(わ)れは 要旨 >>> 〈3595〉朝早くに船を漕ぎ出してきたら、武庫川の河口あたりの干潟に、鶴…

  • 大伴旅人の松浦川に遊ぶ歌(4)・・・巻第5-861~863

    訓読 >>> 861松浦川(まつらがは)川の瀬(せ)速(はや)み紅(くれなゐ)の裳(も)の裾(すそ)濡れて鮎か釣るらむ 862人(ひと)皆(みな)の見らむ松浦(まつら)の玉島を見ずてや我(わ)れは恋ひつつ居(を)らむ 863松浦川(まつらがは)玉島の浦に若鮎(わかゆ)釣る妹(いも)らを見らむ人のともしさ 要旨 >>> 〈861〉松浦川の川瀬の流れが速いので、娘たちは紅の裳裾を濡らしながら、今ごろ鮎を釣っていることだろう。 〈862〉だれもが皆見ているであろう松浦の玉島なのに、一人見ることもかなわず、私はこんなにも恋し続けていなければならないのか。 〈863〉松浦川の玉島の岸で若鮎釣っている娘た…

  • 大伴旅人の松浦川に遊ぶ歌(3)・・・巻第5-858~860

    訓読 >>> 858若鮎(わかゆ)釣る松浦(まつら)の川の川なみの並(なみ)にし思はば我(わ)れ恋ひめやも 859春されば吾家(わぎへ)の里の川門(かはと)には鮎子(あゆこ)さ走(ばし)る君待ちがてに 860松浦川(まつらがは)七瀬(ななせ)の淀(よど)は淀むとも我(わ)れは淀まず君をし待たむ 要旨 >>> 〈858〉若鮎を釣る松浦の川の川波の、なみに(ふつうに)思うだけなら、どうして私が恋などいたしましょうか。 〈859〉春が来ると、私の里の川の渡し場では子鮎が走り回ります。あなたを待ちあぐんで。 〈860〉松浦川の七瀬の淀は淀んで流れないことがあっても、私は淀むことなく、ずっとあなたをお待…

  • 大伴旅人の松浦川に遊ぶ歌(2)・・・巻第5-855~857

    訓読 >>> 855松浦川(まつらがは)川の瀬(せ)光り鮎(あゆ)釣ると立たせる妹(いも)が裳(も)の裾(すそ)濡(ぬ)れぬ 856松浦(まつら)なる玉島川(たましまがは)に鮎(あゆ)釣ると立たせる子らが家路(いへぢ)知らずも 857遠つ人松浦(まつら)の川に若鮎(わかゆ)釣る妹(いも)が手本(たもと)を我(われ)こそまかめ 要旨 >>> 〈855〉松浦川の川の瀬は光り輝き、鮎を釣るために立っているあなたの着物の裾は水に濡れています。 〈856〉松浦の玉島川で鮎を釣ろうとに立っているあなたたちの家へ行く道がわからない。 〈857〉松浦の川で若鮎を釣るあなたの腕を枕に寝るのは、私の願いです。 鑑…

  • 大伴旅人の松浦川に遊ぶ歌(1)・・・巻第5-853~854

    訓読 >>> 松浦川(まつらがは)に遊ぶ序 余(やつかれ)、暫(たまさか)に松浦の県(あがた)に往(ゆ)きて逍遥(せうえう)し、聊(いささ)かに玉島の潭(ふち)に臨みて遊覧するに、忽(たちま)ちに魚を釣る女子等(をとめら)に値(あ)ひぬ。花の容(かほ)双(なら)びなく、光(て)りたる儀(すがた)匹(たぐひ)なし。 柳(やなぎ)の葉を眉(まよ)の中(うち)に開き、桃の花を頬(つら)の上に発(ひら)く。意気(いき)雲を凌(しの)ぎ、風流世に絶えたり。僕(やつかれ)問ひて曰く、「誰(た)が郷(さと)誰が家の児(こ)らそ、けだし神仙(しんせん)ならむか」といふ。娘等(をとめら)皆 咲(ゑ)み答へて曰く…

  • 梅花の歌(3)・・・巻第5-823~825

    訓読 >>> 823梅の花散らくはいづくしかすがにこの城の山に雪は降りつつ 824梅の花散らまく惜(を)しみわが園(その)の竹の林に鶯(うぐひす)鳴くも 825梅の花咲きたる園(その)の青柳(あをやぎ)を蘰(かづら)にしつつ遊び暮らさな 要旨 >>> 〈823〉梅の花が散るというのは何処のことか。この城の山には雪があとからあとから降ってくる。 〈824〉梅の花が散っていくのを惜しみ、私の庭の竹林で、ウグイスがしきりに鳴いている。 〈825〉梅の花が咲いているこの園の、青柳を髪飾りにして、終日のんびりと遊び暮らそう。 鑑賞 >>> 823は、大伴百代(おおとものももよ)の歌。824は、阿氏奥島(…

  • 床に臥い伏し痛けくの・・・巻第17-3969~3972

    訓読 >>> 3969大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに しなざかる 越(こし)を治(をさ)めに 出でて来(こ)し ますら我(われ)すら 世の中の 常(つね)しなければ うち靡(なび)き 床(とこ)に臥(こ)い伏(ふ)し 痛けくの 日に異(け)に増せば 悲しけく ここに思ひ出(で) いらなけく そこに思い出(で) 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを あしひきの 山き隔(へな)りて 玉桙(たまほこ)の 道の遠けば 間使(まつか)ひも 遣(や)るよしもなみ 思ほしき 言(こと)も通(かよ)はず たまきはる 命(いのち)惜(を)しけど せむすべの たどきを知らに 隠(こも)りゐて 思…

  • 春の花今は盛りににほふらむ・・・巻第17-3965~3968

    訓読 >>> 3965春の花今は盛(さか)りににほふらむ折りてかざさむ手力(たぢから)もがも 3966鴬(うぐひす)の鳴き散らすらむ春の花いつしか君と手折(たを)りかざさむ 3967山峽(やまがひ)に咲ける桜をただ一目君に見せてば何をか思はむ 3968鴬(うぐひす)の来(き)鳴く山吹(やまぶき)うたがたも君が手触れず花散らめやも 要旨 >>> 〈3965〉春の花は、今は盛りと咲きにおっていることだろう。手折ってかざしにできる手力がほしい。 〈3966〉ウグイスが鳴いては散らしているだろう春の花、その花をいつあなたと共に手折ってかざしにしようか。 〈3967〉山間に咲いている桜を、ひと目だけでも…

  • 荒し男すらに嘆き伏せらむ・・・巻第17-3962~3964

    訓読 >>> 3962大君(おほきみ)の 任(ま)けのまにまに ますらをの 心振り起こし あしひきの 山坂(やまさか)越えて 天離(あまざか)る 鄙(ひな)に下(くだ)り来(き) 息(いき)だにも いまだ休めず 年月(としつき)も 幾(いく)らもあらぬに うつせみの 世の人なれば うち靡(なび)き 床(とこ)に臥(こ)い伏(ふ)し 痛けくし 日に異(け)に増(ま)さる たらちねの 母の命(みこと)の 大船(おほぶね)の ゆくらゆくらに 下恋(したごひ)に いつかも来(こ)むと 待たすらむ 心さぶしく はしきよし 妻の命(みこと)も 明け来れば 門(かど)に寄り立ち 衣手(ころもで)を 折り返し…

  • 高山の巌に生ふる・・・巻第20-4454

    訓読 >>> 高山(たかやま)の巌(いはほ)に生(お)ふる菅(すが)の根のねもころごろに降り置く白雪(しらゆき) 要旨 >>> 高い山の岩に生えている菅(すが)の根のように、ねんごろに降り積もった白雪の何と見事なこと。 鑑賞 >>> 天平勝宝7年(755年)11月、橘諸兄が、息子の左大臣・奈良麻呂宅での宴席で詠んだ歌。ここには諸兄の歌のみで、参席した人たちの歌は残されていませんが、奈良麻呂と親しい人が集まっていたはずです。上3句は「根もころごろに」を導く序詞。「根もころごろに」は、根がびっしりと固まっているさま。 この時期、前月に聖武太上天皇が発病し、すでに70歳を超えていた諸兄にとって、今後…

  • 葦べ行く鴨の羽がひに・・・巻第1-64

    訓読 >>> 葦(あし)べ行く鴨(かも)の羽(は)がひに霜(しも)降りて寒き夕べは大和し思ほゆ 要旨 >>> 葦が生い茂る水面を行く鴨の羽がいに霜が降っている。このような寒い夕暮れは、大和のことがしみじみ思い出される。 鑑賞 >>> 志貴皇子の歌。慶雲3年(706年)に、文武天皇(持統天皇の孫、軽皇子)に随行して、難波離宮へ旅した時に詠んだもの。難波宮は、天武天皇の御代に築かれた副都。難波は、古くは仁徳天皇、近くは孝徳天皇の都だった地であり、交通、対外関係において重要であると同時に、禊(みそ)ぎの地として信仰された所でもありました。そのため、天皇の行幸も頻繁に行われました。皇子が訪れた時期は当…

  • 今更に妹に逢はめやと・・・巻第4-611~612

    訓読 >>> 611今更(いまさら)に妹(いも)に逢はめやと思へかもここだわが胸いぶせくあるらむ 612なかなかに黙(もだ)もあらましを何すとか相(あひ)見そめけむ遂げざらまくに 要旨 >>> 〈611〉今はもう重ねてあなたに逢えないと思うからでしょうか、私の心がこんなに鬱々として沈むのは。 〈612〉なまなかに声などかけないほうがよかったかもしれません。どうして逢瀬を始めたのか、初めから二人が結ばれることはあり得なかったのに。 鑑賞 >>> 大伴家持が笠郎女に贈った歌。611の「今更に」は、今は重ねて。「ここだ」は、甚だしく。「いぶせく」は、心が晴れない。612の「なかなかに」は、なまなかに…

  • 【為ご参考】歌風の変遷について

    『万葉集』は、5世紀前半以降の約450年間にわたる作品を収めていますが、実質上の万葉時代は、舒明天皇が即位した629年から奈良時代の759年にいたる130年間をいいます。その間にも歌風の変遷が認められ、ふつうは大きく4期に分けられます。 第1期は、「初期万葉」と呼ばれ、舒明天皇の時代(629~641年)から壬申の乱(672年)までの時代です。大化の改新から、有間皇子事件・新羅出兵・白村江の戦い・近江遷都・壬申の乱にいたる激動期にあたります。中央集権体制の基礎がつくられ、また、中国文化の影響を大きく受け、天智天皇のころには漢文学が盛んになりました。第1期は万葉歌風の萌芽期といえ、古代歌謡の特色で…

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