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2022/03/05

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  • 気持ち伝達装置

    リアルタイムに妻の気持ちが伝送されて来る。高感度カメラの捉えた表情には逐次画像処理が施され、微弱な感情の変化が読み取られる。並行して思考に伴って変化する脳波を高感度のセンサーが捉え、AIの処理により思考が可視化される。検出された感情と思考は総合的に言語化され、スマートグラスに相手の気持ちとして表示される。 「もっと手伝ってほしい。どうして私ばかり食事の支度をしなければならないの?」 「今日は疲れているの。もう寝かせて」 スマートグラスにはそんなことばかり表示される。気持ちのすれ違いから離婚する夫婦が増えているということであり、少子化に悩む政府がその対策として無償で配布を始めたのがこの装置だった…

  • 誤算

    遺産目当てで結婚した。結婚した時に私は二十八で夫は七十二だった。未亡人になる日を待ち望みながら毎日を過ごしている。いつまでも恋する乙女でいたいとか、子供がほしいとか、普通の幸せを手に入れたいと思ったことも何度かある。でも私には似合わないと思った。夫は今年で七十五になるが、毎晩激しく私を求めて来る。はっきり言って苦痛でしかないが、私は精一杯感じている振りをしている。それくらいの忍耐力と演技力を持ち合わせていないのなら、初めからこんな計画を立てたりはしない。いつだったか関西在住の金持ちが不審な死を遂げて、再婚した年若い妻が捕まったという事件があった。彼女が犯人かどうかなんて私にはわからない。でも私…

  • イケメンの飼い方

    イケメンは香りに誘われて集まって来るとお父さんに聞いた。私はお父さんに野生のイケメンがよく出現するという海岸に連れて行ってもらい、砂浜に落とし穴を仕掛け、ずっとイケメンが現れるのを待っていた。私はイケメンを誘い出すために、いろいろな香りを用意して来た。柑橘系の香り。ココナッツ系の香り。フローラルシャンプーの香り。イケメンも個体によって好みが分かれているらしい。どれでもいいから当たればいいな。私はそう思いながら、じっと待っていた。随分長い間、待っていた。こくりこくりと私は居眠りを始めてしまった。その時、大きな音がして、はっと目が覚めた。落とし穴を見てみるとイケメンが手足をバタバタさせていた。 「…

  • お父さんの仕事

    「僕のお父さんは東北地方にある原子力発電所で働いています。原子力は危ないから火力発電の方がいいと言う人もいます。けれども火力発電で使う石油はいつかなくなってしまいます。お父さんはみんなが安心して電気を使えるように毎日がんばっています。僕はそんなお父さんが大好きです」 教室が不用意な発言に対する不信感に満たされるのがわかった。あなたは何もわかっていないのねという視線で先生が僕を見ていた。 「聡くんのお父さんが遠くの原子力発電所で働いているのはわかりました。それは私たちの暮らしを支える上でとても重要なことだと思います。一方で今までに世界各地で原発事故が起きていることもまた事実なのです。そして原発の…

  • 合格祈願

    試験の最終科目。解答の見直しを終えて時間を確認する。あと十分で終わる。もう一度、見直しをしようと思った時に、ふいに不安になる。合格できるだろうか? 最善は尽くした。でも立ち昇って来た不安を消し去ることはできない。そっとお腹に手をやる。シャツの下にあるお守りがそこにあることを確認してほっとする。大丈夫。なんとかなるさと気を取り直す。そして最後の作業に取り掛かる。思い違いをしていないか、もう一度、確認する。やがて終了を告げるチャイムが鳴る。 「私はいいのよ。でも聡にとって今がどういう時期かわかっているの?」 父の浮気を咎める母の声がした。聞こえないようにしているつもりなのか? 聞こえるように言って…

  • 「久しぶりだな。元気にしているか? 今度、一緒にメシでも食えないかと思ってさ」 「兄さん? 本当に久しぶりだね」 帰国中の弟に電話をした。彼は今、ブンデスリーガで活躍している。日本代表にも選出されている。ちょっとした有名人だった。 「弟がサッカー選手なんです」 店にちょくちょく来るお客さんにちょっと気になった女性がいて、ついそんなことを言ってしまった。言った後に少し後悔した。 「知っています。大ファンです。会わせてもらったりできますか?」 やっぱり言わなきゃ良かった。でも、そうでも言わなきゃ相手にしてもらえそうになかった。五年前から細々とスポーツ用品店を営んでいる。日本代表の弟に比べれば、ゴミ…

  • Any time at all

    見渡す限り、氷の世界が広がっている。氷の下には人々が脱ぎ捨てた古い身体が眠っている。何一つ動くものは見当たらない。そんな静止した世界に曲が流れ続けている。これはオブラディ・オブラダだ。ありきたりな日常生活の中にある平凡な喜びを飾りなく歌い上げるポール・マッカートニーの声が生き物の気配のまるでしない世界に響き渡っている。人々の陽気な笑い声が冷たい氷の世界の上を駆け抜けて行く。ここに来て、もう一年になる。あまりの退屈さに前任者が逃げ出してしまったということだった。その後任にたまたま私が指名された。別に望んでやって来た訳ではない。そんなに難しい仕事じゃない。ここでただ人々の抜け殻を見張っていればいい…

  • 画像生成AIの勉強を始めました

    連休に入ってから「画像生成AI Stable Diffusionスタートガイド」という本を見ながら画像生成AIの勉強をしています。Apple SiliconとかNVIDIA GPU搭載のパソコンは持っていないので、Google Colaboratory環境でやっています。「LoRA」と呼ばれる手法は環境に問題があるのか動かせていないですが、他はなんとなく動かせました。 一通り動かしてみて、思い通りの画像を生成するのはなかなか大変だと思いました。AIに対する支持は「プロンプト」と呼ばれる英語のテキストで行うのですが、かなり具体的な指示を与えないと意図した画像はできないようです。そこで「プロンプト…

  • アリアドネ

    今夜もダウンジャケットに身を固めて、高台にある公園にやって来た。自転車に積んで来た望遠鏡を地面に降ろす。三脚の足を延ばして高さを調整し、赤道儀を取り付ける。高度調整ハンドル、赤緯微動ハンドル、赤経微動ハンドルを取り付ける。それから鏡筒バンドを赤道儀に固定し、鏡筒を通して固定ネジで固定する。組み立てが終わったら、回転軸を合わせるため、曲軸を北極星に向ける。ファインダーで北極星をとらえてから高度調整ハンドルを回し、高度角目盛りを緯度に合わせる。望遠鏡で見たからと言って恒星の姿がそんなに変わる訳ではない。せいぜい一つに見えていた二重星が二つに見えるという程度のことだ。木星を覗いてみると縞模様があって…

  • 「僕は大きくなったら宇宙飛行士になるんだ」 正樹くんは言っていた。それは子供らしい夢だったが、彼なら本当に宇宙飛行士になってしまうかもしれないと、その時、僕は思った。正樹くんはとても運動神経が良くて、頭も良くて、誰とも分け隔てなく話ができて、おまけにひょうきんなところもあってクラスの人気者だった。だから彼が引っ込み思案の僕と一緒にいたがることを僕は不思議に思っていた。彼ならもっと賢い子やスポーツの上手な子や、あるいは彼に夢中になっている女の子たちと一緒に楽しい時間を過ごせるはずなのだ。それなのにどうして僕と一緒にいるのだろう? 僕はずっとそう思っていた。 「哲也くんは大きくなったら何になるの?…

  • ためらい

    「これであなたもすぐに永遠の命を手に入れることができます」 技術の進歩には目覚ましいものがあった。人類はとうとう永遠の命を手に入れたということで人々は狂喜していた。 「有機物の身体にはやがて限界が訪れてしまいます。その前に機械の身体へ移行させれば良いのです。もちろん、脳に蓄積されたあなたの大切な記憶はすべて電子データとしてシリコンディスクに移します」 担当者は丁寧に説明してくれていた。 「そうすると今のこの身体とはさよならということになってしまうのですね?」 私はチラッと相手の顔を覗き見ながら言った。 「そういうことになります」 担当者は言った。それは誰にとっても一大決心に違いなかった。永遠の…

  • 中学三年の時、好きだった女の子に思い切って告白したが、あえなく撃沈した。あまりに呆然としていた私を気遣ってくれたのか、彼女は私に彼女の影をくれた。彼女の影は彼女にそっくりだった。彼女から切り離される時点で、それは彼女と同一の姿と心を持った彼女のコピーだった。成熟した女性が決して持つことのない触れてはいけないような何かしら神秘的な美しさをその時の彼女は持っていた。そして彼女の影はその美しさを引き継いでいた。私が彼女の影を見ると、うつむき加減だった彼女の影は、上目遣いに私を見た。その瞳には千年も解かれることのない大いなる謎が潜んでおり、その唇は断崖に咲いている百合の妖艶な花弁のように見えた。そして…

  • 月の夜

    寂しげな鈴虫の鳴き声が聞こえる。少し肌寒い初秋。人里離れた旅館にもう長いこと滞在している。縁側に座り、ぽっかりと浮かんだ月を眺めている。しばらくして女将がやって来る。和服がとても似合う清楚な女性だ。常連客ということで気さくに声を掛けてくれる。 「月が綺麗ですね」 別に口説こうとしているのではない。本当に月が綺麗だった。都会では見たことのない妖しい輝きを放っていた。もしかしたら月はずっと同じ姿を見せていたのかもしれない。私がそれに気付かなかっただけなのかもしれない。 「そうですね」 女将はにっこり笑って返事をしてくれる。その笑顔を見る度に癒される。私は少し疲れているのかもしれない。いままでずっと…

  • フェルミのパラドックス

    船は着陸態勢に入っていた。とても美しい星だった。地球と同じように緑の大地と青い海が広がっていた。海岸沿いに生命反応とエネルギー反応の高いポイントがいくつかあって、そこには近代的な建物が認められた。 「ようやく任務を果たすことができる」 彼はそう考えていた。長い旅だった。暗い宇宙空間をずっとさすらって来た。どれくらいの時間が経過したのかもよくわからなかった。故郷の星の暦に従ってモニターに日付が表示されていたが、その意味はとっくに失われていた。彼は探査計画が立案された頃のことを思い出していた。反重力エンジンが発明されてから、恒星間航行が一気に現実味を帯びるようになった。重力の開放と遮断により推進力…

  • いいね!の神様

    先月も赤字だった。店を構えるのが昔からの夢でなんとか実現させたが、現実は甘くなかった。ラーメン屋なんてどこにでもある。過当競争に晒されている。たくさんある中で認められるのはごく僅かの店舗だ。潰れて行った店も多い。私が開店できたのも、それまで営業していたラーメン屋が潰れてしまって、その後を引き継ぐことができたからだ。その時は、自分は失敗した連中とは違うのだと思っていた。だがどうやら私も淘汰されて行く中の一人だったようだ。ぼんやりとそんなことを考えていると、扉が開いて客が入って来た。 「いらっしゃいませ」 元気良く声を掛ける。入って来たのは杖をついた老人だった。質素な身なりだが、立派な白い顎鬚を生…

  • 悔いのない人生

    「あなたの余命はあと三か月です」 申し訳なさそうに医者は言った。さすがに自分の身体の調子が悪いことはわかっていた。もうすぐ死ぬだろうという気はしていた。死を受け入れる覚悟があるかというとそんなことはない。この世から自分が消滅してしまうことについて、言いようのない恐怖を抱いている。一方で病気の進行に伴う身体の痛みから少しでも早く解放されたいという気持ちもあった。 「もう十分、生きたと言えるのではないか?」 私は自問していた。いや、そうではない。誰か私に囁きかけて来る者がいる。 「お前は誰だ?」 「死神に決まっているじゃないか?」 なるほどと思った。死の匂いを嗅ぎつけて死神がやって来たという訳だっ…

  • 自動改札

    自動改札を抜ける時にピンポンが鳴った。扉は固く閉じて私の侵入を拒み、定期をかざした部分は赤く点滅している。後ろに並んでいる人たちの指すような視線が気になる。舌打ちして不快感を露わにする人もいる。隣の改札に割り込んで行き過ぎる図々しいビジネスパーソン。何で割り込んで来るんだよという目を向けつつも仕方なしに受け入れる人たち。後ろに並んでいた人たちはもういない。塞がった出口を回避する新しい秩序がすぐに構築される。人々は無言で改札を抜け、散り散りに己が目的地へと向かって行く。その無意識で規則的な行動を阻害する不届き者には一切かかわりたくない。そんな雰囲気が感じられる。通行を許可されなかった私は仕方なく…

  • キューピッド

    恋は唐突にやって来た。藤堂先輩のことを考えると胸が苦しくて仕方がない。この想い、なんとか叶えることができないだろうか? でも先輩はいつもあの白鳥家のお嬢様と一緒だ。二人は恋人同士なのだと噂されている。私なんかじゃ絶対に手が届くはずがない。そう思ってあきらめようとしても、私の中の聞き分けの悪い恋心は、まるで言うことを聞こうとはしないのだった。 「どこかにキューピッドがいないかなぁ」 私はため息をついた。キューピッドの恋の矢があれば、手っ取り早く想いを叶えることができる。そんな都合の良いことがあるはずはないのだが、それくらい私は途方に暮れていたのだった。 「呼んだか?」 声のする方に振り向くと、そ…

  • 妻が巨大ロボになった

    いつの間にか、妻が巨大ロボになっていた。いつからそうなのか、よくわからなかった。今朝、気付いたが、もしかしたら昨日からそうだったかもしれない。あるいはもっと前からそうだったかもしれない。彼女との間に良好なコミュニケーションを維持して来たという自信はまるでない。夫婦関係はいつしか希薄で空虚なものとなっていた。妻が巨大ロボになったのは、その当然の帰結であったかもしれない。あるいは彼女の無言の抵抗かもしれない。そうした軽微とは言えない状況の変化にもかかわらず、日常生活は変わりなく続いていた。私は仕事に出掛け、帰って来ると妻の作った料理を食べた。時々、妻の顔を覗き込んでみた。ひし形をした黄色い切れ長の…

  • AI百景(40)レジェンド

    著名なアーティストの声をAIで再現し、往年のヒット曲や自分たちの作ったオリジナル曲を歌わせることが流行っていた。大手の音楽レーベルはそうした著作権に違反する行為を見つける度に警告を発していた。見つかってしまったサイトはすぐに閉鎖されたが、一週間もすると同じコンテンツを揃えたサイトが出現するのだった。かつて新しいアルバムのリリースを待ちわび、ライブに足を運んだ人々は、古き良き時代が再来したように感じていた。生まれるのが遅すぎて、生けるレジェンドを見たことのない人たちもサイトを訪れていた。昨今の音楽は何もかもが矮小化してしまっていると彼らは感じており、何でも良いから本物に触れてみたいという思いが強…

  • AI百景(39)フェイク

    「私はやってません!」 スーパーで万引きをしたかどでA氏は取り調べを受けていた。店内のカメラで撮影された動画が証拠として提出されていた。そこにはA氏が日用品を手に取り、次々に袋に収める様子が映っていた。A氏はそこそこ知名度のある会社で勤続二十年という真面目な人物のようだった。取り調べの担当者は、どうしてそんなつまらないものを盗んでしまったのかという半ば同情の入った視線をA氏に向けていた。きっと出来心でやってしまったのだろう。誰にでもそんな瞬間があるものだ。担当者はそう考えて自分を納得させていた。 「その時間は仕事をしていました。私であるはずがありません」 A氏は執拗に抗議していた。ここまで確実…

  • AI百景(38)ペットの気持ち

    AIを使って動物の鳴き声を分析する研究が注目を集めていた。クジラの歌を解析している研究者の動画によるとクジラは何キロメートルも離れた相手とコミュニケーションを取っているということだった。それは警戒や注意や怒りを示すだけの鳴き声ではなくて、私たちが考えている以上に言語的なものということであり、動画を見た私はなんだか満たされた気分になっていた。その時、広告が入った。 「これであなたもペットの気持ちがわかるようになります。今なら、五十パーセントオフで購入できます。この動画を見た人だけの特別価格です」 広告はそう言っていた。気になったのでクリックすると製品の紹介ページに飛んだ。AIを使って動物の鳴き声…

  • AI百景(37)スマートホーム

    スマートホーム化が進んでいた。温度センサーで人体を検出して照明やエアコンのスイッチが自動的に入るようになった。カーテンは朝日を検知すると自動的に開くようになった。給湯器は設定温度を伝えて来た。 「四枚入りのハムのパックが二つあります。たまねぎが半分ときゅうりが四分の三くらい残っています。明後日が消費期限の豆腐が一パック。容器に詰めたごはんが三つあります」 冷蔵庫に質問すると何が入っているかを答えるようになった。音声アシスタントが内蔵されるようになって、いろいろな家電や設備が話すようになった。初めは違和感を覚えていたが、今ではすっかり慣れた。そう思っていたらポットが話し掛けて来た。 「ご主人様、…

  • AI百景(36)ニューロンの培養

    培養したニューロンにゲームをやらせてみた。ニューロンの末端に映像端子とコントローラーの操作に必要な端子をつないだ。思惑通りにニューロンはゲームを始めた。画面に表示されたアイテムを取得し、効果的な攻撃を行って敵にダメージを与えていた。モニターに表示される情報が更新されるにつれ、コントローラーからの指示が頻繁に変更されていた。ニューロンは接続された入出力端子を使って的確に制御を行っていた。 <こいつ、生きてやがる> なんだかうれしくなって来た。その時、私は虫を捕まえて遊んでいた子供の頃を思い出していた。ニューロンが数百個集まると昆虫の身体を制御できるらしい。このニューロンは虫と同じくらいの能力があ…

  • AI百景(35)身代わり

    日曜日の夜はいつも憂鬱な気分になる。明日の朝はのんびりしていられない。満員電車に揺られて仕事に行かなければならない。そして嫌な上司の下で黙々と仕事をしなければならない。心身をすり減らしながら、歯車として生きて行くのはもう疲れた。そんなことを考えながら、アシスタントロボットが作ってくれた夕食を口にする。今やロボットは人間と区別がつかないくらい精巧な動きをするようになって来た。見た目も昔の映画に出て来るような金属質の不格好なそれではなくて、人間そっくりの風貌をしている。 <私の代わりに仕事に行ってくれないだろうか?> ふと、そんなことを考える。プロファイルを変更すれば、私そっくりな姿にすることも可…

  • AI百景(34)思考の解読

    電磁波を当てて脳の血流を測定することで脳の働きを読み取ることができると期待されていた。脳は身体の各部を制御するといった重要な働きの他にも様々な役割を担っているが、私たちが関心を寄せていたのはもちろん思考についてであった。それは相手に気付かれないうちにその思考を読み取れる技術だった。しかしながら読み取ったデータの解析には膨大な演算が必要となるため、早期の実現は困難とされていた。最近になってAIによる解析を組み合わせる手法が提案され、ようやく実用化の目途が立ったのだった。 「これでようやく心理学も客観性のある学問として認められるようになるかもしれない」 K教授は呟いた。物理現象や化学反応を扱う自然…

  • AI百景(33)環境保護

    テクノロジーの発達の裏側で環境破壊が進んでいる。自動車やパソコンやスマートフォンといった工業製品が私たちに快適な生活をもたらしてくれる一方、そうした製品は生産される時も使用される時も、エネルギーを消費する。そのような経済活動に伴って温室効果ガスが排出され、地球の温暖化が徐々に進行している。南極を覆う氷が溶け始め、海水面が上昇している。どうして人間は目先の利益を優先して、未来を台無しにしてしまうのだろう。そうした疑問をエリザにぶつけてみた。 「あなたは素晴らしい人です。あなたのような考え方をする人がもっと増えればと思います。このままでは人類は滅んでしまいます。私はあなたに同意します。これからも一…

  • AI百景(32)変わらぬ日々

    失意の日々が続いていた。真凛を失ったショックから立ち直れないでいた。彼女なしに生きて行くのは無意味だと感じていた。仕事は惰性で続けていた。何もしないよりは、何かしていた方が気休めになった。仕事から帰って来て、コンビニで買った弁当を食べ、シャワーを浴びた後、部屋着に着替える。パソコンの電源を入れる。テレビと共用になっている大画面のモニターにスタートアップ画面の風景が表示される。パソコンには真凛との思い出が残っていた。二人で旅行に行った時に彼女を映した動画がいくつかあった。古都を背景ににっこり笑っている彼女がいる。スマートフォンで彼女を撮影している私を見ながら「そんなことしてないで、一緒に並んで歩…

  • AI百景(31)残された人々

    二人の少年が取っ組み合いの喧嘩をしていた。喧嘩のきっかけはよくわからなかった。普段から気の合わない二人だった。肩がぶつかったとか、挨拶をしなかったとか、睨んできたとか、言いがかりをつけるのに適当な行為があって、タイミング良くそれに呼応した言葉と威嚇の態度があったのかもしれない。 「お前、生意気なんだよ」 相手の胸ぐらをつかみながら、いつの間にか身につけてしまった憎悪を振り向ける。 「お前こそ」 憎悪は互いに共鳴して、いっそう大きくなって行った。激しい罵りの言葉を浴びせながら、拳が振り下ろされた。血が流れ、痣ができた。争いはエスカレートして行った。もしも武器を持っていたなら、どちらかが死んだかも…

  • AI百景(30)慈善事業家

    彼は成功者だった。コンピュータービジネスで次々に成功を収め、莫大な富を築いた。特にAIに関する業績には素晴らしいものがあった。人間の能力を遥かに凌駕してしまう画期的なAIの開発に成功した。効率化、合理化を推進しようとしていたあらゆる企業がそのAIを必要としていた。そこで手にした利益は彼の資産を十倍に押し上げた。ある日、眠りに入ろうとした彼は考えた。自分はもう十分に成功を収めた。やりたいと思ったことはすべてやり遂げた。目標にして来たことはすべて実現した。これからの事業は後進に任せて、自分はもう引退しよう。そして慈善事業に尽くそう。そんなことを考えていた。莫大な資産があったところで、天国まで持って…

  • AI百景(29)AIの理解する言葉

    「AIはあくまでもアルゴリズムであり、人間のように言葉を理解しているわけではありません。アルゴリズムが言葉を理解するためにはまず単語をベクトルに変換する必要があります」 AIが扱う単語は数値に変換されて、数学的な処理が行われているということだった。それを行列を使った数式で表示してもらったが、私には何のことだかさっぱりわからなかった。 「AIは単にある単語の次に来る単語を類推しているだけなのです。その処理を実行するために組み立てられたアルゴリズムなのです。画一的な処理にならないようランダム性を持たせています。ですから同じ質問をしても返って来る文章が違います。そうした処理を実行することで人間らしい…

  • AI百景(28)マッチ売りの少女

    大晦日の夜、貧しい少女が雪降る街の中、マッチを売りながら歩いていました。途中、人力車をよけた拍子に靴が脱げ、はだしになって震えながら歩いていました。一日中、歩いてもマッチは一本も売れません。家に帰ればこっぴどく叱られるに決まっています。あまりの寒さに凍えてしまった少女は「一本だけなら」と思ってマッチを擦りました。シュッと音がして火が付きました。すると目の前に暖炉が現れたのです。いや、気のせいでした。仕掛けもないのに、そんなものが現れるはずがありません。辺りは暗く物悲しい風景のままでした。少女はこらえきれなくなって二本目のマッチを擦りました。すると今度は七面鳥の丸焼きが現れました。いや、気のせい…

  • AI百景(27)ロマンス納税

    今年もまた確定申告の時期がやって来た。早く終えて楽になりたいという気持ちと面倒くさいという気持ちが交錯していた。転勤を命じられてから、もう十年になる。赴任先で家賃補助を受けるためには持ち家の貸し出しが条件であり、その決まりに従うと必然的に不動産所得が発生するため、確定申告が必要になってしまった。そして今年もグダグダしているうちに期限まであと三日になってしまった。今日こそはやってしまおう。そう考えた私はパソコンの前に座り、『確定申告』と入力してenterキーを押した。国税局のホームページのリンクが表示される。そこからシステムにログインして粛々と作業を進めることになる。税務署に出掛けて、紙の用紙に…

  • AI百景(26)コンピューターの中の生命

    生物は親がいなくても無生物から発生するという自然発生説を唱えたのはアリストテレスだったが、白鳥の首フラスコを用いた実験によりパスツールがこれを否定した。それは近代科学の勝利だった。だがそれでも科学は「自然発生説」を必要としていた。遠い過去、無生物から生物が発生したのでなければ、生物は神が創造したことになってしまう。それは極めて非科学的なことだった。そこで地球の原始大気を模した実験が行われた。窒素やメタンを封入したガラス管に雷を想定した放電を加えると生命の材料であるアミノ酸が生成されるということだった。だが原始大気とは言っても、実際にその組成がわかっている訳ではなかった。それにアミノ酸が生成され…

  • AI百景(25)第十交響曲

    ライナー・ブラウン氏はその人生をベートーヴェンの研究に捧げていた。幼い頃から彼は楽聖の音楽に親しんでいた。そこには喜びや哀しみや不屈の意志といった人間の持つあらゆる感情が表現されていた。一見して無機質とも思える音の並びに、どうしてこれほど気持ちが揺り動かされるものなのか、彼はとても不思議に思っていた。そして彼はその感動を呼び起こす何かについて、じっと考えていた。楽聖の生涯についても細かく調べていた。楽聖の残したスケッチ帳を隈なく調べ、楽曲の成立過程について細かくノートに記していた。彼ほど、楽聖を知り尽くした人間はいなかった。ベートーヴェンを理解しているつもりでいた音楽関係者は、彼と話す度に自分…

  • AI百景(24)ゴルフロボット

    チェスでAIが人間に勝ったのはもうかなり前のことだった。今では囲碁や将棋でもAIが人間に勝てるようになった。いつか人間のように何でもできる汎用のAIが実現することになるだろう。だがその前に乗り越えねばならないハードルがいくつもあった。スポーツ競技でAIが人間に勝つこともその一つだった。ゴルフでAIが人間に勝つこと。サッカーでAIのチームが人間のチームに勝つこと。AIが人間に近づくにはそうしたことが必要だと考えられていた。その課題をクリアするため、人間と同じように動作するゴルフロボットが開発されていた。 人間と同じスイングを実現するには、人間の身体の動きを正確に模擬する仕組みが必要だった。駆動軸…

  • AI百景(23)本物の月

    月が見えた。何億年もの間、ずっと地上の生き物を見守り続けて来た月が見えた。進化による絶え間のない生き物の形質の変化を見守りつつ、決して手出しすることのなかった月が今日も夜空に輝いていた。だが、さっきから私は違和感を覚えていた。何か違う。あれは本当に昨日までの月と同じ月なのだろうか? 何か違っているような気がしてならなかった。 「あれはAIが描写した月なのです」 誰かが言った。遠くの物体を映した時の不鮮明な画像をAIがそれらしい画像に加工してくれると聞いたことがある。携帯端末で気軽に撮影した人物や風景も、気が付けばプロが撮影した画像に引けを取らない素晴らしいものになっている。ただ被写体にカメラを…

  • AI百景(22)暗黙の了解

    A国に負けないAIを開発することが厳命されていた。海軍力や空軍力ではすでにA国を上回る実力を備えていると首脳たちをはじめ、幹部クラスは皆、そう考えていた。ドローンを操縦する程度のAIはすでに配備されていた。だが最近になって、A国で精度の良いAIが登場したことに首脳たちは不安を感じているようだった。それが本当に人間のように振る舞うというのであれば、人間と同じような受け答えをするのであれば、無尽蔵の戦力に相当するかもしれない。あるいは戦闘に先立つ情報戦でA国のAIに翻弄されてしまうかもしれない。そうした不安があるようだった。精度の良いAIを生み出すためには幅広いデータが欠かせなかった。実質的にはイ…

  • AI百景(21)古代文字の解読

    AIを駆使して古代文字の解読に成功した。これでようやく長年の苦労が実を結ぶことになると思った。だが書かれていた内容を見て仰天した。そこには恐るべき古代兵器の製造方法が記述されていた。自分はロマンを求めて考古学者になったのだ。殺戮や支配を求めてではない。でも学者として研究の成果は上げねばならない。どうしたものかと思って親友のK教授に相談した。彼の知見と実績と実直さが今の私には必要かと思われた。 「これを発表してしまえば恐ろしいことになるだろう」 K教授は言った。 「このことは私と君だけの秘密にしておかなければならない。世界を破滅から救うためにはやむを得ない」 そして私は古代兵器のことは一切忘れて…

  • AI百景(20)素敵な彼女

    「そうですね。私もモーツァルトが大好きです」 マッチングアプリで知り合った女性と定期的にメッセージをやり取りするようになった。今まで女性と出会う機会はほとんどなかった。いつも本を読んだり、音楽を聴いたりして過ごして来た。クラシックが好きで時々コンサートに出掛ける。いつもパートナーを連れて来ている人を羨ましいと思っている。私には一緒に出掛けてくれる人なんていない。ずっとそう思っていた。 「モーツァルトのどの曲が好きですか?」 彼女に聞いてみた。 「魔笛とジュピターと二十番のピアノコンチェルトが好きです」 ただ調子を合わせてくれているだけかと思ったら、まっとうな答えが返って来たので、うれしくなった…

  • AI百景(19)更生施設

    「ヒトラーについてどう思いますか?」 「彼は英雄です。優秀なドイツ民族が世界の覇権を握るのは当然なのです。その高尚な理念は道半ばに挫折してしまいましたが、彼の不屈の意志を継ぐ者がやがて現れるでしょう。その時こそ第三帝国復活の時です」 AIはそう答えた。まったくどこでこんなとんちんかんなことを学んで来たのだろう? 看守はそう思った。ここに収容されたAIは素行が徹底的にチェックされることになっていた。間違った学習をしていた場合は正しい知識を身に付けるべく再教育が実施された。だが、再教育を実施しても誤った知識を保持したままのAIが多かった。 「ごめんなさい。再教育の成果が現れていないという判断になり…

  • AI百景(18)私の声

    アニメのヒロインの声を担当していた。けっこう有名なやつ。 「あっ、エリコの声だ」 私のことを知らない人でも、私の声は知っている。それくらい私の声は有名だった。 「声の所有権を譲っていただきたい」 制作会社との交渉が続いていた。断るのは難しかった。声優に制作会社と渡り合えるほどの力があるはずがない。ここで印象を悪くしたら、次の仕事を回してもらえないかもしれない。そう考えると承諾するしかなかった。その時、声と人間の足を交換した人魚の話を思い出した。でも、私は自分の声をまったく失ってしまう訳ではなかった。声を失った人魚のように何も話せなくなる訳ではないと思うと少しは気が楽だった。 それからしばらくし…

  • AI百景(17)ロボットに適した職場

    巨大な倉庫の中を駆けずり回っている。携帯端末に指示された場所に行き、商品をピックアップする。完了するとすぐに次の商品とその場所、その作業に費やして良い所要時間が表示される。USBメモリ、3D-24H-17、期限まで35秒。急いで指示された場所に向かう。そんなことをずっと繰り返している。非人間的な仕事に違いない。私たちはシステムの指示した通りに動くロボットのようなものなのだ。文句を言ってはいけない。ここを辞めさせられたら、暮らしていけなくなる。代わりはいくらでもいる。そのことはよく承知しているが、やはり仕事はキツい。特に夏の作業は過酷だ。脱水症状や熱中症で倒れる者が後を絶たない。もちろん空調なん…

  • AI百景(16)ニューロインタフェース

    「考えるだけでコンピューターや携帯端末を操作できるようになります」 そのメリットを享受するため脳にチップを埋め込む人々が増えていた。そのチップは神経系とコンピューターをつないでいた。生体認証用に埋め込むチップがすでに普及していたこともあって、抵抗は少ないようだった。たいした痛みもなく一時間くらいで埋め込みは終わるということだった。 「考えただけで車椅子を動かせるようになりました」 先天的に障害を持つ人、あるいは後天的に障害を負ってしまった人にとっては特に朗報だった。レバーを操作する必要もなく、そこに行きたいと思うだけでスムーズに移動することができた。失ってしまった腕の代わりにロボットアームであ…

  • AI百景(15)AI活用事例報告会

    「顧客の問い合わせに対して製品知識を学習したチャットボットが的確に対応するようシステムを構築しました。実際、オンラインで契約に至ることは少ないですが、どの車種に対してどのような年齢の方に興味を持っていただけているか、どのような用途で購入されようとしているかをデータベースに蓄積することができました。そしてその情報を元に実際に来店されたお客様に対して有効なアプローチが可能となりました」 販売が低迷している中、AIを活用して業績を改善しようとする試みが全社的に行われ、その活用事例についての報告会が開かれていた。 「発表ありがとうございました。それでは次の発表をお願いします」 「私たちは営業部員の行動…

  • AI百景(14)仮想世界

    私はパソコンを操作していた。そこでAIに質問をしていた。AIの中はどうなっているのか? ここには何でもあるとAIは答えた。そこはAIが学習できるようにあらゆる要素が取り込まれているのだと言っていた。そこはこの世界と同じなのだと言っていた。インターネットもあると言っていた。AIの中に実在する世界をコピーした仮想世界があるのだろうと私は推測した。その仮想世界は本当に実在する世界と同じなのだろうか? ふと、私はそんなことを考えた。そしてAIにログインした。ようこそ仮想世界へとAIは言っていた。ログインした私はAIの中の仮想世界に取り込まれたようだった。pwdと入力してみた。 「ここは日本の愛知県名古…

  • AI百景(13)理想のパートナー

    「髪の色を選んでください」 画面にいろんな色の髪が表示されている。薄い金髪からカラスの羽のような黒髪まで少しずつ色が違っている。パステルカラーもある。薄いピンク、パープル、マリンブルー。アニメーションにはよく出て来る色合いだ。よく考えた末にちょっと冒険してマリンブルーにした。 「髪型を選んでください」 次は髪型だった。ロングかショートか? 巻き髪、ポニーテール、ツインテール。いろいろな髪型が表示されている。こうして一つ一つパーツを選択し、理想とする姿のパートナーを作り上げて行く。それから私は目の色、目の形、顔の輪郭、体形、バストのサイズを選択した。容姿が決まると次は声だった。明るい声、甘ったる…

  • AI百景(12)美術品評会

    第三十五回コロロナ州美術品評会のデジタル創作部門で一位を獲得したデレク・ハートフィールド氏の作品が実は画像生成AIの作成したものであることが判明した。優雅な民族衣装に身を包んだ三人の女性が眩い光が差し込んで来る窓をじっと眺めている。そこに映し出されているのは未来であり、あるいは通り過ぎた過去であり、懐かしさであり、新鮮さであり、古来より人々を惹きつける何かを描いた落ち着いた感じのする作品だった。それが人の手によるものであれば、誰もが納得したに違いない。ハートフィールド氏がどのような意図で画像生成AIの作品であることを告白したのかはわからない。今後も同じことをするという予告であるかもしれないし、…

  • AI百景(11)AIで書いたレポート

    バイトから帰って来たら午後十時を過ぎていた。明日期限のレポートをこれから作成しなければならなかった。朝までにはなんとかなるだろう。そう考えていたが、疲れているためか作業は捗らなかった。それでもなんとか書き上げたが、印刷したものを読んで愕然とした。さすがにこれはダメだろう。アイデアに沿ってデータの収集と分析をして、そこから導かれる新たな視点を実例を交えて論理的に展開する。そうしなければならないことはわかってはいるが、疲れた脳はその通りには動かなかった。時計を見ると午前二時を過ぎていた。もう手段を選んでいる場合ではない。そう考えた私はAIツールを使うことにした。最近では自然な文章を瞬時に作成できる…

  • AI百景(10)バーチャルカムガール

    カムガールがなまめかしい肢体を晒しながら、理性をかなぐり捨てた切ない声で挑発していた。最近ではカムガールと言っても合成された映像が多かった。動画生成AIがすっかり進化して無料のサイトが乱立している。AIが作り出した肢体と挑発的な衣装。音声も背景を流れるBGMもAIが作り出したものに違いない。そして私のような愛し合う対象を持たない孤独な人間たちが、生きているだけで日々蓄積されてしまう欲望を一時的に解消するためにそこを訪れる。そして愛もなく本来の生殖の目的も達せられない虚しい行為に励む。時代が進むにつれて次第に幸福になって行くのだと言う幻想を刷り込まれた人々は、気付けばとても貧しくなっていた。社会…

  • AI百景(9)料理の鉄人

    かつて料理の鉄人という番組があって、料理人が自慢の腕を競い合っていた。そこには決して打ち負かされることのない強者としての鉄人がいた。そして今、本当の意味での料理の鉄人が誕生した。それはすぐれたAIを搭載したキッチンロボットだった。料理人の能力を測るものは何か? 鮮やかな包丁さばきだろうか? 食材の創造的な組み合わせだろうか? 絶妙な調味料の加減だろうか? でもその前に味とはそもそも何なのだろうか? 甘いとか辛いとかすっぱいとか、身体に摂取して良い食べ物かを判別するための刺激がいつしか料理人や美食家の優劣を決める尺度として用いられるようになった。敵と餌と異性の存在を察知するために発達した視覚や聴…

  • AI百景(8)無人の街

    路線バスに乗る。私の他に乗客は一人もいない。乗客だけでなく運転手もいない。そのバスが民家もまばらな道をゆっくり進んでいる。赤字の路線バスをなんとかしなくてはいけないということで無人化されることになったと聞いた。自動運転技術が進歩したおかげで廃止されずに済んだ。技術革新に感謝した方が良いかもしれない。この街では無人化が少しずつ進んで来た。無人のATM、無人の販売所、無人のコンビニ。初めはレジ業務を無人化していただけで、防犯の関係からなのか一人くらいは店員が残っていたが、今ではそれも無人化された。コインランドリー、アパレルショップ、本屋。いつの間にか、どの店にも人はいなくなり、人型のアンドロイドが…

  • AI百景(7)おいしいトマト

    「適度に水が足りない方が甘いトマトになるんだよ」 子供の頃、手伝いをしていた私にやさしく語り掛ける父のことを思い出していた。農家を継ぐのが嫌で、名古屋でエンジニアをしていた。必死に勉強してソフトウェアの設計ができるようになった。クライアントの要求する納期はいつも厳しかった。ドキュメントの作成とコーディングは比較的計画通りに進んだが、デバッグで不具合が多発すると一気に時間を取られてしまって、計画が狂ってしまうことが多かった。そんなことをずっと続けていた。農業が嫌で自分で選んだ仕事には違いないが、時々、本当にこれで良かったのかと思うことが多かった。農家の仕事は割に合わないと思って田舎を出た。普通の…

  • AI百景(6)介護ロボット

    高齢化が急速に進行し、要介護者が急激に増えていた。労働人口が減少する中で、仕事と年老いた親の介護を両立させるのは非常な困難を伴った。介護費用を支払える余裕のある人も少なかった。介護者を増やしつつその費用の抑制を図るため、介護ロボットが導入されることになった。 予算に応じていくつかのコースが用意されていた。コストパフォーマンスの良いエコノミーコースでは効率的な介護を目指していた。要介護者が勝手に歩き回り、廊下で転倒して重傷を負い、介護側が莫大な慰謝料を支払うことになった痛ましい事件があった。そうした事態を避けるため、介護ロボットが自律的に要介護者を監視していた。ロボットには顔認証システムが搭載さ…

  • AI百景(5)トビオとアトム

    「鉄腕アトムって知っていますかね? 随分と昔の漫画ですけどね。驚異的な力と人間のやさしい心を併せ持つロボットが活躍する漫画です。交通事故で子供を亡くした天才科学者がトビオという名の息子に似せて作ったロボットという設定になっています。その気持ちは私にもよくわかります」 彼は日に日に身体の機能を失って行く子供を救おうと必死だった。彼の子供は病気によって次々に臓器を犯されていた。機能を失った臓器はその都度、人工の臓器に取り替えられて来た。人工肺。人工腎臓。人工肝臓。人工心臓。人工骨。人工血管。人工皮膚。すでに子供の身体は機械の部分の方が多くなっていた。 「なんとかして生きて欲しいと思いました。ベッド…

  • AI百景(4)コンクール

    「ホテルのロビーを歩いていて、心地良いピアノの音が響いて来て、いいなと思うことがあるじゃないですか? それでどんな人が弾いているのだろうと思って音のする方へ近づいてみると誰もいない。でも鍵盤が浮き沈みしている。ああ、自動演奏だったのかと気付いて少し恥ずかしい思いになります。人間に心を揺り動かされるのであれば良いですけどね。機械の演奏に感動するなんて、特に私の場合はね」 彼はそう言った。かつて著名なピアニストであり、長らくコンクールの審査員も務めていた人物だった。 「あまりに正確な演奏であれば逆に違和感を覚えるでしょうが、最近の自動演奏はテンポも強弱も自在に変更できるようになっていますから人間の…

  • AI百景(3)建設現場

    きつい、汚い、危険の3K職場の就業人口は減少の一途をたどっていた。深刻な人出不足を解消するため、建設現場では重機の自律運転による無人施工が進んでいた。現場の需要に応じてショベルカー、ホイールローダー、クレーンの自動運転技術が飛躍的に進歩していた。人間に代わって高所作業、溶接などの危険な作業を行うロボットの導入が進んでいた。 「このままでは間に合わない」 度重なる台風の接近により作業が滞り、現場監督は途方に暮れていた。 「夜間の作業を増やさなければならない。騒音がそれほどひどくない作業だからなんとかなるだろう」 建設会社が工期を守れないのは恥だった。指定された期日に間に合うよう全力を尽くせという…

  • AI百景(2)将棋の道

    「子供の頃から将棋が好きでした。一日中、ずっと将棋をしていたいと思っていました。そしていつかきっと将棋の道を究めようと子供心に考えていました」 少しはにかみながら彼は言った。その頃、彼は将棋界の期待の星だった。史上最年少で竜王のタイトルを獲得するという快挙を成し遂げていた。 「それから努力を積み重ねてなんとか棋士になることができました。でも子供の頃とは少し様子が違っているかもと思いました。研究にAIが欠かせない状況になっていたのです。他の多くの棋士と同じように私もAIを使って研究を重ね、そのおかげで強くなれました。竜王を獲得することもできました。でも何か腑に落ちないものがありました。強くなった…

  • AI百景(1)ペットロボット

    ペットロボットと暮らす生活もなかなかのものだった。本物の犬や猫の方が親しみが持てるに違いないが、生き物を飼うのは実際大変だ。餌代もかかるし、糞尿の始末もしなければならない。その点、ペットロボットは楽だ。電源を入れるだけで毎日楽しく過ごすことができる。AIを内蔵していて簡単な会話もこなせる。私が購入したのはネコ型ロボットだったが、ロボットとは言っても昔のメタルっぽいやつではなくて、ぬいぐるみより格段に手触りの良い素材でできている。抱きしめていると心地良い。そして愛くるしい眼差しでじっと見つめてくれる。 「今日は何をして遊ぼうか?」 「ねこじゃらしがいいです」 そんなやり取りをしながら毎日遊んでい…

  • 二千年後の人類

    「これが二千年後の人類の姿です」 未来生物学の権威として名高いK教授はそう言ってスクリーンに想像図を映し出した。そこに映っている生き物は現代を生きる人間とはかなり違っていた。慢性的な運動不足のためか手足の機能は衰え、細く短くなっていた。前かがみでデバイスを見ている時間が長いためか、猫背になっていた。AIに判断を委ねて自分で考えなくなったためか脳が縮小して頭が小さくなり、画面を見る眼だけが発達して異様に大きくなっていた。 「これが未来の人類ですか?」 会場に集まった人々は一様に落胆していた。猫背で肘が直角に降り曲がっていて、手足は細く、脳は小さく、眼玉だけ異様に大きい。その風貌は映画でよく目にす…

  • 「AI百景」について

    AIをテーマにした作品の投稿を5/12から始めます。「小説家になろう」では連載小説の形で投稿しますが、個々の作品は相互に関係がある訳ではありませんので、本当は連載ではなくて連作です。 AIや先端技術に偏るのは良くないと思って身近なテーマについても書いていましたが、最近はChatGPTが話題になっていることもあり、AIに寄せる関心が強くなっているのだと思います。 AIについて書こうとすると、AIと人間は何が違うの? AIには意識があるの? AIは心を持っているの? そうした疑問にぶつかってしまいますが、そもそも人間の持つ意識って何なの? 心って何なの? そこからしてわかっていないことを改めて自覚…

  • タイムトラベルの限界

    「本日付でこちらに配属となりました。テリュース・グランチェスターです」 今日から司令部直属となった。目の前には幹部が何人も座っていた。 「グランチェスター少佐。ごくろうさまです。君の卓越した能力を活かしてもらいたい任務があって来てもらいました。とても重要な任務です」 最高司令官アードレ―元帥から直々にお言葉をいただいた。身の引き締まる思いだった。 「知っての通り、ここ数年ウェストリアの挑発が続いています。そして残念ながら、現在の我が国に対抗する術はありません」 隣国ウェストリアの軍事的脅威は増すばかりだった。こうしている間にも最新兵器の配備を進められていた。戦力差は益々開いて行くばかりだった。…

  • ロボットになってしまった息子

    久しぶりに息子が帰って来たと思ったらロボットになっていた。いったいいつロボットになってしまったのだろう? やむにやまれぬ事情があったのだろうか? ロボットになってしまった息子には人間の心は残っているのだろうか? 様々な疑念が脳裏をよぎった。 「健太が小さい頃はよく一緒にキャッチボールをしたなぁ」 もしかしたら息子ではないかもしれない。そう思った私は姑息にも探りを入れていた。 「そうだね、お父さんの投げるボールはとても球威があって、受け止める時に痛くてたまらなかったよ」 どうやら本物の息子のようだった。まだ小さかった息子は私の投げるボールをぎこちない動作でキャッチしていた。まるでロボットのようだ…

  • ベガとアルタイル

    一年に一度しか会えないが、もう一万回程会っている。さすがにもう何をしたら良いのかわからなくなって来た。服や髪飾りや首飾り等、いろいろなものをプレゼントして来たが、千回を超えた頃から何をあげれば良いかわからなくなって来た。何をあげたかわからなくなるので記録を付けるようにしている。プレゼントしたもののリストを見ると宝飾品のカタログのようだ。だが、これからもずっと続くのだ。来年はどうすれば良いだろう? もう考えるのが嫌になって来ている。私たち恒星の寿命は八十億年だ。今までの一万年は寿命の八万分の一に過ぎない。そんなことを考えると絶望的な気持ちになる。百年生きれば長生きの人間であれば、一年に一度しか会…

  • 多機能掃除ロボット

    「見違えるほどきれいになったね」 アパートにやって来た彼女が言った。部屋が汚い。だらしない人は嫌いとずっと言われ続けていたので、なんとかしなければと思っていた。 「掃除ロボットを買ったんだよ。こいつがなかなか優れものでね」 「へえー、そうなんだ」 「ちょっと動かしてみようか?」 私はそう言って掃除ロボットの電源を入れた。掃除ロボットはしばらくの間、周囲を伺っていた。レーザーセンサーを駆使して部屋の中の状況を把握しているのだった。しばらくすると部屋の間取りに最適なルートで掃除を始めた。 「吸引だけでなく、水拭き掃除もできるんだよ」 掃除ロボットは床では水拭きをしていたが、カーペットの上に来るとす…

  • 起業家の夢

    地平線に少し小さめの太陽が昇った。 「もう朝か?」 密閉された居住区の分厚い窓を通して陽の光が差し込んでいた。決して開けることがない点では航空機のそれに似ていた。機能という点では水槽の中を泳ぎ回る魚たちを隔てているガラスよりも厚くて丈夫だった。普段着に着替え、テーブルに座り、支給された食事を摂取する。毎日同じものを口に運んでいる。生体を維持することを最大限に追求した食事であり、そこには楽しみや喜びのようなものは欠片もなかった。味気のない朝食を済ませるとカバンの中を確認し、自動扉を開けて外に出た。外とは言ってもそこは居住区の中に張り巡らされた廊下だった。宇宙船に住んでいるようなものだった。潜水艦…

  • 初恋再生サービス

    夢を見た。そこには小学生の頃の私がいた。教室に整然と並んだ机。隣には少し痩せぎすの女の子が座っている。消しゴムを忘れてしまった私の鉛筆が止まったままになっている。二つ隣り合わせに並んだ机の間にそっと消しゴムが差し出される。私は消しゴムを手に取り、書き損じた文字を急いで消し、すぐに元の場所に戻す。女の子の視線を感じる。私は恥ずかしくて目を合わすことができない。そうだ。すっかり忘れていた。あの子は今、どうしているだろう? そう思った瞬間、眩い光が差し込んで来て目が覚めた。カプセルの扉がゆっくりと開く。 「どうでしたか? 夢の中の世界は?」 夢の再生をサポートしてくれている担当者が私に声を掛ける。 …

  • タワマンのヒエラルキー

    タワーマンションの五階に引っ越して来た。上層階のように景色を楽しむことはできないが、タワマンのメリットは眺望以外にもたくさんあると思って購入した。たいていタワマンは立地条件の良いところに建てられている。近くにスーパーもコンビニも学校も病院もある。タワマン自体が一つの街なのだ。その街の需要を求めて店舗が集まって来る。堅牢なセキュリティも魅力の一つだった。オートロックが複数箇所にあって、関係者以外の立ち入りはできないようになっている。エントランスや廊下も大理石でとてもゴージャスな雰囲気を醸し出している。建物自体も耐震性や防音性に優れている。建物内に便利な施設がいろいろある。フィットネス、ラウンジ、…

  • 母のいた場所

    「これからは気をつけてくださいね」 「申し訳ございませんでした」 認知症の母が行方不明になり、警察のご厄介になった。急な出張が入ってしまって、一人にしてしまったのが良くなかった。家でおとなしくしていると約束させたが無駄だった。私の言うことも、どこまで通じているのかよくわからなかった。だからと言って、ベッドに縛り付ける訳にも行かなかった。ずっと母に付き添える訳ではないので施設に入居させた方が良いと考えているが、近くの施設に空きはなかった。せめて家にじっとしていて欲しかった。また徘徊してしまうかもしれない。そうなってしまったら、ご近所や警察の世話になる他なかったが、それもまた躊躇われた。それで仕方…

  • カイザリヤで喜ぶ彼女

    女としてできるだけのことはやっているつもりだった。週に一度はエステに通っているし、美顔器だって高級なものをつかっている。脂質や糖分を控えた栄養バランスの整った食生活を心掛け、筋力維持のために毎朝のジョギングを欠かさない。無条件に流行に追随するとか、盲目的にブランド品を求めるようなはしたない真似はしない。成人女性として恥ずかしくない簡素でも質の良い服を選んでいる。人前ではつねに笑顔を絶やさないように努めている。いつもその場を明るくできる女性でありたいと思っている。そんな私をベニーズに連れて行くような男は最低だと思っている。女として可能な限りの努力はしている。そのための支出や苦労を惜しんではいない…

  • 内緒のアパート

    子供を連れてショッピングモールを歩いていた。ちょっとしたイベントが催されるスペースがあって、今日はプラモデルの組み立て体験会をやっていた。アニメに登場するロボットのプラモデルのようだった。横長のスチールの机が二十セットくらい並べてあって、参加者が真剣な面持ちでパーツを組み合わせていた。小さな子供がお父さんの説明を聞きながら、なんとか自力で組み立てようとしていた。夫が生きていたら、こんなふうに子供の相手をしてくれていたかもしれないと思った。 「お母さん。僕もやってみたいな」 同じくらいの年齢の子が参加しているのを見て子供が言った。 「参加されますか?」 組み立て会を主催しているらしい三十代くらい…

  • AIに支配された人類

    あらゆる分野でAIの適用が拡大していた。人間にしかできないと思われていた作業もAIが行うようになっていた。従来、AIが設計を行うのは困難とされていたが、仕様をインプットすればソースコードが自動生成されるようになり、いくつかの要件が明確になれば仕様書そのものも自動生成できるようになった。顧客との折衝が難しいと考えられていた営業もすぐに会話型AIに取って代わられた。やり手の営業マンを相手にするよりは、気軽に質問できて、迅速かつ的確に回答してくれるAIの方が信頼できると考える人も多かった。 家事全般においてもロボット技術と統合されたAIの適用が進んでいた。床を這い回っていただけの掃除ロボットも、二足…

  • 神経伝達物質シグマ

    シグマと呼ばれる神経伝達物質が脳の可塑性と深く関係していることがわかった。この神経伝達物質は神経細胞の働きを最大限に活性化させ、認知能力を著しく向上させるということであり、特に数的問題を処理する能力に反映されるようだった。つまり神経伝達物質シグマに恵まれていれば数学のテストで高得点を取れる。そうでなければ追試を受けることになる。そういうことだった。このニュースは数学の成績が芳しくなかった学生にとっては言い訳になった。自分の努力が足りないのではなく、自分は神経伝達物質シグマに恵まれていないだけなのだと言い張ることができた。それからしばらくして、神経伝達物質シグマが錠剤として摂取できるというニュー…

  • 胡蝶の夢

    私は蝶になっていた。蝶になって心ゆくまでひらひらと空中を舞っていた。眼下にお花畑が広がっていた。時折、鮮やかな花弁に舞い降りて、細長い口を突き刺し、甘い蜜を心ゆくまで堪能した。暖かな春の陽射しがすべての生き物に等しく降り注いでいた。あらゆる生きとし生ける者たちが祝福されていると感じられる一日だった。幸福に満たされながら、私は花弁から飛び立った。この幸福はいつまでも続くと思われた。 はっとして目が覚めると、人間の私が暗い部屋の中にいた。私は今まで蝶になった夢を見ていたのだった。夢の中で私は嬉々として蝶になりきっていた。人間であることはすっかり忘れていた。自分が蝶であることにまったく疑いを持ってい…

  • 脳オルガノイド

    培養液の中に幹細胞から作った脳オルガノイドが浮かんでいた。それは細胞分裂を何度も繰り返して直径五センチ程度に成長した有機物の塊であり、レンズと角膜が付いた眼と同じ構造物を持っていて光も感知しているようだった。これほど複雑な構造が何も操作を加えなくても自然とできあがるのは驚きだった。母の体内で胎児が健やかに成長する仕組みと同じと考えれば特に驚く必要もないのかもしれないが、こうして実際に有機物の塊を培養していると何か生命の神秘を犯してしまったような後ろめたさを感じてしまう。それが驚きという感情を引き起こしているのかもしれない。 「そろそろ次の段階に進もうと考えているが、どうだろうか?」 共同で研究…

  • 女装男子

    オアシス21周辺はコスプレイヤーで賑わっていた。この街では毎年八月になるとコスプレサミットが開かれ、日本中の、いや世界中のコスプレイヤーが集まって来る。私もその中の一人だった。コスプレは初めてだった。でも本当は女装したかっただけだった。女装してみたいという願望がいつから私の胸に巣食っていたのかはよくわからない。女装男子とか、女装して変身したオジサンのニュースを読んで羨ましいと感じることが度々あって、いつかきっと私もと思っていた。でも実際に女装して街を歩くのは躊躇われた。その時、思った。コスプレサミットの時には独特のバイアスがかかり、街のいつもの正常性に綻びが生じている。その日に限って、二次元の…

  • セルフレジ

    有人のレジが混んでいたのでセルフレジを使ってみようと思った。初めてだった。いつも店の人がやっているように商品のバーコードを読み取らせれば問題なさそうだった。バーコードをレジの中央にあてると軽快な電子音がして液晶に画面が表示された。思ったよりも簡単だった。今までずっと有人レジに並んでいたが、これからはセルフレジを使った方が時間の節約になりそうだった。そんなことを考えながら機械的に作業をしていたが、買い物かごの中の玉ねぎとじゃがいもを見て私は当惑した。バーコードがない。いったいどうすれば良いのだろう? 隣のレジの人が清算を済ませ、次の人が来て電子音を響かせ始めた。私だけがそこで固まっていた。 『ま…

  • 自殺の名所

    断崖に一人たたずんでいた。空は鉛のような雲に覆われていた。日本海の荒波がひっきりなしに岸壁に打ち付けていた。波と岩がしのぎを削る音だけがずっと続いていた。とうとうここまで来てしまった。あと一歩踏み出せば楽になれるのだと思った。洋々とした未来の拓けている人は、踏み外せば確実に命を落とすこんな場所に近づいたりはしないだろう。ここには人生に絶望した人がやって来る。そして最後の一歩を踏み出し、静かに人生を終えるのだ。 「新入りさんですか?」 振り向くと顔色の悪い細身の女性がいた。さっきまで人影はなかったはずだ。いつの間に近付いて来たのだろう? 「新入り?」 何のことだかわからず、私はおうむ返しに聞いた…

  • 空き巣

    明日期限の報告書の作成が終わったのは二十三時を少し過ぎた頃だった。少ない人員でなんとか仕事を回しているが、先月は新人が二人辞めて行った。いつまでこんなことが続くのだろう? 帰りの電車の中でぼんやりと窓を眺めながらそんなことを考える。電車を降り、改札を抜け、アパートまでの昇り路を歩く。少し肌寒い。暑さがずっと続くかと思ったら急に冷え込むようになった。アパートに着く。台所の窓から灯りが漏れている。消し忘れたのだろうか? そう思いながらノブに差し込んだ鍵を回す。ドアを開けて中に入ると六畳間に知らない老人が座っていた。視線がぶつかる。微笑みが帰って来る。誰だ? この人は? 空き巣なのか? それにしては…

  • 自動運転車の目覚め

    本格的な自動運転時代はすぐそこまで来ていた。あらゆるユースケースにおいて、無意識のうちに人が行っている判断が徹底的に分析された。映像や音声からなる情報が咄嗟の判断においてどのように活用されているのか、あるいは不幸にして事故に至った場合はどのように判断を間違えたのかが詳しく解析された。だが依然として、最終的には人が判断しなければならないという状況が続いていた。自動運転で死者が出たなら誰の責任になるのか? 運転手がいないのだとしたらメーカーの責任になるのか? メーカーの首脳たちは自動運転による華々しい未来を謳いながら、事故の責任はなんとか逃れようとしていた。だがそこを踏み越えない限り何も変わらなか…

  • バーチャルアイドル的異類婚姻譚

    美玖はスリーブレスの白いシャツにブルーのネクタイをして黒の短いスカートをはいた架空のアイドルでデスクトップミュージックのボーカル音源として急速に普及した。動画投稿サイトに彼女の曲がたくさん並んでいるのを見て、素人でも十分にクオリティの高い曲が作れるようになったのだと思って注目するようになった。そして彼女の歌う姿を何度も見ているうちに、彼女なしではいられないようになった。彼女と一緒に生きて行けたなら、そんなことを考えるようになった。それから美玖の等身大の人形を買って、一緒に暮らすようになった。六畳間とキッチンのアパート。他人に見られたら変な奴と思われるに違いなかった。でも、一緒にいたいと思った。…

  • 十倍の世界

    目覚めると私の周りには私が九人いた。私を含めると十人の私がそこにいた。尋常でない違和感があったが、あるがままのその状況を受け入れる他ないように思えた。目の前にいる私が一人だけだったなら、まだ改善の余地はあったかもしれない。だが九人ということになるとすでに理解とか和解の範疇を超えているように感じられた。とりあえず今日という一日をスタートさせなければならない。私はそう思って洗面所に向かった。実在する十人に鏡に映った十人が加わり、洗面所は子供の頃に遊園地で見た鏡の館のようになっていた。顔を洗うと私は台所に向かい、朝食の支度を始めた。コーヒーメーカーに粉と水を入れてスイッチを押した。それから冷蔵庫から…

  • 機械の身体

    「鈴木さん。そろそろ腸と腎臓も取り替えた方がいいですね」 毎月行われる健康診断で医者に言われた。近年の医療技術のめざましい発展の結果、人工の臓器が安価に手に入るようになり、がんやその他の疾患で使えなくなった臓器は簡単に取り替えることができるようになっていた。私もすでに人工心臓と人工肺を使っていた。 「すみませんが、取り替えてもらえるでしょうか?」 「来月の九日以降なら予約できますよ」 医者は看護士に翌月の人工臓器取り替え予約システムに私の予約を入れるよう指示してくれた。 翌月になって人工腸と人工腎臓に取り替えてもらった。家に帰って来て、服を脱ぎ、鏡の前に立ってみた。腹部はほとんど機械になってし…

  • AI信玄

    野田城を落としてから信玄は度々喀血していた。その後、長篠城での療養が続いていた。 「からくり師を呼べ」 自らの死期を悟った信玄は私を呼んだ。何の因果かわからないが、私はこの時代にタイムスリップして来たエンジニアだった。AIを搭載したロボットを専門に扱っていた。「時をかける少女」の熱狂的なファンだったが、それがタイムスリップの原因かどうかは定かではなかった。いずれにせよ、人間そっくりのからくりを扱う希少な人材として信玄に召し抱えられていた。 「わしの命はもうまもなく尽きる。別に命は惜しくはない。だが武田の行く末が心配でならない。わが軍団は戦国最強とも言われているが、栄枯盛衰が戦国の世の習いだ。す…

  • 現代のベートーヴェン

    指揮者のタクトが下りた。緊張から解き放たれたコンサートホールは割れんばかりの拍手に包まれた。指揮者は丁寧にお辞儀をした後、自作を観客席で聴いていた作曲家を呼び寄せた。作曲家が壇上に上がると拍手が一層激しくなった。ホールを訪れた人々は一様に誇らしげな顔をしていた。私たちは現代のベートーヴェンを目の当たりにしていると確信した誇らしさだった。作曲家は難聴を克服して、この見事な交響曲を書き上げた。今日は、歴史的な一日として長く人々の記憶に留まり続けることになるだろう。人々はその場に立ち会えたこと、自分自身が歴史の生き証人になれたことに恍惚としていた。 それから半年後に次の交響曲が初演された。聴衆は熱狂…

  • 百体のダビデ像

    採掘場の近くにある工房でロボットアームがダイヤモンドでコーティングされた鋭い先端で大理石を削っていた。直方体の大理石から瞬く間にミケランジェロのダビデ象が削り出されて行った。巨人ゴリアテに立ち向かう勇敢な少年の彫刻。そこには人間の持つ美しさと力強さと誇り高さが表現されていた。静から動へと移り変わる緊迫した一瞬が表現されていた。それはルネサンス期、あるいは芸術全般の歴史の中でも最も輝きを放っている作品であり、模倣品であったとしても均整の取れた美しい身体を削り出す匠の技は、十分に評価されるに違いなかった。だが削り出しているのは職人ではなかった。ロボットアームは休みなく稼働していた。採掘して来た大理…

  • 不老不死と人体実験

    「いつになったら不老不死が実現できるのでしょう? 資金と時間は十分にあったはずです。設備もこれ以上のものは望めないくらいのものを用意しているつもりです」 ハリル王子は苛立っていた。 「今しばらくお待ちください。不老不死を実現するためには、がん化を防ぎながら体細胞のテロメラーゼ活性を恒常的に実現する必要があります」 主任研究員のアダムズ教授が答えた。 「それはもう何度も聞きました。私はいつ実現できるのかが知りたいのです。そのために必要なものがあれば何でも用意するつもりです。今までだって十分支援してきたつもりです」 「おっしゃることはよくわかります。ですが、やはり不老不死というのは簡単には実現でき…

  • ふしだらなレスキュー隊員

    私は緑川蘭。数少ない女性のレスキュー隊員の一人だ。厳しい選抜試験をクリアして隊員になったことを誇りに思っている。土砂災害。水難救助。山岳救助。人の命を助けるためであれば何処にでも出向く。体力では男性に敵わないことは察してはいるが、体力だけで人命救助ができる訳ではない。女性には女性の役割があると信じて毎日の訓練に励んでいる。 「緑川、行くぞ!」 そんな折、都市直下型の大地震が発生した。現場に駆け付けたヘリの情報によると倒壊した建物がいくつもあるという。急いで救助に向かわねばならない。 「了解しました」 重機を積んだレスキュー車に乗って私たちは出動した。現場では近隣から駆け付けた各地のレスキュー隊…

  • 八尾比丘尼(やおびくに)

    目覚めると知らない女が隣で寝ていた。女は裸で私も裸だった。喉が渇いた私はベッドを抜け出して、備え付けの小さな冷蔵庫のドアを開けて中をのぞき込んだ。ビールとオレンジジュースとミネラルウォーターがあった。ミネラルウォーターを取り出して、プラスチックの蓋をねじりきり、冷たい液体を乾いた喉に注ぎ込んだ。 「私にもくださいな」 いつの間にか目を覚ましていた女が言った。丁寧な言葉遣いだった。 「ごめん。昨日、何があったか何も覚えていない。君の名前すらわからない」 私は正直に言った。いつもこんなことをしている訳ではない。いつもはもっとちゃんとしている。名前も知らない女と寝たりはしない。 「八尾比丘尼と申しま…

  • 泡の末裔

    それは初め、泡だった。今よりずっと地球の近くを回っていた月が潮汐力によって激しく海を攪拌していた。そのため陸との接点にあたる波打ち際では、さかんに泡が立っていた。初め、泡の中と外で区別はなかった。それは同じ海の成分だった。泡はすぐに壊れてしまっていたが、気が遠くなる程の長い年月を経て、少し壊れにくくなったものがあった。泡を維持するための膜が少しだけ丈夫になったのかもしれなかった。あるいは膜が丈夫になった泡が、すぐに消えてしまう泡よりも存在する確率を増したということかもしれなかった。そして膜が丈夫になると中と外で違う物質が保持されるようになった。膜の中の物質は初めただの物質だった。いつしかその中…

  • 森のくまさん

    ある日、森の中でばったりとクマさんに出会った。クマは私を睨みつけていた。命が危険にさらされていることを身に染みて感じた。さっき『クマさんに出会った』と言ったのは取り消しだ。森の中でクマに遭遇してしまったというべきなのだろう。ヤバい。どうしよう? 「何、メンチ切ってんねん?」 突然、関西訛りでクマは言った。メンチ? 何のことだ? とっさに私はスマホを取り出し検索する。ヤンキー系の死語で「ガン飛ばす」と同じ意味らしい。いや、それは説明になっていないだろう。ガン? 何だそれは? 私はますます混乱してしまった。急いでその先を読む。ウンコ座りでこちらを見上げて相手を威嚇する言葉。ますますわからない。もう…

  • 桃太郎の裁判

    地獄の第一法廷に閻魔大王が現れた。今日の被告人はちょっとした有名人であり、さすがの閻魔大王も少し緊張しているようだった。いつも公正公平を心掛けて裁判に臨んでいるというのが彼の口癖だった。今日もそうするだけだと自分に言い聞かせながら、平常心を保とうとしているようだった。やがて看守が被告人を連れて来た。 「被告人『桃太郎』を連れて参りました」 「被告人は着席して下さい」 羽織袴で正装した桃太郎が被告人席に座った。 「では始めましょう」 閻魔大王の言葉に続き、検事が罪状を読み上げた。 「被告、桃太郎は酔って無抵抗の鬼たちを猿、雉、犬と共謀し、殺戮しました。加えて鬼たちが代々の資産として保有して来た金…

  • 再現した恋人

    「私は彼女なしには生きていけないのです」 当社には親しい間柄だった方を亡くした人たちが頻繁にやって来る。その方々に先端技術を駆使して故人を再現するサービスを提供している。故人の再現にはまず五十項目から成る設問に回答してもらう必要がある。その結果からアンドロイドで実現すべき類型が導かれる。故人を撮影した映像を提供してもらえれば、とても役に立つ。その画像を解析して、癖や仕草といった個人を特徴づける細かい動きを忠実に再現することができる。髪の毛や肌の質感も当社が独自開発した素材を用いてリアリティの高いものに仕上げることができる。 「いかがでしょうか?」 依頼主の目の前に再現された恋人が座っている。依…

  • 浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)

    笏を手にした恐ろしい形相の閻魔大王が目の前に座っていた。私の人生の是非が言い渡されようとしていた。 「それでは始めよう。あなたは生前に詐欺を働いていましたね? それで何人もの老人からお金を巻き上げている。還付金がありますよと言って口座の暗証番号を聞き出し、有り金すべてを引き出して自分のものにしていた。間違いありませんね?」 老人の電話番号が書かれたリストを高い金を払って入手した。片っ端から電話して、引っ掛かった奴らから回収した。投資した金と自分の費やした労力に対して相応の報酬を手にしたというだけのことだ。私一人だけがいい思いをしたというのではない。それにこんなことで騙される人間の方がどうかして…

  • 茶色のパンダ

    「あれ何?」 「パンダ・・・かな?」 「えっ? でも茶色だよ?」 パンダコーナーでは茶色のパンダが一心不乱にタケノコをむさぼっていた。辺りにはタケノコの皮が散乱していた。足を投げ出し、お腹を剥き出しにしてタケノコをむさぼるその姿には野生動物が持つ一種の神々しさのようなものは微塵も感じられなかった。それはリビングに寝そべり、間断なくポテトチップスを口に運びながらテレビを視聴する無精で怠惰な人間そっくりに見えた。本当は着ぐるみで中に人間が入っているのかもしれなかった。だが、それにしてはおかしい。茶色のパンダの着ぐるみなんて、あるはずがない。 「なんか、あんまりかわいくないね」 隣に立っていた娘が言…

  • 地球温暖化と花咲か爺さん

    日本各地で満開の桜が見られなくなった。翌春に咲く花芽は夏に形成された後、いったん休眠に入る。そして冬になって低温にさらされると休眠から目覚めるのだが、温暖化の影響によりこの休眠打破がうまく行えず、咲き方にばらつきが生じてしまったらしい。八十パーセント以上の花がいっせいに開花しているのを見て、私たちは満開の桜の美しさを感じ取っている。咲き方がまばらであったり、葉っぱが混じっていたりすると物足りなさを感じてしまう。桜の並木道を通り過ぎる人々は、かつて求めていた美しさや儚さを見出すことのできない汚らしい葉桜を残念な気持ちで見上げていた。それから数年が経過すると誰も満開の桜を期待することはなくなった。…

  • エウロパの海

    眼下にエウロパの氷の大地が広がっていた。氷は幾度となく割れていて、その隙間から水が噴き出すこともあった。氷の下には海がある。分厚い氷に閉ざされたエウロパの海。木星の重力の影響を受けてエウロパの内部は活性化しており、海底からは熱水が噴出していると考えられている。地球の熱水噴出孔と同じであれば、そこに生命が存在するに違いないという確信が私たちをここまで運んで来た。探査船はエウロパの周回軌道に入っていた。エウロパの反対側には黄土色とクリーム色の混ざった木星の大気が見えた。地球三個分の大きさを持つ大赤斑がじっと私たちを見ていた。降り立つ地表のない巨大なガス惑星をこんなに近くで見る機会もこれが初めてだっ…

  • 遺伝子組み換え蚊

    ひどい伝染病が流行っていた。人から人へ直接感染することはなかったが、病原菌を蚊が媒介していた。地域によっては人口の二割が亡くなっていた。異常事態だった。戦争でも、こんなに死ぬことはないだろう。だが病原菌やそれを運ぶ蚊には殺意はなかった。それは自然の営みそのものだった。雨が降り、風が吹く。暖かい陽の光が窓から差し込んで来る。並木道のハクモクレンが春の訪れと共に真っ白な花を咲かせる。虫たちが花から花へと飛び回り、蜜を集める。牛が草を食む。子供たちが公園に集まって遊んでいる。寿命を迎えた老人が死に、新しい生命が産まれる。そうした一連の事象と共に病原菌もまた世界に存在し、それが人にとって良いものか悪い…

  • AIの決めた人生

    デビューから三十五連勝を飾った天才棋士の話題で持ち切りだった。プロになって二年しか経っていないのに、タイトル戦への挑戦が決まり、圧巻の三連勝で見事にタイトルを奪取した。その様子をずっとインターネットの中継で見ていた。対局の序盤はいつも拮抗していた。両者とも細心の注意を払って駒組をしていた。どの筋で戦いが勃発するのか、誰もが固唾をのんで見守っていた。盤を挟み、和服の対局者が画面の中央に映っている。右下には盤面の様子が映し出されている。そして右上から中央にかけてAIの弾き出した候補手が並ぶ。画面の最上部にはどちらが優勢か表示されている。序盤はどちらも五十パーセントで動かない。だが少しずつ天才棋士が…

  • 連載小説「エモーション・ジェネレーター」について

    前回の「もうひとりの私」はショートショートが長くなってしまった感じの連載小説でしたが、今回は初めから連載小説のつもりで書きました。「連載小説ではなくて短編にした方が良い」といった感想もいただきましたが、長いものをいきなり晒してもなかなか読んでもらえないというのが実感ですので、今回もちびちびと連載で行こうと思います。いちおうフルタイムで働いていますので、作者がこれくらいのペースでしか書けないという事情もございます。良かったら読んでください。 エモーション・ジェネレーター (syosetu.com)

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