趣味は、それが本物ならどんなものであっても、必ず洗練を招くものである。本物の趣味とは、人をしてそれを洗練させずに措ないものである。洗練に向かわなかったとしたら、それはその人の趣味にふさわしくないものだったのである。趣味を洗練することは、仕事に精通することと変わらない。なぜなら、個人にとってのそれは、車の両輪のようなものである。趣味だけの生活も、仕事だけの生活も、人間性の十全な発露を目指す観点から見ると、不自然である。趣味も仕事も、最終的には個に帰結する。趣味はどこまでも、個のものすなわち、その人個人の特性が顕れるものである。個のものだから、洗練することが可能になるのである。集団のものだったら、それは不可能である。本物を模倣するのでは、洗練にほど遠い。どんな趣味であっても、個性によって洗練されれば、それはそ...趣味の洗練