chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
tekedon638
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2022/02/27

arrow_drop_down
  • 源泉かけ流し

    5時に起きて外に出てみると、心なしか28度設定の室温より涼しく感じられた。「あっ!猛暑も峠を越したな」と感じた瞬間だった。秋風が立ったのである。さしもの酷熱も、太陽の入射角のごく僅かな変化で、今後一日ごとに猛威を失うと予想すると、痛快な気分になる。今日(30日)は温泉マニアの娘夫婦に誘われ、甲斐と駿河の国境にある、山梨県南部町の「佐野川温泉」を訪ねる。富士川支流佐野川の畔に佇む冷泉である。源泉かけ流しに拘ると、入湯客の多い温泉施設はほとんど失格してしまう。源泉の湯量がどんなに豊富でも、引き湯先の数が多ければ、一施設あたりの湯量は乏しく、循環なしでは豊かな湯量をできない。戦後一貫して高層化、大規模化して来た日本の温泉ホテル・旅館は、平成の温泉掘削ブームの時代になると、掘削深度を深めて温泉水の汲み上げ量を上げ...源泉かけ流し

  • 感懐と述懐

    【感懐】物事に感じてしみじみとした気持になること。身にしみて感ずること。【述懐】考えている事や思い出を述べること。その述べた内容。年を累ね還暦を過ぎる頃になると、感懐が年ごとに深まり、それに応じて述懐が増えるのは、とても嬉しいことである。自分自身と真っ正面から向き合っていれば、心の中にこの二つは必ず生起してくるものだ。生起したものを掬い上げるのは、老いの楽しみのひとつかと思っている。感懐や述懐は、記録しなければ雲散霧消してしまう。その為に時間を費やすのを厭うてはいけない。老人に公平・平等に用意されているもの、それは感懐と述懐であると思う。感懐や述懐の表現の仕方は多様である。散文・詩歌・絵画・工芸など、自分に適した仕方で表せばよいのではないかと思う。凡ゆる創作は、その動機の核心に感懐や述懐がある。モノを書く...感懐と述懐

  • 早朝歩き

    今朝は台地へのトラバース道を登ってみた。娘が通った中学への通学路。弟たちは新設の中学へ行ったので、川沿いの通学路を往復した。①エノコログサ朝日を受けて穂が光っていた。②宅地造成地昭和の宅造ブームで、丘も谷も住宅で埋め尽くされたが、それでも市街地から見ればまだ樹木が多いようだ。③30分、3000歩のウォーキング。歩き始めは閉じていたアサガオが、戻ったら開花していた。早朝歩き

  • 久しぶりに早起き

    今朝は5時15分に目覚めた。日が昇る前に、久しぶりに近所周りを散歩した。セミは喧しく鳴いている。高台へ上がり,そこから降って川に下りる。今日は出来るだけ大股で歩いた。②アオサギ③小川の流れ久しぶりに早起き

  • フィクション離れ

    顧みると、老生は年ごとにフィクションへの関心が薄れ、ドキュメンタリーへの傾斜が強まっているように思う。感性の老化というものかも知れない。ロマンとファンタジーに陶酔していた青年時代が懐かしい。フィクションは作家の頭脳から生まれた空想の所産である。勿論作家の現実体験が作品の根底にはあり、現実の描写もあるだろうが、本質的には虚構で成り立つものある。具体的に挙げると、小説・演劇・映画・TVドラマ・マンガ・アニメ・編集されたYouTube投稿・見映えを狙ったインスタグラム投稿・テーマパークなどがフィクションと言える。若い頃はフィクションを漁り、中年になって山歩きや旅に没頭したのは、感性が精神に潤いをもたらしていてくれたからである。60代あたりから、体の細胞の水分が減るのと同期して、人様の創造した世界に易々と埋没でき...フィクション離れ

  • 自己過信

    齢80を目前に,とんでもない自己過信を思い知らされた。ここ10年ほどの自分の生活習慣は、ほぼ万全で問題はないだろうと思っていた。たまたま医療機関に治療を求めるほどの身体の不調が発生しなかったので、勝手にそう思い込んでいたのである。運動を日常的に繰り返し、食事には特段の注意を払って来た。自家製の発酵食品を毎朝欠かさず食べ、苦手の野菜を努めて食べるよう心がけもした。老人になって、野菜の美味しさがわかり始めていた。古来の食材を使った和食が日常の食事のベースとなり、食事量の配分は朝3昼5夕2の比率。仕事を罷めてから外食の比率は低い。飲む水はミネラルウォーター。そして遂に、積年の課題、断酒にも成功した。その絶大な自信を持っていた食習慣に、陥し穴があった。紅茶を1日にポット3倍も飲むほどの紅茶好き。紅茶の利尿作用を忘...自己過信

  • 惻隠の心

    惻隠の心というものは、他人の心情を深く思い遣る気持ちである。「遠慮は無沙汰」という言葉があるが、遠慮がちな人間は,どうしても相手のことを考えてしまうものらしい。遠慮には想像力が動員される。「遠慮知らず」とは、想像力の乏しさを示すものである。惻隠の心は、遠慮・深慮に近いものがあるようだ。他人の心情を深く思いやる心映えは、生まれつきの共感力の影響が大きいが、生活経験・社会経験の蓄積から身につく部分も大きいと理解している。もしこの年齢で、友誼を結ぶに望ましい資質をひとつ挙げよと訊かれたら、即座に「惻隠の心」と答えるだろう。惻隠の心

  • 沈思黙考

    沈黙して深く思考を巡らすことは、最も老人に相応しい仕事である。思考というものは、会話や発言していても、視聴や読書をしていても纏められない。五感を鎮静させ、思考に集中することが肝腎である。「沈思黙考」は、最良の思考態度かと思う。私は若い頃から自然の静寂の中にいることを何よりも好んで来た。かつて親しんだ山歩きも釣りも、それを求めてのものだったと思う。自然は無音ではない。風の音、小鳥の囀り、さざ波やせせらぎの音までもが、自然の静寂の一部である。それらは単なる音ではなく、自然が発する細やかな囁きと感じられる。ところが日常生活というものは、音響と映像に満ち満ちている。徒に五感を刺激し、人の思考をかくらん撹乱し妨げる。資本主義は、人間が冷静に考えることを本質的に好まないと思う。冷静よりも熱狂の方が、いろいろな面で都合...沈思黙考

  • インターバル・ウォーキング

    ネットでインターバル・ウォーキングというものを知った。早速実践してみて、効果の高いことを実感している。並足と速歩を交互に歩くだけのことだが、合理的なウォーキング法だと思った。いつものぶらぶら歩きたと、散歩中様々なものに目がいくが、速歩になると視線が固定するせいか,草花は目に入らない。歩くことに集中しているということだろう。左様な次第で、今朝の発見は、段子川の岸に咲いたヒルガオだけ。セミが喧しく鳴いていた。インターバル・ウォーキング

  • フラワーパーク9

    天気が悪く暫くフラワーパークにご無沙汰していた。今朝は曇天だったが、お天気レーダーで午前中は降雨がないことを確かめ、朝イチで入園した。7月8月の両月は入園無料である。まっしぐらに、大賀ハスが咲く池に直行した。フラワーパーク9

  • セミの初鳴きに思う

    今年の七夕は、小暑の始めと日が重なった。暦の上では、夏到来と言える。当日の朝、遠い小森から,かそけきセミの鳴き声が聞こえて来た。耳を澄ましても聴き漏らすような微弱な音。7年も土中にいたのなら,地上に出ても、暫くは大きな声は出せないのだろう。声は微かだが、確実に夏の到来を告げてくれている。大暑に至れば辟易するほど喧しく鳴く。セミの斉鳴は太陽と共に夏の大きな役割を担っている。年はとっても、夏の遊びと縁が切れていても、梅雨が明けただけで無性に嬉しい。学童のころは、夏休みが近いのと、新学期が近いのでは、天地の違いがあった。戦果に見舞われている彼の自然豊かな国の子どもたちは、夏休みどころではないだろう。家族と共に暮らすことさえ叶わないらしい。かつて日本でも、学童が都会から田舎に疎開した時代があった。誤った観念に捉わ...セミの初鳴きに思う

  • 気が付けばテナガエビの季節

    梅雨明けが間近と感じられる荒れ模様の天気の晴れ間に、旬のテナガエビの釣果を友からいただいた。かたじけないことに、ここ数年恒例になっている。老生はこれの硬い両手を外して殻のまま醤油と酒と味醂で炊いたものが大好物。お酒に佳く合う肴だが、今は酒を絶った身なので、専らご飯のおかずとして食べる。日本酒の肴になるものは,当然ながらおかずとしても美味しい。夏の到来を告げるこの川海老、その釣りの光景は、見方によっては鮎よりも風情がある。夏の風物詩と言えるかと思う。この釣りほど釣り人が静かさに溶け込む釣りも少ないだろう。小さなウキへの微妙なアタリを見逃さない視力が必須だ。老生にはもう真似事も出来ない。かつては清流・渓流の釣りに没頭していたこともある老生だが、早々に運転免許を返納するようでは、もう釣りはできない。想像力と味...気が付けばテナガエビの季節

  • 線状降水帯の雲の頭

    九州で今朝発生した線状降水帯、今夕午後7:00頃、帯の東端部が浜松の南方約100kmの遠州灘沖に到達、約700kmを東進している。この帯は伊豆諸島まで届くのだろうか?線状降水帯の積乱雲の頭頂を目視したのは初めてだった。100kmも離れていたので、雲の頭が見えた。夏の線状降水帯と冬の雪雲(伊勢湾で発生)の定常通過コースとが重なった偶然だった。これまでの線状降水帯は列島の内陸部を東進していた。線状降水帯を海側に押し出す力が働いていたのだろう。画角の東端線状降水帯の雲の頭

  • 梅雨の様変わり

    未明に雨が降ったらしい。川の水が増え、段差のあるところが泡立っている。さいわい豪雨でなくて良かった。先月の豪雨では、友人宅が床上浸水の被害に見舞われた。金原明善という偉人が明治に出て、私財を投じて暴れ天竜川の治水に取り組み成功した恩恵で、遠州平野での大水害はあまり記憶にない。伊勢湾台風の時は一番酷かっただろう。3年ほど前に九州西北部で大水害が発生した。それからだろうか、線状降水帯という気象用語が一般化したのは。今ではこの言葉を聞かない日はない。今期の梅雨では線状降水帯が連日発生している。日本の梅雨の特徴は、梅雨前線のシトシト・ムシムシから、高気温と偏西風による線状降水帯の豪雨に様変わりしたのだろうか?子どもの頃、てるてる坊主に雨やみを託したことが懐かしい。悠長な梅雨だった。梅雨明けが待ち遠しいが,台風が待...梅雨の様変わり

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、tekedon638さんをフォローしませんか?

ハンドル名
tekedon638さん
ブログタイトル
道々の枝折
フォロー
道々の枝折

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用