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2021/08/11

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  • チャンパ陶磁 ちゃんぱとうじ

    中部ベトナムのチャンパ王国で生産された陶磁器の総称。15世紀には国外に輸出されており、東南アジアや中東、日本の大宰府でもみつかっている。日本には17世紀初頭の朱印船貿易によってもチャンパ陶磁が運ばれた可能性がある。

  • ホイアン Hoi An

    ベトナム中部、トゥーボン川の河口に形成された港町。紀元前から遺跡が形成され、13世紀ごろまでチャンパ王国のもとで栄えた。16世紀中ごろに広南阮氏の支配下となり、対外貿易港として発展。17世紀初頭には日本町も形成された。

  • ベトナム陶磁 べとなむとうじ

    ベトナム北部で生産された陶磁器の総称。ベトナムにおける施釉陶磁の歴史は古く、二千年以上前から始まっていたとされる。11世紀に興った李朝の時代から独自の陶磁が生産されるようになり、東南アジア諸国だけでなく琉球や日本にも輸出された。西方にも輸出されており、オスマン朝には「大和八年」(1450年)銘の青花天球壺が伝わっている。

  • カメラ・オブスクラ camera obscura

    ピンホール現象を応用して投影像を得る装置。17世紀初頭、オランダ人によって携帯型のカメラ・オブスクラが発明され、市販されるようになった。江戸初期の日本にも移入されており、日本ではオランダ語の音写として「トンクルカームル」、あるいは日本語訳して暗室鏡、暗室写真機、写真鏡と呼ばれた。

  • 望遠鏡(輸入) ぼうえんきょう

    望遠鏡は17世紀初頭のオランダで発明された。その後まもなくヨーロッパ中に普及し、日本にもイギリス東インド会社によって持ち込まれた。江戸幕府とオランダとの貿易が本格化すると、オランダは対日の高級貿易品として望遠鏡を輸入。日本では軍事や天体観測に用いられた。

  • トラディスカント壺 tradescant jar

    中国明朝の華南地方で製作された「華南三彩陶」の一器種。名称は1627年(寛永四年)に没したイギリスの収集家ジョン・トラディスカントの名前に由来する。東南アジア地域中心に伝世品、出土例があるが、日本でも博多や豊後府内、肥後天草、石見益田などで確認されている。豊後大友氏や石見益田氏は茶壷として使用したらしい。

  • ラスター彩陶器 luster ware

    9世紀にアッバース朝支配下のイラクで生まれた白濁釉陶器。ガラス器製作の技術を応用し、金属器の光沢を放つことが特徴。中近東において長らく最高級陶器としての地位を占めた。またムスリム商人によって東アジア・東南アジアにまでもたらされた可能性がある。

  • マルタバン壺 martaban pot

    ミャンマー南部の港マルタバン(モッタマ)から輸出された黒褐釉陶器の壺(あるいは甕)。中には1メートルほどのものもあり、東南アジアからインド洋沿岸地域で確認される施釉甕のなかでは最も大きい。貯蔵の為の容器として航海用に用いられることも多く、戦国期の日本にも持ち込まれている。

  • キュタヒヤ Kütahya

    アナトリア西部の都市。サカルヤ川上流のポルスク・チャイ平原の南西端に位置する。中世、ゲルミヤン君侯国の中心都市として栄え、後にオスマン朝の支配がおよんだ。同じアナトリア西部のイズニクとならんで窯業が盛んであった。

  • キュタヒヤ陶器 Kütahya ware

    アナトリア西部のキュタヒヤで作られた陶器。遅くとも15世紀末までには生産が始まっていたとみられる。同じくアナトリア西部のイズニクと競合しながら発展し、18世紀初頭までに陶器タイルの分野でイズニクのシェアを奪うに至る。

  • イズニク Iznik

    アナトリア西部の都市。古名はニカイア。13世紀前半のイスラムの地理学者ヤークートの著作にはアズニークとしてみえる。紀元前4世紀には存在し、ローマ帝国の都市としても長い歴史を持つ。14世紀に初期オスマン朝の拠点となり、16世紀にはイズニク陶器の生産地としても知られた。

  • イズニク陶器 Iznik ware

    アナトリア西部のイズニクで作られた陶器。15世紀から生産がはじまったとみられ、16世紀中頃までには、宮廷の嗜好を反映するかのように華麗な作品が作られている。また同世紀後半からは建造物に使用する陶器タイルに生産の比重が移った。江戸初期には日本にも移入されており、東京都の加賀藩本郷邸跡からイズニク陶器の皿が出土している。

  • 毛抜形太刀 銘備州尾道五阿弥長行 けぬきがたたち めいびしゅうおのみちごあみながゆき

    備後一宮吉備津神社に伝えられた太刀。尾道で活動した刀工・五阿弥長行が制作し、天文二十四年(1555)に寄進された。毛抜形太刀と呼ばれる平安期の様式の模古作とみられ、舞楽の際に使用されたと考えられている。

  • 宮内 みやうち

    備後一宮吉備津宮の門前町。吉備津宮は12世紀には史料にみえ、中世を通じて備後国内で広く信仰を集めた。江戸初期の境内図には、門前に町場が形成され、大工や鍛冶などの職人が住んでいたことが描かれている。

  • バラービル羊 ghanam barābir

    東北アフリカに生息した羊。中世、ザイラゥなどの港から対岸のイエメンに輸出されていた。イエメンでは現地の羊より高額で取引されており、ラスール朝は下賜品としても用いた。

  • 乳香(南アラビア) にゅうこう

    ムクロジ目カンラン科ボスウェリア属の樹木から滲み出る樹脂。アラビア語ではルバーン(lubān)と呼ばれる。その生育地は、南アラビアや対岸のソマリア、ソコトラ島にほぼ限られる。香料や薬として広く用いられた。

  • ギー(イエメン) ghee

    ギーとはヒンディー語で、牛や羊、山羊の乳から作られるバターを熱して不純物を取り除き、冷ますことで得られる純度の高い油脂を指す。現代では清澄バター、澄ましバター、あるいは単に調理用バター、バター油脂とも呼ばれる。

  • 俊成 左京進 としなり さきょうのじょう

    能島村上家臣。忽那島(愛媛県松山市中島)俊成名を本領とする俊成氏出身か。天正年間、忽那島や岩城島、越智郡桜井などに所領を得た。周防国秋穂の浦銭も知行していた可能性がある。

  • 久枝 修理進 ひさえだ しゅりのじょう

    能島村上家臣。天正十年(1582)四月の来島村上氏の毛利方離反以降、能島村上氏と小早川氏との間を使者として頻繁に往来した。史料には「久修」として見えることが多い。

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