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2021/06/16

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  • 昭和初期の日本が歩んだ「敗戦」への道、迷走を繰り返した大日本帝国が志向したものとは (2021.6.3追記)

    先ずは、齋藤健著「転落の歴史に何を見るか」から紐解いていこうと思う。 ちくま文庫 ¥836 sale by amazon 明治38年(1905年)の日露戦争・奉天の会戦から昭和14年(1939年)のノモンハン事件までの34年の間に、何が起っていたかである。 軍勢は、この間に、ジェネラリストの時代からスペシャリストの時代へ大きく舵を切ったと言うことである。 ジェネラリストとは一般に”広範囲にわたる知識を持つ人”のことである。この時代には、提督と呼ばれる人達(ジェネラリスト)がいた。しかして、次代には、いわゆる学校で学んだ英才が軸になっていくのである。いきおい、兵学が中心になるのである。この34年…

  • なぜこんなにも違う、日米両軍の視点の構え方ー

    情報の入手が甘い、おおむね楽観主義、科学的整合性の欠如など、日本軍の思考法にはいささか危うさが漂うー 日米両軍の戦争に対する構え方には、どのような違いがあったろうか。 いくつかの視点から、比較を試みてみようと思う。 ① ゴールーどう着地させるかー 日本軍ー不明瞭ー成り行き任せであったか? 米軍ー明確 ②志向性 日本軍ー短期決戦ー国力からの判断か。 米軍ー長期決戦ー国力充分 ③ 戦略決定 日本軍ー帰納的(少しずつ積み上げる) 米軍ー演繹的(グランドデザイン) ④ 戦略オプション 日本軍ー狭い(戦略の統合性欠如) 米軍ー幅が広い ⑤ 技術の体系 日本軍ー一点豪華主義 米軍ー標準化(総合戦力) ⑥ …

  • 戦争事始ーなぜ、それは「満州」なのかー

    そもそも、満州とはどんな所なのか?”万里の長城”の北側に位置し、西にモンゴル(蒙古)、北はロシア(旧ソ連)、東を朝鮮半島と接している ここには、日本の3倍以上という広大な領土が広がっていた。 ところで、日本軍の満州侵攻には、無論、地政学的な要素が大きく関係しているが、他方で、当時の日本の窮状が満州侵攻を決定づけたと言えるのである。 日清戦争、日露戦争で日本が勢力下にした朝鮮半島に近く、日本陸軍の仮想敵国であるソ連と国境を接している重要な地域がこの満州なのである。 当然のことながら、朝鮮半島、そして日本本土をソ連の攻勢から守るための最前線ということになるのである。ソ連にはもともと、不凍港を求めて…

  • ビルマの戦い、そして「インパール」の悲劇へ

    日本軍・ビルマ国民軍・インド国民軍✕イギリス軍・アメリカ軍・国民革命軍の戦い、「ビルマの戦い」である。 昭和16年(1941年)アジア・太平洋戦争の開始直後から、昭和20年(1945年)の終戦直前まで続いた戦いである。イギリス領ビルマとその周辺地域をめぐる、第二次世界大戦の重大な局面の一つとされる。 日本軍は、ビルマ独立義勇軍の協力を得てイギリス軍を急襲、首都ラングーンを陥落させたのである。ビルマ中北部の戦闘では、連合国軍に蒋介石の遠征軍が加わって激戦が展開されたが、日本軍がビルマ全土を制圧したのである。 すべては、英米による援蒋ルート(蒋介石を支援する)の遮断が目的であった。 イギリスは、ア…

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