①城峯城中之条町②横尾八幡城中之条町夏場に行ったのでヤブ状態で城の遺構は分からない。案内板があっただけでもありがたい。群馬県のお城シリーズ~渋川・吾妻周辺
①中山城北条氏高山村平山城②役原城北条氏高山村平城この辺りは北条と真田が領地争いを繰り返しました。群馬県のお城シリーズ~渋川・吾妻周辺
①市城砦真田氏②平井城北条氏③福嶋城北条氏家臣いずれも渋川市周辺にあります。群馬県のお城シリーズ~渋川・吾妻周辺
中山道倉賀野宿は、江戸から12番目の宿場で利根川水系最上流の河岸があり、牛馬で運ばれてきた上信越の物資がここで船積みされて江戸へと運ばれ・・・中山道倉賀野宿
①勝保沢城赤城村主郭周囲の空堀がよく残る平城②不動山城赤城村激戦の舞台であったが現在の城址は藪地獄状態③棚下の砦赤城村武田流築城術の三日月堀が見られるが、マニア向け案内無群馬県のお城シリーズ~渋川・吾妻周辺
Hidenobu Fujioka 「城下町登米」&「太宰府天満宮と門前町」
HidenobuFujiokaさんの①「城下町登米」②「太宰府天満宮と門前町」をセットでご覧くださいHidenobuFujioka「城下町登米」&「太宰府天満宮と門前町」
①茶臼山城高崎市城山町鎌倉時代に新田義重による築城南北朝時代は脇屋義助が籠る②寺尾中城高崎市寺尾町新田一族の世良田氏が籠る群馬県のお城シリーズ~高崎市周辺
①北新浪砦高崎市北新波町にある平城②山名城高崎市山名町にある山城新田氏の家臣で、後に足利将軍家の重臣となる山名氏発祥の城群馬県のお城シリーズ~高崎市周辺
中山道26番目の宿、芦田宿に来ています。芦田宿は本陣土屋家がすごい。ほかの宿の本陣は、どこも旅館に毛が生えた程度だが、ここの本陣はこれぞ本陣つづきはこちらからどうぞ根岸明「中山道芦田宿」
「群馬県のお城シリーズ~関東管領上杉家の支城群」より①新堀城②長根城③箕輪城をお届けします。根岸明「群馬県のお城シリーズ~関東管領上杉家の支城群」
中世の山城今井城~土塁、空堀、堀切、馬出など遺構の保存状態もgood 撮影井口隆男中世の山城今井城
諫早城はピンチになると大亀が守るという伝説が残る城です。文明(1469~1486)年間に伊佐早荘を領していた西郷尚善が築城しました。「高城」あるいは「亀城」とも呼ばれました。撮影:平山輝平山輝「長崎県諫早城」
「群馬のお城シリーズ~高崎市周辺」より①岩崎城②奥平城③一郷山城をセットでご覧ください。根岸明「群馬のお城シリーズ~高崎市周辺」
群馬県のお城シリーズ~藤岡市関東管領上杉憲政の居城・平井城を守る周囲の支城群から①要害山城②天屋城③平井金山城をお届けしましょう。かなりマニアックなお城でした。根岸明「群馬のお城シリーズ~平井城を守る支城群」
平将門が砦を築いたという伝説があり、江戸時代には甲斐武田家の家臣山本菅助(勘助)の子孫が大手口・搦手口を武田流築城術により普請している。根岸明「クイズこの城と城下町は何処?」
出羽街道・猿沢宿に今も残る江戸時代宿場の原風景根岸明「出羽街道・猿沢宿」
群馬県のお城シリーズ藤岡市周辺より①関東管領上杉憲政の居城・平井城②平井城の北側防御を担当した三ツ木城③支城群中大塚城、下大塚城④世界遺産高山社の建つ高山館根岸明「関東管領上杉氏の居城・平井城と周辺の支城群」
群馬県のお城シリーズ前橋市周辺から①荒子砦②荻窪城③嶺城根岸明「嶺城」ほか
群馬県のお城シリーズ水堀に囲まれた大室城長野業政の傘下にあった大胡氏の居城・大胡城をどうぞ。根岸明「大室城」&「大胡城」
ここは箕輪城主長野業政の城下にある旧下田邸という。長野氏の重臣であった下田大膳正勝の子孫が箕輪城落城後に土着し、代官として居を構えた屋敷跡・・・根岸明「下田邸」
北関東には珍しく水堀に囲まれた女淵城と裸姿の武田勝頼に攻められて落城(膳城素肌攻め)した膳城をセットで。つづきはこちらからどうぞ根岸明「女淵城」&「膳城」
地元みどり市大間々町より、里見氏の居城・高津戸城つづきはこちらからどうぞ根岸明「高津戸城」
ここは「帰化人のふるさと」と呼ばれる日高市高麗本郷にある古民家である。つづきはこちらからどうぞ根岸明「日高市古民家」
奈良梨陣屋は、天正18年(1590)諏訪頼忠によって築かれたという。諏訪氏は、信濃諏訪神社の神官大祝家で信玄に敗れ・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「奈良梨陣屋」
山中城より岱崎出丸、三の丸、西の丸、本丸を防御する障子堀等の防御策をご覧ください撮影:takeshikamegaiつづきはこちらからどうぞtakeshikamegai「山中城」
HidenobuFujioka「金ヶ崎要害」&「鶴ヶ城」をアップしました。こちらからどうぞ。HidenobuFujioka「金ヶ崎要害」&「鶴ヶ城」
地元の城から「赤堀城、毒島城、天幕城」をどうぞつづきはこちらからどうぞ根岸明「赤堀城、毒島城、天幕城」
今回は地元のお城を訪ねてみました。山上城です。つづきはこちらからどうぞ根岸明「山上城」
桐生城の支城用明砦、物見砦さらに北条の最北端の城、深沢城をセットでご覧ください。つづきはこちらからどうぞ根岸明「用明砦、物見砦」&「深沢城」
地元桐生の北方に佇む桐生城と周辺の支城群をお届け。つづきはこちらからどうぞ根岸明「桐生柄杓山城」
日本初の間藤水力発電所跡が今回のテーマです。足尾というと負のイメージが強いが、今回は少しばかりそのイメージを見直すことができればと思う。つづきはこちらからどうぞ根岸明「日本初の間藤水力発電所」
古い町並みだけでなく、美味しいものも見つけてほしい撮影:飯塚恭弘つづきはこちらからどうぞ飯塚恭弘「奈良まち散歩」
笹川邸のある味方村は、村上藩領で、旧味方組8か村を束ねる大庄屋であった。つづきはこちらからどうぞ根岸明「豪農・笹川邸」
利根川沿いに広がる中瀬地区は、浅間山の大噴火により火砕流が利根川を南下し、この中瀬付近で止まったという。そのためこれより上流は水深が浅く大型の舟は遡上できない・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「利根川中瀬河岸」
喜多方にある多くの蔵は、お店や酒蔵、味噌蔵、醤油蔵、漆器蔵などに利用されている。その中でも今回は酒蔵に焦点を当てて訪ねてみよう。 つづきはこちらからどうぞ蔵の町喜多方市内編
渋沢栄一生家から関連する尾高惇忠生家にやってきた。つづきはこちらからどうぞ根岸明「旧尾高家」
三国街道の上野(群馬)側の最後の宿が永井宿である。三国峠からの小道を整備したのは、上杉謙信で関東への越山にあたり兵が進みやすくすることが目的であった。つづきはこちらからどうぞ根岸明「三国街道永井宿」
猿ヶ京関所は、猿ヶ京温泉の越後側の入口にあった。ここは越後からの侵入を食い止める戦略的要地で戦国時代には宮野城が築かれていたという。つづきはこちらからどうぞ根岸明「三国街道猿ヶ京宿」
岩屋堂伊達氏の居城・岩屋堂城標高115mの山頂に本丸を構え、円形の曲輪の周りに土塁と空堀が巡ります。撮影:大坂和信つづきはこちらからどうぞ大坂和信岩屋堂伊達氏の居城・岩屋堂城
中山道最大の難所、和田峠を控えた和田宿は次の諏訪宿まで23キロもあり、相当賑わったことだろう。今も色濃く残る古民家群が物語っている。つづきはこちらからどうぞ根岸明「中山道和田宿」
中山道塩名田宿に来ています。塩名田宿は、中山道69次のうち、江戸から数えて23番目の宿で・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「中山道塩名田宿」
長岡市の地蔵で古い町並みを探す。地名の地蔵という由来は、もともと33体の地蔵が祀られている地蔵堂があったから・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「長岡市地蔵界隈」
機那サフラン酒造は、長岡市摂田屋にある。鏝絵(こてえ)の装飾を施した蔵が有名である。つづきはこちらからどうぞ根岸明「機那サフラン酒造」
ここは三国街道の六日町宿である。現在は南魚沼市という。ここは三国街道と十日町への清水峠越街道とが合流する要衝で・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「蔵元八海醸造」
北国街道塩沢宿は江戸時代の寛永12年(1635)沿道の諸大名や佐渡奉行の通路に指定され、本陣,脇本陣,問屋,旅籠などが整備された。つづきはこちらからどうぞ根岸明「北國街道塩沢宿」
城下町宇陀と宇陀の街並み-撮影:斎藤文夫つづきはこちらからどうぞ斎藤文夫「城下町宇陀と宇陀の街並み」
さいたま市から荒川を渡って富士見市に入ると下南畑に難波田城があった。現在は難波田城公園として整備されている。つづきはこちらからどうぞ根岸明「民家園」
前橋市清野町は、三国街道沿いの集落です。三国街道は、大名の参勤交代以外に佐渡からの金銀の輸送路でもあった・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「三国街道清野集落」
ここは群馬県伊勢崎市の曲輪町という。曲輪というとお城の防御施設を思い浮かべるが、ここにかつて伊勢崎城があった。つづきはこちらからどうぞ根岸明「旧時報鐘楼」
埼玉県の黒谷というところに来ています。駅のホームには和同開珎(わどうかいちん)という大昔の貨幣のモニュメントが設置してあります。つづきはこちらからどうぞ根岸明「和同開珎」
ここは日光街道の杉戸宿である。杉戸という町は余り馴染みがないのだが、東武伊勢崎線の東武動物公園駅が最寄り駅である。つづきはこちらからどうぞ根岸明「日光街道杉戸宿」
越後街道は、沼田街道との追分宿でもあlり、会津を歴訪した吉田松陰がここに宿泊したという記録がある。 つづきはこちらからどうぞ根岸明「越後街道塔寺宿」
旧西蒲原郡巻町(現新潟市)で三根山陣屋跡を訪ね、旧味方村の笹川邸に向かう途中、県道2号線沿い松野尾集落内に佇む蔵元・笹祝酒造(ささいわい)を訪ねた。つづきはこちらからどうぞ根岸明「笹祝酒造」
江戸時代に金沢城を中心に加賀百万石の城下町として栄え、城からほど近い長町には武家屋敷町が作られました。撮影:縄田和行 つづきはこちらからどうぞ「百万石の城下町」
久田集落は日本海岸の砂丘地の上にある。かつては九田ともいい山寄に山城跡が見られ・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「久田・山田集落」
新潟県長岡市の摂田屋にきている。摂田屋とは変わった地名であるが、中世の武士や僧侶を宿泊など接待した「接待屋」に由来する・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「摂田屋」
ここは近代資本主義の父と謳われた渋沢栄一の生家、中の家(なかんち)である。現在大河ドラマ「晴天を衝け」を放送中であるが・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「渋沢栄一生家」
法師温泉長寿館は、みなかみ町永井にある。ここは秘湯の宿・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「秘境法師温泉」
妻沼聖天山は「日本三大聖天さま」の一つとして知られ、特に縁結びのご利益がある・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「門前町妻沼聖天山」
長瀞町郷土資料館に来ている。ここに来た目的は、旧新井家住宅を見ることにあったが、まさか有料とは・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「新井家住宅」
秩父の旧贄川宿から小鹿野町に入って、道路沿いに洋館が建っていた。近づいてみると近藤酒店と書いてあります。しかしお酒の販売店ではなく酒造業のようで・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「廃業した蔵元」
足利政氏居館は、久喜市古久喜にあった。甘楽院という寺院の敷地内にある。ここは享徳の乱終息(1482年)以後、古河公方になった・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「足利政氏居館」
先日、六角さんの番組「飲み鉄本線日本旅」で小川町を訪ねていたが、その中で酒蔵の紹介があった。つづきはこちらからどうぞ根岸明「小川町の酒蔵」
「クロスケの家」という愛称を持つ旧和田家住宅は、埼玉県所沢市の三ヶ島というところにある。クロスケの家とは、トトロのふるさと基金が活動拠点としている古民家で・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「クロスケの家」
ここは所沢市の林というところである。江戸時代には山口領に属したという。つづきはこちらからどうぞ根岸明「小野家住宅」
ここは川口市赤山の赤山陣屋という。すぐ近くに外環道の川口東ICがある。ここに七千石を賜る代官伊奈半十郎忠活が在地支配のため築いたという。つづきはこちらからどうぞ根岸明「伊奈氏陣屋跡」
古い町並みを訪ねると、その中に酒造会社があることが多い。しかも集落の中で異彩を放ち圧倒的存在感を醸し出している。つづきはこちらからどうぞ根岸明「茂田井宿の蔵元」
歌手・美空ひばりが映画「とんぼ帰り道中」で角兵衛獅子を演じ「越後獅子の唄」を歌った舞台がココ月潟です。つづきはこちらからどうぞ根岸明「角兵衛獅子の故郷・月潟」
ここは新潟市西蒲区の福井という。地元では「ホタルの里”」して知られています。格子状の柱と白壁の美しい組合せの真壁(しんかべ)造りの古民家が点在しています。つづきはこちらからどうぞ根岸明「北國街道福井宿」
三条市の本町に来ています。ここは地理的に新潟市と長岡市という大消費地に挟まれた場所にあり、市内を流れる加茂川と信濃川の水運に恵まれて・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「三条市本町」
銅(あかがね)街道は、栃木県足尾町(現日光市)から群馬県伊勢崎市の平塚まで足尾銅山から産出する銅を運ぶための街道で・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「銅街道大間々宿」
銅街道の大間々宿のすぐ西側にこの桐原宿があります。中山道には暴れ川の異名をもつ千曲川の両岸に宿場がありましたが、ここ大間々と桐原の間にはそのような通行の妨げとなるようなものはない。つづきはこちらからどうぞ根岸明「銅街道桐原宿」
ここは上州(桐生)街道丸山宿という。幕府が公認した宿場町ではなく、桐生から江戸に絹織物を運ぶための馬の継立をするための宿で・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「上州街道丸山宿」
行田市は江戸時代から足袋生産が盛んで最盛期の昭和13年には年間8,500万足で全国シェアの8割を占めていました。つづきはこちらからどうぞ根岸明「行田の足袋蔵」
武家屋敷はこの辺りに数軒見られた。武家屋敷を見るのが目的だったが、その先にもっと興味深いものがあった。キリシタン洞窟だ。つづきはこちらからどうぞ根岸明「岡城と隠れキリシタンの里」
武家屋敷はこの辺りに数軒見られた。武家屋敷を見るのが目的だったが、その先にもっと興味深いものがあった。キリシタン洞窟だ。つづきはこちらからどうぞ根岸明「岡城と隠れキリシタンの里」
江戸崎土岐氏の北の最前線にある塙城は、三方を清明川の要害で守られたいたが、唯一北側の防備が薄く、ここに北の要害を構築して守りを固めた。 撮影:kojidateこちらからどうぞ。kojidate「北の最前線」
北国街道の坂木宿に来ています。ここ坂木は、村上義清が治めた地です。まだ彼の居城、葛尾城には登っていないが、武田との境目の城であった・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「北國街道坂木宿と村上義清」
ここは北国街道鼠宿という。なんともユニークな宿場名であるかな。つづきはこちらからどうぞ根岸明「北國街道鼠宿」
天草島原の乱「原城の攻防」はこちらからどうぞ。平山輝「天草島原の乱・原城の攻防」
風雲告げる吉田郡山城、毛利元就の野望つづきはこちらからどうぞ平山輝「風雲告げる吉田郡山城」
中山道茂田井間宿に来ています。ここは望月宿と芦田宿の間にできた間の宿(休憩のみ宿泊は不可)であった。つづきはこちらからどうぞ根岸明「中山道茂田井宿と倉見城」
大間々町塩原は、かつて銅街道が集落を通っていたことから、宿場ではなくともそれに関係した施設あったのかもしれない。つづきはこちらからどうぞ根岸明「大間々町塩原」
三国街道は上杉謙信が何度も関東に越山した道である。つづきはこちらからどうぞ根岸明「三国街道布施宿」
長野県別所温泉にある安楽寺に来ています。ここには国宝の八角三重塔がある。つづきはこちらからどうぞ根岸明「安楽寺六角三重塔」
ながめ余興場は、昭和12年に建てられた木造二階建ての芝居小屋で廻り舞台や花道、二階席もある。つづきはこちらからどうぞ根岸明「ながめ余興場」
城下町小幡は、織田宗家である織田信雄より八代、152年にわたり栄た土地です。それは現在も江戸時代の面影を随所で見ることができる。つづきはこちらからどうぞ根岸明「城下町小幡」
島崎藤村の旧宅は貞祥寺にある。貞祥寺とは、この地を治めた前山城主・伴野貞祥公が開山した寺で佐久では古刹である・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「貞祥寺と島崎藤村旧宅」
新島襄旧宅は、安中市安中にあった。さて新島襄とはそもそも何者なのか。群馬県民は新島襄を知っている筈である。つづきはこちらからどうぞ根岸明「新島襄旧宅」
中山道坂本宿に来ています。国道18号線をそのまま進むと碓井バイパスとなり軽井沢方面となる。坂本宿に行くには、旧国道18号に進む必要がある。つづきはこちらからどうぞ根岸明「中山道坂本宿」
中山道小田井宿は、北佐久郡御代田町にある。すぐ近くには軽井沢があり、賑わっている・・・つづきはこちらからどうぞ根岸明「中山道小田井宿」
旧安中藩武家長屋は、安中市安中の旧安中城の大名小路にあった。つづきはこちらからどうぞ根岸明「安中藩旧武家長屋」
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