千年の影引く影や姫小松 高山れおな さわらびや何を握りて永き日を 同 玉苗のふるへたふとし水は空 同 地球より溢れ荒川雪の夜を 同 昭和百年源氏千年初鏡 同 我が狐火も霜夜は遊べ狐火と 同 息白き別れは星の匂ひかな 同 時の日の湖光りつつ眠る 同 挽歌降るべし雲雀ほど高きより 同
芭蕉百句の評釈と英訳(漸次更新中) 100 haikus of Basho selected and translated into English by Takatoshi Goto
芭蕉百句 100 haikus of Basho 完結 !!
何とか芭蕉百句の解説と英訳を終えました。これも陰に陽に支えて下さった皆様のお蔭と心よりお礼申し上げます。不備も多々あると思いますので、お気づきの点はご遠慮なくお申し付け下さい。推敲を重ねた上で、きちんとした形で出版できたらと考えています。深謝まで。 2021年5月5日 五島高資
たびにやんでゆめはかれのをかけめぐる 元禄7年(1694)10月8日の作。『笈日記』には前書として「病中吟」とある。たしかに芭蕉が最後に詠んだものであり、辞世の句としてよく知られている。 天野桃隣の『陸奥鵆』には、同年5月、江戸を発つ際、芭蕉が「此度は西国にわたり長崎にしばし足をとめて、唐土舟の往来を見つ、聞馴ぬ人の詞も聞ん」と願い、西国行脚の意向を持っていたことが記されている。そうすると、同年秋に大坂に芭蕉が訪れたのは、同地の門人同士の諍いを仲裁する目的もあったが、西国行脚の途次でもあったことになる。 芭蕉は大坂に着いた頃に悪寒と頭痛を催し、いったん恢復するが、9月29日より下痢が続き容態が…
あきふかきとなりはなにをするひとぞ 元禄7年(1694)9月28日の作。大坂を訪れていた芭蕉は、翌29日に催される芝柏亭の句会に招かれていたため、前日に詠んだ掲句を予め送っていた。しかし、当日、芭蕉は体調不良のために欠席している。おそらく前日から何らかの症候があったのだろう。そして、そのまま病の床に就いた芭蕉は再び起き上がることはなかった。 深まり行く秋のなかで、深閑とした隣家に思いを馳せるが、その消息は分からない。別に詮索しているわけではなく、隣人も自分と同じように隠棲しているのだろうかと、むしろ、共感の思いを深めているのである。やはり、俳諧の道は孤独とは言っても、発句は、他者への挨拶であり…
このみちやゆくひとなしにあきのくれ 元禄7年(1694)9月の作か。同年9月23日付の「意專・土芳宛」書簡には、「秋暮」と前書きして「この道を行く人なしに秋の暮」とあり、これでは単なる蕭条とした秋の夕景の描写に留まる嫌いがある。 しかし、『笈日記』によれば、9月26日、大坂にて上五が「此の道や」、前書も「所思」と改められている。そして、芭蕉は、各務支考に対して、掲句とともに「人声や此の道かへる秋の暮」を提示し、その優劣を問うたところ、支考が「此の道や行く人なしに独歩したる所誰か其後に随ひ候はん」と応えて、芭蕉もこれを諒としたという。つまり、芭蕉が晩年に志向した「軽み」の至境に門人らがついてくる…
はすのかをめにかよはすやめんのはな 元禄7年(1694)6月の作。『うき世の北』には「丹野が舞台にあそびて」と前書がある。丹野とは、大津の能太夫・本間主馬の俳号である。掲句は、丹野邸に招かれて能を鑑賞した際に詠まれたものである。 能面は、その目からは外がよく見えないので鼻の孔から見るという。したがって、面をつけて舞っていると、とどこからとなく蓮の花の香りがしてくるので、その鼻の孔から蓮を覗った。そのことを「目に通わす」と表現したのである。ちなみに「目から鼻に抜ける」とは、抜け目がなく賢いことを意味するが、掲句の場合は逆であり、悠然とした趣が漂っている。また、「鼻」で蓮の花を見るというところに俳…
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千年の影引く影や姫小松 高山れおな さわらびや何を握りて永き日を 同 玉苗のふるへたふとし水は空 同 地球より溢れ荒川雪の夜を 同 昭和百年源氏千年初鏡 同 我が狐火も霜夜は遊べ狐火と 同 息白き別れは星の匂ひかな 同 時の日の湖光りつつ眠る 同 挽歌降るべし雲雀ほど高きより 同
鎌倉の人の涼しき胡坐かな 林誠司 母の日や遠くまあるく土星の輪 同 江の島へ向かつて水を打ちにけり 同 人は座し水はいそげり春の山 同 わたつみへ雲かぶせたり富士の秋 同
吃音のあとの静寂に小鳥来る 福本啓介 月朧抱きしめられてゐたりけり 同 昼月と共に過ごせり保健室 同 小春日の昨日に我を置いて来し 同 さくら咲き記憶喪失終はりけり 同
また回り出す年越の換気扇 高野ムツオ 無辺へと千手を垂らし菊枯れる 同 不立文字風に渦巻く落葉こそ 同 天の狼咆哮雪が降り出せり 同 冬の蝿昨日の朝日今日も浴び 同 終末に備え固まる黒海鼠 渡辺誠一郎 数え日や終わらぬ旅の旅衣 同 産声を忘れ宣戦布告かな 同
障子貼りゐていつの間に囲まれし 今瀬剛一 冬の星糸で繋いで贈らむか 同 瀧凍り始める寒さかと思ふ 同 ショール巻いて母が見えなくなりしかな 同 やがて会ふはずの枯野の二人なり 同 瀧深く隠して山の眠るなり 今瀬一博 鮟鱇の腹の白さよ雪催 同 目瞑れば吾も大柚冬至風呂
ペンギンの胸の広さや春隣 大木あまり 霜の花忘るるために歩きけり 同 鎌倉の水羊羹と無常観 同 マスクして逢ふや双子座流星群 同 立ち泳ぎするかに揚羽飛ぶことよ 同 入院も旅と思へば冬うらら 同
くらい水すきとほらせる花火かな 大屋達治 大年の街の音聞く橋のうへ 同 大山に脚をかけたる竈馬かな 同 海に出てしばらく浮かぶ春の川 同 泳ぎより立つとき腕を翼とす 同 日蓮が妙と叫びし初日かな 同 捨てし田を豊葦原へ還しけり 同
薔薇咲くや抜歯のあとのあをぞらを 鈴木総史 とんばうや蝦夷にあをぞらあり余る 同 背広にも晩年のあり漱石忌 同 薬飲むみづのまばゆし風信子 同 実石榴や触れればくづれさうな家 同
山上の雲の厚さや田水張る 藺草慶子 水底のかくも明るく冴返る 同 水渡り来し一蝶や冬隣 同 片雲の遠く光りて夏きざす 同 光陰のなだれ落ちたるさくらかな 同
火柱の見えしと思ふ白雨かな 石田郷子 暗がりに人詰めてをる里祭 同 寄せ合へる椅子のまちまち天の川 同 冬林檎剝けば夕べの月の色 同 万の枝けぶらふバレンタインの日 同
にんげんの回転木馬さくら散る 増田まさみ 何処へも戻らぬひとよ冬花火 同 手花火の手の入れ代わるニルバーナ 同 空蝉にまだ陽の残る浅きゆめ 同 二つ折り厳禁とあり天の川 同
街灯は待針街がずれぬよう 月野ぽぽな 真水汲むように短夜のFM 同 松茸に太古の空の湿りあり 同 まだ人のかたちで桜見ています 同 太陽は遠くて近し芒原 同 手袋に旅立ちの指満たしけり 同
ころがしておけ冬瓜とこのオレと 坪内稔典 長崎に住もう枇杷咲く五、六日 同 リンゴにもオレにも秋の影ひとつ 同 ねじ花が最寄りの駅という日和 同 夕べにはすっかり晴れて栗ご飯 同
友情にイルカが跳ねる時を待つ 十文字潤 夕焼けが捨てた光に救われて 栗原知也 誰が夢を空へ紡ぎて五重塔 星野煌太
地平の目まだ半びらき真葛原 佐怒賀正美 乗るによき父の背いつか天の川 同 地球まだ知られぬ星か磯焚火 同 亀鳴くや天の沖には磁気嵐 同 くねりだす街の石みち鳥渡る 同 青嵐や骨のみで立つ電波塔 同
黒海は波高くして春遠し 田中信行 空白を控へめに埋め冬すみれ 同 夕立に打たれ心の解毒かな 同
覚悟なき死のおびただし核の冬 大井恒行覚めているほかは眠りぬ鈴の風 同ひかりなき光をあつめ枯れる草 同赤い椿 大地の母音として咲けり 同行方わからぬ光放てり手の林檎 同
春満月戦車渋滞していたり 中内亮玄 微笑みの凄まじきこと落椿 同 曼珠沙華火の骨組みに緩み無く 同
この星の春を盡すや又震ふ 高橋睦郞 踝に雲さやりつぐ川禊 同 變若水や有爲の奥山㝱深く 同 春惜む綾取りの橋壊しては 同 三界は火宅風宅三の酉 同 山や水有情無情や皆目覺む 同 高橋睦郞先生より句集『花や鳥』(ふらんす堂)を頂きました。先生には昔より要所要所で大変お世話になっております。ご上木をお祝い致しますとともに併せて心よりお礼申し上げます。「芭蕉一代の表現行爲を継承しようと志すなら、その爲事を尊敬しつつ、各人自分一代の爲事を志さなければなるまい」と帯文にあり、深く首肯致します。
菜種梅雨パレードにひつような橋 田島健一 山桜なにも言わずについてくる 同 人をさがしてと奉じてゐる遅日 鴇田智哉 菜の花の群れが空気を膨らます 同 つま先に春の闇から届く波 福田若之 ゆく春に折り目があれば分けやすい 同 ほんたうはつばきのなかにあることば 宮﨑莉々香 星ぼしや見えなくなつた手に手を振る 同 こゑが地に届いて枝垂桜かな 宮本佳世乃 ともに夜を生き桜蘂降りつづく 同
覚悟なき死のおびただし核の冬 大井恒行覚めているほかは眠りぬ鈴の風 同ひかりなき光をあつめ枯れる草 同赤い椿 大地の母音として咲けり 同行方わからぬ光放てり手の林檎 同
春満月戦車渋滞していたり 中内亮玄 微笑みの凄まじきこと落椿 同 曼珠沙華火の骨組みに緩み無く 同
この星の春を盡すや又震ふ 高橋睦郞 踝に雲さやりつぐ川禊 同 變若水や有爲の奥山㝱深く 同 春惜む綾取りの橋壊しては 同 三界は火宅風宅三の酉 同 山や水有情無情や皆目覺む 同 高橋睦郞先生より句集『花や鳥』(ふらんす堂)を頂きました。先生には昔より要所要所で大変お世話になっております。ご上木をお祝い致しますとともに併せて心よりお礼申し上げます。「芭蕉一代の表現行爲を継承しようと志すなら、その爲事を尊敬しつつ、各人自分一代の爲事を志さなければなるまい」と帯文にあり、深く首肯致します。
菜種梅雨パレードにひつような橋 田島健一 山桜なにも言わずについてくる 同 人をさがしてと奉じてゐる遅日 鴇田智哉 菜の花の群れが空気を膨らます 同 つま先に春の闇から届く波 福田若之 ゆく春に折り目があれば分けやすい 同 ほんたうはつばきのなかにあることば 宮﨑莉々香 星ぼしや見えなくなつた手に手を振る 同 こゑが地に届いて枝垂桜かな 宮本佳世乃 ともに夜を生き桜蘂降りつづく 同
何度開けてもないものはない冷蔵庫 高橋亜紀彦 仙人掌の永き夢から醒めて赤 同 曼珠沙華汝もサイコパスかも知れず 同 白梅や詩人は生くるために書く 同 長き夜や使ひみちなき砂時計 同 出目金の泪に誰も気づかざる 同
月に住む時代それでも白子干 仲寒蟬 入口のとなりに出口牡丹園 同 息止めて水着売場を抜けにけり 同 バイナップルすら爆弾に見えてくる 同 出目金の赤は黒より不幸せ 同
雪もよい湯気のにおいのからだかな 越智友亮 気を抜くと雨粒こぼす春の空 同 噴水の水やわらかく水に消ゆ 同 駆け足や宇宙は秋の空の上 同 金木犀両手で握手して別る 同 数学をやめ台風を待っている 同 河童忌の鉄のにおいの掌よ 同 稲咲いて朝をくださる光かな 同 革ジャンの鈍きひかりやうまごやし 同 白玉や今が過ぎては今が来て 同 相槌うって君は話さずオリオン座 同 川幅に橋おさまらず枯葎 同
わだつみの道の遠のく秋入日 加藤哲也 顔見世を出て風となる一と日かな 同 宵闇に紛れ込みたる夏館 同 新涼やロダンの肘のあたりより 同 大人にもこどもにも降る木の実かな 同 蠟梅や知覚過敏を憂ひつつ 同 菜の花や月光菩薩立ち上がり 同
ぶらんこの裏まで見せて跳びにけり 蜂谷一人 心太突いて夜空を滴らす 同 龍骨のかたちに日本南吹く 同 林檎むくまあるくほどけゆく時間 同 もう土へかへる桜でありしもの 同 蒼き灯の底を聖夜の魚となる 同 蛤の舌夕暮に触れてをり 同 馬跳びの最後冬夕焼と遭ふ 同 ひぐらしや波の広がる心字池 同 空蟬を残して声となりにけり 同 昼点いて白熱灯や虚子忌なる 同
噛みてなほ七面鳥の皮の照り 佐藤文香 ぬかるみのあかるみを踏み友なりけり 同 にはとりのはぐれて一羽春の中 同 夏霧を鳥おりてきて馬となる 同 終の住処鉄扉に薔薇を這はせあり 同 こゑで逢ふ真夏やこゑは消えるのに 同 音楽のあをく膨らむ熱帯夜 同
事切れてまだ虫籠のなかにいる 福田若之 手に木の葉てんごくにも俳句はあるよ 宮﨑凜々香 木犀の届いてゐたる自動ドア 宮本佳代乃 心地よく浮かぶ月かたむき沈む 田島健一 星あかり豆腐の壁にゆきあたる 鴇田智哉
髙野公一先生よりご著書を頂きました。お手紙では、拙著『芭蕉百句』への温かいご批評を賜り、重ねて心よりお礼申し上げます。先生は「芭蕉の天地」で、ドナルド・キーン賞優秀賞を受賞された碩学にして恐縮至極に存じます。いずれにしましても、現代にあって、芭蕉の俳諧精神を探求する者同士として心強い思いがしました。深謝まで。
冬の蝶まばゆき方へ飛びゆけり 橋本石火 鳶の輪の崩れて小春日和かな 同 父の空母の空あるなづな粥 同
卒業の丘からのぞむガスタンク 小林かんな 来た路を金魚とともに引き返す 同 にんじんの太くて書架にトルストイ 同 大人になってからの友達梅三分 仲田陽子 ピーマンの中へ本音を詰めておく 同 白鳥の遺伝子をもち自由なる 同 灰色の象の背に乗る朧月 中田美子 フラスコに残る触媒昼の月 同 黄落のあちらこちらに庭師立つ 同 少しづつ空気を吐いて百合の花 岡田由季 数へ日の母はさつさと助手席に 同 初旅の関東平野のびてゆく 同