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コロナの記録と記憶2022 116 始まることと終わること
いろいろ懸念事項がある中で、どの旅行会社の海外ツアー部門も動いている。今度のオンライン旅行イベントに合わせて、あるツアーのある出発日が、出発確定日として案内されており、そこに僕が割り当てられ「安心安全な添乗員として紹介されることになった。他の出発日にも他
2022/11/30 07:35
コロナの記録と記憶2022 114 コロナ禍後の初添乗⑳
女性客がお清め会場に来たのは、MySOS画面が青になったことを報告に来ただけではない。彼女はきれいで、欧米の男性からモテそうなタイプだった。思った通り、ツアー中にドライバーから飲みに誘われていたということだ。三回誘われたし、ドライバーさんにはツアー客としてお
2022/11/29 07:30
コロナの記録と記憶2022 115 来年に向けての動き
今週中には師走になる。今年もあっという間の一年だった。ここ二年と違うのは、久しぶりに海外添乗に出たということだ。二年半もツアーがないと、自分が果たして現役の海外添乗員と名乗っていいかさえあやしくなってきていたが、たった一度出ただけで、随分と気持ちが変わる
2022/11/28 07:35
コロナの記録と記憶2022 113 コロナ禍後の初添乗⑲
最後のディナー中、PCR検査の結果が届いた。結果は陰性。彼女は外を歩くときは、時々マスクを外してはいたが、屋内観光時や混雑場所などではきちんとマスクをしていたし、体調を崩している様子もなかったので、心配はしていなかった。検査場で見せてもらった検査結果のお知ら
2022/11/27 08:16
コロナの記録と記憶2022 112 コロナ禍後の初添乗⑱
間近で眺めたミラノのドゥオーモ。人との対比で、その大きさが分かる。かつては入場無料だったが、今では有料となってしまった。それも1000円近くする。洗練されたドゥオーモ周辺の街並み。西日に照らされてより映える。ミラノのもうひとつのシンボル。ヴィットーリオ・エマ
2022/11/26 10:37
コロナの記録と記憶2022 111 コロナ禍後の初添乗⑰
ミラノのドゥーモ。街の中心を歩いていると、突然目の前に姿を現す。大きさと美を兼ね備えた建築は、まさに街のシンボル。お客さんのPCR検査代は、ツアー代金に含まれていた。検査会場までの交通手段は、ツアーで利用している大型バス。そのために現地でいただく費用は一切な
2022/11/25 07:30
ドーハの歓喜っていい響きだな
今朝、ずっと連絡を待っていた。日本がドイツに勝ったから、休日になるのではないかと期待していたのだ。さすればコールセンターも休みだ。しかし、戻ってきた返事は無情ながら「休みだったらいいんですけどねえ…」というものだった。まあ、そんなもんだ。日本は中東のどこ
2022/11/24 07:41
コロナの記録と記憶2022 110 コロナ禍後の初添乗⑯
トロンケットから貸し切りボートでベニス本島に近づくときに見えるサンマルコ広場。イタリアで、もっとも旅情を誘う風景のひとつだと思う。小島を多くの橋で繋げているベニス。中には美しいものもある。上が溜息橋。下がリアルト橋。いずれもかなり有名。サン・モイゼ教会。
2022/11/23 12:29
コロナの記録と記憶2022 109 コロナ禍後の初添乗⑮
運河、昼と夕方のサンマルコ広場。ああ、美しきベニス。このツアーをいただいてパンフレットを確認した時、一瞬、僕は目を疑った。参加条件にスマートフォンの所有者が挙げられていたのだ。さらに「旅行に必要なアプリをダウンロードできるものに限る」とあった。「これが
2022/11/22 07:30
コロナの記録と記憶2022 108 コロナ禍後の初添乗⑭
いいワインなどと言われても、専門家であるわけではないし、本格的に勉強しているわけでもない。単純に酒が好きなだけだ。長く添乗員を続けている人は、なにかしら得意技を持ち合わせているもので、やたらワインに詳しい人もいるにはいる。だが、僕にとっての得意技はワイ
2022/11/21 07:30
コロナの記録と記憶2022 108 コロナ禍後の初添乗⑬
話は前日に遡る。その日は、午前中にフィレンツェでウフィッツィ美術館を含む市内観光を行い、午後はピサを訪れて斜塔を登った。どちらもたっぷり歩いたので、予定を終えてホテルに戻る時は、ほぼ全員がバスの中でぐっすりお休みになっていた。「明日は観光後、よかった
2022/11/20 07:30
コロナの記録と記憶2022 107 コロナ禍後の初添乗⑫
「日本人観光客に早く帰って来て欲しい」という声をあちこちで聞く一方で、「急に来てもらっても準備ができていない」ところもある。フィレンツェからベニスに向かう時に立ち寄ったお土産屋さんが、そのいい例だった。そこは旅行会社から、絶対に立ち寄るように言われてい
2022/11/18 07:30
コロナの記録と記憶2022 106 あやしいチラシとコロナワクチン
昨日、帰宅したらポストにあやしいチラシが入っていた。チラシと言っても、A 3用紙の両面が、細かい文字で埋め尽くされている。一言でいうと、コロナに対する陰謀論だ。一見権威がありそうだが、全く有名ではない方々のスピーチを集めて、都合の良いところを切り取っている。
2022/11/17 07:44
コロナの記録と記憶2022 105 コロナ禍後の初添乗⑪
フィレンツェで朝一番に訪れたミケランジェロ広場。残念ながら少しもやがかかっていたが、十月下旬の朝一番としては、実は悪くない。現地ガイド曰く「見えたうちに入る」。霧で視界がないこともあるとか。なかなかすべてがうまくいくことってない。フィレンツェでは二泊して
2022/11/16 07:30
コロナの記録と記憶2022 104 コロナ禍後の初添乗⑩
マテラの街並み。サッシという洞窟住居群で有名なところ。1993年に世界遺産になった。中世から近世にかけては、洞窟を利用した住居群は主に小作農民が利用する快適な住居だった。しかし、時代が進み人口増加とともに、その不衛生さが指摘されるようになり、新市街をつくると
2022/11/14 11:10
コロナの記録と記憶2022 103 コロナ禍後の初添乗⑨
元々このツアーでは、ナポリ旧市街の観光が入っていなかったが、「ローマ&バチカンショック」を少しでも和らげるため、中心部のわずかな散策を担当者に提案したところ、「ありがたい」と言ってくれたので、実行することにした。ナポリ旧市街の中にあるウンベルト一世のガレ
2022/11/11 14:37
コロナの記録と記憶2022 102 コロナ禍後の初添乗⑧
観光を終えてグランドマリーナに帰ってきた時の風景海は本当にきれいで、濃紺かエメラルド色をいつもたたえている。グランドマリーナに帰る途中、隣に座っていた女性客が聞いてきた。「九月のグループは見られたの?」「え?」「私、最初は九月のツアーに申し込んでい
2022/11/10 16:23
コロナの記録と記憶2022 101 コロナ禍後の初添乗⑦
その日のうちにローマに飛んで、バスでナポリに入った僕らは、翌日、カプリ島で青の洞窟観光に挑み、成功した。訳ありツアーの第二関門を突破した瞬間だった。青の洞窟は、カプリ島の港グランドマリーナからモーターボートで移動した後、洞窟前で手漕ぎの小さなボートに乗
2022/11/09 07:30
コロナの記録と記憶2022 100 コロナ禍後の初添乗⑥
ミュンヘンの案内には心を砕いた。ある意味、ツアー中に一番緊張していたのがこの時だった。なんと言ってもローマとバチカンのかわりなのだ。と言っても、観光地としての格で敵うわけがない。代替として楽しんでいただくというよりも「ミュンヘンでの滞在は、それはそれで
2022/11/06 08:00
コロナの記録と記憶2022 99 コロナ禍後の初添乗⑤
眺めていて面白かった。フライトナビは、最短のルートを表示するらしい。その通りに飛ぶとなると、航空機はシベリアンルートを通ることになる。ロシア上空だ。(この時はウクライナ紛争の真っ最中。欧州系の航空機は、シベリアンルートを飛べなかった・・・と数年後に読ん
2022/11/05 14:48
コロナの記録と記憶2022 98 コロナ禍後の初添乗④
とは言え、参加者全員が納得されていたわけではない。「知らせてくれるタイミングが遅かったんだもの。あと少し早い時間に分かっていたら、キャンセルしていたと思います。」出発当日、受付カウンターにいらしたとあるご夫婦の奥様は、少し苛立っているかのように、でも
2022/11/04 07:30
コロナの記録と記憶2022 97 コロナ禍後の初添乗➂
出発二日前の深夜。正確には0時を過ぎて前日になっていた。取引先から渡されていた仕事用のスマートフォンが鳴った。目を覚まして画面を覗き込むと、航空会社から通知が来ていた。 「利用予定のフランクフルト-ローマ便が欠航となりました。」 真夜中、しかも寝起
2022/11/03 10:51
コロナの記録と記憶2022 96 コロナ禍後の初添乗②
イタリアツアーの催行を、変に心配していたのは、依頼されたタイミングに影響されていたからだろう。六月下旬から七月にかけては、第七波の入り口で感染者が増えつつあった。ワクチンコールセンターの現場で働いていた自分は、おそらくそれを人よりも余計に意識していた
2022/11/02 07:30
コロナの記録と記憶2022 95 コロナ禍後の初添乗①
2022年10月30日。コロナ禍後の初添乗から帰国。31日。無事に報告を済ませた。その前の添乗からの帰国が2020年3月2日だから、あまりに長いブランクだった。しかも、依頼されてから出発するまでの期間があまりに長かった。今回のツアーを割り当てられたのが6月下旬。一般
2022/11/01 07:30
2022年11月 (1件〜100件)
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