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2021/03/06

  • yukihiro, saravah!

    Y.T.,saravah!yukihiro,saravah!

  • 宮沢章夫さんを悼む(18) ——『資本論も読む』を読む 第十五回—— とりあえず、最終回

    最終回をアップするまでに、かなり時間が空いてしまいました。その間、大掃除を10日間に渡って行い(もう屋根から壁から床から、家具は言うまでもなく、掃除しまくりまして、2キロ痩せました)、その後、村上春樹さんの「朝日堂」エッセイ、『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』を読んでいました。昔から春樹さんのエッセーを殊の外喜んで読んでいまして、途中で止められないのです。初めは『村上ラジオ』から始まり、その後、『村上さんのところ』などなど。それが間抜けなことに、私はまだ『村上朝日堂』(このタイトル絡みで出たエッセイ集の最初の本)をまだ読んでいないことに一昨日気づいたのです。またハードオフで買ってこようっと。『資本論も読む』の第十五回のタイトルは、「「わからない」を「わからない」として味わう」です。ここまでで宮沢さんは...宮沢章夫さんを悼む(18)——『資本論も読む』を読む第十五回——とりあえず、最終回

  • 宮沢章夫さんを悼む(17) ——『資本論も読む』を読む 第十四回——

    第十四回のタイトルは「ともかくもようやく「貨幣」の登場である」です。商品論はとにもかくにも貨幣の登場をもって終了するわけですが、貨幣もまた商品です(あるいは商品でした)。マルクスはそのことをまず商品論で書きたかったのです。もし貨幣が重要なら、貨幣はすでに存在しているわけですから、価値形態なんてものを書かずに、古典派と同じ様に、いきなり貨幣を登場させて、その後、資本への変転を書けば良いのです。どうしてここまでマルクスが貨幣をなかなか登場させず、延々引っ張って最後に貨幣を登場させたかというと、貨幣は本質的には商品であり、労働が結晶化しているものである、と言いたかったのだと思います。何が言いたいのかと言うと、ここで宮沢さんが貨幣と排除について書かれているのは、柄谷さんに引きずられているのかもしれないので、気をつ...宮沢章夫さんを悼む(17)——『資本論も読む』を読む第十四回——

  • 宮沢章夫さんを悼む(16) ——『資本論も読む』を読む 第十三回——

    この記事を、私は今、OscarPetersonさんのthewayIreallyplayのCDを聞きながら書いています。彼の人気版はWEGETREQUESTSですし、私も昨晩、ウイスキーを頂きながら聴いていましたが(このCDは本当に音が良い。びっくりしました)、このアルバムが彼のソフトな面を表現しているとしたら、theway…は彼のダイナミックな面がよく表現されている名盤です。オスカー・ピーターソンさんのがっちりした体格などの外見からすると、まさに納得の演奏ですが、WEGET…の繊細な表現もまたオスカー・ピーターソンさんの真骨頂ですね。さて、『資本論も読む』の第十三回のタイトルは「大きな字になっても難解さに変わりはない」です。これは宮沢さんは老眼が進んで、文庫版の資本論を拡大コピーして読んでいたことからつけ...宮沢章夫さんを悼む(16)——『資本論も読む』を読む第十三回——

  • 宮沢章夫さんを悼む(15) ——『資本論も読む』を読む 第十二回——

    第十二回のタイトルは「体力あってこその『資本論』だ」です。体力がある内に、資本論を読み切らなければならないと宮沢さんは書いています。とりあえず宮沢さんは第一巻は読み切っているので、この目標は達成されたと言って良いでしょう。よかった。この章の後半で、どこかの誰かが宮沢さんが資本論を読んでいることに関して、「無意味」だと表現していたそうです。それに対して宮沢さんは、「ばかが。このくそばか。おおまぬけのとんちきのおおばかやろうだ。」と、正確に(?)反論しています。なぜ、資本論を読むことが無意味だと判断しているのか、その理由が分からないので、反論しようがないわけですが、まあ、こういう批判は当然ありえます。しかし、あえて書けば、それは資本論が未だ理解されていないからでもあると思います。ですから、努力しなくてはならな...宮沢章夫さんを悼む(15)——『資本論も読む』を読む第十二回——

  • 宮沢章夫さんを悼む(14) ——『資本論も読む』を読む 第十一回——

    『初版資本論』訳出の下準備が、本当に、終了しました。最後に確認していた、『世界の名著マルクスエンゲルスI』(中央公論社)に収録されている資本論の訳出は非常に立派でした。読みやすく工夫された訳がされています。大いに参考になりそうです。とりあえず現行版を読もうとされている方には、この訳本を読むことを、とりあえずは勧めます。大いに検討に値する訳本です。ただ、今、手に入れようとするならば、古書で手に入れるしかありません。しかもあまり出回っていなかったのか、結構な高値が付けられている場合が多いです。図書館で探してみてください。ちなみに、この本は、IとIIで、資本論三巻をカバーしようとしたため、原注の多くが削除されています。また第一巻以外の部分は本文自体もかなりカットされているようです。よって、学術的に利用することは...宮沢章夫さんを悼む(14)——『資本論も読む』を読む第十一回——

  • 今、聴く、ロックンロール

    資本論関係については、ちょっとお休み。仕事の合間に、休憩として、暫く音楽について書きます。もちろん専門的な知識はまるで無いので、生活の中でどうつきあっているのかとか、今後どうつきあったら楽しそうかというようなことについて、です。「今、聴く、ロックンロール」の「今」というのは、60歳になって、という意味です。私は、いわゆる「洋楽」を小学校6年生の頃にFMラジオで聴き、特にカーペンターズを大好きになり(この記事を書いている現在、NHKの、なんとAMでDiscoverCarpentersというステキな番組が毎週放送されています。嬉しいですねえ)、それから中学2年生になってから、友達にハードロックを教えてもらい、ディープ・パープル、キッス、クイーンなどと聴いてきました。メタリカのようなヘヴィメタルはずっと後に登場...今、聴く、ロックンロール

  • 宮沢章夫さんを悼む(13) ——『資本論も読む』を読む 第十回——

    『資本論も読む』を読んでいく作業は、今回をもって一旦終了とします(もちろん私はこの本全体を何度も読んでいますが)。ただ、資本論の「第一章商品」については、この本の第十五回まで扱っていますので、私の作業が終了したら、この第十五回までの感想を書きます。さて、第十回のタイトルは「マルクスは汗にロマンを見出さない」です。この点をしっかりと認識しておくことは重要です。マルクスは労働者がかわいそうだから資本論を書いたのではなく、人間としてこの社会はおかしな社会になっていて、このままでは在るべき社会ではないということを理解してほしいが故に資本論を書いたのだと思います。「マルクスという人は、人間にとって最も捨て難い根性という実を捨て切る事が出来た達人であった。根性は一切他人に捧げて恥じぬ愛情に溢れた達人であった」とは、小...宮沢章夫さんを悼む(13)——『資本論も読む』を読む第十回——

  • 宮沢章夫さんを悼む(12) ——『資本論も読む』を読む 第九回——

    今回のタイトルは「重量、ちゃんと磨いとけよ」というものです。いきなり第一段落には「相対的価値形態の量的規定性」についての話が登場し、「価値形態は、ただ価値一般だけではなく、量的に規定された価値すなわち価値量をも表現しなければならない。…」と引用があり、宮沢さんは「これを読めば誰だって、「なにを言っているのだおまえは」と言い返したくなるはずだ」と書いておられます。しかし、この部分は他の記述内容よりも理解しやすいと私には思えるのですが、どうでしょうね。それより、私はこの部分がやたら詳細に書かれているので、価値論を理解したいと思って読んでいる人にとっては、長ったらしいので辟易するのではないかと心配になります。事実、今回、初版と現行版、その他フランス語版や英語版などの打ち込みをしていて、ここがなかなか終了しないの...宮沢章夫さんを悼む(12)——『資本論も読む』を読む第九回——

  • タチウオ釣り そんなに忙しくて面白いの?

    先日、3年ぶりに、友人と一緒に、和歌山へ釣行しました。日頃は、近くの海でキスやハゼなどの小物を相手にしておりますので、和歌山では大物に挑戦したくなります。というより、そうでなければわざわざ行く必要もありません。和歌山での一番の目当てとなる魚はタチウオです。タチウオ釣りは、一緒に釣行している友人に教えてもらいました。私たちは二人とも、「エサ釣り」でタチウオを釣るのが好きなのです。針に餌となるキビナゴを付けて、LEDライトが光るウキを付けて投げます。すると、下からキビナゴを狙って登ってきて、鋭利な歯が生えている口でくわえると、ゆっくりとウキが沈んでいきます。何度か咥えては離したりする場合もあります。もう充分ウキが沈んだと思われた頃に、竿を振り上げて合わせると、タチウオが掛かる、という釣りです。時刻は夜半から明...タチウオ釣りそんなに忙しくて面白いの?

  • 宮沢章夫さんを悼む(11) ——『資本論も読む』を読む 第八回——

    第八回のタイトルは「リンネルのやつは思想まで持つ」です。と、ここ第八回まで書いてきたのですが、ひょっとすると、この記事を書いている私のことを、「この人、おかしいんじゃないか?」と思っている人がいるのではないかと恐れました。商品が思考するって、バカじゃない?って思われていませんかね。だったら、宮沢さんもそうだと思ってください。「「リンネルは自分の思想をリンネルだけに通ずる言葉で、つまり商品語で言い表わすだけである」そうだったのか。まったくリンネルのやつ、ただの「亜麻の繊維で織った薄地織物」のくせに思想を持っているとはなにごとだ。」(p.45〜46)と、宮沢さんは書いています。商品は思考しはしませんが、思考に似たことを行っています。そしてそれは私たち人間の思考とは全く逆の構造をもっています。通常、我々人間は、...宮沢章夫さんを悼む(11)——『資本論も読む』を読む第八回——

  • 宮沢章夫さんを悼む(10) ——『資本論も読む』を読む 第七回——

    前回、第六回の内容として、リンネルの長さについて「エレ」という単位があり、それは「約二・五四センチメートル」であるから、「二○エレ=二二メートル八六センチ」だと宮沢さんは換算しておられます。こういうことをきちんとお調べになって、できるだけ内容を身近に感じようとする姿勢が素晴らしいです(ちなみにフランス語版では、20メートルのリンネル20mètresdetoileになっています)。私もリンネルやエレについては調べましたし、なぜマルクスはリンネルと上衣を簡単な価値形態に使用したのか、ということも考えました。これは簡単なことで、リンネルという布に裁縫労働を施せば上衣になる、ということで、マルクスはここで労働量について想像しやすいようにしたのだと思いました(きっと)。受け身ではなく、積極的に。さて、第七回のタイト...宮沢章夫さんを悼む(10)——『資本論も読む』を読む第七回——

  • 宮沢章夫さんを悼む(9) ——『資本論も読む』を読む 第六回——

    円安が進んでいます。日銀が介入する予測も出てきました。円安が進むと、貿易赤字が膨らみます。その結果、貿易に携わる人々の給与の増加は難しくなります。また、輸入品の価格も上がり、家計に影響を与えます。今回、第六回のタイトル「わかる瞬間がわかりたい」の「わかる」とは、何が「わかる」のかと言うと、世界及び日本の経済の動きと日々の生活には連動があるように思えるのだが、それに関して資本論の与えている説明を「わかる」ということだと思います。「「不況」という言葉の正体をはっきり知りたいが、『資本論』はそれについてなにか教えてくれるだろうか。」(p.33〜34)今回の円安において大きな影響を与えているのは、アメリカとの金利差だと言われています。当然のことですが、日本の経済は決して日本だけで改善できるものではないわけです。世...宮沢章夫さんを悼む(9)——『資本論も読む』を読む第六回——

  • 宮沢章夫さんを悼む(8) ——『資本論も読む』を読む 第五回——

    第五回のタイトルは、『誰も「クイズ王」とは呼ばれたくない』です。「上着にとっては、それを着る人が仕立屋自身であろうと彼の顧客であろうと、どうでもかまわないのである」(p.84〜85)という資本論の記述に関して、前回の話から敷衍して、宮沢さんは「料理にしてみたら、主人に食べられようが、客に食べられようがどうでもいいことだ。」と書いています。この文には限定が必要で、「使用価値として働く」場合には、です。もちろん宮沢さんは、きちんと次のページ(p.29)で「使用価値」としては働く場合であると述べていますので、問題はありません。さて、今まで宮沢さんの資本論読書家としての姿勢を、大方褒めて、一部批判してきましたが(一応本気でこの本に取り組んでいますので、「批判」という言葉を使いましたが、私は宮沢さんを否定するつもり...宮沢章夫さんを悼む(8)——『資本論も読む』を読む第五回——

  • 宮沢章夫さんを悼む(7) ——『資本論も読む』を読む 第四回——

    前回、第三回の文章は、投稿時のものから改訂しました。話が重複しておりましたので、簡潔にしました。さて、第四回のタイトルは『むさぼり食う主人は「商品」は作らない』です。これはどういう意味かというと、店の主人が自分で作った料理を食べてしまえば、それは商品ではない、ということです。その通りですね。それは結局、自分へのまかない料理であって、他人に提供し、お金と交換されるものではないので、それは商品ではありません。ただ、「店の主人」はその際には「店の主人」ではなくなっているので、この文章はおかしいのです。自分の作った料理を食べる人は、すでに店舗という、社会性をもったものと関係していません。単に自分のために料理を作った人です。つまり、消費者です。宮沢さんはここでは、「商品はもっと異なるもの、たとえば、「メディア」のよ...宮沢章夫さんを悼む(7)——『資本論も読む』を読む第四回——

  • 宮沢章夫さんを悼む(6) ——『資本論も読む』を読む 第三回——

    第三回のタイトルは、「この栓抜きを作るのに四十年かかった」です。宮沢さんは、高校時代に資本論を読んでみて理解できなかった理由を考えて、「もちろん文章の難解さはあったかもしれないが、「労働」という概念がわれわれには身体的に理解できなかった部分があったのではないか。…「労働」についてなにかしら私も身をもって知る年齢になった。」と宮沢さんは書いておられます。演劇と密接に関わった宮沢さんならではの考えだと思います。ここで宮沢さんは、労働を完全に身体と結びついたものとして考えておられます。この点に注意を向けておいてください。その後、商品における使用価値の捨象の話が突然登場します。これは、宮沢さんがお読みになっている資本論の訳書、大月書店の岡崎次郎さん訳の『資本論1』の76ページにある「諸商品の交換関係を明白に特徴づ...宮沢章夫さんを悼む(6)——『資本論も読む』を読む第三回——

  • 宮沢章夫さんを悼む(5) ——『資本論も読む』を読む 第二回——

    第二回のタイトルは、「「なんだこれは」とマルクスは驚いた」です。マルクスが商品論に先立って、序論の中で「第一章、ことに商品の分析を含む節の理解は、最大の困難となるであろう」と書かれているのを読んで、マルクスは、なにも難解に書こうとしたわけではなく、「そうとしか書くことができず」「書き上げたものを見て思わずこんなことを口にしていたのではないか、「なんだこれは」」。と宮沢さんは書いています。小林秀雄さんも、確か本居宣長に関する講演の中で「難しいようにしか書けないものがある」という主旨のことを話しています。(小林さんの講演会は、現在新潮出版からCDが売り出されています。また、それ以外に、CBSソニーから『信ずること知ること』というタイトルの講演会のカセットあるいはLPレコードも存在しています。これらは比較的簡単...宮沢章夫さんを悼む(5)——『資本論も読む』を読む第二回——

  • 宮沢章夫さんを悼む(4) ——『資本論も読む』を読む 第一回——

    第一回のタイトルは「せめて『資本論』を読んでから死にたい」です。そうですねえ、私もそうでした。予備校生の頃、大好きだった英語の先生がマルクスの研究者でもありました。私はそれまで思想と言えば、高三の時に小林秀雄の『考えるヒント』をちょっと読んだくらいで、もう全くという位理解出来なくて、本当に情けない思いをしていました(なので、その後全集を買い、本居宣長以外は全て読みました。小林さんに関してはマルクスとの関連も大いにありますので、またどこかで書きます)。予備校に入って、その先生から「マルクス」という世界を覆すほどの力をもっている思想家が存在することを知り驚き、さらにその先生はマルクスを筆頭に様々な思想を理解していて、しかも私の回りの若者(つまり浪人生)から圧倒的に支持を得ているという、今までに無かった先生の有...宮沢章夫さんを悼む(4)——『資本論も読む』を読む第一回——

  • 宮沢章夫さんを悼む ————閑話休題 私の現在の研究進行状況————

    さて、いよいよ『資本論も読む』を読んでいきたいと思います。ただ、一気に通読した結果を報告するのは非常にもったいない。私も楽しみながら書いていきたいので、雑誌掲載分、全37回がこの本には収録されていますので、今回は第1回から10回まで、次回は第11回から20回まで、と10回毎に読んでいき、その中で賞賛すべき点や問題点や理解が至っていないと想われる点などを拾いながら行きたいと思います。ですが、標題の通り、現在の私の資本論との関わり方を先に述べておきます。資本論の初版の翻訳を行い、その後、その翻訳を使用して、解説本を書こうとしています。この点に関してブレはありません。日本で今まで出版された初版資本論の翻訳は全て入手し、全ての翻訳をドイツ文に対応させて1文ずつ分解し、打ち込みました。この作業が今年の5月頃に終了し...宮沢章夫さんを悼む————閑話休題私の現在の研究進行状況————

  • #宮沢章夫さんを悼む #——資本論読書家としての宮沢氏—— #を一旦休んで、しりあがり寿さんのマルクス像に関して

    ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。恐らく宮沢さんを語る際、演劇作家や小説家やエッセー作家やコメンテーターという肩書きの上で語られることはあると思いますが、資本論読書家というカテゴリーで彼が語られることは、まず、無い、と思っています。ここに、マルクスの言説を取り巻く日本の、あるいは、世界の問題がそんざいします。宮沢さんの資本論との関連の前に、この本のイラストを担当した、しりあがり寿さんのことも書きましょう。マルクスは決して経済「学」や、哲「学」や、社会「学」だけが取り上げるべきものではありません。人間であれば、とりあえず問題にすべき人です。宮沢さんはそういう基本的なスタンスを基本的に守っている人でした。彼は演劇人でありましたが、あらゆる事象に関して発言する自由をもっていました。それはマルクスが...#宮沢章夫さんを悼む#——資本論読書家としての宮沢氏——#を一旦休んで、しりあがり寿さんのマルクス像に関して

  • 宮沢章夫さんを悼む(2) ——資本論読書家としての宮沢氏——

    (今回、宮沢さんに対する賛辞はありませんが、私がここまで当時の記憶を喚起されたということが、宮沢さんの言説のすばらしさの為であるとお考えください。)先ほど、『東京大学「80年代地下文化論講義」』の再読を終了しました。私は演劇と東京の地理には疎いので、その辺りに関する記述はとばし読みをしましたが、それ以外は大変面白く、興味深く読みました。演劇に関しては、昔予備校講師をしていた時に、一緒にテキストを作っていた講師の方が大の演劇好きだったので、何度か一緒に観に行こうと誘ってくださいましたが、どうも演劇のもつ生々しさが苦手で遠慮していました。私が見に行った演劇はダムタイプだけです。『OR』はそのあまりの生々しさに不思議な涙が流れてたまりませんでした。この本の内容を簡潔に纏めるのは非常に難しいのですが、ちょっとやっ...宮沢章夫さんを悼む(2)——資本論読書家としての宮沢氏——

  • 宮沢章夫さんを悼む(1) ——資本論読書家としての宮沢氏——

    昨日、宮沢章夫さんが死去されたという報道に接しました。65歳であったそうです。残念です。私の意識に宮沢さんが上ったのは、『「資本論」も読む』という書籍を本屋で目にした時でした。この本の出版は2005年12月26日です。この年の私の日誌は元旦から始まっており、以下のように綴られています。「おめでとう!現在午後1時.外は晴れたり曇ったり.バックで『ごきげんいかがワン・ツー・スリー』が鳴っている.」『ごきげんいかがワン・ツー・スリー』は、私が高校生の時に大いに流行った曲で、当時、桑原茂一さんがプロデュースしていたユニット、『スネークマン・ショー』が出した、日本で初めてのラップと言われている曲です。正確には、YMOの細野晴臣さんが作曲・編曲を担当し、桑原茂一こと小林克也さんと、畠山桃内こと伊武雅刀さんがモノマネで...宮沢章夫さんを悼む(1)——資本論読書家としての宮沢氏——

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