世界五分前仮説(five-minute hypothesis)
とあることがきっかけで,世界五分前仮説と呼ばれるものについてネット上でどのように語られているのかを調べてみた.しかし,そこで見られる文章のほとんどが,自分の理解しているそれとは異なるものだったので,今ここで改めてまとめてみようと思い立った. ご存知の通り,この「仮説」はバートランド・ラッセルの『心の分析 The Analysis of Mind』に登場する思考実験である.ラッセルはこの思考実験を,講義Ⅸで持ち出している. まずは,この思考実験が登場する文脈をおさえておくことが肝要である.思考実験とは,その眼目を度外視するならばただの妄想にすぎない.パトナムの双子地球の思考実験にしても,その狙い
世界五分前仮説(five-minute hypothesis)
とあることがきっかけで,世界五分前仮説と呼ばれるものについてネット上でどのように語られているのかを調べてみた.しかし,そこで見られる文章のほとんどが,自分の理解しているそれとは異なるものだったので,今ここで改めてまとめてみようと思い立った. ご存知の通り,この「仮説」はバートランド・ラッセルの『心の分析 The Analysis of Mind』に登場する思考実験である.ラッセルはこの思考実験を,講義Ⅸで持ち出している. まずは,この思考実験が登場する文脈をおさえておくことが肝要である.思考実験とは,その眼目を度外視するならばただの妄想にすぎない.パトナムの双子地球の思考実験にしても,その狙い
哲学を研究していると言うと,(運の悪い場合には)いくつかの問いを投げかけられる.それは例えば,「哲学って何ですか?」だとか,「人生の意味って何なのでしょうか」といったものである. 当然のことながら,私は以上の質問のどちらにも答えることはできない.哲学が何なのか・何であるべきなのかということはまさに私自身が知りたいこと(そして知ろうとしていること)であるし,人生の意味について言えば,問い自体が明確でなく,何を知りたいのかが判然としない.まあ,ここから対話を始めて「人生の意味」ということで何が意味されているのかということを探究しても良いのだが,おそらく相手としてもそんなことは望んでいないだろう.彼
哲学を研究していると言うと,(運の悪い場合には)いくつかの問いを投げかけられる.それは例えば,「哲学って何ですか?」だとか,「人生の意味って何なのでしょうか」といったものである. 当然のことながら,私は以上の質問のどちらにも答えることはできない.哲学が何なのか・何であるべきなのかということはまさに私自身が知りたいこと(そして知ろうとしていること)であるし,人生の意味について言えば,問い自体が明確でなく,何を知りたいのかが判然としない.まあ,ここから対話を始めて「人生の意味」ということで何が意味されているのかということを探究しても良いのだが,おそらく相手としてもそんなことは望んでいないだろう.彼
最近(?),TwitterやPodcastで「推し」という言葉によく遭遇する.私にはあまり馴染みのない概念であるが,みなさんご存知の通り,私は知識欲に溢れた人間である(エライ).そんな私は当然,見知らぬ概念に遭遇したらそれを理解しようという衝動に駆られる.今回も例外ではない.そこで,私が調査した限りで判明したことをここに記しておく.〈推し〉概念を未だ習得していない人々にも,きっとこの記事は役に立つはずである. 〈推し〉とは何か 私の理解に誤りが含まれていないのであれば,「推し」という言葉は,アイドルオタクが用いる「推しメン」に淵源する. 「推しメン」とは「イチオシのメンバー」の略である(夜さん
本記事はSEPのこのエントリーの要約です. Overview 実験哲学は21世紀の初めに現れた比較的アプローチである.実験哲学は典型的には社会科学に結び付けられるような方法を用いて哲学的問題を追究するアプローチである.しかし,実際に用いられる方法や目的は多岐にわたる.共通するものもある:直観(intuition)についての研究.直観に関する研究自体は実験哲学に固有のものであるわけではなく,むしろ伝統的なものである.一部の論者は,直観を研究することでわれわれは諸概念に対する洞察を得ることができると主張し(Jackson 1998),他の論者はそれらの概念が選び出す性質や関係に対する洞察が得られる
本記事はSEPのこのエントリーの要約です. Overview 実験哲学は21世紀の初めに現れた比較的アプローチである.実験哲学は典型的には社会科学に結び付けられるような方法を用いて哲学的問題を追究するアプローチである.しかし,実際に用いられる方法や目的は多岐にわたる.共通するものもある:直観(intuition)についての研究.直観に関する研究自体は実験哲学に固有のものであるわけではなく,むしろ伝統的なものである.一部の論者は,直観を研究することでわれわれは諸概念に対する洞察を得ることができると主張し(Jackson 1998),他の論者はそれらの概念が選び出す性質や関係に対する洞察が得られる
本記事は,主に高校生(あるいはひょっとすると中学生)を対象としているが(果たしてこのブログの読者に高校生が存在するのかという問いは当然問われて良い),ここで述べられている内容はmutatis mutandisに幅広く妥当するように思われる. 例えば,(日本語の)本を読んではいるものの,本を閉じた途端,今まで自分が何を読んでいたのかを思い出せないような人に対しても,以下で述べることは一定の示唆を持つであろう.ただし,本記事の焦点は受験英語の長文読解に絞られているので,ここではそうした応用については議論を展開しない.これはのちの記事の課題となる. 読んだはずの英語を思い出せない 少なからぬ受験生は
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