オリジナル恋愛小説。O&O。H。となりに住んでるセンセイ。ワレワレはケッコンしません。など。
コツコツと執筆中。 北海道を舞台にしたものが多めです。
狭い事務所の、一つしかない窓から、ささやかに朝陽が射しこんでいる。ふわふわと浮遊する細かな塵を照らしながら。 相変わらず扉の近くに立ったまま、中川がつぶやいた。ぼそりと。 寒くってさ。「……え?」「あの。女子更衣室で着替えちゃおうと思ったら、寒くってコート脱げなくて。いつもふつうなら、もう暖房ついててさ、あったかいでしょ? でも今日はぜんぜんあったかくないんだもん。もしかして店開け当番のひと、暖房...
いつものベージュ色コートをまとった彼女が、申し訳なさそうに事務所に入ってくる。 まずいと思った。 まずいというか気まずいというか。 常識で考えて、勤務中の私的電話はご法度。しかもいまの相手は陽子。恋人。 その、電話の相手が押し黙っている。こちらの雰囲気に感づいたのか。いや、そんなことはないだろう。分かるはずなんてない。「あーっと、すみませんじゃあ私、仕事は七時には多分終わってますので、これで失礼...
・ 店長はまだ出勤して来ないはず。それをいいことに、当人のデスクでだらりと頬杖をついていた。 少し気になっていたことがある。 陽子の父親。あの人に以前、どこかで会ったように思うのだ――。 パソコンモニターの黒画面に並んでいるのは英文章。最後に現れたクエスチョンマークに促されるまま、マニュアル通り押してみるエンターキー。その操作を二回、くり返し。 とたん忙しそうに回りだした冷却ファン。目の前でプロ...
[Episode13.違う香り] --------- あくびが止まらない。 あとからあとから涙が浮かび、滲んで見えてしまう店の裏側。 従業員の入り口前に立っていた。ジーンズのポケットから、鍵の束を取り出していた。 施錠をといてドアを開けても真っ暗で、外と変わりない冷ややかな空気。手で壁を伝いつつ電気のスイッチをすべて押し、寒い寒いとぼやきながら進んでいく。狭い廊下を。暖房のスイッチがある部屋はまだ先にある。事務所はま...
きっと誰もがいまの冬天を「寒い」と言うだろう。 けれどどうしたことか先ほどから、自分の背中に汗が滲む気配。コートを羽織っていないにもかかわらずだ。頬と鼻先はきっちり凍えているくせに。 かの人が、無言で後をついてくる。 陽子のボストンバッグはその通り、うしろに積んでいたから運転席へ回りこむ。車内のオープナーで鍵が解除され、開いたトランク。 陽子の父親はやはり、黙ってそれを見守っていた。 こちらから...
薄青い空。 八階建てのマンションの窓から、いくつかの白明かり。 寒くても朝の音はいつもと変わらない。 どこからか烏の声。「父さんあのさ、あの、昨日の最終で戻る予定だったんだけど、あたし時間を間違えてそれで乗り遅れちゃってね? それであの、夜行の列車もあったんだけど、あの、こちら、奥村……奥村くんが、車で送っていってくれるって言うから、函館からずっと車で来て。連絡しないでごめんなさい」 あたふた。...
さらに男が歩み寄ってくる。こちらをしげしげと眺めながら。 目元に深くきざまれた皺を、その几帳面そうな雰囲気を、ただ立ち尽くしたまま見取っていた。 こちらと大して変わらない背丈。黒いコートにつつまれた肩の向こうに、陽子の姿がぼんやりとある。マンションのエントランス前で突っ立ったまま、口をぽっかりあけている。 その彼女と、目が合ったように思う。 途端、向こうがうろたえながら引き返してきた。「寒くない...
・ だんだんと空が白み、電灯が際立つこともなくなった住宅街。アパートや一戸建ての壁色が明らかになっていく。屋根にはこんもりと積もった雪。あちこちでぶら下がっているつらら。 車の中でたわいない話をし続け、ふと会話が途切れた時。 おもむろに、陽子が切り出してきた。 じゃあ。「そろそろあたし、行こうかな」「はい、うん」 彼女のマンション前に着いてから実のところ、気ぜわしくそわそわしていた。まさぐり続...
[Episode11.今日は結構です] −−−−−− はじめてここへ来たのは夏に向かう頃。 晴れ上がり、青が澄んだ日だった。 いまは道路脇にわんさかと雪が積もり夜明け前。人工の光に包まれた道のりは、あの日とまったく雰囲気が違う。 それでも、迷わずにたどり着くことができた。陽子の家に。何世帯も入っているであろうマンション前に。「着きましたよ小笠原さん」 小さく告げれば、助手席もささやかに返してくる。「ありがとう、ね...
だんだんと近づいてくる女に、いいように振り回されているとあらためて自覚してしまう。悔しいけれど笑みがこぼれてしまう。しょっちゅう拗ねてしまう女。よじれ合った雰囲気のところを構わないでと言わんばかり、黙りこんで目を閉じてしまう女。 そんな女だけれど、自分のもとへ寄ってこられるのが嬉しくて仕方ないのだ。 笑いかけてくるわけじゃない。ただこちらを見据えているだけ。けれど、まっすぐ歩み寄ってくる彼女に、...
「富浦」と記された上に大きな「P」。 用を足すためにいったん高速を離れ、滑り込んだパーキングエリアを灯す明かりは寂しかった。除雪車が来ていったのはいつだろう。路面は整備され、すがすがしいほど真っ平ら。けれどその、スケートリンクのような白が視界の助けだ。 裸の木々に囲まれた駐車場には驚いたことに、他の車が一台もなかった。端っこにわびしく、トイレと思われる白い建物。緑に発光した非常用電話ボックス。た...
・ 案内標識は緑。 室蘭インターチェンジへの降り口が左に現れた途端、すぐ過ぎ去ってしまう。 有珠山サービスエリアで一度休憩すれば良かった。そこを過ぎたあたりで用を足したくなってしまったからだ。次のパーキングエリアまであとどれくらいかかるだろう。 幾度も目にする交通情報には「凍結による速度規制 50km/h」。仰せのまま、手元のスピードメーターはずっと50だった。それ以上速く走るつもりもなかった。どこ...
「俺さ、なんて言ったら。どう、小笠原に伝えていいかあの時、分かんなかったんだわ」 母の病状がかなり悪いと聞かされていた、去年の秋。「こう俺がさ? 悩んでる事を全部言ってさ? 俺の家族のことだけどさ、母親のことを一緒にこう、なんだろ。不安を分かち合うって言うのも変だけど」 変じゃないよ、と陽子。「……考えたもの俺。実際小笠原に言おうとしたし。あの時は母親のこと聞かされて、やばいどうしようって結構落ち込ん...
・ 海岸線は現れない。 標識にはまだ「札幌」の文字もなく、繰り返される雪景色。ただ暗く、真っすぐに伸びている国道五号線。飽きて、ともすれば緊張が緩んでしまいそうな道のり。 けれどひたすらにハンドルを握り続けていた。結露で窓が曇っていたのにも気づかなかった時のように。 陽子が隣にいる。 纏っていたグレイのロングコートも、小さなハンドバッグも、後部席へ置かせていた。助手席はすでに、すらりとしたワン...
[Episode10.零下に二人] −−−−−− 窓が曇っている。 フロントガラスは気にならないが、サイドとバックは湯気で蒸されているかのよう。ミラー越しに周りを確認しようにも出来ない。エアコンの温度はそれほど、高くしていないはずなのに。 左手を伸ばして空調ボタンを押せば、吹き流れてくる風。へばりついていた白のもやが、ガラス窓からおもむろに消えていくのを横目で見る。一体、何に夢中になっていたのかと笑いそうになった...
ひとしきり喋ったら火照ってしょうがなかった。冷えたのにふたたび温まり、汗ばむ背中。 あつい。 陽子に了解をとらずに勝手にエアコンを切れば、送風がぴたり止む。「もう。頼むから」 どうにかしてくれ。 ずっと髪に触れていた手を、今度は顔へ持っていって覆う。熱い頬に、自分の手が冷たくて気持ちいい。 熟慮の言葉ではなかった。頭に浮かんだことをストレートに口にしただけ。とりあえず、気持ちは伝えた。「……でもち...
脱いで、後部席に置いたジャケットのことが気になった。汗で湿り、背中にはりついていたワイシャツが、今度は冷たく感じる。「どうやって小笠原は札幌に帰るつもり? 電車? バス?」 尋ねる口調も冷たくなってしまう。 休め。なんて言わなければよかった。 陽子は自らの左肩をさすっていた。うん。とうなずき、少し間をおいてから告げてくる。「電車」と。 淡々と。 助手席から視線をずらしていく。ガラス窓の向こう、白...
・ 左手にセブン-イレブンが見えてきた。その隣は回転寿司屋。 セブン-イレブンと寿司屋の共用となっているらしい駐車場。車も人もいないと思いきや、いた。 まだ夜食の時間と言われればそう。満員とはいかないまでも回転寿司屋は賑わっていた。積み重ねた皿を持って、店員が歩いているのがガラス越しに窺える。 オレンジ、緑、赤に白のライン看板。セブン-イレブンのほうは空いているようだ。アルバイト募集の紙が貼りつけ...
[Episode09.行くあてもない二人] −−−−−− 函館駅前に車を停めたままにしておくわけにもいかない。 陽子を助手席に乗せてふたたび走りだしていた。彼女のボストンバッグをうしろに積んで。 大手町では対向車が数えるほどしかなかった。 歩く人影もない。それでも真っ暗々で寂しい限りというわけではない。やわらかにライトアップされている建築物。人通りがなくとも煌々と照らされている並木道。薄気味悪さはひとつも感じなかっ...
ない。おかしい。 何歩か下がってさらに上部に掲示されている、発車時刻表を注視してみる。函館本線、旭川方面。夜七時台の札幌行きは一つだけだった。 特急スーパー北斗21号。 19:23発。 大急ぎで再度、腕時計に目を走らせる。デジタル文字は24。それが進んで、25になっていく。 午後7: 25。 カツカツと慌しい足音がし、ぎくりとする。 陽子だった。ボストンバッグを持ってこちらへ寄ってくる。うつむきながらも急いだ...
・ 駐車場に停めている余裕はさすがにない。 駅のまん前。実は茶色だった柵の脇にレガシィを横付けしたまま外に出る。 もとの地面が分からなかった。足元は、何人にも踏み潰されて汚れてしまったザラメ雪。 革靴の足を運べば嫌な感触。凍った地面がザラメの下に隠れている感触。いまの彼女には酷だろうと思いながら前を見る。 歩くたびにはためくグレイのロングコート。裾からのぞく足首に、華奢な靴。右の踵がもげてしまっ...
隣は何も言わなかった。 けれど横顔のまま少し、うなずいたようには見えた。わずかに揺れた髪の毛が耳にかけられていくと、小さな真珠のピアスが現れた。「……あのさ。俺自身もなんかずっとモヤッとしてて、気持ちの整理ついてないから上手く言えないけど。ガーッて言っちゃうけど」 咳払いしていったん姿勢を正せば、陽子がそっと目を向けてくる。 いったいこの人は何を言ってくるのだろう。隣の瞳はそんな戸惑いの色。「俺、...
・ 北洋銀行、ハーバービューホテルの横を通る。ホテル一階の角にある土産物屋はまだ営業しているようだ。 函館駅前にすうと車を滑らせた。 道路と歩道を隔てている黒の柵。そのまん前に車を停め、はあ、と訳もなく溜息をつく。 7時20分。 驚くほど早く着いてしまった。列車の時刻まであと十二分もある。 サイドブレーキを引いた。さらにエンジンも止めてしまうと、いっそう静寂に包まれてしまう車内。 シートベルト...
[Episode08.帰ってほしいの?] -------- 懸念していたほど路面状態は悪くなく、スムーズに進んだおかげで19:16。札幌行きの最終には充分間に合うだろう。 市電通りは空いていた。 ここからでも函館駅が見えている。海風に耐え続け、古色を帯びた駅舎が。消費者金融の赤い看板広告が、ライトアップされて目立っていた。 乗客を待つタクシーの群れで駅前が埋まっている。残りは発車を待つ二台の路線バス。有料駐車場に停めて...
・ 遅い。 詩織との話は軽い挨拶程度で終わるかと思いきや、意外と長びいている。先に車に乗り込んでからもう、二分は経過していた。 エンジンはじゅうぶんあたたまっていない。だがそんなことも言ってられない。最終列車に間に合わせなければ。と店の前まで車を出して待っているのに、陽子は来ない。いったい詩織と、何を話しこんでいるのだか。 真っ暗な車内で光る、緑のデジタル表示は19 : 04。 すぐにでも、走り出さな...
「え、陽子ちゃんあともう」 少ししか時間ないじゃない。とでも詩織は続けていたのだろうか。 それを遮って口を切っていた。6:58のデジタル表示を目にしたまま。「おい」「……はい」 陽子からは神妙な返事。「もう、駅に行ってなきゃやばいんでないのか。結構な時間だぞ」 そこまで告げて顔をあげてようやく、真向かいの女と視線が合った。いじけたように眉をひそめている女と。「なにお前、ちんたらダーツなんてやってんだよ。...
いまほど、人に、顔を見られたくない。 と、思ったことはない。 どうして別れたかのと聞かれても。 まだまだ大好きそうだと言われても。「……いろいろとなあ」 あったんだよ。 とこぼしながら髪を触って誤魔化し笑い。 落ちつきなく目線がさまよっているのを自覚していた。見つめる先にあるのは、アルミニウムテーブルであったり。並べられていた料理であったり。氷たっぷりのグラスであったり。 それらを眺めながら思い出...
(はーい、はい石崎は、13×2で26ポイント引きまーす。まだ214ポイントも残ってるからな? 次はだれ? あ? 次は小笠原さんかな?) ダーツ集団は相変わらず賑やかだった。 コンクリートの壁にかけられたダーツボード。そのまわりを囲む集団のすき間から、陽子が見えている。 きょとんとした横顔の。(え? あたし? ついさっき投げたばっかりなのに?) 一緒にダーツを楽しんでいる連中とは今日会ったばかりのはずだ。...
[Episode07.どうもすみません] −−−−−− 参列者席を二分するように伸びていた通路。その先で待ち構えていた外国人司祭。 祭壇には、キリストを表現しているらしいステンドグラス。赤や黄色、青、緑。パッチワークのようなガラスたち。 ドレスの裾を踏みつけて、つんのめってしまった詩織を思い出す。 白髪交じりの父親と腕を組んでいた彼女もあの時ばかりは―――バージンロードを進んでいく時ばかりは、緊張していたようだ。白...
「いや、あの」 やだ。とか言われても。 そんな風に顔を隠されても。「や、別に俺、変だとか言ってないからね? 似合ってないとも言ってないし。それにあれだ小笠原。ほら、あの。やだなんて言ったらダメでしょう。ちびまる子ちゃんに対して失礼でしょう」 何を取り繕っているのだか。 足を組み、肘掛けに肘をつき。その手で鼻の下をこすっていた。せわしなく。「でもちょっとあのね? あのー、何だ。あの、ほら。幼くなった気...
山本の母親はもう、受付にはいなかった。 さながら喫茶店のような休憩所がそこにある。先ほどより倍は増えている招待客。 見知った顔なんか多分いない。整然と並べられたテーブルセット。ボルドー色のソファ。席がたっぷりあるのに誰にも利用されず、空きが目についた。 ドリンクカウンター内で女性スタッフが働いている。白いブラウスに黒エプロン。何か飲み物でも作っているのだろうか。 黙りこくって気づまりになるよりも...
見つめられていた。 変わらずに大きな、アーモンドみたいな形の目で。 確かに陽子だ。ひと目で分かる。だが最後に会った時よりも髪が短くなっているものだから、面を食らった感がすごかった。 背中まで届いていた長い髪。強い風にばさばさと煽られていた長い髪。それがすっかり短い。顎の辺りまでばっさり、切られてしまっていた。 会っても動じないようにしよう。 そう決めていたのに結局思い通りにいかない。心の臓が勝手...
「ブログリーダー」を活用して、小田桐 直さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。