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琉球史と絡む先祖調査の記録です https://blog.goo.ne.jp/yononushi

琉球が三山時代であった北山王の次男と言われる沖永良部の島主「世之主」 当家のご先祖様であるという伝承をもとに、ご先祖調査をしており、その内容をブログに記録しています。

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2021/02/12

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  • Vol.394 越之山神社:世之主の妹のお墓の移動②

    ユタの助言によってアダンの森から海の見える高台に移ったお墓ですが、またまた移動をすることになりました。海の見える高台にあったお墓の土地は、屋号「ウントの家」と呼ばれる人が持ち主でした。あるときに、このご一家の皆さんが揃って頭痛に悩まされたのだそうです。その時にお隣の徳時の有名なユタの占示によると、「テエの神を祭れ。家中、村中こぞって祭りなさい。あまり粗雑なため、石ころが落ちてきて頭を割ってしまった。みんなの頭痛はそのせいだ。」とのことでしたので調べてみたら、その占示の通り、遺骨の入った板蓋が壊れて、乗せた石が頭蓋骨を割っていたのだそうです。信神深い初代ウントの家の当主は、あまりの明示に恐れを恐れをなし、資財を投じてテエの山を聖域とし、徳時の「かみさまあじ」を神官にお願いして祭ることになったのだそうです。土...Vol.394越之山神社:世之主の妹のお墓の移動②

  • Vol.393 越之山神社:世之主の妹のお墓の移動①

    アダンの森に葬られた世之主の妹ですが、そのまま静かに眠りにつくことができなかったようです。海岸線の道路では、昼下がりが来ると女用の麦わら帽子を小脇に抱え、身の丈ほどの長い黒髪を後ろに垂らした若い女の人の姿が通行人の前方に忽然と現れるようになったのだそうです。そしてまた煙のようにいつの間にか消えてしまうという評判が広がって、昼下がりにこの道を通る人がいなくなってしまったのだとか。それでユタに頼んで占ってもらったら、「このヤマガマは村の下に当たるので、昇天できずに彼女の霊はさまよっている。村の上の高いところで海の彼方の見えるところに移し祀れ」という神の啓示があったとのことで、ニューガニメエのテエの山の南に向いた洞穴を選んで移し祀ったのだそうです。それがノロ墓と言われていた洞窟墓です。越之山神社の裏手の山にあり...Vol.393越之山神社:世之主の妹のお墓の移動①

  • Vol.392 越之山神社:ノロ屋敷

    お墓の移動の話の前に、この妹ノロの屋敷跡が分かりましたので先にそのあたりのことを書きます。アダンの森に葬られた世之主の妹ですが、その森はおそらくは屋敷があった場所の付近にあった森ではなかろうかと推測されます。屋子母の海岸近くにはノロ屋敷(青丸の場所)があったといいます。今はもう屋敷の跡形はありませんが、その場所には石垣が積まれ石門が残されています。この場所は、時徳泊から屋子母泊の間を結ぶ海岸線の道路の付近であり、小字名を「久米せんす」といいます。何だか変わった地名ですが、ほんの少しだけ西側に行くとスセン当貝塚(赤丸の場所付近)があり、昭和57年に弥生式土器といわれるスセン当土器が出土したといいます。このスセンが入れ替わって「せんす」となったのか?そこはよく分かりませんでしたが、彼女は祈願所兼宿泊所として屋...Vol.392越之山神社:ノロ屋敷

  • Vol.391 越之山神社:世之主の妹

    越之山神社がある場所は、知名町屋子母の小字名は越之山です。神社にはその小字名がつけられていますが、越之山とは北山王の二男であった世之主の城があったところの後方にそびえる山である越山と同じ名前。間にノの字が入っていますが、そこに意味があるかどうかは不明です。この神社には、世之主に関係する人物が祀られいるということは前回書きましたが、その人物というのが世之主の妹であったと伝わっていたのです。妹の名前は分かりませんが、その妹はノロであったようで、世之主に仕えていたといいます。世之主が北山から島を統治するためにやってきた頃に、妹がノロとしてやってきたのだそうです。このノロにはこんな伝承がありました。妹は大変な美女だったようで、身分が高く気位もあって村人からは尊敬されていたそうです。しかし貴人であり神女であることか...Vol.391越之山神社:世之主の妹

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