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琉球史と絡む先祖調査の記録です https://blog.goo.ne.jp/yononushi

琉球が三山時代であった北山王の次男と言われる沖永良部の島主「世之主」 当家のご先祖様であるという伝承をもとに、ご先祖調査をしており、その内容をブログに記録しています。

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2021/02/12

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  • Vol.365 琉球辞令書の「任ズ」と「遷任セシム」①

    1500年代~1609年までの琉球王国による奄美地方の統治は、第二尚氏3代目尚真王の時から本格化し、琉球本土から統治者が派遣されたり、島の有力者が統治者として任命されたりしたようですが、その時代の沖永良部島の統治者はいったい誰だったのか?正式に記録された文書は島には存在せず、唯一確認できるのが世之主の母方の家と伝わる要家の文書です。その文書には、「直城の大屋次郎かね」や「永良部のよひと」といったキーワードが書かれており、この人物が琉球時代の最後の大屋子であり、薩摩の統治における初の与人であった可能性が高いのです。他に記録があるのは、琉球で作成された家譜です。1698年の第11代尚貞王の時代に王府に系図座という機関が設置され、主に士族の管理を目的として、士族の各家がご先祖を遡って記録し、その家譜が認められれ...Vol.365琉球辞令書の「任ズ」と「遷任セシム」①

  • Vol.364 当主の代数が違うのです

    大変に興味深い情報が入りました。現在の宗の本家の叔父は、記録のある初代中城から12代目の当主になるのですが、これが17代目になるはずだというのです。昔に本家で一緒に生活をしていた一族の方が、当時10代目となる祖父から聞いたのだそうです。「自分は15代目になるから覚えておきなさい」と。これは記録上の当主の代数が5世代多いことになるのです。いったいどういうことなのか?記録があるご先祖様達の間に、実は5世代が抜けているのか?いや、それはあり得ないと思われます。ではそうなれば、初代中城より上の世代が5世代あったということか???思い出しました。お爺様の記録の中に、5世代の名前が書いてあったことを!宗重→思松金→首里主思鎌戸→池城→朝秀→中城(記録上の始祖)赤字の方が5名。この方々の確証が取れないので、ずっと保留に...Vol.364当主の代数が違うのです

  • Vol.363 自然災害:世之主の墓(ウファ)

    世之主の墓(ウファ)の納骨堂の右側上部の石積みが、2022年2月に崩落したことはVol.191で書きましたが、このお墓は以前にも自然災害に見舞われたようです。沖永良部台風災害誌の1977(昭和52)年の記録に、そのことが書かれていました。この時は台風による被害だったようで、納骨堂の木製の扉だと思うのですが、これが全壊、そして石垣の一部が損壊とあります。このお墓、伝承によれば1400年代の建築、近年の調査によれば1600年代後期あたりの建築ということで、少なくとも400年以上は経過しているお墓です。台風の通り道でもある島ですので、これまでの数百年間の間にも記録が無いだけで沢山の被害を受けてきたのではないかと推測されます。その1つが、和泊町の老人クラブが発行した「むんがたい」という伝承をまとめた本に書かれてい...Vol.363自然災害:世之主の墓(ウファ)

  • Vol.363 自然災害:世之主の城跡(世之主神社)

    6月に奄美地方を襲った線状降水帯の影響か、世之主神社の一の郭の斜面が崩落していました。斜面がえぐられたように崩れています。悲しい気持ちになります。崩落した場所は、参道階段の東側ですね。階段は今年の3月に出来上がったばかりだったので、そちらに影響がなくて良かったですが、地盤が緩んでいるでしょうから、また雨が強烈に降ると他の場所も崩落の危険があるでしょう。神社の外周りの西側の県道に沿った斜面も、少し崩れているようです。昭和から平成の時代にかけて、神社周辺の道が何度か整備されたのは、このような崩落が原因だったりとか、事前に危険を回避するための対策であったりしたのかもしれません。土地開発によって歴史的な場所の地形が変わってしまうケースがありますが、こうした自然災害や事前対策によって地形が変わってしまうケースもある...Vol.363自然災害:世之主の城跡(世之主神社)

  • Vol.362 またまたとても嬉しい出会いが!

    7月15日(土)、またまた嬉しい出会いがありました!ご先祖調査をしていると、色んな方々との出会いがあります。昨日は奈良県のライブハウスで、沖永良部出身の歌手である大山百合香さんのlliveがありました。もうずっと何年もライブハウスなど無縁だった私ですが、友人からの知らせで百合香さんのことを知り、透き通るような青い空と海を連想させる歌声に親子で魅了され、友人と娘ちゃんの3人でliveにGoGo!娘ちゃんは所用で帰宅が遅かったので開始時間には間に合わずでしたが、何とかアンコールには間に合い、念願の歌声を生で聴けて大感激。私も歌を練習してみたい、、、などと刺激を受けておりました。liveは一部と二部に分かれていて間に休憩があったので、少しお話させてもらいました。とても気さくで優しい雰囲気に包まれた方で、ますます...Vol.362またまたとても嬉しい出会いが!

  • Vol.361 とても嬉しい出会いが!

    ここのところずっと多忙な日々を過ごしておりますが、そんな中に1通の素敵なメールが届きました。なんとなんと、お爺様のご兄弟の子孫の方からのご連絡だったのです!お爺さまには兄が三人と妹が一人いましたが、消息が分かっているのは、三男と妹さんのご家族だけでした。どちらのお宅も、世之主の子孫の家であるなど宗家のご先祖様については、少しは話をご存知ではありましたが、長男と次男の家に関しては全く情報もなく、子孫の方々がどこにいらっしゃるのかも不明だったのです。先日の義父の葬儀の時には、義母の兄弟姉妹も参列してくださり、その際に先祖の話になり、ちょうど消息の分からない長男と次男の家のことが話題に出ておりました。そんな中でのご長男家の子孫の方からのご連絡は、大変嬉しいことでした。まだまだ詳しいお話はできていませんが、一番嬉...Vol.361とても嬉しい出会いが!

  • Vol.360 エラブのユリの花が教えてくれたこと

    ボーっとした週末を迎えました。ずっと闘病中だった義父が6月27日、86歳で永眠しました。去年から肺癌で緩和ケア病棟での入院生活が始まり、家族が一丸となって義父の入院生活をサポートしてきました。一時は誤診ではないか?と思えるほどに食欲旺盛で元気な様子を見せ、このまま退院できるのではないかというような様子でしたが、やはり癌の威力には勝てませんでした。義父の癌は、肺の中で菌が飛び散るという珍しいタイプの症状だったそうです。高齢でもあり治療の施しようがないそうで、痛みや息苦しさを抑えるようなケアが約九ケ月続きました。義父はとても我慢強い人で、殆ど痛みを訴えることなく過ごしていましたが、最後の最後はもう限界だったようです。苦しそうな様子が伺え、見ている家族も本当に辛い気持ちになりました。最期は本人が「もう終わりにし...Vol.360エラブのユリの花が教えてくれたこと

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