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琉球史と絡む先祖調査の記録です https://blog.goo.ne.jp/yononushi

琉球が三山時代であった北山王の次男と言われる沖永良部の島主「世之主」 当家のご先祖様であるという伝承をもとに、ご先祖調査をしており、その内容をブログに記録しています。

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2021/02/12

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  • Vol.355 世之主由緒書を紐解いてみよう(9)

    こうして世之主由緒書をじっくり読んでいくと、様々な歴史の部分が見えてきました。今ではもう忘れ去られようとしてる世之主とその時代のこと、そしてその歴史を脈々と受け継いできたそのまた歴史、平安統は近代化へと進む時代の流れの中で、これらのことが薄れゆき、忘れ去られてしまうであろうという危機感を持って記録に残したのだろうと思います。先祖調査で在島していた時にお会いした大学の教授がおっしゃっておりました。このような記録は、世の中の何か大きな動きがあったとき(薩摩による島民への締め付けが大きくあった時など)に書かれたようだと。自分たちの先祖のことや存在を大きくアピールすることで、自分たちを守っていくということでしょうか。確かにこの平安統の時代には、一族としては直城の丘の上にあった屋敷から土砂災害で城のすぐ下の北側に転...Vol.355世之主由緒書を紐解いてみよう(9)

  • Vol.354 世之主由緒書を紐解いてみよう(8)

    世之主由緒書の最後に記録されている附録です。附録の部分ではありますが、当家や島の歴史を知る上で重要なことが書かれている箇所です。 原文附録一、百(ヒヤ)と申候者、往古ハ百家部乃頭取仕申候村役々役名二而候由。一、のる·久米と申すは女二而、村々神まつり仕申候村役二而御座候由。奥方へも相対奉公仕為申由。干今古城え四季まつりに登城仕申候。一、後蘭孫八但シ後蘭村居屋敷干今御座候。一、屋者真三郎但屋者村居屋敷干今御座候。右二人共二世乃主ヘ相対奉公仕申候老臣と申伝御座候弐人共二長九尺余りの大男にて候由。近年迄世乃主墓所へ骨御座候処、誠二人の骨などとは見得不申候。島人琉球人二而ハ孫八·真三郎杯と名乗不申賦り、多分ハ日本よりの落人二而、世乃主ヘ奉公仕居為申者共二而ハ無御座候哉と申伝御座候。委敷由緒相知り不申候。一、古城之儀...Vol.354世之主由緒書を紐解いてみよう(8)

  • Vol.353 世之主由緒書を紐解いてみよう(7)

    今回は宝剣:喜美留菜津久ミの行方、世之主の奥方の親元である中山についての紐解きです。原文一、其比世乃主へ奉公仕居申候島尻村居住国吉里主と申者之為勝負馬弐疋致所持候に付、世乃主より御所望被成候二付、壱疋ハ進上可仕と申上候ところ、弐疋共にと無理に所望被為成候処、国吉里主より申上候は私事此馬乃助を以て遠方より御城え每勤仕候儀御座候間、壱疋ハ御免し被下度段願上候得共、御聞入無之御取揚被成候二付、国吉恨みを含み中山え逃渡、私主人二ハ喜美留菜つくみと申候宝刀名馬等相備へ、中山大王へ謀反之企仕申候段申上候処、中山より使者差越、永良部世之主二ハ宝刀御所持之由相聞候間、御見せ可被給段被仰越候処、世乃主御返答二ハ私事海外之小島に罷居り、宝刀扶助二テ島中相治罷居申事二テ候得ば、差上申儀相叶不申段被申断候由。然処中山之家臣共之内...Vol.353世之主由緒書を紐解いてみよう(7)

  • Vol.352 世之主由緒書を紐解いてみよう(6)

    今回は宝剣の喜美留菜津久ミについてです。原文一、喜美留菜津久ミと申候宝刀之申伝。世乃主時代、喜美留村え扇子丈と申もの罷居いか引差越候処、刀一腰つり上、宝刀乃訳も不相分ものにて魚を切り候得ハまな板迄切込、夫より秘蔵いたし置き候処、其子右刀を以て怪我仕り、夫故相果申し候につき、立腹之余りに古場野(コバノ)と申野原の真石を切り申候処、ニつに切割候に付恐入本乃海中え投捨申候由。左候処夜々海中二テ光をあらわし候を、城より御見届使者を以て御取寄せ御秘蔵被成置候由。現代文喜美留菜津久ミと申す宝刀の由来一、世乃主の時代のことでした。喜美留村に扇子丈と申す者が暮らしていました。ある日、彼が海釣りに出ると、海中から一振りの刀が釣り針に掛かりました。これが世にも珍しい宝刀であるとは知りもせず、彼は庖丁の代わりに釣った魚をさばく...Vol.352世之主由緒書を紐解いてみよう(6)

  • Vol.351 世之主由緒書を紐解いてみよう(5)

    当家が琉球時代に代々大屋子を務めたことや、世之主の長女が住んでいた小庵のことなどが書かれています。原文一、右直城の子孫成長の上、中山王御取立にて代々大屋役仰付相勤来り候由。依之当之私迄も島中のもの共、大屋子孫と唱申候。尤大屋役何代相勤申候哉不祥候。右女子の儀、王女之故妻嫁に可仕似合無之、古城之下え結小庵一生寡二テ終り候由。右小庵之屋敷千今男子禁戒。現代文一、直城の若主はすくすく成長し、のちに中山王のお取立てとなり、沖永良部島で代々大屋役を仰せつかり、勤めに励んでまいりました。そのため、当代の私に至るまで島中の多くの者が「われわれは大屋の子孫である」と唱え申すのです。もっとも、これまで大屋役を何代にわたり勤めてきたか詳しくは分かっておりません。一方、若主の姉君は王女の血筋であったため、嫁ぎ先として釣り合う家...Vol.351世之主由緒書を紐解いてみよう(5)

  • Vol.350 世之主由緒書を紐解いてみよう(4)

    今回見ていくところには、徳之島に逃げた子供たちについて書かれています。原文一、右騷動の砌、男子三歲若主一人、女子五歲之者一人、乳母真升兼(マスガネ)と申すもの右両子列上、西原村あがれ百所え逃越候折柄、西原村の下え德之島船着船いたし居り候を頼入、徳之島え罷渡り、己後中山領島相成島中無異相治り候に付、島役共より王子迎として渡海いたし候二付き、御帰島被成候得共、幼少両子にて本城の住居難被成。古城より北二相当り、小高き処へ御館を構へ御直り被成候に付き、今に直城(ナオシグスク)と申唱申し候。現代文一、そのような騒動の最中、世乃主かなしの三歳になる若主(男児)一人、五歳になる女児一人が、自害の惨劇を逃れて生き残りました。乳母の真升兼(マスガネ)と申す者がこの二人を連れて西原村あがれ百所まで逃げ落ち、そこで徳之島に向か...Vol.350世之主由緒書を紐解いてみよう(4)

  • Vol.349 世之主由緒書を紐解いてみよう(3)

    世之主由緒書の次の箇所は、世之主の奥方のこと、自害に至るまでのことや子供達のことが書かれています。今回はその前半部分を考えてみました。原文一、世乃主かなし御奥方の儀ハ中山王の姫にて、御名前真照間兼之前と申唱候由。一、本琉球の儀、三山御威勢を争へ、度々合戰為有之由。然処北山今帰仁城之儀ハ、中山之大将本部大原(モトブタイハラ)と申すものより被攻亡され、南山も落城終には中山一統にて相成為申由。右二就て世乃主かなし事頼むなき小島にて鬱々として被成御座候折柄、中山より和睦之使船数艘渡海有之候由未実否御聞届も不被成、此方事北山之二男にて候得バ、中山より軍船ハ相違無之候。左候へば小島を以て大国へ難敵と、直二奥方を始め御嫡子其外無残御差違へ御自害之由。現代文一、世乃主かなしの奥方は中山王の姫君にて、その名を真照間兼之前と...Vol.349世之主由緒書を紐解いてみよう(3)

  • Vol.348 世之主由緒書を紐解いてみよう(2)

    世之主由緒書は昭和28年にお爺さまが、昭和30年には一族の豊山英敏氏が解読し、旧字体を新字体に改めて書き残しています。この解読が初めての作業であったと認識していたのですが、実は大正時代に既に活字化され、島外に在住の研究者が書いた本にその内容が記載されているのを発見しました。このことは以前の記事にも書きましたが、門外不出と言われていた古文書が大正時代に既に公開されていたのには驚きました。歴史研究の発展のために公開したのかもしれませんが、詳しいことは分かっていません。この世之主由緒書ですが、活字化されているとはいえ文体が古語ですのでどうしても意味がとりにくい箇所がありました。特に書かれている内容を正確に知りたい箇所については、やはり専門家にお願いして現代語訳にしてもらうしかないと考え依頼しました。この方は同じ...Vol.348世之主由緒書を紐解いてみよう(2)

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