2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
座付き小鉢小鉢突き出し前菜アミューズアンティパストまー色んな呼び方や楽しみ方がある前菜という料理。前菜の楽しみ方は色々ある。前菜にたっぷり時間をかけて楽しむ食…
京都辺りで言われるのが梅雨の水を飲んだ鱧は旨い鱧は決して川に棲んでいるわけではないちょうどその頃の季節が鱧が旬を迎えるのであろう。佐渡の父親が昔話していたこと…
こんな鮎夢のまた夢そして幻と化した出来事。七月父に法要で小倉の兄と帰省前夜はお刺身を目いっぱい堪能がしかしどうしても鮎が喰いたい。 二人合わせて128歳の年よ…
佐渡の海は豊かだ貝類も磯に豊富に育っている。 その貝類を餌に真蛸の小さいサイズのものがお盆を過ぎると産卵を控えて岩場に潜り込む。 夏泳いでサザエやアワビを取っ…
地球温暖化がジワジワとそして確実に暮らしに影響がおきている同時に低温化に向けた歩みを加速している地球の歴史の中で人類の暮らしなんてほんの数秒くらいひとこまなの…
久々の帰省初日から刺身三昧タイ・ブリ・ヒラメ・サザエこれはたまらない佐渡の刺身の切り方は分厚いとっくに相川醤油は喉を通ったまだしかし口の中には味わって食べてい…
ケーンケーンと鳴くのは雉桃太郎と共に鬼が島に遠征した鳥。 きれいな羽を持つその羽の色気に似てるので俗称はキジハタ佐渡の父たちはこいつを何故だかシマメグリと言う…
春先の遡上から岩の苔を食みながら新鮮な苔を求めて成長しながら上流に向かう。秋が深まると雌は腹に卵を抱えてオレンジ色の背びれが特徴しかし雄は真っ黒に錆びてほっそ…
佐渡の夏は長いようで短い。 お盆を過ぎると土用波というのが押し寄せいつも海は波が高くなり底砂を舞い上げ濁って来るのである。 萩の花芒の穂そして田圃は徐々に黄金…
海女さんや素潜り漁ならまだしも船の上から箱眼鏡でこんなのを見つけても岩かどうかわからないのがアワビである。 夜な夜な動き回り海藻を食べるのであるがサザエよりは…
一口にサザエといっても棲んでいる海や岩摂食する海藻の種類の色合いそして個体の違い有棘型と無棘型若いサザエや成長年月の長い佐渡の私たちは表現がどうかわからないが…
昔は地方に行き打合せの時間を設定したはずなのに中々その時間になっても来ないことで打合せが遅れることが普通。 いやいや仕方ないですなんとか時間でここはそれが当た…
世界の淡水の70%近くは雪と氷のかたちで存在している。 残りはほとんど地下にあるがくみ上げられる地下水の量は自然の供給量よりもはるかに多い。 利用する水の三分…
久しぶりの我が家寝てられないだから朝暗いうちに目覚める鶏よりも早くみんな生きていたら迷惑かもなー。 昔から鶏はずっとそばにいたときより色気の悪いチャボもいたが…
なんとか横丁というものが全国にはいろいろある。 マチの中で原型的な何かを有していたり詠み人知らずのうちに名前が付いたもの中には相応しくないような何とか横丁とな…
令和4年7月に久しぶりに帰省。世界には銀行口座を持てない人々が4億人日本はほとんどの人が口座を開設できる。 世の中はネット社会モバイルの世界便利に暮らしやすく…
昔に限りなく戻っている岩肌に広がる葛の葉っぱ昔見た風景である。 トンネルを潜り抜け中学校に通った昭和47年車一台がやっと通れるそんな旧のトンネルサイの角のよう…
田楽というと今の時代木の芽時だから春の料理というのが当たり前になった。 この料理は南北朝時代京都祇園神社にその記述がある結構古い料理。 水を切った豆腐に串を刺…
※画像はお借りしました。 講釈師見て来たような嘘をつく。 講釈師ではないので嘘をつく必要がない。 確か昭和41年の初夏だったと記憶している夕方に父と磯に三枚網…
上から読んでも下から読んでも(ボントンボ)正式にはウスバキトンボお盆の頃大量に羽化する別名精霊トンボ。 浜の上を元気よく飛び交ってる(あーお盆も終わるんだなー…
大佐渡や礁(いくり)の如く牛冷やす角川の年間賞の秀逸になった句牛冷やすは夏の季語田こしらえや田植えで働いてくれた牛を海で洗っていた親父を思い出して作った。大佐…
決して辛み大根ではない子供心にあの冬の甘みのある大根同じ大根がなんでこんなに辛いピリピリくる。 父は若い時分から胃が弱く必ず胸焼けをしていたのでこの大根おろし…
コロナ禍もやっと制約はあるが新規感染者も徐々に現在下降という結果も発表されている訪日外国人に対しても規制が緩和され始めた。 世界遺産登録申請で盛りあがる佐渡こ…
非日常からその後の新しい日常という言葉がひと時広まった。 暮らしを考えた時にたぶんですが今までの日常の価値観は変えざるを得ない状況以前には戻れないといっても過…
旧盆の舟流しは八月十六日夕方海岸に家族うち揃って三日間お供えしていた果物やお菓子そして青いアケビでこしらえた馬を小さな舟に乗せて流す。 それがお盆の最終日で帰…
漬け過ぎて食べる機会を逸した味が濃くなりしかしながら熟成の進んだ古漬けを刻んだものが覚弥漬け。基本は水で一晩塩を抜く少量の醤油を足して味を調える至って簡単でシ…
昭和53年の7月だった。 新社会人になって初めての夏佐渡の父が胃の腫瘍があり島内の開業医では名医といわれた医師の執刀で切除する手術をした。 春の結婚式シーズン…
二十世紀梨は明治21年に千葉の八柱が発祥。 当時13歳の松戸覚之助が親戚のごみためにあった梨の苗を自分の畑に植えたことで生まれた梨である。 昭和の記憶をたどれ…
北前船由来の地域は元よりこのメバルはどこでも重宝される魚であることには違いない。 目が腫れているからメバル目が鉢のように大きいからハチメ春に旬を迎えるからメバ…
隣村が漁業権をもっているネズミのような形の島が三島という名前で呼ばれていた。 切り立った岩の壁がありそこは亀の手やクロクチがびっしり手つかずで付いている。冬の…
私のすぐ上の兄は現在は北九州小倉に住んでいる。 昔から本が好きで今でも一室は本の山だから大学を卒業し新聞記者になった。 佐賀の小城のお嫁さんをもらったので一時…
昨今パフェブームだとか。 背の高いチューリップ形のグラスにアイスクリームと白いホイップチョコレートソースがかかりバナナも入ってるてっぺんに真っ赤なチェリー長い…
なんもねーけどままくうていかんかえー!※何もないけどご飯食べてゆきませんか。佐渡弁ではこんな言い方をする京都ではおぶでもどうどす?社交辞令です。 じゃーと言っ…
半割にした竹をふみふみこれで健康になるそんなものが売れる都会。 熱海にある日帰り温泉床には丸い石が敷き詰められその上を歩くと健康にいい生まれ育った佐渡の浜では…
昭和51年8月のことである。 その年1年生坊主の野球部にいた県の大会で敗退した残念。 秋からの新チームで驚きの1番の背番号いやーそりゃまずい先輩が―・・・だか…
佐渡島独特の方言なのか父や母たちは青くても赤くても紫蘇のことをチソという。 昭和の頃は青いのは畑にはなかったすべてあのボルドー色の紫蘇。 文字からして元々は赤…
凶弾に倒れた安倍晋三元総理のご冥福を心よりお祈り申し上げます。令和四年七月八日普通の年寄りと違い偏屈なところがある私血液型がO型だからか三人兄弟の一番下で小さ…
二つ先の村にできた漁港その先にあるのが松の木の下と言って昔ここにお客様をたくさん連れてあそんだ。 その漁港の防波堤で豆鯵が釣れる朝早くと夕方だと聞き早速出かけ…
今では低価格のとんかつ屋さんがしのぎを削っている。 一方で東京の老舗と言われるとんかつの店異論反論好き嫌い好みの話になる正当本流本家などいろいろあるが私なりの…
言わずと知れた鮎である。幾度となく佐渡島の大倉川の鮎の話を綴ってきた。 新社会人となったのが昭和53年の3月職場が結婚式場の天ぷら部門入社早々に結婚式シーズン…
料理屋さんでいうじんだ和えというのは季節は春の料理だそうだ枝豆の走りを使う。この時季の色気からいうと木の芽和えの緑を使うことが多い。 枝豆の出盛りは夏から秋に…
そろそろ小さな青いイガイガが栗の木にちらほら見れる季節。柴栗とも書くが山栗のこと。 長靴火ばさみとそして麻袋を持ち山に出かける父と母一度だけ付いて行ったことが…
海外の国を漢字表記したとき結構読めなかったりします。 越南と書いて成長著しいベトナムのこと正確にはベトナム社会主義共和国。 越南備長炭をご存知の方は業界通。何…
今日は穴子の日だと言う。以前記した思い出の穴子の話。 ▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう昭和54年頃の湘南の葉山。 葉山マリーナにはホテ…
今日は少しだけ食の話から外れます。 史観型プランニングが大切だと考えている。 情報過多の時代に史観を持っていることが重要。 どのような事実が実在するかが得意…
昨日ネスパス表参道にある交流スペースに行った。 高校の先輩が会長をしている若波会佐渡おけさを踊りましょう!そんなイベントに顔を出した。 佐渡の食や暮らしを記し…
先日料理の番組で料理研究家がとんでもない言い間違いをしていた。 映し出された魚をこれはホウボウという魚です。 がしかしどうみてもそいつはホウボウではない似てる…
真白いかたまりが竹の篭に入って我が家にやってきた。 目の色が違う尻尾はまん丸可愛い猫名前は白いからシロに決定今から考えれば安直。 私が小学校二年生だから昭和…
齢60を過ぎたころから特に食の好みが父に似て来た。 炊き立てのご飯は意外と苦手冷めたご飯が好き。 夏は茄子と玉ねぎそして南蛮ピーマン赤紫蘇とクルミの油味噌が食…
コウグリは佐渡地方の呼び名ウマズラハギが本当の名前。本カワハギよりは味は劣るとされているがどうしてどうして新鮮なのは肝醤油で食べると旨い魚。葉山の料理屋では5…
旧のお盆の八月佐渡ではご先祖様への供養膳にこのアカメガシワの葉を敷くそんな風習がある母はこの時に心太を乗せ味噌と塩を添える。 ここからは最新の情報。 産官学の…
なんで?なんで?どうして?ませた佐渡島の赤チンつけたガキであった。人生120年と言われる時代に折り返し地点を過ぎた赤チンはいつしか湿布薬に代わったが三つ子の魂…
佐渡の海で泳げばいろんな岩場で目にするまるで工事中のテープ縞の魚これが釣り人垂涎の魚石鯛の幼魚である我が村ではカタバと呼ぶ固い歯だからだと思う。 磯の三枚網に…
小学3年生の頃昭和42年だった。バスで20分ほどの歯医者に通った。 当時の定期バスは外海府といわれる我々の地域から大都会の相川まで日に4本程であったであろう直…
日本語を学ぶ人たちは大変だと思う。 サイジという読みを変換すると沢山出てくる日本人でもその本当の意味を知っている人がどれだけいるか。 七夕などの節供や日本人の…
といってもハクション大魔王の話ではない。 秋に美味しいアケビのこと。 母たちはアクビという。 確かに大きな口をあけてる。 鮎が採れる川をさかのぼる道路際の木に…
「ブログリーダー」を活用して、昭和の料理の記憶さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
師走に突入した。 雪の年には海苔の量も質もいい昔から母たちはそう口にする。 二酸化炭素Co2の削減地球温暖化という大きな問題が生態系の変化や海水温度上昇ハリケ…
越中バイ加賀バイ大越中バイ秋田バイなど呼び名がいろいろあるバイ貝。 五月から七月前までの梅雨の期間は産卵期であるので味は落ちると言われる。 深い海に棲み夜行性…
昭和43年かと記憶している。海府のでこぼこ道が真っ黒い平らな道になっている。 思わずサンダルを脱いで歩いた。まだあったかい。初めてアスファルトに舗装されたムラ…
その昔お総菜に困ったら豆腐芝居に詰まったら忠臣蔵なんて言われた国民的食品の豆腐。 江戸時代には豆腐百珍などの料理本があるほど古くから親しまれた豆腐生よし煮てよ…
亥の子餅とは旧暦10月亥の日に食べるとされるお菓子。 平安時代の宮中で亥猪餅(げんちょうもち)というお餅を使った儀式が元になっている。 茶道では11月1日の亥…
佐渡にもいい酒を造る熱心な酒造メーカーが散見されますやっぱり地元で飲むとまた格別に旨い! 居酒屋や割烹の献立に利き酒セットなるものがあるデギスタション試飲や試…
確か以前にも綴ったかもしれません鯖にあたってしまった話です。 その日は若い板前がつくったしめ鯖を手土産に家に戻った。久しぶりのしめ鯖と熱燗で夕餉を終えた旨み…
昭和53年の三月に私はへなちょこ板前として(食に関わる生き方)が始まった。父と一緒に上京をした。 悪ガキ三人の巣立ちに父は必ずついて行ったと記憶している本当に…
相模の国足柄山で山姥に育てられた強き男の子。 熊と相撲をとって勝ってしまう怪童と言えば鉞担いだ坂田金時。誰それ?そう金太郎である。 後に源氏の総帥の源頼光の四…
ひと時女性のインナーのCMに寄せて盛るみたいなワードがありました。 今年の佐渡は何やら暖かい。 昭和の頃は11月に入ると霰が降るそして沖合の海に雷ゴロゴロ雪下…
晴れると信じ込んでる文化の日である。 カレーライスとライスカレー一緒なのか別物なのか? 大した問題ではないだろう私のイメージは真ん中にご飯があってその上からま…
昭和53年の4月佐渡島の高校を卒業し東中野の結婚式場で新社会人の料理人として仕事を始めた。 いきなり春の結婚式シーズン2週間のオリエンの後各席セクションに振り…
昭和42年だから私はピカピカの一年生だったと思う。 古い家は母屋と納屋そして牛の小屋鶏小屋そして便所真ん中にはカロ(中庭)があった。 納屋と牛の小屋の間は通り…
昭和の頃には佐渡島の舟小屋には少なからず何個かガラス製の浮き玉(ビン玉)が転がっていたと記憶している。 ロープで網目のように編んで結ばれて床や舟の上に置いてあ…
昭和40年頃。私はといえば小学生。悪ガキ全開の頃である。ムラの沢庵用に干してある大根を木刀の切れ味の試し切りしてこっぴどく叱られるなど悪さのし放題。 その…
村のはずれに小さな小さな小川がある。 二畳ほどのところに芹が自生している。たぶん田圃にも田芹があった気がする。 芹の仲間には毒ゼリというのがあり意識障害などを…
父からの電話。当時の電話はプッシュではないダイヤルを回す真っ黒なタイプ。何やら持ってくるらしい。 2月の極寒の頃であった。夕食も済ませてコタツの四隅に悪ガキ三…
すっかり寒くなった。 こうなると料理屋の献立には魚に寒という文字がつけられる。 寒の鰤寒の鯖寒の鮃寒の鯔(ボラ)寒の鱈などなど何となく脂がのって旨そうに見える…
佐渡島の方言いや海府独特の言い回しなのか今では使わないかもしれないちゃらくらげいな!たぶん漢字で書くとお茶羅家ということになろういい加減ふざけた嘘っぽいなど比…
2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…