2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
昭和の時代からトースターで焼けるパンは最大で2枚。家族5人の家でパンを焼くには5回から8回飛び出すのを待って待ってやっとありつける。丸い缶のバターにバターナイ…
水深2メートルくらいの岩ではなく玉石にトクサのようにつんつんまっすぐ延びている。佐渡島は魚も豊富だが海藻の種類も多い潮の流れは暖流が北に向かい栄養を運んでくる…
私のすぐ上の兄は現在は北九州小倉に住んでいる。 昔から本が好きで今でも一室は本の山だから大学を卒業し新聞記者になった。 佐賀の小城のお嫁さんをもらったので一時…
そもそも蕎麦専門の閉店時間は日没と相場は決まっていた。 夜蕎麦屋でつまみながら一杯なんという店は蕎麦屋ではない飲み屋であるそんな本を読んだことがある物書きらし…
九州では(おきゅうと)と言われる海藻を練ってこしらえたミネラルたっぷりの食べ物がある。 お救人浮太沖独活などの当て字を使う。 96%が水分後は炭水化物蛋白質栄…
地球温暖化がジワジワとそして確実に暮らしに影響がおきているが同時に低温化に向けた歩みを加速している地球の歴史の中で人類の暮らしなんてほんの数秒くらいひとこまな…
昭和35年の元旦雪が積もっていた佐渡島。 ガラス戸の隙間から大晦日からの雪で家のところどころ吹き込んで積もっていたと母は言っていた。 神職の家とはいえそれで暮…
今時匂いのことを(かざ)といって通じるのは佐渡の海府の人たちかもしれないが風と風上などが混じって匂いのことを(かざ)という一般的な言葉として辞典に出ている。私…
明るいナショナルなんでもそろうナショナルナショナル劇場(水戸黄門) 私が9歳の頃佐渡島の外海府でチャンネルは3つしかなかった。 NHK総合NHK教育そしてTB…
香魚とはよく言ったものだスイカかキュウリの香り清流の石や岩につく苔を食んで生息する鮎基本的には海から遡上する鮎だが海を知らない鮎もいる。弥生三月の末頃稚鮎が川…
昭和53年3月22日入社その年の7月23日私の包丁ごっこ(板前)における初めて人様に食べてもらえる料理をこしらえた。 東中野の結婚式場なので繁忙期は一日1万本…
しかし佐渡島の海は豊かだなー住んでればわかるだろうが離れて暮らしているからこそ分かるものも多いのかもしれない。 確かに冬の海は荒れくるって手を付けられない。私…
絶滅危惧種に分類されているアユカケ佐渡島で昭和の頃は村はずれの川には結構いた。鮎を獲りに行くと岩陰にひっそりとそして岩と見間違う体の色しかしこいつは厳つい面構…
佐渡弁で(もったねー)MOTTAINAIということ。ハチメ(メバル)の塩焼きイナダの煮つけ鮎の天ぷらスルメイカの刺身アワビの刺身アワビの肝の大根なますサザエの…
雁ヶ音ほうじ茶という茶葉がある。 一番茶の茎の部分だけを焙じた香りがまろやかで茶葉がない分渋みも少ない。 まー茎茶とか棒茶の類である。 父は晩年は飲むようにな…
五月晴れの家路(カロ)父と母が刈り取ってきた蕗ビニールの肥やし袋から大きな葉を広げている。 本当によく働く父と母。 肥やし袋三袋に詰められた蕗の束いい香りがす…
1983年(昭和58年)の8月に佐渡島で日焼けで真黒な顔して表参道の新しい店の開店スタッフの一員になった年。 その年に師匠が書いた本がある。「めい・あい・へる…
肥沃な畑に植えた新玉ねぎが大きくなる頃。まだ梅雨が開けきらない佐渡島飛び魚が産卵のため沖合いから岩礁に群れる。海面から2メートルの深さに設置したトビ網にむっさ…
泳いで水中メガネならいざ知らず舟の上から箱メガネでこれを見つけるには経験の積み重ね父たちはやっぱりすごいね。水深約3から4メートル周りには藻が茂るもう何十年も…
やばい!そんな陰口立てらないように生きなきゃー。 でも独活の字の成り立ちは大きく成長して独りでも動いて(活)いるように大きな葉を揺らすということだから食用には…
歳のせいか体力がなくなったのか朝早く目覚めてしまう。 確かに布団に入るのが早いから仕方ない夜はからっきし苦手。 子供のころコッココッコとやつらは朝が早い。鳴く…
先日知人から頂いた便利な瓶こいつに醤油を入れておくと鰹醤油になるという。こりゃーいいやーいつ仕込もうかなー?なんて考えている。 昭和53年3月20日私は就職の…
佐渡島の人達は人懐っこくて人情深く美味しいモノが海や山で採れとっても住みやすいところ。かもしれない田舎移住がじわじわプチブーム。 何も知らず気づかず見ざる言わ…
魚種交替という自然現象がある。 自然現象と言っても温暖化などの複合的要因も微妙に絡む。 海水温の影響により周期により採れる魚が変わる今まで南で採れていたような…
(侘び)は貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識。 (寂び)は閑寂さのなかに奥深いもの豊かなものがおのずと感じられる美しさ。 まだまだそんな境地には…
田植えが終わった頃海が鏡のように静かになることがあるそうすると父はそわそわしだす。 夜突きにいかんか!納屋から一斗缶を取り出し蓋を開け新聞紙にくるまれたあの臭…
ひとり暮らしの還暦越えさすがにテレビに向かって話すことはしないが確かに一日誰も話さない日はあったかもしれない。 昨今のコロナ禍で在宅ワークリモートワークが急速…
フードテック隆盛の時代。 ビッグデータやAIという代物が最新の情報を提供している。 昭和の佐渡ヶ島での食の暮らしを中心に綴っているが懐かしい話郷愁に浸って書い…
小学校3年悪ガキ真っただ中昭和45年だったと思う私のムラの祭りが4月11日で隣のムラが15日。 代々神社にお仕えする社家の三男坊長男が継いで次男は仕え三男は財…
その年はサザエが豊漁だった。父たちは磯ネギ漁で殻に穴をあけないように丁寧にヤスにはさんで海から引き上げるか網ですくって引き上げるかいずれにおいても穴があいたら…
兄のお嫁さん義理の姉は佐賀県の小城の生まれ佐賀と言えば唐津そして呼子のイカが名物のひとつ。 創業は昭和36年というから私が生まれた翌年創業の河太郎という店が…
昭和54年頃の湘南の葉山葉山マリーナにはホテルボーリング場もあった入口には生ビールが飲めるケンタもあった。 その真向かいには赤いキャップで有名な調味料の老舗創…
1804年に瓶詰の保存食品の開発に成功した二コラ・アペールはフランス人。 ナポレオン侵攻用の軍用保存技術公募に当選を果たした人物その後に缶詰というものが出現。…
父が農協の組織替えで佐渡島の北部の外海府を離れたのは昭和60年の頃島の中央の国仲に宿をとり数年間一人住まいであった。 父の性格からして人懐っこいわけ隔てなく如…
田植え前だと記憶をたどっている。最近記憶を引き出しからだすのに手間取っている。 鎌倉から何故だかわからないが父の叔父が遊びに来ている。 いつもは夏に大勢でくる…
グミなるお菓子が発売されたのは1980年明治製菓がつくったコーラ味。女子中高生のなかで瞬く間に広がった。 新商品というのはセンミツと言われる1000個出して3…
共に食卓を囲む仲間会社のカンパニーの語源がそうだと聞いた。夏の炭起こしは火種を下に冬の炭起こしは火種を上に夏下冬上。そんな言葉使うことも少なくなってそれすら何…
(河豚)と書いてフグと呼ばせるかー(海豚)と書くのはイルカである日本語というのは面白い。母は今でもフグ言わずフクと呼ぶ関西の方でもフクと呼ばれる福にあやかった…
ヤマメは肉質は白っぽくて小型しかしサクラマスは薄い桜色で中型もちろん食べている餌が違うから。 村はずれに幅6メートルほどの川がある。 鮎が遡上する川ちょうど今…
昨今では深海魚なるものがちょっとした話題になっている。 そんなモノばかりを集めて出荷している事業主も現れた。 佐渡島の沖合に夏前に板引き船が何艘も出ている板引…
佐渡島の北端に近い我が村があるところでは余りお目にかかったことがない孟宗竹の筍父が国仲の友人からどっさりもらって来る。 竹の種類も潮風や強風の影響でわが村の位…
すっかり高知県の郷土料理として知られた皿鉢料理(さわちりょうり)。 元々は農耕儀礼としての祈願祭や収穫祭に神様にお供えした素材を使い神事に参加した人たちと共に…
佐渡の海府ではサンマの漬け止めを(バンジョウ)と呼んでいた。バンジョウのつかみ取りという漁法が佐渡島の伝統的な漁にあった。藁で編んだむしろに穴をあけ沖合に出て…
まだまだ朝夕は手がかじかんでしまう佐渡島の四月。 それでも父は待ちに待った磯ねぎに舟を出す。 狙うはサザエアワビそしてナマコ。 御用篭がたぶん正式な名称であろ…
25年も前の話である。 花博後のガーデニングブームコンテナガーデン流行り真っただ中のビジネス企業にいたグリーングリーンと猫も杓子も玉川高島屋ショッピングセンタ…
禁酒法がもたらした中にウィスキーという新しい酒がある。 ビールは醸造酒で比較的短時間に酵母と麦汁が醗酵して飲める酒になった。 これをお上の目に触れないように急…
さてさて今年の大河ドラマは何やら視聴率がいいと聞く古都鎌倉に幕府を開いた源氏ゆかりの武将たちの話。 戦しかしてこなかった坂東武者達に担がれた頼朝幕府を開くのに…
昭和60年だったと記憶している東京広尾に日本料理の支店をはじめて開店する運びになり新しいタイプのデザートということで白胡麻の牛乳豆腐に小倉餡という何とも摩訶不…
佐渡弁ではそんな状態をほうける!というのである。 成長してしまってすっかり食べごろをとっくに済んでしまったものを母たちはそう言っていたと記憶している。 力強い…
今日4月11日は佐渡島の我が村の祭礼朝からそわそわして何も手に着かないまるで浮かれトンボ早朝から山の中腹の神社から祭太鼓が鳴り響いていた。 祭りの饗応料理にも…
魚の呼び方にはいろいろある。 青森地方でいうシマメグリとは体表に縞があるのでそう呼んだのであろうが正式名称は(キュウセン)という。 佐渡島ではバクトと呼ばれる…
茅で切ったような細い目そんなことを言われた子供時代確かに! 最近歳のせいで瞼が垂れさがってきてもっと細くなってしまった。 もう少しすると茅に細いつぼみがつく花…
1977年 フランスブルターニュ発祥のクレープ1990年 イタリアドルチェ ティラミス1991年 フランス菓子 クレーム・ブリュレ1992年 ココナッツミルク…
知っての通りおからは豆腐の搾りかす。 それを風流な料理名の呼び方で(卯の花)とはなんとも清楚で清純な真っ白い花を初夏に咲かせる空木の白い花に例え名前を付けると…
差別的な言葉になるかもしれないが俗に不美人を(ぶす)昭和の頃の話である。 昭和の頃は学校でも営利ビジネスをしていた?もちろん現金収入でそれを部活とか体育の用…
戦後の闇市の場所に小さな店が連なり横町を形成していった。 思い出横丁やきとり横丁そして俗称しょんべん横丁で知られるその一帯。 先日再開発が進む新宿西口でミー…
埼玉には七つの浦和がある。 これをSNSで投稿した場合にこれを(情報)と呼べるか? 情報という定義は難しくそのコトがもたらすことで行動変容を準備したり対応すべ…
亡くなった父は糠漬けが好きだった。母はというと何度かの失敗を経験したせいかやっけら!(メンドクサイ)と言ってなかなか作らない。 そのことで何度も口喧嘩する場面…
4並びの日ですね。 今日から本格的に出勤日朝から冷たい雨が降っている雨をどように捉えるかによって今日一日が決まってきます。 私は雨の日は心が落ち着きます。 滑…
ひと時バターが品薄になった最近では発酵バターバター味のアイスクリームポテトチップスのバーター味パンケーキにたっぷりバター。 てなわけでバター人気がSNSを中心…
何が違うアワビの小さいのをトコブシって言うんじゃないの? 正直私も小さい頃そう思っていたが小学館の海の生き物という図鑑をで調べていや違うトコブシはアワビじゃな…
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2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
師走に突入した。 雪の年には海苔の量も質もいい昔から母たちはそう口にする。 二酸化炭素Co2の削減地球温暖化という大きな問題が生態系の変化や海水温度上昇ハリケ…
越中バイ加賀バイ大越中バイ秋田バイなど呼び名がいろいろあるバイ貝。 五月から七月前までの梅雨の期間は産卵期であるので味は落ちると言われる。 深い海に棲み夜行性…
昭和43年かと記憶している。海府のでこぼこ道が真っ黒い平らな道になっている。 思わずサンダルを脱いで歩いた。まだあったかい。初めてアスファルトに舗装されたムラ…
その昔お総菜に困ったら豆腐芝居に詰まったら忠臣蔵なんて言われた国民的食品の豆腐。 江戸時代には豆腐百珍などの料理本があるほど古くから親しまれた豆腐生よし煮てよ…
亥の子餅とは旧暦10月亥の日に食べるとされるお菓子。 平安時代の宮中で亥猪餅(げんちょうもち)というお餅を使った儀式が元になっている。 茶道では11月1日の亥…
佐渡にもいい酒を造る熱心な酒造メーカーが散見されますやっぱり地元で飲むとまた格別に旨い! 居酒屋や割烹の献立に利き酒セットなるものがあるデギスタション試飲や試…
確か以前にも綴ったかもしれません鯖にあたってしまった話です。 その日は若い板前がつくったしめ鯖を手土産に家に戻った。久しぶりのしめ鯖と熱燗で夕餉を終えた旨み…
昭和53年の三月に私はへなちょこ板前として(食に関わる生き方)が始まった。父と一緒に上京をした。 悪ガキ三人の巣立ちに父は必ずついて行ったと記憶している本当に…
相模の国足柄山で山姥に育てられた強き男の子。 熊と相撲をとって勝ってしまう怪童と言えば鉞担いだ坂田金時。誰それ?そう金太郎である。 後に源氏の総帥の源頼光の四…
ひと時女性のインナーのCMに寄せて盛るみたいなワードがありました。 今年の佐渡は何やら暖かい。 昭和の頃は11月に入ると霰が降るそして沖合の海に雷ゴロゴロ雪下…
晴れると信じ込んでる文化の日である。 カレーライスとライスカレー一緒なのか別物なのか? 大した問題ではないだろう私のイメージは真ん中にご飯があってその上からま…
昭和53年の4月佐渡島の高校を卒業し東中野の結婚式場で新社会人の料理人として仕事を始めた。 いきなり春の結婚式シーズン2週間のオリエンの後各席セクションに振り…
昭和42年だから私はピカピカの一年生だったと思う。 古い家は母屋と納屋そして牛の小屋鶏小屋そして便所真ん中にはカロ(中庭)があった。 納屋と牛の小屋の間は通り…
昭和の頃には佐渡島の舟小屋には少なからず何個かガラス製の浮き玉(ビン玉)が転がっていたと記憶している。 ロープで網目のように編んで結ばれて床や舟の上に置いてあ…
昭和40年頃。私はといえば小学生。悪ガキ全開の頃である。ムラの沢庵用に干してある大根を木刀の切れ味の試し切りしてこっぴどく叱られるなど悪さのし放題。 その…
村のはずれに小さな小さな小川がある。 二畳ほどのところに芹が自生している。たぶん田圃にも田芹があった気がする。 芹の仲間には毒ゼリというのがあり意識障害などを…
父からの電話。当時の電話はプッシュではないダイヤルを回す真っ黒なタイプ。何やら持ってくるらしい。 2月の極寒の頃であった。夕食も済ませてコタツの四隅に悪ガキ三…
すっかり寒くなった。 こうなると料理屋の献立には魚に寒という文字がつけられる。 寒の鰤寒の鯖寒の鮃寒の鯔(ボラ)寒の鱈などなど何となく脂がのって旨そうに見える…
佐渡島の方言いや海府独特の言い回しなのか今では使わないかもしれないちゃらくらげいな!たぶん漢字で書くとお茶羅家ということになろういい加減ふざけた嘘っぽいなど比…
2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…