2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
海岸線の砂防・防波堤が佐渡島の小さな集落を護っている。 昭和の海岸線とは違う笹のような小舟もここに上げて置けば心配ない田圃に行くにも車道がありとっても便利。 …
ハロウィンかーまた渋谷で騒動かー今年は自粛がゆるく解除となると・・。 古代ケルト民族の新年が11月1日。 その前日に先祖の霊が家族に会いに来る一緒に悪霊もつい…
焼きものといっても陶器や磁器ではない焼き魚にそんな名前がある。今ではそんな名前を付ける料理の献立を目にしたことはない。 百貨店やスパーそして通販サイトにはすで…
今と違いカラフルな色の長靴なんてないほとんどが黒それでも新しいのはうれしいそいつを履いて小学校に通う。 冷たい海風が吹き海は荒れる佐渡島の海。 風に煽られて海…
午前様であった。 さっそうと現れたクレオパトラ黒のパンツに白のシャツそのままエミレーツ航空のチーフパーサーと見間違う。 知人を介してドバイ進出を画策してる佐渡…
この言葉は季節感をそして旬を守る料理界や板前に約束を守れとの戒めの言葉。今では全く関係ない年中色んな産地の旬が手の届く世の中。 私は葉山に暮らしていた葉山は逗…
カレーライスとライスカレー一緒なのか別物なのか? 大した問題ではないだろう私のイメージは真ん中にご飯があってその上からまーるくカレーをかけるのがライスカレー。…
不精してましたすみません私のブログ待ってるひといないかー。 金曜日から札幌に入ってちょびっと仕事でした。 今回は北の大地での今年最後になるゴルフでした。朝から…
若い板前がつくったしめ鯖を手土産に家に戻った。 大好きなしめ鯖と熱燗で夕餉を終えた。 旨みのあるしめ鯖に満足した。 佐渡島の父が冬になると寒鯖でつくっていた昔…
意外にも佐渡出身者が郵便事業に関わっていることがわかった集まりがありました。 私はしばらく世の中に逆行しますがどうしてもなくてはならないビニール加工の会社にお…
台所に新聞紙を広げ大きなすり鉢とすりこ木鉄の鍋には大きな昆布トビが一匹くさい太いごぼうくさい太い人参これを味噌仕立てにして粗熱をとってある。さー何が始まるのか…
寒くなってきました初秋を通り越し晩秋の気温になってしまった近年そんなことばっかり気候変動ですね。 先週は大阪で一足先に鉄ちりを食べましたが昨夜も豆腐と鱈でやっ…
十一月の佐渡島の外海府。 村はずれの川には真っ黒になった鮎が群れを成している。雌は腹に卵を抱えてオレンジ色の背びれが特徴しかし雄は真っ黒に錆びてほっそりしてし…
そろそろ出てくるかなースケソウダラ佐渡島では短くスケトという。冬の頃決まって父がまん丸のやつを開いて味噌を塗りたくって送ってくれた。 ころころに太く成長したス…
一昨日無事終了した幕張メッセの農業EXPO同時開催のテーマも複数あった。コロナ禍の規制解除雰囲気もあり初日が雨模様であったため農業従事者も雨の一休みで多くの来…
日本の野菜栽培量は大根、キャベツに次いで堂々の三位の白菜だが冬野菜であるはずが年中野菜になっている。 夏に巻いた種が大きくなり霜の降りる頃結球するこの白菜。 …
佐渡島の父は農協から帰って来ると急いで磯網を仕掛ける。 一晩待って翌朝早くにそいつを引き上げるもちろん季節によって獲れるものが違う寝ぼけ眼で浜に降りる。 網の…
もう佐渡島の稲刈りも終わっているだろう。高齢の母はすでにコメ作りはやめてしまった田圃は確か誰かに自家用としてつくってもらっている。 てーそい!佐渡弁でつらいし…
佐渡島の昭和の食卓に限らず日本の食卓の皿の上には秋になると赤い皮の芋が少なくてものっていたのではないか。戦中においては米が足らないだからたっぷりの芋の周りに米…
参った!9年前に購入したhpノートがさすがに重くてしかし色んなソフト満載かれこれ50万円分搭載。 しかし寄る年波に勝てず私のラッキーカラーのピンクゴールドの軽…
佐渡島に帰省した車を走らせ北端の外海府に向かう青い海を左手に見ながら家で待つ母の顔が浮かぶ。 海岸線を走ると山は葛に覆われている空き家らしきところもうっそうと…
熊本編№2である。友人が仕掛けたうどん店麺酒菜 伍乃四〇 (5no40.com)至る所にらしい仕掛けが満載私と同じ1960年還暦を越えた男。久しぶりの再会であ…
佐渡島ではセイケ通称はカサゴ九州ではアラカブ。大阪から小倉そして熊本へ爆弾出張を終えた。 何せ暑い!10月でこの暑さはないなー。 10月になったら半そでは着な…
三日ほどお休みしてました。 大阪に入り京都宇治田原のお茶栽培農家さんからの情報交換する段取りをしてその夜九州は小倉に向かいました。 先月の比叡山延暦寺において…
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2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
師走に突入した。 雪の年には海苔の量も質もいい昔から母たちはそう口にする。 二酸化炭素Co2の削減地球温暖化という大きな問題が生態系の変化や海水温度上昇ハリケ…
越中バイ加賀バイ大越中バイ秋田バイなど呼び名がいろいろあるバイ貝。 五月から七月前までの梅雨の期間は産卵期であるので味は落ちると言われる。 深い海に棲み夜行性…
昭和43年かと記憶している。海府のでこぼこ道が真っ黒い平らな道になっている。 思わずサンダルを脱いで歩いた。まだあったかい。初めてアスファルトに舗装されたムラ…
その昔お総菜に困ったら豆腐芝居に詰まったら忠臣蔵なんて言われた国民的食品の豆腐。 江戸時代には豆腐百珍などの料理本があるほど古くから親しまれた豆腐生よし煮てよ…
亥の子餅とは旧暦10月亥の日に食べるとされるお菓子。 平安時代の宮中で亥猪餅(げんちょうもち)というお餅を使った儀式が元になっている。 茶道では11月1日の亥…
佐渡にもいい酒を造る熱心な酒造メーカーが散見されますやっぱり地元で飲むとまた格別に旨い! 居酒屋や割烹の献立に利き酒セットなるものがあるデギスタション試飲や試…
確か以前にも綴ったかもしれません鯖にあたってしまった話です。 その日は若い板前がつくったしめ鯖を手土産に家に戻った。久しぶりのしめ鯖と熱燗で夕餉を終えた旨み…
昭和53年の三月に私はへなちょこ板前として(食に関わる生き方)が始まった。父と一緒に上京をした。 悪ガキ三人の巣立ちに父は必ずついて行ったと記憶している本当に…
相模の国足柄山で山姥に育てられた強き男の子。 熊と相撲をとって勝ってしまう怪童と言えば鉞担いだ坂田金時。誰それ?そう金太郎である。 後に源氏の総帥の源頼光の四…
ひと時女性のインナーのCMに寄せて盛るみたいなワードがありました。 今年の佐渡は何やら暖かい。 昭和の頃は11月に入ると霰が降るそして沖合の海に雷ゴロゴロ雪下…
晴れると信じ込んでる文化の日である。 カレーライスとライスカレー一緒なのか別物なのか? 大した問題ではないだろう私のイメージは真ん中にご飯があってその上からま…
昭和53年の4月佐渡島の高校を卒業し東中野の結婚式場で新社会人の料理人として仕事を始めた。 いきなり春の結婚式シーズン2週間のオリエンの後各席セクションに振り…
昭和42年だから私はピカピカの一年生だったと思う。 古い家は母屋と納屋そして牛の小屋鶏小屋そして便所真ん中にはカロ(中庭)があった。 納屋と牛の小屋の間は通り…
昭和の頃には佐渡島の舟小屋には少なからず何個かガラス製の浮き玉(ビン玉)が転がっていたと記憶している。 ロープで網目のように編んで結ばれて床や舟の上に置いてあ…
昭和40年頃。私はといえば小学生。悪ガキ全開の頃である。ムラの沢庵用に干してある大根を木刀の切れ味の試し切りしてこっぴどく叱られるなど悪さのし放題。 その…
村のはずれに小さな小さな小川がある。 二畳ほどのところに芹が自生している。たぶん田圃にも田芹があった気がする。 芹の仲間には毒ゼリというのがあり意識障害などを…
父からの電話。当時の電話はプッシュではないダイヤルを回す真っ黒なタイプ。何やら持ってくるらしい。 2月の極寒の頃であった。夕食も済ませてコタツの四隅に悪ガキ三…
すっかり寒くなった。 こうなると料理屋の献立には魚に寒という文字がつけられる。 寒の鰤寒の鯖寒の鮃寒の鯔(ボラ)寒の鱈などなど何となく脂がのって旨そうに見える…
佐渡島の方言いや海府独特の言い回しなのか今では使わないかもしれないちゃらくらげいな!たぶん漢字で書くとお茶羅家ということになろういい加減ふざけた嘘っぽいなど比…
2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…