親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
両親の介護を通して、私が介護される側になった時への備えの重要性を書いていきます。両親の介護から葬儀までを振り返ります。
叔母は通所介護はしているが心身共に弱る中で介護施設への入所へは踏み切れない。そして私と叔母で進めてきた断捨離や身辺整理が進まない。 私も遠方から叔母の家に介護へ行ったときに断捨離を提案するのだが、まだ元気だからと言い思い切った整理迄踏み切れない。
80歳を超えた叔母の通いの介護だが、遠距離の為中々伺えないのが現状だ。この夏の猛暑のせいでだいぶ弱った印象であり、私も60歳を過ぎて心身の不調もあり今後叔母をどこまで介護できるか?不安だ。
要介護の予兆は自分の親を見ればよくわかるもの。 寝起きや食事を共にし体質も似ているのだから、親が患っていた病気を予防する所からでも良いのではないか? 私の妻も今では義理の母親の体型や病気の症状もそっくりである。 同じ習慣で同じ食生活、同じ体質の親を見て若い内から予防をするのも手だ。
老後は代り栄えのない日常の連続ですが、認知症や要介護の予防の為にも、いつもの道をそれて違う景色、違う刺激を。 スーパーや病院と自宅との往復で 長い老後生活ではあまりにも長期間、何の楽しみもなく外出では心身の健康は維持できない。
会社を退職したら、自分の事は自分でしないと誰も何も教えてはくれない。 要介護防止に好きな事をするのも 見聞を広げる事も全て自分自身が 行い、それを継続する事で、要介護や入院を予防する事に繋がる。
定年退職して組織から離れると 健康診断や予防接種、その他の情報は自らがアンテナを張って申し込みをしなければならない。 それには住いのある自治体の広報誌を必ず確認し自身の老後や要介護、入院、等に備えるべきです。
老後の世間から疎外された孤独な日々を避ける為に、退職後は自分のペースでよいので良い趣味、良い友人と共に活性間を得られる行動や会話の継続が健康寿命を保ち要介護のない老後を送る秘訣だ。
仕事仕事でそれ以外の世界しか知らない男性は定年退職が迫ってきたら是非妻に定年後の生き甲斐の見つけ方を聞いてほしい。 妻や女性は仕事抜きでの人との交流の達人であるので、うわべだけの付き合いしか知らない男性は妻に老後の生き甲斐を聞いてほしいし、それが要介護防止に繋がるのだ。
現役時代は仕事上とはいえ人と話す事や行動を共にする事や、人から刺激を受ける事が当たり前に自分の刺激になっていたが、退職し年金暮らしになるという事は、自分から動き人と関わり続けるためのライフプランを実行する事が要介護の防止や いつまでも刺激を受ける生活が得られる事に繋がる。
定年退職後の燃え尽き症候群は病は気から に反して生き甲斐の欠如や人との関わりのなさが要介護へ1歩も2歩も近付いてしまうのだ。 特に男性の場合は現役時代のうわべだけの付き合いが多く定年後も付き合える真の友人が少ないのも老後の孤独の原因となる。
定年後に要介護になる方が多いのは、気持ちや体に余裕が出来た分人と接して話す共同作業する機会が減った事と大いに関係がある。 自分なりの目標設定と人に評価してもらう事は高齢になっても自らに刺激を与え向上心を与えてくれるのだ。
定年退職をして肩の荷が下りて緊張感が抜けた瞬間の病、要介護はよくある事。 豊かな老後を要介護なく過ごす事は適度な目標を持ち、時には自分を追い込み達成感を得る事も要介護防止、健康維持に繋がる。
我々高齢者で残りの寿命が限られた中でも、年金の不足分や要介護時の介護施設費や入院費に備える為にも国の税制優遇制度である ニーサやイデコの活用はぜひ検討すべきです。残された家族に介護費用の不足等で迷惑を掛けない為にも。
親として子に残せる資産は我が家では微々たるものだ。 なので長男や長女にはニーサやイデコなどの税制優遇制度で投資信託をひたすら積立続ける事を問い続けている。 それが出産や教育、住宅、そして 要介護等の老後への将来に備えになるから。
親が老いてくれば親子の会話も楽しい事ばかりではない。 実家に戻る気があるのか?確認する事で、親はエンディングに向けて何をすべきか?いつまでに終わらせるのかが見えてるるのだ。
先日、独立して所帯を持つ長男が家に遊びに来た際に、この家に帰ってくるのか聞いたところ、勤め先や妻の実家の関係でこの家に戻るのは難しいとの話を受けて、 改めてこの家の断捨離を自分が要介護や入院となる前に元気な内に完遂するべきだと思った。
親が要介護の末亡くなり実家の断捨離が途方もなく時間がかかった事で、いま私達世代が高齢となり 自らの家の断捨離は心身共に健康な内に始める事の重要性を知っているので、少しずつ粛々と進めて います。
父親独裁の家庭に育った私は、母親と兄弟仲良くという気持ちで生きてきたので、父親が高齢になり要介護になっても父親へ愛情のこもった介護は出来ませんでした。
子供が独立して老夫婦二人となり 残されたのは大量の不要物。 この荷物の量を見て、まだまだ要介護や入院という訳にはいかないという思い。 私がもし要介護になれば家の整理や断捨離は全て残された家族がやる事になる。
父親の家庭を顧みない自分勝手な生き方を反面教師として、母親や妹、そして自分の家族に愛情を注げたことは誇れると思う。 楽しい事でも母親や義理の母親に対しても変わらぬ愛情を注げたと思う。
親の要介護に懸命に取り組み愛情を注げるのは親に愛情を祖s枯れた子供。しかし愛情不足の家庭に育った子は例え親が要介護になっても愛情など注げるはずはありません。
親が元気な内にやるべきことはまだまだあります。 自分の不要物の断捨離と同時に 子に残せるものを明確にし、出来るだけコンパクトにしておく事。 要介護になる前にやる事。
親の責任として子に借金や不要物を残してはいけない。 それらを全て清算し処分した上で 要介護になるなり入院する。 それまでは気を抜かずに負の遺産を無くすまでが義務だと思う。
親として子に迷惑を掛けない為に 健常なうちから自身の終活を進め 子にプラスの事以外は残さない、 それまでは要介護にならない。 それが親の務め。
『親父、家族って何なんだよ。 助け合い高めあうのが家族だろ』 母親が父親の母の介護を押しつけた時、私がもう少し大人だったら 言えたのになと後悔する日々です。
親としての自覚がない父親の元で暮らして、母親の疲弊や涙を見て育った私は、父親を反面教師にして母親の介護や人との関わりを続けてきた。
母親に嫌な事を全て押し付けてきた父親が要介護になったが、私は父親を親身に心配し愛情を持って介護する気にはなれなかった。
父親の唯一のホームは実家と父方の親戚だけ。なぜなら父親をひたすら持ち上げ褒めてくれるから。 その他の場所では不愛想で自らコミュニケーションを取る事はなく 家庭では外でのストレスを発散するように独裁的で命令口調でした。
母親が父親の母(祖母)の在宅介護を押しつけられ、父親から何のフォローもないまま精神が蝕まれていった。 父親の家計は男親が絶対であり どんなに理不尽な命令でもやり遂げるべしという決まりがあるような家系であり、母方からの指摘にも一切耳を貸さない。
親の介護の前に子供である兄弟姉妹が健康でないと親の介護所ではない。それに兄弟姉妹が体調を崩すという事は、それだけ親の介護の負担がかかるので、互いに励まし合って、健康への取組を世話焼きしながら生活する事。
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親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
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退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
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