親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
両親の介護を通して、私が介護される側になった時への備えの重要性を書いていきます。両親の介護から葬儀までを振り返ります。
高齢になったら親も子もなく介護のリスクは高まりますので、介護する側も介護される側も健康維持を互いの声掛けで予防し、積極的な健康診断の受診が求められる。
親の介護をしている兄弟姉妹も60歳を超えれば高齢者となり、退職を機に会社の健康診断等も受診できなくなるので、より自己管理や自治体の健康診断を積極的に受けるように常にアンテナを張っておく事が重要です。
親の介護も介護する側が60歳を超えた時点で介護方法を見直す事をお勧めします。 加齢による心身の衰えで、今迄当たり前にこなしてきたことが当たり前で無くなりますので、介護する側の心身の健康を考えた介護方法の再考をしましょう。
私の親の介護のターニングポイントは50歳過ぎであり、仕事が残業続きでも寝不足でも平気だった親の介護が辛くなった瞬間でした。 自分ももう若くない。親の介護をするには自身の心身の健康が必要だと実感した。
親が子供に出来る事は預貯金などは生前に家族に贈与しておき、それ以外の不動産や不要物は子供が財産放棄できるような環境を整えておく事が親の最低限の責任ではないか。 不要な物を抱えてもその後の負担が残された家族にかからない様にするべきだ。
子供が独立し新しい家族を作ったタイミングで、子供達に実家に将来戻るのか?確認しておく事。 戻らないのであれば自己完結で家の事相続の事、介護の事、断捨離の事を計画的に進めねばなりません。
核家族化する現在では、子供が独立すれば、実家には戻ってこない事を前提に建物や家財の処分も前提に終活をせねばなりません。 介護も入院の準備も一人でやるのです。
核家族化が進み新興住宅地に移り住む人が増える中、近所付き合いも減り声掛けがなくなる中、高齢者の一人暮らしは要介護となり孤独死というようなケースが今後増えるのではないかと危惧する。
親が亡くなったり親が介護施設に入所という事はその子供は50~60歳、もう若くない、気力も体力も衰えていて親の家の断捨離をスピード感を持って終わらすことなどできないのだ。 その現実に初めて『断捨離は若い内にやっておけばよかった』 と思う瞬間だ。
親の介護に一生懸命なあまり自身の健康管理を疎かにしてしまい体調不良となり退職してしまった義理の母親の長男は、体調不良の現実を受け入れ将来の備えについて考えるようになった。
家族とは目標に向かい力を合わせて目標に向かい、苦楽を共にできる一体感のある事が求められるが 父親が母親に対して一方的に命令する行為は、家族と言えども許せない行為である。
家族間での意見の共有のない父親本位の家庭は家族の一体感もなければ、家族の方向性もバラバラである。 父親の母の介護を父親が勝手に決めて母親に丸投げをし、お願いや感謝の言葉もない父親と母親との距離はますます離れていった。
昭和一桁生れで男性上位の考え方の父親は、母親が要介護になった時点で母親の預貯金を全て自分の預貯金に入れてしまった。 なので母親が亡くなり母親が生前に預貯金の使い道を私達子供に託していたのだが、その意向に報いる事は出来なかった。
人それぞれ生き甲斐はあるが私の母親の生き甲斐は私と妹の子育てだったようで、私達が大学卒業まで2年を切った頃、友人に犬を譲り受け新たな生甲斐としていた。 生き甲斐を持ち続ける事で、要介護や入院など心身の衰えの防止にもつながっていたようだ。
母親は長男の私と妹が大学に在学中に、友人から犬を譲り受ける事をきめた。就職まで残り2年の頃であった。 就職して社会人となり、いずれ家を出る子供に代わって新しい家族を迎え入れる事で、母親は新しい生き甲斐を見つけ、心身ともに元気でいられるように望んでいたが・・・。
高齢者には特に厳しい酷暑の夏、 免許返納して自ら歩くしかない中で日本の健康寿命は短く、高齢者は杖や歩行器なしでは歩けないのが現状です。 今後は要介護にならない心身の健康う意地を目的とした取り組みが国にも求められます。
現在の不景気、物価高の中で老後の要介護の備えを蓄える事は容易ではありませんが、銀行自動引き落としの積立であれば何とかなるかもしれません。 月1万から3万ほどの金額も10年、20年と続ければ大きな備えとなるでしょう。
親の介護をしている私自身も親の体調に似ているなと思う事があります。腰痛、膝の痛みに内臓脂肪等々、遺伝か食生活が同じだからか?判りませんが、親を観察する事は自身の未来を予知して予防することが出来ると思います。
親から独立して新しい家族を築いても、親の所得は把握しておきたい。なぜなら新しい家族の為の住宅ローンや教育費用で家計が苦しい時に親が要介護となり介護施設に入所したいが預貯金がない場合、負担は親の家族になるからだ。
自営業の人も汗水たらして何十年も働いているのに、いざ商売を辞めて老後生活を送ろうと思ったら 僅かな年金で要介護や入院にさえ備えられないなんて・・・。 自営業の企業時の将来に向けての 預貯金や積立等の構築の提案もセットで起業時に始める制度が欲しいものです。
今年の猛暑も高齢者にもこたえる暑さですが、すでに家族が独立し伴侶もすでに逝ってしまっている独り暮らしの高齢者にとって、猛暑の中での体調管理は大変です。 抵抗力もない高齢者は熱中症によって要介護となるリスクもあり近所の見守りや声掛けは必須です。
親というのは子供を独立させて定年までが人生ではない。 その後の定年後の人生も生き甲斐を持ち生活するために健康に留意して1日でも長く健康寿命を維持する事が高齢化社会を生きる術だと思います。
子供が独立し、退職をして老夫婦で毎日が変わり映えのしない日々 というのが要介護に繋がる原因の一つ。 そんな親に希望や目標を与える様なお願いを家族にはして貰いたいと思います。 その事で『まだまだ健康でいなければ』という気持ちに張りを、日々に目標を与えて、椅子までも要介護のない親でいて貰う。
親の要介護の見極めのタイミングとして、子供が巣立った時や、親の退職のタイミングがあります。 子育てや仕事がなくなった時に、目標がなくなり心身が一気に弱くなってしまい、要介護に一歩も二歩も近付いてしまうのです。
親が親としての役目を終えるタイミングは、子供の独立や定年退職など、どこかほっとして肩の荷が下りてしまった瞬間が多く、 今迄心身ともに健常であった親が 一気に衰えて要介護になるという事は、よくある話です。
親の要介護認定調査で調査員の問いかけに対して『出来る』という親の答えは、親のプライドなのか? 実際に自立した生活が出来なくても出来るという親の言葉は介護を受けたくないという抵抗なのか?プライドなのか? でも家族は親が自立した生活が出来ないと要介護申請しているのに、調査員は親の言葉を尊重してしまったら?
親の要介護認定で親の症状に合った介護等級を貰う為には医師やケアマネとの連携も大事ですが、やはり親と一番長くいる家族からみた親の症状を医師やケアマネに正確に伝える事で医師やケアマネが親の状況を正確に代弁してくれる事。
親が要介護となり適切なケアをする為、要介護認定調査を受け介護等級を決めて等級に合った介護を介護保険の助けを借りて行う。 そんな介護等級を親の症状に合った等級で認定して貰うには、ケアマネージャーの存在はとても大きい。 ただし親への訪問や症状を常に観察し介護等級を貰う為に親の介護に寄り添った仕事をするケアマネの選定が必要だ。
要介護認定調査を受けるにあたり親の事を一番わかっているのは親の介護をする家族ですが、介護等級を認定するのに一番重要なのは介護や医療の専門知識を持った人の判断です。 なので親の介護日記よりも医師の診断書の方がより説得力があります。
高齢者は元気でいられる時間は残り少ないので、身心が元気な内に早めで計画的な断捨離を勧めたい。持ち家を売却するにも、片付け、処分、解体、更地、売却 と 手順を踏まねばならないし、高齢者には大変な労力となる。
子供が巣立ち、住宅ローンを完済し定年退職し夫婦二人の年金生活が始まった時、持ち家を将来どうするかは悩ましい問題である。 離れて暮らす家族が戻ってくるなら維持しても良いが、そうでない時は、自身の収入と介護や入院の備えが、持ち家を持つ事で生活が経ちいかなくなることが問題である。
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親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
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退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
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親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
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