親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
両親の介護を通して、私が介護される側になった時への備えの重要性を書いていきます。両親の介護から葬儀までを振り返ります。
父親の威厳とは何だろう?『俺は働いて給料を入れているから、その他の事は母親がやって当たり前』という事か? いや違う。喜怒哀楽に先頭に立って立ち向かい、親としての責任を果たす事、親の背中を家族に見せる事ではないのか?
母親、父親の順番で、いずれも介護の末に亡くした長男の私と長女である妹。 いずれも独立し、新しい家族を持つが、 私も妹も、あっという間に60歳という年齢が近くなっていた。 世帯主である私も定年まであと数年で、子の結婚話も進んでいる。 いよいよ次は私が要介護の心配する番か?と思いながら、時の流れの速さに驚く。
生前、認知症で要介護であった父親と最後の旅行に訪れたのが、父親の故郷。 その故郷を思い出し、父親を思い出すきっかけをくれた、私の長女の彼が父親と同郷であった事実。 ともすれば二度と訪れる事はないと1度は思った父親の故郷を再び訪れる 機会を作ってくれた奇跡に感謝。
地方で住み込みで働く長女が遅い正月?休みで規制してきたのだが、職場で知り合った彼を紹介し、その両親と会って欲しいと言ってきた。 その故郷とは亡くなった父親と同郷であった。 母親に先立たれ認知症が進行し要介護となった父親との最後の旅行は父親の故郷の地であった。 認知症であった父親が故郷で親戚と話す姿は健常者そのものであった。 慣れ親しんだ地は人をこんなにも元気にするのか?と驚かされた故郷の地に まさか長女の彼の両親に会いに行くことになるとは。と、改めて父親の介護の日々を振り返るきっかけとなった。
虫の知らせって、あるんですね。 妻の友人が死の6日前に突然妻に『今日今から会わない?渡したいものがあるの』と連絡があり、急遽会う事に。 妻に合った彼女は笑顔でしたが、いつもより息が荒く、妻は異変を感じたと言います。 最近はご主人の看病の元で自宅での介護、療養生活だった彼女が、死の6日前に、急に元気になり妻に会った事。
健康診断にて検便を行った際に、切れ痔で便に血が混じると必ずと言っていいほど、要精密検査の文字が。そして大腸や胃のポリープを疑われ、内視鏡検査へ。 例え時による出血でも、年齢が60近くになり、医師の診断であれば、何か別の病気か?と不安にもなるし、要介護や入院も考えて悩んでしまうものだ。
健診でのヘモグロビン数値が低く、貧血の診断プラス内臓からの出血を疑われ、 内視鏡検査を受ける事となり、退職後の再就職は仕事量を減らしゆるく生活しようとプランしていた私に試練を与えた。 男性の貧血は女性よりも病状が深刻な事が多く、即精密検査を勧められ、憂鬱な思いで検査に臨んだのだが・・・。
ニーサやイデコで老後や介護、医療、生活に備えたいのであれば、まずは生活費の棚卸をして余分な出費をあぶり出す事。そして余分な出費を削ることが出来たなら、それを将来の備えとしてニーサやイデコに回していきましょう。
年金に依存しない老後に備えるには、 ずばり米国株投資だと考え、地道な積み立てをしています。要介護や医療、日々を楽しく過ごすために自分に出来る事は 国内よりもより強い米国経済に投資をして症らの備えをする事。下落があっても長いスパンで見れば右肩上がりで上昇する米国株式に。
国内では少子化の影響がジワリと影響してくる。私達、高齢世代の年金を担う若い世代が減少し、年金の満額需給も難しく、年金以外にいかに収入源を持つかが 重要で、高齢でも働く事や資産を増やすアクション、つまり投資信託を始める事で、自身の要介護や入院、暮らしに余裕を作る努力をする事。
若い自分って、可能性は無限大で、体力にも自信があるから、親の要介護の現状を目の当たりにしても、なかなか自分の将来の鏡として見ることが出来ない。 しかし、血の繋がる親子だからこそ、遺伝?同じ症状が見受けられるなど、 親から受け継いだ負の遺産はあると思うので、親を介護しつつも、自分が親の様に要介護にならない為には?と 常に考え、健康に対する行動を起こすべきです。
シニアを採用する会社においても、健康への取り組みを重視し、雇用時の健康トラブルで会社に影響を及ぼさない取り組みを始めるところが増えています。 今迄は正社員以外の健康チェックは自己申告のみで、その後就業中の健康トラブルで労災や労基対策等で会社の営業に支障をきたす事が多かったが、 雇用前に会社負担であっても健康診断を義務化する事で、その後のトラブルを未然に防ぐメリットの方が、結果、費用は抑えられると判断し実施に至った。
シニアだから、高齢者だからと言って お気楽に稼ぎたい と言っても、これからの時代は健康でなければ仕事も出来ない時代が来ているようです。 高齢者が職場で倒れて労災という事例が増え、未然に防ぐ対策として会社側は採用時に健康診断を義務とし、健康に問題があれば、採用を見送るという会社が増加し、健康診断を正社員、パートと分け隔てなく実施し、事故を未然に防ぐ取り組みをする会社の増加です。
親の介護をしながらもその家族は自身の健康を優先すべき。なぜなら親の介護が終われば、次は自身が高齢者として要介護に備える立場となるからであり、実子に迷惑を掛けない事や退職後にゆるく働きたい場合も、健康でなければ老後のスローライフは実現できないのです。
親の介護を優先するあまり、自身の健康管理をないがしろにした経験のある家族の方は、意外に多い物です。 健康診断の結果に要観察や要精密検査の文字がありながら、親の介護に感け、しっかりとした治療を行わず、定年間際を迎えてしまい、健康数値がますます低下している。
親の介護をするのは私だけ。だから介護に集中するために仕事を辞める。なんて安易な考えは持たないように。 親が逝った後の自分の将来を最優先した制度の利用をして下さい。 貴方の為の失業保険、貴方の為の再就職手当、貴方の為の雇用継続給付、 貴方の為の職業訓練等々。 介護をされている親もあなたの未来を案じているはずです。 相談できる相手を見つけ、自分の為の給付金を申請して親以上に健康に長く生きられるために制度を利用してください。
親の介護で、あまりにも親思いであることがあだとなり、退職をして迄親の介護に集中する事は、あなたの将来を閉ざす事になります。 だって親の介護が終りより長く生きねばならないのは親の子、家族の貴方なのですから、自分の財布を空にして 自分の収入を犠牲にして迄、親の介護をする必要はないと考えます。 人生の決断の前に、様々な方、機関に 相談して、より良い将来に繋がる決断を。
世間ではコロナと共に生きる選択に家事を取り、人との交流や経済に活気が戻りつつある。 しかし、医療や介護の従事者や入院や介護サービスを受ける者は様々な制約に今も苦しんでいる。 人との交流を閉ざされ、外出や家族との面会も制限されている。 これらの制約も改善されない限り、入所者等の心の病は改善されず、認知症の進行や生きる力の減退などが危惧される。
コロナ禍で学んだ事は、当たり前の日常が、実は当たり前ではなかったという事。 特に介護施設内での義母親の様子を見て感じたのは、当たり前に会話し、当たり前に家族との面会でお茶菓子を食べながら笑顔になる という事が、コロナ禍で当たり前ではなくなった事。 だからこそ、日々を生きる事の大切さを悟った事。そして介護施設で生きる入所者に日々を生きる為のモチベーションを与えてあげたいという思いが強くなりました。
今迄当たり前にしてきた日常生活がコロナ禍という流れの中で当たり前ではなくなり、介護施設の義母親、その家族の私達から笑顔を奪っていきました。 好きな相手と会話をして喜怒哀楽を出して気持ちを落ち着ける。そんな当たり前の日常さえも私達から奪っていったコロナ禍という代物。 しかし、コロナ禍で我慢を強いられたからこそ、1日の大切さ、精一杯生きる事の大切さをかみしめる事が出来たと気持ちを入れ替えて生きていこうと思います。
新しい家族が出来たら子供が独立する迄 住宅ローンを返済する迄の30年間ではなく、夫婦が陣背を全うする迄の70年間を想定した資産作りを念頭に置いたライフプラン作りを目指しましょう。 平均寿命が80歳を超える高齢化社会では、子離れして以降の年月の方が長くなります。 旅行や趣味を楽しみ自分の介護医療にも備えた上で、孫に僅かばかりの世話を焼くためにも、60歳以降の備えの重要性は今後増すばかりです。
老老介護の最大の課題は、親を看る子にも高齢からくる心身の衰えがあり、時間も多くはないという事です。 親の子と家の事に集中するために仕事を辞める人も多い中で、費用がかかる家の修繕や自身の健康管理は家計を圧迫するので、収入を確保してからの退職が最低条件となります。
義母親の家を1人で守る長男も早60歳であり、内臓に疾患を抱える身であるので 親の介護の事、自身の仕事の事、相続を含めた身辺整理を65歳から始めたのでは遅いのではないか?と危機感を募らせているのだ。
義母親は介護施設の中にコロナ禍という制約に閉じ込められて必死に生きています。 唯一の楽しみである おやつも殆ど取り上げられて?・・・。 でも義母親は言いました。『おやつが楽しみなわけじゃない。おやつを食べながら、お喋りを楽しむのが好きなの』と。 介護施設では、そんな当たり前の会話やお茶請けでさえも満足に出来ない環境なのです。
コロナ禍で介護施設に入所した義母親をはじめとする高齢者は、未だに内外部との接触を押さえられ、会話1つ楽しむことが出来ない状況です。 その事が義母親にとって介護施設が住処 にならない最大の理由であります。
母親80歳、子供60歳のいわゆる老老介護の家庭が増えています。ベビーブームで生まれた世代が続々と還暦世代になり、 その親が80歳を超えて在宅介護や介護施設への入所で、その家族の介護負担が重くのしかかっているようです。 若い頃と違い心身ともに動きが悪くなる年齢で、親の介護をする事はやり方次第では介護する側も疲弊してしまいます。
老老介護で介護する側のストレスになる要因は、まだ子供が社会人になっていなかったり、住宅ローンの返済があと数年残っていたりと、親の介護の他にも悩ましい問題を抱えている事です。 親の介護も大切ですが既に独立している場合、自分の家や子の事もないがしろには出来ない問題であり、優先順位をつける事も出来ない。
親のとって子は何時までも子であるが、 子が60歳を過ぎるとどちらも高齢者。 なんか違和感がありますが、これが現実であり、自分が高齢者になろうが、親を介護するのは当たり前?である。 しかし高齢者というのは若い頃に比べ心身ともに衰えている事から、気合と勢いだけでは乗り切れない。 他人に相談したり、介護保険制度を最大限に利用したりと、楽をする為に頭を使わねばならない。
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親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。