親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
両親の介護を通して、私が介護される側になった時への備えの重要性を書いていきます。両親の介護から葬儀までを振り返ります。
私が父親の葬儀を家族葬にして分かった事は、当時は家族葬という認知度がなかった事もありますが、父親の葬儀に出られない親族が葬儀の前後に自宅へ弔問に訪れて私と妹とで弔問客への対応が大変だった事です。父親の田舎は冠婚葬祭を大勢で盛大にやるしきたりがあり、父親の遺志で家族葬をやると言っても、理解して貰えなかった。
昨今、様々な葬儀の形が世間で認知されてきましたが、まだまだ葬儀は盛大にという考えの高齢の方も多いようです。 しかし経済格差が広がっていく中で、故人の葬儀を盛大に行いそれで終わりではなく、残された家族のその後の生活が安定するような葬儀後のこれからへの配慮も、周囲の義務となるべきであると思います。
インフレで物価が上昇し、それに反して昇給がされず収入減の昨今では、葬儀方法はその家族の経済状態にあった方法でするべきです。 盛大な葬儀をした後で残された家族が生活困窮するような事態だけは避けなければいけません。
私自身が亡くなった際の葬儀方法については家族には家族葬で行いたいと伝えてあります。その費用や誰を葬儀に呼ぶのかなどをエンディングノートに記載してあります。 大分世の中に認知された家族葬ですが、私の亡くなった際の家族への負担を軽減するため、普段から親戚や友人に会うたびに私の葬儀は家族葬でやりますと明言しています。
家族葬の認知度はテレビの影響もあり世の中に広く認知されました。葬儀=大勢で盛大に の時代はもう終わりです。 その家族の身の丈に合った予算で親を見送ることが出来れば親も喜んでくれるはずです。
父親が亡くなった当時は家族葬という葬儀方法は世の中に充分に認知されておらず、参列者を限定するという葬儀方法が親戚に理解してもらえず苦労しました。 今ではテレビなどで家族葬が広く認知されていますが。
男性の場合定年退職を機に仕事上の付き合いが皆無となり、人と接する機会が一気になくなります。 豊かな老後生活を夢見ていたものの現実は一人寂しくやる事もなく家で一日中ぼーっとしているなんて寂しい老後は送りたくないものです。 習い事やコミュニティーへの積極的な参加により、話す力聞く力が衰えぬ様にしながら、楽しい老後を楽しみたいですね。
老後の将来の備えで資産を蓄えたり断捨離をしたりと怠りなく準備をされていると思いますが、これもそれも健康でなければ自分の蓄えた資産で豊かな生活は送れませんね。部屋が片付き食べるのに困らない蓄えも、自分の目で見て手足で確かめる事が出来なければ意味がないです。
人生100年時代、60歳からあと40年も生きていくって想像できません。 ただ一つだけいえる事は、年金暮らしでただ家にいるだけでは心身ともに老いていくだけという事。人との交流の場を求めてカルチャースクール等の習い事をしたり常に心身両面に刺激を与え続けることが老後を楽しむという事ではないでしょうか。
老後の為の将来の備えにおいて一番効率の悪いお金の増やし方は普通預金です。 年0.001%の利息では10年続けたとしても老後資金のたしにもなりません。 せめて国債や投資信託などで年2~4% 位は増やしたいものです。
老後の為の将来の備えで大事なのは、現役時代よりも倹約した生活習慣を身に付ける事。その倹約の一つにカードやポイントカードをそれぞれ1枚に集約してポイントを集約させて家計の足しにする事。それには様々な生活での出費をカード1枚で管理していく事もポイントになります。
親が介護の末に亡くなって、家族の遺品整理に時間をかけてしまう事の1つに通帳やカードの多さがあります。最低限の数、つまり生活費用1冊、貯蓄用1冊計2冊あれば自身も家族も管理しやすいので 安易に勧められるままに使いもしない通帳やカードを作る事は避けましょう。
念願の庭付の一戸建てを購入して夢だった庭作りを楽しんだ30歳代。 しかし30年という年月が経ち、体力の衰えてきた私に比べて、庭木は深く根を張りさらに伸び続けています。 そんな大きくなった植木を自分で管理出来なくなればただの邪魔な不要物となり、その大きくなりすぎたシンボリツリーを処分しない限りは、 家の貸し出しや売却も出来ない事があるようです。自分が要介護となり家族に処分を託すことだけは避けようと、早めの庭の断捨離を断行する事にしました。
家族4人が暮らし、賑やかだった我が家も長男、長女共に就職を機に独立し家を出ました。2人とも県外への就職で我が家に戻る意思はない事から、学習机やベッドなどの重い荷物は特に心身ともに元気な内に断捨離をするべく夫婦で取り組む事にしました。心身ともにボロボロになり、要介護や入院という事になれば、子供たちに迷惑を掛ける事になるからです。
渡すに亡くなった母親は生活費用の通帳とは別に将来の備え用の通帳を作り、将来に備えて自分の介護や葬式の為、私の家族や孫の為の貯蓄等を元気な頃から始めていました。自分の事だけでなく家族の為に母親が元気な頃から貯蓄をしていた事を感謝し、自分も母親を見習おうとするきっかけとなりました。
老後の為の将来の備えをする事は、例え自分が先に逝ったとしても家族には金銭的な負担を残さない、借金を残さないので良いですが、老後を前に大きな買い物をして老後に負担になるようなことはしないように心掛けています。勿論、住宅の修繕費や介護に備えた保険は必要不可欠なので続けていくつもりですが、蓄えもないのに趣味や道楽にお金をかける事は避けたいですね。
自己所有の持ち家やマンションを所有している場合、自分が亡くなった場合の土地建物への将来の備えは欠かせません。 住宅ローンや修繕費などで残された家族に費用負担をさせないように、積み立てをしておく事。そして将来家をどうするのか、どうしたいのか?を家族と意見を共有しておく事が大事です。
自分自身に何かあった時の為に、通帳類や住所録、エンディングノートなどは普段からひとまとめにして決められた場所に保管しておく事。そして家族にも保管場所の事や保管物の詳細を伝えておく事が重要です。
親の介護をしている時の私は心身共に元気で親の介護や仕事をこなしていましたが、50歳も後半の今の私は疲労感や物忘れ、イライラなど高齢の様々な症状が出てきました。そんな精神状態になってからでは、もしもがあった時に家族に私の遺志や思いを伝える事が困難になりますので 自分自身が元気な内に家族に言葉で そして文章で残す作業を今のうちにしておく事をお勧めします。
50歳を過ぎると自分の中で後10年ちょっとで解放されると、肩の荷が下りてしまう方がいますが、現役の頭も体も元気なうちにやるべきことは沢山あります。 断捨離に資産運用、老後を乗り切る体力作り、そして家族に自分の遺志を伝えるエンディングノートの作成など、自分の老後を豊かにするためにやる事や残された家族に負担をかけない為の準備を怠ってはいけません。
要介護状態で人の手を借りなければ何も出来ない老後だけは何とか避けたい。 頸椎損傷の後遺症は50歳後半の私に様々な試練を与えてくれる。 字が書けない、指先がうまく使えない、 妻より歩行が遅い などなど 豊かな老後を迎えるために、自分の頭、手足を使って楽しめる健康を維持したい。
両親の介護や義母親の介護、叔母の介護を経験して、今まで普通にこなしてきたことは当たり前でない事に気付きました。出来れば若いうちから体作りの趣味を継続して、年齢が高齢になっても以前と変わらずに自身で見聞できる頭、手足を手に入れたいという気持ちです。
左半身の鈍痛に悩まされて睡眠も万足に出来ない状態で夜勤の運転にも日々不安を抱えながらの毎日の中で、改めて健康でいる事は周りにも要介護の負担をかけることなく日々を老後を皆が幸せに自分の手足で過ごすことが出来るのだと感じます。
仕事中に頸椎を痛めて左半身に痛みや痺れが出始めてから約10年になります。 徐々に仕事にも影響がでてきました。 報告書の作成が日々の仕事終わりの作業なのですが、ミミズが這ったような字しか書けずに記入後は自己嫌悪です。 自分自身の要介護もそう遠くはないのかと真剣に悩みますね。
私は約10年間仕事で痛めた頸椎の痛みで 悩んでいます。親の介護で健康でいる事の大切さを学んだつもりですが、医者の言う通りに安静にする事なんて出来ないので、今日まで騙しだまし生活してきました。しかし左半身の鈍痛や痺れは段々酷くなる一方で、将来の自身の要介護の可能性を心配する日々です。
2022年はインフレ、物価高、米利上げ、ウクライナ侵攻に引き続きコロナ禍 と世界中の経済は停滞や低迷とプラス要因が全くない中で、それでも老後資産を蓄えるために資産運用をしなければなりません。
私も50歳後半で定年退職まで残り僅か。 老後の資産を確保するために投資信託を始めましたが、老後2,000万円問題も少しでも改善するために投資信託で資産運用を始めましたが、0.001の利息の預金利息では到底高齢化社会の渦に飲み込まれてしまいます。 リスクはありますが株式は充分なリターンも期待できますので定年までのわずかな期間ですがお金を寝かせておくのはもったいないので、資産運用で少しでも増やそうと思っています。
将来の老後の備えの為、株式の投資信託をはじめた私ですが、50歳を過ぎてから始めた投資で早く結果を求めすぎて最初は投資がストレスに感じていました。 しかし長い目で見て5年10年とワインを熟成させるようにじっくりと待つ事、はぐくむ事を知ってからは、結果を求めずひたすら積み立てをする気持ちを維持できるようになりました。
親の介護をする特に50歳代の男性は我慢や忍耐全盛の時代に生きてきた人が多い分、自身が高齢になり、一人の力ではどうにもならない状況になっても一人で抱えて自身のストレスを放出するすべを知らない人が多いようです。しかし先の見えない親の介護を乗り切るためには人の力を借りて、時には肩の力を抜いて周囲に依存する勇気も必要です。
心の病、ストレスの治療には親の実家や自宅近くのかかりつけ医の存在が重要です。どんな有名病院でも通院時間や待ち時間だけをかけて、診察時間5分だけで患者の気持ちを吐出す時間を取れないようでは、かえってストレスを増幅させてしまい、いずれ親の介護が出来なくなる事も考えられます。小さな開業医でも患者の話を聞いてくれるかかりつけ医を見つけておきましょう。
「ブログリーダー」を活用して、サバちゃんさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。