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2020/12/21

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  • ニースもマルセイユもミッシェル、「ミッシェルさん」がいっぱい!!

    ニース駅を11時25分発、マルセイユ着へは14時6分のTERに乗って出発。TERの一等車は、ずいぶん前にたぶんフランスレイルパスを使っていたころ、モンサンミシェルから使った事があるような記憶がある。それ以来だと思うが、TGVの座席とほぼ変わらないくらいのゆったりした座席。値段もそれなりなのがわかる。乗客もそれなりと言えばそれなりではあった。通路を隔てた隣に二人の男性が座っていた。彼らは1人はイギリス、1人はアメリカと言っていた。「この列車はアンチーブに停まるか」と聞かれたので、「Yes」と答えたことから、少し話をした。彼らもまた日本に来た事があって、その時の様子を話してくれた。いい思いを持ってくれていることがわかり、嬉しくなった。10分余りの短い時間だったが、こういう触れ合いもまた旅の楽しみである。アンチ...ニースもマルセイユもミッシェル、「ミッシェルさん」がいっぱい!!

  • ニースでミッシェル夫妻の見送りを受け、いざヴェルジニが待つマルセイユへ

    ニース最後の朝、起きてミッシェルさんに挨拶をすると、いつになくギューッとハグでの挨拶で、感傷的な気分になる。彼は91歳。まだまだお元気なので、また会えるとは思う。しかし、心臓を悪くしているということもあり、次はいつなのか、不安があったとしても不思議ではない。昨日は「これ、あげる」と、愛用されていたと思われる彼のブレスレットをいただきもした。もしかしたら、などと余計なことが頭をよぎる。そんな朝だったが、マルセイユへ行く切符も予約済みである。ヴァンチミリアでホームがあふれて列車に乗れなかったことがあったので、マルセイユのヴィルジニに尋ねたところ、「バカンスは過ぎたので、大丈夫。」と言ってきた。今回ニース→マルセイユ間の予約も日本でしなかったので、TGVの席がなくなっていた。よってTER、つまり座席指定はない。...ニースでミッシェル夫妻の見送りを受け、いざヴェルジニが待つマルセイユへ

  • 離婚した元夫の看護もし、亡くなったあとの資産整理もしたJクロード

    無事見つけることができたサブバッグを手に、大型電気店で探したかったのは、ネズミ型のパソコン拭き。でも結局それはなかったので、アパートに戻ることにした。かなり遅くなったので、帰宅すると、すでにクリストフは待っていた。久しぶりの再会の挨拶をして、アペリティフ。シャンパンが開けられた。今回の旅で友人宅で戴く初めてのアルコールだった。いつもは行くたびに、シャンパン、ワインと、毎日飲み続けることが多い(コロナ罹患に気が付かなった時でさえ、少しはいただいていた)夫妻はシャンパンは飲むがワインを飲まないこともあって、この時が初めてになった。マントンやイタリア旅行の話をJクロードの息子のクリストフに聞かれ、写真を見せたり話をしたりしていた。そして、テーブルへ。息子のためにJクロードはごちそうを用意していた。デザートも二種...離婚した元夫の看護もし、亡くなったあとの資産整理もしたJクロード

  • 「はっ!!」肩にかけていたはずのサブバッグがない!!!

    今日はJクロードの息子で近所に住むクリストフの誕生日ということで、彼が来て一緒にランチをすることになるようだ。彼には一度、クリスマスのサプライズで会った事がある。前回はニースで会うことはなかったので、再会が楽しみである。ミッシェル夫妻とクリストフは毎週日曜日一緒に食事をすることになっているらしく、ちょうど今日がその日曜日でもあった。朝からJクロードはマルシェに買い物に出かけた。私たちはミッシェルさんと出かけることになっているが、彼の支度を待つ間、近くに小一時間、散歩に出かけた。徒歩で行ける距離にモノプリもあった。教会へいき、鐘の音を聞きながら、ミッシェルさんの待つアパートに戻る。ミッシェルさんは、準備が整っていたので、私たちもマルシェへと向かった。花市場の方のマルシェはアンリ夫妻と行った事があるが、この規...「はっ!!」肩にかけていたはずのサブバッグがない!!!

  • 懐かしかったシラク大統領の銅像

    今日は特に行きたいところもないと言ったので、夫妻とともにニースを歩くことになった。いつものようにゆっくり目の朝食を済ませ、出かけたのは旧市街近く。ここでも小さなマルシェが行われていた。アクセサリなど、小物が多かったと思う。Jクロードは何やらお店の人と話していて、ブレスレットを買っていたが、私は収穫はなし。そして、昼はニース名物の「ソッカ」を食べようということで、旧市街の中へと入って行ったのだ。途中のお店も見ながら歩いていたので、お昼も過ぎて、結局予約が満席ということだった。お腹もすいていた私たちは、ソッカは諦めることになった。変更して向かったのは、二年前も来た事がある、ガレットのお店。花市場の近くだ。そこは二年前とは違い店の裏側の外にもテーブル席ができていて、そちらへ案内された。裏の方が静かで落ち着ける。...懐かしかったシラク大統領の銅像

  • ミッシェルさんの食欲に脱帽

    Jクロードからヴァンチミリアに着いて私たちを待っていると連絡が取れて、一安心。私たちがモナコ駅で、座れるようになった時、ミッシェルさんは依然として立っていたのだが、前席の大学生の女の子が「どうぞ」と席を代わってくれたのだった。しばらく私は彼女と話をしたのだが、その中で彼女はトゥールーズから来た大学生で、マントンでバカンスを過ごすという。また彼女の出身はスイスに近いコンテ地方で、小さな村だと言っていた。彼女は日本が大好きで、中でも日本文化にとても興味を持っているという話や、日本についていくつかの質問をしてきたりして、話が弾んだ。日本人の友人(東京の若い男の子と言っていた)がいるとのことだった。感じのいい彼女は、いつか日本へ行きたいというので、連絡先を交換しておいた。そして彼女たちは、マントンで休暇を過ごすた...ミッシェルさんの食欲に脱帽

  • ニースに置き去りにされ、Jクロードだけがのれた列車は出て行く!!

    ニースに戻り、ミッシェル夫妻の家で過ごすと、どれだけ快適かがわかる。清潔で広い部屋、シャワールームや洗面台は部屋にある。トイレは二つあり共用ではあるが、一つはバスタブ付きの浴室の中で、こちらは夜利用する、もう一つはリビングにあって、いつでも使える。もともと彼らが引っ越してきたときは、リビングのトイレはなかったので、新たに作ったということだった。確かに客人があるときは便利である。泊り客でなかったとしても、いちいち浴室のトイレ利用をするより、リビングに独立しているトイレのほうがずっといい。さて、今日はヴァンチミリアへ行く日。いつものように?列車の時間を調べることもなく、朝の支度がすべて終わったころが出かける時間である。10時過ぎには出発した。そして、改札付近の大勢の人を横目に、近郊線の駅で切符を買う時、また駅...ニースに置き去りにされ、Jクロードだけがのれた列車は出て行く!!

  • ヴァンチミリアでの乗り換えは、滑り込みセーフ

    セルボガ(公国)を後にして、ボルディゲーラに戻ると、まずホテルに荷物を引き取りに行った。部屋は問題点がないこともなかったが、オーナーは本当にいい方で、「今度は予約サイトを通さずに直接予約して」と、名刺をくれた。お礼を言って、ホテルを後にする。列車の時刻は15時54分発で、出発まで少し時間があったので、トイレ休憩もかねて、駅前のカフェに入った。最後の?ブラッドオレンジジュースを注文して、時間まで過ごすことにした。そして、そろそろと思い、ホームに入った。すると、列車の遅れの表示が出ていた。15分遅れだった。普通なら何ともないくらいの遅れなのだが、ニースまでの直通列車はないので、ヴァンチミリアで乗り換えが必要だ。予約した列車の乗り換え時間は、遅れがなければ十分だった。しかし、15分遅れで来ると、ボルディゲーラか...ヴァンチミリアでの乗り換えは、滑り込みセーフ

  • 勝手に独立して、王様もいる「セルボが公国」

    さてこのセルボガ村なのだが、実はイタリアから独立宣言して王様も今は2代目であるらしい。村の各家には「セルボガ公国」の旗が翻っている。バス停近くには初代公国王の胸像もある。敵(?)が攻めてきたときの備えとしてちゃんと大砲も1門置いてあった。現在の王様は、なんとこの前に書いたウサギの料理を出すレストランを経営している。イタリアから独立したといっても税金はちゃんとイタリアに収めていて、いわば勝手に独立したといっているだけなのだ。しかしこのことが有名になり、この山奥の村に大勢の観光客が来るようになった。村は古い歴史があるようで迷路のような道をあちこち歩いたが、そんなに大きくはなく、全部を歩き回るのに時間はかからない。バス停の反対側からピクニックの人たちが杖をついて歩いて登ってきたのにも出会った。その人たちもこの「...勝手に独立して、王様もいる「セルボが公国」

  • 帰りの時間が迫り、メイン料理は大急ぎ。

    今日でボルディゲーラともお別れ。まず、フロントに荷物を預かってもらえるか尋ねたら、「もちろん」と快諾してもらえた。このホテルは立地もいまいちだし、部屋もよくなかったが、このオーナーの応対だけは評価できる。よって、セルボガ村へ行くことにした。10時45分のバスなので、まず朝食をと、カフェへ向かった。昨日、心当たりをつけておいた駅に近いパン屋兼カフェである。3.9€と、とても安い朝食だったが、カプチーノ、甘いパン、オレンジジュースとどれもおいしくて、満足できた。実はこのカフェ、人気があるのか、観察していると、注文を結構待たされるくらい、パンを買いに来る人が多い。お店の人もきびきび働いていた。年配のマダムが最初1人できりもりしていたが、若い人たちがやってきて交代したりしていた。常連さんと思えるマダム、いやセニョ...帰りの時間が迫り、メイン料理は大急ぎ。

  • 観光地の匂いはあちこちで・・・。そして、あの帽子の件も・・・。

    サンレモにもcasinoがあった。マントンのカジノよりは大きくて立派で市役所かと見間違うほどだった。またそのcasinoの前のホテルや店は豪華で、宝石など売っているブティックも立ち並び、「そうか、ここで一儲けしてそのお金で誰かにプレゼント!!ってことになるのか」と、思った。ニースやマントンでは見かけなかった立派な身なりの紳士が、ホテルから出てきているのも興味深かった。そんな観察をしながら、街歩きをした。大きな町なので、ブティックやレストラン、カフェがたくさんあった。マントンよりずっと規模が大きい。そして、モノプリやラファイエットと言ったフランスのスーパーやデパートのイタリア版みたいな店もあった。少しあちこちの店をのぞきながら、海の方へと向かった。海岸近くに土産物店があり、店の前で帽子を売っていた。たしか1...観光地の匂いはあちこちで・・・。そして、あの帽子の件も・・・。

  • 音楽祭で有名なサンレモの旧市街と、新しい街

    イタリア2日目昨夜も早く眠ったせいか、朝早く目が覚めた。今日の予定は、サンレモ。サンレモは音楽祭で有名で名前くらいしか聞いたことがないが、ボルディゲーラから列車で20分くらい。朝ごはんは昨日の残りのパンとスーパーで買った常温保存できるジュースだけだった。今日も昼は外食になるので、ちょうどいい。ささっと食べて、駅へ向かった。8時37分発の列車で9時到着だった。サンレモについては、全く予備知識もなく来たので、列車の駅から市内中心までこんなに遠いとは思わなかった。ほぼ一本道だったのだが、途中で何人かに尋ねながら、旧市街へ抜ける広場を目指した。やはりサンレモは大きな町だった。新しい町を通り抜け旧市街へ上がると、ニースのエズ、ロックブリュンヌ、マントンやボルディゲーラの旧市街と比べると、あまり手入れされてないような...音楽祭で有名なサンレモの旧市街と、新しい街

  • 大当たり! 本場イタリアのピッツアは美味しくて、大きくて、安く、大満足!

    ボルディゲーラの旧市街に行くために、駅の方へ向かった。駅の近くから、今度は山の方へ向かって上り坂を歩いていく。やがてものすごいお屋敷、高級なアパートが立ち並んでいるのを見た。ニースやカンヌなどとはまた違う豪華さだった。目を見張りながら、確かこの辺りにモネも絵を描いた場所があるはずと思い探して歩いてそれらしきところへは行きついたが、今はその当時の面影はなくちょっとがっかりした。気を取り直し、少し引き返し、またさっきの道をとぼとぼ歩いていると、左手に小さな道があってここだなと直感を果たらせのぼっていくと、旧市街のかわいい街が開けてきた。イタリアの旧市街もまた可愛らしくていいなと思った。ここの場合は頂上にお城跡はなく、教会があり広場があった。お昼をかなり回っていて、お腹もすいていたので、頂上の広場のレストランで...大当たり!本場イタリアのピッツアは美味しくて、大きくて、安く、大満足!

  • マントンとお別れ、そして国境を越えて、イタリア(ボルディゲーラ)へ。

    マントン最終の朝は、市場でバゲットを買おうと思っていたが、10時から開店ということで断念した。地元のパン屋さんでは考えられない遅さだ。ということで、もう一軒の地元のパン屋さんへ戻った。そこは洗練されたパン屋さんというより洋菓子屋さんと言った感じ?で、お菓子もおいしそうだった。ブリオッシュとシューケットを買ってみた。美味しい朝ご飯を食べて、アパートを少し掃除して出ることにした。「鍵はテーブルの上に置いておいて」ということだった。忘れ物がないように点検し、この便利だったアパートを後にして、駅へとまた徒歩で向かった。このような高級マンションを見ながら駅へ↓いよいよイタリアに向けて出発だ。改札でスマホのチケットをかざして駅に入り、ホームで列車を待った。10時56分発の列車は正確にやってきた。SIMカードは、国境を...マントンとお別れ、そして国境を越えて、イタリア(ボルディゲーラ)へ。

  • 若い人の時間、そして夢を持ち続けること

    ロックブリュンヌからマントンに戻り、海岸沿いを歩いていた時、海岸がきれいにならされているのに気が付いた。来日のフランス人に、「日本はとてもきれいな街だけれど、海岸がきれいじゃないね」と言われたことがあり、聞けばフランスの海岸は毎日掃除されるということだった。本当に砂浜もきれいにされているのだ。そんなことを感じながら、昨日の日本人の女性が働いているお店へと向かった。今日はお目当ての魚介のフリットがまだ残っていた。少しイタリア人堅気なオーナーもこの若い日本人女性を褒めていたが、以前リヨンのチーズ屋さんで働いていた女性もとてもよく働いてくれると言われていたことを思い出し、そんな話を彼女にもした。もちろんここの彼女も、しっかり働いていて、少しお客さんが途切れたら、話をする時間もあったし、オーナーも気さくな人である...若い人の時間、そして夢を持ち続けること

  • ロックブリュンヌの古城跡からの眺め。

    今日の朝は、市場が休みで、パンが買えなかったため、近くのカフェで朝食を取ることにした。円安で外食は避けているが、朝食ならいいだろう。なかなか感じのいいカフェで味もよかったが、いわゆる伝統的なフランスのカフェとは少し違う感じだった。クロワッサンとかバゲットではなく、日本の「モーニング」みたいなものだった。それでもイタリアに近いので、ブラッドオレンジジュースもついていて、なかなかよかった。さて、朝食のあとはアパートに帰り、支度をしてロックブリュンヌに出かけるため、出発した。駅ではなく、カジノの近くのバス停からだと、バスの本数も思ったよりあるようだ。待っていると、足が不自由な男性が「バスの切符代をもらえないか」と言ってきた。言葉が分からない風を装って(夫は本当にわからないのだが)適当にあしらって、私たちはバスに...ロックブリュンヌの古城跡からの眺め。

  • ジャンコクトーの美術館はちょうど無料の日。

    マントン2日目。歩いてすぐのところにあるマルシェへ向かった。安いものもあれば、いいものは高かったりする。スープドポワソンは2ユーロと安かったが、いちごとサラダにする野菜はかなり高かった。いちごは奮発することにした。いちごとサラダの生野菜で10ユーロもする。円安だから1,700円ということだ。パンもメインもまだ昨日の残りがあるので、今日は節約。リヨン名物赤いプラリネ入りのブリオッシュを見つけて、すぐ買ったのだが、今回はパリの友人宅でも出され、少しずつフランスの中でも知られてきているようでうれしかった↓朝から海辺に散歩に行った。帽子をニースのミッシェルさん宅に忘れてきたので、日差しのきつい昼間に歩くより朝の散歩と考えたのだが、すでにまぶしかった。水温は低いだろうに、泳いでいる人たちも多くいた。ロックブリュンヌ...ジャンコクトーの美術館はちょうど無料の日。

  • 運よくSIMカードを売っている店を見つけた。

    マントンの旧市街から絶景を眺めたことで、マントンへ来た目的が果たせたと言っても過言ではないほどだった。さらに墓地のほうまで上がり、そして海沿いへと降りていくことにした。散策を終えて、アパートに戻るのも便利だった。少し休んで、夕食の準備のためスーパー(カルフール)の方へ向かった。美味しそうな匂いにつられ、鳥の丸焼きを買ってしまったから後々大変なことになる。バゲットや、サラダや飲み物も買った。そしてふと目にした、Freeの店(SIMカードを売っている店)。前回この店がいいタイミングで見つけられず、緊急時の連絡が受けられないことが多々あった。Wifiがないところでは、こちらの都合でドコモ海外につないだ時だけしかネットもできず、話せずで、向こうからかけてきてくれてもつながらなかったからだ。今回は滞在も三週間弱で、...運よくSIMカードを売っている店を見つけた。

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