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2020/12/21

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  • 大病をしたアランが、私たちをユーモアで一生懸命おもてなし。

    夜遅くに向かったところは、アヴィニョンの城壁の内側のアンリ夫妻の親友宅だった。この夫妻は2018年の春に来日した。しかし他に4人の友人と一緒で6人だったこともあり、奈良を案内することになっていたが、東大寺の出口を出たところでの待ち合わせだった。うまく会えるか心配だった。何しろ時間通りに見学を終えて出てくるのかわからないからだ。案の定、待ち合わせの時間には出てこなくて、かなり待つことになった。が、私たちも慣れたもの?で待っている間に出てきて同じように腰を掛けて休んでいるフランス人に話しかけてみたりして、退屈することなく、待っていた。アランの6人組は、どの人も感じのいい人だった。全員が南仏の人ではなく、確かアルザスとか他の地方の人たちだった。(クリックすると写真は大きくなります↓)東大寺を見てしまった人にどこ...大病をしたアランが、私たちをユーモアで一生懸命おもてなし。

  • サンレミドプロバンスで出会った日本の調味料とエガリエール村

    アニエスによると、「以前はアヴィニョンによく買い物に出かけたけど、クリスマスなどのプレゼントも最近はサンレミばかり」らしい。ゆっくりサンレミを歩くのはもしかすると初めてなので、街歩きも楽しめた。小さな香辛料を売っている店に入ったところ、日本の調味料がたくさんあってそれに驚いたのだが、お店の女性が言うには、日本の調味料は健康にもいいし、繊細な味なので、とても人気があるとのことだった。ゆずの絞ったものや、山葵やみそ、のり、醤油も小さい店なのに何種類も品揃えされており感心した。フランスの塩の中にゆずが入ったフレーバー塩?まであり、アニエスが私の分まで買ってくれた。私にはそこまでも希少なものではなかったのだが。(苦笑)ここでも京セラの包丁が売られていた↓アニエスは結構買い物好きと見え、あれやこれや雑貨店をのぞいて...サンレミドプロバンスで出会った日本の調味料とエガリエール村

  • 岩山をくり抜いた映像美術館へ。

    アンリ夫妻宅に夜遅く戻った翌朝は、彼らのいつもの朝食をいただいた。コレステロールを気にしているアンリはクロワッサンも、純バターではないものを食べている。三日月のように曲がっているタイプだ。まっすぐなものが純バターのクロワッサンで、映画でジャンヌモローが「本物のクロワッサン」と他国から来た家政婦に言っていた場面があった。以前は朝起きてからパン屋さんへ買いに行ってくれていたのだが、退職後の生活でもあり、気心が知れた仲なので、そこまでしてくれなくてもスーパーのパンでも十分なのだが、そんな中でもバゲットのおいしさは外れがない。今日の予定は、アニエスに押し切られた格好で、ㇾ・ボー・ド・プロヴァンス(すでにレ・ボーのお城は見た事があるので今回はパス)にある美術館へ行くそうだ。小さな村に・・という私の希望は叶えられない...岩山をくり抜いた映像美術館へ。

  • モーリス邸は今まで見た中でも一番の豪邸!?

    アンリ夫妻がどうしてもニーム泊を阻止するため、迎えに来たのは、この長い一日のメインコースが待っていたからだった。日本でお世話になったからと、夕食に招待してくれると言うアンリ夫妻の友人宅に行かないわけにはいかなかった。アンリの運転で彼らの家に到着して、びっくりした。サンレミドプロバンスに近いその家は、豪邸そのものであった。(おじいさんから受け継いだ家だとモーリスは言っていた。)しかもただ大きいだけではなく、近代的な設備が随所に見られ、かなり便利な仕様の家だった。そこで待っていたのは、その家の夫妻のモーリスとその奥さん(名前は失念)、一緒に来日していたもう一組の夫妻、キャロルとオリビエも待ってくれていた。モーリスとオリビエ↓来日したときと印象が違って見えることは時々ある。来日時↓左はモーリスの奥さんで、右はオ...モーリス邸は今まで見た中でも一番の豪邸!?

  • ほろ苦い前菜の後にメインコースが待っている。

    ニーム駅で待つこと2時間半以上、やっとアンリが到着した。駐車するところをwhatsappで、アンヌクレールに尋ね、駅の人にも確認して伝えていたが、アンリはわからず、離れたところに駐し車、歩いてやってきた。まずは久しぶりの再会のビズ(挨拶のキス)。2019年春にパリで夕食を食べた以来だった。奥さんのアニエスは家にいるようで、彼一人。「だから言ったじゃないか。12時台の列車の次は17時までないと。ニームの友だちはなぜ調べてくれなかったのか」と。ことの顛末を詳しく話すと、「ありえない。ギリギリまで調べもせず、君たちを駅に置き去りにするなんて」ということだから、友だちの行為としてはやはりアンヌクレールの素っ気なさは、フランス人らしくないと言うことだった。紹介してくれたマルチーヌから、「アンヌクレールは、あなたたち...ほろ苦い前菜の後にメインコースが待っている。

  • ニーム駅に置き去りにされた私を救いに来たアンリ!?

    ああ、なぜ昨日もっと確実な方法で、確認しなかったのか。なぜ安易に「間引き運転」を信じてしまったのか。慎重になるべきだったと、後悔している時間はなかった。12時42分(たぶん)のあと、17時台まで列車はなかった。まずアンリに連絡をした。「迎えに来てもらえないか?もし無理なら、今日はアヴィニョンには行けない。ニームでホテルを探し、一泊する」と。奥さんのアニエスと相談していたが、困っている様子だった。なぜかと言うと、彼らは今夕、私たちと一緒に彼らの友人宅での夕食の手はずを整えていたからだ。それはわかっていたが、私たちも途方に暮れていたし、何より17時台に列車が動いてもそれに乗って出かけるだけの気力もなえてしまっていた。すると、アンリは「もう少し待っていて。お昼ご飯を食べたら行くから」と返事が来た。2時間くらい待...ニーム駅に置き去りにされた私を救いに来たアンリ!?

  • ニームからアヴィニョンへの列車に乗り遅れてしまった!!

    ニームで一泊し、朝食を済ませた。この時はまだ想像もしない長い一日が始まるのだった。まず、彼女は、散歩に行こうと言った。そして、近所に住む友人宅を訪ねようと言った。なぜならその友人の息子は日本人と結婚して日本に住んでいるからだった。歩いて行けると言うので、喜んで行かせてもらうことにした。大きな門扉のあるその家に到着した。敷地も広い立派な家は、修理工事の人が朝から来ていた。日本から来たと言うと、温かく迎えてくれたそのマダムは、息子が庭師として京都で働いていること、そしてなんと、住んでいるところは奈良ということで、その奇遇なことに驚いてもいた。結婚式の写真を見せてもらうと、私たちもよく知っている結婚式場や神社で、不思議な縁を感じた。息子さん夫妻の住所も教えてもらった。まだ連絡はしていないが、またそのうちにと思っ...ニームからアヴィニョンへの列車に乗り遅れてしまった!!

  • ここにも日本文化に興味があるアンヌクレーヌの友人がやってきた。

    お腹もやっと膨れて、午後の予定は、「ユゼスに行く?それともSommiere(ソミエール)に行く?」と言われ、ユゼスは2005年、やはりニームに来た時、別のニームのマダムに連れて行ってもらったので、未訪の「ソミエールに」と答えた。写真で見ると南仏名物?プラタナスの並木があったり、私の好きな小さな村なのだが、散策すると、すこしひっそりして、寂れた感がしないでもなかった。シーズンによって違うのかもしれないが、あまり惹かれるものがなかった。ユゼスを再訪したほうがよかったかもしれないと思った。これは行ってみたいとわからないので、決めるのは難しいが、まあ、こんなこともある。帰りはスーパーに寄った。スーパーを見るのは楽しい。彼女は何か商品が落ちたとき、私たちの手前か、「私のせいじゃないよ」とお店の人に持って行った。そう...ここにも日本文化に興味があるアンヌクレーヌの友人がやってきた。

  • アンヌクレールの家は自然との共生を目指していた。

    ニームの半日観光を終えて、アンヌクレールの家に車で15分くらいで、到着。ペットボトルを加工したものが、入口のアーチのようにぶら下がっていた。家は平屋で、こじんまりした家だが、庭は広い。庭に居室のような物があると、来日したとき聞いていたが、説明からは想像できなかった。できないはずである。この家はエコハウスというのがふさわしいような、エコにこだわっている家だった。節約家とも言えるが、庭の居室で、アンヌクレールを紹介しくれたマルチーヌが泊まったと聞いて、部屋にはトイレがなかったので、夜、トイレはどうしたのか疑問をぶつけてみた。彼女が「ここにあるのよ」と見せてくれた。庭の居室の隣に小さな建物があり、その中にトイレがあった。しかし、これは、水を使わないトイレだった。想像できるだろうか?つまり使用後は、おがくずのよう...アンヌクレールの家は自然との共生を目指していた。

  • ニーム市内の観光は古代遺跡からヘミングウエイも泊まったホテルまで。

    ニームは2005年、観光に訪れているが、世界遺産のポンデュガール(水道橋)がメインだったため、市内の観光はあまり覚えていない。確か、円形闘技場の近くで、語学学校の先生だったローランスとランチをした。彼女が観光案内役を買って出てくれ、数々の世界遺産訪問の中でも、かなり充実した一日で、先生の人柄とともに今も大切な思い出の一つである。今回はその時は行かなかった公園の散策から始まった。さすがにこの辺りはローマ時代の遺跡がゴロゴロしているような感じで、公園にも遺跡の一部があったりする。その後街歩きをした。こじんまりした町だが、中々感じがいい。名物のお菓子だと言うクロッカンのお店もあった。アンヌクレールは、「食べたことがないの?じゃあ、帰ったら作りましょう。お菓子のレッスンよ」と言った。正直言うと一時半を過ぎていて、...ニーム市内の観光は古代遺跡からヘミングウエイも泊まったホテルまで。

  • アヴィニョンからニームへ在来線で移動。奈良を案内した縁が繋がっていた。

    アヴィニョン中央駅(つまり在来線の駅)のすぐそばのイザベル夫妻の家は、鉄道での移動に本当に便利だ。アヴィニョンからニームへ向かった。在来線でも30分くらいで到着できる。後で問題になってくるのは、行きのチケットは渡仏直前にインターネットで予約したが、帰りの切符は買わなかったことである。ニームで一泊した翌日、アヴィニョンに何時に帰るか決まっていなかったこと、近距離なので駅で当日買うのと値段も差がなかったことから、あえて行きの切符のみネットで購入したのだった。そのあと泊まる予定のアヴィニョン郊外のアンリ夫妻がアヴィニョン駅まで迎えに来てくれることになっていた。目安は14時ごろと伝えていた。ニームで待っているのはマルチーヌの紹介の友人のアンヌクレールだ。ご主人の夢だった日本旅行を実現され、奈良訪問の際,夫妻を案内...アヴィニョンからニームへ在来線で移動。奈良を案内した縁が繋がっていた。

  • アヴィニョンのジル・イザベル宅での一泊

    ジルとの散策を終えてイザベルとその友人夫妻が待つ家に戻った。そこへクリスチーヌからの着信だった。なんと彼女はもともとイザベルの職場の同僚だったのだが、電話番号を知らなかったようで、住所だけを頼りにスーツケースを取りに来てくれたらしい。もちろんコードがないと入れないのだが、幸い名前が書いてあった。しかし苗字がわからず、奇跡的に押してみたところイザベルが出たということだった。ここからが、大変だったのは容易に想像できた。クリスチーヌは一人で、大きなスーツケースと大きな手提げバッグをおろし、また彼女の家のエレベーターのない3階の部屋まで運んでくれたと言うから、本当に申し訳ないことだった。それでもクリスチーヌは「大丈夫よ、気にしないで」と言ってくれた。今回の旅行での恩人の一人だ。さて、イザベル夫妻宅で夕食はアペリテ...アヴィニョンのジル・イザベル宅での一泊

  • 12年ぶりのアヴィニョンの町は清潔になっていた。

    ジルが迎えてくれ、重いスーツケースを3階の部屋までもって上がってくれた。まず荷物を置いて、上まで上がると奥さんのイザベルと、彼らの友人夫妻が談笑していた。この4人で明日の朝旅行に行くらしい。その前日の夕刻に到着したのだった。日本人なら、きっと旅行の前日だと言うことで、私たちを泊めることはないと思う。しかし、フランス人は違うのだ。それでも会いたいと言ってくれ、「よかったら泊まってくれてもいい」とまで言ってくれた。私たちも翌日はニームに向かうため、駅の近くの彼らの家に滞在できることはとてもありがたいことだった。しかし、ここで大きな問題がまた一つ。それはやっぱりこの大きなスーツケースだ。本来はアヴィニョン郊外のアンリ夫妻のところにニームのあとに泊まるので、そこに預けたかった。でもマルセイユのヴィルジニ夫妻には通...12年ぶりのアヴィニョンの町は清潔になっていた。

  • エクスアンプロヴァンスを後にしてアヴィニョンへ。

    ここから一時間以上はかかる。それでも快く送り届けてくれるヴィルジニとミッシェルには感謝しかない。しかも送り届けた後、彼らはまたマルセイユへと帰らなければならない。今回の旅行を通して、この夫妻ほど私たちの希望通りに動いてくれた友人はいない。申し訳ないくらいだった。一緒にいても気が楽で、その時間がすぎるのがとても早く感じられるほどだった。本来なら3泊する予定のところを、プロヴァンスの友人たちの日程の都合上2泊に切り上げた私たちなのに、アヴィニョンまで送迎を申し出てくれたのである。そのアヴィニョンで待ってくれていたのは、やはりアヴィニョン演劇祭でお世話になったイザベルとジル夫妻のところで、この夫妻も本当にいい人で、ヴィルジニ夫妻も一緒に、アペリティフをと誘ってくれていたが、彼らは「帰らないといけないので」と遠慮...エクスアンプロヴァンスを後にしてアヴィニョンへ。

  • エクスアンプロヴァンスではあの小さな観光列車に乗るべきだったと後で後悔した

    エクスアンプロヴァンスに着き、小さな観光列車(プチ・トラン)を見た彼らが、「これに乗る?」と言った時、「いいよ。乗らなくても」と答えたのだが、すぐ後悔することになる。日曜日で観光案内所が閉まっていたため、地図もなく歩き始めたが、彼らはどうも不案内なエクスを歩くのはあまり楽しくなさそうにも見えたのだった。マルセイユとエクスアンプロヴァンスは近いので、良く知っていると思っていた。が、マルセイユっ子のミッシェルに言わせると、アヴィニョンの南は南仏とは言わないと言い、マルセイユを少し離れるともうテリトリーから外れるということだ。よって、ランチも大きな失敗だと言った。彼らが選んだお店だったが、ステーキの焼き加減もだめだと言い、ミッシェルはほとんど残したのだ。田舎者?の様に見えるミッシェルだが、中々食にこだわりがある...エクスアンプロヴァンスではあの小さな観光列車に乗るべきだったと後で後悔した

  • 振り向かないエンマとお別れし、エクスアンプロヴァンスに向かう。

    今朝もオレンジジュースをこぼさないようにエンマが運んできた。これはお土産にも頂いたミッシェルのおばさんの手作りジャム↓ヴィルジニのおばあちゃんの作るジャムは布で濾して仕上げるそうだ↓賢いエンマはお別れを察知して泣くのではないかと思っていた。昔5歳くらいのアルザスの女の子がやっと慣れたころにお別れの時間になって突然泣き出したことが思い出された。朝ごはんを食べた後、エンマだけ、親戚の家に預けて、私たちをエクスアンプロヴァンス経由で、アヴィニョンへと送ってくれると言う。そこまでしてヴィルジニは快く引き受けてくれたのだった。まずエンマを預けに行き、お別れをしたが、何ともあっけなく、「じゃあね」と振り返りもせず親戚のおばさんのところへ歩いて行ったのだった。賢いエンマは、頭の切り替えが早いと言うか、聞き分けもいいよう...振り向かないエンマとお別れし、エクスアンプロヴァンスに向かう。

  • マルセイユでは赤ワインは冬の飲み物。

    カシ―の町はこじんまりとしていい感じがしたので、街歩きをもっとしたいくらいだったが、やはり海を見ないわけにはいかない。早速お姫様は靴下を脱いで海へ入って行った。カシ―を後にして帰り道もまたカランクへ寄った。昨日見たのとはまた違う趣のあるカランクだった。帰宅後、まだ海遊びが足りなかったのか、エンマは水温は高くなかったと思うが、プールに入ると言う。そしてプールの外のトランポリンで弾んだり、またプールに入ったりと活発で動くことが大好きなエンマは、トランポリンも足を挙げてみたり色々見せてくれるのだった。ミッシェルによると、誰に教わったわけでもなく、自分でいろいろ動きを変えているということだった。そんな彼女にご褒美?にお土産に持ってきた浴衣を着せた。何ともよく似合い、大喜びだった。そして、今夜はエンマの好きなピザが...マルセイユでは赤ワインは冬の飲み物。

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