サ・高・住の老人ホームから。今年も何回か金柑の甘煮を作りました。私の作は生姜を細切りにして加えます。生姜は体に良いですから先日NHKの今日の料理を見ておりましたら甘煮に更に酢を加えて煮るのをやっておりました。私もちょっとトライしてみようとやって見ました。金柑+生姜+酢+水出来上がった金柑酢煮はおいしいかどうか?好みは人に寄って分かれると思います。私個人はもう少し酢の分量を減らした方が良いと思います甘好きの私には微かに酢が入っているくらいが好みですね。撮影2025228金柑と生姜と酢
サ・高・住の老人ホームから。今年も何回か金柑の甘煮を作りました。私の作は生姜を細切りにして加えます。生姜は体に良いですから先日NHKの今日の料理を見ておりましたら甘煮に更に酢を加えて煮るのをやっておりました。私もちょっとトライしてみようとやって見ました。金柑+生姜+酢+水出来上がった金柑酢煮はおいしいかどうか?好みは人に寄って分かれると思います。私個人はもう少し酢の分量を減らした方が良いと思います甘好きの私には微かに酢が入っているくらいが好みですね。撮影2025228金柑と生姜と酢
サ・高・住の老人ホームから。私の俳句始めて三年くらいの実力で、お恥ずかしのですが~~。身軽さの裏は寂しさ春隣発ちし子の箸洗いおり冬日影寒夜更け航空灯の瞬きて包丁研ぐ砥石の窪の水の秋常念岳を見あぐるホーム夏燕年経れば透け見ゆるもの菊を焚く北国の大雪のニュースが続いてます。それに引き換え東京都は連日の晴れの日が3週くらい続いております北国の方には申し訳ないような気持ちです。今日も私のブログを見て頂きありがとう御座います。感謝致します。撮影場所長野県撮影202231私の俳句
サ・高・住の老人ホームから。1月末我が家の親戚関係が集まって女性会を開きました。私娘息子の嫁さん従姉妹二人合計五名です。私が1番年長者ですからなるべく発言は控えておりました。若い女子たちは、良く食べ良く喋りますね。華やかです。都会では昔のように法事など仏事の集まりも少なく、皆さん仕事を持って忙しいですから、たまには顔合わせの良い機会だと思います。会場は東京都三井ガーデンホテル神宮外苑の杜プレミアのホテルでした。このホテルの目の前に新しい国立競技場がそびえておりました。撮影場所東京都新宿区都営地下鉄国立競技場駅下車撮影20250125我が家の女子会
サ・高・住の老人ホームから。お友達と梅の花鑑賞に出掛けました。私の下手な俳句駅の名は梅が丘とやはだら雪まずお天気に恵まれました。暖かい日で風も無く、そぞろ歩きにぴったりの日でした。苑内に中村汀女さんの句碑がありました。外にも出よふるるばかりに春の月汀女撮影場所東京都世田谷区小田急線梅が丘下車2025212撮影梅の花
サ・高・住の老人ホームから。私の病気のこと聞いて下さいますか?2017年秋食道癌を患いました。今食道癌~~手術から丸七年過ぎました。寛解と言えるでしよう皮膚癌~~腰の辺りに出来ておりました。ボーエン病。手術を受け切り取りまして20センチもある傷跡。今何の痛みも違和感ないです。完治したですね。胆嚢癌~~これは手術を受けて丸2年過ぎました。胆嚢を摘出しました。半年ごとの定期検査にはきちんと受けておりましす今後どうなりますか。丸5年過ぎないと寛解と言えないそうです。どうしてこんなにガン体質になったのか、分かりません。それなりに、気を付けておりましたが。変えられないこと「病気」などは、静かに自分の内に受け入れていくしか、仕方なくですね、そしてなるべく穏やかに楽しい気持ちで最晩年を過ごしたいと願っています。あと、何...健康問題
サ・高・住の老人ホームから。丹波篠山市の中心部から離れて福住町があります。京都に近い場所。丹波篠山から京都に出る街道の宿場町として栄えました。西京街道~~この地区の人々は農家をしながら宿泊業もしていたそうです、ですから文化も京文化の範囲だったでしょうね。立派な家並みが続きます。私の時間の関係でゆっくり見学出来なくて残念しました。今回の旅行は天候に恵まれ幸いでしょう。撮影場所兵庫県丹波篠山市福住町2024122丹波篠山福住
サ・高・住の老人ホームから。大阪駅から福知山線の乗って丹波篠山市に到着重要伝統的建造物保存地区に指定されている街並みを歩きました。ゴミひとつ落ちてない。すっきりした清潔感のある町でした。ひとつは、電信柱を全部地中に埋めたことでしよう以前この地区を訪問した政治家の菅さんのアドバイスでそのように実行したそうです。この古民家のひとつを改築した一軒家に1泊しました。トイレお風呂ベッドは近代的に改築してあります。12月晩秋でした夕方山々に囲まれた畑でおそらく豆殻でしよう畑で燃やしている光景が、いくつも有りその煙が棚引いて、まるでミレーの絵「落ち穂拾い」や「晩鐘」のようて、忘れ難い思い出になりました。撮影場所兵庫県丹波篠山市河原町2024年12月2日丹波篠山市福知山線
サ・高・住の老人ホームから。昨年12月初め兵庫県丹波篠山市に行って来ました。丹波篠山のイメージはと言いますと皆さん「黒豆」と答えられます。その通り日本一の「黒豆」の産地です。しかし私が今回訪問の目的は、旧い街並みが~~江戸時代又は明治時代の家並みが残っていることです。幸いなことに、先の戦争中も被害は無かったらしく。しっとりと落ち着いた街並みが続きます。文化化圏としては、大阪神戸の文化が昔から入っていたのでしよう丹波篠山市の車のナンバーは皆神戸ナンバーでした。静かで落ち着いた街並みを御覧ください。丹波篠山
サ・高・住の老人ホームから。以前も見たことがあるのですが、タイトルがラジオなのにテレビ番組です病院の中に臨時のスタジオを作って入院中の人や、通院の方が、現在の思いを語る番組です特に何かをする訳でも無くいわゆるトーク番組ですタレントのサンドイッチマンのお二人が、上手に患者さんの話を聞きだすのです。深刻になり過ぎず、明るく話す人が多いですね。私は近年何度か、入院退院を繰り返しましたから、患者さんの言葉が一つ一つ身につまされます。当たり前のことですが、病気になりたくてなった人は一人も無く、皆、突然思いがけなく発病入院となるのです。2025年1月13日祝日朝8時15分からNHKテレビ放送しておりました。病院ラジオ
サ・高・住の老人ホームから。新しい年になっ10日も過ぎました。まことに遅ればせながら新年のお祝いを申し上げます。あなた様は良いお年をお迎えでしょうか?新年の願いは健康で穏やかにこの年をお過ごすこと。朝自己流の5分間体操を続けること。体操教室も続けること。身辺を整理してなるべく身ぎれいにしておくこと、例えば洗面台の流し鏡など、度々拭いてさっぱりさせて置きたい。服装もそれなり気を使うことゆったりと楽しい日々を過すことが願いです。今年の願い
サ・高・住の老人ホームから。あなた様はよいお年をお迎えになりましたか?元旦の夜はテレビでニューイヤーコンサーウィーンから。毎年楽しみにしております。音楽のことは分かりませんがワルツとかポルカなど気持ちが良いですね。楽しいです。毎年世界の90カ国に生中継されているそうです。ウィーンの楽友会ホールの観客の中には何人かの日本人もおられましたね私から見れば正に夢の世界です。一番最後の曲ラデッキー行進曲のときはテレビの前で手拍子をしておりました。撮影202511ニューイヤーコンサート
サ・高・住の老人ホームから。あなた様はよいお年をお迎えになりましたか?元旦の夜はテレビでニューイヤーコンサーウィーンから。毎年楽しみにしております。音楽のことは分かりませんがワルツとかポルカなど気持ちが良いですね。楽しいです。毎年世界の90カ国に生中継されているそうです。ウィーンの楽友会ホールの観客の中には何人かの日本人もおられましたね私から見れば正に夢の世界です。一番最後の曲ラデッキー行進曲のときはテレビの前で手拍子をしておりました。撮影202511ニューイヤーコンサート
サ・高・住の老人ホームから。老人ホームのお正月私のホームは食事は個人の自由です。入居者が一斉に同じ物を食べることはありません私も手抜きながら、自室でささやかなおせち料理を作りました。お雑煮も作りました。神社お参りに行きましたが拝殿の前は長い行列で、遠くから、お参りをさせて貰いました。落葉を拾って来て、絵手紙を描いておりました。今日の入り日も、美しい夕暮れでしたね2025年最初の日こんな一日でした。撮影202511元旦
サ・高・住の老人ホームから。あと9時間くらいで、2024年が終わります。あなた様にとってこの年は如何でしたか?良い1年でしたかしら?私にはマアマアの1年間でした。自分でも、この1年で随分年を取ったと自覚しております。体の動き動作がノロくなりました。頭の判断力も遅くなりましたね。又頭の髪の毛厳しかった暑さのせいか髪の毛が秋に随分抜けて頭髪がスカスカになりました。緩やかだった老いの坂道が急にドスンと落ちた感じです。悲しいことですが、老人だから老いてゆくことは避けられませ。自然に従うことです。老人らしく暮らします。しかし、今年は入院する程の大病は無しで幸いでした。今胆嚢癌の手術から2年目を歩んでおります。あと3年過ぎないと寛解とは言えませ。この1年間感謝して、終わりたいと思っております。あなた様も良いお年をお迎...2024年終わる
サ・高・住の老人ホームから。あるグループで、国立競技場見学ツアーがありました。東京オリンピックの会場です。地下鉄の入り口を上がると、目の前に国立競技場がそびえ立っております。今日は内部の見学は無しです。有料で内部も見学できるそうですが今日はナシ外のエレベーターで5階まで上り周囲の景色を見ながら、グルーと1周できます「空の森」と名が付いています。巨大な建物で、ただ驚くばかりです。寒い日で、大変でした。撮影20241212撮影場所東京都新宿区霞ヶ丘町4丁目都営大江戸線国立競技場駅A2出口国立競技場
サ・高・住の老人ホームから。キャロットケーキを焼きました。全く初めてでしたが、上手く焼けて、おいしいと言ってくれました。世の中皆さんプレゼントを交換したり楽しい日ですね。昔シスターの渡辺和子さんが、うれしいプレゼントを交換しあった後さてあなた様は天の神様何をプレゼントしますか?と言われおりました。耳の痛い言葉ですね。あなた様も楽しいクリスマをお過ごし下さいませ。撮影2024年12月私のクリスマス
サ・高・住の老人ホームから。近くの古いお寺さん200年くらいの銀杏の木見事な黄葉で、明日にでも風が強ければ皆舞落ちるでしょう。今日限りの見事さです。有名な神宮外苑の銀杏です。もう半分くらいの木は落葉しておりました。12月12日現在1年を終わる最後の輝きでしょうか?撮影情報12月13日12月12日今日をかぎり
サ・高・住の老人ホームから。中野サンプラザの名前はご存知ですか。JR中野駅前に立っている巨大なビルです。築50年とか。建て替えが決定して今は全部使用しておりません。周りを大きく囲って、人々が入れ無いようにしてあります。今後どうするか?当初の中野区の予算計画から建築費が大きく変わって計画がゆきずまっているらしい。今後どうする?日本は人口減少期に入っているのですからそれらを考慮して、ビル建築を考えないと~です。20241117撮影なかのサンプラザ
サ・高・住の老人ホームから。或る日の新聞のコラムに次のような言葉がありました。”明るく”あきらめるのがいいね柚木沙弥郎、染色家朝日新聞「折々のことば」2023年11、26年を取ると、出来ない又はあきらめなければならないことが多くなります。体力的なことで、出来ないやめなければならないことが当然あります。希望でも私は人生の最後に犬をもう一度飼いたかったでもこの住宅では飼えませ。あきらめました。老人夫婦が手を取りあって横断歩道を渡ってたりしていると、羨ましと思います。昔私たちも仲良く横断歩道を歩いたことがあります。でもそれらは卒業したの~~と思うことにしております。夫はあの世に出張中。美味し食べ物をまだまだ食べたいです。でも歯が弱くなって固い食べものは噛みきれませ。故にあきらめております。でもこれまで沢山美味し...楽しくあきらめる
サ・高・住の老人ホームから。東京都上野公園田中一村展を見て来ました。幼い頃から神童と言われる位絵が上手だったそうで、沢山の絵が会場一杯に展示してありました。しかし、世間的には余り評価されず展覧会でも余り入賞しなかったらしい。50歳の時奄美大島に移り心に映った自然を彼独自の表現で、描き出しました。彼の晩年の絵は心打たれるものがありますね。大好きになりました。彼は生前は経済的にも恵まれず、画壇でも評価されず無名のまま終わりました。田中一村は1908年ー1977年没東京都上野の東京都美術館で開催中田中一村展
サ・高・住の老人ホームから。東京都中野区にある東福寺です。立派な門の中は広い境内で、その中央にそびえ立つのは銀杏の木です。100年位はたっているでしょうね。秋になると周り1面に銀杏を落とします。足の踏み場もないくらい。誰が拾うのかしら?東福寺の銀杏の木
サ・高・住の老人ホームから。10月末大阪の富田林市へ行っておりました。この町の成り立ちが寺内町と聞きましたから。寺内町とは?お寺を中心に出来た町でして、門前町とは少し違います。戦国時代「証秀上人」が、興正寺別院を建立されて、周辺に浄土真宗の人々が住み、八人の有力者を中心に、合議制の町作りが行われました。今の言葉で自治区ですね。450年くらい前の話戦国時代の話ですから今その当時のものは何も残っておりません。ただし町中の道と道はわざと半間程ずらす「あてまげ」が残っております。見通しを妨げるため。その後江戸時代、この町は商業の町として大発展をして、その頃の民家が今も残っております。近鉄長野線富田林市下車寺内町とは?
サ・高・住の老人ホームから。先月関西に行ったお土産に京のお漬け物千枚漬けを買って来ました。すぐきのお漬け物も。矢張り京のお漬け物は美味しですね。千枚漬け一枚の上に薄切りのハム一枚を乗せクルクルと巻きます。それで、オードブル一つ出来上がり。いいですね。高級なオードブルです。私はお店のまわし者ではありませが。千枚漬け
サ・高・住の老人ホームから。大津市比叡山坂本石垣の美しい町しっとりと落ち着いた町苔むした石垣が続きます。比叡山延暦寺のお坊様が引退後代々この地に住まわれるそうです。隠居後ですから小さい庵を想像しておりましたが差にあらず、立派なお寺さんです。律院苔むした石垣が続きます。この石垣がこの町の主役です。室町時代から否もっと以前からこの地に石工の技術を持つた人びとが住んでいた。穴太衆あのうしゅうと呼ばれていたそうです。私たちが目にするお城の石垣はスパっと加工してありますが、穴太積は自然石を積み上げてあります。野面積み最初は近江辺りの寺院の石垣を作っていたようです。その技術が江戸時代まで更に現在まで伝わっております。坂本の町は美しい石垣が続きしっとり落ち着いた感じです。又何時か訪れたい町です。撮影場所大津市比叡山坂本...石垣の美しい町
サ・高・住の老人ホームから。10月末大阪の富田林市へ行っておりました。この町の成り立ちが寺内町と聞きましたから。寺内町とは?お寺を中心に出来た町でして、門前町とは少し違います。戦国時代「証秀上人」が、興正寺別院を建立されて、周辺に浄土真宗の人々が住み、八人の有力者を中心に、合議制の町作りが行われました。今の言葉で自治区ですね。450年くらい前の話戦国時代の話ですから今その当時のものは何も残っておりません。ただし町中の道と道はわざと半間程ずらす「あてまげ」が残っております。見通しを妨げるため。その後江戸時代、この町は商業の町として大発展をして、その頃の民家が今も残っております。近鉄長野線富田林市下車寺内町とは?
サ・高・住の老人ホームから。昨日は10月最後の日ハローウィン感謝祭だそうです。でも私のような昔人間にはどうもピント来ませんね。アメリカでは一面では農業大国ですから、1年間の農作業の終わりに、収穫の感謝を捧げ一日家族と楽しく過ごすと。でも、それがどうして、仮装して「お菓子をちょうだい」となるのでしょうね。マア気分を変えて楽しく過ごすなら其れもヨシ~でしょうか。写真は昔私が陶芸で作ったジャコランタです。ハローウィン感謝祭
サ・高・住の老人ホームから。大阪富田林市にある重要伝統的建造物群保存地区江戸時代の豪商の住宅です。寺内町立派なお屋敷でお蔵があります。現在も生活して居られので内部は見られません。外側から拝見すると、忍び返しこれは泥棒よけでしよう。それから虫籠窓むしこまどこれは二階の明かり取りと風通しのためですね。蔵の高窓は明かり取り通気でしょうね。鬼瓦も立派です。町中はよく掃除してありまして清潔で気持ちよいです。寺内町じないまち~と読みます。撮影場所大阪から近鉄長野線富田林下車撮影2024102富田林市の重要伝統的建造物保存地区の虫籠窓
サ・高・住の老人ホームから。大阪富田林市のある一画が重要伝統的建造物群保存地区にしていされております。見学に出掛けました。ほとんどが江戸時代の商家です。酒造業であったり、油屋材木商、木綿屋など、昔の木造家屋の立派なこと。そして板塀の美しいこと。風雪に耐え味わいがありますね。行き方大阪から近鉄長野線で富田林駅下車すぐ撮影20241028大阪富田林市の住宅
サ・高・住の老人ホームから。東京都中野区の区役所が新しい場所に出来ました。完成はもう半年前のことですが、やっと訪問出来ました。外観はご覧のように、菱形を貼り付けたようなデザインになっております。内部も新しくて気持ちよいですね。新庁舎は免震構造を採用災害時には対策拠点となります。この区役所へ左横と言えばよいのか広い芝生広場が広がっております。この芝生広場に若いファミリーが遊びに来ています。若いママさんも、幼い子供さんも楽しそう。そして、昼時になると、屋台のワゴン車が、来てお弁当を売ってます。5、6台でしょうか。内容はエスニック料理が多いです。私たちも台湾料理の屋台で魯肉飯を買いました。芝生の上に腰かけて食べます。マアちょっとニューヨークのセントラルパークの雰囲気ですね。規模が比べものにならないくらい小規模で...新しい区役所
サ・高・住の老人ホームからあちこちのお店に求人広告が目立ちますね。人手が足りない悲鳴が聞こえて来ます今後の世の中は何でも8割社会になるそうです。お役所でも。病院でも。お店でも。人手がなくてサービスは以前のように行きませーん。これからの老人は覚悟しなければなりません。病院へ行っても、老人施設に入っても百パーセントのサービスは受けられません。サービスは8割ですから自分でやる又はロボットにやってもらう。老人同士が補い合って、助けあって生きていかなければならないでしょうね。先日の三連休121314日お天気がよく、爽やかな気候でした。朝寝坊の私としては珍しく、朝食前に散歩して来ました。大木の森の中を歩いて来ました。その時の写真です。8割社会ーーこれからの世の中
サ・高・住の老人ホームから。そばを通る度不思議に思ってました。この小さな祠お社は何かしら。何をまっつてあるのかしら。随分年期が入っているようですが、一つはあるマンションの一画にありました。多分昔大きなお屋敷の内部に祀られていたと思われます屋敷土地を分割して、マンションにして、取り残されたのでしょうね。今は誰も面倒をみないらしい。もう一つは神社の境内に祀られて居たのでしょう。神社が広く駐車場にしてしまって、取り残されてしまった感じです。今となっては、何の神さまかも分かりません。しかし、不思議なことに誰もこの古くお社を取り壊ししたり、引っ越しさせたりしないこのです。不思議なお社
サ・高・住の老人ホームから。ついに10月になってしまいました。年月が速く流れて困りますね。私がこの老人ホームへ入居してから丁度6年が過ぎました。まあまあ無事に過ごせたこと感謝です。無事と言ってもその間胆嚢癌になり、胆嚢を摘出しました。先日娘が来てくれました。その前に駅で落ち合いケーキ屋さんで各自好きなケーキを選び、私の部屋に持ち帰りました。たわいないおしゃべりをしながら-ティータイム母と娘の至福の時間でした。ケーキは中野のロートンヌ中野店撮影2024923娘とのおしゃべり時間
サ・高・住の老人ホームから。時々利用する京王線の井の頭線「永福町駅」の構内で、この彫刻をみます。佐藤忠良さんの彫刻です。長らく杉並区永福町にお住まいでしたので、杉並区が、此処に飾ったそうです。慌ただしく人々が行き交う駅構内に置かれていて、一時の安らぎですね。今日も私のつたないBlogの部屋にお尋ねいただきありがとう御座います。駅ナカの彫刻
サ・高・住の老人ホームから。こんな本読みました。「じょつぱりの人」森まゆみ著婦人之友社ま「じょつぱり」とは青森地方の言葉で頑張りやさん頑固な人とかいう意味~~女性に使う言葉らしい。その人「羽仁もと子」さんの生涯とその活動を掘り起こし記録したドキュメント。明治6年青森県八戸生まれ。汽車もない時代八戸から東京まで1週間がかりだったという。東京で結婚して、夫婦で雑誌「婦人之友」発行大正10年自由学園創立この本を読んで、感想は過去のこと実に良く調べてあると~~感心しました。羽仁もと子さんは頭の良い方でしたが当時の常識にとらわれず、自分の頭で考えて良いと思ったことはすぐ実行する~~周りの人々を巻き込みながら。社会生活改良庶民の生活改良家~~と言えば良いのでしょうか?例えば、当時の日本では個人の家で客間や床の間を美し...こんな本読みました。
サ・高・住の老人ホームから。今年もルバーブを煮る季節が来ました。農家さんからお取り寄せしました。ルバーブは本来寒冷地の産ですから今年のように暑さ続きの気候だと具合が悪いそうです。紅い色が上手く出なかったそうです。一見蕗に似ていますが、とても酸っぱくお料理には向きません。砂糖を加えて煮ると、酸味のある爽やかなジャムになります。ビンに詰め10数個完成。日ごろお世話になっている方々に差し上げます。毎年心の中で、今年で最後かしら?来年もジャムを煮る元気が残っているかしら。撮影20240909ルバーブジャムを煮る
サ・高・住の老人ホームから。夜チョと網戸を開けたスキに虫が飛び込んで来ました。部屋の中を飛び廻る虫らしきをよく見ると赤とんぼでした。それも小さいです何とか部屋から出そうと、追いかけましたが、逃げるばかりで、上手く行きません。その内隙間に入ったのか見失いました。その夜は電気を消して、休みました。翌朝赤とんぼは天井に止まっておりました。窓を開け静かに誘導すると、赤とんぼも、静かに出て行きました。何事もなかった~と言うようにとあんな小さい奴でも昨夜は私と同じこの部屋で過ごして呉れたかと思うと何だかうれしい気持ちです。撮影2024920突然の客
サ・高・住の老人ホームから。昨夜は仲秋の名月とか。18時30頃外に出て撮影しました。日本人はお月様が好きですよね。女優の森光子さんはお月様を見るといつも手を合わせておられたとか。私も月を見上げると、何か神秘的な感じがしますよね。初めて知ったのですが、俳句の世界では名月とは仲秋の名月の意味で、十五夜とは毎月ある満月のことらしいです。撮影20240917仲秋の名月
サ・高・住の老人ホームから。9月に行った箱根成川美術館は彫刻もあちこちに配置してありました。天気に恵まれ美しく芦ノ湖を眼下に彫刻を見るなんてハッピーですね。ここの喫茶室も芦ノ湖を眼下に眺めながらお茶出来ますし富士山もバッチリ見られます芦ノ湖&富士山を眺めるなら、ここが一番でしょう。撮影202494成川美術館の彫刻
サ・高・住の老人ホームから。夏休みに箱根の芦ノ湖に行っておりました。その湖畔一の鳥居のある辺り~船乗りばバス乗り場があり、比較的賑やかな場所です。しかしほとんどの方が見向きもしない一画がありまして~それが賽の河原です。丸い石のを二段積んだだけのものが無数にあり、又背の高い石塔もいくつかありますが、刻まれた文字も読めません。苔むしています。芦ノ湖湖畔には供養塔石塔が、たくさん散らばって在ったのが、ここ賽の河原の集められたと説明にあります。旅人には箱根の山を越えることは大変なことだったのでしょう。日本中に賽の河原はいくつかあるらしいですが、詳しい歴史はよく分かりません。死んだら三途の川を渡ると言いますが、その手前にあるのが賽の河原とか。佛教との結びつきもよく分かりません。撮影場所神奈川県芦ノ湖湖畔撮影2024...賽の河原芦ノ湖
サ・高・住の老人ホームから。箱根で泊まったホテルの朝食です。近頃のホテルの朝食はバイキング形式が多いのですが、ここはボーイさんがサービスして呉れるやり方でした。しかし献立は決まっております。洋食は決まっていますが卵料理だけこちらが選べます。目玉焼き又はスクランブルエッグか、フレンチトーストか、和食はご覧のとおりちまちま、一口の品が並んでいます。美しく飾ってありますね。どちらにするか悩ましいことです。撮影20249月撮影場所神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80ホテルの朝食
サ・高・住の老人ホームから。箱根湯本からバスで、30分足らずでガラスの森美術館に到着ベネチアンガラスを集めています。今期は東西の香水ビン古くからの品を展示してありました。ガラスの器はきれいで女性に人気ですね。十数年前私が以前に訪れた時より一層なんかキラキラしたものが多く華やかになりましたね。写真のススキのように映っている草もガラスで作ったものです。園内の橋の上にガラスの回廊が作られていて、光のシャワーを浴びる感じです若い人たちがカップルで来るのに、良い所です。神奈川県足柄下郡箱根町仙石原940-48箱根ガラスの森美術館
サ・高・住の老人ホームから。昨夜から箱根に来ています。スッキリ快晴で、富士山が見られます。頂上はまだ冠雪していませんね。芦ノ湖の湖畔から見た富士山です。今日の富士山9月5日
サ・高・住の老人ホームから。今新宿から小田急線に乗って箱根に来ています。元箱根の成川美術館です。私は堀文子さんの絵を期待していたのですが、1枚しか展示してなかったです。しかし、この美術館自慢の窓からの眺望は美しいものでした。長雨の後スカッと晴れました。一幅の絵のような美しい窓からの景色です。目の下に広がるのは芦ノ湖です。晴れた日で本当によかったですよ。成川美術館神奈川県足柄下郡元箱根570番箱根成川美術館
サ・高・住の老人ホームから。何しろ猛暑の夏でしたからアイス類は度々食べました。ジャンボアイスは六等分に筋が入っておりますから、一例だけ包丁で切って食べていました。日に何度か。ブルガリアアイスはヨーグルトの味がしておいしいです、今年の新製品だそうです。ギョウザはお馴染みスーパーに行けばいつでも買えて、お味も気にいってます。お盆の頃1番暑い頃自分でお料理しないことにして調理済の魚冷凍食品を購入しました。あとは副菜を少し用意するだけその変わりゼリーは度々作りました。カルピスゼリーコーヒーゼリーグレイプジュ-スゼリーリンゴジュースゼリーまあおばあさんの夏の過ごし方ですね。この夏よく食べたもの
サ・高・住の老人ホームから。又々、我がベランダに飛び込んで来た昆虫カナブンでした。時々カナブンが来てくれます。しかし今回は背中に白い斑点のある美しいカナブン。初めて見ました。NETで調べて見ましたが良く分かりません。シラホシカナムグリかな?私は昆虫に弱くて、良く分かりません。蝶は買い物き行く途中で見かけてパチリ。これはツマグロヒョウモンでしょうか?撮影20248カナブン
サ・高・住の老人ホームから。絵本画家いわさきちひろ美術館へ行きました。今年はちひろさんが亡くなって50年の年だそうです。美術館には沢山のお客様が見えておりました。まだまだ人気が高いですね、今でこそ、絵本画家は認められていますが、以前はまだまだ社会的地位が低かったですね。そんな世の中彼女の描く子ども顔表情は明るく可愛いと評判を呼びました。5ヶ月の赤ちゃんと8ヶ月の赤ちゃんと顔の表情を描き分けることが出来る~と言われています。ちひろさんの描く子どもたちは本当に可愛いです。そして子どもたちに平和を願う絵本を何冊か出版しておられます。主張をはっきり出しておられます。撮影2024815ちひろ美術館東京都練馬区下石神井4-7-2月曜日休館いわさきちひろ美術館東京
サ・高・住の老人ホームから。多死時代地下鉄の中で広告を見ていましたらこんな言葉が目に入りました。まるで私に該当するようでドキリとしました。高齢者が多くなれば自ずと死ぬ人も多くなるでしょうね。私もあと五年又は十年内に死ぬでしょうね。日本では今頃年間130万人の方が亡くなり~2040年頃は年間160万人が亡くなるそうです。多死時代になると何が問題か?まず火葬場が足りないことだそうです。新た建設場所を探すのも大変だそうです。現状では荼毘にふすのに1週待ち、もあるそう、です。又死ぬ場所はどこになるか?多くの方が住み慣れた自宅でと考えるらしいのですが、それには多くの人手が必要です。介護の方にお世話なるにしてもヘルパーさんの絶対数が足りません。どうするか?ひとり者の老人が亡くなって相続の問題が発生します。住んでいた家...多死時代
サ・高・住の老人ホームから。或る日我がベランダに玉虫が転がっていて、仰向けで自分では起き上がれない感じでした。すぐに拾い上げて逃がしてやりました。それから三週間くらい過ぎた頃再び同じようにベランダでお腹を上に玉虫が転がっていました。今度は拾い上げテーブルの上で、ちょっと写真を撮らして貰いました。その後木の葉の上にそっと置いやるとスーと森の方に飛んで行きました。今頃はどこで、どうしているでしょうか?あまりにも美しい羽根を持っ所以に余計に目立つ存在になり、心配です。絶滅危惧種だそうです。撮影20240804珍客タマムシ
サ・高・住の老人ホームから。香港の人気料理店が東京にやって来たとか。早速連れて行って貰いました。ちょっと発音できない店名「添好運」初めて味わうお味も多く楽しいです。そしてお店の雰囲気も庶民的で、実質的な感じで良いですよ。お客様も中国系の方も多くチャイニーズの言葉が飛び交っていました。写真丸いメロンパンのように見えるのは「ベイクドチャシュウパオ」この店の人気商品。春巻きは海老と卵白入り大根餅デザートは菱形に固めたゼリーです。名前を忘れました。撮影場所東京都新宿区サザンテラス店新宿高島屋の近く撮影20240622香港の味
サ・高・住の老人ホームから。写真の四角のは共働学舎で生産されたチーズです。フロマージユ,フレ新鮮なチーズという意味だそうです。共働学舎~~ってご存知ですか?宮島眞一郎先生が1974年に始められた愛の学校と言えばよいのか、キリスト教の教えに基づています。「競争社会ではなく、協力の社会を」障害があっても無くても、その人に合った力を出して生活をして行くことを目標に始められました。1974年長野県小谷村で、水も無い電気も無い村で、自給自足のスタートでした。農業又酪農を目指して働いてゆかれました。冬は寒い土地私のような都会人には想像出来無い苦労がお有りだったでしょう、寒い土地を開墾し牛や山羊を飼い「自労自活」を目指して働いておられます。志ある人々から共感応援も増えました。現在では長野県には、立屋、真木学舎北海道には...共働学舎キリスト教の愛
サ・高・住の老人ホームから。小田急線経堂駅改札口となりにあります。本棚に沢山の絵本がならんでいます。自宅から読まなくなった絵本を3冊持って来ると、好きな絵本3冊を持って帰れます。あなた様が持って来た本も又誰か読みたい子どもさんの所に行くかもしれません。自然に交換でき循環していくわけですね。グットアイデア。小さい頃からこんな美しい絵本を自由に読める子どもさんがうらやましい。古いおばあさん「戦後の子ども」だったおばあさんのつぶやきです!撮影場所世田谷区撮影20250724絵本交換スペース
サ・高・住の老人ホームから。あなた様はユニクロで買い物されますか。実は私は近頃衣類はユニクロで買うことが多くなりました。ユニクロの製品は安価で、仕立てがとても丁寧です。不必要な飾りも無しでとても気に入っております。近頃の私の生活から外出着~いわゆるよそ行きの服をを着る機会は減りまして、体操服を着る回数がずーっと増えました。大抵の場合Tシャツで間に合います。写真はこの夏買ったTシャツです紫色のは、体操の日に着るシャツで、二の腕が隠れるように、男物しました。白いシャツ~シャリングシャツと言うそうです。インナーに着るのに良いと選びましたが~少し失敗です。何故なら化繊だからですね年をとってから、アレルギーがひどくなり汗をかく夏場は化繊のものはダメなんです撮影場所東京都世田谷区三軒茶屋のユニクロ店ユニクロ
サ・高・住の老人ホームから。我が老人ホームでオペラコンサートがありました。演奏の曲目はトスカテ.デウム~行け!トスカトゥーランドット誰も寝てはならぬボギーとベスサマ-タイムラ、ボエーム私の名はミミ椿姫乾杯の歌アイーダ凱旋行進曲ホフマン物語ホフマン舟歌出演の皆さん山下尚子杣友恵子所谷直生鶴川勝也相原郁美竹田年志会場は食堂ガラスごしに青葉が美しい会場でオペラ歌手の声が響き心地よい梅雨前の午後でした。五,六十人のお客様でした。こんな一時も老人には楽しいです20247月7日オペラコンサート
サ・高・住の老人ホームから。こんな本を読みました。答えが二つある漢字馬場雄二青春文庫880円+税例えば「最中」は何と読みますか?ハイ「さいちゅう」「さなか」「もなか」和菓子のもなかです。三つも読み方があるんですね。読み方は二つあるんですが実は漢字はひとつです。例えば、「おこる」「いかる」どんな漢字をあてますか?答えは「怒る」です。私は元々漢字に弱いのに、近頃は漢字をどんどん忘れています。この本を読み目から鱗です。各ページがクイズ形式になっておりますし、楽しく読めます。こんな本を読みました。
サ・高・住の老人ホームから。街角で見かけた彫刻とかアート作品撮影場所東京都上野公園赤坂街角アート
サ・高・住の老人ホームから今日一日中曇り空でした、梅雨の最中だから、自然なことですね。しかしあと2時間で六月も終わります一年の半分が過ぎて終うのです。何だかとても残念です。時が速くて、困ります。私は癌術後一年半の定期検診に2回も病院に行ったり、誕生月だったので、子どもたちからお祝いを受けたり、慌ただしい月でした。有難い月でもありました。六月の詩歌に何か良いのがないか探しましたが、少ないです。梅雨だから余り良い印象が無いのかしら?六月の葉ずれに眠り赤ん坊石田郷子六月がゆく
サ・高・住の老人ホームから。森の中は今一番みどりが美しい頃でしょう。森の中で一番驚いたのは、ハンゲショウが咲いていたことです。この辺りビオトープになっていて水があるからかしら。ハンゲショウが群生しているのは美しいですね。お元気の良い日保育園の子どもたちが遊びに来ていました。森と幼い子どもたちは似合ってますね。みんな幸せそうですね。撮影20246月6月の森公園江後田の森
サ・高・住の老人ホームから六月は私の誕生月ちょっと高級な?和食店ヘ行きました。竹籠に盛った可愛いいお料理は20年くらい前は珍しく、奥様がたの人気でしたよ。今では何処でも見かけますがこの日の上野公園は大変な人出でした。やはりコロナで自粛していた反動もあるのでしょう。気候も丁度よく、上野公園の木々の緑も美しく、良い日でした。又外国の観光の方々も多いですね、上野公園内韻松亭撮影20240608上野公園和食店
サ・高・住の老人ホームからこの庭はサントリーホールの入り口の横の階段を上って行きます。サントリーホールの屋上がこのガーデンになっているのでしょうか。六月に行きましたので、花は蛍袋がくあじさい等咲いておりました。屋上ガーデンとは言え、東京の一等地にこんなに広い庭を造るのは大変なことですね。小さい庭が階段状になっております。両側は坂道でして、片方はスペイン坂もう一方は桜坂になっています4月5月は花も多く美しく、この地に働くサラリーマンの皆さんの気分を慰めることでしょう。私が訪れたのは6月でしたので、花は少な目でした。撮影20246月ARKGARDEN
サ・高・住の老人ホームから5月初め頃サントリーホールでオルガンコンサートがありました。無料ですが30分間だけのコンサートです。出入り自由です。オルガン演奏者ユハネス、スクドリク曲目バッハトッカータアダージョとフーガハ長調ラフマニノフヴォカリーズ作品34-14ヴィドールオルガン交響曲第5番ヘ短調作品42-1より第5楽章トッカータ美しいホールで美しい音楽を聞いて満足の一日でした。来場者は1200名くらい撮影2024516サントリーホールオルガンコンサート
サ・高・住の老人ホームからスーパーへ買い物に行きましたら、赤い紫蘇が目に留まりました。つい買ってしまいました。赤い紫蘇300グラム砂糖300グラムクエン酸25グラム水2リットル紫蘇の葉を煮て作りました。青紫蘇の葉を加えると香りが良くなると、ネットにありましたので、後から買いたして加えました。台所も狭いし、保存の瓶も無いし~と思いながらつい作ってしまいます。クエン酸を加えるとサ-ッと鮮やかな色に変わるところが良いですね。砂糖をもう少し多くしたほうが、長期保存のためには良かったですね。202462紫蘇ジュース
サ・高・住の老人ホームから先月のある朝まだ睡眠中部屋の台所辺り天井から、非常ベルのような音とともに【火災発生直ちに避難して下さい】と叫ぶのです。私は全くの寝ぼけ眼で状況が分からず、ボ-としておりました。エ―火事!そんな~部屋の中をうろうろと23回歩きました。そしてベランダに出て上や周囲を見回しましたが何もありません。火事らしい臭いもなし。玄関のドアを開けましたが、変化なし。非常ベルとアナウンスはまだ続いましたが、私の部屋から、問い合わせる術も分からない。何処の誰だか間違えて非常ベルでも押したのかしら朝の5時からどうしたの?諦めてベッドに戻りました。その日の午後プリントが配られて、真相が分かりました。14階の方が個人的に持って来た魚焼きを使用してその煙が部屋に充満して火災警報器が感知して非常事態になり消防署...火災警報
サ・高・住の老人ホームから今回はサントリー美術館が持っている名品の数々を展示していました。美しい品々が並んでいました。なかでも私の目を引いたのは、文箱と言うか手箱と言うか金色の美しい箱です。北条政子が使っていたそうです。鎌倉時代にあんなに手のこんだ美しい品を使用出来たのは、矢張り最高権力者の奥様だったからでしょう。北条政子が触った品かと思い、よく眺めてきました。同じこの手箱が日本国内に10個あると説明にありましたが本当かしら?別の話ですが1874年ウィーン万博に出展して帰路その時の運搬船が嵐に合い沈没して手箱は深海に沈んでしまったそうです。伊豆半島沖だそうです。撮影2024511サントリー美術館名品迷品
サ・高・住の老人ホームから哲学堂公園~と言う不思議な名前の公園明治37年哲学者井上円了によって作られた公園です。井上円了は東洋大学の創立者でもあります。又勝海舟ともお知り合いだったとか。歴史が古いですね、広い公園内には難しい哲学的な名前の付いた建造物や祠のような物が点在しております。哲学的理論は残念ながら私には理解出来ません。残して下さった美しい公園の緑を楽しんでおります。17000坪の広い公園の中現在は、グランドや、体育館等の施設が在り区民の皆様に親しまれています。哲学堂公園東京都中野区松ヶ丘1丁目最寄り駅西武新宿線新井薬師駅下車哲学堂公園東京都中野区
サ・高・住の老人ホームからある会のメンバーとマンガの聖地トキワ荘に行きました。私たちの時代にはマンガが市民権を得るなんて考えもしませんでした。今やマンガアニメーションの世界は大変なものだそうです。日本国内は勿論、世界中に人気の由池袋近くのモルタルアパートは昭和26年当時そのままに再現された建物です。後に有名になられるマンガ家が、集まって、その才能を磨いておられました。ゆかりのマンガ家たち赤塚不二夫、石ノ森章太郎鈴木伸一、手塚治虫、寺田ヒロオ藤子不二雄昭和20年代後半から昭和30年代ですから、ラーメン一杯50円とか、トキワ荘の家賃が3000円とか。辺りの商店街も昭和の感じのレトロな通りです。トキワ荘の住所は東京都豊島区南長崎3-9-22南長崎花咲公園内最寄り駅都営大江戸線落合南長崎駅トキワ荘マンガミュージアム
サ・高・住の老人ホームから東久留米市の志しある方々が案内してくださって、江戸時代からの農家四軒を見学する会です。東久留米市は東京都の近郷ですから、どんどん宅地化されてゆきました。昔からの武蔵野台地生け垣カシケヤキの大木屋敷林民家白壁の土蔵群が消えて行きそうでした。そんな中志ある方々が、行政にも働きかけ保存された地区です。経済的には大変な道を選ばれて、今日に至っています。なかでも「村野家住宅」は国の登録有形文化財に指定されています。この辺りは団地新築住宅に囲まれていますが、この一画だけは「緑地保全地域」なり、「みどりの島」のような具合です。昔ながらの武蔵野台地そのままですね。撮影場所東京都東久留米市柳窪撮影20240427東久留米市みどりの島
サ・高・住の老人ホームから三ヶ月に一度くらいの間隔で歌う会があります。会場は世田谷区のゆうゆう会館歌う時歌詞が前に大きく出ますから皆で大声で歌います。マア昔の歌声喫茶の乗りですね昔の小学唱歌など懐かしいです。例夏はきぬ鯉のぼりこいのぼり埴生の宿蛙の笛椰子の実等コロナで長く黙っていたせいでしょうか~歌うことは本当に気持ち良いですね。内にたまっていたものを吐き出す気持ちです。撮影場所は世田谷ゆうゆう会館童謡歌う会
サ・高・住の老人ホームから東京の外れ武蔵野の一画柳窪と言う所に写真のような背の高い麦が植えられています。私も久しぶりに見る麦畑です。しかし戦争の頃収穫量の少ない柳久保小麦は次第に廃れてしまいました。昭和62年から復活する気運が高まり現在は十数軒が麦を育てております。小麦の復活です。昔からうどんを愛する地域であったそうですが、現在は小麦を製粉してうどんラーメンパンかりんとう饅頭などに加工されて東久留米市の特産品となっているそうです。撮影場所東京都東久留米市撮影2024427柳久保小麦やなぎくぼこむぎ東京都東久留米市
サ・高・住の老人ホームから私の俳句常念岳を見上ぐるホーム夏燕缶蹴りの逃げ足はやし春の風年経れば透けて見ゆるもの菊を焚く寒夜更け航空灯の瞬きて俳句を始めて二年お恥ずかしい作品です。撮影私の絵手紙から私の俳句
サ・高・住の老人ホームからチューリップの花は幼い頃から見慣れている普通の花ですね。平凡な誰でも知っている春の花の代表です。昨年末ベランダのプランターにチューリップの球根を植えました。今春きれいに咲いてくれました。球根は特に手入れも要らないし楽でいいですね。花びらが大きく開き切った最後の一日切って花瓶に生け室内で楽しみました。ありがとうサテ球根を来年はどうするか?手を掛けて球根を又大きくする。夏の間に掘り上げて乾燥させるなどお世話すれば良いのですがもう私にはその根気がありません。一年限りの花としようと思います。太き芽の天を突かんとチューリップちえこ撮影202448春の花チューリップ
サ・高・住の老人ホームから今年は春の花が一度に花開いた感じるですね。山吹八重桜まんさく河津桜イカリソウマンサクは地味な花。春早く咲きますイカリソウが、こんなに見事に咲いているのは始めてみました。撮影場所東京都中野区豊島区春の花
サ・高・住の老人ホームから春らしいこんな花かごを頂きました。可愛いいですね。いつも思うのですが、流行りのアレンジメントは確かに美しいですし、手軽に飾れて良いと思います。しかし活けられる花の身になって花から見るとこんな短くきられて、びっちり籠に詰められて、花自身はストレスを感じるでしょうね。オアシスと呼ばれるスポンジに、挿された花は矢張り枯れ易いです。花を解放してやって、皿鉢に活けてみました。撮影2024321花かご
サ・高・住の老人ホームから近頃住宅地を歩いていると生け垣がアカメで美しいですね。生け垣の新芽が赤くてアカメ~と言うそうです。5月6月になるとみどりの普通の葉になっています。英語で、レッドロビンと言うそうです。撮影場所東京都中野区アカメ生け垣
サ・高・住の老人ホームから四月一日の新聞に必ずサントリーからこの広告が掲載されます。新社会人へこの広告はもう何十年続いているでしょうか?初期の頃は開高健さんその後山口瞳さんが書いておられましたね。今回は2000年に故伊集院静さんが、出筆された文を再登場しております。大人の懐の深いあたたかい励ましの言葉です。心に残りますね。サントリーの会社は今回でこの広告を終わりにするという意味でしょうか?新社会人へ
サ・高・住の老人ホームから東京も桜満開の宣言4月4日曇り空でしたが、花見に出掛けました。中野区の哲学堂公園しかしここの桜は満開というには少し早い気がします。毎年思うのですが、桜の花を上手く撮影するのは難しいですね~いつも、何だか白っぽく映ってしまいます。近くにある菓子店ロイスダールでティータイム撮影場所東京都中野区哲学堂公園今日の桜
サ.高・住の老人ホームから二泊三日の山口県萩市への旅も終わりました。往きと帰りの日晴れ真ん中の見物の日は彼岸荒れでした。その帰り道新幹線の車窓から富士山がぱっちりと見えました。春には珍しいことです。吉田兼好が言うように、旅すれば、誠に目さむる心地する~です。そして旅は人生の学校です。想定外のことが常に起こりますから、その時どう対処するか?私はもう年寄りですから、無理をせず穏やかな方法を選びます。~とは言え頑張ってしまう時もあります。ともあれ、自分で計画したことが実行出来てうれしいです。富士山旅の終わり
さサ・高・住の老人ホームから今山口県萩市の町並み保存地区を見物中です東京から東海道新幹線山陽新幹線&バスで四時間以上かかります。二泊三日の予定。真ん中の見物の日天候は大荒れで強風雨霰まで降りました。仕方なくタクシーで主な町中を見物。ご存知のように、萩市は武士の町で現在はその屋敷後が残っております。江戸時代のお家が残っている家又は土塀と門だけ残っている家等様々です夏みかんの町でもあります。ゆっくりと町中を歩きたかったのに、車窓から眺めるだけでした。期待の50パーセントぐらいしか観光出来ませんでした。マア人生そんなものでしょう。萩市内を流れている松本川は強風のため白波が立っておりました。松本川は日本海に注ぐ。でも山と川と海に囲まれて萩市はよい所でここで暮らす子どもさんはよい子に育つでしょうね。撮影202432山口県萩市
サ・高・住の老人ホームからあなた様は朝何時頃起きられますか?朝4時とか5時とか私はその時間は夢の中です。春眠暁を覚えず。いくらでも眠れますね。精神医学者の話では朝目覚めた時の気分が重要だそうです。もちろん明るく爽やかな方が良いのでしょうが~~私はそうは行きません。別に悪くはないのですが、動作が全てのろのろとしておりますよ。昼過ぎると、あれもこれもしなければ~~と急に動き始めます。あなた様は如何ですか?春眠暁を覚えず
かサ・高・住の老人ホームから近くの区民センターでコンサートが開かれました。演目は親しみ安い曲ばかり。お客様は60名くらいでしょうか。私はこんな少人数のコンサートが好きです心地よい春の午後でした。ただ驚いたのは題が「桜」といった時私の頭のでは「さくらさくらやよいの空は~」を思い浮かべたのですが、現代では、森山直太朗さんの「さくら」が常識なのですね。演奏者の若い女性二人は、以前高島ちさ子さんのバイオリングループ12名の経験者だそうです。今はちがいますが。撮影弦楽四重奏コンサート
なサ・高・住の老人ホームから我が老人ホームの経営会社側の主催で時々開かれるお茶会です~~と言う程大げさでもありませんが。10人程が集まりまてマシユマロのお菓子を頂きました。献立はバナナの上にマシユマロを置いてチョコレート掛けしたものビスケットの間に柔らかくしたマシユマロを挟んだ品マシユマロを焼いて飴状にした品~~竹串に刺してある。ココアにマシユマロを浮かべた飲み物以上です~~会費800円私はお菓子を食べるより知らない方と、お話し出来良い機会だと思って出席しております。会場は食堂です。撮影20240229お茶の会マシュマロアレンジ
サ・高・住の老人ホームから椿の花の美しい頃ですね。私は毎年のようにある俳句を思い出します。赤い椿白い椿と落ちにけり河東碧悟桐大変印象的な句で椿の白と赤色が目の前に浮かびます。しかし自然を観察してと言うより作者の観察していたことが、頭の中に一つのイメージとして浮かび上がって作った句でしょうね、最近そう思うようになりました。如何でしょうか?最近の新聞歌壇に面白い短歌を発見思わず同感同感と笑ってしまいました。いつぞやはお世話なりましたと言われてもそのいつぞやは一体いつぞや守口市小杉なんぎん読売新聞歌壇20240122黄水仙はベランダの鉢植えで咲いたものです。椿の俳句
サ・高・住の老人ホームからフランス語でフレールとは「兄弟」と言う意味だそうですが、本当の兄弟ピアノデュオです。1台のピアノで四手~~クラシックではない独特の音の世界を作り出します。男盛りの二人が、全力で弾く音の世界で迫力があります。20年のキャリアがあるそうですよ。会場は豊洲シビックセンターホールこのホールのグランドピアノはイタリア製のファツィオリF278だそうです。普通ホールのピアノはスタンウェイがおおいです。豊洲のレストランでおいしいものを食べまして、幸せな一日でした。誘ってくれた娘に感謝です。撮影2024212レ・フレールコンサート
サ・高・住の老人ホームからこんな美しいケーキを頂きました。バームクーヘンに苺のデコレーションがしてあるのですね。直径12センチ奈良県桜井市の天平庵の製品撮影2024219春のケーキ
サ・高・住の老人ホームから勿論、個人差があると思いますが私は今85歳半です。しかし、85歳になって急に老人ぽくなりました。我ながらそう思います。全身から、何だか力が抜けたような感覚があります。頭も回らなくなって、発話したいと思っても、言葉が出て来ません。固有名詞も中々出ません。次の日なってやっと思い出すのです、いろんなことをするのがおっくうになって来ました。ツイ明日でいいや~~と先送りになります。これが老いと言うものでしょうか?ならば84歳と85歳の間には何があるのでしょうか?深い谷があるのかしら。老いの坂道をガクンと一段落ちた実感があります。撮影場所東京都中野区84歳より85歳へ老いの坂道
サ・高・住の老人ホームからお友達と連れ立ちて梅見に出掛けました。2日前に降った雪が、未だ残っておりましたが、文句ない穏やかな晴天でした。紅白梅が咲きそろい、丁度見頃でした。このこの公園の奥まったところで中村汀女さんの句碑を見つけました。「外にもでよふるるばかりに春の月」中村汀女汀女さんはこの近くにお住まいだったとか撮影場所梅が丘下車小田急線世田谷区撮影202428梅が丘梅日和
サ・高・住の老人ホームから年賀状のお年玉切手当選番号の発表があったので、私が頂きました賀状を調べて郵便局から切手をもらってきました。美しいシート。30数枚賀状がありまして、その内3枚の切手シートが当たっていました。こんなことも老人の楽しみです。あなた様は毎年の賀状をどうしておられますか?年寄り仲間でも、止める方が多くなりました。若い人では初めから一切賀状など出さないという人も多くて。私も迷いますが、矢張り新年に頂くと嬉しいので、もう暫くは続けようかと思います。この新年の賀状交換の歴史はそんなに古く無いそうで明治以降だそうです。将来は消えてしまう行事なのかしら~~。年賀状の年賀切手
サ・高・住の老人ホームから最近はこんな小さなチューリップ売っているンですね。クロッカスかと思いました。東京では、狭い家が多いので、若い人に好まれるのでしょう。10センチくらいの高さです。娘からのプレゼントです。撮影2024130小さいチューリップ
サ・高・住の老人ホームから無印良品のお店の一部がレストラン~~と言うか食堂になっています、場所は新宿区の真ん中普通に無印良品のお店がありましてその地下室が食堂になっています。ここの良いところは並んでいる小鉢料理から、好きな品を選べることです。今日の私が選んだものは黒毛和牛のメンチカツ高野豆腐と根菜の煮物大学芋とクリームチーズ味噌汁この部屋は広くて清潔感があり、気に入りました。天上に輝くシャンデリア!と思い見上げると、これは全部ガラスのワイングラスが掛けてありました。装飾用です。アイデアが、いいですね。お客さんは周囲で働く方々が昼食を取りに来られているようです新宿区新宿3丁目CafeandMealMUJI撮影2024123無印良品のレストラン
さ・高・住の老人ホームから昨年秋12月特別美しい建築物を見学してきました。場所は港区白金。昭和8年に完成したフランスではやっていたアールデコの洋式建築物です。勿論戦後まで、朝香宮さまがお住まいになっておられました。立派なお家の入ると玄関に背の高さの巨大な花瓶のような瀬戸物~~お客様の時この中から香水のような良い香りが漂うそうです~~現代の言葉で言えばアロマですね。驚いたのはウインターガーデンと呼ばれる部屋~~床が白黒の市松模様であったことこれは、かの有名なフエルメールの絵にたびたび描かれていますよね。同じ感じの床模様ですね。どのような関係があるのでしょうか?撮影202312月東京都庭園美術館旧朝香宮邸
サ・高・住の老人ホームから今月8日は成人の日でした。成人の日の朝刊を楽しみにしております。サントリーの会社が成人の方々にお祝いメッセージの広告を載せるからです。この日の広告は開高健さんから始まりもう何年続いているこのでしょう、今年の広告成人した方々へのメッセージは、伊集院静さんが書いた文。伊集院さんは其れ以前10月に亡くなりましたからこの文は遺稿となりました。長い人生を歩んだ大人が若い人々にエールを送るのは気持ちの良いもうですね。撮影202418成人の日の励まし
サ・高・住の老人ホームから昨年秋実妹が亡くなりました。S字結腸癌78歳。前からお腹が痛いと医者にも言っていたそうですが、発見が遅れて。内臓のガンは発見が難しいそうです。発見されてから3ヶ月しか持たなかったですね。このことは今胆嚢ガンを治療中の私には少しショックでした。遠く田舎に暮らしていた妹です。時間がたつに連れてさみしいと言うか悲しいというか~~。虚しいと言うか複雑な心境です。撮影20236月妹の死
サ・高・住の老人ホームから雪の降る能登半島の皆さんには申し分けないほど東京では晴天続きでして気持ち良く過ごしております。それで困るのは乾燥です。余り乾燥続きだとも風邪引き易いしお肌も困ります。私の部屋で、スチーマー加湿器を使用しております。勿論使った方が、健康のため良いですね。毎晩一杯水をセットしてから寝ます。又寝る前の顔クリームを購入しました。ロキシタンのクリームでお値段にびっくりですが、新会員とか~見本を沢山くれました。これ以上お顔の皺を増やしたくないのですが~まあ人生は思いどおりいかないことが定説ですから。お風呂上がりの濡れたタルルも部屋の中に干しています。撮影20241月乾燥の日々
サ・高・住の老人ホームから初詣東京では七日過ぎると正月飾りは全部外してかたずけます関西は15日まで、御飾りはそのままですね。近所の氷川神社小さい神社ですが、元旦は沢山の方がお参りされて、行列です。私は三日にお参りして来ました。願うことは、子供たちの家族も加えて七人の健康と安全を御守りください~とお祈りしました。しかし、元旦早々に起こった能登半島地震を思うと心が晴れませんね。特にテレビ画面で見るお年寄りの姿は、悲しく、何とも言えません。自然災害とは言え~少しでも安らぎの方向に進みますように。でも、他国で起こった戦争は、人間同士が始めたことですから、やめようと思ったら止めらることなんです今年は是非止めて、平和が来ますように。撮影場所東京都中野区初詣氷川神社
サ・高・住の老人ホームからお正月は何もしないと言いながら年末には黒豆を買っ来て煮ておりました。丹波の黒豆です。私の最近の黒豆の煮方は、黒豆は洗っておきます。一方規定の水に、調味料を全部加え煮立たたせます。火は止めて、洗って置いた黒豆を全部鍋に入れて、そのまま一晩置きます。次の日それを煮始めます。黒豆を煮るには気を長くして、弱火でコトコトと煮ます。強火で豆が踊るようなことはバツです。完全に豆が柔らかくなってから、砂糖を加えます。水分が多いようでしたら煮汁だけ取り出し煮詰めたりします。何と言うか~日本料理の伝統の良さを感じますね。撮影202312丹波黒豆を煮る
サ・高・住の老人ホームから令和六年始まりました。あなた様にとってこの年も良いお年でありますように。良いお年と願っておりましたが元旦早々大地震が起こりました。能登半島の皆さん本当に大変ですね。寒い冬に、皆さんどんなにかお困りのことでしょう私も心して生活しなければ。撮影場所奈良長野県八ヶ岳東京都中野区撮影2023910新年おめでとうございます。
サ・高・住の老人ホームから2023年ももう過ぎさろうとしています。あなた様はこの1年如何でしたか?私にとって一番うれしい出来ことは胆嚢ガン手術後1年目の検査でOKが出たことです。この調子で次の一年を頑張ります。五年過ぎないと寛解とは言えません。又この一年で、老化したことも自覚しています。老いの坂道は厳しいです。あらがうことは出来ません。でも、与えられた命ゆっくりと楽しげに明るい気持ちで来年も過ごそうと思っております。あと1時間後除夜の鐘が聞こえて来るでしょう。私の部屋にもはっきり聞こえてきます。あなた様にも新年が良いお年でありますように。楽しく平和なお年でありますように。撮影2023122023年令和5年終わり
サ・高・住の老人ホームからクリスマスの日どうしても買いたいものがありまして日本橋のデパ地下へ行ってきました。マアその混雑振りにびっくりでした。食料品店の各お店の前は行列で、前にも後ろにも進めません。大変なものですね。やっと目的の店を見つけられました。昼ご飯はデパートの中では無理なので、隣のビルの二階にティールームらしいのが有るようで、やっと食にありついた感じでした。なんでも、お値段が高く、でも高価な品が又どんどん売れて行くのですから、東京は矢張り「凄い」都市です。その生活もお値段も天井知らず~ですから。私のようなおばあさんは混雑の日には出かけない~に限ります。人混み混雑
サ・高・住の老人ホームから12月25日クリスマス私の狭い部屋にも少しばかりクリスマスの飾りをしました。赤い花束は頂き物で、部屋の中が明るくなりました。クロスステッチの刺繍は友人のお手製です。アドベントカレンダーは毎日ペチッと日付のところに丸いボタンを付けて行きます。ボタンの色を考えて付けてゆくのも楽しいですね。今年のクリスマスは教会にも行かず、普通に過ぎて終いましたね。心地よい小春日和でしたのに。クロスステッチ私のクリスマス
サ・高・住のホームから再びカボチャのお店へ行ってきました。お店の壁もテーブルもカボチャ色になっています。カボチャのケーキプリンビスケットパイサンドイッチピザなどオールカボチャです。矢張り女性のお客さんが多いですね。撮影場所東京都世田谷区松陰神社通り松陰神社下車カボチャのパイカボチャの店
サ.高・住のホームからこんな本読みました。熊谷啓著佛伝図からみる「お釈迦さまの生涯」2023年自費出版著者熊谷氏がお釈迦様の誕生の地からその生涯を全部現地に入ってたくさんの写真を撮って来られてます。大昔のことですから、お釈迦様の行動や道中で起こったエピソードなど、石に彫刻して、各地に残っているのですね。村人が残した石仏も撮影して、紙上で解説しておられます。何度も現地に足を運ばれたことでしょうお釈迦様は何時お生まれになったか?紀元前五世紀頃諸説有り何歳まで生きられたか?80歳まで、当時としては大変長生きですね。何処でお生まれになったか?現代の地図で言えばネパール領ルンビニです。私が何時も思うのは各分野に於いて市井に立派な方がおられます。大学の教授ではなく、独自と言うか、自分の内に一つの大学を打ち立ておられる...こんな本読みました。
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サ・高・住の老人ホームから。今年も何回か金柑の甘煮を作りました。私の作は生姜を細切りにして加えます。生姜は体に良いですから先日NHKの今日の料理を見ておりましたら甘煮に更に酢を加えて煮るのをやっておりました。私もちょっとトライしてみようとやって見ました。金柑+生姜+酢+水出来上がった金柑酢煮はおいしいかどうか?好みは人に寄って分かれると思います。私個人はもう少し酢の分量を減らした方が良いと思います甘好きの私には微かに酢が入っているくらいが好みですね。撮影2025228金柑と生姜と酢
サ・高・住の老人ホームから。私の俳句始めて三年くらいの実力で、お恥ずかしのですが~~。身軽さの裏は寂しさ春隣発ちし子の箸洗いおり冬日影寒夜更け航空灯の瞬きて包丁研ぐ砥石の窪の水の秋常念岳を見あぐるホーム夏燕年経れば透け見ゆるもの菊を焚く北国の大雪のニュースが続いてます。それに引き換え東京都は連日の晴れの日が3週くらい続いております北国の方には申し訳ないような気持ちです。今日も私のブログを見て頂きありがとう御座います。感謝致します。撮影場所長野県撮影202231私の俳句
サ・高・住の老人ホームから。1月末我が家の親戚関係が集まって女性会を開きました。私娘息子の嫁さん従姉妹二人合計五名です。私が1番年長者ですからなるべく発言は控えておりました。若い女子たちは、良く食べ良く喋りますね。華やかです。都会では昔のように法事など仏事の集まりも少なく、皆さん仕事を持って忙しいですから、たまには顔合わせの良い機会だと思います。会場は東京都三井ガーデンホテル神宮外苑の杜プレミアのホテルでした。このホテルの目の前に新しい国立競技場がそびえておりました。撮影場所東京都新宿区都営地下鉄国立競技場駅下車撮影20250125我が家の女子会
サ・高・住の老人ホームから。お友達と梅の花鑑賞に出掛けました。私の下手な俳句駅の名は梅が丘とやはだら雪まずお天気に恵まれました。暖かい日で風も無く、そぞろ歩きにぴったりの日でした。苑内に中村汀女さんの句碑がありました。外にも出よふるるばかりに春の月汀女撮影場所東京都世田谷区小田急線梅が丘下車2025212撮影梅の花
サ・高・住の老人ホームから。私の病気のこと聞いて下さいますか?2017年秋食道癌を患いました。今食道癌~~手術から丸七年過ぎました。寛解と言えるでしよう皮膚癌~~腰の辺りに出来ておりました。ボーエン病。手術を受け切り取りまして20センチもある傷跡。今何の痛みも違和感ないです。完治したですね。胆嚢癌~~これは手術を受けて丸2年過ぎました。胆嚢を摘出しました。半年ごとの定期検査にはきちんと受けておりましす今後どうなりますか。丸5年過ぎないと寛解と言えないそうです。どうしてこんなにガン体質になったのか、分かりません。それなりに、気を付けておりましたが。変えられないこと「病気」などは、静かに自分の内に受け入れていくしか、仕方なくですね、そしてなるべく穏やかに楽しい気持ちで最晩年を過ごしたいと願っています。あと、何...健康問題
サ・高・住の老人ホームから。丹波篠山市の中心部から離れて福住町があります。京都に近い場所。丹波篠山から京都に出る街道の宿場町として栄えました。西京街道~~この地区の人々は農家をしながら宿泊業もしていたそうです、ですから文化も京文化の範囲だったでしょうね。立派な家並みが続きます。私の時間の関係でゆっくり見学出来なくて残念しました。今回の旅行は天候に恵まれ幸いでしょう。撮影場所兵庫県丹波篠山市福住町2024122丹波篠山福住
サ・高・住の老人ホームから。大阪駅から福知山線の乗って丹波篠山市に到着重要伝統的建造物保存地区に指定されている街並みを歩きました。ゴミひとつ落ちてない。すっきりした清潔感のある町でした。ひとつは、電信柱を全部地中に埋めたことでしよう以前この地区を訪問した政治家の菅さんのアドバイスでそのように実行したそうです。この古民家のひとつを改築した一軒家に1泊しました。トイレお風呂ベッドは近代的に改築してあります。12月晩秋でした夕方山々に囲まれた畑でおそらく豆殻でしよう畑で燃やしている光景が、いくつも有りその煙が棚引いて、まるでミレーの絵「落ち穂拾い」や「晩鐘」のようて、忘れ難い思い出になりました。撮影場所兵庫県丹波篠山市河原町2024年12月2日丹波篠山市福知山線
サ・高・住の老人ホームから。昨年12月初め兵庫県丹波篠山市に行って来ました。丹波篠山のイメージはと言いますと皆さん「黒豆」と答えられます。その通り日本一の「黒豆」の産地です。しかし私が今回訪問の目的は、旧い街並みが~~江戸時代又は明治時代の家並みが残っていることです。幸いなことに、先の戦争中も被害は無かったらしく。しっとりと落ち着いた街並みが続きます。文化化圏としては、大阪神戸の文化が昔から入っていたのでしよう丹波篠山市の車のナンバーは皆神戸ナンバーでした。静かで落ち着いた街並みを御覧ください。丹波篠山
サ・高・住の老人ホームから。以前も見たことがあるのですが、タイトルがラジオなのにテレビ番組です病院の中に臨時のスタジオを作って入院中の人や、通院の方が、現在の思いを語る番組です特に何かをする訳でも無くいわゆるトーク番組ですタレントのサンドイッチマンのお二人が、上手に患者さんの話を聞きだすのです。深刻になり過ぎず、明るく話す人が多いですね。私は近年何度か、入院退院を繰り返しましたから、患者さんの言葉が一つ一つ身につまされます。当たり前のことですが、病気になりたくてなった人は一人も無く、皆、突然思いがけなく発病入院となるのです。2025年1月13日祝日朝8時15分からNHKテレビ放送しておりました。病院ラジオ
サ・高・住の老人ホームから。新しい年になっ10日も過ぎました。まことに遅ればせながら新年のお祝いを申し上げます。あなた様は良いお年をお迎えでしょうか?新年の願いは健康で穏やかにこの年をお過ごすこと。朝自己流の5分間体操を続けること。体操教室も続けること。身辺を整理してなるべく身ぎれいにしておくこと、例えば洗面台の流し鏡など、度々拭いてさっぱりさせて置きたい。服装もそれなり気を使うことゆったりと楽しい日々を過すことが願いです。今年の願い
サ・高・住の老人ホームから。あなた様はよいお年をお迎えになりましたか?元旦の夜はテレビでニューイヤーコンサーウィーンから。毎年楽しみにしております。音楽のことは分かりませんがワルツとかポルカなど気持ちが良いですね。楽しいです。毎年世界の90カ国に生中継されているそうです。ウィーンの楽友会ホールの観客の中には何人かの日本人もおられましたね私から見れば正に夢の世界です。一番最後の曲ラデッキー行進曲のときはテレビの前で手拍子をしておりました。撮影202511ニューイヤーコンサート
サ・高・住の老人ホームから。あなた様はよいお年をお迎えになりましたか?元旦の夜はテレビでニューイヤーコンサーウィーンから。毎年楽しみにしております。音楽のことは分かりませんがワルツとかポルカなど気持ちが良いですね。楽しいです。毎年世界の90カ国に生中継されているそうです。ウィーンの楽友会ホールの観客の中には何人かの日本人もおられましたね私から見れば正に夢の世界です。一番最後の曲ラデッキー行進曲のときはテレビの前で手拍子をしておりました。撮影202511ニューイヤーコンサート
サ・高・住の老人ホームから。老人ホームのお正月私のホームは食事は個人の自由です。入居者が一斉に同じ物を食べることはありません私も手抜きながら、自室でささやかなおせち料理を作りました。お雑煮も作りました。神社お参りに行きましたが拝殿の前は長い行列で、遠くから、お参りをさせて貰いました。落葉を拾って来て、絵手紙を描いておりました。今日の入り日も、美しい夕暮れでしたね2025年最初の日こんな一日でした。撮影202511元旦
サ・高・住の老人ホームから。あと9時間くらいで、2024年が終わります。あなた様にとってこの年は如何でしたか?良い1年でしたかしら?私にはマアマアの1年間でした。自分でも、この1年で随分年を取ったと自覚しております。体の動き動作がノロくなりました。頭の判断力も遅くなりましたね。又頭の髪の毛厳しかった暑さのせいか髪の毛が秋に随分抜けて頭髪がスカスカになりました。緩やかだった老いの坂道が急にドスンと落ちた感じです。悲しいことですが、老人だから老いてゆくことは避けられませ。自然に従うことです。老人らしく暮らします。しかし、今年は入院する程の大病は無しで幸いでした。今胆嚢癌の手術から2年目を歩んでおります。あと3年過ぎないと寛解とは言えませ。この1年間感謝して、終わりたいと思っております。あなた様も良いお年をお迎...2024年終わる
サ・高・住の老人ホームから。あるグループで、国立競技場見学ツアーがありました。東京オリンピックの会場です。地下鉄の入り口を上がると、目の前に国立競技場がそびえ立っております。今日は内部の見学は無しです。有料で内部も見学できるそうですが今日はナシ外のエレベーターで5階まで上り周囲の景色を見ながら、グルーと1周できます「空の森」と名が付いています。巨大な建物で、ただ驚くばかりです。寒い日で、大変でした。撮影20241212撮影場所東京都新宿区霞ヶ丘町4丁目都営大江戸線国立競技場駅A2出口国立競技場
サ・高・住の老人ホームから。キャロットケーキを焼きました。全く初めてでしたが、上手く焼けて、おいしいと言ってくれました。世の中皆さんプレゼントを交換したり楽しい日ですね。昔シスターの渡辺和子さんが、うれしいプレゼントを交換しあった後さてあなた様は天の神様何をプレゼントしますか?と言われおりました。耳の痛い言葉ですね。あなた様も楽しいクリスマをお過ごし下さいませ。撮影2024年12月私のクリスマス
サ・高・住の老人ホームから。近くの古いお寺さん200年くらいの銀杏の木見事な黄葉で、明日にでも風が強ければ皆舞落ちるでしょう。今日限りの見事さです。有名な神宮外苑の銀杏です。もう半分くらいの木は落葉しておりました。12月12日現在1年を終わる最後の輝きでしょうか?撮影情報12月13日12月12日今日をかぎり
サ・高・住の老人ホームから。中野サンプラザの名前はご存知ですか。JR中野駅前に立っている巨大なビルです。築50年とか。建て替えが決定して今は全部使用しておりません。周りを大きく囲って、人々が入れ無いようにしてあります。今後どうするか?当初の中野区の予算計画から建築費が大きく変わって計画がゆきずまっているらしい。今後どうする?日本は人口減少期に入っているのですからそれらを考慮して、ビル建築を考えないと~です。20241117撮影なかのサンプラザ
サ・高・住の老人ホームから。或る日の新聞のコラムに次のような言葉がありました。”明るく”あきらめるのがいいね柚木沙弥郎、染色家朝日新聞「折々のことば」2023年11、26年を取ると、出来ない又はあきらめなければならないことが多くなります。体力的なことで、出来ないやめなければならないことが当然あります。希望でも私は人生の最後に犬をもう一度飼いたかったでもこの住宅では飼えませ。あきらめました。老人夫婦が手を取りあって横断歩道を渡ってたりしていると、羨ましと思います。昔私たちも仲良く横断歩道を歩いたことがあります。でもそれらは卒業したの~~と思うことにしております。夫はあの世に出張中。美味し食べ物をまだまだ食べたいです。でも歯が弱くなって固い食べものは噛みきれませ。故にあきらめております。でもこれまで沢山美味し...楽しくあきらめる
サ・高・住の老人ホームから。東京都上野公園田中一村展を見て来ました。幼い頃から神童と言われる位絵が上手だったそうで、沢山の絵が会場一杯に展示してありました。しかし、世間的には余り評価されず展覧会でも余り入賞しなかったらしい。50歳の時奄美大島に移り心に映った自然を彼独自の表現で、描き出しました。彼の晩年の絵は心打たれるものがありますね。大好きになりました。彼は生前は経済的にも恵まれず、画壇でも評価されず無名のまま終わりました。田中一村は1908年ー1977年没東京都上野の東京都美術館で開催中田中一村展
サ・高・住の老人ホームから先月のある朝まだ睡眠中部屋の台所辺り天井から、非常ベルのような音とともに【火災発生直ちに避難して下さい】と叫ぶのです。私は全くの寝ぼけ眼で状況が分からず、ボ-としておりました。エ―火事!そんな~部屋の中をうろうろと23回歩きました。そしてベランダに出て上や周囲を見回しましたが何もありません。火事らしい臭いもなし。玄関のドアを開けましたが、変化なし。非常ベルとアナウンスはまだ続いましたが、私の部屋から、問い合わせる術も分からない。何処の誰だか間違えて非常ベルでも押したのかしら朝の5時からどうしたの?諦めてベッドに戻りました。その日の午後プリントが配られて、真相が分かりました。14階の方が個人的に持って来た魚焼きを使用してその煙が部屋に充満して火災警報器が感知して非常事態になり消防署...火災警報
サ・高・住の老人ホームから今回はサントリー美術館が持っている名品の数々を展示していました。美しい品々が並んでいました。なかでも私の目を引いたのは、文箱と言うか手箱と言うか金色の美しい箱です。北条政子が使っていたそうです。鎌倉時代にあんなに手のこんだ美しい品を使用出来たのは、矢張り最高権力者の奥様だったからでしょう。北条政子が触った品かと思い、よく眺めてきました。同じこの手箱が日本国内に10個あると説明にありましたが本当かしら?別の話ですが1874年ウィーン万博に出展して帰路その時の運搬船が嵐に合い沈没して手箱は深海に沈んでしまったそうです。伊豆半島沖だそうです。撮影2024511サントリー美術館名品迷品
サ・高・住の老人ホームから哲学堂公園~と言う不思議な名前の公園明治37年哲学者井上円了によって作られた公園です。井上円了は東洋大学の創立者でもあります。又勝海舟ともお知り合いだったとか。歴史が古いですね、広い公園内には難しい哲学的な名前の付いた建造物や祠のような物が点在しております。哲学的理論は残念ながら私には理解出来ません。残して下さった美しい公園の緑を楽しんでおります。17000坪の広い公園の中現在は、グランドや、体育館等の施設が在り区民の皆様に親しまれています。哲学堂公園東京都中野区松ヶ丘1丁目最寄り駅西武新宿線新井薬師駅下車哲学堂公園東京都中野区
サ・高・住の老人ホームからある会のメンバーとマンガの聖地トキワ荘に行きました。私たちの時代にはマンガが市民権を得るなんて考えもしませんでした。今やマンガアニメーションの世界は大変なものだそうです。日本国内は勿論、世界中に人気の由池袋近くのモルタルアパートは昭和26年当時そのままに再現された建物です。後に有名になられるマンガ家が、集まって、その才能を磨いておられました。ゆかりのマンガ家たち赤塚不二夫、石ノ森章太郎鈴木伸一、手塚治虫、寺田ヒロオ藤子不二雄昭和20年代後半から昭和30年代ですから、ラーメン一杯50円とか、トキワ荘の家賃が3000円とか。辺りの商店街も昭和の感じのレトロな通りです。トキワ荘の住所は東京都豊島区南長崎3-9-22南長崎花咲公園内最寄り駅都営大江戸線落合南長崎駅トキワ荘マンガミュージアム
サ・高・住の老人ホームから東久留米市の志しある方々が案内してくださって、江戸時代からの農家四軒を見学する会です。東久留米市は東京都の近郷ですから、どんどん宅地化されてゆきました。昔からの武蔵野台地生け垣カシケヤキの大木屋敷林民家白壁の土蔵群が消えて行きそうでした。そんな中志ある方々が、行政にも働きかけ保存された地区です。経済的には大変な道を選ばれて、今日に至っています。なかでも「村野家住宅」は国の登録有形文化財に指定されています。この辺りは団地新築住宅に囲まれていますが、この一画だけは「緑地保全地域」なり、「みどりの島」のような具合です。昔ながらの武蔵野台地そのままですね。撮影場所東京都東久留米市柳窪撮影20240427東久留米市みどりの島
サ・高・住の老人ホームから三ヶ月に一度くらいの間隔で歌う会があります。会場は世田谷区のゆうゆう会館歌う時歌詞が前に大きく出ますから皆で大声で歌います。マア昔の歌声喫茶の乗りですね昔の小学唱歌など懐かしいです。例夏はきぬ鯉のぼりこいのぼり埴生の宿蛙の笛椰子の実等コロナで長く黙っていたせいでしょうか~歌うことは本当に気持ち良いですね。内にたまっていたものを吐き出す気持ちです。撮影場所は世田谷ゆうゆう会館童謡歌う会
サ・高・住の老人ホームから東京の外れ武蔵野の一画柳窪と言う所に写真のような背の高い麦が植えられています。私も久しぶりに見る麦畑です。しかし戦争の頃収穫量の少ない柳久保小麦は次第に廃れてしまいました。昭和62年から復活する気運が高まり現在は十数軒が麦を育てております。小麦の復活です。昔からうどんを愛する地域であったそうですが、現在は小麦を製粉してうどんラーメンパンかりんとう饅頭などに加工されて東久留米市の特産品となっているそうです。撮影場所東京都東久留米市撮影2024427柳久保小麦やなぎくぼこむぎ東京都東久留米市
サ・高・住の老人ホームから私の俳句常念岳を見上ぐるホーム夏燕缶蹴りの逃げ足はやし春の風年経れば透けて見ゆるもの菊を焚く寒夜更け航空灯の瞬きて俳句を始めて二年お恥ずかしい作品です。撮影私の絵手紙から私の俳句
サ・高・住の老人ホームからチューリップの花は幼い頃から見慣れている普通の花ですね。平凡な誰でも知っている春の花の代表です。昨年末ベランダのプランターにチューリップの球根を植えました。今春きれいに咲いてくれました。球根は特に手入れも要らないし楽でいいですね。花びらが大きく開き切った最後の一日切って花瓶に生け室内で楽しみました。ありがとうサテ球根を来年はどうするか?手を掛けて球根を又大きくする。夏の間に掘り上げて乾燥させるなどお世話すれば良いのですがもう私にはその根気がありません。一年限りの花としようと思います。太き芽の天を突かんとチューリップちえこ撮影202448春の花チューリップ
サ・高・住の老人ホームから今年は春の花が一度に花開いた感じるですね。山吹八重桜まんさく河津桜イカリソウマンサクは地味な花。春早く咲きますイカリソウが、こんなに見事に咲いているのは始めてみました。撮影場所東京都中野区豊島区春の花
サ・高・住の老人ホームから春らしいこんな花かごを頂きました。可愛いいですね。いつも思うのですが、流行りのアレンジメントは確かに美しいですし、手軽に飾れて良いと思います。しかし活けられる花の身になって花から見るとこんな短くきられて、びっちり籠に詰められて、花自身はストレスを感じるでしょうね。オアシスと呼ばれるスポンジに、挿された花は矢張り枯れ易いです。花を解放してやって、皿鉢に活けてみました。撮影2024321花かご
サ・高・住の老人ホームから近頃住宅地を歩いていると生け垣がアカメで美しいですね。生け垣の新芽が赤くてアカメ~と言うそうです。5月6月になるとみどりの普通の葉になっています。英語で、レッドロビンと言うそうです。撮影場所東京都中野区アカメ生け垣
サ・高・住の老人ホームから四月一日の新聞に必ずサントリーからこの広告が掲載されます。新社会人へこの広告はもう何十年続いているでしょうか?初期の頃は開高健さんその後山口瞳さんが書いておられましたね。今回は2000年に故伊集院静さんが、出筆された文を再登場しております。大人の懐の深いあたたかい励ましの言葉です。心に残りますね。サントリーの会社は今回でこの広告を終わりにするという意味でしょうか?新社会人へ
サ・高・住の老人ホームから東京も桜満開の宣言4月4日曇り空でしたが、花見に出掛けました。中野区の哲学堂公園しかしここの桜は満開というには少し早い気がします。毎年思うのですが、桜の花を上手く撮影するのは難しいですね~いつも、何だか白っぽく映ってしまいます。近くにある菓子店ロイスダールでティータイム撮影場所東京都中野区哲学堂公園今日の桜
サ.高・住の老人ホームから二泊三日の山口県萩市への旅も終わりました。往きと帰りの日晴れ真ん中の見物の日は彼岸荒れでした。その帰り道新幹線の車窓から富士山がぱっちりと見えました。春には珍しいことです。吉田兼好が言うように、旅すれば、誠に目さむる心地する~です。そして旅は人生の学校です。想定外のことが常に起こりますから、その時どう対処するか?私はもう年寄りですから、無理をせず穏やかな方法を選びます。~とは言え頑張ってしまう時もあります。ともあれ、自分で計画したことが実行出来てうれしいです。富士山旅の終わり
さサ・高・住の老人ホームから今山口県萩市の町並み保存地区を見物中です東京から東海道新幹線山陽新幹線&バスで四時間以上かかります。二泊三日の予定。真ん中の見物の日天候は大荒れで強風雨霰まで降りました。仕方なくタクシーで主な町中を見物。ご存知のように、萩市は武士の町で現在はその屋敷後が残っております。江戸時代のお家が残っている家又は土塀と門だけ残っている家等様々です夏みかんの町でもあります。ゆっくりと町中を歩きたかったのに、車窓から眺めるだけでした。期待の50パーセントぐらいしか観光出来ませんでした。マア人生そんなものでしょう。萩市内を流れている松本川は強風のため白波が立っておりました。松本川は日本海に注ぐ。でも山と川と海に囲まれて萩市はよい所でここで暮らす子どもさんはよい子に育つでしょうね。撮影202432山口県萩市
サ・高・住の老人ホームからあなた様は朝何時頃起きられますか?朝4時とか5時とか私はその時間は夢の中です。春眠暁を覚えず。いくらでも眠れますね。精神医学者の話では朝目覚めた時の気分が重要だそうです。もちろん明るく爽やかな方が良いのでしょうが~~私はそうは行きません。別に悪くはないのですが、動作が全てのろのろとしておりますよ。昼過ぎると、あれもこれもしなければ~~と急に動き始めます。あなた様は如何ですか?春眠暁を覚えず
かサ・高・住の老人ホームから近くの区民センターでコンサートが開かれました。演目は親しみ安い曲ばかり。お客様は60名くらいでしょうか。私はこんな少人数のコンサートが好きです心地よい春の午後でした。ただ驚いたのは題が「桜」といった時私の頭のでは「さくらさくらやよいの空は~」を思い浮かべたのですが、現代では、森山直太朗さんの「さくら」が常識なのですね。演奏者の若い女性二人は、以前高島ちさ子さんのバイオリングループ12名の経験者だそうです。今はちがいますが。撮影弦楽四重奏コンサート
なサ・高・住の老人ホームから我が老人ホームの経営会社側の主催で時々開かれるお茶会です~~と言う程大げさでもありませんが。10人程が集まりまてマシユマロのお菓子を頂きました。献立はバナナの上にマシユマロを置いてチョコレート掛けしたものビスケットの間に柔らかくしたマシユマロを挟んだ品マシユマロを焼いて飴状にした品~~竹串に刺してある。ココアにマシユマロを浮かべた飲み物以上です~~会費800円私はお菓子を食べるより知らない方と、お話し出来良い機会だと思って出席しております。会場は食堂です。撮影20240229お茶の会マシュマロアレンジ
サ・高・住の老人ホームから椿の花の美しい頃ですね。私は毎年のようにある俳句を思い出します。赤い椿白い椿と落ちにけり河東碧悟桐大変印象的な句で椿の白と赤色が目の前に浮かびます。しかし自然を観察してと言うより作者の観察していたことが、頭の中に一つのイメージとして浮かび上がって作った句でしょうね、最近そう思うようになりました。如何でしょうか?最近の新聞歌壇に面白い短歌を発見思わず同感同感と笑ってしまいました。いつぞやはお世話なりましたと言われてもそのいつぞやは一体いつぞや守口市小杉なんぎん読売新聞歌壇20240122黄水仙はベランダの鉢植えで咲いたものです。椿の俳句