chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
鑑三翁に学ぶ[死への準備教育] https://blog.goo.ne.jp/tsuguchan4497

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

tsuguchan
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2020/12/12

arrow_drop_down
  • [Ⅺ 351] ヨブ記巡禮  (20) / ヨブが“うつ”に

    このような「うつ病」「うつ症状」は、多彩な症状や変化を人間にもたらします。「うつ病」へのアプローチは近年総合的に検討されるようになりました。薬物療法も進展しカウンセリングと合わせてアプローチするのが一般的な治療法になっています。また自殺者の大半において「うつ病」が基礎疾患となっていることも解明されつつあります(WHO統計調査)。日本の2020年統計ではわが国の年齢階級別にみた死因は、10~39歳(男女計)の全年齢階級で第1位が「自殺」です。10~14歳の「自殺」については、全死亡の約29%を占め前年第1位の「悪性新生物」に代わって第1位です。また15~29歳では「自殺」による死亡が全死亡の50%以上を占め、「不慮の事故」や「悪性新生物」による死亡を大きく上回っていることに注目すべきでしょう。話が思わず横道...[Ⅺ351]ヨブ記巡禮 (20)/ヨブが“うつ”に

  • [Ⅺ 350] ヨブ記巡禮  (19) / 死は分水嶺

    若い人は人生経験が足らずとも(あるいは人生経験が足りないからこそ)雄弁に語るものです。だからヨブはゾパルの言葉をどのように聞いていたのかがよくわかります。我慢強く若き神学者の言う事に耳を傾けたヨブよ!ゾパルは明らかにヨブの蒙った深刻な経験を知っていながらもその深みを辿ることができずに引き返してしまうので、指導者から習った紋切り型の回答の言葉しか出てこないままヨブに話しかけていることがわかります。特に後半の言葉はゾパルがどうやらおどおどしながら話しかけている様子が見てとれます。ヨブの年齢はわかりませんが多くの人生の時間を経てきた人です。成熟したヨブと若輩のゾパルとが話がかみ合わないのは当然の事でした。神学の面でも義人ヨブの聖書に対する造詣の深さと比較すればゾパルば初学者のレベルだったと推測されます。何よりも...[Ⅺ350]ヨブ記巡禮 (19)/死は分水嶺

  • [Ⅺ 349] ヨブ記巡禮  (18) / 絶望を生きる   

    紀元前4世紀の古代ギリシャにヘロストラテスという人間がいた。彼はエフェソス(現在のトルコ西部)にあったアルテミス神殿を焼き払ったことで知られているが、彼の破壊の動機は一つだけ‥歴史に自分の名を永遠に刻むことだったと言う。「破壊によって名声を得ようとする行為」を指す「ヘロストラティック・フェイム(Herostraticfame)」という言葉があるそうだが、これは現代でも悪名を博するために過激な行動を取る人々に例えられると言う。歴史はその通りに彼の悪名を残した。精神医学者のCGユングはこの男の愚業に触れて次のように記す。「ヘロストラテスのような男の、軽率な一瞬の決断でも、世界の破局の扉を開くのに十分である。われわれの運命がかかっている糸は細くなっている。自然ではなく、”人類の守護神”が、いつでも自らの死刑執行...[Ⅺ349]ヨブ記巡禮 (18)/絶望を生きる  

  • [Ⅺ 348] ヨブ記巡禮  (17) / 神を追い越したヨブ‥とユング翁

    神はヨブを母の胎から生まれせしめ恩寵と共に成長させてくれた。[あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。](詩篇139:13)そしてヨブの心身の成長は誰あろう神ご自身によって行われたものではないか。人間は神がプログラムされてその発生から整然と進行して個体の生命を発生させ、その生育の過程では遺伝子DNAが情報を次々に引き出しながら自分で自分を作り出している。そのプロセスでは性が選択され免疫系/脳神経系が形成されて行き生命は維持されていくが、神はその一方で生命を担保するための老化、死もプログラムされた。人間は言語を獲得し文化を発達させてきた‥そう仕向けてきたのも神ご自身ではないか。このように精緻にヨブという人間を作り成長させ正しい生活をさせ仕事を発展させ幸福な家庭を営むように仕向けて...[Ⅺ348]ヨブ記巡禮 (17)/神を追い越したヨブ‥とユング翁

  • [Ⅺ 347] ヨブ記巡禮  (16) / 神は剛速球の投手

    「ヨブ記」〈第9章〉後半では、ヨブは自分(人間)と神との間に立って裁きを行い、神の声を届け人間の声を届けてくれる「仲保者」の出現を強く意識しています。神と自分とは近い、近すぎるのだ、神の剛速球を直接キャッチするのはあまりに衝撃が強い、神の言葉は大きすぎて受け止め方も難しい、自分の言葉もあまりに微細で細すぎて神には伝わらないではないか、だからその衝撃を緩和して神の意思を中継ぎをしてくれる者が居て欲しい‥というヨブの強い願いです。鑑三翁の講演録ではこの部分については次のように記しています。《三十二節以下はヨブ記中において最も注意すべき語の一である。「神は我の如き人にあらざれば、我かれに答うべからず、我ら二個(ふたり)して共に審判(さばき)に臨むべからず」と三十二節に言う。ヨブは神と己との間に充分なる交通の道な...[Ⅺ347]ヨブ記巡禮 (16)/神は剛速球の投手

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、tsuguchanさんをフォローしませんか?

ハンドル名
tsuguchanさん
ブログタイトル
鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]
フォロー
鑑三翁に学ぶ[死への準備教育]

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用