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2020/12/06

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  • 神社参拝日記・水稲荷神社

    水稲荷神社(みずいなりじんじゃ)概要東京都新宿区西早稲田にある神社です。甘泉園公園に隣接しています。神紋・社紋主祭神倉稲魂大神(うかのみたまのおおかみ)佐田彦大神(さだひこのおおかみ)大宮姫大神(おおみやひめのおおかみ)創建941年例祭日9月9日別名戸塚稲荷神社高田水稲荷神社早稲田水稲荷神社略縁起天慶4年(941年)俵藤太秀郷朝臣が旧社地の富塚の上に稲荷大神を勧請しました。古くは「富塚稲荷」「将軍稲荷」と呼ばれました。江戸中期境内の大椋に霊水が湧き評判を呼んだことが、社名の由来の一つであるといいます。境内社殿 御神楽殿 御神輿蔵 手水舎授与所 鳥居 堀部安兵衛の碑 新宿区指定有形文化財歴史資料堀部武庸加功遺跡之碑所在地新宿区西早稲田三丁目五番四十三号指定年月日平成二十八年三月四日この記念碑は、「忠臣蔵」に...神社参拝日記・水稲荷神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 八十五 ・悔過・大祓をする ・火災

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇八十五・悔過・大祓をする・火災秋七月二日、勅して、「更に男夫は脛裳(はばきも)を着け、婦女は、垂髮(すべし)を背(うしろ)にするのを、元の如くしても良い」といいました。この日、僧正・僧都等は、宮中に参り赴いて、悔過(けか)しました。三日、諸国に詔して、大解除(おおはらえ)をしました。四日、天下の調(みつき)を半減しました。かさねて、ことごとく徭役(ようえき)を免(ゆる)しました。五日、幣(みてぐら)を紀伊国の国懸神(くにかかすじんぐう)、飛鳥四社、住吉大神に奉りました。八日、百の僧に請じて、金光明經(こんこうみょうきょう)を宮中で読ませました。十日、雷光が南方で一つ大きく鳴りました。則ち、民部省の庸を藏(おさ)める舍屋(やかす)が天災となりました。或いは、「忍壁皇子の宮で失火...日本書紀巻第二十九天命開別天皇八十五・悔過・大祓をする・火災

  • ねこ日記と主のつぶやき 久しぶり

    最近、めっきり添い寝をしてくれなくなった二匹。でも、今日は久しぶりに添い寝をしてくれました🥰タケちゃんは左肩を枕にノブさんは右肩を枕に頭をちょこん。嬉しい😆…、がしかし。こいつら、ワイが目覚めても、さっぱり起きません。お腹空かないのか?ワイは腹が減った〜!結局、はりつけ状態のまま二匹が起きるまで我慢し続けた主でした。今日の二匹それでは、また。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村ねこ日記と主のつぶやき久しぶり

  • 神社参拝日記・水神社

    水神社(東京都文京区)概要東京都文京区にある神社です。神田上水の関口水門の守護神として祀られたといいます。主祭神速秋津彦命速秋津姫命応神天皇創建不詳略縁起いい伝えによりますと、水神が八幡宮社司の枕元に立って、「我水伯(水神)なり、我をこの地にまつらば堰の守護神となり、村民はじめ江戸町ことごとく安泰なり」と告げたため、ここに水神を祀ったといいます。境内社殿ピンぼけですね、すみません。 鳥居住所東京都文京区目白台1-1-9最後に神田川散策の折、大きな木に誘われて、参拝させていただきました。水神社といえば、水の神・罔象女が祀られている神社が多いのですが、こちらの主祭神は速秋津彦命、速秋津姫命、応神天皇と、珍しいです。速秋津彦命、速秋津姫命が祀られている神社は、あまりないのでちょっと嬉しく思いました。立派な鳥居。...神社参拝日記・水神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 八十四 ・爵位を授ける ・草薙劒の祟り ・誓願させる ・燃灯供養と悔過

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇八十四・爵位を授ける・草薙劒の祟り・誓願させる・燃灯供養と悔過六月一日、槻本村主勝麻呂(つきのもとのすぐりかちまろ)に、連という姓を賜りました。かさねて、勤大壹位を加えて、二十戸を封しました。二日、工匠、陰陽師、侍醫、大唐の學生、及び、一、二の官人、あわせて三十四人に爵位を授けました。七日、諸司の人等から、功のある二十八人を選んで、爵位を増加しました。十日、天皇の病を卜ったところ、草薙劒の祟りとでました。卽日、尾張国の熱田社に送り置きました。十二日、雩(あまひき)をしました。十六日、伊勢王(いせのおおきみ)、及び官人等を飛鳥寺に遣わして、衆僧に勅して、「近く、朕の身が不和である。願わくは、三寶(さんぽう)の威を頼り、身体の安和を得たいと思う。ここをもちて、僧正、僧都、及び衆僧...日本書紀巻第二十九天命開別天皇八十四・爵位を授ける・草薙劒の祟り・誓願させる・燃灯供養と悔過

  • 神社参拝日記・穴八幡宮

    穴八幡宮(あなはちまんぐう)概要東京都新宿区西早稲田二丁目にある神社です。1641年(寛永18年)、宮守の庵を造るため、社僧良昌が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れたことにより、「穴八幡宮」と呼ばれるようになりました。神紋・社紋主祭神應神天皇(おうじんてんのう)仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)神功皇后(じんぐうこうごう)創建1062年例祭日9月15日主な神事流鏑馬略縁起社伝によりますと、1062年(康平5年)、源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったのが始まりといいます。1641年(寛永18年)、宮守の庵を造るため、社僧良昌が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れました。掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴八...神社参拝日記・穴八幡宮

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 八十三 ・天皇の病 ・大赦する

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇八十三・天皇の病・大赦する五月九日、多紀皇女(たきのひめみこ)等が伊勢から至りました。この日、侍醫(じい)の百濟人の億仁(おくに)が、病のため臨死(りんし)でした。則ち、勤大壹位を授けました。かさねて百戸を封しました。十四日、勅して、大官大寺に七百戸を封しました。乃ち、税を三十萬束納めました。十七日、宮人等の爵位を増加しました。二十四日、天皇は始めて體が不安となりました。よってもって、川原寺で藥師經を説かせました。宮中で安居させました。二十九日、金智祥等を筑紫で饗(もてな)しました。祿を賜りましたが、各々差がありました。卽ち、筑紫より退きました。この月、勅して、左右の大舍人等を遣わして、諸々の寺堂塔を掃き清めさせました。則ち、天下に大祓しました。よって、囚獄(しゅうごく)がす...日本書紀巻第二十九天命開別天皇八十三・天皇の病・大赦する

  • 文京梅まつり(2022)

    文京梅まつり(2022)湯島天満宮の写真の整理を行っていたら、昨年の文京梅まつりの写真が出てきました。古いものですが美しかったので、記事にしておきます。ポンコツカメラでの撮影でしたので、メジロを撮影することができませんでしたが、たくさん訪れていました。可愛かったです。様々な種類の梅を一同に見ることができて嬉しい限り。特に枝垂れ梅がこんなにも美しいとは知りませんでした。もう一度、湯島天満宮の梅まつり、訪れたいのですが、関西に移住してしまったので難しい。関東に住んでいらっしゃる他のブロガーさんたちの写真を楽しみにしています。それでは、また。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。にほんブログ村備忘録・雑記ランキング文京梅まつり(2022)

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 八十二 ・桑原村主訶都に直廣肆を授ける ・新羅の献上品 ・多紀皇女、山背姫王、石川夫人を伊勢神宮に派遣する

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇八十二・桑原村主訶都に直廣肆を授ける・新羅の献上品・多紀皇女、山背姫王、石川夫人を伊勢神宮に派遣する夏四月八日、侍醫(じい)の桑原村主訶都(くわはらのすぐりかつ)に直廣肆を授けました。よってもって、連という姓を賜りました。十三日、新羅の客等を饗(もてな)すために、川原寺の伎樂(ぎがく)を筑紫に運びました。なお、皇后の宮の私の稻・五千束を、川原寺に納めました。十九日、新羅が進めた調(みつき)を、筑紫から貢上しました。細馬(さいば)・一匹、騾(らば)・一頭、犬・二狗、鏤金(るきん)の器、及び金、銀、霞錦(かすみにしき)、綾羅(りょうら)、虎豹皮(とらひょうかわ)、及び藥物の類、あわせて百餘種。また智祥(ちじょう)、健勳(ごんくん)等が、別に献(たてまつ)った物は、金、銀、霞錦、綾...日本書紀巻第二十九天命開別天皇八十二・桑原村主訶都に直廣肆を授ける・新羅の献上品・多紀皇女、山背姫王、石川夫人を伊勢神宮に派遣する

  • 神社参拝日記・湯島天満宮

    湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう)概要東京都文京区湯島三丁目にある神社です。学問の神様として全国的に有名な神社です。神紋・社紋加賀梅鉢紋主祭神菅原道真公(すがわらみちざねこう) 天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)別名湯島天神創建458年例祭日5月25日略縁起雄略天皇二年(458年)に勅命により創建されたと伝えられています。天之手力雄命を奉斎したのが始まりです。その後、1355年に菅原道真公を勧請しました。以来、多くの学者、文人に崇敬され、現在では、学問の神様「湯島天神」として全国的に有名な神社となりました。現在の社殿は平成七年に総檜造りで造営されました。境内本殿 手水舎 牛像(撫で牛) 銅鳥居 宝物殿 授与所 社務所・参集殿 女坂 男坂 夫婦坂 車祓所 境内末社 摂社戸隠神社主祭神天之手力雄命 末社笹...神社参拝日記・湯島天満宮

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 八十一 ・勤位を授ける ・羽田眞人八国の死

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇八十一・勤位を授ける・羽田眞人八国の死二月四日、大安殿に御して、侍臣の六人に勤位を授けました。五日、勅して、諸々の国司の有功者九人を選んで、勤位を授けました。三月六日、大辨官の直大參の羽田真人八国(はたのまひとやくに)が、病となりました。そのため、僧・三人を度させました。十日、雪が降りました。二十五日、羽田眞人八国が卒(お)わりました。壬申の年の功をもって、直大一位を贈りました。(感想)(朱鳥元年)2月4日、天皇は、大安殿に出御して、侍臣の6人に勤位を授けました。5日、勅して、諸々の国司の中で、功労者・9人を選んで、勤位を授けました。3月6日、大弁官の直大參の羽田真人八国が、発病しました。そのため、僧・3人を得度させました。※得度(とくど)得度とは救う,度を渡る,すなわち迷い...日本書紀巻第二十九天命開別天皇八十一・勤位を授ける・羽田眞人八国の死

  • 神社参拝日記・八景天祖神社

    八景天祖神社概要八景天祖神社は、東京都大田区にある神社です。かつては「神明社」という名称でした。主祭神天照大御神創建不詳別名天祖神社境内社殿 手水舎 階段 鳥居 社務所 境内社稲荷社御祭神宇迦之御魂神そのほかかつては「鎧掛松」という松がありました。源義家の軍勢が後三年の役出征のため進軍中、当社で戦勝を祈願しました。その際、松の枝に鎧をかけた故事からきています。明治時代には枯れてしまい、現在では存在しません。住所東京都大田区山王2-8-1アクセスJR東日本京浜東北線大森駅徒歩2分最後に大森駅から徒歩2分。急な階段を登り、たどり着いた境内は、駅から徒歩2分とは思えないくらい、緑豊かでした。愛されている神社なのでしょう。近所の子どもたちが遊んでいたり、くつろいでいる方々がいました。やさしい気に包まれた、いい神社...神社参拝日記・八景天祖神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 八十 ・とよのあかり ・なぞなぞ ・使者を筑紫に派遣する

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇八十・とよのあかり・なぞなぞ・使者を筑紫に派遣する十六日、天皇は大安殿に御して、諸王卿を喚び、宴(とよのあかり)を賜りました。よってもって、絁(ふとぎぬ)、綿、布を賜りましたが、各々差がありました。この日、天皇は群臣に無端事(あとなしこと)を問いました。則ち、当時に實(まこと)を得られたなら、重ねて、絁、綿を給わりました。十七日、後宮で宴(とよのあかり)をしました。十八日、朝庭で大いに酺(さけのみ)をしました。この日、御窟殿(みむろのとの)の前に御して、倡優(しょうゆう)等に祿を賜りましたが、差がありました。また、歌人等に袍袴(きぬはかま)を賜りました。十九日、地震がありました。この月、新羅の金智祥(きんちじょう)を饗(もてな)すために、淨廣肆の川内王(かふちのおおきみ)、直...日本書紀巻第二十九天命開別天皇八十・とよのあかり・なぞなぞ・使者を筑紫に派遣する

  • 菅原天満宮・盆梅展を見に行ってきました。

    今日は、奈良県奈良市菅原町にある、日本最古の天満宮、菅原天満宮へ行ってきました。現在、菅原天満宮では盆梅展が2月5日〜3月5日まで開催されています。会場には、大和野梅、緋梅、枝垂れ梅などの盆梅が150鉢展示されています。最近、梅好きになったワイ。楽しにみしていました。境内に入ると、梅の香りが漂っていました。花手水が可愛らしく迎えてくれました。まずは、参拝を済ませて、会場へ。とその前に、撫で牛さんの側に紅梅が咲いていました。さて、今度こそ、会場へ。会場では、手塩にかけられた盆梅が並んでいました。素晴らしいの一言。枝垂れ梅はまだ蕾でしたが、たくさんの梅が咲いていました。また、室内でも展示があり素晴らしい盆梅が、立ち並んでいました。もう、芸術作品ですね。関係者の皆様ご苦労様です。良いものを見させていただきました...菅原天満宮・盆梅展を見に行ってきました。

  • 神社参拝日記・穴守稲荷神社

    穴守稲荷神社概要東京都大田区羽田にある稲荷神社です。神紋・社紋主祭神豊受姫命(とようけひめのみこと)創建文化元年(1804年)または文政2年(1819年)例祭日2月初午の日/11月3日略縁起文政の頃、鈴木新田(現在の空港内)開墾の際、沿岸の堤防がしばしば激浪のため決壊し大穴があき、海水が侵入しました。そこで村人たちが相談し、堤防の上に一祀をまつったところ、それから風浪の災もなく、作物がよく稔りました。「風浪が作りし「穴」の害より田畑を「守」り給う稲荷大神」という神徳を称え「穴守稲荷神社」となりました。境内拝殿 手水舎 築山稲荷幸稲荷末廣稲荷航空稲荷福徳稲荷稲荷山御嶽神社穴守稲荷上社 奥之宮 繁栄稲荷出世稲荷開運稲荷必勝稲荷御神砂 千本鳥居 表参道鳥居南参道鳥居 鳥居 神楽殿と大久寿 飛龍明神 門被之松と社...神社参拝日記・穴守稲荷神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 七十九 ・俗の供養 ・大蔵省での失火

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十九・俗の供養・大蔵省での失火九日、三綱(さんごう)、律師(りっし)、及び大官大寺の知事、佐官、あわせて九僧に請うて、俗の供養をさせました。なお、絁(ふとぎぬ)、綿、布を施しましたが、各々差がありました。十日、諸王卿、各々に袍袴(きぬはかま)・一具を賜りました。十三日、諸々の才人(さいじん)、博士、陰陽師、醫師(いし)者、あわせて二十餘人を召して、食及び祿を賜りました。十四日酉時(とりのとき)、難波の大藏省で失火しました。宮室が悉く焚(や)けました。或いは、「阿斗連薬(あとのむらじくすり)の家から失火して、引いて宮室に及んだと」いいました。ただ、兵庫職(つわもののつかさ)は、焚けませんでした。・三綱(さんごう)仏教寺院において寺院を管理・運営し、僧尼を統括する上座(じょうざ...日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十九・俗の供養・大蔵省での失火

  • ねこ日記と主のつぶやき

    今日の二匹珍しく二匹揃って棚の上。最近、ノブさんがらお気に入りの猫ちぐらに、入らなくなりました。何故?もしかして、毎日、猫ちぐらの座布団をムキムキ、ペロペロしていたから、臭くなった?洗濯したら、再び入ってくれるかなぁ。本日はこの辺で。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村ねこ日記と主のつぶやき

  • 神社参拝日記・羽田神社

    羽田神社(はねだじんじゃ)概要東京都大田区にある神社です。神紋・社紋主祭神須佐之男命(すさのおのみこと)稲田姫命(いなだひめのみこと)創建戦国時代例祭日4月18日夏季例大祭7月の最終土・日曜日に開催される、羽田神社の夏季例大祭、通称「羽田まつり」は神輿の担ぎ手だけで3千人、3万人の見物客が訪れ、城南随一の賑わいの祭りです。この祭りの神輿は、通称「ヨコタ」という担ぎ方で、神輿を左右90度に倒し、大きくローリングしながら進むもので、右の人がはね上がると左の人がしゃがむ、これを交互に繰り返す、勇壮、独特な担ぎ方です。略縁起約800年前、鎌倉時代に領主・行方与次郎(なめかたよじろう)が牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったのがその起こりとされています。明治元年(1968年)の神仏分離令により自性院境内に祀られていた牛頭...神社参拝日記・羽田神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 七十八 ・とよのあかり ・なぞなぞ

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十八・とよのあかり・なぞなぞ朱鳥(あかみとり)元年春正月二日、大極殿(だいごくでん)に御して、宴(とよのあかり)を諸王卿に賜りました。この日、詔して、「朕は、王卿に、無端事(はしなきこと)を問う。なお、答えが實(まこと)を得られたなら、必ずや賜りものがある」といいました。ここにおいて、高市皇子(たけちのみこ)は、問われて、實を答えました。蓁揩(はりすり)の御衣(よそひ)・三具、錦の袴・二具、あわせて絁(ふとぎぬ)・二十匹、絲(いと)・五十斤、綿・百斤、布・百端を賜りました。伊勢王(いせのおおきみ)も、また實を答えました。卽ち、皁(くりそめ)の御衣・三具、紫の袴・二具、絁・七匹、絲二十斤、綿・四十斤、布・四十端を賜りました。この日、攝津国の人の百済新興(くだらのにいき)が、白...日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十八・とよのあかり・なぞなぞ

  • ねこ日記と主のつぶやき 破壊神

    新居の契約も無事終わり、4月以降引越しできることになりました。その油断からでしょうか。ウッカリ、ドアに傷をつけてしまったワイ。破壊神1号と2号、お前らだけでなくあぁ、ワイも破壊神だったのか😓退去費用が怖い怖い😱今日の二匹コタツで仲良く寛ぎ中ワイの膝の上で寛ぐ二匹。だが、昨晩、二匹とも相方に添い寝してワイの所にはこなかっただろう。寂しかったんだぞ〜😭今日はワイと一緒に寝てね。それでは、また。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村ねこ日記と主のつぶやき破壊神

  • 神社参拝日記・水神社・玉川弁財天

    水神社・玉川弁財天(羽田)概要東京都大田区にある神社です。創建年代は不詳ですが、昔から羽田漁民の信仰を集めてきました。主祭神水波乃咩命創建不詳例祭日1月11日/5月11日略縁起もともと、水神が祀られていました。現在は「玉川弁財天」の下宮も合祀されています。以前、「玉川弁財天」は、現在の羽田空港の位置にありました。江戸時代には「江戸名所図解」で取り上げられるほど景勝地でしたが。戦後、GHQの空港拡張工事によって強制退去させられたことにより、合祀されることになりました。境内水神社 玉川弁財天 住所東京都大田区羽田6-13-8アクセス京浜急行空港線穴守稲荷駅徒歩10分最後に江戸時代には江戸百景にも描かれていた玉川弁財天ですが…現在は、多摩川沿いにひっそりと祀られていました。ちょっと寂しい感じがします。また、余計...神社参拝日記・水神社・玉川弁財天

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 七十七 ・天皇のために招魂する ・防人の衣服

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十七・天皇のために招魂する・防人の衣服六日、白錦後菀(しらにしきのみその)に幸しました。二十四日、法蔵法師(ほうぞうほうし)、金鍾(きんしょう)が、白朮(おけら)を煎じて、献(たてまつ)りました。この日、天皇のために招魂(しょうこん)しました。二十七日、新羅が、波珍飡(はちんさん)の金智祥(きんちじょう)、大阿飡(だいあさん)の金健勳(きんごんくん)を遣わして、政を請いました。かさねて調(みつき)を進めました。十二月四日、筑紫に遣わした防人等が、海の中で飄蕩(ひょうとう)し、皆、衣裳を失いました。則ち、防人の衣服のために、布・四百五十八端を、筑紫に給い下しました。十日、西から発した地震がおきました。十六日、絁(ふとぎぬ)、綿、布を大官大寺の僧等に施しました。十九日、皇后の命...日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十七・天皇のために招魂する・防人の衣服

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 七十六 ・武器収蔵についての詔

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十六・武器収蔵についての詔十一月二日、儲用(まうけ)の鐵一萬斤を、周芳(すおう)の總令(そうりょう)の所へ送りました。この日、筑紫大宰が、儲用の物、絁(ふとぎぬ)・一百匹、絲・一百斤、布・三百端、庸布(ちからしろのぬの)・四百常、鐵・一萬斤、箭竹(やだけ)・二千連を請いました。筑紫に送り下しました。四日、詔して、四方の国に、「大角(はらのふえ)、小角(くだのふえ)、鼓(つづみ)、吹(ふえ)、幡旗(はた)、及び弩(ど)、抛(いしはじき)の類は、私家においてはならぬ。ことごとく郡家(こおりのみやけ)に収めるように」といいました。・儲用(まうけ)役所で使うもの用・總令(そうりょう)律令制が完成する前の7世紀後半に諸国に置かれていた地方官のこと。ただし、『日本書紀』・『続日本紀』に...日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十六・武器収蔵についての詔

  • 神社参拝日記・薭田神社

    薭田神社(ひえだじんじゃ)(東京都大田区)概要東京都大田区蒲田にある神社です。神紋・社紋主祭神誉田別命天照大神武内宿禰命荒木田襲津彦命春日大神創建和銅2年(709)例祭日9月15日前後の土曜・日曜略縁起和銅2年(709)、僧・行基がこの地に足を留め、天照大神、応神天皇、春日大神の三柱を御神体を刻んで納め奉ると伝えられています。境内社殿 手水舎 狛犬 鳥居 石碑 境内社天祖神社 稲荷神社・三十番神社・薬祖神社 住所東京都大田区蒲田3-2-10アクセス京急線京急蒲田駅徒歩10分最後に境内は緑が生き生きとして、落ち着いた気の流れを感じました。良い神社でした。関東で、荒木田襲津彦命が祀られているとは、珍しいです。ランキングに参加中!励みになります。ポチッとお願いします。にほんブログ村神社・仏閣ランキング参考Wik...神社参拝日記・薭田神社

  • ねこ日記と主のつぶやき 記念すべき

    今日は、久しぶりのお仕事の日でした。あまりにも久しぶりに体を動かしたので。あちこち、痛い😖明日あたり、筋肉痛かも😣今日の二匹タケちゃんは、いつもの場所でくつろぎ中ノブさんは、コタツ占領中おかげで、ワイ足を伸ばせません。でも、仕事を頑張れるのも君たちのおかげだよん。今日も癒しをありがとう。それでは、また。御訪問ありがとうございました。ちなみに、この記事記念すべき2222です。ここまで続けてこられたのも、読んでくださる方々のおかげです。これからもよろしくお願いします。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村ねこ日記と主のつぶやき記念すべき

  • 神社参拝日記・天祖・諏訪神社

    天祖・諏訪神社概要東京都品川区南大井にある神社です。昭和40年(1965年)に天祖神社と諏訪神社が合祀してできました。神紋・社紋主祭神天照大御神豊受大神建御名方刀美神小碓命創建昭和40年(1965年)例祭8月1日略縁起天祖神社(旧・神明宮)と諏訪神社。かつては両社とも東京湾に面し、立会川を挟んで両社は並んで祀られていました。天祖神社は、建久年間(1190~1199年)の『大井郷之図』に神明社としてその姿を確認することができることから、それ以前の創建と考えられています。諏訪神社は、松平土佐守の下屋敷の海岸寄りにあり、寛永8年(1631年)以前のものと言われています。その後、昭和40年(1965年)に天祖神社の改築に伴い、諏訪神社と天祖神社、両神社が天祖神社のある場所に合祀されました。同時に南大井二丁目にある...神社参拝日記・天祖・諏訪神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 七十五 ・白朮を煎じる ・信濃に行宮を造る

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十五・白朮を煎じる・信濃に行宮を造る冬十月四日、百濟の僧の常輝(じょうき)に、三十戸を封じました。この僧の壽(とし)は百歲です。八日、百濟の僧の法蔵(ほうぞう)、優婆塞(うばそくうばい)の益田直金鍾(ますたのあたいきんしょう)を美濃に遣わして、白朮(おけら)を煎じさせました。よってもって、絁(ふとぎぬ)、綿、布を賜りました。十日、軽部朝臣足瀬(かるべのあそみたるせ)、高田首新家(たかたのおびとにいのみ)、荒田尾連麻呂(あらたおのむらじまろ)を信濃に遣わして、行宮(かりみや)を造らせました。おそらく、おしはかるに、束間温湯(つかまのゆ)に幸しようとしたのでしょうか。十二日、浄大肆の泊瀬王(はつせのおおきみ)、直広肆の巨勢朝臣馬飼(こせのあそみうまかい)、判官以下、あわせて二十...日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十五・白朮を煎じる・信濃に行宮を造る

  • 奈良市の梅

    今日は、梅の花を見に出かけました。まずは、春日大社本殿行きのバスに乗って、春日大社に参拝。ここで、残念な出来事に出会いました。春日大社の境内では、鹿さんが食べないようにと、木々の幹にカバーが掛けてあるのですが…そのカバーと木を蹴って遊んでいる子どもたちに出会いました。これは、やってはいけない行為😡しかし、そばにいた親御さんも注意する気配がありません。オイオイ!🤬木々はちょっとした刺激で枯れてしまうことがあります。そして、神社の境内の木々ですから絶対、木々一本一本に精霊さんが住んでいるに違いない。バチが当たりますよ!皆さんはマネをしないでくださいね。さて、今日は特別参拝をしようと窓口に行ったら…本日は特別参拝は受け付けていませんでした。いつもやっているとは限らないのですね。残...奈良市の梅

  • 神社参拝日記・氷川神社(東京都中野区東中野)

    氷川神社(東京都中野区東中野)概要東京都中野区東中野一丁目にある神社です。神紋・社紋主祭神須佐之男尊稲田姫尊大己貴尊創建長元3年(1030年)例祭9月15日略縁起長元3年(1030年)後一条天皇の御宇、源頼信公が平忠常征討の際、武蔵国一宮・大宮氷川神社より勧請したもので、旧中野村の総鎮守社です。境内社殿鳥居手水舎社務所神楽殿神輿庫狛犬石碑境内社住所東京都中野区東中野1-11-1アクセスJR総武線・都営大江戸線東中野駅徒歩5分東京メトロ丸の内線都営大江戸線中野坂上駅徒歩5分最後に都心とは思えないほど緑豊かな神社でした。須佐之男尊が祀られている神社独特の荘厳な雰囲気に圧倒されます。心引き締まる思いでした。大変いい神社でした。ランキングに参加中!励みになります。ポチッとお願いします。にほんブログ村神社・仏閣ラン...神社参拝日記・氷川神社(東京都中野区東中野)

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 七十四 ・博戲をする ・十人に御衣袴を与える ・天皇の不豫

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十四・博戲をする・十人に御衣袴を与える・天皇の不豫十八日、天皇は、大安殿(おおあんどの)に御して、王、卿等を殿前に喚び、博戲(はくぎ)をさせました。この日、宮処王(みやところのおおきみ)、難波王(なにわのおおきみ)、竹田王(たけだのおおきみ)、三国真人友足(みくにのまひとともたり)、県犬養宿禰大侶(あがたのいぬかいのすくねおおとも)、大伴宿禰御行(おおとものすくねみゆき)、境部宿禰石積(さかいべのすくねいわつみ)、多朝臣品治(おおのあそみほむじ)、采女朝臣竹羅(うねめのあそみつくら)、藤原朝臣大嶋(ふじわらのあそみおおしま)、凡そ、十人に、御衣袴(おおみそおみはかま)を賜りました。十九日、皇太子以下、及び諸王卿、あわせて四十八人に、羆(ひぐま)の皮、山羊の皮を賜りましたが、...日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十四・博戲をする・十人に御衣袴を与える・天皇の不豫

  • なら瑠璃絵に行ってきました 2

    2月14日に、なら瑠璃絵に行ってきました。最終日とあって、混んでいました。、と会場を訪れる前に、まず、春日大社を訪れました。なら瑠璃絵に行ってきました1-リートリンの覚書昨晩、なら瑠璃絵に行ってきました。最終日とあって、混み合っていましたよ。なら瑠璃絵の様子は、後日。まず、ワイが最初に訪れたのは春日大社です。若干早い時間だったの...gooblog しかし、点灯時間までまだ時間があったので、東大寺・南門を訪れました。東大寺・南門金剛力士像吽形阿形国内最大の仁王像。大仏師・運慶・快慶の共作。教科書等でよく見かけますが、実物を見ると圧巻です。ライトアップされると、陰影がはっきりとして迫力が増します。いい物を見させていただきました。さて、そろそろ暗くなってきたので会場である奈良春日野フォーラム甍へ移動しました。...なら瑠璃絵に行ってきました2

  • 神社参拝日記・高円寺氷川神社

    高円寺氷川神社概要東京都杉並区高円寺南にある神社です。境内社には、珍しい気象神社があります。神紋・社紋主祭神素戔嗚尊創建諸説あり例祭8月最終土日略縁起源頼朝奥州征伐の折、当地に至って随兵村田某がこの地に留まり、武蔵国高鼻の本社より御神意をうけ、この高円寺林の風致絶佳とされる当地に社殿を建立したのが起源とされています。境内社殿昭和46年、総鋼鉄製の現社殿を造営して現在に至ります。手水舎狛犬授与所・神輿庫鳥居末社境内社気象神社祭神八意志兼命(やごころおもいかねのみこと)名の通り「晴」「曇」「雨」「雪」「雷」「風」「霜」「霧」という、八つの気象条件を司ることができるとされています。御由来気象神社は、1944年(昭和19年)4月、大日本帝国陸軍の陸軍気象部(杉並区馬橋区)の構内に造営されました。戦後の神道指令で撤...神社参拝日記・高円寺氷川神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 七十三 ・人夫の武器を検校する ・全国の民の消息を巡察する

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十三・人夫の武器を検校する・全国の民の消息を巡察する八月十二日、天皇は淨土寺に幸しました。十三日、川原寺に幸しました。稻を衆僧(しゅうそう)に施しました。二十日、耽羅(たむら)に遣わしたもの等が、還りました。九月九日、天皇は旧宮(ふるみや)の安殿の庭で宴(とよのあかり)をしました。この日、皇太子以下、忍壁皇子に至るまで、布を賜りましたが、各々差がありました。十一日、宮処王(みやのところのおおきみ)、広瀬王(ひろせのおおきみ)、難波王(なにわのおおきみ)、竹田王(たけだのおおきみ)、弥努王(みののおおきみ)を京、及び畿內に遣わして、各々、人夫(おおみたから)の兵(つわもの)を検(あらた)めさせました。十五日、直廣肆の都努朝臣牛飼(つののあそみうしかい)を東海の使者として、直廣...日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十三・人夫の武器を検校する・全国の民の消息を巡察する

  • なら瑠璃絵に行ってきました 1

    昨晩、なら瑠璃絵に行ってきました。最終日とあって、混み合っていましたよ。なら瑠璃絵の様子は、後日。まず、ワイが最初に訪れたのは春日大社です。若干早い時間だったので、まだライトアップはされていませんでした。閉門していたので、春日大社二の鳥居から遥拝しました。ライトアップされた姿を見学したかったのですが、時間がないので、ここは泣く泣く帰りました。参道には提灯が沢山つるされていました。灯された姿はどうだったのか、ちょっと心残り。この辺では灯籠が灯されていました。入り口では、灯籠絵巻?がありました。巧みな絵に感嘆。灯籠横にも台詞等が描かれていたのですが、写真に撮っておけば物語が読めたのにと、ちょっと後悔しました。今日はこの辺で、明日に続きます。御訪問ありがとうございました。(ねこ日記はお休みします)ランキングに参...なら瑠璃絵に行ってきました1

  • 参拝日記・阿佐ヶ谷神明宮

    阿佐ヶ谷神明宮(しんめいぐう)概要東京都杉並区阿佐谷北にある神社です。交通の便の良いため年間を通じ植木や骨董の市が催され、また箏曲、能、ジャズ等の奉納もされています。神紋・社紋主祭神天照大御神月読尊須佐之男尊豊受大神創建建久元年頃(1190年頃)別名阿佐ヶ谷天祖神社例祭9月16日略縁起土豪・横井兵部(一説には横川兵部とも)が伊勢神宮に参拝した際に、神の霊示を承け、伊勢の宮川より霊石を持ち帰り神明宮に安置したと伝わっています。境内拝殿鳥居手水舎狛犬御神木・夫婦けやき御神木夫婦けやき元々は別だった二本の若木が長い年月の間風雪に耐え夫婦のように寄り添いやがてしっかりと一つに結ばれました。良縁成就また夫婦円満のご利益があるといわれています。掲示板より引用能楽殿神明殿境内社 北野神社 猿田彦神社御祭神猿田彦神開運道...参拝日記・阿佐ヶ谷神明宮

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 七十二 ・11氏に忌寸という姓を授ける ・朝服の色についての勅

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十二・11氏に忌寸という姓を授ける・朝服の色についての勅六月二十日、大倭連(やまとのむらじ)、葛城連(かずらきのむらじ)、凡川内連(おおしかふちのむらじ)、山背連(やましろのむらじ)、難波連(なにわのむらじ)、紀酒人連(きのさかひとのむらじ)、倭漢連(やまとのあやのむらじ)、河内漢連(かふちのあやのむらじ)、秦連(はだのむらじ)、大隅直(おおすみのあたい)、書連(ふみのむらじ)、あわせて十一氏に忌寸(いみき)という姓を賜りました。秋七月二十一日、廣瀬、龍田の神を祭りました。二十六日、勅して、明位(みょうい)より下、進位(しんい)から上の朝服(ちょうふく)の色を定めました。浄位(じょうい)より上は、並びに朱花(はねず)を着るように。(朱花、これは波泥孺(はねず)といいます)正...日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十二・11氏に忌寸という姓を授ける・朝服の色についての勅

  • ノブさんとタケちゃん 腹いせ?

    今日の二匹夕方から、子どもとお出かけしてきた主。外食を終え帰宅すると…玄関を開けるとすぐに💩の匂いがプンプン。トイレの周りはねこ砂だらけ〜夕食を出さずに出かけた主への腹いせか?たったまに、お出かけしたっていいじゃない。ご飯出さずに出かけるなんてヒドイ!メンゴ、以後気をつけます。今日はこの辺で。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村ノブさんとタケちゃん腹いせ?

  • 神社参拝日記・荻窪白山神社

    荻窪白山神社概要東京都杉並区上荻にある神社です。歯の神様としても知られています。境内には、様々な所に猫の石像が置いてあります。神紋・社紋主祭神伊邪那美命(いざなみのみこと)創建文明年間(1469~1487)例祭9月8日略縁起社伝によりますと、文明年間(1469~1487)に関東管領・上杉顕定の家来・中田加賀守が、生まれ故郷の加賀の霊峰白山を御神体とする白山比咩神社より分神を勧請し、屋敷内に五社権現社を奉齋したのが始まりとされています。その後に中田一族が栄え、当地に社殿を建てたといわれています。荻窪白山神社この神社は旧下荻窪村の鎮守で、祭神は伊邪那美命です。下荻窪村が中世に村をつくっていたことは、宝徳三年(1451)の上杉家文書や、昭和五十四年に荻窪三丁目三十三番から宝徳前後の年号を持つ板碑が発見されている...神社参拝日記・荻窪白山神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 七十一 ・飛鳥寺に宝物を奉る ・高向朝臣麻呂と都努朝臣牛飼の帰国 ・新羅からの献上品

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十一・飛鳥寺に宝物を奉る・高向朝臣麻呂と都努朝臣牛飼の帰国・新羅からの献上品五月五日、南門で射りました。天皇は、飛鳥寺に幸しました。珍寶(たからもの)を仏に奉り、禮敬(らいきょう)しました。十九日、直大肆(じきだいし)の粟田朝臣真人(あわたのあそんまひと)が、父に位を譲りました。然るに、勅して、聴き入れませんでした。この日、直大参(じきだいさん)の当麻真人広麻呂(たぎまのまひとひろまろ)が、卒(お)わりました。壬申の年の功をもって直大壱位(じきだいいちのくらい)を贈りました。二十六日、高向朝臣麻呂(たかむくのあそんまろ)、都努朝臣牛飼(つののあそんうしかい)等が、新羅から至りました。乃ち学問僧の観常(かんじょう)、霊観(りょうかん)が従って至りました。新羅王の獻物(けんもつ...日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十一・飛鳥寺に宝物を奉る・高向朝臣麻呂と都努朝臣牛飼の帰国・新羅からの献上品

  • ねこ日記と主のつぶやき やっちまった〜

    仕事がお休みなのをいいことに、朝寝坊した主。なのに、さらに午後、昼寝した。気がつけば、夕方。やっちまった〜😅一日を無駄にした主でした。ワイさん、寝てばかり。僕と遊んでよ〜。さて、ねこ様のために動きますか。それでは、また。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村ねこ日記と主のつぶやきやっちまった〜

  • 神社参拝日記・牛嶋神社

    牛嶋神社(うしじまじんじゃ)概要東京都墨田区にある神社です。墨田公園内に所在します。珍しい三輪鳥居があります。神紋・社紋主祭神須佐之男命(すさのおのみこと)天之穂日命(あめのほひのみこと)貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)創建貞観年間(859~879年)例祭9月15日略縁起貞観2年(860年)、慈覚大師円仁の御神託により創建されました。5年に一度の大祭では、鳳輦(牛車)を中心とする古式豊かな行列が氏子五十町安泰祈願巡幸します。この神幸祭は、今日では珍しく黒雄和牛が神牛となり鳳輦を曳いています。境内社殿神輿蔵牛嶋神社社殿・牛嶋神社神輿蔵 牛嶋神社は、元来弘福寺の西隣(向島五丁目)に所在しましたが、関東大震災後、帝都復興計画事業に伴い、区画整理が実施された際、当地に遷座しました。その際新築されたのが、現在...神社参拝日記・牛嶋神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 七十 ・礼拝供養に関しての詔 ・はじめて安居をする

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十・礼拝供養に関しての詔・はじめて安居をする三月十四日、金物儒(きんもつぬ)を筑紫で饗(もてな)しました。卽ち筑紫よりかえりました。なお、流れ着いた新羅人七口を物儒に附けて還しました。十六日、京職大夫直大参(みさとのつかさのかみじきだいさん)の巨勢朝臣辛檀努(こせのあそみしたの)が、卒(お)わりました。二十七日、詔して、「諸国に、家ごとに佛舍(ぶっしゃ)を作るように。かさねて佛像、及び經を置き、禮拜供養をするように」といいました。この月、灰が信濃国に零(ふ)りました。草木が皆、枯れました。夏四月四日、紀伊国司が、「牟婁湯泉(むろのゆ)が没して出ません」といいました。十二日、廣瀬、龍田の神を祭りました。十七日、新羅人の金主山(きんしゅせん)が、帰りました。十五日、始めて僧尼に...日本書紀巻第二十九天命開別天皇七十・礼拝供養に関しての詔・はじめて安居をする

  • ねこ日記と主のつぶやき 参ったなぁ

    シーズンオフの奈良。ワイの職場も暇が続いています。おかげで、シフトがほぼほぼ入っていません。連日、お休み〜。それを心配する先輩達。上に相談してあげようか?、といってくださるのですが…ごめんなさい。観光シーズンになったら連日、出勤。さらに残業となるので、今のうちに、奈良市の観光をしたい😫この暇を満喫したい。って、言いたいが、気遣ってくださっているので、本音が言えない😔今日のノブさんガスレンジカバーの上に座るノブさん。このカバー、新しいお家はIHなんで、一年しか使っていないが、お役御免となる。なんだか、もったいないけどね。それでは、また。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村ねこ日記と主のつぶやき参ったなぁ

  • 神社参拝日記・三囲神社

    三囲神社(みめぐりじんじゃ)概要東京都墨田区向島にある神社です。隅田川七福神の恵比寿・大国神が祀られています。神紋・社紋主祭神宇迦御魂之命(うがのみたまのみこと)創建不詳例祭4月上旬略縁起伝えによれば、近江国三井寺の僧源慶が当地に遍歴して来た時、小さな祠のいわれを聞き、社壇の改築をしようと掘ったところ、壺が出土しました。その中に、右手に宝珠を、左手にイネを持ち、白狐にまたがった老爺の神像がありました。このとき、白狐がどこからともなく現れ、その神像の回りを3回回って死にました。三囲の名称はここに由来するといいます。元禄6年のひでりの際、俳人・室井其角(たからいきかく)が雨乞いの句を詠んだことで世に有名となり、江戸市民に広く知られるようになりました。三囲神社弘法大師が祀ったという田中稲荷が始まりとされる。当時...神社参拝日記・三囲神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 六十九 ・新たな爵位の呼び名 ・位の階級の増加

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十九・新たな爵位の呼び名・位の階級の増加十四年春正月二日、百寮が朝庭で拝しました。二十一日、更に爵位の號(よびな)を改めました。かさねて階級を増加させました。明位二階(みょういふたしな)、浄位四階(じょういよしな)は、階ごとに大と廣があり、あわせて十二階。以上は、諸王より上の位です。正位四階(しょういよしな)、直位四階(じきいよしな)、勤位四階(ごんいよしな)、務位四階(むいよしな)、追位四階(ついいよしな)、進位四階(しんいよしな)は、階ごとに大と廣があります。あわせて四十八階。以上は諸臣の位です。この日、草壁皇子尊に浄広壱位(じょうこういちのくらい)を授けました。大津皇子(おおつのみこ)に浄大弐位(じょうだいにのくらい)を授けました。高市皇子(たけちのみこ)に浄広弐位(...日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十九・新たな爵位の呼び名・位の階級の増加

  • ねこ日記と主のつぶやき

    今日の二匹今日のタケちゃんの姿…何処かで見かけたことがあるような…あぁ、最終電車でよく見かける。おじさま達だ😅さて、住宅ローンを申し込んだワイ家。やっと数社から返答がありました。これで、購入の申し込みができる〜。なんとかなりそうです。よかった。今日はこの辺で。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村ねこ日記と主のつぶやき

  • 神社参拝日記・向島白鬚神社

    向島白鬚神社(むこうじましらひげじんじゃ)概要東京都墨田区東向島にある神社です。隅田川七福神の寿老神(寿老人)としても知られています。神紋・社紋主祭神猿田彦大神(さるたひこおおかみ)天照大御神高御産霊神神皇産霊神大宮能売神豊由気大神建御名方神創建951年別名白鬚神社(しらひげじんじゃ)例祭6月7日略縁起由緒天歴五年(西暦九五一年)に慈恵大師が関東に下った時に、近江国比良山麓に鎮座する白髭大明神の御分霊をここにまつったと、社伝の記録は伝えている。天正十九年(一五九二年)には、時の将軍家より神領二石を寄進された。当社の御祭神猿田彦大神が、天孫降臨の際に道案内にたたれたという神話より、後世お客様をわが店に案内して下さる神としての信仰が生まれた。社前の狛犬は山谷の料亭八百善として有名な八百屋善四郎、吉原の松葉屋半...神社参拝日記・向島白鬚神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 六十八 ・大唐の学生らの帰国

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十八・大唐の学生らの帰国六日、大唐(もろこし)の學生の、土師宿禰甥(はじのすくねおい)、白猪史宝然(しらいのふびとほね)、及び百濟の役の時に、大唐に没した者、猪使連子首(いつかいのむらじこびと)、筑紫三宅連得許(つくしのみやけのむらじとくこ)が、新羅を伝い至り。則ち新羅は、大奈末(だいなま)の金物儒(きんもつぬ)を遣わして、甥等を筑紫に送りました。十三日、死刑を除き、それ以下の罪人を皆、ことごとく赦しました。・大唐(もろこし)中国の唐・大奈末(だいなま)新羅の官位のひとつ(感想)(天武天皇13年12月)6日、大唐の学生の、土師宿禰甥、白猪史宝然、および百済の役の時に、大唐の捕虜となった、猪使連子首、筑紫三宅連得許が、新羅を経て帰国しました。そこで、新羅は、大奈末の金物儒を派...日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十八・大唐の学生らの帰国

  • ねこ日記と主のつぶやき 早い

    最近、月日が経つのが早いです。もう、2月も三分の一が終わってしまった〜。今日のノブさんノブさんを見つめていたら、猫パンチが飛んできた。危うく、顔面に喰らうところでした。怖い、怖い。さて、ワイの家探しのその後ですが。ローンの審査結果がどこからも来ません〜。(年齢が引っかかっているのか)あぁ、他の人に先を越されたらどうしよう。早く、連絡くださ〜い。それでは、また。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村ねこ日記と主のつぶやき早い

  • 神社参拝日記・石浜神社

    石浜神社概要石浜神社(いしはまじんじゃ)は東京都荒川区にある神社です。浅草名所七福神の一つです。奥州征討の折、源頼朝が戦勝を祈願し、また元寇の際に、朝廷は鎌倉幕府7代将軍惟康親王を勅使として戦勝を祈願させました。いずれの戦役も勝利したことから、中世以降関東武士を始め、多くの人々の崇敬を集めることになりました。当社には、神社では珍しく神道式令園「石浜霊園」があり、神道に基づく葬儀を挙行することができます。神紋・社紋主祭神天照大御神(あまてらすおおみかみ)豊受大御神(とようけのおおみかみ)創建神亀元年(724年)別名石浜の神明橋場の神明朝日の神明例祭6月1日前後の土曜・日曜略縁起神亀元年(724年)に、勅願により鎮座されました。区内最古の神社です。境内社殿鳥居手水舎神楽殿神輿庫狛犬神楽獅子石碑群石浜茶寮境内摂...神社参拝日記・石浜神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 六十七 ・五十の氏に宿禰という姓を与える

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十七・五十の氏に宿禰という姓を与える十二月二日、大伴連(おおとものむらじ)、佐伯連(さえきのむらじ)、阿曇連(あずみのむらじ)、忌部連(いみべのむらじ)、尾張連(おわりのむらじ)、倉連(くらのむらじ)、中臣酒人(なかとみのさかひとのむらじ)、土師連(はじのむらじ)、掃部連(かにもりのむらじ)、境部連(さかいべのむらじ)、桜井田部連(さくらいのたべのむらじ)、伊福部連(いほきべのむらじ)、巫部連(かむなきべのむらじ)、忍壁連(おさかべのむらじ)、草壁連(くさかべのむらじ)、三宅連(みやけのむらじ)、児部連(こべのむらじ)、手繦丹比連(たすきのたじひのむらじ)、靫丹比連(ゆきのたじひのむらじ)、漆部連(ぬりべのむらじ)、大湯人連(おおゆえのむらじ)、若湯人連(わかゆえのむらじ)...日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十七・五十の氏に宿禰という姓を与える

  • ねこ日記と主のつぶやき

    今日は、久しぶりのお仕事でした。通勤途中、バスの車窓から、梅の花が咲いているのを見つけました。日差しも柔らかくなってきたし、着実に春がやってきているのですね☺️今日の二匹見事なニャンモナイトのタケちゃん。凛々しいノブさん。今日も癒しをありがとう。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村ねこ日記と主のつぶやき

  • 神社参拝日記・隅田川神社

    隅田川神社概要隅田川神社は、東京都墨田区にある神社で、水神さんと親しまれてきました。周辺は東白鬚公園となっています。神紋・社紋主祭神速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)大楫木戸姫神(おおかじきどひめのかみ)創建未詳別名浮島神社浮島宮水神社水神宮例祭6月15日略縁起治承の頃、源頼朝が関東下向の折、暴風雨に遭い、当社に祈願したと伝えられていますが、御鎮座の年代は未詳です。墨田の鎮守で、船頭や荷船仲間に広く深く信仰されていました。明治5年に隅田川神社と改称しました。境内社殿鳥居手水舎神楽殿境内社石碑水神の森跡水神の森跡所在地墨田区堤通二丁目17番1号隅田川神社 荒川下流のこの付近には、かつて浮島状の小さな森がありました。この森は、川を下...神社参拝日記・隅田川神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 六十六 ・高潮の影響 ・天体の乱れ

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十六・高潮の影響・天体の乱れ三日、土佐国司(とさのくにのみこともち)が、「大潮が、高く騰(あ)がり、海水が飄蕩(ひょうとう)しました。これによりて、調(みつき)を運ぶ船が、多く放失(はふれうす)しました」といいました。二十一日昏時(いぬのとき)、七つの星が、倶(とも)に東北に流れ、則ち隕(お)ちました。二十三日日没時(とりのとき)、星が東方に隕(お)ちました。大きさは瓮(かめ)の如く。戌(いぬのとき)におよぶと、天文は悉く乱れ、星が雨の如く隕(お)ちました。この月、星孛(はいせい)があり、昴星(ぼうせい)と対をなし行きました。月尽(つごもり)におよび失せました。この年、詔して、「伊賀・伊勢・美濃・尾張の四つの国は、今から以後、調の年は、役(えだち)を免(ゆる)すこととし、役...日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十六・高潮の影響・天体の乱れ

  • ねこ日記と主のつぶやき

    今日は、一日曇り空。室内の温度が低いからでしょうか。膝の上で暖をとるタケちゃんこたつの中で惰眠をむさぼるノブさん。ワイも、惰眠を貪りたい。さて、家探し中のワイ。いいお家を見つけたので、ローンの申請をしたのですが…(相方がね)審査結果がまだ届きません。普通は2、3日で結果が出るそうなんですがね。ワイのウチは特殊で、なんで関東に家があるのに、関西に家を買うのか?仕事はどうするんだと。審査に時間がかかっております😔参ったなぁ、結構時間がかかりそうです。他の人に先を越されたらと心配な主でした。それでは、また。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村ねこ日記と主のつぶやき

  • 神社参拝日記・富岡八幡宮

    富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)概要東京都江東区富岡にある八幡宮です。「深川の八幡様」と親しまれ、「江戸最大の八幡様」です。東京十社のひとつです。また、深川七福神・恵比須神も祀られています。神紋・社紋祭神主祭神応神天皇 相殿神神功皇后仁徳天皇天照皇大神常盤社神武内宿禰命日本武尊天児屋根命竈大神創建寛永4年(1627年)別名深川八幡宮例祭8月15日深川祭は、神田祭、山王祭とならんで江戸三大祭の一つです。「深川八幡祭」や「水掛け祭」とも呼ばれています。例大祭は毎年8月15日前後に行われ、3年に1度、八幡宮の御鳳輦が渡御を行う歳は本祭りと呼ばれています。暑さ避けに水を掛けるところから別名「水掛け祭」とも呼ばれています。略縁起当社は、寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されま...神社参拝日記・富岡八幡宮

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 六十五 ・五十二の氏に朝臣の姓を与える

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十五・五十二の氏に朝臣の姓を与える(天武天皇13年)十一月一日、大三輪君(おおみわのきみ)、大春日臣(おおかすがのおみ)、阿倍臣(あへのおみ)、巨勢臣(こせのおみ)、膳臣(かしわでのおみ)、紀臣(きのおみ)、波多臣(はたのおみ)、物部連(もののべのむらじ)、平群臣(へぐりのおみ)、雀部臣(さざきべのおみ)、中臣連(なかとみのむらじ)、大宅臣(おおやけのおみ)、栗田臣(あわたのおみ)、石川臣(いしかわのおみ)、桜井臣(さくらいのおみ)、采女臣(うねめのおみ)、田中臣(たなかのおみ)、小墾田臣(おはりだのおみ)、穗積臣(ほずみのおみ)、山背臣(やましろのおみ)、鴨君(かものきみ)、小野臣(おののおみ)、川辺臣(かわへのおみ)、櫟井臣(いちいのおみ)、柿本臣(かきのもとのおみ)、...日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十五・五十二の氏に朝臣の姓を与える

  • ねこ日記と主のつぶやき 主、現実を叩きつけられる・その後2

    電気代が値上げされると、さらに物価が上がることは間違いない。となると、家を購入するのは、今がラストチャンスでは?今回を逃したら、次はいつ買える?がしかし、ワイらの、新しい家探し、第一希望の中古は、予算、耐久年数などなどの理由により却下。そこで、不動産屋さんに新築物件を勧められるも。ワイの眼鏡にかなう物件はゼロ。どうすんだ?俺たちの家。ほんと、どうすんだよ〜😱実は、この日。内見申し込んだ物件が中古物件以外にもう一つありました。なんだと。新築の物件で、ワイの希望をほぼほぼクリアーしている物件。その物件を内見してきました。で、結局どうしたんだ?まぁ、問題点はちょっとあるけれど、家族全員、気に入ったので購入を申し込んできました。今は、ローン審査待ちです。内見をしている際、窓からその土地の氏神様の鎮...ねこ日記と主のつぶやき主、現実を叩きつけられる・その後2

  • 神社参拝日記・洲崎神社

    洲崎神社(すさきじんじゃ)概要東京都江東区にある神社です。江戸時代の海岸線は当社の付近にありました。当時は風光明媚な場所のため、観光名所として繁栄しました。神紋・社紋主祭神市杵島比賣命(いちきしまひめのみこと)創建元禄13年(1700年)例祭8月3日略縁起元禄13年(1700年)護持院光大僧正の御尽力により、江戸城中紅葉山に五代将軍綱吉公の御生母桂昌院の守り本尊である弁財天(弘法大師作)と稲荷社を祀り洲崎弁天社と称しました。以来当社は江戸の観光名所として栄え、明治の神仏分離の際、洲崎神社と改めました。境内社殿狛犬手水舎神輿庫鳥居豊光殿・授与所津波警告の碑東京都指定有形文化財(歴史資料)波除碑所在地江東区木場六の一三の一三指定大正一三年二月五日府仮指定寛政3年(1791)、深川洲崎一帯に襲来した高潮により、...神社参拝日記・洲崎神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 六十四 ・未曾有の大地震

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十四・未曾有の大地震十四日、人定(じんてい)におよび、大地震がありました。国を挙げて、男女が叫び、唱え、東西も知らず、則ち山が崩れ、河が涌きました。諸国の郡の官舍、及び百姓の倉屋、寺塔、神社。破壞された類は数えきれないほどでした。これによりて、人民、及び六畜(ろくちく)が、多く死傷しました。時に、伊予湯泉(いよのゆ)は、没して、出なくなりました。土左国の田菀(たはたけ)の五十万余が、没して海となりました。古老が、「もし地が動いたのなら、未曾である」といいました。この夕に、鼓の如く、鳴聲(なきごえ)があり。東方から聞こえました。人があり、「伊豆嶋の西北の二面が、自然と三百丈余り増益し、更に一つの嶋となりました。則ち、鼓の如くの音は、この神が嶋を造る響きであった」といいました。...日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十四・未曾有の大地震

  • ねこ日記と主のつぶやき 主、現実を叩きつけられる・その後

    現実を見せられた主。その後、不動産屋さんは、ワイの住みたい地域・予算内でフルリノベーション物件を探してくれましたが…たったの1件。その物件、ワイの住みたい地域、間取りも希望通り、しかも、お値段もお手頃。が、しかし、最寄りのバス停から家までの道のりが、民家も少なくない上に、神社の鎮守の森や畑を通らないといけない。夜道が怖い、怖い。((((;゚Д゚)))))))無理無理無理。その後、不動産屋さんは、ワイの予算内で購入できる新築物件を、安い物件から順番に紹介してくれました。最初の物件は、お安いが、土地も建物も狭く、庭なし、隣も近い。せっかく都会を離れて、この地にやってきたのに、わざわざ、好き好んで、前回と同じような家に住みたくないよ〜😭次に紹介されたのは、住みたい地域、お値段もお手頃、これはいい...ねこ日記と主のつぶやき主、現実を叩きつけられる・その後

  • 神社参拝日記・江東天祖神社

    江東天祖神社(てんそじんじゃ)概要東京都江東区にある神社です。現社殿は戦火の中、東都にて唯一焼失を免れ、何百人もの命を救いました。神紋・社紋主祭神天照皇大神創建不詳別名江東天祖神社砂原神明宮例祭9月16日略縁起御創建は推古天皇の御代。天正年間、疫病大流行し当時の天下人・織田信長が使者を遣わせ流鏑馬式を奉納しました。以降恒例となり今も歩射となり続いています。(馬場の確保適わぬため)。現社殿は戦火の中、東都にて唯一焼失を免れ、何百人もの命を救いました。境内 社殿1923年(大正12年)関東大震災で社殿が焼失したため、日本初の防災建築(鉄筋コンクリート造り)にしました。現社殿は戦火の中、東都にて唯一焼失を免れ、何百人もの命を救いました。鳥居手水舎招魂碑昭和20年3月10日、東京大空襲の折、東京は大火災に見舞われ...神社参拝日記・江東天祖神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 六十三 ・八色の姓の詔 ・十三氏に眞人という姓を与える

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十三・八色の姓の詔・十三氏に眞人という姓を与える冬十月一日、詔して、「更に諸々の氏之の族姓を改め、八色の姓を作り、天下の萬姓を混ぜることとする。一曰く、眞人(まひと)、二曰く、朝臣(あそみ)、三曰く、宿禰(すくね)、四曰く、忌寸(いみき)、五曰く、道師(みちのし)、六曰く、臣(おみ)、七曰く、連(むらじ)、八曰く、稻置(いなき)」といいました。この日、守山公(もりやまのきみ)、路公(みちのきみ)、高橋公(たかはしのきみ)、三国公(みくにのきみ)、当麻公(たぎまのきみ)、茨城公(うまらきのきみ)、丹比公(たじひのきみ)、猪名公(いなのきみ)、坂田公(さかたのきみ)、羽田公(はたのきみ)、息長公(おきながのきみ)、酒人公(さかひとのきみ)、山道公(やまじのきみ)、十三氏に眞人と...日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十三・八色の姓の詔・十三氏に眞人という姓を与える

  • ねこ日記と主のつぶやき 主、現実を叩きつけられる

    昨日は、いきなり、ねこ日記お休みしてすみませんでした。ワイ、昨日は一日中出かけていたため、更新できなかったんですね。実は、終の住処探しに行っていたんです。お家、夢ですよね。関東に住んでいた時は、道路は西側に面して、さらに、家が密集していたため、日当たりが悪かった。さらに土地が狭く、庭なんぞ作るスペースなんてなかった😔せっかく、都会を離れたのだから、今までとは逆のお家に住みたい〜!んで、ワイの希望は、南道路に面して日当たり良好、広々としたお庭があり、老後を考え、一階にLDK以外に一室、そしてウォーキングクローゼット、パントリーも欲しい。そして、徒歩圏内で買い物できる場所がいい。しかしまぁ、ここ一年、物件サイトを見続けていますが…まぁ、そんな物件中々ありません。ワイの予算内で、条件を満たした物...ねこ日記と主のつぶやき主、現実を叩きつけられる

  • 神社参拝日記・吾嬬神社

    吾嬬神社(東京都墨田区)概要東京都墨田区にある神社です。日本武尊が東征の折、相模国から上総国に船で渡る途中、暴風にあい、妃・弟橘媛が自ら生贄となり、暴風を鎮めました。その後、岸に流れ着いた遺品を祀ったのが起源とされています。また、歌川広重の名所江戸百景・第31景「吾嬬の森連理の梓」で描かれています。神紋・社紋主祭神弟橘姫命 相殿日本武命 創建未詳例祭8月略縁起当社の縁起は諸説ありますが、「縁起」の碑によりますと、日本武尊が東征の折、相模国から上総国へ渡ろうとして海上に出た時、にわかに暴風が起こり、乗船も危うくなったのを弟橘姫命が海神の心を鎮めるために海中に身を投じると、海上が穏やかになり、船は無事、渡る事ができました。後に、弟橘姫命の御召物がこの地の磯辺に漂着し、これを築山に納めて吾嬬大権現として崇めたの...神社参拝日記・吾嬬神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 六十二 ・飛鳥寺の僧の福楊、罪に連坐する

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十二・飛鳥寺の僧の福楊、罪に連坐する十一日、三野王(みののおおきみ)等が、信濃国の図を進めました。十六日、宮中で斎を設けました。よってもって、罪のある舍人等を赦しました。二十四日、飛鳥寺の僧の福楊(ふくよう)が坐して、入獄(にゅうごく)しました。二十九日、僧の福楊は、自ら頸を刺して死にました。五月十四日、自ら化した百濟の僧尼、及び俗の男女、あわせて二十三人を、皆、武藏国に安置しました。二十八日、三輪引田君難波麻呂(みわのひけたのきみなにわまろ)を大使として、桑原連人足(くわはらのむらじひとたり)を小使として、高麗に遣わしました。六月四日、雩(あまひき)をしました。秋七月四日、廣瀬に幸しました。九日、廣瀬、龍田の神を祭りました。二十三日、彗星が西北に出ました。長さは一丈餘。・...日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十二・飛鳥寺の僧の福楊、罪に連坐する

  • 神社参拝日記・亀戸水神宮

    亀戸水神宮概要水神通り、亀戸水神駅などの由来となっている神社です。新田開墾の初め民が堤上に水神を勧請して水害を免れようと祈願し、創立されたました。 神紋・社紋主祭神弥津波能売神(罔象女神)創建未詳例祭6月第一日曜略縁起日本国中水神さまと言はれているお社は、恐らく数百社の多さに達するであろう。この神は普通一口に水神さまと呼ばれているが、そのほんとうの神名を知っている人は少ないと思う。この神は「ミズハノメ神」であって、古事記には「弥津波能売神」と書き、日本書紀では「岡象女神」と書かれていて、伊装那岐・伊装那美二神の御子神で畏くも天照大神の御姉神に当らせられる。父母の神は、我大八洲國を造り給うた國土経営の神であって、あらゆる神徳を備えられているが、この中特に「水」に関する一切の御神徳を受けて居られるのが、この水...神社参拝日記・亀戸水神宮

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 六十一 ・男女の衣服についての詔

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十一・男女の衣服についての詔また詔して、「男女、並びの衣服は、襴(すそつき)が有っても、襴が無くても、及び紐を結んでも、紐を長くしても、服するは意に任せる。その集会の日は、襴衣(すそつきのころも)と長紐を着けるように。ただ、男子は、圭冠(はしはこうぶり)があるなら、冠して、括緒褌(くくりおのはかま)を着るように。女は、年が四十以上は、髮を結わずとも、結っても、及び乘馬は縱でも横でも、並びに任意とする。別に、巫祝(ふしゅく)の類は、結髮の例にいれない」といいました。・襴(すそつき)縫腋(ほうえき)の袍(ほう)・半臂(はんぴ)・小直衣(このうし)などの裾に足さばきのよいようにつけた横ぎれ。すそつき・圭冠(はしはこうぶり)上辺中央を圭頭(はしはがしら)につくったかぶりもの。はしは...日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十一・男女の衣服についての詔

  • ねこ日記と主のつぶやき

    今日の二匹ノブさんのオヤツを狙うタケちゃん奪われるノブさん。食いしん坊だね頑張れノブさん。今日も癒しをありがとう。それでは、また。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村ねこ日記と主のつぶやき

  • 神社参拝日記・猿江神社

    猿江神社(さるえじんじゃ)概要源義家が前九年の役で出征の途中、当地の入江で家臣の「猿藤太」が亡くなり、現地に祠を建て葬ったのが起源です。地名の猿江は、藤猿太が亡くなった入江に由来します。神紋・社紋主祭神天照大御神(あまてらすおおみかみ)宇迦之御魂命(うがのみたまのみこと)創建康平年中(1058~1065年)別名猿江のお稲荷さん猿江稲荷神社例祭8月14日略縁起源頼義奥州遠征土岐、家臣の「猿藤太(さるのとうた)」という武将が、この地の入江で力尽きたのを地元の漁師たちが手厚く葬り、境内に塚を建てました。この縁起により「猿江」の社名となりました。康平年中(1058年)頃には稲荷社として境内地300坪を有していました。昭和21年に伊勢大御神を合祀し、社名を猿江稲荷神社より改称しました。境内社殿旧社殿は関東大震災にて...神社参拝日記・猿江神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 六十 ・軍事についての詔

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十・軍事についての詔また詔して、「凡そ政の要は軍事である。ここをもって、文武官の諸人は、務めて兵(つわもの)を用い、及び乘馬を習うように。則ち、馬と兵、あわせて身に当たる裝束の物は、務めて具にたくわえ、足すように。その馬がある者は、騎士(うまのりびと)として、馬がない者は、步卒(ほそつ)とする。並びに試練に当たり、聚(あつ)まり會(あ)うとき、障(さわ)りとなることなかれ。もし、詔の旨に忤(さから)い、馬、兵に不便があり、また裝束に闕(かけ)があるなら、親王以下、諸臣にいたるまで、並びに罰する。大山位より以下の者は、罰するなら罰し、うつべきなら杖とする。それ務めて習い、能く業を得た者は、もし死罪といえども、則ち二等減らそう。ただ、己の才に恃(たの)みに、故に、犯した者は、赦...日本書紀巻第二十九天命開別天皇六十・軍事についての詔

  • ねこ日記と主のつぶやき 豆〜っ!

    明日、2月3日は節分。そこで、近所のスーパーに買い物に行ったついでに豆を買おうと思ったら。見つからない。お願いイベントがあるときは、コーナーを作って分かりやすい場所に商品を置いて欲しい。明日、別のスーパーに行って探してみよう。今日の二匹膝の上で惰眠を貪るタケちゃんお気に入りの場所で二度寝するノブさん。保冷バックに入り込むノブさん。今日も癒しをありがとう。それでは、また。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村ねこ日記と主のつぶやき豆〜っ!

  • 神社参拝日記・亀戸浅間神社

    亀戸浅間神社(かめいどせんげんじんじゃ)概要東京都江東区亀戸にある浅間神社の一つです。関東最大級の茅の輪が有名です。また、日本武尊の妻・弟橘姫の伝説が伝えられている神社です。神紋・社紋主祭神木能花咲耶姫命(このはなさくやひめ)創建大永7年(1527年)例祭7月1日略縁起大永七年、室町時代、富士信仰ももっとも盛んな時代に、里人たちは、甘露寺元長に勧請し、霊峯富士山の御守護神、木能花咲耶姫命を戴き、この笄塚の上に浅間神社として建立し、御遷座をなした、とされています。境内社殿昭和二十年の東京大空襲の難を免れ、現在に至ります。鉄筋建築の社殿が増えている現代。希少な木造建築の社です。石造鳥居鳥居手水舎狛犬社務所富士塚(笄塚・こうがいづか)日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、また相模(さがみ)に進み、上総(かずさ)に...神社参拝日記・亀戸浅間神社

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 五十九 ・百寮の進止、威儀についての詔

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇五十九・百寮の進止、威儀についての詔閏四月五日、詔して、「來年の九月に、必ず閲(けみ)する。よってもって、百寮の進止(しんし)、威儀(いぎ)を教えるように」といいました。・閲(けみ)調べる・進止(しんし)立ち居振る舞い。挙動・威儀(いぎ)動作、姿勢、容姿あるいは儀式などが正しい作法、礼式にかなっていること。また、そのような動作、姿勢、容姿、儀式の様子。また、作法にかなっているために重々しく威厳のある立ち居振る舞いをいう(感想)(天武天皇13年)閏4月5日、詔して、「来年の9月に、必ず査閲をする。よって、百寮の立ち振る舞い、動作、姿勢、容姿、儀式など正しい作法を教えるように」といいました。明日に続きます。読んでいただきありがとうございました。←前のページ<<<>>>次のページ→...日本書紀巻第二十九天命開別天皇五十九・百寮の進止、威儀についての詔

  • ねこ日記と主のつぶやき

    写真の整頓をしていたら、あっという間に時間が経っていた。2500枚ほど減らしたが、未処理のものがまだまだある。どうしよう。面倒臭い😔今日のノブさん猫様のネタがないので、今日はこの辺で。御訪問ありがとうございました。ランキングに参加中。励みになります。ポッチっとお願いします。MIX多頭飼いランキングにほんブログ村ねこ日記と主のつぶやき

  • 神社参拝日記・日枝神社(葛飾区新宿)

    日枝神社(ひえじんじゃ)(葛飾区新宿)概要以前は宿場町だった東京都葛飾区新宿の鎮守社です。新宿は、江戸時代水戸街道の宿場町で、成田街道との分岐点でした。神紋・社紋主祭神大山咋命(おおやまくいのみこと)創建創建年代未詳(一説では室町時代末期と推測)別名新宿日枝神社例祭9月15日略縁起以前は宿場町だった新宿の鎮守社です。江戸時代には「山王社」という名称でした。武蔵風土記によれば、元禄時代は山王大権現と称し、現在地より西方に位置しましたが、享保14年(1729年)に中川改修工事に伴い現在地に遷りました。御祭り神の別名は山末大主神で、比叡山の守護神とされています。明治時代に「日枝神社」と改称しました。境内拝殿神楽殿社殿・幣殿・神楽殿ともに平成20年(2008年)に建て替えられました。手水舎鳥居日枝神社の赤い鳥居は...神社参拝日記・日枝神社(葛飾区新宿)

  • 日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 五十八 ・都となる地を占わせる

    日本書紀巻第二十九天命開別天皇五十八・都となる地を占わせる十三年春正月十七日、三野県主(みののあがたぬし)、内藏衣縫造(くらのきぬぬいのみやつこ)、二氏に連という姓を賜りました。二十三日、天皇は、東庭に御していました。群卿は侍っていました。時に、能く射る人、及び侏儒(しゅじゅ)、左右の舍人(とねり)等を召して、射らせました。 二月二十四日、金主山(きんしゅせん)を筑紫で饗(もてな)しました。二十八日、浄広肆広瀬王(じょうこうしひろせのおおきみ)、小錦中の大伴連安麻呂(おおとものむらじやすまろ)、及び判官、録事(ふびと)、陰陽師(おんようじ)、工匠(たくみ)等を畿內に遣わして、まさに都となる地を視、占わせました。この日、三野王(みののおおきみ)、小錦下の采女臣筑羅(うねめのおみつくら)等を信濃に遣わして、地...日本書紀巻第二十九天命開別天皇五十八・都となる地を占わせる

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