2014年9月12日(ハワイ) 妻が亡くなる前日に妻と交わした、 「ハワイの海に散骨してほしい。」 という約束を果たす為に、ダイヤモンドヘッドを臨む、 カピオラニパークに来ています。 ハワイの海で亡くなったサーファーのための、 散骨の儀式と同じ方法で、 妻の散骨をするために、友人達が集まってくれました。 膝あたりまで海に入り、手を繋いで輪になり、黙祷をして 水に溶けるレイと一緒に、お骨を海に流します。 サラサラした妻のお骨が、 紺碧の海に まるで宝石をちりばめたように キラキラと光りながら 溶けていきます・・・ 御葬式や納骨の方法は、宗派や個人の考え方によって いろいろとあると思います。 普通…
2014年5月12日に、4年半の闘病後、妻が亡くなり・・・ 5月20日に斎場で「お別れの会」で妻を送った後・・・ 僕は一週間、家から一歩も出ずに引きこもっていました・・・ 朝目覚めた時に、いつもとなりにあった優しい温もりがありません・・・ 愛犬のアロハはいつも以上に、ベッタリと僕から離れません・・・ いつもアロハを真ん中にして、妻と並んで座ってたリビングのソファーに 何をするのでもなく、ただぼ~っと・・・ 気が付くと、いつの間にか窓の外は真っ暗になっていて・・・ 一日が終わろうとしていました・・・ いつ、食事をしたのかさえ覚えていませんでした・・・ 何度も携帯電話が鳴ってるようでした・・・ 心…
今日は妻の命日です。 2014年5月12日 享年54歳でした。 今日で5年が経ちました・・・ 妻の遺言通り、お骨の半分はハワイの海に散骨して、 お骨上げの時に、娘の分と僕の分とを、 アッシュペンダントに分けて、 後はいつでも会いに行けるようにと、 新宿区弁天町のお寺に預けています。 今日は中央線で中野駅まで行き、 東西線に乗り換えて早稲田駅で降り、 片道1時間をかけて、お墓参りをしてきました。 今日の東京は、穏やかな風が吹いて、 とても気持ちがいい天気でした。 日曜日ということもあり、お墓参りをするご家族連れが多く それぞれの家庭に、悲しい別れがあったのだろうと思うと、 熱いものがこみ上げてき…
参列者全員の「千の風になって」の大合唱の後に、 娘と僕の挨拶が終わり、いよいよ最後のお別れの時間が きてしまいました・・・ 参列者全員が最後に、1人ずつ妻とお別れをして・・・ 斎場から渡り廊下を通り、火葬場へ・・・ 僕の記憶には全くないのですが、 後から友人に聞いた話しによると・・・ 妻の棺桶と一緒に僕も火葬炉に入ろうとして、 慌てて止められたそうです・・・ どれほどの時間が経ったのかは覚えていません・・・ 火葬炉から出てきた時の光景に・・・ 娘は膝から崩れ落ち・・・ 大声で泣き出しました・・・ 僕は娘の肩を抱き抱え、妻の元へ歩み寄りました・・・ そして・・・ お骨上げです・・・ 最初に歯を納…
参列者の誰もが、ここが葬儀場であることを、 忘れてしまうほどの錯覚に陥る不思議な空間に僕は居ました。 お経の代わりに流れていたハワイアンミュージックから、 妻がステージでよく歌うオペラに曲が変わり、 妻の歌声が会場内に流れ始めると・・・ 参列者全員の手が止まり、 ステージ中央の妻の遺影を見つめていました。 そこは、従来の葬儀の型から外れ、 いつも妻が立っているステージと変らない、 妻のラストステージにふさわしい、見事な演出でした。 歌が終わると、一人、また一人と拍手が湧き、 最後には、全員の涙と拍手と歓声で、会場が揺れていました。 お別れの会も終わりに近づき、 娘が母親との思い出を語り出すと、…
2014年5月20日 目の前に広がった景色は、そこだけを切り取ると、 誰もそこが斎場とは思えない空間でした。 妻の希望通り、菊の代りに全面、ハイビスカスとプルメリアが 妻の遺影を囲み、 その中心には、最後のコンサートで着用した 鮮やかなオレンジの舞台衣装で、とびっきりの笑顔の妻が・・・ 次々と到着する参列者・・・ 妻の希望通り、全員が色とりどりのアロハシャツやムームーを着て、 まるで、ハワイアンフェスティバルの会場のような雰囲気の中、 BGMのハワイアンミュージックが流れています。 最初に、この奇想天外な内容を斎場に申し入れたとき、 さすがに斎場の偉い方も困惑した様子でしたが、 最後は快く承諾…
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