コロナ・・・ 1人1人が細心の注意を払って、最善を尽くせば 終息に向かっていくと思います。 ところが、いくら細心の注意を払っていても どうしようもできないこともあります。 「癌」もその一つです。 癌はいくら細心の注意を払っていても 突然襲ってきます。 妻も突然襲ってきた病によって力尽きました。 逝ってしまった者も・・・遺された者も・・・ その悲しみは永遠に心に残ります・・・ 妻が亡くなる前日に約束しました。 少しでも安らぎを感じられるような・・・ 少しでも孤独から解放されるような・・・ 少しでも希望をつなぐことができるような・・・ そんなコミュニティを作って欲しい・・・ そんな妻との約束を少し…
父が亡くなりました・・・ 母が脳梗塞で倒れたときに、 それまでに一代で築き上げた財産の全てを投げ出して 母の命を救ったそうです。 父は 「全てを失った代わりにこいつが残った・・・。」 父と酒を酌み交わすときには 必ずこの話しをしていました・・・ そんな母も妻が亡くなった年に亡くなりました・・・ そんな父なので、 自分の娘に全てを懸けた僕の気持ちを 一番理解してくれました・・・ 僕も全てを懸けて母を救った父の気持ちが分かりました・・・ 血は繋がっていませんが、お互いがいい理解者でした・・・ そんな大好きな父が亡くなりました・・・ 心が・・・ 痛いです・・・ 私は生きている
昨今の報道番組の7~80%はコロナ関連の内容で、 毎日、都道府県別の感染者数や死亡者数の増加、医療崩壊、 日に日に深刻な状況になっていく中、変わり映えのない国の政策・・・ 毎日同じものを見せられていると、 まるで他人事のように思えてくる自分に怖さを感じた・・・ そんな中、昨日某局のニュース番組である市議会の様子を撮った映像を流した。 議題はもちろん、ほとんどがコロナ関連だった。 初めは何気なく見ていたが、映像が進むにつれて、 怒りがこみ上げてきた。 市民の代表である市会議員が、 それも人の生き死にに関わる内容を話し合う場で、 なんと居眠りをしている議員が数名・・・ 中でも一番目を疑ったのは タ…
僕は30代前半に一過性脳虚血発作で病院に運ばれた。 脳の血管が詰まって、血液が流れなくなる病気だが、 幸いにもすぐに流れ始めたので、脳梗塞にはならずに済んだ。 当時は「24時間戦っている猛烈サラリーマン」で、 飲酒、喫煙、睡眠不足の毎日で、 病気になってあたりまえの生活だった。 その日から禁酒禁煙、栄養バランスを考えた食事に加え、 血圧を下げて(発症時、上が190、下が120) 血流を良くする薬を毎日服用するようになった。 この生活は30年以上、今も続いている。 初めは運び込まれた大学病院に通院していたが、 2時間以上待たされたあげく、診察はわずか5分・・・ 通院に往復1時間半かかった。 それ…
第99回全国高校サッカー選手権決勝 山梨学院 VS 青森山田 全国3962校の頂点に立ったのは・・・ 前後半90分 2-2 で延長戦20分の死闘の末、決着が付かず、 PK戦までもつれ込み、勝利を手にしたのは・・・ 山梨学院高校 本当に素晴らしい試合でした! 両校の選手、監督、コーチ、家族ならびに両校の全校生徒、などなど・・・ 全ての人々が勝利に向かって一丸となり、 一生懸命 でした! 最後の一分一秒まで誰1人として諦めることはしません! その姿を見て・・・ 心が震えました・・・ 今の日本の政治家全員が・・・ 日本国民全員が・・・ 世界中の人々が・・・ この高校生と同じ気持ちでコロナに立ち向かっ…
今日も朝から清々しい青空で、気分爽快ですが・・・ 「緊急事態宣言」が7日にも発令ということで、 いったい日本はどうなっていくのでしょうか? さて、気持ちを切り替えて・・・ 昨日のblogで「F-CONNECT」の設立に伴い、 「CONNECT CLUB」というコミュニティを作ることを発表しました。 まずは 「CONNECT CLUB」 のホームページを自主作成するために(経費削減(^0^)) 「WordPres」をインストールして、さっそく画面の手順解説に従って 作り始めたのですが・・・ むずかしい~涙 初っぱなから急ブレーキです😭 今の僕のスキルでは難しすぎです・・・ でも今年の僕は去年とは…
明けましておめでとうございます🎍 年末年始、みなさんはどのようにお過ごしでしたか? 僕は徹底したホームステイで、外出は必要最低限にして ほとんどこたつの中でゆっくり過ごしました。 おかげさまで(笑)たっぷり時間があったので、 昨年から考えていた構想を実現するために 具体的な計画を立てました。 6年ぶりに会社を設立します。 (といっても個人経営ですが・・・💦💦) 会社名は 【 F-CONNECT 】 「F」 = 「Future」 (未来) の略で、 「未来に繋げる」 という意味です。 主な事業目的は 1 癌患者さんを繋げる 2 Hawaiiと日本を繋げる これは妻が亡くなる前日に約束したことです…
行きつけの美容室が最近営業していないので、 HOT PEPPER Beautyで探してみました。 自宅の最寄り駅には選ぶのに苦労するくらい、 たくさんの美容室がありました。 いろいろと比べてみましたが、詳細情報だけでは 判断がつきません。 その中でも店舗名が僕の目を惹き付けました。 「ロカヒ」 ハワイ語で「絆」です。 店名が気に入ったので、 早速17:30に予約を入れました。 5年通った美容室を変えるのは勇気がいります。 予約5分前に来店すると、一瞬で不安が吹っ飛びました。 店内はあらゆる場所に Hawaiiを思い出させてくれる内装や、アイテムでいっぱいで、 思わず笑顔になったのは言うまでもあ…
毎日、僕の過去のblogを読んで頂き、 たくさんの☆をくださる読者さんがいらっしゃいます。 そのたびに当時のblogを読み返してみます。 想像を絶する闘病生活・・・ 常に「死」と隣り合わせの恐怖と闘う日々・・・ それでも笑顔を絶やさず前向きに生きている妻・・・ 10年も前のことですが、まるで昨日の事のように、 鮮やかに蘇ってきます・・・ そうそう・・・ 昨日、夢に妻が会いに来てくれました。 久しぶりの妻の笑顔は・・・ 「最高の笑顔」でした・・・ そして僕がいつまでもメソメソして、 生きていく事に弱気になっていることを 悲しんでいるようでした・・・ 僕は妻にプロポーズしたときに、 「必ず幸せにす…
写真の中の妻はいつも僕に微笑んでいます。 僕が大好きな「妻のとびっきりの笑顔」を見て 僕も微笑み返します。 でも・・・ いつからか僕の笑顔は悲しみにあふれた不思議な笑顔です。 僕は自分が出来ることは 「途中で諦めず最大限の努力」 をしてきました。 自分ではどうしようも出来ないことは 「全て受け入れる」 ように努力しました。 でも・・・ 「妻の死」 だけは・・・ どうしても受け入れることが出来ません・・・ 残されることが・・・ こんなに辛いなんて・・・ 時間が解決しますか? いつか心から微笑むことはできますか? 誰か・・・ 教えてください・・・ 私は生きている生きている
一日が終わり、 なかなか寝付けない夜に・・・ ふと思うことがあります。 「なぜ頑張るのだろう」 「自分は頑張っている」って 自分に言い聞かせている・・・ 「頑張って生きている自分」に対して・・・ 本当は頑張りたくないのかもって・・・ 妻が亡くなる前日に 僕に残した言葉・・・ 「あなたは頑張って長生きしてね」 僕に残していった妻の最後の言葉が・・・ 今・・・ 重くのしかかってくる・・・ 私は生きている
今日は突然カレーが食べたくなったので、 午後から カレーの材料を買いに行きました。 僕が作るカレーは何種類ものスパイスを入れて、 肉や野菜もこだわりの食材を使った本格的なものではなく、 スーパーの野菜売り場でなるべく新鮮で安価なものを選び、 美味しそうな牛肉を横目で見ながら、鶏もも肉をカゴに入れて ルーはもちろん、インスタントです。 いつものように食べる時にお皿の中でしっかりと存在感を出すようにニンジン、タマネギ、ジャガイモは大きく切って、 じっくり煮込みます。 男の料理はカッコイイと言われますが、 実は妻の病状が悪化し始めて、料理が出来なくなってから 見よう見まねで始めたものです。 1年近く…
11月25日 東京都で唯一、 「日本の滝百選」に選ばれた名瀑 「払沢(ほっさわ)の滝」 に紅葉を見に行ってきました。 駐車場から滝まではゆるやかな傾斜の遊歩道で、15分ほど歩くと 落差62メートル、全4段からなる滝が現れ、 静水がキラキラと輝きながら 静かに滝壺に注がれていました。 駐車場と滝との往復でわずか5人の観光客しかすれ違わず、 少なからずコロナの影響は否めないと感じながらも、 人がいない場所では久しぶりにマスクを外して、 思い切り深呼吸をして、清流が奏でる優しい音を楽しむことができました。 一瞬、時が止まったような錯覚さえ思わせる穏やかな空間の中で、 ふと、ハワイの海に眠っている妻を…
1年ぶりの投稿です。 タイトル通り・・・ 「私はなんとか生きていました」(^0^) 皆さんはどうお過ごしですか? 僕は妻との約束を守るために、「がん友の会」というNPOを設立する準備を していましたが、今年の初めからのコロナ渦が原因で断念しました。 ハワイの海に眠っている妻に会いに行くことも出来ずにかなり落ち込んでいましたが、 いつコロナが終息してハワイに行けるかわからないので、 このたび 「ハワイ大好き」「ハワイに行ってみたい」「ハワイに興味がある」 「ハワイに起業したい」など、とにかくハワイに関する情報交換や、 気軽におしゃべりができる交流会の場として 「Connect=Club」 という…
妻との約束を果たすために、そろそろ動き始めます。 妻との約束・・・ それは、癌患者さんとそのご家族の心に寄り添うための NPO法人の設立です。 妻は10年前に5年以上の生存率が7%未満の 「子宮平滑筋肉腫」という悪性の進行癌を発病して、 3回の手術と放射線治療、抗がん剤治療を受け、 2014年5月12日に亡くなりました。 闘病中も声楽家の仕事を毎日こなし、 ハワイの新聞に自身の闘病記録をコラムに掲載して、 日本とハワイの癌患者さんとそのご家族と共に、 生きる希望を分かち合い、最後の最後まで笑顔を絶やさずに 生き抜きました。 そんな妻は、僕の誇りであり、僕の全てでした。 妻が亡くなる前日に、僕は…
最近、僕のBlogの読者になって頂いた方のBlogを拝見して、 思ったこと、感じたことを書きます。 タイトルの「生き続ける理由」を見て、皆さんはどう感じたでしょうか? 「生き続けるのに理由なんてないでしょう!」 「そんなこと考えたことも無い!」 正直、僕も家内が亡くなる前は、1mmも考えたことはなかったです。 ただ、僕よりも大切な最愛の人が亡くなってから思いました・・・ 「生きる理由」が無ければ「生き続ける事」ができない人もいると・・・ 僕がそうです・・・ だから「生き続けなければならない人」は、 「その理由」が分かるまでは「生きていく事」が苦しいのだと思います。 もし、あなたがこのBlogを…
妻が亡くなる前日に、妻と二つの約束をしました。 一つ目の約束は、僕が長生きすること。 この約束をさせられたのは、妻が亡くなった後に、僕が妻の後を追うことを 妻に悟られたからです。 「死」を覚悟した妻は自分の事よりも、僕の事を心配していました。 僕は妻が逝った後に妻の元に行くことで「妻の死」を受け入れようとしていたので、 この約束は正直辛かったし、妻を恨みました。 僕が「頑張れる理由」は、僕が「生きる理由」は「妻」だったし、 妻が「僕の全て」だったからです。 おそらく後を追うであろう弱い僕を、叱咤するつもりだったと思います。 ですから、妻の元へ行こうとした僕を 「まだ二つの約束を守ってないから、…
約2ヶ月ぶりのblog更新です。 前回は僕が自殺未遂を起こした動因について書きました。 5年前に妻を癌で亡くしました・・・ その1年後に喪失感が原因のうつ病を発症して自殺未遂・・・ 精神科の閉鎖病棟に4ヶ月入院・・・ 退院して3年半が経ちました・・・。 退院してからの3年間・・・ 「生と死」について考える時間が多くなりました・・・ 人は生まれた瞬間に産声を上げ、大声で泣き、誕生したことを 両親に訴えます。 両親は無事に生まれてきた我が子を見て、喜びの涙を流します。 死ぬ瞬間はどうでしょう・・・ まだ死にたくないという未練をこの世に残して逝ってしまう・・・ 逝く瞬間・・・ 人は何を考えるのでしょ…
閉鎖病棟の入院も1ヶ月が過ぎると、だんだんまわりが見えてきて、 自然と挨拶を交わしたり、会話をするようになったりした。 閉鎖病棟は病院の3Fにあり、起床から消灯までは、 男女一緒に生活をする。 出入り口は一つで、当然しっかりと施錠されている。 入院中に男性患者が脱走を試みたが、10分で取り押さえられた。 入院2ヶ月を過ぎた頃に、病院内での散歩が許可された。 緑が多い、広い庭に出て大きく深呼吸をすると、 空気がこんなにも美味しいことを初めて知った。 ベンチに座り、広く真っ青に澄んだ空を見上げていたときに、 あらためて1人になってしまったことに気づき、 涙が止まらなくなった・・・ そばにいた看護師…
その時は何も考えていなかった・・・ 考えられなかった・・・が正しいのかもしれない・・・ ただ、妻がいる場所に行きたかった・・・ あともう一歩踏み出せば・・・妻に逢える・・・ そこからの記憶が無い・・・ 気が付いた時には、精神科の閉鎖病棟のベッドに寝ていた・・・ その日から4ヶ月と10日間の入院生活が始まった・・・ 毎朝同じ時間に起きて、同じ時間に食事を摂り、 同じ時間に薬を飲み、同じ時間に就寝・・・ そして翌朝、同じ時間に起きて・・・ その繰り返し・・・ 閉鎖病棟の入院患者は症状が重いため、 大声で訳の分からない言葉で叫んでは大暴れして、 2~3の看護師に取り押さえられ、 監獄のような1人部屋…
気が付くと白い天井が見えた・・・ どうやら眠っていたみたいだ・・・ 起き上がろうとしたら、頭に痛みが走った・・・ 頭の中がモヤモヤした感じで、 夢の中なのか、現実なのか分からなかった・・・ 「僕はどうしたのだろう・・・」 しばらくして、少しずつ思い出してきた・・・ 妻の子宮全摘出手術の日・・・ 術後にステージ4の癌と告げられ・・・ 余命宣告・・・ その日から始まった闘病の日々・・・ そして・・・ 妻の死・・・ ハワイの海への散骨・・・ まるで走馬灯のように、映像が時系列で浮かんできた・・・ そしてハッキリと思い出した。 僕は、ハワイで妻の手術をするために、ハワイに移住する計画を、 妻が亡くなっ…
2014年9月12日(ハワイ) 妻が亡くなる前日に妻と交わした、 「ハワイの海に散骨してほしい。」 という約束を果たす為に、ダイヤモンドヘッドを臨む、 カピオラニパークに来ています。 ハワイの海で亡くなったサーファーのための、 散骨の儀式と同じ方法で、 妻の散骨をするために、友人達が集まってくれました。 膝あたりまで海に入り、手を繋いで輪になり、黙祷をして 水に溶けるレイと一緒に、お骨を海に流します。 サラサラした妻のお骨が、 紺碧の海に まるで宝石をちりばめたように キラキラと光りながら 溶けていきます・・・ 御葬式や納骨の方法は、宗派や個人の考え方によって いろいろとあると思います。 普通…
2014年5月12日に、4年半の闘病後、妻が亡くなり・・・ 5月20日に斎場で「お別れの会」で妻を送った後・・・ 僕は一週間、家から一歩も出ずに引きこもっていました・・・ 朝目覚めた時に、いつもとなりにあった優しい温もりがありません・・・ 愛犬のアロハはいつも以上に、ベッタリと僕から離れません・・・ いつもアロハを真ん中にして、妻と並んで座ってたリビングのソファーに 何をするのでもなく、ただぼ~っと・・・ 気が付くと、いつの間にか窓の外は真っ暗になっていて・・・ 一日が終わろうとしていました・・・ いつ、食事をしたのかさえ覚えていませんでした・・・ 何度も携帯電話が鳴ってるようでした・・・ 心…
今日は妻の命日です。 2014年5月12日 享年54歳でした。 今日で5年が経ちました・・・ 妻の遺言通り、お骨の半分はハワイの海に散骨して、 お骨上げの時に、娘の分と僕の分とを、 アッシュペンダントに分けて、 後はいつでも会いに行けるようにと、 新宿区弁天町のお寺に預けています。 今日は中央線で中野駅まで行き、 東西線に乗り換えて早稲田駅で降り、 片道1時間をかけて、お墓参りをしてきました。 今日の東京は、穏やかな風が吹いて、 とても気持ちがいい天気でした。 日曜日ということもあり、お墓参りをするご家族連れが多く それぞれの家庭に、悲しい別れがあったのだろうと思うと、 熱いものがこみ上げてき…
参列者全員の「千の風になって」の大合唱の後に、 娘と僕の挨拶が終わり、いよいよ最後のお別れの時間が きてしまいました・・・ 参列者全員が最後に、1人ずつ妻とお別れをして・・・ 斎場から渡り廊下を通り、火葬場へ・・・ 僕の記憶には全くないのですが、 後から友人に聞いた話しによると・・・ 妻の棺桶と一緒に僕も火葬炉に入ろうとして、 慌てて止められたそうです・・・ どれほどの時間が経ったのかは覚えていません・・・ 火葬炉から出てきた時の光景に・・・ 娘は膝から崩れ落ち・・・ 大声で泣き出しました・・・ 僕は娘の肩を抱き抱え、妻の元へ歩み寄りました・・・ そして・・・ お骨上げです・・・ 最初に歯を納…
参列者の誰もが、ここが葬儀場であることを、 忘れてしまうほどの錯覚に陥る不思議な空間に僕は居ました。 お経の代わりに流れていたハワイアンミュージックから、 妻がステージでよく歌うオペラに曲が変わり、 妻の歌声が会場内に流れ始めると・・・ 参列者全員の手が止まり、 ステージ中央の妻の遺影を見つめていました。 そこは、従来の葬儀の型から外れ、 いつも妻が立っているステージと変らない、 妻のラストステージにふさわしい、見事な演出でした。 歌が終わると、一人、また一人と拍手が湧き、 最後には、全員の涙と拍手と歓声で、会場が揺れていました。 お別れの会も終わりに近づき、 娘が母親との思い出を語り出すと、…
2014年5月20日 目の前に広がった景色は、そこだけを切り取ると、 誰もそこが斎場とは思えない空間でした。 妻の希望通り、菊の代りに全面、ハイビスカスとプルメリアが 妻の遺影を囲み、 その中心には、最後のコンサートで着用した 鮮やかなオレンジの舞台衣装で、とびっきりの笑顔の妻が・・・ 次々と到着する参列者・・・ 妻の希望通り、全員が色とりどりのアロハシャツやムームーを着て、 まるで、ハワイアンフェスティバルの会場のような雰囲気の中、 BGMのハワイアンミュージックが流れています。 最初に、この奇想天外な内容を斎場に申し入れたとき、 さすがに斎場の偉い方も困惑した様子でしたが、 最後は快く承諾…
2014年5月10日 妻が亡くなる2日前に、妻から、 「お願いがあるから、書き留めて欲しい。」 と言われました。 まだこの時点では、少し会話ができました。 お願いの内容を聞いて、僕は言葉を失いました・・・ その願いとは・・・ 自分の葬儀の演出でした。 1 参列者の名前 2 菊の花ではなく、プルメリアとハイビスカスを飾る 3 BGMにはハワイアンと、私(妻)の歌を流す 4 喪服ではなく、男性はアロハシャツ、女性はムームーを着用 5 お線香はあげず、お坊さんも呼ばない 6 お骨はハワイの海に散骨する 以上が、妻の葬儀の希望でした。 妻の職業は、プロの声楽家で、 自分のステージは、いつも自ら演出をし…
「苦しいから・・・楽にして・・・」 妻の唇が、そう動きました・・・ 僕は担当医にお願いしました・・・ 「妻を楽にしてあげてください・・・」 「モルヒネの量を増やせば、苦しみはなくなりますが、 会話はできなくなります」 「お願いします・・・」 つながれている点滴を通して、 モルヒネが妻の身体に入っていきました・・・ 妻の表情が、少しずつ柔らかくなっていきました・・・ それから約1時間後・・・ 妻が今、生きている証の波形が・・・ 徐々に間隔が開き・・・ 山が小さくなっていきました・・・ 僕は心の中で・・・ 生きろ!! 生きろ!! 生きろ!! 何度も叫び続けました! その祈りも届かず・・・ 無情にも…
2014年5月9日 妻は自宅で呼吸困難に陥り、意識を失い、 かかりつけの病院に救急搬送されました・・・ その時すでに、妻の肺は子宮から転移した癌細胞で、 片方の肺は全く機能しておらず、 もう片方の肺も半分以上は潰れた状態でした・・・ 担当医の迅速で的確な応急処置のおかげで、 何とか一命を取り留めましたが、 危ない状態は続きました・・・ 5月10日(入院2日目) 妻の意識は戻っていましたが、 息がし辛い様子で、とても苦しそうでした・・・ この日、担当医から 「残念ですが・・・もって2日です・・・」 と、最後の宣告を受けました・・・ 妻がこの世からいなくなる・・・ この現実を、どうしても受け入れる…
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