chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel

本ブログ / 学術・専門書

※ランキングに参加していません

Capital diary
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2020/11/15

arrow_drop_down
  • 精神的にも肉体的にも非人間化された存在として生産する。

    今日は早朝に『資本論』第一巻第23章を読み、午後からは『経済学・哲学草稿』を読む。「生産は人間を、一つの商品、人間商品、商品という規定における人間として生産するばかりでなく、この規定に対応して、生産は人間を、精神的にも肉体的にも非人間化された存在として生産する。」(p.109)精神的にも肉体的にも非人間化された存在として生産する。

  • 佐藤優の資本論。マルクスの資本論

    佐藤優の資本論。マルクスの資本論佐藤優の資本論。マルクスの資本論

  • 「毎朝死んでおけ」これは自分がいつも反芻している一文である。

    『葉隠』は三島由紀夫が好んで読んだ書物としても知られている。自分は三島の『葉隠入門』ではなく、中公の「日本の名著」で初めてこの作品に触れた。とかく右派的なイメージの濃い書物ではあるが、読んでみれば右とか左とかの些細なことはすぐに吹き飛ぶだろう。そして、開くたびにいつも自分がリセットされたような気持ちになる。「毎朝死んでおけ」これは自分がいつも反芻している一文である。マルクス主義者であっても『葉隠』を読むのである。「毎朝死んでおけ」これは自分がいつも反芻している一文である。

  • 宇野原論は岩波文庫にも入っていて、もっとも多くの人が読むに違いない。

    マルクス経済学のテキストになる経済原論の本は意外に少ない。自分が持っているのは宇野弘蔵、日高普と鈴木鴻一郎の3冊。宇野原論は岩波文庫にも入っていて、もっとも多くの人が読むに違いない。他の2冊は入手困難な本で、僕はいずれも古書店から購入した。鈴木原論(原理論)はまだ未読。日高原論は注で他の2原論についての言及があるため、3人の考え方の違いが比較できる。マルクス経済学は論争が多いが、そこがまた面白い点でもあるね。宇野原論は岩波文庫にも入っていて、もっとも多くの人が読むに違いない。

  • 今日みたいな暑い日は特に。

    『資本論』は全3巻でその中の篇の数はトータルで17。その中で一番読みずらいのが「利子生み資本」。中でも第33章から35章までは引用も多く、何が言いたいのかがつかめない。解説本もこの部分の説明はすごく短い。抜き書きでも、第一巻のような労働者の悲惨な現状ならともかく、手形引き受けや準備金の話が続くと眠気に襲われる。今日みたいな暑い日は特に。今日みたいな暑い日は特に。

  • 時間はあるのに同じページを何度も読むという有様だつた。

    今日は自宅で『資本論』がほとんど読めなかった。移動が多く、打ち合わせが入っていて気ぜわしい日だった。移動中の電車では岩波文庫の第9章「一般的利潤率…」を開いたけど、いろんなことが気になって少しも進まない。時間はあるのに同じページを何度も読むという有様だつた。まあ、たまにはこんな日もあるかな。時間はあるのに同じページを何度も読むという有様だつた。

  • 国民文庫、残っているのは『資本論』だけで、他はすべて絶版

    『資本論』はいま第一巻は大月書店の文庫本を読んでいる。この文庫には「国民文庫」という名がついていて、第3分冊は国民文庫25と記されている。この国民文庫、残っているのは『資本論』だけで、他はすべて絶版になって古書店かフリマでしか買えない。僕の大学時代には生協の書店にたくさんの国民文庫が並んでいて、当時はレーニンの『帝国主義論』や『貧農に訴える』などを買って読んだ。国民文庫はマルクス主義文献の宝庫でもあった。今は昔。国民文庫、残っているのは『資本論』だけで、他はすべて絶版

  • 賃金労働者は見えない糸によって、その所有者につながれている。

    今日は第一巻第21章「単純再生産」の残りから。「ローマの奴隷は鎖によって、賃金労働者は見えない糸によって、その所有者につながれている。賃金労働者の独立という外観は、個々の雇い主が絶えず替わることによって、また契約という擬制によって、維持されるのである」(p.120)これは現代にも当てはまるね。糸は切れやすいから「見えない鎖」のほうが妥当かもしれない。賃金労働者は見えない糸によって、その所有者につながれている。

  • 「貨幣資本と現実資本III」のところも結局字面を負っただけ。

    現在『資本論』は第一巻と第三巻を同時に読んでいる。第三巻は第五篇の「利子生み資本」に入っているが、ここは『資本論』のなかでも一番読みにくく、わかりにくくい。マルクスが残した下書きや断片のようなものをエンゲルスが苦労して編集したこともあって、もっとも読む気の失せるところ。今日の「貨幣資本と現実資本III」のところも結局字面を負っただけ。「貨幣資本と現実資本III」のところも結局字面を負っただけ。

  • すべての国民が読むべき、いわば国民課題図書だと思う。

    憲法の基本書といえば、昔は清宮・宮沢、その後は佐藤幸治を使う人が多かったが、今はこの芦部憲法を読む人が多い。佐藤憲法は読むのに骨が折れるが、本書ははじめて憲法を学ぶ人も読みやすいのが特長。著者がなくなったあとも高橋和之氏が補訂し、新しい判例も加えて版を重ねている。この本はすべての国民が読むべき、いわば国民課題図書だと思う。憲法の条文や基本原理すら知らずに改正論議などもってのほか。すべての国民が読むべき、いわば国民課題図書だと思う。

  • 『資本論』のほうはまだまだ序の口レベル。

    『資本論』は分量が多く、中身も難しい。長編の著作は過去に「源氏物語」やトルストイの「戦争と平和」などを読んできたが、読む期間、難易度は『資本論』の比ではない。もちろん専門書と小説の違いはあるけどね。「源氏」は20年ほど前、日本古典文学全集で頭注や現代語訳をみながら原文を3か月半ほどかかって読んで、内容もよく分かったけど、『資本論』のほうはまだまだ序の口レベル。『資本論』のほうはまだまだ序の口レベル。

  • 労働者が骨身を削って働けば働くほど、彼が自分に対立して創造する疎遠な対象的世界がますます強大となり

    『資本論』は第一巻20章の「労賃の国民的相違」を読んだのみ。そのあとは「経済学・哲学草稿」を読んでいた。第一草稿のメインは「疎外された労働」だけど、後半にわかりにくい個所が多くなる。「労働者が骨身を削って働けば働くほど、彼が自分に対立して創造する疎遠な対象的世界がますます強大となり、彼自身が、つまり彼の内的世界がいよいよ貧しくなり、彼に帰属するものがますます少なくなる」(岩波文庫p.87~88)労働者が骨身を削って働けば働くほど、彼が自分に対立して創造する疎遠な対象的世界がますます強大となり

  • 映画『マルクス・エンゲルス』今日はマルクスの誕生日

    映画『マルクス・エンゲルス』予告編今日5月5日はマルクスの誕生日!この映画、昨年抽選にあたって試写会を見た。オススメです。映画『マルクス・エンゲルス』今日はマルクスの誕生日

  • 「あの人のものはおもしろかったからね」

    宇野弘蔵の著作は難しくて読みずらいものが多い。誰かが「格闘」という語を使っていたが、この本は気楽に読めることもあってよく開いている。最終章は河盛好蔵と小説に関する対談で、宇野がどのようなものを読み、好んだかが書かれていて興味深い。「宇野浩二はよく読みましたね。あの人のものはおもしろかったからね」(p.244)宇野浩二は自分も読んでみたけど、あまり面白くなかったな…。「あの人のものはおもしろかったからね」

  • 大学時代にドイツ語専門書講読のときに使ったディーツ版があるから全部で8種類

    『資本論』は画像に出ている6種類のほかに、高畠訳の改造社版と、大学時代にドイツ語専門書講読のときに使ったディーツ版があるから全部で8種類ということになる。全巻通読したのは新書版、大月全集版で、あとは必要に応じて開いている。通読するなら一番読みやすいのは抄訳だけど中公バックスだと思う。次が岡崎訳かな。大学時代にドイツ語専門書講読のときに使ったディーツ版があるから全部で8種類

  • 読み物としても面白く、日々ランダムに開いている。

    週末は自転車朝練があるため、平日のように早朝から『資本論』を読むことはない。読んでも文庫をめくるぐらいだが、英語と歴史は資本論に比べれば短い時間でも気楽に読めるので毎日開いている。テキストは山川の詳説研究。日本史とかわりばんこで読んでいる。中身が詳しく「参考」や「人物」などのコラムがとても充実していて飽きることがない。こちらは読み物としても面白く、日々ランダムに開いている。今月から週末は『資本論』関係以外の本を取り上げようと思う。読み物としても面白く、日々ランダムに開いている。

  • コロナだからといって行動が変わることはない。

    さて、ゴールデン・ウイーク。といっても、もともと遠出したこともなく、コロナだからといって行動が変わることはない。連休だろうが平日だろうが構わず『資本論』を開いている。『資本論』のほかに開くのは経済原論かな。宇野学派の3原論を基本にしていて、宇野弘蔵、日高普のそれはすでに読み、残りは鈴木鴻一郎の『経済学原理論』だけど、今回は宇野・日高を再読するつもり。コロナだからといって行動が変わることはない。

  • あまり読書習慣のない人が飛びつくとかなり苦労することだろう。

    斎藤幸平の『人新世の「資本論」』(集英社新書)が相当売れているそうである。自分も書名をみつけるやすぐに購入して読んだが、かなりハイレベルな内容。売れているから、という理由であまり読書習慣のない人が飛びつく苦労することだろう。なので、書店でみてちょっとこれは難しそうだな、と思ったら今年1月にNHKで放映「カール・マルクス資本論」のテキストをおすすめしたい。130ページほどの分量だけど、内容が濃くて充実している。あまり読書習慣のない人が飛びつくとかなり苦労することだろう。

  • いったん部屋から出て腕立て伏せを10回やる。

    『資本論』はほぼ毎日読むが、その分量は日によってまちまち。だいたい早朝から昼までに本を開くことがほとんどで、午後は別のマルクス主義関連の本を読むことが多い。同時に3冊ぐらい読んでいるかな。読む分量は1単位20ページがおよその目安。小説と違って面白いからドンドン読むという性質のものではないからね。だいたいこれぐらいの分量を集中的に読むと疲れるため、いったん部屋から出て腕立て伏せを10回やる。これの繰り返し。いったん部屋から出て腕立て伏せを10回やる。

  • もちろん、中身のすべてが難しくて読みにくいわけではない。

    『資本論』を読み続けるのは容易なことではない。もちろん、中身のすべてが難しくて読みにくいわけではない。部分的にはルポやデータみたいなところもあって、資料に目を通すような気分でスイスイ進むこともある。ただ、エンゲルスが編集した第二巻第三巻はそんなスイスイ部分は少なく、概説書を開いてもさっぱりわからんというところも多いんだな。でも難しくても自分なりに理解したい、という気持ちが強くなるのが『資本論』の特徴でもあるね。もちろん、中身のすべてが難しくて読みにくいわけではない。

  • 1日10ページ読めばほぼ1年で読破できる。

    さて、今日はこの『資本論』がどれだけのヴォリュームなのかをみてみたい。岩波文庫でもいいけど、今回は大月書店の文庫本8巻のページ数を調べてみた。第9巻もあるけど、目次や索引だから含めない。調べた結果はトータルで3768ページ。これは目次や註解も含んだ数字。各巻にある目次を除けばだいたい3650ページぐらいかな。1日10ページ読めばほぼ1年で読破できる量。もちろん、こんな読み方はしてこなかったけど。1日10ページ読めばほぼ1年で読破できる。

  • 皆が活動を始める前に最低限のことをやってしまう。

    『資本論』を開かない日はない。ただ、一日中読んでいるわけでもない。読むのは午前中、それも早朝が多い。20年ほど前から5時起きの生活が続いていて、早い日は5時半から机に向かう。といってもいきなり『資本論』を読み始めるのではなく、まず英語とドイツ語、歴史(世界史と日本史日替わり)を30分ちょっとやってからである。これがだいたい8時半まで。皆が活動を始める前に最低限のことをやってしまう。早朝は静かで家族に煩わされることがない貴重な時間。皆が活動を始める前に最低限のことをやってしまう。

  • 栓をしないで浴槽に水を入れているようなもの

    『資本論』のほかに昨年12月からドイツ語の再学習を始めて5カ月ほど。テキストと辞書で毎日コツコツ進めているけど、なかなか覚えられない。単語はすぐ忘れるし、活用も回確認しないとならない。やはり間を開けずに復習しないと、記憶はどんどん失われてしまう。栓をしないで浴槽に水を入れているようなもので、蛇口を止めればあっというまに空になってしまう。抜ける以上に注がないと。『資本論』をドイツ語で読める日はくるのか。栓をしないで浴槽に水を入れているようなもの

  • 新書版と大月版に入っている原書ページが岩波版には入っていない。

    『資本論』は1回目新書版、2回目大月全集版と読んで今回は岩波の向坂訳。前回も書いたが、向坂訳はどうも文章がよみにくく、難渋することが多いんだな。それに、新書版と大月版に入っている原書ページが岩波版には入っていない。他の本で『資本論』から引用しているとき、原書ページを示していると該当部分はすぐに見つかるけど、これがないとものすごく苦労する。これから『資本論』を買って読もうとするなら、岩波は避けたほうがいいかな。新書版と大月版に入っている原書ページが岩波版には入っていない。

  • 引用も本文も同じ文字の大きさのため混同するんだよね。

    現在大判の向坂訳で『資本論』を読んでいるが、他のものに比べて文字は大きいがどうも読みずらい。第26章はいきなり引用から始まっているが、引用も本文も同じ文字の大きさのため混同するんだよね。訳も他の本より硬くて「梨の実」「梨の木」と書けばいいところを「梨果を結ぶことが梨樹の属性でもあるようなものである」(p.488)みたいに書いてある。読むならやはり新書版か岡崎訳だね。引用も本文も同じ文字の大きさのため混同するんだよね。

  • かつて商法の手形小切手法を勉強していたことを思い出したね。

    今日は第25章「信用と空資本」。宮川「読む」を先に読んでいたが、商業信用の話で手形のことがやたらと詳しくでている。かつて商法の手形小切手法を勉強していたことを思い出したね。「創造説」とか河本フォーミュラとかやったな。交付欠缺とか論点も多くてけっこう面白かった。『資本論』では利子のほうがメインだからここは深堀しないけど。この章、後半はサラッと通過。かつて商法の手形小切手法を勉強していたことを思い出したね。

  • いきなり「化骨」が出てきたら驚くわな。

    この部分を英訳版でみると、ossificationとなっている。これはossifyの名詞形で、固定化するという意味。さらに広辞苑でも調べてみた。こちらは「骨芽細胞・破骨災防の働きで骨組織が形成される過程。化骨」とある。医学・生物学の用語としているようだ。『資本論第2・3巻を読む』ではこの部分について「骨化というのは凝り固まるというような意味」とあるから、ほぼ解決。なお、改造社の高畠約では「化骨」を使っている。いきなり「化骨」が出てきたら驚くわな。これで「化骨」の研究は終わり。いきなり「化骨」が出てきたら驚くわな。

  • 『資本論』マイナー研究「骨化」を調べる③

    「骨化」が索引に出ているかを念のため調べてみた。経済用語でも重要に語でもなく、こんなの出ているわけがない、と思いつつ、岩波、大月で見たが、なかった。やっぱりな…。で、画像の青木書店の索引を開いてみると、なんと、出ているのである!ドイツ語ではVerknöcherungで、『資本論』には10か所に使われているようだ。ドイツ語の辞書でこの語をひくと、動詞形のverknöchernは骨化という意味であることがわかった。(つづく)『資本論』マイナー研究「骨化」を調べる③

  • 『資本論』マイナー研究「骨化」を調べる②

    「骨化」は聞きなれない、というか新聞などでも見た記憶がない。過去2回読んでいるけど、精読してなかったこともあり、さして気にも留めなかったと思う。似ている「白骨化」は三面記事や殺人事件なんかのニュースで見るため、そっちをイメージする人も多いだろう。『資本論』に戻ると、「骨化と独立化」という使い方をしていることから、肉体が骨になるというような朽ちる方向ではなく、骨を形成する、という意味だろうとは想像がつくね。(つづく)『資本論』マイナー研究「骨化」を調べる②

  • 『資本論』マイナー研究「骨化」を調べる①

    『資本論』第3編第23章利子と企業者利得のところを読んでいて、不思議な語句に遭遇した。「骨化」という語がそれ。どういう意味?専門用語ではないが、どうも引っかかった僕は少し調べてみることにした。「そして、この、総利潤の両部分相互の骨化と独立化、あたかも両部分が二つの本質的に異なる源泉から生じたかの如きのそれは、いまや総資本家階級にとって、また総資本にとって、確立されなければならない」p.467『資本論』マイナー研究「骨化」を調べる①

  • 『資本論』は英語のほうがわかりやすい

    経済学者の浜矩子さんは、的場昭弘氏との対談で「『資本論』を英語で読んだ。『資本論』は英語のほうがわかりやすい」と話している。これは資本論に限らず、哲学書でもよく言われている。日本語訳でわかりにくいのは用語なんだよね。普段使わない抽象的な用語が出てくると、その意味がよくわからない。事典などで調べるとその説明にまた専門用語がでてきて余計わからなくなる。哲学ほどではないけど、『資本論』に出てくる用語にもよく悩まされる。『資本論』は英語のほうがわかりやすい

  • 力がないうちは先に訳文を見てから本文を読むという方法もある

    昨日の続きで、第22章の利潤の分割、のところ。第二巻第三巻はすでに2度読んでいるとはいえ、まだ理解しているとはいいがたく、結構忘れているところもあるため、詳しい概説書を先に読んでから本文を読む、という読み方が続いている。このような方法はもしかしたら間違っているのかもしれない。しかし、ブランクがあいたのちいきなり読むよりは読みやすいため、しばらくは変えるつもりはない。英語でも、力がないうちは先に訳文を見てから本文を読むという方法もあるしね。力がないうちは先に訳文を見てから本文を読むという方法もある

  • 『資本論』のほうは今日から第三巻第五編の利子生み資本。

    『資本論』のほうは今日から第三巻第五編の利子生み資本。再生産表式のところは、第三篇の利子と地代が終わってまたさらにじっくり取り組むつもり。ここはローザ・ルクセンブルクの批判やらレーニンの反論やらが出てきて興味が尽きないんだな。ローザの「資本蓄積論」も買ってあるので、レーニンの「いわゆる市場問題について」などとともにまたあれこれ考えるのが楽しみ。『資本論』のほうは今日から第三巻第五編の利子生み資本。

  • 20c+5V+5mという式をいじくりまわす

    『資本論』第三巻は残していた第12節「貨幣材料の再生産」を読んで終了。ここは画像の「表式論」ではすごく詳しく説明してあるが、他の解説書では大きく取り上げ方が違っていて、ほとんど触れていないものもあった。20c+5V+5mという式をいじくりまわすのは混乱するし、いま金貨が流通していないからさほど神経質になって理解する必要はないとは思う。それにしてもこの第3編は議論や批判が渦巻いていて興味が尽きない。20c+5V+5mという式をいじくりまわす

  • 再生産表式に関する本はもう一冊買った。

    再生産表式に関する本はもう一冊買った。日高普の「再生産表式論」で、ずっと探していてやっと古書店から入手した。日高普の著作は経済原論を読んでおり、宇野弘蔵のそれと比較して読みやすかったので、本書も期待しているところ。再生産表式に関する文献はほかにも無数にあるに違いないけど、研究者でもなく、本を買うのはこれで終わりにし、あとはじっくり取り組みたいね。再生産表式に関する本はもう一冊買った。

  • 表紙はボロボロで中は茶色く焼けている…

    再生産表式論については、それだけを扱った本がいくつかある。『マルクス経済学を学ぶ』(有斐閣選書)の127ページの「参考文献解題」に山田盛太郎の『再生産過程表式分析序論』が、普及の名著として挙がっている。そこで古書のページわあれこれ見て回って手に入れたのがこれ。紹介されていたのは岩波書店版だが、買ったのは改造社版。表紙はボロボロで中は茶色く焼けている…これしかなかったんだよね。でもまあ、読めればいいか。表紙はボロボロで中は茶色く焼けている…

  • 今朝、自転車に乗れながら、また表式のことを考えていた。

    今朝、自転車に乗れながら、また表式のことを考えていた。110cと55vがどうなってこうなって…。帰宅して宮川の「読む」を開いて確認。拡大2年度のほうは第一部門が1100v+550mになり、第二部門のcが1600になるから50足りなくなるところが少し複雑になるんだな。やっとここまできた、という感。今朝、自転車に乗れながら、また表式のことを考えていた。

  • もやもやしたのが晴れたのは、剰余価値のうちの資本家消費分をカッコ書きにした式を見たとき

    今日も早朝から再生産表式の拡大再生産のところ。いろんな本を見ながらノートに式を書いてあれこれ考えていた。2年目の式も、覚えるぐらいに何度もみて、やっと理解にたどり着きつつある。そんな中ふと、1冊の本を思い出した。レーニンの『いわゆる市場問題について』だ。選集の第一巻の一番最初の著作で、単純・拡大再生産の両方がわずか3ページにまとまっているではないか!しかもスッキリしていてとても分かりやすい。もやもやしたのが晴れたのは、剰余価値のうちの資本家消費分をカッコ書きにした式を見たとき。これはどの注釈本にも出ていなかった!この著作、レーニンが23歳の時に書かれたという。これまた驚きだね。もやもやしたのが晴れたのは、剰余価値のうちの資本家消費分をカッコ書きにした式を見たとき

  • それにしても汚い字だな。自分で読めないこともしょっちゅう。

    今日は電車の中で第三巻の続きを読んだが、自室では本文を読まず、拡大再生産のところを概説書で渉猟していた。ここは半年ほど前にやったので記憶はすぐに戻った。数式、といっても複雑なものではないけど、は大事なところで、前回同様ノートに書いてあれこれ考えていた。それにしても汚い字だな。自分で読めないこともしょっちゅう。もっとも、マルクスも字は汚かったようで、エンゲルスも第二巻三巻の編集には苦労したことだろう。それにしても汚い字だな。自分で読めないこともしょっちゅう。

  • フリエが工場を『緩和された徒刑場』と呼んでいるのは不当だろうか?

    『資本論』第一巻はときどき佐々木氏の本を参照しながら第4節工場まで。20代のころ月刊誌の編集で全国のいろんな工場を取材したけど、ほとんどの工場は明るく、作業環境はとてもよく見えた。もっとも、外部の人間に見せるところは一部で、やはり昔ながらの作業場もあるに違いないが。「フリエが工場を『緩和された徒刑場』と呼んでいるのは不当だろうか?」p.338フリエが工場を『緩和された徒刑場』と呼んでいるのは不当だろうか?

  • ポストコロナ時代の新しい社会の在り方 ~グリーン経済の実現に向けて~

    ポストコロナ時代の新しい社会の在り方~グリーン経済の実現に向けて~ポストコロナ時代の新しい社会の在り方~グリーン経済の実現に向けて~

  • どうしても昼食後に電車に揺られると眠気に襲われるんだな。

    『資本論』は朝は第二巻の続きを読んだ。「トラシの再生産論」まで行き、あとは貨幣の残りと拡大再生産を残すのみ。連休前までにはしっかりやっておきたいところ。午後から移動中に第三巻の続き。第五章の節約関連のところは事例が多く、それほど考えずに進んだ。ただ、どうしても昼食後に電車に揺られると眠気に襲われるんだな。同じ行を何度も往復。どうしても昼食後に電車に揺られると眠気に襲われるんだな。

  • 『資本論』にどっぷり浸かった毎日になったきっかけはこの月刊誌だった。

    いまのように『資本論』にどっぷり浸かった毎日になったきっかけはこの月刊誌だった。偶然みかけた『経済』2017年5月号の特集が「資本論第一巻150年」だった。これを読んでから、書棚の奥にあった新書版の『資本論』を表に出して約20年振りに開いた。翌年以降『経済』は毎年5月号で「マルクス経済学のすすめ」を特集している。なぜ5月号か?それはマルクスの生誕日が5月5日だからなのであろう。毎年似たような内容だけど、今年もまた買っちゃうだろうな。『資本論』にどっぷり浸かった毎日になったきっかけはこの月刊誌だった。

  • 漱石の猫と坊ちゃんは3度、『秋』など芥川の短編のいくつかも

    『資本論』読みは、第一巻が5回目、第二巻・第三巻が3回目。学生時代から本にはずいぶん親しんできたけど、3度以上読んだ本は少ないな。マルクス主義以外の本だと、漱石の猫と坊ちゃんは3度、『秋』など芥川の短編のいくつかも3回以上読んだ記憶がある。あとはニーチェの『悲劇の誕生』ぐらいかな。『資本論』だけはエンドレスだろうね。漱石の猫と坊ちゃんは3度、『秋』など芥川の短編のいくつかも

  • 「再生産表式論」のおかげで、前回(2回目)より、かなり理解度は増している。

    『資本論』の第二巻第三篇は第11節「固定資本の補填」の途中まで。「再生産表式論」のおかげで、前回(2回目)より、かなり理解度は増している。この本は『資本論』の目次通りでなく、18章2節と20章12節の解説を後回しにしているのが特徴。たしかに、この2章の貨幣がらみの話が途中に入って頭が混乱していたからね。ケネー、スミスの話をそのあとにもってきているのも特徴。「再生産表式論」のおかげで、前回(2回目)より、かなり理解度は増している。

  • 【25分で解説】資本論 by マルクス|コロナ恐慌に搾取される前に

    【25分で解説】資本論byマルクス|コロナ恐慌に搾取される前に【25分で解説】資本論byマルクス|コロナ恐慌に搾取される前に

  • 劣悪な労働衛生環境についての現場の記述のところを読むと、20代のころの仕事を思い出す。

    今日は移動中の電車内で、『資本論』第三巻第一篇第五章「不変資本の充用における節約」の、「労働者を犠牲としてなされる労働諸条件の節約」あたりを読んでいた。劣悪な労働衛生環境についての現場の記述のところを読むと、20代のころの仕事を思い出す。2年ほど労働衛生に関する専門誌編集の仕事をしていて、全国の工場などの現場をみて取材し、記事を書いていた。もちろん労災や職業性疾病を防止しているところばかりだったけどね。劣悪な労働衛生環境についての現場の記述のところを読むと、20代のころの仕事を思い出す。

  • 原書ページも上方に出ているから、すぐに該当部分が見つけ出せる

    いま『資本論』は数種の注釈・解説書を参照しながら、岩波・向坂訳と大月・岡崎訳を両方読んでいるけど、やはり後者のほうが読みやすいね。原書ページも上方に出ていて、すぐに該当部分が見つけ出せるのもこっち。また、大月のほうは第9巻に総目次・総索引・解題がまとまっているのも使いやすいんだよね。これは青木書店の長谷部訳も同じ。原書ページも上方に出ているから、すぐに該当部分が見つけ出せる

  • 軍隊みたいな会社があるし、会社内でパワハラを続ける産業士官や産業下士官も多い。

    今日は外出はなかったけど朝からやることが多く、『資本論』は相対的剰余価値の生産に入ったものの思ったほど進まず、第11章協業まで。「一つの軍隊が士官や下士官を必要とするように、同じ資本の指揮のもとで協業する一つの労働者集団は、労働過程で資本の名によって指揮する産業士官や産業下士官を必要とする。」p.183なるほど、だね。いまでも軍隊みたいな会社があるし、会社内でパワハラを続ける産業士官や産業下士官も多い。軍隊みたいな会社があるし、会社内でパワハラを続ける産業士官や産業下士官も多い。

  • 『資本論』と美女。自分の机の上はいつも軟硬同居している。

    SportsIllustratedのカレンダーは実はノートのほかに日めくりのも長年使っている。土日は1枚だけど、日替わりで美女が見られるのは嬉しい。『資本論』と美女。自分の机の上はいつも軟硬同居している。難解な文章につかれると美女を見て頭の中をいったん和らげて、また文章に帰る。『資本論』と美女。自分の机の上はいつも軟硬同居している。

  • 10時間のシフトで30分の休憩しかなく、激しいトレーニングのよう

    金曜日の東京新聞。アマゾンには数十万人の労働者がいるにもかかわらず、労働組合がないという。驚きだね。倉庫で働く従業員の言葉を読むと、『資本論』の「労働日」の続きを読んでいるように思える。「10時間のシフトで30分の休憩しかなく、激しいトレーニングのよう」10時間のシフトで30分の休憩しかなく、激しいトレーニングのよう

  • 奢侈品の160と100・60の交換のところはまだスッキリと頭に入ってこないなあ。

    今日は単純再生産の中の第4節、II部門内部での変換・奢侈品のところを集中して読んだ。前節の応用編といった位置づけだけど、後半には恐慌の話も出てきて、気が抜けない箇所でもある。ただ、奢侈品の160と100・60の交換のところはまだスッキリと頭に入ってこないなあ。前節と流れは同じだけど、少し複雑だからね。また頭を冷やして考えたい。奢侈品の160と100・60の交換のところはまだスッキリと頭に入ってこないなあ。

  • そんなときに目をやるのが、カレンダーの美女。

    早朝から『資本論』を中心に関連した本も読んでいると、目も頭も疲れてくる。とくに第2巻や第3巻は容易には理解できないところが多く、1時間以上続けていると気分転換が必要になる。そんなときに目をやるのが、カレンダーの美女。米国のSportsIllustratedのノート型で、1週1ページの見開き。モデルは白人女性だけでなくアフリカンもアジア系もいる。疲れるたびに水着の美女を見て活力を得る。そんなときに目をやるのが、カレンダーの美女。

  • 研究書でも論文でもない、学習書

    この再生産表式論の本、専門的でものすごく難しいイメージがあり、届いたときは、こんなの買っちゃって、オレに理解できるのか?と思っていた。ところが、これが読みやすいのである。まだ全部読んではいないけど、あとがきには「本書は学習書としての性格が強いので、より多くの方に読んでいただきたいと願っています」とある。そう、本書は研究書でも論文でもない、学習書だから読みやすいのだ。研究書でも論文でもない、学習書

  • 疑問になる点を明らかにするということが、ほんとうに学ぶということ

    今日は外出時間が短かったため、宇野弘蔵の『資本論に学ぶ』をもって出た。この本は原論など他の著作と違って苦しまずに読めて、しかも宇野の資本論に対する姿勢が伝わってくる良書。「学ぶべきことを学ぶというのは、疑問になる点をだまっているということではない。むしろ疑問になる点を明らかにするということが、ほんとうに学ぶということなのです」(p.68~69)疑問になる点を明らかにするということが、ほんとうに学ぶということ

  • さすがに子どもを10時間働かせることは現在の日本ではないが

    今日は早朝に「労働日」のところの第5節から第7節まで。さすがに子どもを10時間働かせることは現在の日本ではないが、ここに書かれている長時間労働や労働条件・環境の悪さの実態はいまの日本に通じるものがある。「資本は、労働者の健康や寿命には、社会によって顧慮を強制されない限り、顧慮を払わないものである」(p.77)政権は「働き方改革」などといってあたかも労働者のための施策であるかのように装っているが、実態は経済団体・経営者の利益を優先し、合法的搾取の抜け道を残し、労働強化を図ろうとするものだ。さすがに子どもを10時間働かせることは現在の日本ではないが

  • マトリックスを用いた解読にもワクワクしたね。

    『資本論』のいわゆる再生産表式のところは、剰余価値論と並んで重要でかつ難しいところ。過去2度読みはしたが、再度じっくり読み、理解を深めたいと思い、ネットで関連する本をあれこれ探していた。そして見つけたのが本書。なんと、第二巻第三篇に特化した内容の本ではないか!これを読まぬ手はない。マトリックスを用いた解読にもワクワクしたね。マトリックスを用いた解読にもワクワクしたね。

  • わからんところはとばして読めばいい。

    『資本論を読む』という本の中に、資本論の読み方について宇野弘蔵の次のような話が出てくる。「わからんところはとばして読めばいい。『資本論』の一字一句をわからんところを考えてとうとう一生を過ごしたということになると、ついに読めないことになりますからね」p.97この言葉にどれほど元気づけられたことか!1度読んでわからなかったところが、次には分かるようになることも少なくない。もっとも、新たな疑問が生じることもあるけどね。わからんところはとばして読めばいい。

  • 出ているのはマルクスからエンゲルスへの書簡

    ケネーの経済表そのものは『資本論』には出ていない。出ているのはマルクスからエンゲルスへの書簡で、この表と付記を同封した、という手紙が残っている。(大月全集34p61)この付記には表の中の5本の線の説明が書かれている。昨日はこの5本の線をたどってあれこれ考えていたら、『剰余価値学説史』の中の「余談-ケネーによる経済表」(大月全集26)にもこの表についてのさらに詳細な記述あることを知り、早速開いてみた。結構な分量。ここはまた別の機会に。出ているのはマルクスからエンゲルスへの書簡

  • 注釈本をあれこれ渉猟しながらケネーの経済表や「スミスのドグマ」を追っていった。

    今日は第19章「研究の対象に関する従来の学説」。過去2度読んだときは、抄訳では省いているところでもあり、さして重要でもないと思われたのでザッと通過したところ。そこで今回は少し気合を入れて、注釈本をあれこれ渉猟しながらケネーの経済表やアダム・スミスのいわゆる「スミスのドグマ」を追っていった。すると、本文を読めば読むほど、注釈本を読めば読むほど、あれこれ疑問が沸き、次々に別の本で調べていく、という慌ただしいことになった。注釈本をあれこれ渉猟しながらケネーの経済表や「スミスのドグマ」を追っていった。

  • まあ、サラッと通貨できるところだよね。

    今日は移動中の電車内で、第三章「剰余価値率に対する利潤率の関係」の残りを読んだ。ここは式の変数を変えるとこれらの率がどう変わるか、というのをあれこれ条件を変えて書かれている。まあ、ここは式の意味が分かっていれば、当然の話、例えばa×b=Cで、aが増えればCも増える、みたいなことが詳しく書かれている。まあ、サラッと通貨できるところだよね。まあ、サラッと通貨できるところだよね。

  • 彼は16時間働くのが常だった。

    『資本論』は国民文庫の第二分冊に入ってここから「労働日」。いろいろな業種での少年も含めた長時間・過酷な労働の実態が描かれているところ。壁紙工場での証言が引用されている。「私のこの子が七歳のとき、私は彼を背負って雪の上を往復するのが常だった。そして彼は16時間働くのが常だった」(p.37)彼は16時間働くのが常だった。

  • 全3巻のボリュームはザックリいって3:2:4。

    『資本論』は自宅で週の前半は第一巻、後半に第二巻を読み、外出時に主に電車の中で第三巻を読む日が続いている。外出のない日もあるから、第三巻はなかなか進まない。文庫本で半分もいってない。全3巻のボリュームはザックリいって3:2:4。第三巻が最も長く、しかももっとも難しい。つい先日まで第三巻を読んでいたからこのようになっているけど、来月には三度目の第二巻を読み終えるので、自宅でも第三巻を読むつもり。全3巻のボリュームはザックリいって3:2:4。

  • 以前は手が出なかった本も驚くほど安い値で手に入るようになった。

    最近は古本の値段が暴落していて、以前は手が出なかった本も驚くほど安い値で手に入るようになった。ここ数年はメルカリやヤフオクなどのフリマサイトも出品が充実していて、古書店にない本が出ていることもある。大月書店のマル・エン全集なんかもその一つ。これは3年ほど前に2万円ほどで入手した。全く読まれた形跡がない新品同様の本で、ものすごく得した気分。しっかり読まねばね。以前は手が出なかった本も驚くほど安い値で手に入るようになった。

  • 明日からは第三篇「社会的総資本の再生産と流通」。

    第17章を読み終え、明日からは第三篇「社会的総資本の再生産と流通」。再生産表式は出てくる計算じたいは難しくはないけど、その前提がなかなか理解できないんだよね。今回はマトリックスを使って説明している本を参考に何とか克服したい。明日からは第三篇「社会的総資本の再生産と流通」。

  • 【経済思想】マルクスの資本論を誰でもわかるように解説!

    【経済思想】マルクスの資本論を誰でもわかるように解説!【経済思想】マルクスの資本論を誰でもわかるように解説!

  • 「資本論サーフィン」みたいなことをしてしまったけど、これは結構楽しい。

    『資本論』を読んでいると、「通流」とか「落流」など一般的には使われない用語に戸惑うことがたまにある。「退蔵貨幣」もその一つ。例えば下の例。「この追加的潜在貨幣資本が表示されうるもっとも単純な形態は、退蔵貨幣の形態である」(第二巻第17章p.379)「退蔵」って何?貨幣の中でも特別なものなのか?で、他の訳本を見る。すると、大月・岡崎訳は「蓄蔵」で、青木・長谷部訳、新日本も、中公バックス・鈴木訳も同様。岩波・向坂訳と戦前の改造社版のみ、この「退蔵」を使っている。気になったので索引で原語「Schatz」を探して辞書をひくと「宝」という意味である。辞書にはなんと「(マルクス経済学で)蓄蔵貨幣」と出ているではないか!「資本論サーフィン」みたいなことをしてしまったけど、これは結構楽しい。ちなみに、広辞苑に「退蔵」が出ていて...「資本論サーフィン」みたいなことをしてしまったけど、これは結構楽しい。

  • 今日は第二巻第16章の「可変資本の回転」。

    今日は第二巻第16章の「可変資本の回転」。ここは前回読んだときもそうだけど、きわめてシンプルなことが書かれていて読みやすいところ。同じようなことが繰り返し出てくることもあり、難しくはない。第二巻も後半。来月にも終えそうだな。今外出時に電車内で第3巻を読んでいるから、終わったらそっちにスイッチの予定。今日は第二巻第16章の「可変資本の回転」。

  • 本は古びているけど、発行は1975年。読むのが楽しみだな。

    資本論の本をあれこれ検索していると、思わぬ本に出合うときがある。この『資本論物語』がそれ。有斐閣選書のマルクス関係の本は『マルクス経済学を学ぶ』を持っているが、この本の存在は全く知らなかった。本は古びているけど、発行は1975年。読むのが楽しみだな。本は古びているけど、発行は1975年。読むのが楽しみだな。

  • 労働者を24時間活かしておくために半労働日が必要だということは、けっして彼がまる一日労働することを妨げはしない」

    今日も早朝から『資本論』を読む。第三篇絶対的剰余価値の生産に入る。第二節の価値増殖過程まで。「労働者を24時間活かしておくために半労働日が必要だということは、けっして彼がまる一日労働することを妨げはしない」(大月文庫p.338)労働者を24時間活かしておくために半労働日が必要だということは、けっして彼がまる一日労働することを妨げはしない」

  • 車内はあいかわらずスマホ中毒者ばかり。

    今日は早朝に第二篇第15章「回転期間…」を読み、外出してからは電車内で岩波文庫の第三巻の利潤率のところを開いていた。車内はあいかわらずスマホ中毒者ばかり。この異様な光景にはうんざりする。ところが、表参道で半蔵門線に乗り換えて渋谷にとまると、隣に座った男性が本を開いたのだ!これは何か月振りのことだろうか。初老の男性で、降りるまでずっと新書版を読んでいた。嬉しかったな。やはり自分の時間を大切にする人もいるものだね。車内はあいかわらずスマホ中毒者ばかり。

  • 単語がなかなか覚えられないのがね。

    『資本論』をドイツ語で読むという無謀な目標を掲げて今年からドイツ語の再学習を始めて2か月ほど。文法のほうはともかく、単語がなかなか覚えられないのがね。とりあえずは『資本論』の巻末に出ている用語を先に覚えることにして、コツコツ気長にやることにした。単語がなかなか覚えられないのがね。

  • 雑務が多くてゆっくり読む時間が短かった。

    今日は金曜日ということもあり、雑務が多くてゆっくり読む時間が短かった。第10章、11章のアダム・スミス、リカードの考え方と批判に関するところは、別の解説本によると、「剰余価値学説史」のほうに入れるべき内容と書かれているものもある。スミスの『諸国民の富』やリカードの『経済学および課税の原理』も読んでみたいけど、そこまで手が回らない。雑務が多くてゆっくり読む時間が短かった。

  • 列車や枕木の話も出てきて結構好きなんだけどね。

    今日は第二巻の第8章第2節「固定資本の構成部分、補填、修繕、蓄積」から。この部分は中公バックスでもクレーナーの抄訳本でも『資本論』からは省かれている部分。‎経済原論とは違い、『資本論』のすべての部分が均一に重要だということはなく、ある程度浅く読んでもいい箇所はある。メリハリ、というか濃淡だね。自分が目安にしているのは上の2種の本が省いているか否か。「固定資本の…」のところは‎列車や枕木の話も出てきて結構好きなんだけどね。列車や枕木の話も出てきて結構好きなんだけどね。

  • なんと区切りのいい日であることよ。

    今日は外出前にちょうど第一篇商品と貨幣を終え、移動中の電車では帰りの降りる駅2つ手前で第三篇の費用価格と利潤を読み終えた。なんと区切りのいい日であることよ。『資本論』は宇野弘蔵ではなくても、1巻から通して最後まで読むのは1度でよく、あとは必要に応じてあちこちを読めばいいと思う。というより、どうしてもそういう読み方になるんじゃないかな。なんと区切りのいい日であることよ。

  • 「読んだ本、読みたい本、読ませたい本」

    宇野弘蔵は東北大学の教員時代、学生新聞のインタビューで「読んだ本、読みたい本、読ませたい本」を挙げるよう依頼され、こう答えたという。「『資本論』を読んだ、『資本論』を読みたい、『資本論』を読ませたい」と。(『資本論に学ぶ』解説より)自分も毎日『資本論』を読んで似たような心持ち。レベルは比較にならないけどね。「読んだ本、読みたい本、読ませたい本」

  • 文庫だけ最後まで読んで終わるという人はいるだろうか。

    このところ『資本論』が少し注目されるようになって、文庫本を買って読み始める人も少なくないかもしれない。岩波でも大月でもいいけど、文庫だけ最後まで読んで終わるという人はいるだろうか。たいていの場合は、最初の商品のところで脱落するか、そこを通過しても1冊で嫌気がさして投げ出すかもしれない。最後まで読むとしたら、たぶん別の資本論に関する本も読むはずである。わからないところを調べようと思い、関連書がどんどん増えるからだ。文庫だけ最後まで読んで終わるという人はいるだろうか。

  • ただ、たまにヨダレを垂らすことがあるのがね。

    今日は移動が長く、トータルで3時間近く電車に乗っていたろうか。でも車内は本が読めるいい環境でもあり、長時間でも苦痛は感じない。『資本論』(6)の「費用価値と利潤」のところは昨年読んでから間がないことから割と引っかからずに進んだ。もちろん、居眠りするのは仕方がない。そんなときは文庫を閉じて眠気に任せて心地よく休む。これが気持ちいいんだね。ただ、たまにヨダレを垂らすことがあるのがね。ただ、たまにヨダレを垂らすことがあるのがね。

  • あまり頭を使わずに読めるところ。

    週末は精神的にお休み気分が多くなることもあり、『資本論』も平日のようには読めないのが常。今日は第二巻第二編の資本の回転から。第8章の固定資本と流動資本のところは、理論というよりは用語の分類と意義を説明しているところで、あまり頭を使わずに読めるところ。まあ、このあたりのところはいいんだよね。やはり第二巻のメインは再生産表式のところ。あまり頭を使わずに読めるところ。

  • いまどこを読んでいるのか迷いそうになるときがある

    『資本論』をあちこち開いていると、いまどこを読んでいるのか迷いそうになるときがある。とくに最初から順に読み進めるのではなく、第1巻から第3巻を同時に進めていると、余計に混乱しやすいのだ。そこで、拡大コピーしておいた巻末についている総目次をいつも脇に置いてときどき確認する、ということをしている。全巻の全体構造を常に意識しながら読む、というのは他の勉強にも役立つ。いまどこを読んでいるのか迷いそうになるときがある

  • 傍線を引っ張ることができないのは難点のど飴

    主に移動中の電車内で読んでいたローザ・ルクセンブルグの『経済学入門』(岩波文庫)を昨晩自宅でも開いて読み終えたので、今朝は岩波文庫の『資本論』(6)を持って出た。しばらくは電車に揺られながら第三巻を読むことになるな。通勤時間帯の電車は緊急事態中でも結構混んでいるけど、本が読めるスペースは取れるのは幸い。ただ、立って読んでいると鉛筆で傍線を引っ張ることができないのは難点のど飴だけどね。傍線を引っ張ることができないのは難点のど飴

  • ここは何度よんでもしっくりこないところなんだよね。

    今日は岡崎訳・国民文庫で「商品の呪物性的性格」のところを読み直してみた。表題は「物神性」と訳しているものが多いけど、それはさておき、ここは何度よんでもしっくりこないところなんだよね。佐々木隆治「マルクス資本論」にはこんなことが書かれている。「『資本論』全体を季節に理解するには、この二つの問い、すなわちそのような神秘的な性格をもつ商品が「どこから」発生したのか、「なぜ」発生したのかという点を理解することがきわめて重要になります」p.113ここは何度よんでもしっくりこないところなんだよね。

  • Proletarier aller Länder, vereinigt euch!

    今年からドイツ語の学習を再開している。いま『読んで味わうドイツ語文法』(研究者)を少しずつ進めているが、今日読んだ第22課にマルクスが出ている。例文は資本論からではなく、「共産党宣言」の有名な出だしの一文。その直前の21課には締めくくりの一文も例文として挙がっている。ProletarierallerLänder,vereinigteuch!ProletarierallerLänder,vereinigteuch!

  • ページを開くや一気に読んでしまった。

    この本が届いて、ページを開くや一気に読んでしまった。本文は『資本論』からの引用が半分以上を占めるが、既存の訳本を著者が修正した訳がとても読みやすいのだ。解説も同様で、文章から眼をが離せなかった。「共有物」=「価値」のところは自分も誤解、というか、表面的な理解しかしていなかったことに気づかされたな。「凝固物」についてここまで説明してある本はなかった。ページを開くや一気に読んでしまった。

  • 改造社の『資本論』第二巻に挟み込まれていた広告。

    改造社の『資本論』第二巻に挟み込まれていた広告。インパクトあるなあ。改造社の『資本論』第二巻に挟み込まれていた広告。

  • 改造社版の高畠訳でみると、「ツナギ」となっている。

    『資本論』第二巻は本編に入り、「貨幣資本の循環」の第四節途中まで。昨年の夏に読んでいたこともあり、割と記憶に残っていてスムーズに進んだな。「生産過程はただ金儲けのための不可避の中間項として現れるに過ぎない」(p.64)この「中間項」のところを改造社版の高畠訳(画像では次のページになっているが)でみると、「ツナギ」となっている。戦前の訳のほうがイケてるね。訳を比較するのはとても面白いんだな。改造社版の高畠訳でみると、「ツナギ」となっている。

  • 引用された文章をみてすぐ「あそこだ」とすぐわかるまで読み込まないとね。

    『資本論』精読は、週の半分程度を第2巻第3巻の再再読に充てることにして、早速今日は第2巻の序文まで。本は向坂訳の岩波大判をメインに、岡崎訳全集と新日本を参照することにする。文庫もそうだけど、岩波の向坂訳には、他の訳についているディーツ版のページが載っていない。他の本で『資本論』から引用している箇所にこのディーツ版ページが載っていることがよくあり、これが結構便利なんだけどね。引用された文章をみてすぐ「あそこだ」とすぐわかるまで読み込まないとね。引用された文章をみてすぐ「あそこだ」とすぐわかるまで読み込まないとね。

  • いきなり長文の序文を読むのが辛いのだ。

    意気込んでさあ、『資本論』を読むぞ!と本を開いて最初のハードルが、序文である。ふつうの本ならせいぜい数ページだけど、『資本論』には序文だの後書きだのが6本、文庫本のページにして50ページ近くあるのだ。自分も大学時代に経験したが、いきなり長文の序文を読むのが辛いのだ。当時は適当にザっと見て本編に入ったけど、もし、初めて読む人がここを丁寧に読み始めたら嫌気がさすに違いない。ただ、最初は飛ばすにしても、この部分には結構大事な記述が含まれているので、いずれは読まないとね。いきなり長文の序文を読むのが辛いのだ。

  • トルストイの長編のように読んでおしまいにするのには抵抗がある。

    これまで『資本論』は通算で全巻2度、第一巻は5度読んだ。ただ、読み切ることが目的だったこともあり、いい加減に飛ばしたところも少なからずあった。しかし、マルクスが病気とも戦いながら苦労して書き上げた大作を、トルストイの長編のように読んでおしまいにするのには抵抗がある。ということで、今回は一語一語じっくり時間をかけて精読することにした。テキストは岡崎訳を主に、日々読み進めることにした。週の半分を第一巻、もう半分を第二巻第三巻に充てることにした。トルストイの長編のように読んでおしまいにするのには抵抗がある。

  • いくら遅れようが平然と読むだけなので気にも留めないのだ。

    今日は電車が遅れたぶん、持ち歩いていたこの本がよく読めた。東海道線は踏切に人が立ち入っていたとかで、自分の乗っている下り電車が15分遅れた。数分遅れてもイライラする人もいるのだろうけど、僕はそんなこととは無縁である。いくら遅れようが平然と読むだけなので気にも留めないのだ。慌てて別の電車に乗ろうとも考えない。しばらく読んでいるともう電車は動いている。いくら遅れようが平然と読むだけなので気にも留めないのだ。

  • 1月15日4刷。急に増刷したに違いない。こ

    テキストの裏表紙の広告を見ると「マルクス資本論佐々木隆治」と出ている。資本論に関する本は絶えずチェックしているのだけど、この本のことは全く知らなかった。おそらくこの広告を見て買った人が多いのだろう、自分がネット書店でページを見ると品切れになっていた。しばらく待ってやっと先週に本が届いた。奥付をみると初版は2018年7月。届いた本は今年の1月15日4刷。急に増刷したに違いない。こんなところをみても資本論への関心が高まっていることがわかる。1月15日4刷。急に増刷したに違いない。こ

  • ジュンク堂書店で1位になっているそうである。

    今日発売の日刊ゲンダイに、このテキストのことが紹介されていた。ジュンク堂書店で1位になっているそうである。自分は見つけるやすぐに買って放映前に読んだが、ボリュームは少ないのに内容が自由実して読みやすく感心している。入門書としてもとても評価できると思う。ただ、これを読んでいきなり『資本論』を買ったら…。ハードルは高いよ。ジュンク堂書店で1位になっているそうである。

  • 教室に入るとすでに40人近い受講生が集まっていた。

    1999年の春、「資本論講座」を受講することを決めた僕は、6月20日に会場に赴いた。テキストは新日本出版社の『資本論』だった。教室に入るとすでに40人近い受講生が集まっていた。男性がやや多く、年代はバラバラで、若い人の姿もあった。前半の講師は浜林先生。いま参考書として使っている「資本論を読む」シリーズの第一部を書かれた先生である。講師の話はとても分かりやすく、初めて読むような感覚がした。そして、翌年5月の最終日。残っていた受講生は約15名。先生は亡くなられたが、あの声は忘れないね。教室に入るとすでに40人近い受講生が集まっていた。

  • 読みやすかったのは大月書店の岡崎訳。

    『資本論』は2019年の4月から全巻を2度読んだが、読みやすかったのは大月書店の岡崎訳。1度目に新日本を読んだあと、というのもあったのかもしれないけど、それを抜きにしても岡崎訳が読みやすいと思う。いま主に向坂訳を使っているけど、どうも「何故かと言うに」という表現がやたらと出てくるのでどうしても気になるんだよね。順番を付けるとすれば、1番はやはり大学時代に読んだ中公バックス。2番目が大月・岡崎訳、3番目が新日本出版、4番目が岩波・向坂訳かな。読みやすかったのは大月書店の岡崎訳。

  • こんな高額な本買うの本当に久しぶりのこと。

    少し迷ったけど買っちゃった。やっぱり読みたくなるんだよね。定価12,000円+税。こんな高額な本買うの本当に久しぶりのこと。いつもフリマなどで古書買うことが多かったからね。本書は箱入りの2冊。布張りのシンプルな想定。以前なら天金だったろうけどね。意外にも本文が横書きだったのは嬉しいね。じっくり読んでいくこととしよう。こんな高額な本買うの本当に久しぶりのこと。

  • いきなり『資本論』を読もうとしても挫折するに違いない。ハードルが高いんだよね。

    最近、斎藤幸平氏の「人新世の資本論」がベストセラーになったり、Eテレで取り上げられたりして『資本論』が注目を浴びているようだ。自分が再読を始めたのは2年ほど前だからこの注目以前のことだけど、多くの人がこの本に目を向けるのは嬉しい。ただ、あまり本を読んだことのない人が「流行」に乗っかっていきなり『資本論』を読もうとしても挫折するに違いない。ハードルが高いんだよね。いきなりネットで買ったら「えー!?これ読むの?」みたいなことになるから、まずは書店で大月でも岩波でも手に取ってみるのがいいね。いきなり『資本論』を読もうとしても挫折するに違いない。ハードルが高いんだよね。

  • この「通流」を何気に使っているものがある

    昨日は第二節の「流通手段」から次の第三節まで読み込んだ。第二節のbの表題は「貨幣の流通」。向坂訳では「流通」の語に「ウムラウフ」と添えられている。商品の「流通」とは違う語だということがわかる。長谷部訳ではウムラウフを「通流」と表記している。他の本でもこの「通流」を何気に使っているものがあるけど、これは註をつけてくれないと混乱するよね。この「通流」を何気に使っているものがある

  • 使用価値に結実するかぎりでの労働と、交換価値に結実するかぎりでの労働の区別

    「諸労働の、単純な、いわば質をもたない労働への還元、交換価値を生みだす、したがって商品を生産する労働が、社会的労働であるための特殊な方式、最後に、使用価値に結実するかぎりでの労働と、交換価値に結実するかぎりでの労働の区別、これである。」(p.26)使用価値に結実するかぎりでの労働と、交換価値に結実するかぎりでの労働の区別

  • ここでいっさいの優柔不断をすてなければならぬ

    今日はほとんど本が読めず「経済学批判」の序言を読んだのみ。そこ含まれる「唯物史観の公式」は何度も読んだが、ここでは序言を締めくくる一節を紹介したい。「科学の入り口には、地獄の入り口と同じように、次の要求がかかげられなければならない。ここでいっさいの優柔不断をすてなければならぬ臆病根性はいっさいここでいれかえなければならぬ」(p.17)ここでいっさいの優柔不断をすてなければならぬ

  • 「国民経済学とは何か」からなかなか抜け出せない。

    先週から移動中の電車でこれを読んでいる。「国民経済学とは何か」からなかなか抜け出せない。「国民経済学とは何か」からなかなか抜け出せない。

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、Capital diaryさんをフォローしませんか?

ハンドル名
Capital diaryさん
ブログタイトル
CAPITAL DIARY ~マルクス『資本論』ダイアリー
フォロー
CAPITAL DIARY ~マルクス『資本論』ダイアリー

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用