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ブログタイトル
日本美との邂逅
ブログURL
https://rshimamo.blogspot.com/2020/11/
ブログ紹介文
京都や奈良などのお寺巡りを、今からかなり以前の関西単身赴任時代に行いましたが、その時訪れたお寺などの拝観記を、地域別かつ訪れた順に記載していきたいと思います。
更新頻度(1年)

112回 / 22日(平均35.6回/週)

ブログ村参加:2020/11/09

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日本美との邂逅

rshimamoさんの新着記事

1件〜30件

  • 龍 安 寺

      龍安寺よりさらに欲張って仁和寺まで行くが、残念ながら四時を回っていたため庭園は既に閉まっていた。それで五重塔を写真に収めて帰路に就いた。 桜の時季の鏡容池

  • 龍 安 寺

      石庭の石についての感想) 左端の大きな石は獅子の頭のようであり、又拡大した写真で見ると一角の鬼の頭が左を向いているように、目と鼻が浮き出て見える。次の横に細長い石は、その左の石と共に獅子の背が川の中より出ているようにも見える。又瀬戸内海に浮かぶ島のようでもある。三番目の石...

  • 龍 安 寺

      又この石組みは人の世の移り変わりの中にあっても、ただ厳然としてそうして寂としてここに存在し続けてきたという事実。時間の重みの前にあっては、自らの一時の心の迷いなどは如何ほどのものかという感が強くなるものである。石組は自然はそして宇宙は、何も変わることがない。そこに存在するのは...

  • 龍 安 寺

      歩いて十五分くらいで龍安寺に着く。茶店でうどんを食べる。龍安寺は大雲山龍安寺といい、臨済宗妙心寺派に属しているお寺である。 ここはもともと徳大寺家の別荘であったものを、一四五〇年(室町中期第八代将軍足利義政の頃)管領細川勝元が譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山とし...

  • 金 閣 寺

      参道より総門を入ると、鏡湖池の南東に出る。葦原島を手前にして、金閣の秀麗華美な形姿が池面に映えている。この場所にはかつて釣殿があったようであり、瓢箪の形をした池が左手奥にも深く入り込んでいたようである。釣殿があったということは、ここからの景観がそれだけ見所であったということに...

  • 大 河 内 山 荘

      夕闇の迫る中、大河内山荘に入る。最初にお休み処に行き、抹茶を頂く。お休み処より、大乗閣のあるに登る。茅葺きのなかなか立派な建物で、その前庭は見晴らし台となっており、京の町並みが見下ろせる。そこから茶室滴水庵へと行く。      庵には赤い毛氈が敷いてある。そこに坐って露地...

  • 常 寂 光 寺

      落柿舎への道を横に見ながら、常寂光寺へ向かう。この寺の開山は、究竟院日シン(示+真)上人(一五九五年頃)である。上人はもともと日蓮総本山本圀寺の法灯を継いでいたが、秀吉建立の東山方光寺の大仏殿供養のおり出仕に応ぜず、本圀寺を出てこの地で当寺を開創したのである。上人は歌人として...

  • 二 尊 院

    本堂前庭は、「龍神遊行の庭」と呼ばれている。その昔この地に龍女が棲みついていたが、正信上人によって解脱・昇天した故事に倣って、そう呼ばれているようである。竹の半円に折り曲げたもので、三つの円形の島が造られており、樹木と刈り込みを配している。右端の島には枝垂れ桜がある。柿葺きの勅使...

  • 二 尊 院

      二尊院の総門より入る。紅葉の馬場と呼ばれる巾広い参道が開けているが、紅葉はやはり盛りを既に過ぎている。入り口左手に、西行庵の碑がある。このお寺は正式には小倉山二尊院尊教院華台寺と言い、天台宗に属している。平安前期の八四〇年に嵯峨天皇の勅願により慈覚大師が開山、鎌倉初期には法然...

  • 祇 王 寺

      パンフレットによれば、この祇王寺は大覚寺の塔頭で真言宗のお寺である。有名な祇王の物語は次の通りである。   「祇王は近江の国江辺生の庄司の娘であったが、父が罪に問われ北陸に流されたため、母・妹の祇女と共に京に出て白拍子となる。そののち祇王は清盛の寵を得て、安隠に暮らし...

  • 祇 王 寺

      祇王寺に入る。陽が傾いていたこともあろうが、紅葉そのものもここではピークを過ぎており、二十数年前の秋に広島の友達と訪れたときの優美な印象は再確認出来なかった。 新緑の祇王寺

  • 時 雨 亭 趾

      宝篋院から祇王寺へと向かうその途中の厭離庵近くに、定家に因んだ立て札がある。それを見て定家は嵯峨野近くに時雨亭を有していたことを思い出す。 中里恒子の「時雨の記」では、二尊院の時雨亭趾が出てくるが、嵯峨野にはこれ以外に二つの時雨亭趾があるようである。又嵯峨野はその地形より...

  • 宝 篋 院

      庭園は受付横の折戸を押して入るようになっている。中に入ると同時に、「照る花紅葉」の世界が開ける。期待していた以上の素晴らしい紅葉の世界を愛でながら苑路を進み、本堂のほうへと入って行く。 本堂から眺めると苔と石組みで構成された部分はあるが、その他は楓樹と苔に覆われた回遊式枯...

  • 宝 篋 院

    嵐電の嵐山駅を降りて清涼寺に向かつて北上して行く。もうかなりの人々が紅葉を見終えて、駅のほうへと戻って来ている。途中JR嵯峨野線を渡ったあたりで、小雨が降り始める。傘も帽子も持っていないので、少し雨宿りをするも雨は降り止まない。小雨なのでそのまま歩いて行くと、お店で帽子を売ってい...

  •  天 球 院

     天 球院は一六三一年に、姫路城主・池田輝政の妹である天久院により創建された。この折りに地中より瑞宝が出たので、天球院と命名されたようである。 方丈内部は狩野山楽・山雪の筆による襖絵で飾られている。やや装飾過多な感じで、狩野永楽の筆致との差があるように思う。金碧画であることも...

  • 大 法 院

      大法院に寄る。当院は一六一二年真田幸村の兄・信幸の孫である千種大納言有能の側室・長姫を開祖とするお寺である。真田家とその縁戚の千種、久我、内藤四家の香華寺である。信幸の院号が大法院と言うそうである。またこのお寺には、佐久間祥山の墓もあるようである。  庭は苔庭であり、右手...

  • 退 蔵 院

      退蔵院は正面の庫裏が立派なお寺である。袴越しの大玄関より、方丈へと入る。方丈前庭は庭らしい作意のない庭で、趣なし。方丈の西側に枯山水がある。 これは狩野元信作庭の庭である。石組みの滝口から流れる白沙は、石橋を潜り中之島を巡って、左手の海へと出て行く。その左端にもまた石橋が...

  • 大 心 院

      大心院は応仁の乱が終わった義尚の時代(一四七九年)に、管領の細川政元が上京に建立したものを、細川幽斎(藤孝)が妙心寺に移築したものである。その子三斎(忠興)もこのお寺を外護したと言う。  方丈前庭は、花壇のようなものが造られており風情に欠ける。書院の前庭を阿吽庭と言い、白...

  • 桂 春 院

      最初に桂春院を訪れる。当院は織田信長の長男信忠の、そのまた次男である津田秀則により当初見性院として創建された。その後美濃の豪族であった石河(いしこ)貞政により、現在の建物が造られている。石河貞政は幼少より豊臣秀吉に仕えて重臣となり、江州長浜城主となっている。しかし後の関ヶ原の...

  • 妙 心 寺

      花園の妙心寺へは北門より入る。花園天皇の離宮があったとされる妙心寺は、本坊を中心に四十七の塔頭が境内に犇めいている。本山は大徳寺開山の大燈国師の弟子・夢窓大師(関山慧玄一二七七―一三六〇年)が花園上皇の帰依を受けて、建武四年(一三三七年)の南北朝時代に創建されたものである。応...

  • <洛 西> 等 持 院

      大徳寺より等持院へと行く。当院は一三四一年に足利尊氏が夢窓国師に帰依して創建したお寺で、その後室町幕府の近くにあった等持寺もこちらに移建されて、足利家の菩提寺となった。応仁の乱などで火災にあったが、豊太閤も秀頼に命じて当院を再建し、この寺の保存に努めている。 現在の方丈は一八...

  • 蓮 華 寺

      妙満寺より、高野八幡の蓮華寺に行く。この寺は加賀前田家の家臣が再興したお寺である。その最高の折には、石川丈山・狩野探幽・木下順庵・黄檗の隠元禅師・木庵禅師などが協力している。お堂に入って、お庭を拝観する。今日はあまりに天気が良すぎて、かえって庭の景色が露出過多になってしまう。...

  • 妙 満 寺

      妙満寺は日蓮宗の一派の顕本法華宗の総本山である。そしてこの寺の開基日什上人は、もともと天台宗の人で比叡山三千の学頭にまでなった玄妙能化である。彼は六十七歳の時に日蓮上人の教えに帰依して改宗し、自解仏乗して名を日什と改めて日蓮門下になったという。日蓮上人は釈迦牟尼仏に帰一するこ...

  • 実 相 院

      実相院門跡は、当初紫野にて鎌倉時代の初期に開創されたお寺である。開基は鷹司兼基の子、静基(じょうき)僧正と言う。ご当地に移ってきたのは、室町時代の足利義満の頃である。その後兵火で伽藍の多くを消失したが、江戸初期の第十七世義尊僧正の時に、皇室と徳川家光の支援により再建・復興した...

  • 源 光 庵

      山門の上に銀杏の木が垂れ下がっており、これが逆光となってまぶしいほどの金色の光景を作り出している。Oさんが見つけ出したアングルで、何枚か撮す。それから本堂に上がって、お庭や「迷いの窓」「悟りの窓」を見る。角窓の「迷いの窓」は人間の一生を象徴して「生老病死四苦八苦」を表し、丸窓...

  • 源 光 庵

      そこから歩いて、源光庵に立ち寄る。このお寺の正式名称は鷹峰山樹林源光庵と言い、もともとは臨済宗大徳寺派のお寺として一三四六年に創建されたが、元禄時代(一六九四年)に加賀の国より曹洞宗の復古道人卍山(まんざん)道白禅師が当寺に入山し、爾来曹洞宗となっている。 源光庵 悟りの窓

  • 光 悦 寺

      回廊の下を潜って境内に入り、一巡する。光悦作庭の池の側には、茶席三巴亭がある。そこから進むと光悦垣(臥牛垣)のある大虚庵茶席である。そしてその先には了寂軒茶席がある。そして見晴らしの良いところに立っているのが本阿弥庵茶席という。これ以外にも徳友庵茶席、騎牛軒茶席などがある。こ...

  • 光 悦 寺

      光悦寺もまた沢山な人出であり、門前の紅葉の回廊も人出で溢れている。この光悦寺は本阿弥光悦が、徳川家康から賜った鷹ヶ峰の地にあり、光悦はここに一族縁者や工芸の職人と共に住居を構え、工芸部落を営んだ跡地にある。光悦の没後、日蓮宗光悦寺となったものである。 光悦寺 参道

  • 原 谷 苑

      茶店でお寿司の盛り合わせを頂き、又苑内を逍遥する。苑内は八重の紅枝垂れがもっとも多いが、それ以外にも一重の枝垂れ桜、白の八重桜、それに遅咲きの染井吉野も咲いており、又赤い皐月もすでに咲いているものもあり、色とりどりの花に体も染められそうであった。 帰りはバスで立命館大学前まで...

  • 原 谷 苑

      清涼寺を出たところでタクシーを捕まえて、御室仁和寺に行こうとするが、運転手さんが(桜なら、原谷苑がよろしゅうおまっせ)と言うので、原谷苑に連れていって貰う。鳴滝・福王子経由の衣笠街道がえらく混んでいるので、迂回して金閣寺手前の道から原谷へと登って行き、原谷苑へと着く。大変な人...

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