京都や奈良などのお寺巡りを、今からかなり以前の関西単身赴任時代に行いましたが、その時訪れたお寺などの拝観記を、地域別かつ訪れた順に記載していきたいと思います。
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二尊院より南下して、小倉池のそばを通り大河内山荘の前を左に折れて、竹林の中を進むと、そこが天竜寺の北門である。こちらから天龍寺にはいるのは、始めてである。裏山の紅葉を見つつ、曹源池に出る。この庭の紅葉は未だ紅葉しているのが少なく、やや風情がない。 以前ここを訪れたときは、...
化野念仏寺より参道を戻る。このあたりは道の左右が、全て土産物屋となっておりこの奥嵯峨の地域まで、観光化の波が押し寄せてきているのがよく判る。瀬戸内寂聴の棲む寂庵はこの近くにあるようだ。いっぷく処・つれづれの店先に、緋色の和傘が立てられており、その後ろにあるもみじの紅葉と調和して、...
本日は嵯峨野巡りでの紅葉狩の日とする。京都に来てもう何度も嵯峨野には来ているが、この化野念仏寺に来たのは、二十三年ぶりである。化野は古くより、鳥辺野、蓮台野とともに葬送を行う野辺の地であった。あだし野の名の起こりは、「あだし」がはかない・悲しみの意味を持つことから、「あだしな...
龍安寺よりさらに欲張って仁和寺まで行くが、残念ながら四時を回っていたため庭園は既に閉まっていた。それで五重塔を写真に収めて帰路に就いた。 桜の時季の鏡容池
石庭の石についての感想) 左端の大きな石は獅子の頭のようであり、又拡大した写真で見ると一角の鬼の頭が左を向いているように、目と鼻が浮き出て見える。次の横に細長い石は、その左の石と共に獅子の背が川の中より出ているようにも見える。又瀬戸内海に浮かぶ島のようでもある。三番目の石...
又この石組みは人の世の移り変わりの中にあっても、ただ厳然としてそうして寂としてここに存在し続けてきたという事実。時間の重みの前にあっては、自らの一時の心の迷いなどは如何ほどのものかという感が強くなるものである。石組は自然はそして宇宙は、何も変わることがない。そこに存在するのは...
歩いて十五分くらいで龍安寺に着く。茶店でうどんを食べる。龍安寺は大雲山龍安寺といい、臨済宗妙心寺派に属しているお寺である。 ここはもともと徳大寺家の別荘であったものを、一四五〇年(室町中期第八代将軍足利義政の頃)管領細川勝元が譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山とし...
参道より総門を入ると、鏡湖池の南東に出る。葦原島を手前にして、金閣の秀麗華美な形姿が池面に映えている。この場所にはかつて釣殿があったようであり、瓢箪の形をした池が左手奥にも深く入り込んでいたようである。釣殿があったということは、ここからの景観がそれだけ見所であったということに...
夕闇の迫る中、大河内山荘に入る。最初にお休み処に行き、抹茶を頂く。お休み処より、大乗閣のあるに登る。茅葺きのなかなか立派な建物で、その前庭は見晴らし台となっており、京の町並みが見下ろせる。そこから茶室滴水庵へと行く。 庵には赤い毛氈が敷いてある。そこに坐って露地...
落柿舎への道を横に見ながら、常寂光寺へ向かう。この寺の開山は、究竟院日シン(示+真)上人(一五九五年頃)である。上人はもともと日蓮総本山本圀寺の法灯を継いでいたが、秀吉建立の東山方光寺の大仏殿供養のおり出仕に応ぜず、本圀寺を出てこの地で当寺を開創したのである。上人は歌人として...
本堂前庭は、「龍神遊行の庭」と呼ばれている。その昔この地に龍女が棲みついていたが、正信上人によって解脱・昇天した故事に倣って、そう呼ばれているようである。竹の半円に折り曲げたもので、三つの円形の島が造られており、樹木と刈り込みを配している。右端の島には枝垂れ桜がある。柿葺きの勅使...
二尊院の総門より入る。紅葉の馬場と呼ばれる巾広い参道が開けているが、紅葉はやはり盛りを既に過ぎている。入り口左手に、西行庵の碑がある。このお寺は正式には小倉山二尊院尊教院華台寺と言い、天台宗に属している。平安前期の八四〇年に嵯峨天皇の勅願により慈覚大師が開山、鎌倉初期には法然...
パンフレットによれば、この祇王寺は大覚寺の塔頭で真言宗のお寺である。有名な祇王の物語は次の通りである。 「祇王は近江の国江辺生の庄司の娘であったが、父が罪に問われ北陸に流されたため、母・妹の祇女と共に京に出て白拍子となる。そののち祇王は清盛の寵を得て、安隠に暮らし...
祇王寺に入る。陽が傾いていたこともあろうが、紅葉そのものもここではピークを過ぎており、二十数年前の秋に広島の友達と訪れたときの優美な印象は再確認出来なかった。 新緑の祇王寺
宝篋院から祇王寺へと向かうその途中の厭離庵近くに、定家に因んだ立て札がある。それを見て定家は嵯峨野近くに時雨亭を有していたことを思い出す。 中里恒子の「時雨の記」では、二尊院の時雨亭趾が出てくるが、嵯峨野にはこれ以外に二つの時雨亭趾があるようである。又嵯峨野はその地形より...
庭園は受付横の折戸を押して入るようになっている。中に入ると同時に、「照る花紅葉」の世界が開ける。期待していた以上の素晴らしい紅葉の世界を愛でながら苑路を進み、本堂のほうへと入って行く。 本堂から眺めると苔と石組みで構成された部分はあるが、その他は楓樹と苔に覆われた回遊式枯...
嵐電の嵐山駅を降りて清涼寺に向かつて北上して行く。もうかなりの人々が紅葉を見終えて、駅のほうへと戻って来ている。途中JR嵯峨野線を渡ったあたりで、小雨が降り始める。傘も帽子も持っていないので、少し雨宿りをするも雨は降り止まない。小雨なのでそのまま歩いて行くと、お店で帽子を売ってい...
天 球院は一六三一年に、姫路城主・池田輝政の妹である天久院により創建された。この折りに地中より瑞宝が出たので、天球院と命名されたようである。 方丈内部は狩野山楽・山雪の筆による襖絵で飾られている。やや装飾過多な感じで、狩野永楽の筆致との差があるように思う。金碧画であることも...
大法院に寄る。当院は一六一二年真田幸村の兄・信幸の孫である千種大納言有能の側室・長姫を開祖とするお寺である。真田家とその縁戚の千種、久我、内藤四家の香華寺である。信幸の院号が大法院と言うそうである。またこのお寺には、佐久間祥山の墓もあるようである。 庭は苔庭であり、右手...
退蔵院は正面の庫裏が立派なお寺である。袴越しの大玄関より、方丈へと入る。方丈前庭は庭らしい作意のない庭で、趣なし。方丈の西側に枯山水がある。 これは狩野元信作庭の庭である。石組みの滝口から流れる白沙は、石橋を潜り中之島を巡って、左手の海へと出て行く。その左端にもまた石橋が...
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