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  • 白鷺だより(468)兵庫知事選と心配無用ノ介

    兵庫県議会議員全員に不信任案を突き付けられた斎藤知事が百万以上の支持を得て再選されるとは誰が思ったか?一人辻立ちする斎藤知事の姿をみて県民の「斎藤コール」に包まれるとは誰が思ったか!選挙公示日に、評論家高橋洋一さん曰く全員が不信任案を出すのはおかしい早く知事を辞めさせる意図が働いている私でも公用PCの中身を知っているのに議員が誰も知らない筈がない誰か公表する人がいないのかと言っていたが出てきたのは立花孝志だしかも立候補すると言う裏技を使ってマスコミが彼の挑発に乗って彼を消そうとやっきになってしまったそれを見せられて神戸新聞やABCなどマスコミイコール悪と言うイメージが出来てしまった県民は悪のマスコミに騙されて批判して御免なさいこれからは「私たちが」応援しますとばかり一気に選挙日まで突き進んでしまった一人辻...白鷺だより(468)兵庫知事選と心配無用ノ介

  • 白鷺だより(467)2024年11月松竹新喜劇公演観劇記

    一本は友人の洋ちゃん主役の「砂糖壺」、もう一本は八十やんが演出に回った新喜劇の名作、植栗(一蝶)が宇田信吉に挑戦する「人生双六」こりゃあ見に行かざるをなるメエと初日だったが支配人に無理を言って席をお願いした客席はいくつかの小団体でほぼ一杯、文化庁の「劇場、音楽堂等に於ける子供舞台芸術鑑賞体験支援事業」という長ったらしい団体もいたなんでも子供は無料、同伴者は半額と言うことだ「砂糖壺」は昭和56年9月中座母親は酒井光子、極道息子に曾我廼家文童、(茂林寺文福、舘直志合作)この役をひっくり返して放蕩を繰り返す母親を洋、孝行息子に藤山扇治郎としたこれが失敗だ(演出わかぎゑふ)洋の役は幼い頃からショウダンサーに憧れていたが実らす夫と二人で和菓子屋を営んできたが夫に先立たれてから商売に見向きもしないで酒に溺れ、その上ギ...白鷺だより(467)2024年11月松竹新喜劇公演観劇記

  • 白鷺だより(466)「侍タイムスリッパー」のこと

    観たかった映画をようやく観ることが出来たなんとその日は難波の一流映画館での舞台挨拶がある日だった映画がおわり自然と湧きあがる拍手、挨拶では田村がひとり舞い上がってしまい決めセリフが出てこないハプニングがあり心配したが舞い上がる気持ちが手に取るように解るので許せる終わって観客を見送るキャスト、安田監督に「おめでとう」と声をかけた安田監督とは僕の舞台の舞台監督をやってくれているIさんの友だちということで親しくなった僕が親しくしていた歌手(森千紗花)が自費で引退記念映画を作りたいという話が持ち上がり安田監督にお願いしたその映画「通天閣歌謡道」(2006)はさほど評判にもならず森はひっそりと引退した安田監督はその後「拳銃と目玉焼き」や「ごはん」の2本の映画を発表するが不発に終わるそして実家の農業を継がねばならない...白鷺だより(466)「侍タイムスリッパー」のこと

  • 白鷺だより(465)さいなら、麻やん

    昨、8月21日サンケイホールブリーゼにおいて桂ざこばのお別れ会が催されたトップホット時代の仲間たちにも会えたのもざこばこと朝丸のお陰である芦屋凡凡いま寛大池乃めだか(海原めぐる)凡凡とめだかあと「なんでも言って委員会」から武田、門田さんがきてその人脈の広さには驚くなるみが引き出す形で池乃めだか師匠が語る思い出話は我々をトップホット時代にひきもどしてくれ泣き笑いの連続だったさいなら朝やん白鷺だより(465)さいなら、麻やん

  • 白鷺だより(464)再び紅萬子のこと

    南条好輝さんのゼミナールの生徒さんがあつまって出来た劇団、「劇団てんこもり」かある年に一度ゲストを入れて前は道頓堀ZAZAで公演を演っていたが今年はZAZAが新世界に移転したので一心寺シアター倶楽にての公演となったこの「クソ暑い」最中はるか一心寺まであるいて「下町情話」なる芝居を観にいったのはわれらが友人紅萬ちゃんがゲストで出ていたのと91歳とご高齢の楠年明さんが急遽代演で出ていると聞いたからである前日に観劇したSさんのFBによると91歳の楠さんをはじめ多賀勝一(81)大竹修三(78)という老優三人が揃って元気に舞台を勤めていたのを見所に挙げていたがもっと重大な「事件」が起きていたのである但し少なくとも僕にとってはそれは芝居が終わって南条さんがゲストを紹介したときに起こった「紅萬子さん」、一瞬間違いか南条...白鷺だより(464)再び紅萬子のこと

  • 白鷺だより(464)再び紅萬子のこと

    南条好輝さんのゼミナールの生徒さんがあつまって出来た劇団、「劇団てんこもり」かある年に一度ゲストを入れて前は道頓堀ZAZAで公演を演っていたが今年はZAZAが新世界に移転したので一心寺シアター倶楽にての公演となったこの「クソ暑い」最中はるか一心寺まであるいて「下町情話」なる芝居を観にいったのはわれらが友人紅萬ちゃんがゲストで出ていたのと91歳とご高齢の楠年明さんが代演で出ていると聞いたからである前日に観劇したSさんのFBによると91歳の楠さんをはじめ多賀勝一(81)大竹修三(78)という老優三人が揃って元気に舞台を勤めていたのを見所に挙げていたがもっと重大な「事件」が起きていたのであるそれは芝居が終わって南条さんがゲストを紹介したときに起こった「紅萬子さん」、一瞬間違いか南条のシャレかとおもった手元にある...白鷺だより(464)再び紅萬子のこと

  • 白鷺だより(463)こんぴら歌舞伎の沼津を観て考えたこと

    コロナでしばらく中止していた四国こんぴら大歌舞伎が再開してNHK「芸能への招待」でその中継が放送されたのを観た昼の部の出し物は「伊賀越え道中双六・沼津」で幸四郎の十兵衛、鴈治郎の平作、壱太郎のおよね、染五郎の安兵衛といった配役でさしずめ高麗屋と成駒屋の親子共演となったしかし我々の世代は8代目幸四郎の松竹脱退(1961)も知っているし、その約6年前の扇雀(二代目)松竹離脱(1955)も知っているので複雑だそして息子の離脱に殉じて鴈治郎が松竹を辞め大映映画などで大活躍しているのをリアルタイムでこの目で観ている幸四郎の場合は息子染五郎、吉右衛門(萬之助)もおなじく東宝専属となった染五郎が何年か後(1967)「野バラ咲く路」なるヒット曲をだして一躍スターダムに乗り東宝ミュージカルの牽引車にまつりあげられたのも知っ...白鷺だより(463)こんぴら歌舞伎の沼津を観て考えたこと

  • 白鷺だより(463)こんぴら歌舞伎の沼津を観て考えたこと

    コロナでしばらく中止していた四国こんぴら大歌舞伎が再開してNHK「芸能への招待」でその中継が放送されたのを観た昼の部の出し物は「伊賀越え道中双六・沼津」で幸四郎の十兵衛、鴈治郎の平作、壱太郎のおよね、染五郎の安兵衛といった配役でさしずめ高麗屋と成駒屋の親子共演となったしかし我々の世代は8代目幸四郎の松竹脱退(1961)も知っているし、その約6年前の扇雀(二代目)松竹離脱(1955)も知っているので複雑だそして息子の離脱に殉じて鴈治郎が松竹を辞め大映映画などで大活躍しているのをリアルタイムでこの目で観ている幸四郎の場合は息子染五郎、吉右衛門もおなじく東宝専属となった染五郎が「野ばら咲く路」なるヒット曲をだして一躍スターダムに乗り東宝ミュージカルの牽引車にまつりあげられたのも知っているちょうど今の染五郎の年齢...白鷺だより(463)こんぴら歌舞伎の沼津を観て考えたこと

  • 白鷺だより(462)札幌刑務所の歌

    盛り場のスナックあたりでいきがったお兄ちゃんが歌う曲がある「484のブルース」という曲である484とは何か、これは札幌刑務所の旧住所が札幌市苗穂町484だったからであり現在は札幌市東区東苗穂2の1の5の1となっているこの曲のモデルは札幌で暴力団同志の抗争で31歳で死んだ伝説の無頼、「雁木のバラ」こと荏原哲夫である義理や人情にあこがれた19,20か花だったここはその名も雁木町いきつくところは覺悟のウエでままよこの道おれは行くすがりつく手を押し退けて行かなならない時もある男のこの胸だれが知るうらんでくれるなかわいい人よ今宵別れの苗穂町石狩平野の片隅にこんな男のいたことをせめて忘れずいて欲しい世間の奴らに背中を向けて俺は一人で生きていくB面の歌詞に薔薇のイレズミ寂しく撫でて〜とかあぁバラのイレズミ左の肩に〜とあ...白鷺だより(462)札幌刑務所の歌

  • 白鷺だより(455) 団鬼六「美少年」のモデル

    団鬼六「美少年」のモデル大学に入ったら演劇をやろうと思っていた僕は関学に入ってまず訪ねたのは「劇研」だったその頃「劇研」は三田和代がいてフランス・ナンシーで行なわれた世界学生演劇祭で「夕鶴」を演じ優勝したばかりであって人気だったへそ曲がりの僕はもう一つあった創作劇団「エチュード」にもぐり込んだその汚い部室にあったOBたちの現状報告の小冊子に映画脚本を書くかたわらオール読物の新人杯を「浪花に死す」で取り教師をしながら時期を待つという自虐的な文章が何故かひっかかり、その黒岩松次郎という名前と共に記憶に残った3年後全共闘運動の挫折で中退も考えたがゼミの教授のアドバイスを得て1年留年していた僕はー下鉄梅田駅の掃除の仕事(終電までに駅に入り水洗の仕事、ゴミ箱の整理)をしていた時ゴミ箱に捨てられた山ほどのSM雑誌(そ...白鷺だより(455)団鬼六「美少年」のモデル

  • 白鷺だより(461)桂ざこば逝く

    共に二十代前半、僕がトップホットに入った時彼桂朝丸は得意の「動物いじめ」でちょい人気者だったせっかく寄席のレギュラーに入ったのに落語を演ったことはなく客の要望で「動物いじめ」はかり演っていたので米朝師匠から小言ばかり言われていたという朝丸は僕らと同じく大宝芸能の専属だったが雁之助、小雁と並んでいっぱしのバンス王だった日テレ「TV三面記事ウィークエンダー」という人気番組のレギュラーだったので当然の扱いだったしかし大きな事件があると現場まで出掛けたのでよく休演したそういう時の代演は大抵弟弟子の朝太郎であった入時間に遅れそうなら佐賀廼家喜昇・旭子さんに伸ばしてもらったこの二人なら30分のばすのも簡単だったさてその朝丸の「動物いじめ」なるものはどう言うものだったかというと色々といじめるんですな蜂をいじめるんですな...白鷺だより(461)桂ざこば逝く

  • 白鷺だより(460)「あぶくの流儀」を観て

    こんなメールがきたのは3月22日のことてがある3月23日か24日どちらかお時間ありませんか?「あぶくの流儀」の再演が大阪の一心寺シアターであります両日とも2時公演です両日とも甲子園が中止になるくらいの雨の予定だ身体の不自由な僕にとってかなりの負担であるそれでも元「梅沢扇之助」のために出掛けたのはメールの続に次のような文章があったからである梅沢武生の弟子だった人間としては弟子らしき事は何も出来なかったし、お礼を云うことも謝ることも出来ないままお別れしてしまいましたが梅沢でスタートした役者の道弟子とも呼べぬような馬鹿な弟子が「お客様に楽しんでいただく」「トータルで100点、120点を取る」その意思だけを継いて演じる座長萬屋万太郎と云う役を武生座長の側にいた先生に是非観ていただきたいのですそこまで云われたらこり...白鷺だより(460)「あぶくの流儀」を観て

  • 白鷺だより(459 )わしゃ、つんぼで聞こえまへん

    (459)わしゃつんぼで聞こえまへん「買い物ブギ」を服部良一が作詞の時のペンネームは村雨まさをという本当は百人一首の寂蓮法師の「村雨の露のひぬまにまきの葉に霧立のぼる秋の夕暮れ」から取ったので村雨まきをだったのに印刷やのミスでまさをとなったまあ服部にとって作詞のアイデアは笠置シズ子が出したのでペンネームはなんでも良かったのでそのままにしたさて1970年から1980年にかけてテレビ界においていわゆる放送禁止用語なるものを設定して自主規制が始まったレコード業界も右へ倣えとばかり古い楽曲の不適切と思われる言葉を探しだしたその第一号が「買い物ブギ」だった「わしゃツンボできこえまへん」がカットされた丸山明宏(美和明宏)の名作「ヨイトマケの唄」も「土方」が職業差別用語としてカットされたが最近カットなしで歌っているのを...白鷺だより(459)わしゃ、つんぼで聞こえまへん

  • 白鷺だより(458) 歌江師匠死す

    歌江師匠死す〽うちら陽気なかしまし娘誰が言ったか知らないが女三人寄ったらかしましいとは愉快だねverygoodgoodverygoodgoodお笑い、おしゃべり、ミュージック明るく歌ってNight&Dayピーチクパーチクかしましいかしましのお姉チャン歌江さんが亡くなった19日の夕方女優のMから「歌江師匠が亡くなったらしいんですけど聞いていませんか?」との電話が入ったご主人の平井さんにきいてもいいんですけど何か斎場の空きが無く今必死で探してはるんで悪いし、何か噂では23日まで空いてなくて仮押さえしてるらしいんですけどドライアイスで冷凍して持たすというんです、というハッキリ日にちが決まったら電話しますと言ったが一向に返事がないあったのは23日の夕方で葬儀も終わった後の事後報告だった平井さんが人数制限してヒトに...白鷺だより(458)歌江師匠死す

  • 白鷺だより(457) 二人の付き人

    二人の付き人この1月15日、読売新聞の朝刊の一面の広告欄をみて驚いた「サンミュージックなお笑いの夜明けだった〜付き人から社長になった男のものがたり〜」という本の広告だった幾つかの疑問が湧くこの社長はお笑い出身だろうが東京のお笑い事情にうとい私は「ブッチャーブラザース」なんて知らない、それよりも創業者相澤一族はどうなったんだその頃のお付きをとるタレントといったら森田健作しかいないが僕がお手伝いした彼の唯一の座長公演「森田健作特別公演」に参加していたのだろうか?新社長の「ブッチャーブラザース」のリッキーこと岡博之が森田健作の付き人になったのは1979年でその2年後1981年にコンビ結成だから僕が参加した森田健作特別公演は1986年名鉄ホールだから接点がない70年代、打ち合わせに行った四谷4丁目の大木戸ビルの小...白鷺だより(457)二人の付き人

  • 白鷺だより(456) 僕が会った「宝塚演出家」

    僕がトップホットに潜り込んでいた頃(1971)関学全共闘だった先輩のMさんが一人の男を連れて来た彼は早稲田全共闘の活動家でその名前をよく知っていたその頃はバリバリの活動家が身分を隠して大企業に潜り込むのが流行っていて、かくゆう我々(僕とNさん)も東宝系の劇場に入りこんだ先輩であったその彼は村上信夫といい宝塚歌劇団の演出部に入って出身の大阪に戻って来て同級のMさんに聞いて東宝、阪急系の先輩として僕を紹介したのであったその後僕は色々あって梅田コマの文芸部になっていた頃毎日放送創立何十年記念公演を梅田コマで演った時、関西の色々な芸能の中で宝塚のショーが入っていたショーは演出が岡田敬二、演出補が村上その下にダンサーから「イケコ」と呼ばれて脱ぎ散らかした衣装を走って集めていた小池修一郎がいたその頃はダンサーに完全に...白鷺だより(456)僕が会った「宝塚演出家」

  • 白鷺だより(455) 団鬼六「美少年」のモデル

    団鬼六「美少年」のモデル大学に入ったら演劇をやろうと思っていた僕は関学に入ってまず訪ねたのは「劇研」だったその頃「劇研」は三田和代がいてフランス・ナンシーで行なわれた世界学生演劇祭で「夕鶴」を演じ優勝したばかりであって人気だったへそ曲がりの僕はもう一つあった創作劇団「エチュード」にもぐり込んだその汚い部室にあったOBたちの現状報告の小冊子に映画脚本を書くかたわらオール読物の新人杯を「浪花に死す」で取り教師をしながら時期を待つという自虐的な文章が何故か心に残り、その黒岩松次郎という名前と共に記憶に残った3年後中退も考えたがゼミの教授のアドバイスを得て1年留年していた時地下鉄梅田駅の掃除の仕事(終電までに駅に入り水洗の仕事、ゴミ箱の整理)をしていた時ゴミ箱に捨てられた山ほどのSM雑誌(その頃ブームだった、家に...白鷺だより(455)団鬼六「美少年」のモデル

  • 白鷺だより(544) 平井房人のこと

    平井房人(ひらいふさんど)のこと昭和62年の七月新橋演舞場の新聞広告であるこのころは天外・寛美の二枚看板だがなぜか天外一人である昼の部3本目に平井房人作「滝の茶屋」とあるさて何故今「平井房人」なのかイラストレーターの成瀬國晴さんの新刊「オダサクアゲイン」という自伝的怪書の中で彼の漫画の師匠松葉健さんの戦後の思い出話の中で「カストリ雑誌の編集部で同じように作品を持ってきていた漫画家平井房人に会うモダンで品がありニコニコしていて驚いた平井は宝塚歌劇の脚本も書いていた有名人で朝日新聞にも夫婦ものストーリー漫画を描いていたのを知ってつのでそんな人でも売り込みに来るんだと不思議に思った」とあるその経歴をみてみよう明治36年福岡県久留米生まれ、大正10年上京、同12年関東大震災に会う神戸に移住と同時に宝塚少女歌劇の美...白鷺だより(544)平井房人のこと

  • 白鷺だより(453) 「キネマの神様」

    キネマの神様コロナで観られなかった「キネマの神様」(2021)をBSプレミアムでようやく観た前作「キネマの天地」の続編として作られたこの映画はスタートからつまずいた主演に予定していた志村けんが死亡(しかもコロナで)代役に志村の長年の友人であったジュリーこと沢田研二に変えて再スタートしたつかこうへい✕東映深作の「蒲田行進曲」の大ヒットに対抗して井上ひさし✕山田洋次で松竹が大船撮影所50周年記念作として作られた松竹版蒲田行進曲の「キネマの天地」その続編がこれだそういえば撮影所の玄関の守衛はどちらも桜井センリだ大船撮影所の近くにあった松尾食堂のことは昔、単行本で興味をもって読んだ物語はこの食堂の娘(永野芽郁〜宮本信子)を巡っての恋の鞘当からはじまる監督志望の剛(菅田将暉~沢田研二)と映写係のテラシン(野田洋次郎...白鷺だより(453)「キネマの神様」

  • 白鷺だより(452) 清水邦夫の「冬の馬」

    清水邦夫の「冬の馬」久しぶりの新劇の観劇だ、久しぶりの清水邦夫だ今まで数々の清水作品を上演している大阪放送劇団からのご招待がありÅアンドHホールがある千里中央まで出かけた客席にはかって一緒に芝居した多賀勝一、西園寺章雄ら「新劇オジサン」の姿を見掛けた1992年の作品なので56歳の設定の主人公である「親子」たちは清水と同じ歳だ堂崎茂男演じる吉村研一は大学教授だった父が「老楽の恋」で若い女(なんと自分と同じ歳)と駆け落ちされて捨てられた過去を持つ元全共闘の翻訳家だ駆け落ちして二人で小さな時計修理の店を開くが旦那に先立たれ今は銀時計の制作を細々と波子の実の息子透の元嫁美枝と二人で営んでいる波子(増田久美子)の店に研一がやって来るところから始まる堂崎は膨大なセリフを二日目のせいか何度か詰り気味でもなんとかこなした...白鷺だより(452)清水邦夫の「冬の馬」

  • 白鷺だより(452) 故 千草英子さんのこと

    故千草英子さんのこと訃報千草英子さん(93)本名梶本英子元松竹新喜劇劇団員12日、老衰で死去松竹家庭劇を経て1991年に新生松竹新喜劇の旗揚げに参加、2014年に退団するまで名脇役として活躍し代表作に「鼓」などがある僕の千草英子さんの記憶は昭和50年(1975)大阪三越劇場での北條秀司作・演出「王将」の舞台である僕にとって初めの商業演劇の舞台監督で27歳、彼女は45歳でいわゆる北條天皇の「お気に入り」女優であったその彼女が舞台稽古の最中に役を降ろされて小さな楽屋で泣いた勿論芝居が不味かった訳ではない第一幕で「小春」役で出た彼女が第二幕で三吉の後妻役で出て来たのが演出家が気に入らなかったのである結局津島道子さんを小春の代役に呼んで「解決」したのだがけだし、がめつい後妻役は目を見張る名演技で千秋楽には僕と同じ...白鷺だより(452)故千草英子さんのこと

  • 白鷺だより(450) 三代目猿之助の死と「新・水滸伝」

    三代目猿之助の死と「新・水滸伝」この9月13日、三代目猿之助が死んた83歳だった奇しくも彼が残した「新・水滸伝」を南座で観劇したばかりであったので驚いた猿之助をはじめて観たのは1980年梅田コマの植田紳爾作、演出「不死鳥よ波濤を越えて」と戸部銀作構成「ザ・カブキ」の二本立てであった初めての東宝系の劇場公演であったため連日キャパ2000の客席は埋め尽くされたベルばらの植田紳爾と澤瀉屋大ヒットだった翌年もコマグランド歌舞伎と銘打っての公演を行なったが出し物が「十二時忠臣蔵」と「ザ・カブキパートⅡ」と地味で興行的に失敗、その翌年1981年も同じくコマグランドカブキと銘打っての榎本滋民作「頼光鬼退治」と「ザ・カブキパート3」の二本立てをうったが惨敗した我々スタッフも扇雀のコマ歌舞伎は経験していても、あれは普通の芝...白鷺だより(450)三代目猿之助の死と「新・水滸伝」

  • 白鷺だより(449) ちんぷんかんぷん劇場旗揚げ公演

    ちんぷんかんぷん劇場旗揚げ公演2023年9月9日ちんぷんかんぷん劇場が初日を迎えた歌子劇団のレギュラーでよく助けてくれたちんぷんかんぷん普段は二人で「南京玉すだれ」をネタにコントをやっている「ちんぷんかんぷん」が待望の自分たちの劇団の公演の旗揚げだこれも僕が演出した日本香堂の芝居のゲスト主役で出てくれた加藤茶が彼らの公演に出演してくれたから実現出来たと言えよう他に紅壱子(今回は監修も担当)、曽我迺家八十吉も巡業のレギュラー組から参加演技面で協力してくれた彼らの力にしては少し大きい目の劇場(クオレ大阪中央観客1000名程)だったのであまりにもガラガラだったら寂しいなと思っていたが杞憂に過ぎなかった30分程前に着いたにも関わらす大勢の人々が並んでいる全席自由席だったので「いい席」を求めてみな早い目に集まったの...白鷺だより(449)ちんぷんかんぷん劇場旗揚げ公演

  • 白鷺だより(448) 北原白秋の「怖い詩」

    北原白秋の「怖い詩」その詩を知ったのは30年程前、水谷豊主演の火曜サスペンス劇場「立花陽介地方新聞社通信」の中だった主人公が発見した死体の側に「金魚を一匹突き殺す」と書いたメモ紙片が落ちていたやがてそれは有名な詩人北原白秋の詩の一節だと判る北原白秋(1885〜1942)といえば明治から大正にかけて活躍した詩人、歌人、童謡作家で「からたちの花」をはじめ「ゆりかごのうた」「この道」「待ちぼうけ」「ペチカ」などの童謡を今尚歌われている名作の作者として名前を残しているその彼がこんな怖い詩を残している(アルス社刊「白秋童謡集・とんぼの目玉」収容)母さん母さんどこへ行た紅い金魚と遊びませう母さん帰らぬ寂しいな金魚を一匹突き殺すまだまだ帰らぬくやしいな金魚を二匹締め殺すなぜなぜ帰らぬひもじいな金魚を三匹捻ぢ殺す涙がこぼ...白鷺だより(448)北原白秋の「怖い詩」

  • 白鷺だより(447) 聞書「あっちこっち丁稚」

    聞書「あっちこっち丁稚」トップホットシアターでコマ新喜劇を担当していた癖に実際ライバルである吉本新喜劇を観に梅田、なんば花月に行くこともなくテレビでチラッと観る程度だったこれは今の松竹新喜劇をみても勉強にはならない、いわんや吉本新喜劇なんぞは何の勉強にもならないという香川登志緒先生の教えを頑なに守ったからであるさてここに快楽亭ブラック✕前田五郎✕竹内義和というけったいな組み合わせの対談のユーチューブを見つけた吉本新喜劇の裏話の面白いエピソードがあるので紹介する「あっちこっち丁稚」は1975年から1983年まで毎週日曜日の昼朝日放送から放送されたバラエティ番組で壇上茂が作者であった毎回主人役の前田五郎が女将役の山田スミ子にビンタされるのが定番で彼女が大声をだすと出演者全員が倒れるギャグもあった前田五郎による...白鷺だより(447)聞書「あっちこっち丁稚」

  • 2023/05/23

    2023/05/23

  • 白鷺だより(446) 観劇記「帰ってきたマイ・ブラザー」

    「帰ってきたマイ・ブラザー」を観て老体に鞭打つて京都まで観劇に来ることになったのは大阪、兵庫がいずれもソールドアウトになったためであったしかも其の京都の前の仙台公演が関係者の都合で中止となり公演が危ぶまれたが「堤真一休演」で代役に演出家の小林顕作と決まり強行することでこの公演の最終地公演を締めくくろうと計った水谷豊✕段田安則✕高橋克実✕堤真一+寺脇康文✕池谷のぶえ✕峯村リエといった凄いメンバーで4月世田谷パブリックシアターで1ヶ月公演そのあと2ヶ月かけての地方公演(大阪〜福岡〜新潟〜札幌〜仙台(中止)そしてラストの京都)は6月30日をもって完了する会場は八割60〜70代のおば様方付添の旦那お昼休みを「相棒」の再放送で過ごす人達でキャパ2000は満員状態シス・カンパニーも仙台2日間の休演は屁とも思わない大ヒ...白鷺だより(446)観劇記「帰ってきたマイ・ブラザー」

  • 白鷺だより(445) 新宿コマの福田善之

    新宿コマの福田善之昭和50年代から60年代後半の福田善之は当時の演劇青年の憧れの的だった関西の某私大の演劇サークルにいた僕も同じだったふじたあさやとの共作の「富士山麓」(1954)でデビューし、「長き墓標の列」「遠くまで行くんだ」「オッペケペ」「真田風雲録」「袴垂れはどこだ」と矢継ぎ早に発表しいずれも岸田国士賞の候補にノミネートされ最後の「袴垂れはどこだ」が受賞したが審査員への不信を理由に辞退する……そんなかっこいい存在だった(辞退は師匠の一人木下順二氏がからんでいたと思われる)そんな彼が「江利チエミが見出した演出家」として華々しく「大衆演劇の殿堂」新宿コマにデビュー(昭和46年)したので新劇評論家は驚きの声と批判的な批評をした(何年か後の蜷川幸雄がそうだったように)この前年、福田は東横劇場で清川虹子主演...白鷺だより(445)新宿コマの福田善之

  • 白鷺だより(445) 新宿コマの福田善之

    新宿コマの福田善之昭和50年代から60年代後半の福田善之は当時の演劇青年の憧れの的だった関西の某私大の演劇サークルにいた僕も同じだったふじたあさやとの共作の「富士山麓」(1954)でデビューし、「長き墓標の列」「遠くまで行くんだ」「オッペケペ」「真田風雲録」「袴垂れはどこだ」と矢継ぎ早に発表しいずれも岸田国士賞の候補にノミネートされ最後の「袴垂れはどこだ」が受賞したが審査員への不信を理由に辞退する……そんなかっこいい存在だった(辞退は師匠の一人木下順二氏がからんでいたと思われる)そんな彼が「江利チエミが見出した演出家」として華々しく「大衆演劇の殿堂」新宿コマにデビュー(昭和46年)したので新劇評論家は驚きの声と批判的な批評をした(何年か後の蜷川幸雄がそうだったように)この前年、福田は東横劇場で清川虹子主演...白鷺だより(445)新宿コマの福田善之

  • 白鷺だより(445) 新宿コマの福田善之

    新宿コマの福田善之昭和50年代から60年代後半の福田善之は当時の演劇青年の憧れの的だった関西の某私大の演劇サークルにいた僕も同じだったふじたあさやとの共作の「富士山麓」(1954)でデビューし、「長き墓標の列」「遠くまで行くんだ」「オッペケペ」「真田風雲録」「袴垂れはどこだ」と矢継ぎ早に発表しいずれも岸田国士賞の候補にノミネートされ最後の「袴垂れはどこだ」が受賞したが審査員への不信を理由に辞退する……そんなかっこいい存在だった(辞退は師匠の一人木下順二氏がからんでいたと思われる)そんな彼が「江利チエミが見出した演出家」として華々しく「大衆演劇の殿堂」新宿コマにデビュー(昭和46年)したので新劇評論家は驚きの声と批判的な批評をした(何年か後の蜷川幸雄がそうだったように)この前年、福田は東横劇場で清川虹子主演...白鷺だより(445)新宿コマの福田善之

  • 白鷺だより(444) 紀文と中川雅夫どんちょう会

    紀文と中川雅夫どんちょう会死亡記事紀文食品会長の保芦将人さんが11日(6月)心不全で死去した83歳だった創業者の保芦邦人氏の長男1980年から30年に渡り社長を務めタイに生産工場を作るなど海外展開に注力しチクワにチーズを入れた「チーちく」などのロングセラー商品を手掛けた保芦会長が亡くなった父親の邦人氏が松竹新喜劇のタニマチであったため天外(二代目)のお供で来ていた酒席で同年代の中川雅夫と親しくなり中川が新喜劇を辞めてもスポンサーであってくれ、彼が主宰する「どんちょう会」の大スポンサーであった実はそのどんちょう会の公演で「最上川一路」という作品がある(梅林貴久生脚本吉村正人演出)父親の紀文創業者邦人氏の伝記芝居である平成10年、東京天王洲アートソフィア、大阪中座それによると昭和10年頃山形から上京した邦人は...白鷺だより(444)紀文と中川雅夫どんちょう会

  • 白鷺だより(443) 松竹新喜劇に明日はあるのか?

    松竹新喜劇に明日はあるのか?5月新緑公演を観て松竹新喜劇5月新緑公演を観たその名のように新しい若手看板を中心とした「新力公演」だだが新しさは少しも感じられない若手特有のエネルギーも感じられないこれはひとえに五人の新戦力の中に扇治郎が入っているからだ扇治郎の向こうに寛美の影が大きく見えるからだあいもかわらす寛美のもの真似が目立つその昔「久しぶりの新喜劇に客席は三階まで埋まる大入り、顔見世を除いてついぞ最近感じることのない活気に溢れたこの客席を見ていると改めて新喜劇の人気というものを考えさせられる」(京都新聞昭和39年9月)とか「大阪道頓堀中座の前の通りは夜の部の開幕を待つ客でごった返すその人達を目当てに物売りまででてる有様だ松竹新喜劇結成20周年記念興行か人気を呼んでいるのである」(京都新聞昭和42年1月中...白鷺だより(443)松竹新喜劇に明日はあるのか?

  • 白鷺だより(442) 松竹新喜劇「花ざくろ」のこと

    松竹新喜劇「花ざくろ」のことこの「花ざくろ」は5月の上演に相応しい作品であるその舞台のイメージは紫陽花が満開に咲いていて花棚には今が盛りの花々が並んでいるたまの晴れ間を利用して陽に当てようと縁側に「花ざくろ」の鉢が並んでいる三次郎の部屋の中には直射日光を遮らなければならない花の鉢が並んでいる今にも降りそうな雲が動くたびに明るくなったり暗くなったり僕が75歳だから同じ歳の新喜劇も創立75周年を迎える天外が代表を去り扇治郎、天笑、曾我迺家一蝶、いろは、桃太郎の若手五人が中心となって再スタートする、その第一弾が「花ざくろ」(斎藤雅文演出)「三味線に惚れたはなし」(川浪ナミヲ演出)で始まった「花ざくろ」、結局セットは初演の高須文七さんの踏襲であったせめてセットだけでも新しくして欲しかった花柘榴は八重の園芸品種で普...白鷺だより(442)松竹新喜劇「花ざくろ」のこと

  • 白鷺だより(441) 田中弘史さんを偲ぶ会

    田中弘史さんを偲ぶ会昨年の6月に亡くなったのに時代はコロナ禍の真っ最中お葬式は勿論さようなら会すら開ける状況ではなく長らく延期されていた田中弘史さんを偲ぶ会が5月12日梅田のビアホールで行なわれ賑やか好き、酒好きの田中さんに相応しい会となった長らく関西俳優協議会の役員(1970~事務局長、1988~副会長1998~会長、2014~顧問)を務めたので大勢の役者、スタッフ、演劇関係者が集まった梅田千恵現会長始め三島ゆり子、中川雅夫夫婦、紅壱子、楠年明、西園寺章夫前会長、先週難波でお茶したばかりの美術の竹内志朗先生、もと鳥プロの社長鳥取さん藤山直美の芝居の稽古終わりの大原ゆう、透析中で役者引退の真田実らコロナ禍で会えなかった演劇関係者が一堂に集まったことにこの会が開かれる意義があった亡くなる半年程前だろうか堺市...白鷺だより(441)田中弘史さんを偲ぶ会

  • 白鷺だより(441) 田中弘史さんを偲ぶ会

    田中弘史さんを偲ぶ会昨年の6月に亡くなったのに時代はコロナ禍の真っ最中お葬式は勿論さようなら会すら開ける状況ではなく長らく延期されていた田中弘史さんを偲ぶ会が5月12日梅田のビアホールで行なわれ賑やか好き、酒好きの田中さんに相応しい会となった長らく関西俳優協議会の役員(1970~事務局長、1988~副会長1998~会長、2014~顧問)を務めたので大勢の役者、スタッフ、演劇関係者が集まった梅田千恵現会長始め三島ゆり子、中川雅夫夫婦、紅壱子、楠年明、西園寺章夫前会長、先週難波でお茶したばかりの美術の竹内志朗先生、もと鳥プロの社長鳥取さん藤山直美の芝居の稽古終わりの大原ゆう、透析中で役者引退の真田実らコロナ禍で会えなかった演劇関係者が一堂に集まったことにこの会が開かれる意義があった亡くなる半年程前だろうか堺市...白鷺だより(441)田中弘史さんを偲ぶ会

  • 白鷺だより(440) 米田亘 松竹新喜劇の50年

    米田亘、松竹新喜劇の50年若手五人によれ新体制をスタートする松竹新喜劇その年に文芸部の米田さんが退団するという話を聞いた米田亘別のペンネーム門前光三(門前の小僧習わぬ経を読む)昭和22年生まれ早稲田大学文学部卒業卒論松竹新喜劇昭和48年松竹新喜劇入団昭和23年生まれの僕が1年ダブってトップホットに入ったのが昭和47年だからおそらく卒業が出来なかったか一浪して大学に入ったからか昭和48年入団となったかは判らない二代目天外に手紙をだして入団を依頼したが当時の文芸部長平戸敬ニに任せるということで平戸に会ってたまたま欠員が出て採用となった1980年代が中心に「IC女房にロボット亭主」、「さくら湯の忘れ物」、「昭和のラブレター」、「お金か心か春風か」「鯉さんと亀さん」などの脚本1993年平戸さんが亡くなった後文芸部...白鷺だより(440)米田亘松竹新喜劇の50年

  • 白鷺だより(439) 北島三郎の漢字一文字の歌

    北島三郎の漢字一文字の歌北島三郎の楽曲には漢字一文字の曲がかなりの数がある僕が初めてコマで北島公演を担当した頃は「步」(昭和51年)だけだった(昭和45年に「盃」、「誠」をだしているがヒットせず)そして昭和62年デビュー25周年記念曲で一文字の「川」を出すその前年、北島が暴力団との付き合いが発覚して紅白歌合戦を降板した年であった順風満帆で成長して来た北島音楽事務所の初めの躓きだったしかし北島は記者会見の席で一切余計なことは言わすただ「北島三郎の不徳の致すところです」以外何も言い訳も言わななかった翌年の正月2日我々スタッフも事務所のメンバー全員が八王子のご自宅に集合して新たに決起集会を行なった専属司会の及川洋は川のイントロ前にこんなナレーションを付けた「貸した情けは流しても受けた恩義を忘れちゃならぬ怒涛の道...白鷺だより(439)北島三郎の漢字一文字の歌

  • 白鷺だより(438) 梅田コマ一年生

    梅田コマ一年生竹内志朗先生描く昔の梅田コマであるこの建物の左手には環状線が走っていてそのガード横の通路に楽屋口があった僕はこの劇場に昭和50年からお世話になったいや話はその前年昭和49年からと言っていい(まだトップホットシアターに在籍していた)中日劇場での「中日喜劇」公演でコマ文芸部のMさんがチーフの仕事に参加した翌年(その時はもうトップホットは辞めていた)Mさんが構成・演出のショウの舞監の話が来た東宝芸能所属の南原美紗緒を中心とした有名キャバレーを廻る大人向けのショウでコマミュージカルチームのダンサーやヌードさんまでいた京都、神戸を無事終え東京の赤坂のキャバレーで稽古中、Mさんから電話があり「旅はもういいから明日僕と一緒に打ち合わせに行ってくれ」と云われ旅はもう一人の舞監Tさんに任せて打ち合わせに参加し...白鷺だより(438)梅田コマ一年生

  • 白鷺だより(437) ミヤコ蝶々「おんなの橋」

    ミヤコ蝶々「おんなの橋」芦屋凡々こと中村朋唯さんより古いパンフレットを貸していただいた中に僕の名前〜演出補吉村正人〜の名前がスタッフの一人として明記されている作品を見付けた昭和58年10月南座公演「おんなの橋」がそうだ何故か梅田コマ文芸部の僕が松竹の作品のスタッフに入ったたかは記憶にない当時「売れっ子」だった脚本の大西信行先生の引きか、あるいは制作に故大谷幸一さんの名前があるので彼の引きかどうかわからない実は僕はこの作品の初演のスタッフなのだ梅田コマに入ってすぐの昭和52年サンケイホールでの「蝶々リサイタル」の手伝いに行かされてその中のお芝居がこの作品の原型「大阪の橋」であったそう言えばこの「リサイタル」を制作したのは我らが師匠竹内伸光であり、その事務所「ショウビジネス」のスタッフの一人が大谷さんだった昭...白鷺だより(437)ミヤコ蝶々「おんなの橋」

  • 白鷺だより(436) 小松政夫のこと

    小松政夫のこと平成元年の日本香堂は熊谷真実一座の旗揚げ公演だったこの公演が翌年からのコロナ禍の影響で日本香堂の最後の作品となろうとは!そして翌年亡くなった小松政夫さんの最後の作品になろうとは!!この公演の顔合わせが終わって小松さんが演出の僕とプロデューサーを呼び役の変更を申し出たこの公演は二本立てで一本は岡本さとるさんの書き下ろし明朗時代劇「おくまと鉄之助」と堤泰之脚本・吉村演出の「煙が目にしみる」だそれに熊谷真実の口上、小松政夫の「でんせん音頭」「しらけ鳥」速水映人の女形舞踊、音無美紀子の歌謡喫茶、などのショウが付いた三本立てだ小松さんの言い分は先月の博多座公演の疲れが取れす、「煙が〜」の北見役がセリフ量が多く覚えられない、もう一本の時代劇は自分の宛書きに近く頑張って演るのでもっと軽い役に変更してくれと...白鷺だより(436)小松政夫のこと

  • 白鷺だより(435)ミヤコ蝶々 ひとり芝居とふたり芝居

    ミヤコ蝶々「ひとり芝居」と「ふたり芝居」僕が梅田コマに入った頃、蝶々先生は日向企画という会社を興し「蝶々新芸スクール」を始めたその頃大阪三越劇場にて「蝶々ひとり芝居」を竹内伸光先生の演出で上演した僕はコマに入る前に北條秀司先生の「王将」でこの劇場を使った経験があったので少しお手伝いした昭和51年1月公演「おんな寺」から翌52年12月の「河内の女」の梅田コマの本公演の間のことであろう残念ながらこの2作共内容も入りもいいものではなかったそれから何年かのちこの「ひとり芝居」は美術家朝倉摂との鳴り物入りで名鉄ホールで再演される朝倉、蝶々の2大女傑の組み合わせは評判を呼び翌年8月中座での再演が決まったここにその中座公演のチラシがある昭和59年4月5日〜9日ミヤコ蝶々ひとり芝居「おもろうてやがて哀し」日向須津子作竹内...白鷺だより(435)ミヤコ蝶々ひとり芝居とふたり芝居

  • 白鷺だより(434) 沢竜二「人生まわり舞台」の思い出

    沢竜二「人生まわり舞台」の思い出またしても「浮草」、「人生まわり舞台」関係の話題で恐縮だが沢竜二の思い出話に面白い話があったので紹介する(ウェブ浅草、沢竜二波乱万丈俳優記16より抜粋)若い頃からお互いの苦労を知り「まこちゃん」「さわちゃん」と呼び合い励まし合う仲だったある日松竹撮影所の楽屋で出番待ちをしていたら「必殺仕事人」の撮影に来ていたまこちゃんがひょっこり顔を出し、「大切な話があるからちょっと出られない?」と云うしかし顔に大きな傷のメイクがあった私は現場を離れることが出来ずたったワンシーンを撮るのに深夜まで掛かったかそれでもまこちゃんは待っていてくれたまこちゃんからの大切な話と云うのは自身の企画する新作舞台への出演依頼だった小津安二郎監督の映画「浮草」をベースにある旅役者の栄枯盛衰、人生の悲哀を描く...白鷺だより(434)沢竜二「人生まわり舞台」の思い出

  • 白鷺だより(433) 「浮草」

    浮草久しぶりに小津の「浮草」大映(1959)を観たこの映画の前年小津は松竹で「彼岸花」を撮った時大映スター山本富士子を借りたためそのバーターとして小津が大映で監督することになり、かねてから松竹で予定していた「大根役者」をまわすことになった(*)この作品は戦前(1934)小津が「浮草物語」として映画化したお気に入りの作品で1928年のアメリカ映画「煩悩」(ジョージ・スッツモーリス監督)を小津ことジェームズ・槙(ジェームズ三木がリスペクトしてペンネームにした)が換骨奪胎した坂本武主演の喜八ものの一本である喜八もののもう一本は「出来ごころ」も名作であるついでに書くと「キネマの天地」の渥美清の役名も喜八である役者市川左半次こと喜八に坂本武他に八雲理恵子、飯田蝶子、三井秀夫(*)予定配役は進藤英太郎、淡島千景、有馬...白鷺だより(433)「浮草」

  • 白鷺だより(432) トップホット75歳トリオ大会イン「動楽亭」

    トップホット75歳トリオ大会イン「動楽亭」事の起こりは僕が沖縄から帰って来た翌日の芦屋凡々こと中村朋唯さんのフェイスブックの投稿記事だこんな投稿だ昨日は親しくさせて頂いているMさんより桂米朝一門会にお誘いを受け飛んて行きました大和郡山城ホールです(中略)米團治師匠や南光師匠にご挨拶してざこは師匠とも久しぶりにゆっくり話せて嬉しかった話題はお互い若い時蝶々先生に教えを受けた話は二人とも朝丸、凡々に戻し、現実に戻れば一昨日お会いした4代目桂春団治師匠と同じく落語界の今後の話でした現役を引退して裏方に廻ってた私はお二人の責任の重さを考えると励ますしかありませんでした春団治師匠は昭和23年生まれ、ざこば師匠と私は22年生まれ、みんな団塊世代です(以下略)ざこば師匠の病気のことが気になっていたので凡々と沖縄から帰っ...白鷺だより(432)トップホット75歳トリオ大会イン「動楽亭」

  • 白鷺だより(431) ミヤコ蝶々「おんなと三味線」

    ミヤコ蝶々「おんなと三味線」昭和51年梅田コマの近く(北区茶屋町1-1共信ビル)に「蝶々新芸スクール」が誕生した同時に出来たのが㈱日向企画で松竹芸能から来た野田嘉一郎と云う方が仕切っていた何故かこの日向企画は東京(乃木坂秀和デジデンシャルビル)にも事務所を構えていて主にTBS系の舞台制作を手掛けていたこの野田さんとは仲良くさせて貰っていた関係でその仕事のお手伝いをさせて貰っていた(参照白鷺だより141日向企画の頃)昭和51年に南田洋子と長門裕之夫婦のダブル主演で「極楽夫婦」という作品を九州巡業でやった時蝶々さんが社長の立場で観に来て興味なさげに「ふーん」と言って帰った長門裕之さんの染丸と石浜裕次郎さんの春団治がマッチ棒を並べて女の数を子供のように比べ合うシーンは何度みても面白かったこの「極楽夫婦」と云うの...白鷺だより(431)ミヤコ蝶々「おんなと三味線」

  • 白鷺だより(430) 「バビロン」と「キネマの天地」

    「バビロン」と「キネマの天地」「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督作品として鳴りもの入りで封切られた「バビロン」がどうも不調らしい先月(2023年2月)たまたま沖縄のシネコンで観たのだが観客はわずか8名だったいつ終わってもおかしくない入りだ長時間の映画との予備知識をもって臨んだが最後はシッチャカメッチャカになってしまい訳が解らなくなっていたどうも映画に臨む姿勢が間違ったらしいクララ・ボーがモデルといわれるマーゴット・ロビー扮する新人女優の出世の物語、そう松竹映画の「キネマの天地」の有森也実扮する田中小春(田中絹代がモデルか)を観る姿勢で見始めたのだちょうど時代も近くトーキーに切り替わる1920年代から1930年の頭まで映画産業が異常に大きく伸びた良き時代を描いていることもあるが(そうキネマの天地の...白鷺だより(430)「バビロン」と「キネマの天地」

  • 白鷺だより(429) 朝日新聞「野球有毒論」キャンペーン

    朝日新聞「野球有毒論」キャンペーンまだ薄ら寒い沖縄に行き、やれ巨人だ、中日だ、広島だとキャンプ地を廻ったがそれにしても日本人は野球が好きなんだなとつくづく思った朝早くから練習を観るためにだけ遠き沖縄に足を運ぶ人の人数は半端ではない3月に入るとやれWBCに参加するために大谷がやって来たらさらにその熱はヒートアップするだろうしやがてそれが終われば日米共にプロ野球開幕となるそして選抜高校野球も始まるそれにしても改めて日本人は野球がよくよく好きなんだなと思うそんな野球に「有毒論」キャンペーンを張った新聞社がある明治44年1911年8月29日から9月22日まで東京朝日新聞が「野球と其有毒」と題したキャンペーン記事で2週間に渡って掲載したそれは「野球は青少年に悪影響を及ぼし、学生にとって好ましくない活動である」という...白鷺だより(429)朝日新聞「野球有毒論」キャンペーン

  • 白鷺だより(428)立田豊さんのこと

    立田豊さんのこと1935年昭和10年大阪生まれ父親は当時引き抜いたワカナ一郎らを擁し破竹の勢いだった(当ブログ引抜き参照)新興芸能が仕切っていた浪花座などのいくつかの劇場の棟梁を務めていたそんな環境に育ちながら演劇というものを見た事がなかったむしろ建築の仕事がしたくってそんな学校に進み、さる建築会社に就職したが3日で家に帰されたそんな彼が初めて生の舞台をみたのは無理やりアルバイトとして連れて行かれた中座のOSKの公演だった19歳の若い彼が若いダンサーたちが繰り広げる華のような世界に惹かれるのは当然のことだった当時中座を仕切っていたのは藤田大道具という父親の友人が棟梁をやっている会社でアルバイトが終わってそこへ就職させられた(1954年)そしてその友人が亡くなり中座の後を父親が継ぐことになった(立田組)10...白鷺だより(428)立田豊さんのこと

  • 白鷺だより(427) ミヤコ蝶々と名鉄ホール

    ミヤコ蝶々と名鉄ホール名鉄ホールはかって御園座、中日劇場と並んで「芸どころ」名古屋の3大劇場の一つで2015年惜しまれつつ閉館した名鉄百貨店の上にある小ぢんまりとした劇場で数々の新劇の名作を紹介し、商業劇場としては宝塚をはじめ東宝系の名作を公演、また関西の小劇団「笑いの王国」「劇団喜劇」「喜劇座」「蝶々劇団」などを紹介したミヤコ蝶々さんにとって名鉄ホールは中座に次いでホームグラウンドといってもいい劇場であったミヤコ蝶々の名前が初めて登場するのは花登筺さんの「おからの華」であった(昭和47年)その前年中座で公演された花登さんの劇団喜劇公演であったこの公演も劇団喜劇公演の一環であった2年後この「おからの華」はテレビドラマとして大ヒットする(中村玉緒主演)さてその後の蝶々さんの活躍を見てみよう昭和49年4月「女...白鷺だより(427)ミヤコ蝶々と名鉄ホール

  • 白鷺だより(426) 佐藤浩史さんのこと

    佐藤浩史さんのこと池波正太郎の映画本「味な映画の散歩道」を読んでいたら懐かしい名前を見つけた少々長いが引用する○月○日帝劇の「剣客商売」の舞台稽古の二日目に行く前日ね続きをやるそれから全体を「ダメ出し」せず「」通し」を演じさせるすでに3日前の「総ざらい」で今度の芝居の成果は私に判ってしまっているから少しも不安を覚えないまだ不安なのは担当プロデューサーや役者たちであろう(中略、かって演った新国劇の稽古の思い出辰巳VS島田の話)それは新国劇という一つの家族のような劇団だから出来たと思う今回のようにそれぞれ違う劇団やプロダクションに所属している俳優たちを50人も束ねてする仕事となれば作・演出としての私は一つのトラブルを出さねようにせねばならぬそして全員の気持を引き立てて仲良く融合させ芝居に乗せてゆかねばならぬそ...白鷺だより(426)佐藤浩史さんのこと

  • 白鷺だより(425) 浪花千栄子著「水のように」

    浪花千栄子著「水のように」浪花千栄子に新喜劇時代には代表作というものがない理由を第二章「私の芸歴」で述べている私は座長渋谷天外の妻と云う誇りを捨て、一座の立て女形である責任も放棄して一生懸命、この20年間一座のために奔走いたしました当然私がやらねばならぬ役も他の人に譲らねばならぬことが往々にしてありましたそれは天外さんが一座の脚本家でもあったからで「亭主の脚本で一番いい役を取る」と云われては「統制上支障を来す」ということが大義名分になっていたからですですから思いもよらない若い役がきたり、やった事もないし老婆の役が来たりその芸域の広いこと、つまり人の嫌がる下さい役、けられた役の一手引受けという訳ですそしてそれを行った天外にお礼をこめて「よくひっぱたいて下さいましたよく騙して下さいましたよく阿呆にして下さいま...白鷺だより(425)浪花千栄子著「水のように」

  • 白鷺だより(424) プルカレーテの「守銭奴」(佐々木蔵之介主演)

    プルカレーテの「守銭奴」(佐々木蔵之介主演)まず演出家の出身国ルーマニアから始めるプルカレーテが生まれたのは僕より2年後の1950年だから社会主義国家ルーマニア人民共和国が誕生したばかりであったそれから1989年のルーマニア革命で民主化されるまでチャウシェスク独裁政権が続く中、彼がどのような戦いをしたか判らないがとにかくルーマニアは民主化された彼が39歳の時であったさて今回の舞台はそんな彼と「リチャード三世」以来2度目のコンビを組む佐々木蔵之介とのモリエール作「守銭奴」だ初演は1668年バレ=ロワイヤル劇場作家本人が主役アルパゴンを演じたと云われる当初この作品は興行的に成功しなかったといわれているが現在ではモリエールの最高傑作といわれ上演機会の多い作品となっているあらすじドケチなまでの倹約家であるアルパゴ...白鷺だより(424)プルカレーテの「守銭奴」(佐々木蔵之介主演)

  • 白鷺だより(423) 初芝居歌舞伎座「十六夜清心」

    初芝居歌舞伎座「十六夜清心」明けましておめでとうございます今年もよろしくNHKが初日を迎えた歌舞伎座より生中継で第3部を完全放送をしてくれたコロナで公演が三部制になったおかげである勿論生中継であるからゲストコーナーをクッションに入れての放送であったゲストは花組芝居の加納幸和と売り出し中の若手坂東新吾であるさて幸四郎と七之助、ともに初役が売り物である「十六夜清心」であるが二人の熱演でいい芝居になった黙阿弥らしいご都合主義のストーリーをリアルに演じて、特に七之助の悪党ぶりがなかなか良くその辺にいそうな悪女ぶりが見事だそれに比べ清心の悪党、鬼薊の清吉は悪に徹していない幸四郎の人となりにもよるのだろうが「今日ここ起こったことを知っているのはお月様と俺ばかり、人間わずか50年騒いて暮らすが人の徳地」「一人殺すも千人...白鷺だより(423)初芝居歌舞伎座「十六夜清心」

  • 白鷺だより(422) 絵沢萠子死す

    絵沢萠子死すコロナというのは罪深い奴だ亡くなるまで愛し合う夫婦が顔も合わせられないせいぜいタブレットによる画像を通して顔を見るのが許されてるだけだだけどその相手が入院する前から年齢による認知症で顔すら判断出来ない状態ならばどうしょうもない直接顔を見合ったり手を握り合う事が出来たなら又違った感情が湧くかも知れないそんな願いも叶わず絵沢萠子は12月26日旅立った愛する「くっさん」を残して絵沢萠子は中学生の頃から女優に憧れていた県立西宮高校に進んでからも演劇部で文化祭で「修善寺物語」を披露した優秀な県西生がそうであるように当然のように近くの関西学院大学文学部に進学卒論はテネシー・ウィリアムズ論であった卒業後、さる会社に勤める傍ら「劇団くるみ座」の研究生となり「リチャード三世」で初舞台を踏む1963年の事だった1...白鷺だより(422)絵沢萠子死す

  • 白鷺だより(422) 絵沢萌子死す

    絵沢萌子死すコロナは非情な結論を迎えさせるコロナのせいで病院での面会が許されないのだ会いにいってもタブレットの画面越しでしか顔を見られないしかも入院前から認知症が悪化しており亭主である「くっさん」を認識出来なかっがそれでも画面越しではなく生身で会わせたかったそう絵沢萌子が亡くなったのだ「くっさん」を残して絵沢萌子は関学の先輩だ多くの秀才がそうであるように県立西宮高校から当然のように関学文学部に進んだ彼女はテネシー・ウィリアムズを選んだそう彼女は中学生のころから演劇に傾倒していて高校の文化祭では「修善寺物語」に出演した卒業後会社勤めをしながら「劇団くるみ座」の演劇教室に入り1963年「リチャード三世」で初舞台を踏む68年仕事を辞めくるみ座も退団して「劇団四季」に合格して上京準備をしている間に新藤兼人の「強虫...白鷺だより(422)絵沢萌子死す

  • 白鷺だより(421) 東京から緑が消える日

    このブログは一度投稿しましたが何故か消えてしまいました改めて(421)として書き改めました東京から緑が消える日12月15日東京都議会で全国初の新築戸建の家に、太陽光パネルの設置を義務付ける法案が都民ファースト、立憲民主党、公明党などの圧倒的多数で可決した自民党は全員反対に回ったがタートルネック軍団は強かった日本のように自国にエネルギー資源がない国は例えばEU諸国ではドイツがフランスからの原子力発電を買い、ロシアからのガスで火力発電を行い、後は太陽光発電に舵を切ると電気代が3倍に跳ね上がった国として有名となったその上ドイツはロシアからのガスが止められるのは風前の灯だ太陽光発電のパネルを作るのにガスもしくは石炭のエネルギーが大量に必要となるのであるそれでは太陽光パネルを安価な値段で売りまくる中国はどうであろう...白鷺だより(421)東京から緑が消える日

  • 白鷺だより(421) 東京から緑が消える日

    東京から緑が消える日12月15日東京都議会で全国初の新築戸建の家に、太陽光パネルの設置を義務付ける法案が都民ファースト、立憲民主党、公明党などの圧倒的多数で可決した自民党は全員反対に回ったがタートルネック軍団は強かった日本のように自国にエネルギー資源がない国は例えばEU諸国ではドイツがフランスからの原子力発電を買い、ロシアからのガスで火力発電を行い、後は太陽光発電に舵を切ると電気代が3倍に跳ね上がった国として有名となったその上ドイツはロシアからのガスが止められるのは風前の灯だ太陽光発電のパネルを作るのにガスもしくは石炭のエネルギーが大量に必要となるのであるそれでは太陽光パネルを安価な値段で売りまくる中国はどうであろうか石炭が豊富に産出する新疆ウイグル自治区に目を付け石炭採掘に住民を使い、その報酬は「奴隷的...白鷺だより(421)東京から緑が消える日

  • 白鷺だより(421) 東京都 新築戸建太陽光発電義務化

    東京都新築戸太陽光発電義務化12月15日東京都議会で新築の戸建住宅への太陽光発電パネル設置の義務づける条例改正案が都民ファーストの会、公明党、立憲民主党などの賛成多数で可決した都知事は翌日の会見で「これ程化石燃料に恵まれない国でGDP3位の原動力であるエネルギーをどう確保していくのかというのは国家の安全保障と同等くらいに重要だ水と空気と電気は只ではないけれども当たり前にあるという時期ではないという事を今私たちは経験していて真剣に考えるべきだ」と国会の混乱を皮肉りつつ言及したさて太陽光発電の実績は例えばドイツを見てみると相変わらずフランスからの原子力発電を買っておりロシアからのガスでの火力発電と自国の太陽光発電で何とか賄っているがこの20年で電気代は3倍になりさらにロシアからのガスがストップする恐れにおのの...白鷺だより(421)東京都新築戸建太陽光発電義務化

  • 白鷺だより(420)ロッパの新婚旅行

    ロッパの新婚旅行YouTubeで懐かしい映画を観た戦前(昭和15年)の映画だ当時人気者だった古川ロッパの主演映画だスタッフには脚本・監督に山本嘉次郎製作主任はなんと若き日の黒澤明だあらすじビール会社社長のガラマサどん(古川ロッパ)(*)は朝風呂で義太夫を唸るのが趣味である毎日西洋歌を歌っている一人息子一郎(ロッパ二役)に嫁を持たそうと思い立ち、今はレコード屋をやっているかっての使用人夫婦(川田義雄、清川虹子)に相談する夫婦は由緒ある家の娘でレコード歌手の映子に白羽の矢を立てるが当の一郎にはおでん屋で働くお千代(望月優子)という恋人がいたガラマサどんとはロッパが得意とするキャラクターで映画の前年有楽座の舞台でやっていた当時なユーモア小説家佐々木邦の代表作昭和15年がどういう年かというと新興興業による引抜き事...白鷺だより(420)ロッパの新婚旅行

  • 白鷺だより(419)日本人は綺麗好きか?

    日本人は綺麗好きか?サッカーW杯カタール大会で強豪ドイツを破った日本は別の視点からも好感を持たれることになったそれは試合後のサポーターのスタジアムの清掃である日本のサッカーのサポーターにとって「当たり前のこと」「いつもやっている事」であってもことカタールにおいてその行為は驚くべき素晴らしい事だった主催のFIFAワールドカップは「世界中から称賛される日本人ファン!歴史的な勝利の後もスタジアムを掃除する姿に心からリスペクトです」とツィートしたと同時にその行為を戒める意見も相次いだ前東京都知事の舛添要一氏がそうだ彼は「日本のサポーターがスタジアムの掃除をして帰るのを世界が評価しているという報道があるが一面的だ身分制社会などでは分業が徹底しており、観客が掃除まですると掃除を生業としている人が失業してしまう文化や社...白鷺だより(419)日本人は綺麗好きか?

  • 白鷺だより(418) しし座ね「ヒーロー、道に迷う」

    しし座「ヒーロー、道に迷う」3週連続の観劇となったここ何年かコロナのせいでスタジオ公演が続いていたしし座公演が客を入れての久しぶりの公演の案内を戴いて出掛けた結果はもう一つだった北川隆一の上手さばかり目立って他に大人の芝居が出来る役者はいず、きついことをいうと「金を取れる芝居」になっていない竹内介の脚本は劇団員のアテ書きだろうが余りにも若い役者ばかりで芝居にならないのが辛い(若いと言っても女学生には無理がある)あと4、5人は中年が必要だろうあらすじ葛の名産地で知られる葛龍町、(東京から3時間の東北地方か?)素朴な田舎町には不思議な言い伝えがあった町外れの雑貨屋「安達商店」の隣りに建つ町英雄葛屋龍次郎の銅像に祈りを捧げると「葛龍仮面」が現れて問題を解決してくれるというものだった放浪の旅の途中で安達商店の主人...白鷺だより(418)しし座ね「ヒーロー、道に迷う」

  • 白鷺だより(417) 岸田國士「チロルの秋」その他

    「チロルの秋」その他今月は図らずにも観劇月間となってしまった先週の紅、南条二人芝居に続いて今週は大阪放送劇団の公演だ昨年末劇団創立80周年記念とかで岸田國士を取り上げた(「留守」、「秘密の代償」)ところ評判がよく(未見)今回も短編戯曲を3本取り上げた客席には永遠の演劇青年の楠年明さんや多賀勝一さんがいた岸田國士は岸田今日子、岸田衿子の父親として有名だが日本現代演劇の父と呼ばれ新人劇作家の登竜門として「岸田戯曲賞」としてその名を残しているこの「チロルの秋」はフランス留学時代に書いた処女作「古い玩具」に続く2作目で大正13年9月に発表され同年秋新劇協会の手で帝国ホテルの演芸場で初演、その「「チロルの秋」上演当時の思ひ出」によると「正直に云へば私は自分の処女上演について余り香しい思ひ出を懐いていないので、なるな...白鷺だより(417)岸田國士「チロルの秋」その他

  • 白鷺だより(416) ふたり芝居「夜の取調室」

    ふたり芝居「夜の取調室」懐かしい芝居の案内を見て早速病気上りの萬ちゃんに連絡すると初日は一杯だがその他は大丈夫と聞いて2日目のお昼に出掛けた久しぶりの道頓堀はようやく外人客が戻ってきたように思える賑わいに近く活気に溢れていたそんな風景を見ながらアラビヤの前を通り、法善寺にぶつかって北に向かうと座座の楽屋口にある喫煙所でいつまで経っても煙草が辞められないふたりが見舞客と喋りながらプカプカやっていたこれはチャンスと祝儀を渡し入口に向かうと橋本ちゃんが「まだアホなことやってますねん」と言った舞台監督の三ちゃんに案内されてほぼ満員の客席に…。さてこの芝居まだトップホットの頃の作品だとばかり思っていたが初演は1990年だというオレンジルームが出来たのが1978年なので僕はもうコマに入っていてそれから阪急ファイブが出...白鷺だより(416)ふたり芝居「夜の取調室」

  • 白鷺だより(415)ポスターにみる松竹新喜劇と僕

    先ずは平成6年7月新橋演舞場で新喜劇デビュー御覧のように何本かは演出家の名前がないこのような体質が新喜劇に新しい作家、演出家が生まれない理由であるその年の10月中座僕は「朗らかな嘘」と「おくてと案山子」を演出したが名前は出して貰えないそして12月中座人生双六の演出だが名前は出ない翌年平成8年松竹は創立100年を迎えるこの「春は浮かれて」で初めて名前が出る3月南座秋の扇と「わてらの年輪」の演出助手そのまま新橋演舞場7月へ11月中座鼓と噂草紙左甚五郎を演出12月中座若手奮闘公演僕は?皺だらけの天使と愚兄愚弟を演出大忙しの平成8年が終わり平成9年南座3月平成9年4月南座陽春公演人生双六演出同年7月南座公演京唄子ゲスト新喜劇最後の劇場公演ただし日本香堂は除く白鷺だより(415)ポスターにみる松竹新喜劇と僕

  • 白鷺だより(414)井上ひさし「頭痛肩こり樋口一葉」について

    井上ひさし「頭痛肩こり樋口一葉」について新歌舞伎座で「頭痛肩こり樋口一葉」を上演すると聞いて、しかも2日や3日ではなく休演日1日を入れて9月2日〜11日延べ12回公演だと知って「新歌舞伎座さん、大丈夫かな」と心配して生協で安いチケットが出ていたので手に入れた観劇したら(5日の夜の部)案の定一階席は半分、二階、三階はパラパラの入りで役者の熱演にも関わらす盛り上がりに欠ける公演だったかって新宿コマで上演した同じ作者の「じゅういっぴきの猫」もヒドい入りで(なんせ2000人ワンフロアの客席に100人単位の客が毎日)、これが初制作のTさんは一発で他の部署にとばされたまた井上ひさし作品は客が呼べないと云う定説が生まれたそれを知っているだけに大阪で12回公演も東京でのザザンシアター公演が好調と云う情報だけでこんなに長期...白鷺だより(414)井上ひさし「頭痛肩こり樋口一葉」について

  • 白鷺だより(413) 「あかんたれ」のこと

    あかんたれのこと「あかんたれは」大阪では関テレ系で1976年10月より翌77年7月まで月曜から金曜まで昼帯で放送され計210話、「続あかんたれ」は1978年2月から9月まで計155話放送された鶴岡雅義と東京ロマンチカが歌う主題歌と一緒にヒットした1977年一応制作が東海テレビだったのでまず名鉄ホールにて「東海テレビ名作劇場」として同じメンバーで舞台化され梅田コマでは「関西テレビ名作劇場」としてそれまで「どてらいやつ」を上演してきた枠で「あかんたれなみだ編」として上演された花登先生の原作はあるにはあったが連続ドラマとして引っ張るだけ引っ張ったそのストーリーは全く面白くなかったし出演者もテレビと同じでだれきっていたそんな作品を仕事とは云え担当していた自分自身を恥ずかしく思い、その日は小山明子さんが旦那が観に来...白鷺だより(413)「あかんたれ」のこと

  • 白鷺だより(412)アメリカに渡った「野球小僧」、快挙

    アメリカに渡った「野球小僧」、快挙8月10日、4度目の正直で大谷翔平が今季10勝目をあげ、故ベーブ・ルースが持っていた投打の二桁数(同一シーズンで10勝、かつ10本塁打)を104年ぶりに抜き去った二刀流の勲章がまた一つ増えた104年前ベーブ・ルースは13勝11本塁打だったが大谷翔平は10勝、25本塁打だしかもまだシーズン途中だ両方とも大きく伸ばすはずださて戦後すぐに流行った灰田勝彦の曲で「野球小僧」がある作詞佐伯孝夫、作曲佐々木俊一「野球小僧にあったかい男らしくて純情で」ではじまるのだがその2番に野球小僧は腕自慢/凄いピッチャーでバッターで/街の空地じゃ売れた顔とあるそう言えば我々少年時代はいいピッチャーは必ず四番を打ついいバッターだった現に高校野球がそうだエースで四番が常識だそれが何時しかピッチャーかバ...白鷺だより(412)アメリカに渡った「野球小僧」、快挙

  • 白鷺だより(411) 作曲家三山敏を偲ぶ会

    作曲家三山敏を偲ぶ会2022年7月12日この4月の2日に亡くなった作曲家の「三山敏を偲ぶ会」がなんと大衆演劇の小屋西成「鈴成座」において行われたおそらく作家で大衆演劇評論家の橋本正樹が企画でスタッフに名前を連ねているので彼が仕掛け人だとおもわれる鈴成座の今月は近江新之助座長の浪花劇団の一と月興行で今回は特別公演として「偲ぶ会」公演が行なわれたプログラムは第一部に東京から若葉しげるをゲストに呼び、彼のヒット作「花街の母」を浪花劇団総出演で上演、座長と若葉しげる並んでの口上のあと三山敏の長女の解説で在りし日の三山氏のスライドショー、橋本正樹の司会でゲストのもず唄平が思い出を語り、最後は座員一同でもず唄平作詞作品をメドレーにして踊り弟子筋にあたる歌手、渡辺要や高橋華子が歌う「浪花演歌夏祭り」、最後は二人の最初の...白鷺だより(411)作曲家三山敏を偲ぶ会

  • 白鷺だより(410) 美空ひばり芸能生活10周年記念映画

    美空ひばり芸能生活10周年記念映画YouTubeの東映時代劇チャンネルが時々自社の古い映画を期間限定で特別配信してくれる今回は1958年上映のこんなミュージカル映画「希望の乙女」、芸能生活10周年と言っても少女時代のデビューだから御年21歳の美空ひばりだ物語は北海道から歌手になるために上京してきた少女、美原さゆりが青函連絡船の中で出逢ったサックスを吹く男(高倉健)と知り合う担任の教師に書いて貰った紹介状を持って作曲家月森浩一(山村聡)を訪ねるが彼は奥さんを亡くしたばかりでなかなか心を開いてくれず弟子入りも許して貰えない近所の下町商店街の素人バンド「あけぼの楽団」のメンバー(北村英治ら)と親しくなる戦後すぐヒットした並木路子の「そよかぜ」(松竹、主題歌リンゴの歌)とストーリーが似ているが原案のひばりの母親加...白鷺だより(410)美空ひばり芸能生活10周年記念映画

  • 白鷺だより(409) 若山富三郎はなぜ東映に草鞋を脱いたのか

    若山富三郎はなぜ東映に草鞋を脱いだのか昭和41年6月の南座は「南座時代劇6月公演」と銘打ち大江美智子一座を中心にゲストには大映を辞めたばかりの城健三朗、東映の山城新伍らがメンバーだった城健三朗は公演直前若山富三郎と昔の名前に改名「パンフレットやポスターは刷り終わっていたため、そのままいきますが来月からは若山で売出します」この公演で若山は昼の部では行友李風作「国定忠治」の主役忠治を演じ夜の部では「血煙荒神山」の吉良の仁吉、又「雪之丞変化」では座長菊之丞を演じ劇中劇では雪之丞役の大江美智子と四つに組んで本格的な歌舞伎芝居を演じたもとより時代劇が好きで東映に入った山城にしたら待ち望んでいた時代劇スターであった因みに山城は「国定忠治」では板割の浅太郎、夜の部の前狂言の主役と「血煙荒神山」では清水の小政を演じた山城...白鷺だより(409)若山富三郎はなぜ東映に草鞋を脱いたのか

  • 白鷺だより(408) 松竹新喜劇の栄枯盛衰

    松竹新喜劇の栄枯盛衰(昭和38年〜昭和41年)昭和38年15周年を迎えた松竹新喜劇は中座、新橋演舞場、南座と記念公演を無事終わったいずれも大入りで松竹新喜劇は全盛期を迎えた感があったその上、館直志こと座長渋谷天外の筆も冴え今回の書き下ろし「銀のかんざし」も好評だった翌39年松竹新喜劇は劇団を株式会社に改め10月1日に発足と発表、社長は香取伝松竹常務、渋谷天外は常務取締役で劇団員全員が株主、資本金一千万円、但し興行の配給は従来通り松竹演劇部この年の明治座7月公演の目玉作品は館直志作「花ざくろ」も大好評つづいて8月日生劇場で天外の書き下ろし「わてらの年輪」を上演、中村鴈治郎、扇雀、花柳章太郎、小林千登勢、賀原夏子、酒井光子らの出演でこれも又大好評だったこの作品は館直志名ではなく渋谷天外とした昭和40年7月の明治座の...白鷺だより(408)松竹新喜劇の栄枯盛衰

  • 白鷺だより(407) 藤山寛美三十三回忌追善公演

    藤山寛美三十三回忌追善喜劇特別公演昭和40年代僕がこの世界に入った時(トップホットシアター)コマ新喜劇の顧問であった香川登志緒先生に「今の新喜劇は勉強にはならへん、観に行くこと相成らぬ」と云われ続けたので中座の招待券が廻ってきても他人に廻して観ることもなく昼夜の入れ替え時の道頓堀の賑わいに感動したり中座の楽屋口でおすがたをチラっとお見受けすることはあったが、結局生の藤山寛美の舞台は一度も観たこともなかった(勿論後年新喜劇の仕事をする時、ビデオはいやと言う程みたが)そんな僕に松竹新喜劇の演出の仕事が廻ってくるとは露とはおもわなかった松竹の制作の意図は新生新喜劇になって今までの踏襲ではなく新しい喜劇を目指す旗振りをしろと言うことか僕としては同じ昭和23年生まれの新喜劇と仲良くやって行けと云われたと思うしかない昔、香...白鷺だより(407)藤山寛美三十三回忌追善公演

  • 白鷺だより(406) 横山ホットさんの思い出

    横山ホットさんの思い出ホットブラザースの次男マコトさんが亡くなったらしいこれでメンバーはセツオさんだけになった僕がトップホットに入った少し前に加入したセツオさんはまだ芸能界に染ってはいず我々と共に業界の手垢(競馬、ポーカー、パチンコ、女、酒)に染っていった仲間である〽明るく笑ってリズムショウ、楽しく歌ってリズムショウ、陽気に愉快に奏でるホットブラザースのオープニングテーマがあってすぐマコトさんの「北酒場」、それにアキラさんが「ソラマタドシタ」と合いの手をいれそれが段々エスカレートして無茶苦茶になりマコトさんの「やかましいワイ!」で中断それがキマリの導入部であったまだお父さんの東六師匠がお元気な頃(1975年引退)は自称ストラディバリウスを一瞬でバラバラにしたのには本当に驚いた鉄板ネタのノコギリでの「お〜ま〜え〜...白鷺だより(406)横山ホットさんの思い出

  • 白鷺だより(406) 横山ホットさんの思い出

    横山ホットさんの思い出ホットブラザースの次男マコトさんが亡くなったらしいこれでメンバーはセツオさんだけになった僕がトップホットに入った少し前に加入したセツオさんはまだ芸能界に染ってはいず我々と共に業界の手垢(競馬、ポーカー、パチンコ、女、酒)に染っていった仲間である〽明るく笑ってリズムショウ、楽しく歌ってリズムショウ、陽気に愉快に奏でるホットブラザースのオープニングテーマがあってすぐマコトさんの「北酒場」、それにアキラさんが「ソラマタドシタ」と合いの手をいれそれが段々エスカレートして無茶苦茶になりマコトさんの「やかましいワイ!」で中断それがキマリの導入部であったまだお父さんの東六師匠がお元気な頃(1975年引退)は自称ストラディバリウスを一瞬でバラバラにしたのには本当に驚いた鉄板ネタのノコギリでの「お〜ま〜え〜...白鷺だより(406)横山ホットさんの思い出

  • 白鷺だより(405) 梅田コマの思い出の脚本家、演出家たち

    梅田コマの思い出の脚本家、演出家たち津村健二(ツムケンせんせ)なにかの回に書いたが梅田コマに入って最初の作品は田村3兄弟公演、沢島忠脚本、津村健二演出の「賀茂川囃子」だ、沢忠先生はその後ひばり公演でお付き合いするが津村先生は東宝演劇部所属、菊田一夫先生の弟子筋に当たる方でオーソドックスな演出でソツがないので重宝がられ、梅田コマでは「花の道頓堀囃子」「がめつい奴」「チータの弁天小僧」「ご存知一心太助」(萬屋)などがある奥さんは往年のアイドル女優の南風久子原譲二(北島三郎)北島さんがこのペンネームを使い始めたのはショウの演出が新コマの土井丈児から北島さん本人に代わったことによるそれまでに自分の歌の作詞などに使っていたと思われる芝居も僕が参加して3年目にそれまで淀橋太郎作、演出だったのが原譲二作・演出となる脚本は、梅...白鷺だより(405)梅田コマの思い出の脚本家、演出家たち

  • 白鷺だより(404) 特殊慰安施設協会(RAA) について

    (404)特殊慰安施設協会(RAA)について終戦たった三日後の8月18日のことである総理大臣東久禰稔彦はじめ近衛文麿副総理、内務大臣山崎巌、外務大臣重光葵、大蔵大臣津島寿一らが「日本婦女子の純潔が性に飢えた進駐軍兵士らに損なわれる」と心配し、内務省による占領軍向け性的慰安施設の設置を指令した今回の紅壱子ひとり芝居「焼け野原にいた女たち」の第一話に突然でてくるこの施設は主人公の女が云うように国が「女郎屋」を経営してやって来る進駐軍の性処理を一手に引き受けさせ「一般婦女」に害が及ぼさないようにいわば「性の防波堤」として機能するために作られたその背景にはヨーロッパ戦線においてアメリカ兵によるレイプの数が14000人にのぼったこと、沖縄戦においても米兵上陸後約10000人の強姦被害者が出た事、連合国軍が上陸一ヶ月で35...白鷺だより(404)特殊慰安施設協会(RAA)について

  • 白鷺だより(403) 紅壱子ひとり芝居と菱田信也

    (403)紅壱子ひとり芝居と菱田信也のこと紅壱子が推古天皇を演じ聖徳太子を扱った「和をもって尊しとなす」という芝居を近鉄アート館で観た時貰った先の公演のチラシの束の中に「紅壱子ひとり芝居〜焼け野原にいた女たち」のチラシを見てすぐ萬ちゃん(紅壱子)に「協力をさせて」と連絡をしていたこの原作の「いつも煙が目にしみる」は菱田が読売文学賞(戯曲シナリオ部門)を取った「パウダア-おしろい-」の原本であり尼崎市の「近松門左衛賞」の受賞作だった菱田が読売文学賞を受賞したことに関西の演劇関係者はもっともっと騒いでもいい何かのブログにもかいたがこの賞の受賞者を羅列してみると三好十郎、福田恒存、田中千佳夫、三島由紀夫、中村光夫、北条秀司、飯沢匡、矢代静一、阿部公房、秋元松代、木下順二、井上ひさし、清水邦夫、山崎正和、別役実、堤春恵...白鷺だより(403)紅壱子ひとり芝居と菱田信也

  • 白鷺だより(402) 梅沢武生聞き書き(5) 富美男VS武生

    梅沢武生聞き書き(5)富美男VS武生祖母の家に預けられて学業に励んていた武生は中学を出ると劇団に戻ったがそこは天才子役、弟富美男の人気におんぶに抱っこの劇団だった判らないことは富美男に聞けと父親は云うしそんなときは頭を下げて富美男に教えを乞うた「伊那の勘太郎」の踊りで歌に乗って出て来た富美男に立ち回りのカラミの武生が掛かってヤラれ下馬になって(それも足が短いので出来るだけ低く)その上で富美男がキマるとヤンヤの歓声とオヒネリの雨、それをマトモに顔に浴びて涙を流したそして「クソっ!いつかこいつより上手くなってコイツをアゴで使ってやる」と決めたそれでも武生は長男だから貰った少ない給料を貯めて弟の好きそうなものをプレゼントしようとするところが富美男はオヒネリで貰った小遣いがヤマ程持っているので何でも手に入った兄貴の初め...白鷺だより(402)梅沢武生聞き書き(5)富美男VS武生

  • 白鷺だより(402) 梅沢武生聞き書き(5) 富美男VS武生

    梅沢武生聞き書き(5)富美男VS武生祖母の家に預けられて学業に励んていた武生は中学を出ると劇団に戻ったがそこは天才子役、弟富美男の人気におんぶに抱っこの劇団だった判らないことは富美男に聞けと父親は云うしそんなときは頭を下げて富美男に教えを乞うた「伊那の勘太郎」の踊りで歌に乗って出て来た富美男に立ち回りのカラミの武生が掛かってヤラれ足蹴にされ下馬になって(それも足が短いので出来るだけ低く)その上で富美男がキマるとヤンヤの歓声とオヒネリの雨、それをマトモに顔に浴びて涙を流したそして「クソっ!いつかこいつより上手くなってコイツをアゴで使ってやる」と決めたそれでも武生は長男だから貰った少ない給料を貯めて弟の好きそうなものをプレゼントしようとするところが富美男はオヒネリで貰った小遣いがヤマ程持っているので何でも手に入った...白鷺だより(402)梅沢武生聞き書き(5)富美男VS武生

  • 白鷺だより(401) 大塚克三と壷井栄

    大塚克三と壷井栄現在小豆島でBKがドラマ「二十四の瞳」を撮影中だドラマに出演している紅壱子や田村ツトムはがんばっていることだろう久しぶりのドラマなので張り切っているきっといい出来になるだろう楽しみださて話は昭和の頭に戻す道頓堀に新しく出来た松竹座の前にあった「三亀」という芝居茶屋があったそこの息子で克三は家業の芝居茶屋より絵描きになって身を建てようと考えて小豆島の坂出の奥内旅館に泊まり海や段々畑や茅葺き屋根などのスケッチをやっていた克三はモデルを頼んだ地元の娘と恋に落ちる克三はその後別府にスケッチ旅行の足を伸ばすがその娘は追っかけてきて二人は結ばれるが娘は初めてだった島にもどったら二人のことは小さな島では評判になっていた克三は大阪にもどり姉に相談すると姉はこれで家業に精を出して貰えると縁談を勧めるが当の克三がは...白鷺だより(401)大塚克三と壷井栄

  • 白鷺だより(400) マイ・フェア・レディ あるいは続、役者の品格

    マイ・フェア・レディあるいは続役者の品格マイ・フェア・レディは1956年ブロードウェイ初演から脚掛け6年半ロングランしてイライザ役のジュリー・アンドリュースは2717回演じ終えた日本では江利チエミ以来、最も長くイライザを演じた太地真央まで皆は舞台を完走したその太地真央に憧れてミュージカル界に入ったと云われる神田沙也加が公演地の札幌のホテルの高層階から飛び降り自殺をしたその原因は未だに判らないが札幌公演は取り敢えず中止、残りの地方はダブル主役の朝夏まなの組で乗り切ることが東宝から発表されたしたがって神田とチームを組んだヒギンズ教授役の寺脇康文とフレディ役の前山剛久は降板となった前回「役者の品格」というタイトルで病気の女房を心配して江利チエミの舞台を降りた森川信のことを書いた(白鷺だより262)が今回の事件はそれよ...白鷺だより(400)マイ・フェア・レディあるいは続、役者の品格

  • 白鷺だより(399) 80年目の真珠湾

    80年目の真珠湾昭和16年12月8日未明、聯合艦隊の空母から飛び立った日本海軍の航空隊はハワイの真珠湾に停泊するアメリカ艦隊を攻撃した日本軍は戦艦4隻を撃沈し基地航空部隊をほぼ全滅させたさらに同日台湾から海軍の航空隊が出撃しフィリピンのクラーク基地のアメリカ航空部隊を全滅させたさらに同日日本陸軍はマレー半島に上陸しイギリス軍を打ち破った日本がアメリカとイギリスに対して同時に開戦したのはオランダ領インドネシアの石油を奪うためだったその為にはシンガポールのイギリス軍を撃破しなければならず、またに入れた石油を日本に送るのには東シナ海を通るため、その航路を遮る位置にあるアメリカのクラーク基地を無力にする必要があった真珠湾のアメリカ艦隊を叩いたのも同じ理由であるさらに同日、日本はアメリカとイギリスに対して宣戦布告を行った...白鷺だより(399)80年目の真珠湾

  • 白鷺だより(398) 「お祭り提灯」考

    「お祭り提灯」考(写真は映画漫才提灯より)この「お祭り提灯」は新喜劇がブロードウェイにだしても恥ずかしくない狂言だとだれかが言っていたところが松竹座の新喜劇の錦秋公演が終わったら僕が観劇したことをFBで知った若い役者たちから「お祭り提灯」はいかがでしたか、との質問や「誰がやっても面白い訳ではない」ことが思い知らされましたとの悩みの相談を多く頂いた確かに今回の「お祭り提灯」は全く面白くない普通なら追っかけで最高に盛り上がるのにさほど満員とは言い難い客席は白けっ放しこれはどうしたことだましてやこの「お祭り提灯」は来春南座でも再演が決まった狂言だそうだ!思い出した面白くない理由の一つ、徳兵衛の金が必要な「枷」を付けた方が「出来心」よりずっといい例えば母親が病気で直すのに大枚の金がいることにしたらどうだろうと提案したヒ...白鷺だより(398)「お祭り提灯」考

  • 白鷺だより(397) 松竹座 松竹新喜劇 錦秋公演を観て

    松竹座松竹新喜劇錦秋公演を観てコロナのおかげでアトリエ公演から約一年、本公演なら二年ぶりの松竹座公演となった松竹新喜劇であるから是非とも観なくてはならないと制作のMさんにお願いして席を用意して貰った新しく蘇我迺家を襲名した三人も観てみたい出し物は朝ドラ「おちょやん」(そういえば新喜劇にとって何の効果もなかったなあ)の中で新喜劇と思われる劇団、鶴亀新喜劇の旗揚げ公演の演目だった「お家はんとお直どん」と相変わらずの「お祭り提灯」であるブログの(394)おちょやん(5)にも書いたが「お家はんとお直どん」は新喜劇創立二年目の昭和25年11月中座にて初演その時の配役は伊藤庄一郎曽我迺家明蝶弟芳夫藤山寛美お家はんてる曽我迺家十吾辻直吉渋谷天外直吉娘宇治川美智子初演は好評のうちに終り翌26年の南座、御園座でも再演12月でも創...白鷺だより(397)松竹座松竹新喜劇錦秋公演を観て

  • 白鷺だより(396) 細木数子の死

    細木数子の死細木数子さんと初めてお会いしたのは昭和54年梅田コマの島倉千代子公演であったそれまで島倉千代子公演は東京では新宿コマ、大阪では新歌舞伎座での公演がキマリだったが島倉が借金問題(4億と言われた)で揉めその処理会社(借金の立替、返済会社、ミュージックオフィス)が彼女のマネジメントをすることになり東西とも公演はコマでやることになったその会社の代表が細木数子という女性でありマスコミが伝えるようないかにも「ヤクザの情婦」然とした人であった「光星龍」なるペンネームで作詞や島倉のショウの構成、芝居の原案などに名を連ねていた島倉さんの芝居はそれまで新宿コマは谷口守男、新歌舞伎座では塩田誉之弘だったが両コマとも塩田誉之弘となった塩田先生は鶴橋のお茶問屋の息子さんで家庭劇文芸部から一本立ちして新歌舞伎座などで仕事をして...白鷺だより(396)細木数子の死

  • 白鷺だより(395 ) 及川洋の名調子

    及川洋の名調子コマの北島三郎公演の司会は僕が知っている限り及川洋だった及川さんは大正14年東京市本郷に生まれ#浅草の只野凡児劇団を経て東海林太郎、菅原都々子、三橋美智也、村田英雄などの大物歌手の司会を経て北島三郎の専属司会者となった名調子の曲紹介があり「北島三郎です」とすっと出の方向を指し飛んで袖に入るそのカッコ良さは今でも目に浮かぶもっともコマは舞台が迫り出しているので飛んで袖に入るより客席に何度落ちたことか実はデビュー前の大野穣少年とは三橋美智也函館公演の時会っており歌手デビューしたら司会をやるとの約束を果たしたそれではその名調子の数々を紹介することにしよう兄弟仁義義理が男の命なら地肉を分けた血縁(ひと)よりも今酌み交わす酒のうまさよ男同士の眼と眼が濡れる兄弟仁義!喧嘩辰恋にはぐれて人目を抜けて涙拭った夜も...白鷺だより(395)及川洋の名調子

  • 白鷺だより(394) 藤井薫著「楽屋の独裁者」

    藤井薫著「楽屋の独裁者」やっと探していた本が手に入ったまだ学生運動の後遺症が残り大学へ行かなくなってしばらく経った頃籍だけ置いて卒論だけ書けば来春は卒業させるとのゼミの教授に声をかけてもらい一年間の在籍費と食い扶持を得るため吹田にあった女が置いていった文化住宅を拠点に仕事を探すことにした見付けた仕事は地下鉄の掃除で終電までに入場して最終が発車したら掃除、ゴミ集め、そして最後に水撒きをして終了、そのまま始発まで地下鉄の北端にある宿泊所で過ごすという極めて自分のペースでやれる、しかもかなりいいギャラであった僕は朝まで集めた新聞紙や週刊誌を束にしてまとめたら新聞や週刊誌をよんで朝まで過ごしたそのなかで大スポ(大阪スポーツ)に連載されていたのがこの「楽屋の独裁者」だなによりヒットラーそっくりの天外がマンガっぽく描かれた...白鷺だより(394)藤井薫著「楽屋の独裁者」

  • 白鷺だより(393) 「新・次郎長物語 海道一の男たち」

    「新・次郎長物語海道一の男たち」読売新聞月曜に連載している前米朝事務所社長の田中秀武さんの思い出話「生涯裏方」で懐かしい芝居を取り上げてくれた1997年(平成9年)6月2日〜25日南座桂米朝芸能生活50周年記念米朝一門公演沢島正継作・演出「新次郎長物語海道一の男たち」だコマでよく助手の仕事をした沢島先生が演出ということもあり又トップホットシアターでよく遊んだ仲間が多い米朝一門の芝居なので、また仲のいい松竹の制作だったのでこちらから志願して参加させてもらった沢島先生が東映映画で錦之助を使ってのお得意のジャンルなので安心出来る台本だ企画の途中からの参加だったので米朝師匠が出演を最後まで拒否をしたことは全く知らなかった結局テープで師匠のナレーションを入れるということで落ち着いたらしい米朝一門総出演がウリだったので枝雀...白鷺だより(393)「新・次郎長物語海道一の男たち」

  • 白鷺だより(393) 「新・次郎長物語 海道一の男たち」

    「新・次郎長物語海道一の男たち」読売新聞月曜に連載している前米朝事務所社長の田中秀武さんの思い出話「生涯裏方」で懐かしい芝居を取り上げてくれた1997年(平成9年)6月2日〜25日南座桂米朝芸能生活50周年記念米朝一門公演沢島正継作・演出「新次郎長物語海道一の男たち」だコマでよく助手の仕事をした沢島先生が演出ということもあり又トップホットシアターでよく遊んだ仲間が多い米朝一門の芝居なので、また仲のいい松竹の制作だったのでこちらから志願して参加させてもらった沢島先生が東映映画で錦之助を使ってのお得意のジャンルなので安心出来る台本だ企画の途中からの参加だったので米朝師匠が出演を最後まで拒否をしたことは全く知らなかった結局テープで師匠のナレーションを入れるということで落ち着いたらしい米朝一門総出演がウリだったので枝雀...白鷺だより(393)「新・次郎長物語海道一の男たち」

  • 白鷺だより(392) 阪妻の「無法松の一生」

    阪妻の「無法松の一生」NHKBSプレミアムで「無法松の一生」4Kデジタル版を観た脚本のみが伊丹万作となっているのは伊丹が脚本を完成させた後病に伏したからである代わりにメガフォンをとったのは稲垣浩であった人力車夫が軍人の未亡人に恋心を抱く設定であったため内務省に睨まれ稲垣は泣く泣く削除した稲垣の回想によると内務省の役人は映画に造詣が深い人でこの名作は切るには忍びない、今上映しなくてもまもなく戦争は終わると思う、、それまでこのまま置いておくことは出来ないものかともちかけたが制作費用を早く回収したい会社はそれを許さす、その旨を役人に言うと「私には切れない、君が切れ」と言われ泣く泣く10分43秒切った阪妻は「江戸最後の日」(1941)で稲垣と仕事をした関係で主役を受けたが一旦断わっているが執拗な頼みに「命に賭けてもやる...白鷺だより(392)阪妻の「無法松の一生」

  • 白鷺だより(391) 曽我迺家襲名

    曽我迺家襲名この程久しぶりに曽我迺家襲名の発表が行なわれ今秋の松竹座で襲名披露を行なわれることが決まったこの前の襲名披露は昭和57年だから約40年ぶりのことでおめでたい前回襲名した中で八十吉、寛太郎、玉太呂は今でも健在で第一線で活躍しているまずは成功と言えよう一二三というのもいたが僕は新喜劇以外で1、2度仕事をしただけで消えてしまった今回襲名する若手は植栗芳樹、竹本真之、桑野藍香の三人でそれぞれ一蝶、桃太郎、いろはを名乗ることになった植栗の一蝶はいかにも曽我迺家の正統チックな名前だが僕には女形のイメージが強いざっと見てみても美形でならした秀蝶、桃蝶のほかにも千代蝶、和歌蝶、菊蝶、林蝶、蝶幸、登久蝶など女形の名前が並ぶあとは五郎に次いでナンバー2の蝶六、五郎の甥の蝶太郎、二枚目の明蝶、子役の鶴蝶だが女優というもの...白鷺だより(391)曽我迺家襲名

  • 白鷺だより(390) 曽我迺家五郎の死

    白鷺だより(390)曽我迺家五郎の死低迷を続ける松竹新喜劇にかすかな光が射した(?)今度の11月の松竹座公演で曽我迺家の襲名が行われることが決まった有望な若手?、植栗芳樹と竹本真之、桑野藍香の三人だ植栗なんぞは新婚早々自分を捨てて男に走った女房に一泡ふかす絶好のチャンスだぜひ頑張ってもらいたい昭和23年11月曽我迺家五郎が72歳で阪大病院で死んだ時、いかにも巨星墜つ!!という感じで戦後の紙不足の折にも関わらず号外が出たその時曽我迺家明蝶の説によると天下の松竹が借金のカタに五郎劇の台本をぜんぶ持ち帰ったというお見舞い金20万円がその借金に変わったのだ事の重大さに気付き金を返し台本を引き上げたというが果たしてこの話は本当なのか?噂では2つの全集(大鐙閣「曽我迺家五郎喜劇全集」、アルス出版「曽我迺家五郎全集」)に収録...白鷺だより(390)曽我迺家五郎の死

  • 白鷺だより(389) 中国共産党100周年を支えた和製漢語

    白鷺だより(389)中国共産党100周年を支えた和製漢語2021年7月1日中国共産党100周年記念式典が開かれ周近平が高らかに一党独裁の堅固を宣言した1017年(大正6年)周恩来少年は天津の南開中学で学び終え日本に留学すべく第一高等学校と東京高等師範学校を受験するが日本語の習得不足がたたり失敗した滑り止めに入った明治大学政経科にいきながら東亜高等予備学校に通っていたが母校の南開学校が大学部を新設するのを知り帰国を決意して神戸港に向かう途中に京都によりかねてから愛読していた「貧乏物語」の作者であり「資本論」の訳者河上肇の京都大学での講義を聴いた初めてマルクス主義に触れた感動を「雨中嵐山」なる詩作にぶつけた南開大学文学部に入学、五・四運動が起こり彼は学生運動のリーダーとなっていくこの五・四運動に積極的に参加したのが...白鷺だより(389)中国共産党100周年を支えた和製漢語

  • 白鷺だより(388) NO1ヘルス嬢オリーブのこと

    NO1ヘルス嬢オリーブのこと昭和58年9月はほぼ1ヶ月東京にいた新宿コマの下にあるシアターアプルという劇場で行われてた桜田淳子主演の「アニーよ銃を取れ」というミュージカルの稽古と本番に演出助手として就いたからだスタッフ台本ハーバード・フィールズドロシー・フィールズ作詞・音楽アーヴィング・バートン翻訳倉橋健訳詞中村メイ子演出岡田敬二音楽監督甲斐正人出演桜田淳子井上純一中村晃子花王おさむ荒井注中日あたりだろうか衣装スタッフのAという女性と親しくなったもちろんお互いにその公演期間だけの関係ということは承知していた千秋楽近くなった時「相談があるの」と云われ戦々恐々として喫茶店で話を聞くと今舞台衣装の仕事をしているがもっともっと勉強をしたいのでブロードウェイに行きたい、ついてはその費用を稼ぐのと英語の勉強をするのを手伝っ...白鷺だより(388)NO1ヘルス嬢オリーブのこと

  • 白鷺だより(387) 「八代英太転落事故」について

    八代英太転落事故について昭和48年6月3日愛知県刈谷市市民会館で畠山みどりショウが行われていたゲストとして出演していた八代英太は歌のツナギで漫談やモノマネをして引っ込む予定が「それではまずぴんからトリオ、女のみちから」と言ってイントロがなり、その中で後ろに下がったとたん、なぜかあいていたセリの中に消えた演出だと思って客は大笑い続いて大きな拍手、しばらくは鳴り止まなかっという八代は5メートル下の奈落で意識を失っていたその穴は畠山みどりが乗ってすりあがる予定の穴であった意識不明の状態が50時間続いたが一命は取り止めたしかし八代は脊髄損傷により下半身不随となり車椅子生活を余儀なくされた八代はこの年日本テレビの「お昼のワイドショー」に抜擢されてタレントの仲間入りしたばかりであったが同番組で車椅子司会者としてカムバックし...白鷺だより(387)「八代英太転落事故」について

  • 白鷺だより(386) おちょやん(6) 「桂春団治」

    白鷺だより(386)おちょやん(6)「桂春団治」「おちょやん」が終わった来週から朝どうやって暮せばいいのか不安である後半に向かって史実と違う形でどんどんドラマが進行して行くまず天海の浮気の発覚は恐らく昭和25年の3月位だと思うが浪花千栄子はその年の12月に九重京子が子供を生んでからも勿論、翌年の3月まで新喜劇に在団した天外や座員たちは困っただろう浪花千栄子は座長夫人として若手育成の意図もあって「いい役」を若手に譲り、「悪い役」や誰も演りたがらない役をこなしたそれ故彼女には新喜劇においては代表作がないましてやドラマの様に「お家はんと直吉どん」の主役をやる事は無く千之助、十吾さんはこんなに早く新喜劇を辞めてはいないドラマとは違い「桂春団治」は浪花千栄子のラジオ出演より早く書かれている昭和26年12月公演(11/30...白鷺だより(386)おちょやん(6)「桂春団治」

  • 白鷺だより(385) 松竹新喜劇 「人生双六」を観て

    白鷺だより(385)松竹新喜劇「人生双六」を観て何の公演だったかたぶんミヤコ蝶々さんの公演だったが当時在籍していた梅田コマ以外の劇場だったが小道具担当の高津小道具さんにうどん屋の屋台を注文した夜の場面だったので灯入れのテストをしてみると暗転の舞台に明々と「5年経過」の文字が浮かんだ誰かか「人生双六や」と教えてくれたその頃は後に関西美術を立ち上げるSさんは高津小道具にいてこの後すぐに小道具は持たす高津の物を使って松竹新喜劇などの松竹系の舞台の小道具担当を一手に引き受けるトンネル会社を作ることになる背後に寛美さんと大道具のTさんがいると聞いたこれが僕の「人生双六」との出会いの最初だ今回のTV中継は平成30年9月の松竹座、松竹新喜劇結成70年記念公演のものである当時ダブルキャストの植栗君バージョンは観たが丁度その日は...白鷺だより(385)松竹新喜劇「人生双六」を観て

  • 白鷺だより(384) おちょやん(5) 「お家はんと直吉どん」

    白鷺だより(384)おちょやん(5)「お家はんと直吉どん」写真前列右から九重京子、渋谷天外、曽我迺家十吾、浪花千栄子「おちょやん」も100回目、いよいよ後半のクライマックスを迎えたなぜか鶴亀新喜劇の創立第一作が「お家はんと直吉どん」になっておりその1周年記念作もその作品となり千代にとって新喜劇最後の作品となる実際は新喜劇第一作は前回のおちょやん(4)でかいたように別の作品だし星ゃん演じる須賀迺家千之助こと曽我迺家十吾が辞めることもない「お家はんと直吉どん」は創立二年目の昭和25年11月中座にて初演茂林寺文福、館直志合作「お家はんと直吉どん」配役は伊藤庄一郎曽我迺家明蝶その妻よね子若葉蘭子庄一郎弟芳夫藤山寛美お家はん伊藤てる曽我迺家十吾辻直吉渋谷天外直吉娘妙子宇治川美智子母屋のおばさんすず浪花千栄子初演は好評で終...白鷺だより(384)おちょやん(5)「お家はんと直吉どん」

  • 白鷺だより(383) おちょやん(4) 鶴亀新喜劇誕生!

    白鷺だより(383)おちょやん(4)鶴亀新喜劇誕生!口頭ガンの手術で声を失った曽我迺家五郎が新しく建つた中座で無言の芝居を行なったのは昭和23年9月であった五郎はパントマイムだけで舞台を務めた自分のセリフを相手に云わせたり陰の声を入れたり色々演出してみたものの十郎に対抗するために作り出されたというダミ声が聞けない舞台からは悲惨さだけが感じられ喜劇を演じているにもかかわらす観客は涙を流したというその2ヶ月後の11月1日五郎は亡くなった五郎は今まで超ワンマンで劇団を引張ってきたので没後の座員の動揺は甚だしかった12月には中座で「松竹新喜劇」の旗揚げ公演が行なわれる出しものは以下の通り昼の部夜の部長襦袢紳士録嵯峨野の雪御巡幸の日らくだ丘の一本杉渦中にたつ花嫁手参謀長閣下色々諸説があるが一番妥当なのは五郎劇と家庭劇との...白鷺だより(383)おちょやん(4)鶴亀新喜劇誕生!

  • 白鷺だより(382) 松竹新喜劇「アットン婆さん」を観て

    白鷺だより(382)松竹新喜劇「アットン婆さん」を観て何時だったか、何の作品か覚えていないがミヤコ蝶々先生の助手をしていた時まだ三代目天外がまだ天笑を名乗っていた時分で先生の出の前の露払い的な役で出ていた花道から先生と一緒に見ていたが(思い出した、中座だった)舞台を見て先生は!小声でつぶやいた「見てミイオヤジも大根なら息子はもっと大根やな」それ以来生の二代目天外の芝居を見たことがなかった僕は天外=大根と思いこんでいた「アットン婆さん」の芝居を見てそれが吹っ飛んだ確かに病気の後遺症で右足は不自由だ右手も固まったママだ辛うじて滑舌は大丈夫だ僕も同じ症状だから解るここまでくるのにすごいリハビリだったと思う思うように動かない身体、それと戦いながら芝居をする並大抵な事ではなせる業ではない蝶々先生が南都雄二と新喜劇に入った...白鷺だより(382)松竹新喜劇「アットン婆さん」を観て

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