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  • 白鷺だより(460)「あぶくの流儀」を観て

    白鷺だより(460)「あぶくの流儀」を観て

    こんなメールがきたのは3月22日のことてがある3月23日か24日どちらかお時間ありませんか?「あぶくの流儀」の再演が大阪の一心寺シアターであります両日とも2時公演です両日とも甲子園が中止になるくらいの雨の予定だ身体の不自由な僕にとってかなりの負担であるそれでも元「梅沢扇之助」のために出掛けたのはメールの続に次のような文章があったからである梅沢武生の弟子だった人間としては弟子らしき事は何も出来なかったし、お礼を云うことも謝ることも出来ないままお別れしてしまいましたが梅沢でスタートした役者の道弟子とも呼べぬような馬鹿な弟子が「お客様に楽しんでいただく」「トータルで100点、120点を取る」その意思だけを継いて演じる座長萬屋万太郎と云う役を武生座長の側にいた先生に是非観ていただきたいのですそこまで云われたらこり...白鷺だより(460)「あぶくの流儀」を観て

  • 白鷺だより(459 )わしゃ、つんぼで聞こえまへん

    白鷺だより(459 )わしゃ、つんぼで聞こえまへん

    (459)わしゃつんぼで聞こえまへん「買い物ブギ」を服部良一が作詞の時のペンネームは村雨まさをという本当は百人一首の寂蓮法師の「村雨の露のひぬまにまきの葉に霧立のぼる秋の夕暮れ」から取ったので村雨まきをだったのに印刷やのミスでまさをとなったまあ服部にとって作詞のアイデアは笠置シズ子が出したのでペンネームはなんでも良かったのでそのままにしたさて1970年から1980年にかけてテレビ界においていわゆる放送禁止用語なるものを設定して自主規制が始まったレコード業界も右へ倣えとばかり古い楽曲の不適切と思われる言葉を探しだしたその第一号が「買い物ブギ」だった「わしゃツンボできこえまへん」がカットされた丸山明宏(美和明宏)の名作「ヨイトマケの唄」も「土方」が職業差別用語としてカットされたが最近カットなしで歌っているのを...白鷺だより(459)わしゃ、つんぼで聞こえまへん

  • 白鷺だより(458) 歌江師匠死す

    白鷺だより(458) 歌江師匠死す

    歌江師匠死す〽うちら陽気なかしまし娘誰が言ったか知らないが女三人寄ったらかしましいとは愉快だねverygoodgoodverygoodgoodお笑い、おしゃべり、ミュージック明るく歌ってNight&Dayピーチクパーチクかしましいかしましのお姉チャン歌江さんが亡くなった19日の夕方女優のMから「歌江師匠が亡くなったらしいんですけど聞いていませんか?」との電話が入ったご主人の平井さんにきいてもいいんですけど何か斎場の空きが無く今必死で探してはるんで悪いし、何か噂では23日まで空いてなくて仮押さえしてるらしいんですけどドライアイスで冷凍して持たすというんです、というハッキリ日にちが決まったら電話しますと言ったが一向に返事がないあったのは23日の夕方で葬儀も終わった後の事後報告だった平井さんが人数制限してヒトに...白鷺だより(458)歌江師匠死す

  • 白鷺だより(457) 二人の付き人

    白鷺だより(457) 二人の付き人

    二人の付き人この1月15日、読売新聞の朝刊の一面の広告欄をみて驚いた「サンミュージックなお笑いの夜明けだった〜付き人から社長になった男のものがたり〜」という本の広告だった幾つかの疑問が湧くこの社長はお笑い出身だろうが東京のお笑い事情にうとい私は「ブッチャーブラザース」なんて知らない、それよりも創業者相澤一族はどうなったんだその頃のお付きをとるタレントといったら森田健作しかいないが僕がお手伝いした彼の唯一の座長公演「森田健作特別公演」に参加していたのだろうか?新社長の「ブッチャーブラザース」のリッキーこと岡博之が森田健作の付き人になったのは1979年でその2年後1981年にコンビ結成だから僕が参加した森田健作特別公演は1986年名鉄ホールだから接点がない70年代、打ち合わせに行った四谷4丁目の大木戸ビルの小...白鷺だより(457)二人の付き人

  • 白鷺だより(456) 僕が会った「宝塚演出家」

    白鷺だより(456) 僕が会った「宝塚演出家」

    僕がトップホットに潜り込んでいた頃(1971)関学全共闘だった先輩のMさんが一人の男を連れて来た彼は早稲田全共闘の活動家でその名前をよく知っていたその頃はバリバリの活動家が身分を隠して大企業に潜り込むのが流行っていて、かくゆう我々(僕とNさん)も東宝系の劇場に入りこんだ先輩であったその彼は村上信夫といい宝塚歌劇団の演出部に入って出身の大阪に戻って来て同級のMさんに聞いて東宝、阪急系の先輩として僕を紹介したのであったその後僕は色々あって梅田コマの文芸部になっていた頃毎日放送創立何十年記念公演を梅田コマで演った時、関西の色々な芸能の中で宝塚のショーが入っていたショーは演出が岡田敬二、演出補が村上その下にダンサーから「イケコ」と呼ばれて脱ぎ散らかした衣装を走って集めていた小池修一郎がいたその頃はダンサーに完全に...白鷺だより(456)僕が会った「宝塚演出家」

  • 白鷺だより(455) 団鬼六「美少年」のモデル

    白鷺だより(455) 団鬼六「美少年」のモデル

    団鬼六「美少年」のモデル大学に入ったら演劇をやろうと思っていた僕は関学に入ってまず訪ねたのは「劇研」だったその頃「劇研」は三田和代がいてフランス・ナンシーで行なわれた世界学生演劇祭で「夕鶴」を演じ優勝したばかりであって人気だったへそ曲がりの僕はもう一つあった創作劇団「エチュード」にもぐり込んだその汚い部室にあったOBたちの現状報告の小冊子に映画脚本を書くかたわらオール読物の新人杯を「浪花に死す」で取り教師をしながら時期を待つという自虐的な文章が何故か心に残り、その黒岩松次郎という名前と共に記憶に残った3年後中退も考えたがゼミの教授のアドバイスを得て1年留年していた時地下鉄梅田駅の掃除の仕事(終電までに駅に入り水洗の仕事、ゴミ箱の整理)をしていた時ゴミ箱に捨てられた山ほどのSM雑誌(その頃ブームだった、家に...白鷺だより(455)団鬼六「美少年」のモデル

  • 白鷺だより(544) 平井房人のこと

    白鷺だより(544) 平井房人のこと

    平井房人(ひらいふさんど)のこと昭和62年の七月新橋演舞場の新聞広告であるこのころは天外・寛美の二枚看板だがなぜか天外一人である昼の部3本目に平井房人作「滝の茶屋」とあるさて何故今「平井房人」なのかイラストレーターの成瀬國晴さんの新刊「オダサクアゲイン」という自伝的怪書の中で彼の漫画の師匠松葉健さんの戦後の思い出話の中で「カストリ雑誌の編集部で同じように作品を持ってきていた漫画家平井房人に会うモダンで品がありニコニコしていて驚いた平井は宝塚歌劇の脚本も書いていた有名人で朝日新聞にも夫婦ものストーリー漫画を描いていたのを知ってつのでそんな人でも売り込みに来るんだと不思議に思った」とあるその経歴をみてみよう明治36年福岡県久留米生まれ、大正10年上京、同12年関東大震災に会う神戸に移住と同時に宝塚少女歌劇の美...白鷺だより(544)平井房人のこと

  • 白鷺だより(453) 「キネマの神様」

    白鷺だより(453) 「キネマの神様」

    キネマの神様コロナで観られなかった「キネマの神様」(2021)をBSプレミアムでようやく観た前作「キネマの天地」の続編として作られたこの映画はスタートからつまずいた主演に予定していた志村けんが死亡(しかもコロナで)代役に志村の長年の友人であったジュリーこと沢田研二に変えて再スタートしたつかこうへい✕東映深作の「蒲田行進曲」の大ヒットに対抗して井上ひさし✕山田洋次で松竹が大船撮影所50周年記念作として作られた松竹版蒲田行進曲の「キネマの天地」その続編がこれだそういえば撮影所の玄関の守衛はどちらも桜井センリだ大船撮影所の近くにあった松尾食堂のことは昔、単行本で興味をもって読んだ物語はこの食堂の娘(永野芽郁〜宮本信子)を巡っての恋の鞘当からはじまる監督志望の剛(菅田将暉~沢田研二)と映写係のテラシン(野田洋次郎...白鷺だより(453)「キネマの神様」

  • 白鷺だより(452) 清水邦夫の「冬の馬」

    白鷺だより(452) 清水邦夫の「冬の馬」

    清水邦夫の「冬の馬」久しぶりの新劇の観劇だ、久しぶりの清水邦夫だ今まで数々の清水作品を上演している大阪放送劇団からのご招待がありÅアンドHホールがある千里中央まで出かけた客席にはかって一緒に芝居した多賀勝一、西園寺章雄ら「新劇オジサン」の姿を見掛けた1992年の作品なので56歳の設定の主人公である「親子」たちは清水と同じ歳だ堂崎茂男演じる吉村研一は大学教授だった父が「老楽の恋」で若い女(なんと自分と同じ歳)と駆け落ちされて捨てられた過去を持つ元全共闘の翻訳家だ駆け落ちして二人で小さな時計修理の店を開くが旦那に先立たれ今は銀時計の制作を細々と波子の実の息子透の元嫁美枝と二人で営んでいる波子(増田久美子)の店に研一がやって来るところから始まる堂崎は膨大なセリフを二日目のせいか何度か詰り気味でもなんとかこなした...白鷺だより(452)清水邦夫の「冬の馬」

  • 白鷺だより(452) 故 千草英子さんのこと

    白鷺だより(452) 故 千草英子さんのこと

    故千草英子さんのこと訃報千草英子さん(93)本名梶本英子元松竹新喜劇劇団員12日、老衰で死去松竹家庭劇を経て1991年に新生松竹新喜劇の旗揚げに参加、2014年に退団するまで名脇役として活躍し代表作に「鼓」などがある僕の千草英子さんの記憶は昭和50年(1975)大阪三越劇場での北條秀司作・演出「王将」の舞台である僕にとって初めの商業演劇の舞台監督で27歳、彼女は45歳でいわゆる北條天皇の「お気に入り」女優であったその彼女が舞台稽古の最中に役を降ろされて小さな楽屋で泣いた勿論芝居が不味かった訳ではない第一幕で「小春」役で出た彼女が第二幕で三吉の後妻役で出て来たのが演出家が気に入らなかったのである結局津島道子さんを小春の代役に呼んで「解決」したのだがけだし、がめつい後妻役は目を見張る名演技で千秋楽には僕と同じ...白鷺だより(452)故千草英子さんのこと

  • 白鷺だより(450) 三代目猿之助の死と「新・水滸伝」

    白鷺だより(450) 三代目猿之助の死と「新・水滸伝」

    三代目猿之助の死と「新・水滸伝」この9月13日、三代目猿之助が死んた83歳だった奇しくも彼が残した「新・水滸伝」を南座で観劇したばかりであったので驚いた猿之助をはじめて観たのは1980年梅田コマの植田紳爾作、演出「不死鳥よ波濤を越えて」と戸部銀作構成「ザ・カブキ」の二本立てであった初めての東宝系の劇場公演であったため連日キャパ2000の客席は埋め尽くされたベルばらの植田紳爾と澤瀉屋大ヒットだった翌年もコマグランド歌舞伎と銘打っての公演を行なったが出し物が「十二時忠臣蔵」と「ザ・カブキパートⅡ」と地味で興行的に失敗、その翌年1981年も同じくコマグランドカブキと銘打っての榎本滋民作「頼光鬼退治」と「ザ・カブキパート3」の二本立てをうったが惨敗した我々スタッフも扇雀のコマ歌舞伎は経験していても、あれは普通の芝...白鷺だより(450)三代目猿之助の死と「新・水滸伝」

  • 白鷺だより(449) ちんぷんかんぷん劇場旗揚げ公演

    白鷺だより(449) ちんぷんかんぷん劇場旗揚げ公演

    ちんぷんかんぷん劇場旗揚げ公演2023年9月9日ちんぷんかんぷん劇場が初日を迎えた歌子劇団のレギュラーでよく助けてくれたちんぷんかんぷん普段は二人で「南京玉すだれ」をネタにコントをやっている「ちんぷんかんぷん」が待望の自分たちの劇団の公演の旗揚げだこれも僕が演出した日本香堂の芝居のゲスト主役で出てくれた加藤茶が彼らの公演に出演してくれたから実現出来たと言えよう他に紅壱子(今回は監修も担当)、曽我迺家八十吉も巡業のレギュラー組から参加演技面で協力してくれた彼らの力にしては少し大きい目の劇場(クオレ大阪中央観客1000名程)だったのであまりにもガラガラだったら寂しいなと思っていたが杞憂に過ぎなかった30分程前に着いたにも関わらす大勢の人々が並んでいる全席自由席だったので「いい席」を求めてみな早い目に集まったの...白鷺だより(449)ちんぷんかんぷん劇場旗揚げ公演

  • 白鷺だより(448) 北原白秋の「怖い詩」

    白鷺だより(448) 北原白秋の「怖い詩」

    北原白秋の「怖い詩」その詩を知ったのは30年程前、水谷豊主演の火曜サスペンス劇場「立花陽介地方新聞社通信」の中だった主人公が発見した死体の側に「金魚を一匹突き殺す」と書いたメモ紙片が落ちていたやがてそれは有名な詩人北原白秋の詩の一節だと判る北原白秋(1885〜1942)といえば明治から大正にかけて活躍した詩人、歌人、童謡作家で「からたちの花」をはじめ「ゆりかごのうた」「この道」「待ちぼうけ」「ペチカ」などの童謡を今尚歌われている名作の作者として名前を残しているその彼がこんな怖い詩を残している(アルス社刊「白秋童謡集・とんぼの目玉」収容)母さん母さんどこへ行た紅い金魚と遊びませう母さん帰らぬ寂しいな金魚を一匹突き殺すまだまだ帰らぬくやしいな金魚を二匹締め殺すなぜなぜ帰らぬひもじいな金魚を三匹捻ぢ殺す涙がこぼ...白鷺だより(448)北原白秋の「怖い詩」

  • 白鷺だより(447) 聞書「あっちこっち丁稚」

    白鷺だより(447) 聞書「あっちこっち丁稚」

    聞書「あっちこっち丁稚」トップホットシアターでコマ新喜劇を担当していた癖に実際ライバルである吉本新喜劇を観に梅田、なんば花月に行くこともなくテレビでチラッと観る程度だったこれは今の松竹新喜劇をみても勉強にはならない、いわんや吉本新喜劇なんぞは何の勉強にもならないという香川登志緒先生の教えを頑なに守ったからであるさてここに快楽亭ブラック✕前田五郎✕竹内義和というけったいな組み合わせの対談のユーチューブを見つけた吉本新喜劇の裏話の面白いエピソードがあるので紹介する「あっちこっち丁稚」は1975年から1983年まで毎週日曜日の昼朝日放送から放送されたバラエティ番組で壇上茂が作者であった毎回主人役の前田五郎が女将役の山田スミ子にビンタされるのが定番で彼女が大声をだすと出演者全員が倒れるギャグもあった前田五郎による...白鷺だより(447)聞書「あっちこっち丁稚」

  • 2023/05/23

    2023/05/23

    2023/05/23

  • 白鷺だより(446) 観劇記「帰ってきたマイ・ブラザー」

    白鷺だより(446) 観劇記「帰ってきたマイ・ブラザー」

    「帰ってきたマイ・ブラザー」を観て老体に鞭打つて京都まで観劇に来ることになったのは大阪、兵庫がいずれもソールドアウトになったためであったしかも其の京都の前の仙台公演が関係者の都合で中止となり公演が危ぶまれたが「堤真一休演」で代役に演出家の小林顕作と決まり強行することでこの公演の最終地公演を締めくくろうと計った水谷豊✕段田安則✕高橋克実✕堤真一+寺脇康文✕池谷のぶえ✕峯村リエといった凄いメンバーで4月世田谷パブリックシアターで1ヶ月公演そのあと2ヶ月かけての地方公演(大阪〜福岡〜新潟〜札幌〜仙台(中止)そしてラストの京都)は6月30日をもって完了する会場は八割60〜70代のおば様方付添の旦那お昼休みを「相棒」の再放送で過ごす人達でキャパ2000は満員状態シス・カンパニーも仙台2日間の休演は屁とも思わない大ヒ...白鷺だより(446)観劇記「帰ってきたマイ・ブラザー」

  • 白鷺だより(445) 新宿コマの福田善之

    白鷺だより(445) 新宿コマの福田善之

    新宿コマの福田善之昭和50年代から60年代後半の福田善之は当時の演劇青年の憧れの的だった関西の某私大の演劇サークルにいた僕も同じだったふじたあさやとの共作の「富士山麓」(1954)でデビューし、「長き墓標の列」「遠くまで行くんだ」「オッペケペ」「真田風雲録」「袴垂れはどこだ」と矢継ぎ早に発表しいずれも岸田国士賞の候補にノミネートされ最後の「袴垂れはどこだ」が受賞したが審査員への不信を理由に辞退する……そんなかっこいい存在だった(辞退は師匠の一人木下順二氏がからんでいたと思われる)そんな彼が「江利チエミが見出した演出家」として華々しく「大衆演劇の殿堂」新宿コマにデビュー(昭和46年)したので新劇評論家は驚きの声と批判的な批評をした(何年か後の蜷川幸雄がそうだったように)この前年、福田は東横劇場で清川虹子主演...白鷺だより(445)新宿コマの福田善之

  • 白鷺だより(445) 新宿コマの福田善之

    白鷺だより(445) 新宿コマの福田善之

    新宿コマの福田善之昭和50年代から60年代後半の福田善之は当時の演劇青年の憧れの的だった関西の某私大の演劇サークルにいた僕も同じだったふじたあさやとの共作の「富士山麓」(1954)でデビューし、「長き墓標の列」「遠くまで行くんだ」「オッペケペ」「真田風雲録」「袴垂れはどこだ」と矢継ぎ早に発表しいずれも岸田国士賞の候補にノミネートされ最後の「袴垂れはどこだ」が受賞したが審査員への不信を理由に辞退する……そんなかっこいい存在だった(辞退は師匠の一人木下順二氏がからんでいたと思われる)そんな彼が「江利チエミが見出した演出家」として華々しく「大衆演劇の殿堂」新宿コマにデビュー(昭和46年)したので新劇評論家は驚きの声と批判的な批評をした(何年か後の蜷川幸雄がそうだったように)この前年、福田は東横劇場で清川虹子主演...白鷺だより(445)新宿コマの福田善之

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    白鷺だより(445) 新宿コマの福田善之

    新宿コマの福田善之昭和50年代から60年代後半の福田善之は当時の演劇青年の憧れの的だった関西の某私大の演劇サークルにいた僕も同じだったふじたあさやとの共作の「富士山麓」(1954)でデビューし、「長き墓標の列」「遠くまで行くんだ」「オッペケペ」「真田風雲録」「袴垂れはどこだ」と矢継ぎ早に発表しいずれも岸田国士賞の候補にノミネートされ最後の「袴垂れはどこだ」が受賞したが審査員への不信を理由に辞退する……そんなかっこいい存在だった(辞退は師匠の一人木下順二氏がからんでいたと思われる)そんな彼が「江利チエミが見出した演出家」として華々しく「大衆演劇の殿堂」新宿コマにデビュー(昭和46年)したので新劇評論家は驚きの声と批判的な批評をした(何年か後の蜷川幸雄がそうだったように)この前年、福田は東横劇場で清川虹子主演...白鷺だより(445)新宿コマの福田善之

  • 白鷺だより(444) 紀文と中川雅夫どんちょう会

    白鷺だより(444) 紀文と中川雅夫どんちょう会

    紀文と中川雅夫どんちょう会死亡記事紀文食品会長の保芦将人さんが11日(6月)心不全で死去した83歳だった創業者の保芦邦人氏の長男1980年から30年に渡り社長を務めタイに生産工場を作るなど海外展開に注力しチクワにチーズを入れた「チーちく」などのロングセラー商品を手掛けた保芦会長が亡くなった父親の邦人氏が松竹新喜劇のタニマチであったため天外(二代目)のお供で来ていた酒席で同年代の中川雅夫と親しくなり中川が新喜劇を辞めてもスポンサーであってくれ、彼が主宰する「どんちょう会」の大スポンサーであった実はそのどんちょう会の公演で「最上川一路」という作品がある(梅林貴久生脚本吉村正人演出)父親の紀文創業者邦人氏の伝記芝居である平成10年、東京天王洲アートソフィア、大阪中座それによると昭和10年頃山形から上京した邦人は...白鷺だより(444)紀文と中川雅夫どんちょう会

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