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  • 白鷺だより(439) 北島三郎の漢字一文字の歌

    北島三郎の漢字一文字の歌北島三郎の楽曲には漢字一文字の曲がかなりの数がある僕が初めてコマで北島公演を担当した頃は「步」(昭和51年)だけだった(昭和45年に「盃」、「誠」をだしているがヒットせず)そして昭和62年デビュー25周年記念曲で一文字の「川」を出すその前年、北島が暴力団との付き合いが発覚して紅白歌合戦を降板した年であった順風満帆で成長して来た北島音楽事務所の初めの躓きだったしかし北島は記者会見の席で一切余計なことは言わすただ「北島三郎の不徳の致すところです」以外何も言い訳も言わななかった翌年の正月2日我々スタッフも事務所のメンバー全員が八王子のご自宅に集合して新たに決起集会を行なった専属司会の及川洋は川のイントロ前にこんなナレーションを付けた「貸した情けは流しても受けた恩義を忘れちゃならぬ怒涛の道...白鷺だより(439)北島三郎の漢字一文字の歌

  • 白鷺だより(438) 梅田コマ一年生

    梅田コマ一年生竹内志朗先生描く昔の梅田コマであるこの建物の左手には環状線が走っていてそのガード横の通路に楽屋口があった僕はこの劇場に昭和50年からお世話になったいや話はその前年昭和49年からと言っていい(まだトップホットシアターに在籍していた)中日劇場での「中日喜劇」公演でコマ文芸部のMさんがチーフの仕事に参加した翌年(その時はもうトップホットは辞めていた)Mさんが構成・演出のショウの舞監の話が来た東宝芸能所属の南原美紗緒を中心とした有名キャバレーを廻る大人向けのショウでコマミュージカルチームのダンサーやヌードさんまでいた京都、神戸を無事終え東京の赤坂のキャバレーで稽古中、Mさんから電話があり「旅はもういいから明日僕と一緒に打ち合わせに行ってくれ」と云われ旅はもう一人の舞監Tさんに任せて打ち合わせに参加し...白鷺だより(438)梅田コマ一年生

  • 白鷺だより(437) ミヤコ蝶々「おんなの橋」

    ミヤコ蝶々「おんなの橋」芦屋凡々こと中村朋唯さんより古いパンフレットを貸していただいた中に僕の名前〜演出補吉村正人〜の名前がスタッフの一人として明記されている作品を見付けた昭和58年10月南座公演「おんなの橋」がそうだ何故か梅田コマ文芸部の僕が松竹の作品のスタッフに入ったたかは記憶にない当時「売れっ子」だった脚本の大西信行先生の引きか、あるいは制作に故大谷幸一さんの名前があるので彼の引きかどうかわからない実は僕はこの作品の初演のスタッフなのだ梅田コマに入ってすぐの昭和52年サンケイホールでの「蝶々リサイタル」の手伝いに行かされてその中のお芝居がこの作品の原型「大阪の橋」であったそう言えばこの「リサイタル」を制作したのは我らが師匠竹内伸光であり、その事務所「ショウビジネス」のスタッフの一人が大谷さんだった昭...白鷺だより(437)ミヤコ蝶々「おんなの橋」

  • 白鷺だより(436) 小松政夫のこと

    小松政夫のこと平成元年の日本香堂は熊谷真実一座の旗揚げ公演だったこの公演が翌年からのコロナ禍の影響で日本香堂の最後の作品となろうとは!そして翌年亡くなった小松政夫さんの最後の作品になろうとは!!この公演の顔合わせが終わって小松さんが演出の僕とプロデューサーを呼び役の変更を申し出たこの公演は二本立てで一本は岡本さとるさんの書き下ろし明朗時代劇「おくまと鉄之助」と堤泰之脚本・吉村演出の「煙が目にしみる」だそれに熊谷真実の口上、小松政夫の「でんせん音頭」「しらけ鳥」速水映人の女形舞踊、音無美紀子の歌謡喫茶、などのショウが付いた三本立てだ小松さんの言い分は先月の博多座公演の疲れが取れす、「煙が〜」の北見役がセリフ量が多く覚えられない、もう一本の時代劇は自分の宛書きに近く頑張って演るのでもっと軽い役に変更してくれと...白鷺だより(436)小松政夫のこと

  • 白鷺だより(435)ミヤコ蝶々 ひとり芝居とふたり芝居

    ミヤコ蝶々「ひとり芝居」と「ふたり芝居」僕が梅田コマに入った頃、蝶々先生は日向企画という会社を興し「蝶々新芸スクール」を始めたその頃大阪三越劇場にて「蝶々ひとり芝居」を竹内伸光先生の演出で上演した僕はコマに入る前に北條秀司先生の「王将」でこの劇場を使った経験があったので少しお手伝いした昭和51年1月公演「おんな寺」から翌52年12月の「河内の女」の梅田コマの本公演の間のことであろう残念ながらこの2作共内容も入りもいいものではなかったそれから何年かのちこの「ひとり芝居」は美術家朝倉摂との鳴り物入りで名鉄ホールで再演される朝倉、蝶々の2大女傑の組み合わせは評判を呼び翌年8月中座での再演が決まったここにその中座公演のチラシがある昭和59年4月5日〜9日ミヤコ蝶々ひとり芝居「おもろうてやがて哀し」日向須津子作竹内...白鷺だより(435)ミヤコ蝶々ひとり芝居とふたり芝居

  • 白鷺だより(434) 沢竜二「人生まわり舞台」の思い出

    沢竜二「人生まわり舞台」の思い出またしても「浮草」、「人生まわり舞台」関係の話題で恐縮だが沢竜二の思い出話に面白い話があったので紹介する(ウェブ浅草、沢竜二波乱万丈俳優記16より抜粋)若い頃からお互いの苦労を知り「まこちゃん」「さわちゃん」と呼び合い励まし合う仲だったある日松竹撮影所の楽屋で出番待ちをしていたら「必殺仕事人」の撮影に来ていたまこちゃんがひょっこり顔を出し、「大切な話があるからちょっと出られない?」と云うしかし顔に大きな傷のメイクがあった私は現場を離れることが出来ずたったワンシーンを撮るのに深夜まで掛かったかそれでもまこちゃんは待っていてくれたまこちゃんからの大切な話と云うのは自身の企画する新作舞台への出演依頼だった小津安二郎監督の映画「浮草」をベースにある旅役者の栄枯盛衰、人生の悲哀を描く...白鷺だより(434)沢竜二「人生まわり舞台」の思い出

  • 白鷺だより(433) 「浮草」

    浮草久しぶりに小津の「浮草」大映(1959)を観たこの映画の前年小津は松竹で「彼岸花」を撮った時大映スター山本富士子を借りたためそのバーターとして小津が大映で監督することになり、かねてから松竹で予定していた「大根役者」をまわすことになった(*)この作品は戦前(1934)小津が「浮草物語」として映画化したお気に入りの作品で1928年のアメリカ映画「煩悩」(ジョージ・スッツモーリス監督)を小津ことジェームズ・槙(ジェームズ三木がリスペクトしてペンネームにした)が換骨奪胎した坂本武主演の喜八ものの一本である喜八もののもう一本は「出来ごころ」も名作であるついでに書くと「キネマの天地」の渥美清の役名も喜八である役者市川左半次こと喜八に坂本武他に八雲理恵子、飯田蝶子、三井秀夫(*)予定配役は進藤英太郎、淡島千景、有馬...白鷺だより(433)「浮草」

  • 白鷺だより(432) トップホット75歳トリオ大会イン「動楽亭」

    トップホット75歳トリオ大会イン「動楽亭」事の起こりは僕が沖縄から帰って来た翌日の芦屋凡々こと中村朋唯さんのフェイスブックの投稿記事だこんな投稿だ昨日は親しくさせて頂いているMさんより桂米朝一門会にお誘いを受け飛んて行きました大和郡山城ホールです(中略)米團治師匠や南光師匠にご挨拶してざこは師匠とも久しぶりにゆっくり話せて嬉しかった話題はお互い若い時蝶々先生に教えを受けた話は二人とも朝丸、凡々に戻し、現実に戻れば一昨日お会いした4代目桂春団治師匠と同じく落語界の今後の話でした現役を引退して裏方に廻ってた私はお二人の責任の重さを考えると励ますしかありませんでした春団治師匠は昭和23年生まれ、ざこば師匠と私は22年生まれ、みんな団塊世代です(以下略)ざこば師匠の病気のことが気になっていたので凡々と沖縄から帰っ...白鷺だより(432)トップホット75歳トリオ大会イン「動楽亭」

  • 白鷺だより(431) ミヤコ蝶々「おんなと三味線」

    ミヤコ蝶々「おんなと三味線」昭和51年梅田コマの近く(北区茶屋町1-1共信ビル)に「蝶々新芸スクール」が誕生した同時に出来たのが㈱日向企画で松竹芸能から来た野田嘉一郎と云う方が仕切っていた何故かこの日向企画は東京(乃木坂秀和デジデンシャルビル)にも事務所を構えていて主にTBS系の舞台制作を手掛けていたこの野田さんとは仲良くさせて貰っていた関係でその仕事のお手伝いをさせて貰っていた(参照白鷺だより141日向企画の頃)昭和51年に南田洋子と長門裕之夫婦のダブル主演で「極楽夫婦」という作品を九州巡業でやった時蝶々さんが社長の立場で観に来て興味なさげに「ふーん」と言って帰った長門裕之さんの染丸と石浜裕次郎さんの春団治がマッチ棒を並べて女の数を子供のように比べ合うシーンは何度みても面白かったこの「極楽夫婦」と云うの...白鷺だより(431)ミヤコ蝶々「おんなと三味線」

  • 白鷺だより(430) 「バビロン」と「キネマの天地」

    「バビロン」と「キネマの天地」「ラ・ラ・ランド」のデイミアン・チャゼル監督作品として鳴りもの入りで封切られた「バビロン」がどうも不調らしい先月(2023年2月)たまたま沖縄のシネコンで観たのだが観客はわずか8名だったいつ終わってもおかしくない入りだ長時間の映画との予備知識をもって臨んだが最後はシッチャカメッチャカになってしまい訳が解らなくなっていたどうも映画に臨む姿勢が間違ったらしいクララ・ボーがモデルといわれるマーゴット・ロビー扮する新人女優の出世の物語、そう松竹映画の「キネマの天地」の有森也実扮する田中小春(田中絹代がモデルか)を観る姿勢で見始めたのだちょうど時代も近くトーキーに切り替わる1920年代から1930年の頭まで映画産業が異常に大きく伸びた良き時代を描いていることもあるが(そうキネマの天地の...白鷺だより(430)「バビロン」と「キネマの天地」

  • 白鷺だより(429) 朝日新聞「野球有毒論」キャンペーン

    朝日新聞「野球有毒論」キャンペーンまだ薄ら寒い沖縄に行き、やれ巨人だ、中日だ、広島だとキャンプ地を廻ったがそれにしても日本人は野球が好きなんだなとつくづく思った朝早くから練習を観るためにだけ遠き沖縄に足を運ぶ人の人数は半端ではない3月に入るとやれWBCに参加するために大谷がやって来たらさらにその熱はヒートアップするだろうしやがてそれが終われば日米共にプロ野球開幕となるそして選抜高校野球も始まるそれにしても改めて日本人は野球がよくよく好きなんだなと思うそんな野球に「有毒論」キャンペーンを張った新聞社がある明治44年1911年8月29日から9月22日まで東京朝日新聞が「野球と其有毒」と題したキャンペーン記事で2週間に渡って掲載したそれは「野球は青少年に悪影響を及ぼし、学生にとって好ましくない活動である」という...白鷺だより(429)朝日新聞「野球有毒論」キャンペーン

  • 白鷺だより(428)立田豊さんのこと

    立田豊さんのこと1935年昭和10年大阪生まれ父親は当時引き抜いたワカナ一郎らを擁し破竹の勢いだった(当ブログ引抜き参照)新興芸能が仕切っていた浪花座などのいくつかの劇場の棟梁を務めていたそんな環境に育ちながら演劇というものを見た事がなかったむしろ建築の仕事がしたくってそんな学校に進み、さる建築会社に就職したが3日で家に帰されたそんな彼が初めて生の舞台をみたのは無理やりアルバイトとして連れて行かれた中座のOSKの公演だった19歳の若い彼が若いダンサーたちが繰り広げる華のような世界に惹かれるのは当然のことだった当時中座を仕切っていたのは藤田大道具という父親の友人が棟梁をやっている会社でアルバイトが終わってそこへ就職させられた(1954年)そしてその友人が亡くなり中座の後を父親が継ぐことになった(立田組)10...白鷺だより(428)立田豊さんのこと

  • 白鷺だより(427) ミヤコ蝶々と名鉄ホール

    ミヤコ蝶々と名鉄ホール名鉄ホールはかって御園座、中日劇場と並んで「芸どころ」名古屋の3大劇場の一つで2015年惜しまれつつ閉館した名鉄百貨店の上にある小ぢんまりとした劇場で数々の新劇の名作を紹介し、商業劇場としては宝塚をはじめ東宝系の名作を公演、また関西の小劇団「笑いの王国」「劇団喜劇」「喜劇座」「蝶々劇団」などを紹介したミヤコ蝶々さんにとって名鉄ホールは中座に次いでホームグラウンドといってもいい劇場であったミヤコ蝶々の名前が初めて登場するのは花登筺さんの「おからの華」であった(昭和47年)その前年中座で公演された花登さんの劇団喜劇公演であったこの公演も劇団喜劇公演の一環であった2年後この「おからの華」はテレビドラマとして大ヒットする(中村玉緒主演)さてその後の蝶々さんの活躍を見てみよう昭和49年4月「女...白鷺だより(427)ミヤコ蝶々と名鉄ホール

  • 白鷺だより(426) 佐藤浩史さんのこと

    佐藤浩史さんのこと池波正太郎の映画本「味な映画の散歩道」を読んでいたら懐かしい名前を見つけた少々長いが引用する○月○日帝劇の「剣客商売」の舞台稽古の二日目に行く前日ね続きをやるそれから全体を「ダメ出し」せず「」通し」を演じさせるすでに3日前の「総ざらい」で今度の芝居の成果は私に判ってしまっているから少しも不安を覚えないまだ不安なのは担当プロデューサーや役者たちであろう(中略、かって演った新国劇の稽古の思い出辰巳VS島田の話)それは新国劇という一つの家族のような劇団だから出来たと思う今回のようにそれぞれ違う劇団やプロダクションに所属している俳優たちを50人も束ねてする仕事となれば作・演出としての私は一つのトラブルを出さねようにせねばならぬそして全員の気持を引き立てて仲良く融合させ芝居に乗せてゆかねばならぬそ...白鷺だより(426)佐藤浩史さんのこと

  • 白鷺だより(425) 浪花千栄子著「水のように」

    浪花千栄子著「水のように」浪花千栄子に新喜劇時代には代表作というものがない理由を第二章「私の芸歴」で述べている私は座長渋谷天外の妻と云う誇りを捨て、一座の立て女形である責任も放棄して一生懸命、この20年間一座のために奔走いたしました当然私がやらねばならぬ役も他の人に譲らねばならぬことが往々にしてありましたそれは天外さんが一座の脚本家でもあったからで「亭主の脚本で一番いい役を取る」と云われては「統制上支障を来す」ということが大義名分になっていたからですですから思いもよらない若い役がきたり、やった事もないし老婆の役が来たりその芸域の広いこと、つまり人の嫌がる下さい役、けられた役の一手引受けという訳ですそしてそれを行った天外にお礼をこめて「よくひっぱたいて下さいましたよく騙して下さいましたよく阿呆にして下さいま...白鷺だより(425)浪花千栄子著「水のように」

  • 白鷺だより(424) プルカレーテの「守銭奴」(佐々木蔵之介主演)

    プルカレーテの「守銭奴」(佐々木蔵之介主演)まず演出家の出身国ルーマニアから始めるプルカレーテが生まれたのは僕より2年後の1950年だから社会主義国家ルーマニア人民共和国が誕生したばかりであったそれから1989年のルーマニア革命で民主化されるまでチャウシェスク独裁政権が続く中、彼がどのような戦いをしたか判らないがとにかくルーマニアは民主化された彼が39歳の時であったさて今回の舞台はそんな彼と「リチャード三世」以来2度目のコンビを組む佐々木蔵之介とのモリエール作「守銭奴」だ初演は1668年バレ=ロワイヤル劇場作家本人が主役アルパゴンを演じたと云われる当初この作品は興行的に成功しなかったといわれているが現在ではモリエールの最高傑作といわれ上演機会の多い作品となっているあらすじドケチなまでの倹約家であるアルパゴ...白鷺だより(424)プルカレーテの「守銭奴」(佐々木蔵之介主演)

  • 白鷺だより(423) 初芝居歌舞伎座「十六夜清心」

    初芝居歌舞伎座「十六夜清心」明けましておめでとうございます今年もよろしくNHKが初日を迎えた歌舞伎座より生中継で第3部を完全放送をしてくれたコロナで公演が三部制になったおかげである勿論生中継であるからゲストコーナーをクッションに入れての放送であったゲストは花組芝居の加納幸和と売り出し中の若手坂東新吾であるさて幸四郎と七之助、ともに初役が売り物である「十六夜清心」であるが二人の熱演でいい芝居になった黙阿弥らしいご都合主義のストーリーをリアルに演じて、特に七之助の悪党ぶりがなかなか良くその辺にいそうな悪女ぶりが見事だそれに比べ清心の悪党、鬼薊の清吉は悪に徹していない幸四郎の人となりにもよるのだろうが「今日ここ起こったことを知っているのはお月様と俺ばかり、人間わずか50年騒いて暮らすが人の徳地」「一人殺すも千人...白鷺だより(423)初芝居歌舞伎座「十六夜清心」

  • 白鷺だより(422) 絵沢萠子死す

    絵沢萠子死すコロナというのは罪深い奴だ亡くなるまで愛し合う夫婦が顔も合わせられないせいぜいタブレットによる画像を通して顔を見るのが許されてるだけだだけどその相手が入院する前から年齢による認知症で顔すら判断出来ない状態ならばどうしょうもない直接顔を見合ったり手を握り合う事が出来たなら又違った感情が湧くかも知れないそんな願いも叶わず絵沢萠子は12月26日旅立った愛する「くっさん」を残して絵沢萠子は中学生の頃から女優に憧れていた県立西宮高校に進んでからも演劇部で文化祭で「修善寺物語」を披露した優秀な県西生がそうであるように当然のように近くの関西学院大学文学部に進学卒論はテネシー・ウィリアムズ論であった卒業後、さる会社に勤める傍ら「劇団くるみ座」の研究生となり「リチャード三世」で初舞台を踏む1963年の事だった1...白鷺だより(422)絵沢萠子死す

  • 白鷺だより(422) 絵沢萌子死す

    絵沢萌子死すコロナは非情な結論を迎えさせるコロナのせいで病院での面会が許されないのだ会いにいってもタブレットの画面越しでしか顔を見られないしかも入院前から認知症が悪化しており亭主である「くっさん」を認識出来なかっがそれでも画面越しではなく生身で会わせたかったそう絵沢萌子が亡くなったのだ「くっさん」を残して絵沢萌子は関学の先輩だ多くの秀才がそうであるように県立西宮高校から当然のように関学文学部に進んだ彼女はテネシー・ウィリアムズを選んだそう彼女は中学生のころから演劇に傾倒していて高校の文化祭では「修善寺物語」に出演した卒業後会社勤めをしながら「劇団くるみ座」の演劇教室に入り1963年「リチャード三世」で初舞台を踏む68年仕事を辞めくるみ座も退団して「劇団四季」に合格して上京準備をしている間に新藤兼人の「強虫...白鷺だより(422)絵沢萌子死す

  • 白鷺だより(421) 東京から緑が消える日

    このブログは一度投稿しましたが何故か消えてしまいました改めて(421)として書き改めました東京から緑が消える日12月15日東京都議会で全国初の新築戸建の家に、太陽光パネルの設置を義務付ける法案が都民ファースト、立憲民主党、公明党などの圧倒的多数で可決した自民党は全員反対に回ったがタートルネック軍団は強かった日本のように自国にエネルギー資源がない国は例えばEU諸国ではドイツがフランスからの原子力発電を買い、ロシアからのガスで火力発電を行い、後は太陽光発電に舵を切ると電気代が3倍に跳ね上がった国として有名となったその上ドイツはロシアからのガスが止められるのは風前の灯だ太陽光発電のパネルを作るのにガスもしくは石炭のエネルギーが大量に必要となるのであるそれでは太陽光パネルを安価な値段で売りまくる中国はどうであろう...白鷺だより(421)東京から緑が消える日

  • 白鷺だより(421) 東京から緑が消える日

    東京から緑が消える日12月15日東京都議会で全国初の新築戸建の家に、太陽光パネルの設置を義務付ける法案が都民ファースト、立憲民主党、公明党などの圧倒的多数で可決した自民党は全員反対に回ったがタートルネック軍団は強かった日本のように自国にエネルギー資源がない国は例えばEU諸国ではドイツがフランスからの原子力発電を買い、ロシアからのガスで火力発電を行い、後は太陽光発電に舵を切ると電気代が3倍に跳ね上がった国として有名となったその上ドイツはロシアからのガスが止められるのは風前の灯だ太陽光発電のパネルを作るのにガスもしくは石炭のエネルギーが大量に必要となるのであるそれでは太陽光パネルを安価な値段で売りまくる中国はどうであろうか石炭が豊富に産出する新疆ウイグル自治区に目を付け石炭採掘に住民を使い、その報酬は「奴隷的...白鷺だより(421)東京から緑が消える日

  • 白鷺だより(421) 東京都 新築戸建太陽光発電義務化

    東京都新築戸太陽光発電義務化12月15日東京都議会で新築の戸建住宅への太陽光発電パネル設置の義務づける条例改正案が都民ファーストの会、公明党、立憲民主党などの賛成多数で可決した都知事は翌日の会見で「これ程化石燃料に恵まれない国でGDP3位の原動力であるエネルギーをどう確保していくのかというのは国家の安全保障と同等くらいに重要だ水と空気と電気は只ではないけれども当たり前にあるという時期ではないという事を今私たちは経験していて真剣に考えるべきだ」と国会の混乱を皮肉りつつ言及したさて太陽光発電の実績は例えばドイツを見てみると相変わらずフランスからの原子力発電を買っておりロシアからのガスでの火力発電と自国の太陽光発電で何とか賄っているがこの20年で電気代は3倍になりさらにロシアからのガスがストップする恐れにおのの...白鷺だより(421)東京都新築戸建太陽光発電義務化

  • 白鷺だより(420)ロッパの新婚旅行

    ロッパの新婚旅行YouTubeで懐かしい映画を観た戦前(昭和15年)の映画だ当時人気者だった古川ロッパの主演映画だスタッフには脚本・監督に山本嘉次郎製作主任はなんと若き日の黒澤明だあらすじビール会社社長のガラマサどん(古川ロッパ)(*)は朝風呂で義太夫を唸るのが趣味である毎日西洋歌を歌っている一人息子一郎(ロッパ二役)に嫁を持たそうと思い立ち、今はレコード屋をやっているかっての使用人夫婦(川田義雄、清川虹子)に相談する夫婦は由緒ある家の娘でレコード歌手の映子に白羽の矢を立てるが当の一郎にはおでん屋で働くお千代(望月優子)という恋人がいたガラマサどんとはロッパが得意とするキャラクターで映画の前年有楽座の舞台でやっていた当時なユーモア小説家佐々木邦の代表作昭和15年がどういう年かというと新興興業による引抜き事...白鷺だより(420)ロッパの新婚旅行

  • 白鷺だより(419)日本人は綺麗好きか?

    日本人は綺麗好きか?サッカーW杯カタール大会で強豪ドイツを破った日本は別の視点からも好感を持たれることになったそれは試合後のサポーターのスタジアムの清掃である日本のサッカーのサポーターにとって「当たり前のこと」「いつもやっている事」であってもことカタールにおいてその行為は驚くべき素晴らしい事だった主催のFIFAワールドカップは「世界中から称賛される日本人ファン!歴史的な勝利の後もスタジアムを掃除する姿に心からリスペクトです」とツィートしたと同時にその行為を戒める意見も相次いだ前東京都知事の舛添要一氏がそうだ彼は「日本のサポーターがスタジアムの掃除をして帰るのを世界が評価しているという報道があるが一面的だ身分制社会などでは分業が徹底しており、観客が掃除まですると掃除を生業としている人が失業してしまう文化や社...白鷺だより(419)日本人は綺麗好きか?

  • 白鷺だより(418) しし座ね「ヒーロー、道に迷う」

    しし座「ヒーロー、道に迷う」3週連続の観劇となったここ何年かコロナのせいでスタジオ公演が続いていたしし座公演が客を入れての久しぶりの公演の案内を戴いて出掛けた結果はもう一つだった北川隆一の上手さばかり目立って他に大人の芝居が出来る役者はいず、きついことをいうと「金を取れる芝居」になっていない竹内介の脚本は劇団員のアテ書きだろうが余りにも若い役者ばかりで芝居にならないのが辛い(若いと言っても女学生には無理がある)あと4、5人は中年が必要だろうあらすじ葛の名産地で知られる葛龍町、(東京から3時間の東北地方か?)素朴な田舎町には不思議な言い伝えがあった町外れの雑貨屋「安達商店」の隣りに建つ町英雄葛屋龍次郎の銅像に祈りを捧げると「葛龍仮面」が現れて問題を解決してくれるというものだった放浪の旅の途中で安達商店の主人...白鷺だより(418)しし座ね「ヒーロー、道に迷う」

  • 白鷺だより(417) 岸田國士「チロルの秋」その他

    「チロルの秋」その他今月は図らずにも観劇月間となってしまった先週の紅、南条二人芝居に続いて今週は大阪放送劇団の公演だ昨年末劇団創立80周年記念とかで岸田國士を取り上げた(「留守」、「秘密の代償」)ところ評判がよく(未見)今回も短編戯曲を3本取り上げた客席には永遠の演劇青年の楠年明さんや多賀勝一さんがいた岸田國士は岸田今日子、岸田衿子の父親として有名だが日本現代演劇の父と呼ばれ新人劇作家の登竜門として「岸田戯曲賞」としてその名を残しているこの「チロルの秋」はフランス留学時代に書いた処女作「古い玩具」に続く2作目で大正13年9月に発表され同年秋新劇協会の手で帝国ホテルの演芸場で初演、その「「チロルの秋」上演当時の思ひ出」によると「正直に云へば私は自分の処女上演について余り香しい思ひ出を懐いていないので、なるな...白鷺だより(417)岸田國士「チロルの秋」その他

  • 白鷺だより(416) ふたり芝居「夜の取調室」

    ふたり芝居「夜の取調室」懐かしい芝居の案内を見て早速病気上りの萬ちゃんに連絡すると初日は一杯だがその他は大丈夫と聞いて2日目のお昼に出掛けた久しぶりの道頓堀はようやく外人客が戻ってきたように思える賑わいに近く活気に溢れていたそんな風景を見ながらアラビヤの前を通り、法善寺にぶつかって北に向かうと座座の楽屋口にある喫煙所でいつまで経っても煙草が辞められないふたりが見舞客と喋りながらプカプカやっていたこれはチャンスと祝儀を渡し入口に向かうと橋本ちゃんが「まだアホなことやってますねん」と言った舞台監督の三ちゃんに案内されてほぼ満員の客席に…。さてこの芝居まだトップホットの頃の作品だとばかり思っていたが初演は1990年だというオレンジルームが出来たのが1978年なので僕はもうコマに入っていてそれから阪急ファイブが出...白鷺だより(416)ふたり芝居「夜の取調室」

  • 白鷺だより(415)ポスターにみる松竹新喜劇と僕

    先ずは平成6年7月新橋演舞場で新喜劇デビュー御覧のように何本かは演出家の名前がないこのような体質が新喜劇に新しい作家、演出家が生まれない理由であるその年の10月中座僕は「朗らかな嘘」と「おくてと案山子」を演出したが名前は出して貰えないそして12月中座人生双六の演出だが名前は出ない翌年平成8年松竹は創立100年を迎えるこの「春は浮かれて」で初めて名前が出る3月南座秋の扇と「わてらの年輪」の演出助手そのまま新橋演舞場7月へ11月中座鼓と噂草紙左甚五郎を演出12月中座若手奮闘公演僕は?皺だらけの天使と愚兄愚弟を演出大忙しの平成8年が終わり平成9年南座3月平成9年4月南座陽春公演人生双六演出同年7月南座公演京唄子ゲスト新喜劇最後の劇場公演ただし日本香堂は除く白鷺だより(415)ポスターにみる松竹新喜劇と僕

  • 白鷺だより(414)井上ひさし「頭痛肩こり樋口一葉」について

    井上ひさし「頭痛肩こり樋口一葉」について新歌舞伎座で「頭痛肩こり樋口一葉」を上演すると聞いて、しかも2日や3日ではなく休演日1日を入れて9月2日〜11日延べ12回公演だと知って「新歌舞伎座さん、大丈夫かな」と心配して生協で安いチケットが出ていたので手に入れた観劇したら(5日の夜の部)案の定一階席は半分、二階、三階はパラパラの入りで役者の熱演にも関わらす盛り上がりに欠ける公演だったかって新宿コマで上演した同じ作者の「じゅういっぴきの猫」もヒドい入りで(なんせ2000人ワンフロアの客席に100人単位の客が毎日)、これが初制作のTさんは一発で他の部署にとばされたまた井上ひさし作品は客が呼べないと云う定説が生まれたそれを知っているだけに大阪で12回公演も東京でのザザンシアター公演が好調と云う情報だけでこんなに長期...白鷺だより(414)井上ひさし「頭痛肩こり樋口一葉」について

  • 白鷺だより(413) 「あかんたれ」のこと

    あかんたれのこと「あかんたれは」大阪では関テレ系で1976年10月より翌77年7月まで月曜から金曜まで昼帯で放送され計210話、「続あかんたれ」は1978年2月から9月まで計155話放送された鶴岡雅義と東京ロマンチカが歌う主題歌と一緒にヒットした1977年一応制作が東海テレビだったのでまず名鉄ホールにて「東海テレビ名作劇場」として同じメンバーで舞台化され梅田コマでは「関西テレビ名作劇場」としてそれまで「どてらいやつ」を上演してきた枠で「あかんたれなみだ編」として上演された花登先生の原作はあるにはあったが連続ドラマとして引っ張るだけ引っ張ったそのストーリーは全く面白くなかったし出演者もテレビと同じでだれきっていたそんな作品を仕事とは云え担当していた自分自身を恥ずかしく思い、その日は小山明子さんが旦那が観に来...白鷺だより(413)「あかんたれ」のこと

  • 白鷺だより(412)アメリカに渡った「野球小僧」、快挙

    アメリカに渡った「野球小僧」、快挙8月10日、4度目の正直で大谷翔平が今季10勝目をあげ、故ベーブ・ルースが持っていた投打の二桁数(同一シーズンで10勝、かつ10本塁打)を104年ぶりに抜き去った二刀流の勲章がまた一つ増えた104年前ベーブ・ルースは13勝11本塁打だったが大谷翔平は10勝、25本塁打だしかもまだシーズン途中だ両方とも大きく伸ばすはずださて戦後すぐに流行った灰田勝彦の曲で「野球小僧」がある作詞佐伯孝夫、作曲佐々木俊一「野球小僧にあったかい男らしくて純情で」ではじまるのだがその2番に野球小僧は腕自慢/凄いピッチャーでバッターで/街の空地じゃ売れた顔とあるそう言えば我々少年時代はいいピッチャーは必ず四番を打ついいバッターだった現に高校野球がそうだエースで四番が常識だそれが何時しかピッチャーかバ...白鷺だより(412)アメリカに渡った「野球小僧」、快挙

  • 白鷺だより(411) 作曲家三山敏を偲ぶ会

    作曲家三山敏を偲ぶ会2022年7月12日この4月の2日に亡くなった作曲家の「三山敏を偲ぶ会」がなんと大衆演劇の小屋西成「鈴成座」において行われたおそらく作家で大衆演劇評論家の橋本正樹が企画でスタッフに名前を連ねているので彼が仕掛け人だとおもわれる鈴成座の今月は近江新之助座長の浪花劇団の一と月興行で今回は特別公演として「偲ぶ会」公演が行なわれたプログラムは第一部に東京から若葉しげるをゲストに呼び、彼のヒット作「花街の母」を浪花劇団総出演で上演、座長と若葉しげる並んでの口上のあと三山敏の長女の解説で在りし日の三山氏のスライドショー、橋本正樹の司会でゲストのもず唄平が思い出を語り、最後は座員一同でもず唄平作詞作品をメドレーにして踊り弟子筋にあたる歌手、渡辺要や高橋華子が歌う「浪花演歌夏祭り」、最後は二人の最初の...白鷺だより(411)作曲家三山敏を偲ぶ会

  • 白鷺だより(410) 美空ひばり芸能生活10周年記念映画

    美空ひばり芸能生活10周年記念映画YouTubeの東映時代劇チャンネルが時々自社の古い映画を期間限定で特別配信してくれる今回は1958年上映のこんなミュージカル映画「希望の乙女」、芸能生活10周年と言っても少女時代のデビューだから御年21歳の美空ひばりだ物語は北海道から歌手になるために上京してきた少女、美原さゆりが青函連絡船の中で出逢ったサックスを吹く男(高倉健)と知り合う担任の教師に書いて貰った紹介状を持って作曲家月森浩一(山村聡)を訪ねるが彼は奥さんを亡くしたばかりでなかなか心を開いてくれず弟子入りも許して貰えない近所の下町商店街の素人バンド「あけぼの楽団」のメンバー(北村英治ら)と親しくなる戦後すぐヒットした並木路子の「そよかぜ」(松竹、主題歌リンゴの歌)とストーリーが似ているが原案のひばりの母親加...白鷺だより(410)美空ひばり芸能生活10周年記念映画

  • 白鷺だより(409) 若山富三郎はなぜ東映に草鞋を脱いたのか

    若山富三郎はなぜ東映に草鞋を脱いだのか昭和41年6月の南座は「南座時代劇6月公演」と銘打ち大江美智子一座を中心にゲストには大映を辞めたばかりの城健三朗、東映の山城新伍らがメンバーだった城健三朗は公演直前若山富三郎と昔の名前に改名「パンフレットやポスターは刷り終わっていたため、そのままいきますが来月からは若山で売出します」この公演で若山は昼の部では行友李風作「国定忠治」の主役忠治を演じ夜の部では「血煙荒神山」の吉良の仁吉、又「雪之丞変化」では座長菊之丞を演じ劇中劇では雪之丞役の大江美智子と四つに組んで本格的な歌舞伎芝居を演じたもとより時代劇が好きで東映に入った山城にしたら待ち望んでいた時代劇スターであった因みに山城は「国定忠治」では板割の浅太郎、夜の部の前狂言の主役と「血煙荒神山」では清水の小政を演じた山城...白鷺だより(409)若山富三郎はなぜ東映に草鞋を脱いたのか

  • 白鷺だより(408) 松竹新喜劇の栄枯盛衰

    松竹新喜劇の栄枯盛衰(昭和38年〜昭和41年)昭和38年15周年を迎えた松竹新喜劇は中座、新橋演舞場、南座と記念公演を無事終わったいずれも大入りで松竹新喜劇は全盛期を迎えた感があったその上、館直志こと座長渋谷天外の筆も冴え今回の書き下ろし「銀のかんざし」も好評だった翌39年松竹新喜劇は劇団を株式会社に改め10月1日に発足と発表、社長は香取伝松竹常務、渋谷天外は常務取締役で劇団員全員が株主、資本金一千万円、但し興行の配給は従来通り松竹演劇部この年の明治座7月公演の目玉作品は館直志作「花ざくろ」も大好評つづいて8月日生劇場で天外の書き下ろし「わてらの年輪」を上演、中村鴈治郎、扇雀、花柳章太郎、小林千登勢、賀原夏子、酒井光子らの出演でこれも又大好評だったこの作品は館直志名ではなく渋谷天外とした昭和40年7月の明治座の...白鷺だより(408)松竹新喜劇の栄枯盛衰

  • 白鷺だより(407) 藤山寛美三十三回忌追善公演

    藤山寛美三十三回忌追善喜劇特別公演昭和40年代僕がこの世界に入った時(トップホットシアター)コマ新喜劇の顧問であった香川登志緒先生に「今の新喜劇は勉強にはならへん、観に行くこと相成らぬ」と云われ続けたので中座の招待券が廻ってきても他人に廻して観ることもなく昼夜の入れ替え時の道頓堀の賑わいに感動したり中座の楽屋口でおすがたをチラっとお見受けすることはあったが、結局生の藤山寛美の舞台は一度も観たこともなかった(勿論後年新喜劇の仕事をする時、ビデオはいやと言う程みたが)そんな僕に松竹新喜劇の演出の仕事が廻ってくるとは露とはおもわなかった松竹の制作の意図は新生新喜劇になって今までの踏襲ではなく新しい喜劇を目指す旗振りをしろと言うことか僕としては同じ昭和23年生まれの新喜劇と仲良くやって行けと云われたと思うしかない昔、香...白鷺だより(407)藤山寛美三十三回忌追善公演

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