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2020/10/12

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  • 大阪感情線 佐々木修宏写真展

    大阪は九条にある、小さなギャラリー「GALLERY SAGE」。このあたりは町工場がいくつもあって、このギャラリーも元は町工場だったそうです。僕の個展を観にきてただいた縁で知り合った佐々木さんの個展、楽しみに見させていただきました。 佐々木さんは今単身で福井で仕事をしているとのこと。個展ってやると見るでは大違い。さぞ準備が大変だったでしょうね。 鉄道好きな佐々木さん。大阪環状線を軸にスナップ撮りをされた作品群です。スナップ上手いなぁと言うのが第一印象。僕はスナップを撮る時には、デザイン的なバランスを意識して構図を決めます。多分、佐々木さんも僕と同じような意識で撮ってる気がします。一枚一枚の写真が、とっても落ち着いて見れます。そして綺麗です。ただ全体を見渡した時に、どこか優等生的に感じてしまったんです。一枚一枚が、独立しちゃってる印象というか・・。この正体はなんなんだろう?と。佐々木さん自身も言われてたことなんですが、もっとテーマを絞り込みたいと。写真を組み合わせた時に、どこかバラバラなイメージを持ってるようなんです。僕が感じたのも、そんな所から来たのかもしれません。でも僕はそれが悪いことだとは思ってないんです。そういう見せ方もありだと思ってますから。良い悪いは作者が決めること。だから写真って面白くて難しいんです。大阪環状線からの車窓風景も僕は作品にしてます。その時に感じた環状線独特の風景。雑多な感じの他に、面白いなぁと思ったのは、明るい部分ではなく暗い部分。汚い部分を隠そうとしない街並みに、大阪を感じて興味が湧きました。佐々木さんが見ている視点には、薄い部分かもしれませんね。恐らく、とても優しい人だと思います。ギャラリーを後にして、車の中で考えてたんです。写真って撮り続けると変化が起こるんです。自分の感じ方や考えが変わることで自然と起こる写真の変化です。次の佐々木さんの変化を作品を通して見てみたいと。そう思うと不思議と俄然自分も頑張らないとって撮影意欲が湧いてきました。明日から梅田の歩道橋歩いたら、佐々木さんの雨のスナップ写真思い出すんだろうなと。良い刺激を受けた良い展覧会でした。

  • 予備バッテリーやっと到着

    LUMIXのS5を手に入れました。S1Rの操作性と画質のよさに魅了されLUMIX良いぞって一人で盛り上がってます。もっと気軽にバンバン撮れる画素数が少な目のサブカメラが欲しくなって手に入れたんです。S1Rに比べると、とてもカジュアルなカメラという印象ですね。撮ってて楽しいのはS1Rだけど、S5から出てくる絵もS1R同様気にいってます。色味の感じは同じ味付けで、使いやすい。ただ買ったのはいいんですが、本体と同時に予約した追加のバッテリーがずっと在庫無し。ネットで調べたすべてのお店が在庫なしの状態。S5のバッテリは販売好調な新機種のGH6でも使えるらしいので、その影響だと思ってたら、バッテリの原料が不足してるとか・・、電気自動車人気でとか、ウクライナの影響とか・・。いろんな噂が聞こえてきました。でも他メーカーのバッテリーは、普通に買えるようなので、多分GH6の影響なんでしょうね。真実は解りませんが・・。互換品のバッテリの値段も、恐ろしく値上がりしていて、もう待つしかないと。ただ予備バッテリーの無い状態で、実戦投入はとっても怖い。これだけのことだけど、S1Rとバッテリが共通で使えるS1にしとけばよかったかなぁと、思うこともありました。その待ちに待ったバッテリが、やっと到着。長かった・・。

  • 東京2020オリンピック SIDE:B

    東京オリンピックの公式記録映画です。選手目線のSIDE:Aは、見れてませんが、SIDE:Bを先に観てきました。噂通りガラガラ・・。10年後に見た時にどう感じるだろう? 時系列の展開はせずに、いくつもの出来事をフラッシュバックのように展開。それもナレーションもなく淡々と。観終わってからも考えさせる、いい映画だなと思いました。日本人なら、知ってるだろう、あれやこれが出てきません。国立競技場のデザイン問題、公式ロゴのパクリ疑惑、高コストな大会費用の問題。選手村の食堂の廃棄問題。競技場の開催場所の問題。ボランティアが集まらずお金が動いたとの噂。大会後の建物の活用問題は未だ解決してないようだし。こんなに望まれないオリンピックは無いという声の数々。このあたりは触れられてませんが、なぜか観てる途中、観終わった後に浮かんでくるんです。森会長のジェンダー発言問題、肯定的に切り取る配慮が見られる部分は、映画の賛否に関わる部分でしょうか。演出に関わる担当者の交代、実質的に降ろされた狂言師の野村萬斎さんの、なんともな表情は、いろんなことを想像させます。国立競技場の芝生の設置、選手村の食堂の運営、女子バスケ会場(3オン3?)の会場設営。裏方で働く方の言葉とプロ意識を感じる仕事ぶりは、きちんと描かれていて好印象。天皇陛下、バッハ会長、森会長、小池都知事、政治家の方々、いわゆるVIP層のシーンは、これまで映像で観たこともないシーンが出てきます。ほんと色んな問題が起こってたことが解ります。こんなにもてんこ盛りのオリンピックをまとめ上げた監督の苦労は相当だったんだろうなと想像します。オリンピック公式のドキュメンタリーということで、不都合な部分は描けないと思ってたけれど、ギリギリのラインで出し切った感じですね。公式の冠を外すと、どうなったのか?はとても気になります。 東京オリンピックそのものの捉え方で、この映画の賛否が変わると思います。オリンピック完全否定派にとっては、こんなつまらない映画はないと思う。肯定派であっても、不満や苛立ちを感じたポイントはそれぞれでしょうから、そこが映像化されているか否かでも評価は変わってしまうだろうし。記憶は風化します。この映画で語られなかったことが後世に伝わらないとすれば、とても惜しい。この映画は、オリンピック開催を肯定する目線で描かれてる気がします。その中で数々の困難がありました。それを乗り越えてやり遂げた記録映

  • フェミニズムってなんですか?

    Wikipediaによると:フェミニズム(英: feminism)とは、女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動の総称であり[1]、政治制度、文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差、性差別に影響されず男女が平等な権利を行使できる社会の実現を目的とする思想または運動である。男女同権主義に基づく、女権拡張主義、女性尊重主義である フェミニズムってなんですか?って書籍の発刊イベントに誘われて本は未読の状態で参加させてもらいました。大きな流れとして一般的に、男尊女卑という思考は、ダメなことだという風潮は既に確立してると思う。でも発言されている女性の声を、聞いていると、「そうは言うけど、そうはなってないよね。例えばこんなことが・・」というコメントの数々。そもそもフェミニズムってなんだ?ってところから始まるんだけれど、著書の中では、こう定義してます。その1 改革の対象は社会/文化/制度であると認識することその2 あえて空気を読もうとせずに、おかしいことをおかしいと思う(言う)こと。その3 フェミニズムは、あらゆる女性たちのものであると認めること。その1の改革対象は・・で僕はポカーンとなりました。僕は、フェミニズムの定義を誤解しているようです。既に完結している事象ではなく変化を促す動的なアクションを起こすトリガーとして定義されているんだと解釈。それからは、以降の話がスッーと入ってきました。つまり、女性であることで被る不条理や矛盾を、全ての女性が解決出来る仕組みに変えていこうと。そんな視点です。イベントは二時間。著者の清水晶子さん、このイベント会場の主である小さな街の本屋「隆祥館書店」の二村知子さん、この方は元シンクロの代表選手。それに翻訳家でライターそれに僕の友人である実川元子さんが聞き手となって進行する豪華なトークセッション。いやはや面白かったです。聴きながら思った僕の主観はこうです。女性であることで被っていることは、男の僕には、とってもわかりづらい。狩猟民族は、男性は狩に出て、女性は家を守る。戦争もそう。時代が変わり、女性が仕事をすること、男性が家事をすることは、もはや不思議なことではない。けれど思想や制度が、それに追いついていないことは、その環境ではない人には理解しづらい。それと同じなんだろう。そもそも、こういう問題、男性にはないんだろか? 男性であることで被る不条理ってなんだ? 男なんだ

  • 言葉の持つ力

    「正体」つてWOWOWのドラマを見始めた。死刑囚が逃走するというところからスタートするドラマ。まだ一話しか見てませんが・・。タイトルの「正体」は、多分、この主役を中心に人の正体ってなんだってことからネーミングされたんだと思う。この「正体」て言葉、良い意味のニュアンスよりも、どこか悪いニュアンスが含まれるイメージがある。では良い意味につながる言葉ってなんだろう?と、考えると「素顔」って言葉が浮かんだ。日本語を母国語にするからこそ、わかる微妙なニュアンスだと思う。日本語って言葉。日本人の僕は、「僕の母国語」っていう方が好きだなと思いました。

  • 佐藤健寿展 奇界/世界

    西宮市大谷記念美術館怪しげなニュアンスの言葉ならば、「鬼界」「奇怪」としてしまいそうなのに「奇界」です。これ辞書にないので、世界に散らばる奇妙なモノって連想できる造語ですね。 会場の美術館入って、左手に一部屋目、階段上がってちょうど真上に二部屋目。この二つの部屋はパネル写真とその奇界な建造物やモノの説明書きが、対に並べられ図鑑的な見せ方をしてました。アートを見たいと思ってきた僕には消化不良だったけれど、楽しそうに観ている方が多かったので、これはこれでありなんだろうと思います。パネルの写真って、安っぽく見えるので好きではないけれど、写真はどれも素敵です。それにしてもすごい物量でした。圧巻は、3部屋目。黒のマットで額装された本気の写真に見惚れてしまいました。最初と最後に飾られていたくっきりとした水平線が綺麗な海と空の色味が、とても好き。黒バックのポートレートも実にいい。この奇界ってテーマは、そこで暮らしている人達にとっては普通のこと。奇妙かどうかは、それを見る人との相対的な感覚でしかない。この展覧会を見た人が日常と非日常の境界線が揺らげば嬉しいって作者のコメントは、説得感を持ってドンと伝わってきました。こんなことも考えてました。ネットも書籍も、それにこの写真もリアルなものではない。僕はリアルな世界を体感することが、感性を刺激するには一番好ましいことだと今でも信じてます。でも、この作品を見る鑑賞者は、僕を含めて作品に写るリアルな世界を、ほぼ知らない。写し取られたもので想像するしかない。でもリアルな現実を自分の目で見たとしても、そこに見えるのは、自分のフィルターを通してみる世界でしかない。日常と非日常、奇妙なものとそうでないもの。目の前で起こることも、遥か彼方でおこっていることも、結局は自分が、どう見るかってことに繋がるんだなぁと。なんだか自分でもよくわからなくなってきたけれど、写真の持つ力って、やっぱ凄いなぁと思えた展覧会でもありました。

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