大阪は鶴見区にある鶴見はなぽーとブロッサムという建物です。1階から3階は、大阪鶴見花き卸売市場になってます。その上はアウトレットモールだったんですが、近くに出来た三井アウトレットーパーク門真に移転。今は、どうなってんだろうね?この建物を、カッコよく撮るには、これかなと思って長時間露光で試し撮り。良い感じになったと思ってますが、日を改めて撮ってみようと思ってます。
写真のファイルサイズが、どんどん大きくなって保存する媒体にも、ちょいと頭を使わないといけない時代になってます。 冷蔵庫みたいな大きさのコンピューターや、紙カードを使って仕事をしてた時代を経験してる身からすると嘘みたいな進化です。1テラなんて誰が使うんだと思ってたけれど、今では半年で使い切ってしまうんですから・・。 このファイルを記憶する媒体、SDカード、USBメモリ、HDD、SSD。まっさらにする初期化の作業、フォーマットともいいますが、それをやって使えるようになります。今では初期化済みの状態で売られている場合が殆どですから、そんなことしたことないぞって人も多いと聞きます。 そういう方は、以降は読み飛ばしてください(笑) カメラ本体で初期化する時は聞かれないけれど、パソコンで初期化作業をすると何やら形式を聞いてきます。どれにしますか?って。 exFATとかNTFSとかいう、それ。 その話です。 街を整備する時に、区画はこのサイズで、高さはこれくらいまでと決めてから、住民を迎え入れるのと同じで、ファイルを入れる箱の中を定義します。この形式をファイルシステムと言うんですが、これ、いくつかの種類があります。 大雑把に分けるとWindowsでしか使えない系(Macでは読めるだけとか・・)、Macでしか使えない系、両方で使える万能系の3グループ。カメラ本体で初期化すると、だいたい exFATって形式になります。これ、WIndowsでも、Macでも使える万能型の形式。 カメラがWINやMACとパソコンに依存しないシステムを採用するのは、当然といえば当然ですね。 ただし、このexFAT、とっても信頼性に難ありなんです。ということをお伝えしたい。 Windows系の主力は、NTFSという、その時代とっても優秀だったWindows NTというOSから採用されたもの。仕事でこのOSを使い始めた頃は衝撃でした。それまでのOSは、プログラムが暴走するとシステム全体がおかしくなるんだけど、このNT、暴走するのは、そのプログラムだけで、他はそのまま正常に動作してましたから。もちろん、いろんな条件がある上でなんだけれども、この仕組みを作ったマイクロソフトってやっぱすごいと心底思いました。うん、ほんとにすごかった。 話は戻ってMAC系ファイルシステム今の主力は、APFSという、
2011年に買ったメッセンジャーバックを、このところ引っ張り出して活用中。CRUMPLERというオーストラリアはメルボルン生まれのブランドで、メルボルン旅行中にお店を探して買ってきたもの。ロゴがかっこいいのと、素材の丈夫さ、大きさや使い勝手がちょうどいい。 先日、量販店で、このCRUMPLERのバックを発見。いつの間にかドイツのメーカーに生まれ変わってるんですが、あの時に良いなぁっと思ったロゴはリニューアルされ、素材も軽薄な感じに変わってました。あの時、グッときたデザインや堅牢さが失われちゃったのはなんとも寂しい。 道具は、使い込んでこそだと思うので、丈夫さが損なわれてる気がするのがね・・・。新しい物が、良いとは、限らないです。 いつも思うけど、カメラのバック選びって難しい・・。
雑誌AERAに、この映画の監督「斉加尚代」さんの特集記事を読み興味が湧いて、大阪は十三にある第七芸術劇場という渋い映画館で観てきました。どこかの団体がステッカーにしそうで、敬遠する人も多い気がする「教育と愛国」というタイトルの映画です。 近年、見えない圧力によって教科書が改訂されている様を丁寧な取材によって解き明かすドキュメンタリー。テレビでも放映されていたらしいんですが、全然知りませんでした。 良質なドキュメンタリーはNHKが独占。それも海外で作られたモノばかり。スポンサーの関係で、この手のものには、お金が付きにくく、放送されることが難しいことは想像出来ます。だから、この骨太のテーマを民間のテレビ局が制作公開したことが、妙に嬉しかったです。 映画の冒頭は、こんなシーン。挨拶の設問(1)おはようございます、と言いながら頭を下げる(2)おはようございます、と言ってから頭を下げる(3)頭を下げた後、おはようございますと言う さて正解はどれ?正解は(2)だそうです。こんなことが、今の教科書には書かれているんですね。 そして道徳の教科書のとある記述部分、背景のパン屋が和菓子屋に変わったという教科書の変更。パン屋は日本生まれのものではないことが、変えられた理由だとか。そんな話題から教科書の改訂の過程が紹介され、核心に迫っていきます。 例えば戦時中の歴史の話題、従軍慰安婦や沖縄の集団自決を例に、国が介入したとされる悲惨な歴史から、国の介入部分がバッサリと教科書から削られる「改訂」がされた等。 教科書は、教科書検定という審査に合格したものだけが使われるそうです。複数の出版社が作る教科書。どれを選択するのかは、学校や自治体に任されているようです。教科書検定の際「あるべき教科書の指針」の定義や、教科書を選択する際、出版社や学校に対し政治の思想をベースとした圧力が介入しているという、恐ろしい内容。 このドキュメンタリーの本質は、「日本人はこうあるべきだ」という理想の愛国主義思想を植え付けるべく、教科書を政治主導で書き換えているという事実を公にするということ。 歴史を都合のいいように湾曲して伝え、偏った思想へ変えていく方法は、まさにプロパガンダ。それがこの日本でも行われているんじゃないかと。そういう事実を知り、とても怖いものを感じてしまいました。 日本も、戦時中、都合の良い
4月は節目で、生活がガラッと変わる季節でもあります。 学生の頃は、卒業式、入学式、クラス替え、などなど、変わったぞってヒシヒシと伝わる行事が目白押し。多分、これが良い刺激になってたんだろうね。 桜って、この絶妙な時期に咲き誇るんです。ずるいぞ。 そんな事を考えながら、まったりと過ごす休日が好きかも。
手塚治虫さんの作品 漫画は不慣れなんですが、次の展開を知りたくてドンドン読み進められた感じです。 この漫画に出てくる3人のアドルフ。一人は、あのナチスの総統。そして日本で育ち幼少から仲のよかった国籍の違う二人のアドルフ。戦争を背景に、人種や国籍の違いから生まれた思想をベースに展開します。面白いというか残酷です。 フィクションだし、時代はナチス全盛のあの戦争当時でも、全く古臭さを感じないのは登場人物のキャラクターや思想が、程度の違いはあれど、今も変わらず存在している事を、薄々感じてるからなんだろうと思いました。 まさにウクライナとロシアで起こっていることもそう。日本でも、暴力には至らないにしても、出身地や出身校で、何かを判断してたり。そんな事を考えてしまいました。 恥ずかしながら初めて手塚治虫さんの漫画を読んで、びっくりというか凄みが解った気がします。
2022年小中高の自殺者が過去最悪の512名だとか。内訳は、小学生17名、中学生143名、高校生352名だそう。学業、進路、入試が、主な理由らしい。 悩みの重さは人それぞれ。時が変われば、なんであんなことに悩んでたんだろうと、思うことも多い。でも、当事者にとっては、なかなかそう思えないのは、みんな知ってること。 512名、この数字を知って、どう感じるのか。 この数字のひとつひとつは、重い重い命の数。 「継続するコツ」という本を読んだ。いろんな理由で継続できないということをどう対応するのか? 例えば、絵を描きたいと描き始める。書くことが楽しい。けれど描いた絵を他人と比べて才能がないと辞めてしまう。でも描くことが楽しいということと、才能がないということは別の話。描くことが楽しいということは変わらないでしょと。そんな話から始まります。 なるほどねと。確かにと思うことも多いし、ちょっと不思議な気持ちになる内容でした。 自殺とは、全く関係ない内容かと思いきや、著者の坂口恭平さんは、「いのっちの電話」というサービスを展開されており、死にたいという方からの電話を24時間受け付けているとのこと。 終盤に書かれた提案。この国は、お金がなければないで、ちゃんと支援する制度があると。それをきちんと学校教育の中で教えるべきだという提案。仕事が無くなれば、生きていけないという不安を少しでも和らげる解決策の一つかもしれない。 そして、やりたいこと、好きなことを続けるには、お金がないこととは基本関係ない。いや関係ないことはないけれど、そんなことはどうにでもなりますよという論旨。 なるほどね、です。 「学校も会社も進学も人それぞれで、悩むことも多い。でもどう転んでも、この世の中どうにでもなるよ」と、そんな風に言ってもらえて、そうだよなと思えると、救われた人もいたかもしれないかなと思いました。 視点が変わるナイスな本でした。
ネガティブな暴露本かなと思ってました。 野口健さんの講演を聞いたことがあります。1時間の予定がなぜか1時間半。とにかく、ずっと話してて、台本なんてなく、ただただ話したいことを話しているんだけれど、引き込まれます。 言葉は悪いけれど、悪意があれはペテン師になれる話術だなと。ただ話していることの本気さが伝わってくるというか、言葉に熱がある。それに話していることは、遠くない未来に実現しちゃうんだろうなと、思わせる雰囲気もある。 ある種の宗教かもしれないですね。 この書籍、野口さんの元で働かれていた方が、書かれてます。 野口さんの人となり弱さ、そしてご自身の葛藤をあから様に表現されていて、なんだなんだと一気に読み終えてしまいました。 野口さん、敵も多いんだろうなとは想像もつく。でも、応援してる人も多いと思う。サラリーマンやってたら、まず、お目に掛かれない人だと思います。 本人も知られたくないことも書かれたこの書籍、なんと野口さんも一緒になって宣伝してます。 すごい人ですほんと。 読後感が、とっても心地よかったのは、作者と野口さんの絆を根底に感じるからなんでしょうね。
2011年、オーストラリアへ旅した時、バスの車窓から撮った一枚の写真。これは、「Lifespeed」としてまとめた作品のきっかけになった記念すべき一枚目の作品でもあります。未来へ繋がることって、今この時点では分からないことの方が多い点と点が繋がるってこういうことなんですね。
体と心がギュっと縮こまった感覚。コロナのおかげで明らかに体力が落ちてます。徐々に取り戻すしか無いんだけれどね。こんな時は、好きなことをするに限る。 やっぱね、写真撮るの楽しい。 何が楽しいのか。 素直に撮りたいと思ったものを撮るだけ。誰かに見てほしいとか、そんなことを考えることなく自分に正直になって撮ってる時が楽しい。 この感覚、ずっと忘れずに続けたいと思います。
油断してました。 2類相当から5類へ引き下げと、コロナの感染症法上の定義が変わることが決まって、なんとなくイメージが軽く思えてきた矢先、感染してしまった。 横浜で仕事を終えた帰阪途中の新幹線車内、風邪引いたかなと思う予兆を感じた。帰宅して、ドット疲れと共に熱が出てきた感じ。 翌日向かったのは、病院の駐車場奥に作られた屋根だけの簡易テント。ここが、発熱外来の診療所。予約時間までに、15名ほどが、集まっていた。 感染防御服を着た方が、2名、慣れた感じで受付を始め、簡単な説明の後、診療開始。 PCR検査とインフルエンザ検査用に咽頭粘液を鼻の中から採取。事前にネットで伝えていた内容の確認があり、これからのことの説明と解熱用の薬を受け取り、終了。 夜、メールで、コロナ陽性、インフルエンザは陰性の結果を知る。 一週間、熱は38度前後をうろちょろ、体がだるく、喉の痛みと咳が出る。とても仕事が出来る状況ではなく、静養するのみ。食欲がないわけではないのが救い。 びっくりするくらい、よく寝てました。 毎日、20時間くらいは寝てたかもしれない。 よくも、これだけ寝れるよねってくらい。 当然ながら、自宅からは一歩も外出せず。 パソコンも触ってない。 枕元のiPadで、たまにニュースを見る程度。 7日目にして熱が下がってきて、体が楽になってきたとこ。 もう少しかな。
遠くから、人の気配を感じることが好き。 何してるんだろう? 何、話してるんだろう? 聞き耳を立てたり、尋ねることはしない。 想像するだけなんだけれど。
マザキ・マザック美術館 ここに美術館?ビルの中にある美術館でした。 アルベール・マルケ、モーリス・ユトリロ、佐伯祐三、荻須高徳 4人がパリで描いた作品が展示された企画展。 アルベール・マルケは、建物の上層階から街を見下ろした構図が新鮮。 ユトリロは、後期の寂しさ真っ只中の少し前の作品。 佐伯さんは、もう、何も言うことがないくらい大好きな画家。佐伯さんに影響を与えたヴラマンクの作品も展示されていて、その対比が面白い。 佐伯さんが、ヴラマンクに絵を見せたところ、「アカデミック」と言われてほ一蹴されたとか。 アカデミック? 学術的でとか、優等生的とか、肯定的な意味がある反面、芸術的には、古臭い古典的という意味もあるそう。もちろん、この場合は後者の意味で言われてるんですね。その一言に落ち込み、以降、野獣派と言われるザ・佐伯の画風になったと言われて、展示されていたヴラマンクの作品からは、その影響が伺い知れて、とっても興味深かったです。 そして荻須さん。パリ滞在中の初期の絵は、もろ佐伯風なんだけれど、どんどん画風が変わってきた画家です。佐伯さんと比べると画風が明るいのも特徴ですね。 この企画とっても良かった、 パリに魅了された画家は、数多くいて、この4人だけでは、語り尽くせないとは思うけれど、この4人だけでも、これだけの違いを描かせるパリって街は、やっぱすごいなと、思わずにはいられなかったです。 それに、この美術館、こじんまりとしているけれど、作品の数が、ちょうどいい美術館でした。
豊田市立美術館は、とても好きな場所。建物の造形もそうだけど、何より室内のとても明るくて作品を見やすい。そしてリヒター展、東京に続いて2回目の鑑賞。会場が変わると見え方も変わる。東京よりも、こちらの方が断然見やすい印象あります。でね、やっぱすごいはリヒターさん。作品に圧倒的な存在感を感じてしまいます。ビルケナウ。もう日本では観れないと思うから、何度も何度も見てしまう。そして、作品を作りたくなる衝動に駆られるんです。すごいね。
里親を題材にした映画。ファミリーホームという一軒家で生活している児童養護施設の物語。ファミリーホームは、養育者の家庭に5名から7人の子供を預かる児童養護施設の形。日本では数件しかないそうです。里親制度には・はぐくみホーム(ファミリーホーム)・養子縁組里親・親族里親・専門里親・週末里親こんな種類があるそうです。なんらかの事情で親と暮らせない子供の数は、全国に42,000人。ほとんどが施設で暮らし、里親で暮らす子供は、厚労省の統計データを見ると平成20年度で6,019名。大阪では152名と明記されてました。この数字、どう思われますか?僕は、少なすぎると思ってしまった。里親? そんな簡単にできることではないです。いろんな障害がすぐに想像できる。実際にその行動をしている方が少ないながらでも居て、でも自分は他人事だと思っている。僕と同じ感覚の人が多いのかもしれないですね。少なすぎると思った数字は、自分以外の誰かがやってくれるだろうと思う他人事として見ていることを反映しての数。ちょっと自分が恥ずかしくなった。そんな自分に何が出来るんだろう?里親になられている方へ、適切な言葉が見つからないけれど、暖かく見守る、そして助けてほしい時に、声をかけてもらえるような、そして自然に何かを僕らが与えられるような社会にしなければいけないのかなと、ありきたりだけど。もちろん、親と暮らせない子供達を減らすことも必要なんだろうけど。映画は、今時のテレビドラマ風にお金をかけたセットや演出はありません。だから安っぽい印象もあります。でも、それが逆によかった。ウクライナの近隣の国は、この紛争で国を逃れたウクライナの人達を受け入れてます。日本もそんな国の一つなんだけれど、果たして本当にそうなのか? 架空の話になるけれど、紛争が起こり近隣の韓国や中国から国を追われてきた人達を、僕らは受け入れることができるんだろうか? 日本人が、国を離れないといけない事態になったとしたら、隣国の人達は、僕らを受け入れてくれるんだろうか?飛躍した想像だけれど、そんなことも、考えてしまった。里親として、子供を預かることは出来ないとしても、何か出来ないものか?そういうことを考えさせる映画でした。そういえば、ドラマ「ファイトソング」の舞台も、ファミリーホームという形だったのかもしれないですね。
市のホールの前には、成人式ではなく「二十歳の集い」に若者が、わんさか集まってました。正装するのは節目として、とてもいいことだと思う。高価な服を着る必要はなくて、ジーンズでも、その人らしい清潔感を持って、出席すればいいと思ってます。ただ、どこかの歌舞伎役者ばりの身なりをしたり、目立つだけの装いって、中身が薄くカッコ悪いイメジを持ってしまって、とても滑稽に見えるんです・・。時代と共に、価値観は変わるものだから、ウダウダいうことでもないですね。ただ成人式に、警察官が安全のために警備するっていつから普通の光景になったんでしょう・・。さて映画です。新海誠さんは、この映画で何を伝えたかったのか? 「君の名は」「天気の子」に続く「すずめの戸締り」天災をテーマに、それを映画のバックボーンとする比重がどんどん増してる気がします。相変わらず、水、雨のシーンは、大きなスクリーンで観て良かったと思える出来栄え。反対に人物の描写が、どこか野暮ったくてそっけない印象の絵が多いのも、いつもの新海風ではあります。新海さんが、凄いなぁって思うのは、アイデアの秀逸さ。このストーリーを考えついてしまう創造力には、ため息しか出ない。天災? 人災?新海誠さんって、古風なしきたりや習わしをとても大切にしてると思うんです。映画を見ている客層が、年齢層高めに思えたのも、そんなところが、一因としてあるのかなと。二十歳の集いに出た若者が、この映画を見て、どう思うのか?すごい興味があります。
スラムダンクの映画です。アニメを映画館で見るのは、水の描写がめちゃくちゃ感動的な新海誠か、スケールが壮大な宮崎駿くらい。スラムダンク?大きなスクリーンで観る価値あるかな?と思いながら・・いい意味で裏切られました。めちゃくちゃ楽しめました。スラムダンク、漫画もアニメも未経験。ストーリーを知りません。バスケットの青春もの。名言がいくつもあって、桜木花道って不良が主役。知識はそれくらい。映画の中では、桜木君以外の登場人物や、その背景。人物間の繋がりが、解りづらかったので、そこは復習して、改めて観てみたい。「諦めたら、そこで試合終了」いい言葉です。いろんな意味で、いろんなこと諦めずに続けてみる。大事なことですもんね。おすすめです!!
simodaのエクスプロール40というカメラバックを使い始めてます。普段はシンクタンクフォトのキャリー、ショルダー、ザックの3種類を組み合わせて使ってますが、どんな場面でも適応するカメラバックって不思議とない。機材だけではなく着替えやら旅道具が増えると、いつも悩みます。歩きが多くなる想定だと登山用のザックを使たり。ただ機材の出し入れが面倒なので、レンズ交換やめたってなることも、しばしば。そんな歩き旅用途で、使えるカメラバックです。背面がガバッと開くことや、コアユニットの間仕切りやを変えたり、コアユニットも大小いくつかあって、工夫ができる。なにより、ヘビーな登山用に負けない、腰や肩ののベルト部分が登山用ぽくて、とても好み。重い機材を入れて歩き回っても快適な時間が長く続く感じがします。色味も、カメラザックっぽくないとこが、気に入ってます。
去年の暮れから出先で活用中のMacBookのバッテリが怪しい。MAC史上最軽量を誇る920グラムで画面12インチの2016年モデル。アップルストアで実物を触って、そのコンパクトさと軽さにビビッときて衝動買いしちゃったモノ。バッテリ端子と共用のUSB-Cの外部端子が一個しかない。外付けSSDやらカードリーダーを繋いでる最中に、バッテリ残量が少なくなるとドキドキするけど、この割り切りは大好き。薄さを徹底的に意識したバタフライキーボードは、その頃から圧倒的に評判が悪く。すぐに改良型が出て、それでも不評だったようで今は不採用になるほどの出来の悪さ。ストロークが浅すぎて打鍵感が気持ち悪い。慣れかなと思っていても、他のパソコンを触ってしまうと、なんとも苦々しい感触が毎度蘇ります。でもこの薄さとカッコ良さは無敵です。このMacBookの圧倒的な軽さは、ほんと正義。メモリは8ギガ、SSDは256ギガの低スペック版。モバイル用途でテキスト書き、WEBの閲覧、写真データの保管が主な用途。快適ではないまでもillustratorやPhotoshopのアドビ製品もちゃんと使えます。テザー撮影も、問題ない。スペックが欲しいと思うこともあるけど、大丈夫。途中バッテリ交換をして、7年も使ってることになります。このMacBook、残念ながら最新のOS Venturaに対応されませんでした。僕の使い方ならばOSをアップデートしないといけない理由もないけれど、セキュリティの心配は残ります。新しいM1とかM2のチップを積んだMacBookも気にはなるけれど、僕の用途ならば高性能は求めてない。でもバッテリが持たない問題は、なんとかせねばということで、お守りがわりに電源ケーブルかモバイルバッテリを鞄に入れてましたが、ついに、バッテリーの警告が出ちゃいました。「修理サービス推奨」と。そろそろ買い替えか? 充分減価償却出来た気がしますが現行製品のMacBook Airが、軽さも価格もちっともAirではないので、気が引けてます。バッテリー交換すれば、まだいけそうな気もするし・・。アップルストアに持ち込んで相談したのがクリスマス前。この12インチのモデルは、それ以降、後継の製品が出てないこともあって、いまだ使ってる方が多いらしいとの話。解る気がします。これ、ビンテージモデルという扱いになっていて修理は部品の在庫がある場合だけ可能とのこと。見積価格は2万3千80
あけましておめでとうございます。2023年がやってきました。今年も良いとしにしましょう!!
人と同義語だと思ってた「人間」という言葉。なんで「間」という字を使うんだろう? スピリチュアルな書籍「なまけ者ののさとり方」を読んだ影響だと思うけれど、ふと考え込んでしまった。人間とは、こんな概念を示す言葉だそうです。・人の住むところ。世の中。世間。・人が生きている人と人の関係の世界。・またそうした人間社会の中で脆くはかないさまを概念的に表すことば。・(社会的なありかた、人格を中心にとらえた)人。また、その全体。全ての問題は人間関係に起因すると心理学者のアドラーさんは言ってました。そうであるような、ないような。人と人の間に必要なモノってなに? 「愛」「憎」なんてm想像出来るけれど、調理人ならば料理。サービス業ならば、サービス。執筆かなら、文書。そうも置き換えられる。間に置くモノやコトによって、人と人との関係性は良くもなるし、悪くもなる。一生かかって、その間に入れる何かを探し出して、創り出して、そしてそれを極める。なかなか哲学的なことを考えた、本日でした。
とある雑誌で俳優の石田ゆり子さんの愛読書として紹介されていた書籍です。読み始めて不思議な感覚になりました。普段この系統の本を読まないからかもしれませんが、体がというか、頭の中が、ふわっと広がる感覚。スピリチュアルという系統になるらしいんですが、宗教チックな内容です。・全ては平等である・全ての生き物の基本的な営みは伸縮と拡張・生き物の状態は「スペース」「エネルギー」「かたまり」で表せる冒頭、こんな指摘から始まるので、頭の中はポカーンです。文章やキーワードをきっかけに謎解きの答えが、自分の中でぼやっとみえてくる、そんなイメージ。何度か読み返すと、おそらく捉え方も変わってくるんじゃないかと思いました。18歳の時に、この本と巡り会ってから、何度も読み返しているという石田ゆり子さんは、相当な意識高い系の方なんでしょうね。誰かにとっての良本が、自分にとっての良本とは限らないけれど、これは何度も読み返したくなるという気持ちは、解ります。一度読んでみて、なんだかわからないけれど、理解できた時の自分は、ちょっと大人になれるんじゃないかという期待を抱かせてくれる気がしましたから。ただ、まったく受け付けない人もいるんじゃないかな。というか、そういう人の方が多い気がします。なんとなくですが。
兵庫県は豊岡。ここは冒険家の植村直己さんが生まれ育った場所。そこに植村さんの功績を残した記念館、いや冒険館があります。冒険家を応援しようというスタンスで創られた冒険館。他の記念館や資料館とはちょいと趣が違う気がします。入り口は氷河の中を入っていくイメージでアスファルトの壁で挟まれた緩いスロープを歩きながら館内へ。ここへの訪問は2回目。ちょっと背中を押して欲しいなって思う時に行くと、良いかもって場所です。ここにきて気づいたんですが、植村さんが残した言葉って、とても響くんです。例えば「やったことの大きい小さいではなく 自分の夢に向かってどれだだけ”心”を賭けることが出来たかが大切である」「自分を作ろう。人との競争ではなく、自分しか出来ないものを」こんな言葉を残してるんです。植村直己さんが、どういう人だったのか? 調べて学んで知識が増えるほど、人間臭い人だったんだなと。その人間的な魅力に惹かれてしまう。そんな印象が残ります。それと写真やビデオに残された植村さんの姿。こんなにも笑顔が魅力的な人って貴重だなと。身体からにじみ出てくる笑顔って感じ。すごくないですか?僕は、こんなにも素敵な笑顔を自然とは作れない。一生かかっても無理かもしれない。いや、一生賭けて、こんな笑顔が出来る人になりたいなと思いました。
Amazoneのブラックフライデーで、買い物しました。11月の第4木曜日は感謝祭で、その翌日の金曜日は買い物する人が多くなって、お店が黒字になることから、そうネーミングされてるらしいです。買ったはいいけど到着予定日に、商品が届きません。午前中に到着予定、11時半頃メールが来て、遅れる可能性がありますと・・・。遅れた場合、配送料はいただきませんと書かれてますが、元々無料だから恩恵は無し。買い物した人が、予想位以上に多かったんだろうね。急ぎのモノを頼んだわけではないので、気長に待つことに。結局、翌日届きました。サッカー観戦用の双眼鏡。10年以上使ってたオリンパス製を壊してしまったので買い替え。値引きあって1980円の中国製の激安商品。評価も悪くなさそうでした・・・が、なんともなチープ感。日本語が変だし・・。 使えないわけではないけれど、操作性は良くない。値段の割には頑張ってると思うけど、耐久性はどうだろう?まぁこの値段ですから、まぁいいっか。
ワールドカップのドイツ戦、よくぞ勝ったと思いながら浮かんだことが、メルケルさんは、この試合もパブで見てるんだろうか?ってこと。アンゲラ・メルケルさんは東ドイツ出身の政治家。ドイツ初の女性首相。ロシア語を使い、プーチンに対しても物申す杞憂な存在。オバマとの良好な関係。サミット中にチャンピオンズリーグの試合を観戦するほどのサッカー好き。自宅にはテレビがなく大勢で見た方が楽しいという理由もあってもっぱら観戦はパブ。プライベートは、ほとんど明かさず。演説は下手。超庶民派。そんなことが書かれた書籍をタイムリーに読んでました。「国民が求めているのは、鏡を見つめる者ではなく、問題を見つめる者。自分に焦点を当てないメルケルの政治スタイルは申し分ない。」そうコメントしたのは、メルケル内閣の国防相のグッテンベルグさん。この書籍では、メルケルさんの功績を称えるだけでは終わらず、問題だったことも取り上げていて、読んでても心地よかった。ナチスを生み出した国であるドイツの負の遺産もきちんと受け止めている。課題に取り組む姿勢、その姿勢から出てくる態度、信念や哲学を守りながらも派閥を超えた意見を取り入れる柔軟性。ロシア、中国との交渉の姿勢。プーチンとの交渉の苦労話。シリア難民受け入れ時の人権的な観点から下した決断。ウクライナクリミア半島の紛争を鎮めた功績。ロシアが、執拗にウクライナへ侵攻を続け、現在の戦争が長引いているのは、もしかしたらメルケルさんの退任も影響してるんじゃないかと勘繰ってしまう。プーチンにとっては天敵だったはずだから。とはいえ、ロシアからドイツへ天然ガスのパイプラインを繋げたノルドストリームとか。ドイツの利益を優先した施策もあったり。綺麗ごとだけでは語れない現実的な顔も面白い。こんな政治家、日本にいるんだろうか? 知らないだけなんだろうか?読み終えて沸いた疑問は、メルケルさんは、どんな国にしたかったんだろう?ということ。ドイツを『普通の国』にすることを一つの目標に掲げてたとか。過去の痛ましい負の遺産を背負う東ドイツ出のメルケルさんらしいけれど、それは前進したんだろうか?ちなみに日本の政党は、『決断と実行』『生活安全保障』『日本を前へ』・・というキャッチフレーズです・・・。 ワールドカップで、日本がスペインを破る、ドイツ戦に続く大金星。結果、ドイツは予選敗退に。さて、メルケルさん、どこでどんな心境で観戦してたんだろうか?
寝不足のシーズンが始まりました。サッカー観戦大好き。これだけ歴史があるスポーツ。練習も戦術も、語り尽くされてますよねという言葉を掛けられて唖然としてしまった。いやいや、これほどまでに奥の深いスポーツはないし、いまだに進化もして知らないことも多い。文化の違いからくる日本の常識は、世界の非常識でもある。思想が違うと練習方法や重きを置くポイントも変わる。とにかくこれほど多彩で多様、文化を垣間見れるスポーツって、他に知らない。サッカーに限ったことではなく、極めると何事も奥が深いということだと思うけど。語り尽くされてるというのが一般の人の感覚なんだろうか?その感覚じゃぁ成長も楽しさも味わえないんじゃないだろうね。ちょっと残念。 さて、今夜は日本代表戦。勝ってほしい!!
昔撮った写真を見て、今ならこれは撮らないなって思うこともあるし。ハッとして、そうかまたこの視点で撮り溜めてみようと発見することもあります。どれも自分が撮ったモノなんだけれど、全く覚えてないことも。良いなって思う写真は、その時に感じた感覚や考え方を覚えているものなんです。良いと思う理由は、確実に自分の中に存在してるんですが、難しいのは、それが「無自覚な感覚」も混在しているからだと思ってます。その瞬間は、はっきりと理由を言語化出来なくても、後から説明できるというか、気づくことの方が多いですから。そんな感覚や考え方は、日々様々な刺激を受けて変わってると思うんです。その瞬間の自分では気づけないだけで。撮った写真を見返し、自分が変わったなと感じたり、変わってないなってコトがあることにも気づけたり。写真の技術的なレベルアップもあるだろうけど、この自分の感覚や考え方が変わることに、気づけることが、写真って面白いなと思います。 美術史では、だいたい若い頃から晩年に描いた絵の変遷と、その画家に起こった歴史を重ねて語られます。写真も同じなんですね。
ふと知りたくなって、読み始めました。難しいかと思いきや、分かり易い。でも内容はとても深いです。電車の中から写真を撮ってると、遠くは止まってるのに、近くが流れる。この不思議な光景に、魅了されてずっと取り続けてますが、化学的な知識は皆無。時間の速さは、どこでも同一ではないということ。地上から離れるほど時間は速まるとか。重力や移動速度、そんな環境の変化が時間に影響すること。目から鱗の知らない知識が満載でした。こんなの学校で習ってないね。いや習ってるかもだけど、覚えてないです。世の中知らないことだらけ、とっても面白い。
小説家志望ですと自称する人との会話。「今はサラリーマンだけど小説家になりたいんです」「凄いですね、どんな小説を書かれてるんですか?」と僕。「まだ書いてません。頼まれたら書こうと思ってます」と真顔で話す彼。そういえば、会社でのこと「企画の仕事をしたいんです」とある社員「で?どんな企画したいの?」と僕「仕事させてもらいながら、学んで考えます」とある社員。サラリーマンって気楽でいいなと思ったという話。でも、お金もらって学べるなんて場所は、会社ならではなので、その特権は生かせばいいと思う。とあるシステム開発会社に、プログラミングをやったことがない人が、入ってくる。未経験可としているので、当然といえば当然かもしれない。この職種、経験から言うと、プログラミングって、誰もが適性がある職業ではないです。ある程度までは、確実に仕事はできます。でもそれは、誰かが作ったものの模倣の範囲の話。それでもついていけず挫折する人はいます。本気でプロのプログラマーになりたいって人は、クリエイティブな領域の仕事がしたいんだろうと思います。そんな仕事を、ほんとにやりたいなら、学生の頃に自分で試してると思うんです。巷にはプログラミングの情報なんて溢れてるし。衝動が抑えられずにやっちゃうと思う。まぁそういう人は、技術力の高い、それなりの会社を選んでいると思うけれど。でも、とりあえずやりたいという人を寄せ集めて出来る技術の仕事ってなんなんでしょうね。 教える現場が大変になって、かつ全体のレベルが落ちてくる変な図式になってることに気づけていないのもとても怖い。そんな緩い世界でも生き延びていけるんだから不思議な世界です。でもそんなところと一緒に仕事をしたいとは思わないのも事実。時間って無限にあると錯覚するのは若い頃だけ。小説家になりたいなら小説書いてみる。プログラマーになりたいなら、コード書いて動かしてみる。やりたいことが、あるなら、まずはやってみる。カメラマンになりたいなら、写真撮ってみる。簡単なことだけれど、写真撮らずに、写真が上手くなりたいんだと言う人、多い気がします。
まとまった休みを取って鹿児島へ行ってました。ロシアによるウクライナ侵攻のニュースを見るたびに、紛争とはなんだろう?って考えることが多くなってました。個人的な小さな争い。集団によるいじめや差別。利権に絡むこと、肌の色、人種、思想、価値観が違うことでも起こる紛争もある。互いの違いを認め尊重し、多様性を認めあうことを良しとする社会は、遠い世界なんだろうか。ロシアによる暴挙を誰も止めることができない。信念を貫くことで対立は起こるのは、時代が教えてくれること。主義主張が異なる時は話し合いで妥協点を見つけるしかない。話し合いが叶わない時はどうするのか?妥協点を見つけられない時には、どうするんだろうか?答えが見つかるとは思わなかったけれど、ふと特攻隊のことが浮かんだんです。特攻隊の基地があった、鹿児島の知覧と鹿屋に行ってみたいと衝動的に思ったんです。特攻で犠牲になった方の行動や言動を資料を通して見てきました。終戦から既に77年が経ってます。あの頃は、命は国に捧げるものだという価値観が主流。それを疑うことすら許されなかったということ。あの頃は誰も日本政府の暴挙を止められなかった。教育ってなんだろう?戦争がダメだということは皆、理解してる。戦争はやっちゃダメだと、未来へ伝えるための努力はしている。 では、その暴挙が起こった時に、どう止めればいいのか?声を大きくして世論を味方にすること?とても時間がかかる手段だけれど、それしかないんだろうか。ほんと考える事が多くて、頭がとても疲れた旅行だったです。一刻も早く、ウクライナが平和になりますように。
空港の書店で一押しの書籍でした。効率優先、いかに早く、いかに多くのことを達成する術を伝えるビジネス本とは逆行する内容。・人生は4000週間(80歳まで生きるとして)しかない・人生に限りはあることを認識する・時間をかけることで、見えること、出来ることがある・便利になることでストレスになることもある・計画を否定はしないが、未来は誰にも解らない・今を生きよう 今を楽しもうそんな感じですね。未だに、これ一冊読めばライフワークの基本は解ると思っている「7つの習慣」 僕はファシリテーターのライセンスを持つほど、内容に共感してます。人生の最後に人としてどう思われたいか? そのためにどうする? 忙しい中、それを達成するためのタスクの優先順位の付け方や、どう考えるべきかの考え方が身につく最高の良書だと、未だに思ってます。とはいえ、全てを実践することはとても大変。やってもやっても終わらないという現実に疲れた時に、7つの習慣のような、ポジティブ系は、かなり鬱陶しい。そう思うこともあります。場面場面に応じて、アレンジしながら、取り組むことが必要なんだろうなと思ってます。この書籍「限りある時間の使い方」に書かれていることは、もっともっとタスクを削ぎ落として、効率的なベクトルとは真逆な考え方も、あるぞという指摘には、とても共感。人生最後にどう思われるかよりも、限られた時間の中で、何するのか?どう考えればいいのか? ふむふむとうなづけること多数でした。タスクの断捨離ってことなんだろうと思います。SDG’sな生き方って、タイトルが浮かんできた、そんな本でした。
一週間、神戸で仕事天候が、ずっと優れずだったけど仕事は順調に終了この海の近さは魅力的です
やることなす事がうまくいかず、心身ともに疲れきってた時、帰る機内から見えた、空港スタッフの方のお見送り。その時の精神状態も、あったんでしょうけど、じんわりと染みてきて、泣きそうになったというか、泣いてました。車の販売店や美容室など、お客さまが見えなくなるまでお見送りをするのを、見かけることもますし。そうされることもあるけど、ちょっとやり過ぎなんじゃないかなって思うことも多いです。お店を出るときに、「ありがとうございました」って顔見て言われると気持ちいいけど、顔を上げる事なく、機会的に言われちゃうと、どこかしらけちゃう。最低限のお見送りの形があって、さらに、やり過ぎだと思われないちょうどいい形って、シチュエーションによって変わるって事なんでしょうね。旅って非日常感があって、飛行機や長距離フェリーって、僕にはその象徴みたいなイメージがあって、その土地の人に見送ってもらえるって、なんだかいいなってずっと思ってます。あのメンタル的に落ち込んでた時に、また頑張ろうって気持ちも連れてきてくれますから。
幣原喜重郎生誕150周年記念門真市が生んだ、平和を願う総理大臣がいた。演劇&クラシック音楽で語る生涯関西フィルハーモニーと演劇のジョイントが面白そうだと思って観てきました。当日券3500円也。会場は、地元の大阪は門真市のルミエールホール。どこでこの講演のことを知ったのか?客席1104席の7割くらいは埋まってる印象。遠方からはるばる来られた方もいるとか・・・。演劇の作品は、大阪は門真出身の総理大臣、幣原喜重郎さんの物語。「しではら」と読みます。この方、全く知らなかったというか、近所に銅像があって、誰これ?って思ってた謎がこの講演のおかげでスッキリ出来て良かった。この幣原さん、外務省時代に、仁川、ロンドン、オランダ、釜山に在住。英語が堪能で戦時中も戦争にはずっと反対だったとか。終戦後のアメリカの統治下時代に総理になった方。戦争放棄を唱え、憲法第9条の起案をした人とも言われてるらしい。らしいというのは、幣原さんは戦争、武力を放棄する考えはあったけれど、憲法に明示するまで想定していなかったという説があるらしいから。そのあたりは、学者さんにお任せするとして、劇中では、幣原さんが、言い出しっぺで制定されたというニュアンスで演じられていました。ステージは、とても質素。ステージ後方は、関西フィルのオーケストラ。その前方の何もないステージで演技がされ、スポットライトだけの演出。る演奏と演技が交互に、また重なりあう様に進行していきます。オケの何とも言えない耳にスッと入ってくる心地よさは生演奏ならでは。関西フィルって凄いんだと思う。普段聞き慣れないこともあるけれど、こんなに身近で一流の演奏を聴けるのは、とっても贅沢。役者さんは、幣原さん役が要冷蔵と書く、「かなめれいぞう」さん。NHKの連ドラなどにも出られているそうです。イギリス滞在中の幣原さんの恋人役として高瀬真央さん。など総勢10名ほどでしょうか。役者さんたちの声量って凄いですね。マイクを通してると思うけど、すごい迫力に圧倒されてしまった。嬉しいとか、怒りの部分で、声が大きくなるのは解るけれど、悲しい場面で、あの大きな声量で、悲しさを表現出来ちゃう役者さんの凄さにびっくりしてました。演じるってすごい。なんでも、この講演は、本日一回限りらしい。幣原さんの功績を、こういう形で表現する、とても貴重なモノを見せてもらった気がします。また観たいと思ったナイスな講演でした。最後ね、アンコール
「ものの語りに目をそばだてる」 入江泰吉記念 奈良市写真美術館太田さんの個展です。太田さんは、僕の写真にアドバイスをいただている師匠的な存在。とても温厚な物腰なんですが、いつもハッとさせられ、そして次への指針のヒントを与えていただける言葉の重みがとてもがありがたい、尊敬している方です。作品を写真集では見てましたが、プリントをじっくり観るのは、初めて。正直に書きますね。とても不思議な感覚になりました。全ての展示作品を観ての一貫した感想です。太田さんの写真には、風の流れを感じないんです。写真を見てこの感覚になったのは、多分初めてです。風化という言葉があります。風がその物の形を薄めていくという言葉。この感覚が太田さんの写真には感じなかった。むしろ逆で、形や想いを際立てている感覚がありました。これは、なんなんだろと。人物を撮ってはいないけれど、その気配が、濃厚になる。そんなイメージ。太田さんのお父さんが、書かれた日記の写真を作品化した「父の日記」僕は辛かったです。読み進めることが出来なかったけれど、想いはなんとなくわかりました。僕の親父も、日記を書いてました。亡くなった直後に少しだけ読んだことがあります。僕ら家族に残した言葉を見て、親父の凄さと優しさをしっかりと受け取りました。でも病床での苦しさが書かれていないこと、それを知っているだけに、それを表に出さなかった凄みを感じて、今も、それ以上読めてません。太田さんが、大切なお父さんの日記を、表に出した意義。作家としての覚悟を突きつけられたようで、これからの僕の指針になりそうです。太田さんが「ものがたり」と、モノが語るというテーマにしたこと。「ものの語りに目をそばだてる」という言葉を添えたこと。なるほどなと頷いてしまった。深い。まさにそうだなと。太田さんの視点は、モノを見るという行為の中に、過去を見る。それが太田流の哲学なのかなと。一枚一枚の写真ではなく、写真を束で見たときに感じる、この奥行きは、重ねた覚悟や年輪からくるモノなんでしょうか。生意気ですが、こんなこと感じながら鑑賞してました。写真に残すという作業。とても深いことだと、改めて感じてます。ギャラリートークに、仕事で行けなかったこと、ほんと残念。 とても深い感慨が残る展示会でした。
友人の中国人留学生である、汤泽洋さんの初個展。中国人留学生の生活を知って欲しいと取材を重ねた記録写真です。写真は、中国人留学生のポートレートと、居住空間を上から俯瞰したものの二本立て。撮影途中を知る者として、とても感慨深い。写真のグレードが上がる過程も然り、個展としてどう見せるか?表現の試行錯誤も知っているので、妙に感情移入して自分の個展のようにドキドキしながら見てた気がします。とはいえ動画ではなく静止画でそれを実現した試みは、特筆すべきだと思います。個展会場で、写真を眺めて感じるのは、覗き見感。ふと弁当箱が浮かんでしまった。 他人の弁当って、まじまじと観れないんです。観たいけど見れない。というか、まじまじと見てはいけない気がして。そこにはプライバシーが、存在しているような気がして、僕は見れない。なんだかそれと同じ感覚を持ってしまった。人が、生きていく上で必要な、衣食住。なかなかそのありのままを知ることって出来ていないことに気づきました。この個展は、見ちゃいけないものを堂々と見れる、この不思議な感じを味わえて単純に面白かったし、皆に、お奨めしたい個展でもありました。中国人留学生の実態って、日本人と変わらないし、それを僕達日本人は、もっと知るべきだなとも。この個展、観るポイントによって評価は二分する気もします。作品の本質ではない、作品としての展示方法。額装や、パネル貼り、プリントを直貼りすることに対する価値観。僕は額装することで作品のグレードが上がることも実体験として経験しているので、額装前提で展示を構成する派です。ただ写真や表現する内容によっては、プリントをテープで貼るという、多分邪道だと言われる展示方法も、僕は肯定的に見てます。限られたコストの範囲で、最大のパフォーマンスを発揮できるようにすればいい。その範囲で納得出来なければ、コストが調達できるまで、やらないという選択肢もあるだろうとは思います。でも、それは作家が決めれば良いことで、僕がとやかく言うことでもないかなと。作品をみて感じることとと、作家がどう伝えたいか?が完全にイコールにはならない。むしろ、余白を作り出して鑑賞者の気づきを促すことの方が重要ではないのかなと。SNS的に消費される写真と、そうではない写真の境界って、どこにあるのか?これも主観や客観論が入り混じり、誰もが納得する定義なんてないんだと思ってます。名作と言われる作品でも、観る人によっては浪
そっかアートって、こういうこと言うのねってお手本みたいな展覧会でした。お目当ては、「ビルケナウ」第二のアウシュビッツと言われたアウシュビッツ近くの強制収容所の名前がついた作品。リヒターは制作の背景をオープンにして、世界観そのものを作品に押し込めることをよくやります。このビルケナウもそう。展示会場では、作品の説明はありませんが、ヒントはありました。作品は4枚組の作品が3組で構成されています。一つ目は、絵画そのものの4枚組。二つ目は、絵画を撮影し絵画と同じ大きさにプリントした4枚組の作品、 絵画作品と向かい合う形で展示してました。そしてもう一つは、ビルケナウで撮られた写真、4点この三つの構成から読み取るのは、相当な想像力の持ち主でないと辿り着けないと思うんですが、リヒターは、その制作過程をオープンにすることで鑑賞者の想像を補完し、作品に深さを与えようとしているんだと思います。リヒターは、ドイツの現代作家であり、東ドイツ出身。世界中で語られるユダヤ人に対しての残虐な行為を行った強制収容所。日本人にはアウシュビッツが有名だけれど、ドイツでは、ビルケナウという名前は、多分、相当重く受け止められていると思う。作品の制作過程は、その残虐な行為が行われていた時代に、ビルケナウで撮影され4枚の写真を、一枚ずつキャンバスに描くことから始まります。描かれたものの上から、リヒターは、絵の具を重ねていく。何層も描かれるうちに、最初に描かれた、写真の模写した形は、全く解らなってしまう。展示された絵画は、その作品の制作過程を知らなければ、決して、この絵の下に、ビルケナウで撮影された情景が書き込まれたことは、全く解らない状態。そんなビルケナウ。背景を知らずに観た人と、そうではない人の、捉え方の違いは簡単に想像できると思う。僕は、雑誌で、その背景を知った上で鑑賞しました。もう絶句でした。この4枚組、三組の作品群は、ビルケナウで起こった、残虐性も、人の怒りや悲しみ、いろんなものが内包されているように見えて、凄く、苦しくなった。こんな感覚を美術館で感じたことがなかったので、新しい感覚でした。リヒターの作品に、写真の上から絵の具で描き足すという手法の作品があります。このビルケナウも、考え方としては同じベクトル。突然、こんなことをやってもあれですが、表現のアイデアとしては練りに練られてるんだと思います。このビルケナウもそ
岡本太郎と云えば、大阪は万博記念公園にある「太陽の塔」。それに渋谷の駅にある、「明日の神話」を思いだします。 これだけの作品を観ても、次から次へと好きとか嫌いとかそんな陳腐な言葉を、ばさっと押し退けてしまう絵力が凄いと思う。パリでピカソの絵を見て影響を受けまくったとい通り、和製ピカソです。最初は真似だったのかもしれないけれど、ちゃんと本物になれるんですよね。絵を見るとグッとくるものあります。赤の使い方が、ほんと好き。大人よりも子供達に見て感じてほしい展覧会でした。
阪神淡路の震災で自宅が傾いてしまって、その後、仕事場へのアクセスを考えて、この街に越してきて20年以上。だけど、この街のこと知らないことに今更ながら気づいてます。撮りたいと思うと、知りたいと思う。この感覚があると、写真が撮れる気がします。いつものことですが。
パナソニックさんからマイクロフォーサーズのカメラを2台(GH5M2、GH6)お借りしました。作品撮りにはパナソニックのフルサイズ機、LUMIX S1RとS5を活用中。最近は8割くらいこの2台で撮ってます。とはいえ普段使いは、軽くて小さくて機動力の高い、マイクロフォーサーズのオリンパスのE ~M1Mk2を併用中。マイクロフォーサーズは、安くてナイスな描写のレンズも豊富。マクロ並みにどのレンズも寄れるし、被写界深度が深い分ピント合わせも楽。手ぶれ補正もすごい。それにカメラって持ち出すことが億劫になった時点で、心が離れてしまう気がするので、マイクロフォーサーズ最大のメリットである軽さは、最大の魅力。パナソニックのマイクロどうかなって興味もあって、今更ですがお試しさせてもらってます。GH5M2は2021年6月。GH6は2022年3月に発売されている現行モデル。まず最初の感想は、デカい・・です。マイクロフォーサーズのコンパクトな売りは、どこ?って感じです。レンズ含めたシステムの小ささや軽さのアドバンテージあるんでしょうけど、オリンパスに較べると、かなりでかい。フルサイズ機のS5よりも大きい。いやはやびっくりです。このカメラはお気楽な普段使いのカメラでは無いということでしょうね・・。オリンパスとはそもそも思想が違うんでしょうか。女流一眼とか言ってた頃のイメージはどこに・・。オリンパスのカメラは、えっそんなカメラで撮るの?って痛い視線を感じることがありますが、パナのマイクロって大きさ的にはフルサイズですもんね。ハッタリは効きそうです。デザインはGH5M2の丸っこさとスッキリ感が好きです。今風のデザインではない小ぶりなボタンも良いです。GH6は背面に冷却用のファンの吹き出し口や液晶の出っ張りが気になります。全体にゴツゴツして無骨な感じは悪くはないけれど後ろ姿はカッコ悪い。ボタンは大きめで操作性は良さそう。形から想像出来るように握った感じもだいぶ違います。GH6はグリップの高さがあってしっかり持てて、プロの道具って感じ。GH5M2の浅いグリップは、巷で言われるほど悪くなく、丸っこさもあって手に優しい感じです。女流一眼の雰囲気残ってます。見た目と触った感じは、GH5M2の方が好きですね。一日使ってみても、この印象は変わらなかったです。でも撮影してみると印象がだいぶ変わります。背面のボタンの位置が微妙に違い、GH5M2 のAFのグリ
値上げの連鎖が止まらないですね。飲食店の話ですが、お客さんがコロナで自粛することに加え、原材料や光熱費の価格高騰で、コストが跳ね上がり、価格を見直す店も多いと聞きます。価格据え置きだと思ってたら量が減ってたり。ステルス値上げって言うらしいです。ナイスなネーミングだなと変なところで関心してました。さて、飲食のコストって、どこまで削ぎ落していいのか?仕入れ価格は高騰するうえに、遠のく客足に、廃棄率もあがって、踏んだり蹴ったり。味を落とすことは店の信用を落とすことなるからやらない。そんなお店ばかりだと思ってたら、そうでもないようです。とある焼肉屋さん、明らかにグレードが落ちました。値段はそのままなんだけど。美味しくないんです。いつもの美味しさが消えてる。明らかに肉のグレードが落ちてました。次回からは自然と足が遠のくだろうなと思うと、今までの美味しさを知ってるだけに残念。とある蕎麦屋さんは、価格据え置きで大盛り無料を継続中。この状況でも繁盛してる人気店。しかし、ここ何度か食べてみて、基本である「ざるそば」が美味しくない。熱さのせいなのか? 価格高騰のあおりを受けて、なにかが変わったんだろうか? なにか手を抜いてるんじゃないか? いろいろと勘繰ってしまいます。美味しいものを食べれると思って出向いたお店で、がっかりしちゃう。なんだか増えてる気がするのは、気のせいですかね?色々とこの国は、変わりだしてるのかもしれない。悪い方に。
アコースティックギターを見ることが好きです。高校の入学発表の日、受験番号があることを確認すると、親から入学祝いにもらった3万円と貯金を握りしめて、大阪は心斎橋の三木楽器へ。店員さんに「弾いてみますか?」って聞かれた、触ったこともない憧れのギター。恥ずかしくて首を振りながら、買い求めたそのギターは、ネックやペグを交換したり、修理しながら今も使い続けてます。 久々にメンテナンスのために楽器屋さんへ。店に入った途端、飛び込んできた、ギターだらけでの景色。とっても好き。 中古を扱うカメラ屋さんで、ずっと見てる感覚と同じですね。デジタルカメラになってしまって、カメラはメンテナンスをしても、劇的に何かが変わるわけではないけれど、ギターはメンテナンス直後から、音色や、弾きやすさが微妙に変わって、その変化も楽しい。メンテしてもらったギターが、良い感じになって、密かに喜んでます。
山下達郎の最新アルバム「SOFTLY」を取り込もうとノートパソコンを開けたら、挙動がおかしい。HDDが動く音が聞こえるものの画面が真っ暗・・。その後、プシュンと落ちる。これを何度か繰り返したあと、古い古いwindowsのノートパソコンは、動かなくなってしまいました。あらら。ほぼMACで作業するので困ることは無いんだけど、iTunesだけ、このレトロなwindowsマシンを使ってたんです。そのうちと思いながらバックアップを、さぼっていたツケが突然ややってきた感じ。ちなみに仕事の書類や写真、動画は、二重に保管するワークフローにしているので、iTunesのデータだけが・・。それにCDからの復旧は可能なので、リスクマネージメントは出来てるということで・・負け惜しみです。もう寿命かなと思うパソコンは諦めて、HDDを取り外し、外付けストレージとして試してみるとちゃんと読み込めるので、一安心。音楽ファイルをMACで管理しようと調べてみた。MACでは、もうiTunesのアプリ機能が、「ミュージック」というアプリに移行されてます。取り外したHDDからミュージックアプリへ移行を試みるも、なぜかうまくいかない。音楽ファイルそのものはOKだけど、索引部にあたるファイルが「ミュージック」で認識してくれない。調べる時間がなくなってしまったので、HDDからの移行は後回しにして、すぐに聞きたい数枚のCDを読み込んで、iPHoneに同期して一旦終了。今時はダウンロードが主流みたいですが、音楽はCDとして購入する派。置き場所の問題でかなりのCDを手放したので手元には厳選した好きなCDだけが残ってます。300枚ほどでしょうか。復旧の方法を調べるのが億劫になったこともあるけど、この際、HDDからの移行は辞めて気長に好きなCDだけを読み込ませてみることにしてみました。CDのジャケットやら、ライナーノーツを眺めてると、いろんな感慨に耽り、買った当時のことを思い出したり、少しずつ少しずつ夜な夜な果てしない作業を繰り返して数日、やっと終わりました。さてHDDを剥ぎ取られて、ただの箱となってしまったノートパソコン。市のごみ処理場では処分してもらえず、ネットで探し当てた身近なリサイクル業者が、本日引き取りに。これでwindowsのノートパソコンは、我が家からなくなりました。iPhoneから山下達郎が流れてます。山下達郎の「SOFTLY」聞くと、長らくお世話になっ
持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals:SDGs)これだけ巷に溢れる単語もすごいなぁって思うけど、ちゃんと解ってる人ってどれだけいるのか?正直、僕もわかりません。SDGsの取り組みが書かれたもの、チラ見してみました。2015年の国連で採択されたもので2030年までに達成すべき17の目標を掲げたものらしいです。環境問題にフォーカスしているイメージがありますが、「貧困、欠乏をときはなち、地球を守る」ことが目的のようです。つまり貧困の解消も重要なテーマでもあるようです。これを「経済」「社会」「環境」のバランスを保ちながら、行動を進めると。宣言の部分には、こんな記述もありました。安全と安心:恐怖と暴力のない世界にすると。これを採択した国連は、ロシアのウクライナ侵攻を止めることが出来ません。国連は、呼びかけだけで、全く機能していないとは、よく言われることですが、その通りなんでしょう。チラ見レベルだけど、このSDGsの開発目標は相当広範囲に渡っていて、全ての人を意識した内容だとも取れます。でもなぁ結局、SDGsって誰のためにあるんだろう?選挙の時に、やたらと登場する、マニュフェスト?と変わらない気がしてきた。国連は一種の政党なんだろうか?2030年、世界はどうなってるんだろう?日本人の所得は上がってるんだろうか?最近は、いろんな物の値上げが凄まじい。カメラ機材の価格も値上がり中。SDGsって、そんなこと改善してくれないんだろうね。
戦い、そしてつながる」隆祥館書店の70年 木村元彦著日本サッカー育成の功労者今西和男さんを描いた「得は個ならず」。日本のサッカー協会の組織としての不条理に人生を翻弄された自伝。ノンフィクション作家として圧倒的な取材力と本質を見事に捉えた骨太のこの作品を読んで以来、木村元彦さんという作家は、僕の中では特別な存在。オシムさん絡み、大分トリニータ社長の溝畑さん、木村元彦さんのサッカー関連の書籍は、ほとんど読んでます。そんな木村さんが書かれた闘う小さな書店のドキュメンタリー本。この隆祥館書店は、谷町6丁目にある小さな本屋さん。先日イベントでこの書店を訪れ、この書店の存在、この書店店主の二村さんを知り、そしてこの本の存在を知りました。この書籍、二部構成で、一部は小さな書店が振り回される出版業界の理不尽な仕組みに真っ向から奮闘する隆祥館書店の姿。二部は、すでに200回を超える活動となった、作者を招き読者との集いを開催した、数あるトークイベントの中から4回分を紹介。巻末には、トークイベントの一覧が紹介されてます。これ、良質な本を読むためのガイドに仕上がってます。読み進むにつれ、この本を読んでなかった自分が恥ずかしくなりました。実績ではなく書店のサイズで配本数が決まる仕組み、ヘイト本が街の本屋さんに多い理由。出版業界の理不尽な仕組み、腹立たしさを通り越して、未だにこんなことがあるのかと唖然としました。書店で宣伝した本が、必ずしも書店では買ってもらえないこと。少し想像すれば解ることだけれど書店経営の過酷さが痛切に知れます。さて書店は、どうやって本を売ればいいのか? 本ってどこで買っても同じもの。本のストーリーや書かれてることが変わることはない。図書館に行けば無料で読める。リサイクルショップやメルカリで安く買える。ネットでポチッとすれば翌日に届く便利なAmazon。電子書籍なんてものまである。リアル書店で買う理由ってなんだろう?僕は、お店の方と話が出来るカウンターのある飲食店が好きです。スーパーよりも市場が好きなのも同じ理由。今日のおすすめは?って聞いてお願いすることも多いし。お店の人がすすめてくれるケースもある。学生の頃、バイトしてたチェーン店の本屋では、本に囲まれた空間が心地よくて長く働かせてもらいました。お客さんから声をかけられるのは「この本ありますか?」ってことくらい。「面白いお勧めの本ってありますか?」なんて聞かれたこと
大阪は九条にある、小さなギャラリー「GALLERY SAGE」。このあたりは町工場がいくつもあって、このギャラリーも元は町工場だったそうです。僕の個展を観にきてただいた縁で知り合った佐々木さんの個展、楽しみに見させていただきました。 佐々木さんは今単身で福井で仕事をしているとのこと。個展ってやると見るでは大違い。さぞ準備が大変だったでしょうね。 鉄道好きな佐々木さん。大阪環状線を軸にスナップ撮りをされた作品群です。スナップ上手いなぁと言うのが第一印象。僕はスナップを撮る時には、デザイン的なバランスを意識して構図を決めます。多分、佐々木さんも僕と同じような意識で撮ってる気がします。一枚一枚の写真が、とっても落ち着いて見れます。そして綺麗です。ただ全体を見渡した時に、どこか優等生的に感じてしまったんです。一枚一枚が、独立しちゃってる印象というか・・。この正体はなんなんだろう?と。佐々木さん自身も言われてたことなんですが、もっとテーマを絞り込みたいと。写真を組み合わせた時に、どこかバラバラなイメージを持ってるようなんです。僕が感じたのも、そんな所から来たのかもしれません。でも僕はそれが悪いことだとは思ってないんです。そういう見せ方もありだと思ってますから。良い悪いは作者が決めること。だから写真って面白くて難しいんです。大阪環状線からの車窓風景も僕は作品にしてます。その時に感じた環状線独特の風景。雑多な感じの他に、面白いなぁと思ったのは、明るい部分ではなく暗い部分。汚い部分を隠そうとしない街並みに、大阪を感じて興味が湧きました。佐々木さんが見ている視点には、薄い部分かもしれませんね。恐らく、とても優しい人だと思います。ギャラリーを後にして、車の中で考えてたんです。写真って撮り続けると変化が起こるんです。自分の感じ方や考えが変わることで自然と起こる写真の変化です。次の佐々木さんの変化を作品を通して見てみたいと。そう思うと不思議と俄然自分も頑張らないとって撮影意欲が湧いてきました。明日から梅田の歩道橋歩いたら、佐々木さんの雨のスナップ写真思い出すんだろうなと。良い刺激を受けた良い展覧会でした。
LUMIXのS5を手に入れました。S1Rの操作性と画質のよさに魅了されLUMIX良いぞって一人で盛り上がってます。もっと気軽にバンバン撮れる画素数が少な目のサブカメラが欲しくなって手に入れたんです。S1Rに比べると、とてもカジュアルなカメラという印象ですね。撮ってて楽しいのはS1Rだけど、S5から出てくる絵もS1R同様気にいってます。色味の感じは同じ味付けで、使いやすい。ただ買ったのはいいんですが、本体と同時に予約した追加のバッテリーがずっと在庫無し。ネットで調べたすべてのお店が在庫なしの状態。S5のバッテリは販売好調な新機種のGH6でも使えるらしいので、その影響だと思ってたら、バッテリの原料が不足してるとか・・、電気自動車人気でとか、ウクライナの影響とか・・。いろんな噂が聞こえてきました。でも他メーカーのバッテリーは、普通に買えるようなので、多分GH6の影響なんでしょうね。真実は解りませんが・・。互換品のバッテリの値段も、恐ろしく値上がりしていて、もう待つしかないと。ただ予備バッテリーの無い状態で、実戦投入はとっても怖い。これだけのことだけど、S1Rとバッテリが共通で使えるS1にしとけばよかったかなぁと、思うこともありました。その待ちに待ったバッテリが、やっと到着。長かった・・。
東京オリンピックの公式記録映画です。選手目線のSIDE:Aは、見れてませんが、SIDE:Bを先に観てきました。噂通りガラガラ・・。10年後に見た時にどう感じるだろう? 時系列の展開はせずに、いくつもの出来事をフラッシュバックのように展開。それもナレーションもなく淡々と。観終わってからも考えさせる、いい映画だなと思いました。日本人なら、知ってるだろう、あれやこれが出てきません。国立競技場のデザイン問題、公式ロゴのパクリ疑惑、高コストな大会費用の問題。選手村の食堂の廃棄問題。競技場の開催場所の問題。ボランティアが集まらずお金が動いたとの噂。大会後の建物の活用問題は未だ解決してないようだし。こんなに望まれないオリンピックは無いという声の数々。このあたりは触れられてませんが、なぜか観てる途中、観終わった後に浮かんでくるんです。森会長のジェンダー発言問題、肯定的に切り取る配慮が見られる部分は、映画の賛否に関わる部分でしょうか。演出に関わる担当者の交代、実質的に降ろされた狂言師の野村萬斎さんの、なんともな表情は、いろんなことを想像させます。国立競技場の芝生の設置、選手村の食堂の運営、女子バスケ会場(3オン3?)の会場設営。裏方で働く方の言葉とプロ意識を感じる仕事ぶりは、きちんと描かれていて好印象。天皇陛下、バッハ会長、森会長、小池都知事、政治家の方々、いわゆるVIP層のシーンは、これまで映像で観たこともないシーンが出てきます。ほんと色んな問題が起こってたことが解ります。こんなにもてんこ盛りのオリンピックをまとめ上げた監督の苦労は相当だったんだろうなと想像します。オリンピック公式のドキュメンタリーということで、不都合な部分は描けないと思ってたけれど、ギリギリのラインで出し切った感じですね。公式の冠を外すと、どうなったのか?はとても気になります。 東京オリンピックそのものの捉え方で、この映画の賛否が変わると思います。オリンピック完全否定派にとっては、こんなつまらない映画はないと思う。肯定派であっても、不満や苛立ちを感じたポイントはそれぞれでしょうから、そこが映像化されているか否かでも評価は変わってしまうだろうし。記憶は風化します。この映画で語られなかったことが後世に伝わらないとすれば、とても惜しい。この映画は、オリンピック開催を肯定する目線で描かれてる気がします。その中で数々の困難がありました。それを乗り越えてやり遂げた記録映
Wikipediaによると:フェミニズム(英: feminism)とは、女性解放思想、およびこの思想に基づく社会運動の総称であり[1]、政治制度、文化慣習、社会動向などのもとに生じる性別による格差、性差別に影響されず男女が平等な権利を行使できる社会の実現を目的とする思想または運動である。男女同権主義に基づく、女権拡張主義、女性尊重主義である フェミニズムってなんですか?って書籍の発刊イベントに誘われて本は未読の状態で参加させてもらいました。大きな流れとして一般的に、男尊女卑という思考は、ダメなことだという風潮は既に確立してると思う。でも発言されている女性の声を、聞いていると、「そうは言うけど、そうはなってないよね。例えばこんなことが・・」というコメントの数々。そもそもフェミニズムってなんだ?ってところから始まるんだけれど、著書の中では、こう定義してます。その1 改革の対象は社会/文化/制度であると認識することその2 あえて空気を読もうとせずに、おかしいことをおかしいと思う(言う)こと。その3 フェミニズムは、あらゆる女性たちのものであると認めること。その1の改革対象は・・で僕はポカーンとなりました。僕は、フェミニズムの定義を誤解しているようです。既に完結している事象ではなく変化を促す動的なアクションを起こすトリガーとして定義されているんだと解釈。それからは、以降の話がスッーと入ってきました。つまり、女性であることで被る不条理や矛盾を、全ての女性が解決出来る仕組みに変えていこうと。そんな視点です。イベントは二時間。著者の清水晶子さん、このイベント会場の主である小さな街の本屋「隆祥館書店」の二村知子さん、この方は元シンクロの代表選手。それに翻訳家でライターそれに僕の友人である実川元子さんが聞き手となって進行する豪華なトークセッション。いやはや面白かったです。聴きながら思った僕の主観はこうです。女性であることで被っていることは、男の僕には、とってもわかりづらい。狩猟民族は、男性は狩に出て、女性は家を守る。戦争もそう。時代が変わり、女性が仕事をすること、男性が家事をすることは、もはや不思議なことではない。けれど思想や制度が、それに追いついていないことは、その環境ではない人には理解しづらい。それと同じなんだろう。そもそも、こういう問題、男性にはないんだろか? 男性であることで被る不条理ってなんだ? 男なんだ
「正体」つてWOWOWのドラマを見始めた。死刑囚が逃走するというところからスタートするドラマ。まだ一話しか見てませんが・・。タイトルの「正体」は、多分、この主役を中心に人の正体ってなんだってことからネーミングされたんだと思う。この「正体」て言葉、良い意味のニュアンスよりも、どこか悪いニュアンスが含まれるイメージがある。では良い意味につながる言葉ってなんだろう?と、考えると「素顔」って言葉が浮かんだ。日本語を母国語にするからこそ、わかる微妙なニュアンスだと思う。日本語って言葉。日本人の僕は、「僕の母国語」っていう方が好きだなと思いました。
西宮市大谷記念美術館怪しげなニュアンスの言葉ならば、「鬼界」「奇怪」としてしまいそうなのに「奇界」です。これ辞書にないので、世界に散らばる奇妙なモノって連想できる造語ですね。 会場の美術館入って、左手に一部屋目、階段上がってちょうど真上に二部屋目。この二つの部屋はパネル写真とその奇界な建造物やモノの説明書きが、対に並べられ図鑑的な見せ方をしてました。アートを見たいと思ってきた僕には消化不良だったけれど、楽しそうに観ている方が多かったので、これはこれでありなんだろうと思います。パネルの写真って、安っぽく見えるので好きではないけれど、写真はどれも素敵です。それにしてもすごい物量でした。圧巻は、3部屋目。黒のマットで額装された本気の写真に見惚れてしまいました。最初と最後に飾られていたくっきりとした水平線が綺麗な海と空の色味が、とても好き。黒バックのポートレートも実にいい。この奇界ってテーマは、そこで暮らしている人達にとっては普通のこと。奇妙かどうかは、それを見る人との相対的な感覚でしかない。この展覧会を見た人が日常と非日常の境界線が揺らげば嬉しいって作者のコメントは、説得感を持ってドンと伝わってきました。こんなことも考えてました。ネットも書籍も、それにこの写真もリアルなものではない。僕はリアルな世界を体感することが、感性を刺激するには一番好ましいことだと今でも信じてます。でも、この作品を見る鑑賞者は、僕を含めて作品に写るリアルな世界を、ほぼ知らない。写し取られたもので想像するしかない。でもリアルな現実を自分の目で見たとしても、そこに見えるのは、自分のフィルターを通してみる世界でしかない。日常と非日常、奇妙なものとそうでないもの。目の前で起こることも、遥か彼方でおこっていることも、結局は自分が、どう見るかってことに繋がるんだなぁと。なんだか自分でもよくわからなくなってきたけれど、写真の持つ力って、やっぱ凄いなぁと思えた展覧会でもありました。
ケニーロギンスの主題歌が印象的で、なんどなんども見た前作のトップガンは1986年、36年前なんですね。トムクルーズが、そのままの役で登場。これだけ時間が経過しても本気の続編を作っちゃったことは偉業ですね。昔のレジェンドが集まる野球やサッカーの試合は、余興的な要素が強く、見る側も体力的な衰えを受け入れて見てると思うんです。でも、この映画に、その匂いは微塵もない。正当な続編として凄まじくよかったです。劇場の、それも前方側で観たおかげで視界全部がスクリーン。これがよかった。凄まじい迫力は、酸欠やら押しつぶされる重力を疑似体験してる感覚になって、観てて疲れを感じたくらい・・。導入部分は、前作そのままのイメージで主題歌まで揃えてきたのも、鳥肌もんでした。それに最初から最後まで、ずっとトップガンだったし。空撮のシーンは、前作以上に素晴らしい。これは戦闘機が主役ではあるんだけれど、バイクや車の使われ方が、ほんといい。KAWASAKIのバイク、欲しくなります。前作に登場してたメグライアンやケリーマクギリスは、出演してなかったけれど、そんなこと大した問題じゃないと思えるほど、すごい作品でした。見終わった後、ほとんど買わないパンフレットを買っちゃうくらい満足。前作知らずに観ても楽しめると思いますが、知ってると楽しみは倍増です。是非とも劇場の大スクリーンで観てほしい映画ですね。劇場で見た後、自宅で、前作を見てしまった。36年も前に撮られた作品とは思えないグレードに、ただただびっくりでした。いや大満足な一日でした。
南港のATCで仕事をしてました。仕事が終わって海風に誘われるようにやってきたここは、コスモスクエアって地下鉄の駅のそば。ちょくちょく寄るお気に入りの場所。今日は、暑くもなく寒くもない、ずっと見てられる温度感が、とっても気持ちよかった。この数時間前に、随分年下の後輩に、相談されたことを思い出していた。上司と馬が合わず、もう辞めたいという話。そんな時は、どうしてますか?と。側から見る以上に、当人にとっては大問題なので、簡単には返答できない。言葉を選んで話してあげたけれど、どうだったかな?続けるも辞めるも、結論を出すのは当人だからね。僕は、命令や規則でしか人を動かせない人は、とても苦手。自分は、そうならないぞって思ってやってきたけど、どうかな?海風に当たりながら、普段考えないことも、浮かんでは消えた。嫌なことも笑い飛ばせる未来が、やってくるといいねって伝えてこの場所、教えてあげればよかった。
凄い題名ですね。ローマ時代に生きた「マルクス・シドニウス・ファルクス」。その架空(?)の人物に語らせた、その時代の奴隷を扱うための教本。解説者として名を連ねるジェリー・トナーと言う古典学者が創り上げた妄想の書籍なんだけれど、よく出来てます。ローマ時代の奴隷の手に入れ方、活用の仕方から始まる本書。ローマ時代に出版されていればベストセラーになっていたかもしれません。逆に奴隷達が読み込むことを恐れ、出版禁止になっていたかも。主従関係の中で起こる、それぞれの思惑や疑念や不満。これは今も一緒。この書籍、教科書的な語りではな「そうは言ってもこういうこともあるから、気をつけて」と現場目線のコメントも散りばめられているのでとても役にやったと思う・・。また当時の奴隷制度が矛盾だらけであったことも伺えます。今の時代も、盾の関係で苦労することは多い。人間のストレスのほとんどは、人間関係に起因すると言うのは、あながち間違ってないとも思う。さて、今から1000年後、数あるビジネス本や実用書、どれだけの書籍が残っているだろうか?そんなことも気にしながら読んでました。おすすめです。
野球、サッカー、グランドゴルフをやっているのを見かける元学校だったグランド。ジョギングコースに組み込んでるので、よく立ち寄ります。ずらっと並べてある長椅子。×の張り紙は、真ん中座っちゃダメよなのか? 椅子そのものに座っちゃダメよなのか?多分、前者だと思うけれど、違うかな? 後者だという見方も出来る・・。どっちにしても、カッコ悪い。どうするのか正解なんだろう?座っちゃダメなら撤去してこの場から移動させちゃえばいい。真ん中ダメなら、「離れて座ろう」の文字。うん、才能なし。
栗城 史多さんって、どんな人だったんだろう?気になって読んでみました。登山家なんだけど、その業界とは距離を置いてるイメージ。ほんとにこの人は凄い人なのか?登山のスキルはほんとに高かったのか?これだけ有名なのに山の雑誌に名前が載らない。でも登山家として記憶されている。なんだか不思議な人。エベレストに挑戦するも何度も失敗。コメディアンのイモトさんがサクッと登頂しちゃったりして、この人の登山家としての資質に疑問が湧いてました。この本を読んでわかったこと。栗城という演出家に皆振り回されてしまったんだなと。挑戦者である登山家。その主役となる自分を演出し頑張りたい人のヒーローを演ずる。ネットの世界でその一挙手一投足に反応し絶賛する声。それも演出だと捉えていたんだと思う。登山の技術は、プロの目線からは、大したことは無かったみたい。登山の技術や体力向上よりも演出が大切だったんだろう。旬が過ぎると周りが忘れるように、フェードアウトしていればよかったと思う。それが出来なかったんだね。命を犠牲にしてまで演出する必要は、あったんだろうか?死ぬことでしか辞められなくなったという本書の中のコメント。なんだかわかる気がします。
サッカーはアートです。サッカー元日本代表監督だったオシムさんが亡くなったというニュースは、とてもショックでした。たまに流れてくるインタビュー記事を楽しみにしてたから。他の解説者とは違う、大きな視点で語られる言葉がとても好きでした。2005年のナビスコ決勝の国立競技場。当時オシム監督率いるジェフとガンバ大阪の決勝戦を国立競技場のスタジアムで見てました。延長PKまでもつれた試合はジェフが勝ったんだけれど、ジェフの選手は、びっくりするくらいよく走ってた。オシムさんが作り上げたインテリジェンス溢れるサッカーは、その後日本代表にも受け継がれることになります。オシム語録というワードが出来るほど、オシムさんの言葉は影響力のある重さを持ってます。オシムさん関連のいろんな書籍が出てますが、僕はこの本が一番、オシムさんを知れるんじゃないかと思ってます。サッカー練習のコーチに向けた教本です。練習の意図を含めて図解で詳しく紹介されてます。サッカーはアートだと思ってる僕にとって目から鱗の言葉だらけで、サッカーの見方まで学べちゃうすごい本。オシムさんが監督の資質を聞かれた時に、「アイデアを出すこと」と答えてました。若い選手にスタミナや技術で勝てる訳がない。しかしアイデアを提示することは出来る。そのアイデアで選手が成長出来ると、自ずと信頼関係が出来上がる。監督は常にアイデアを出すトレーニングをすべきだと。オシム語録は、モノの見方や考え方の指南書でもあります。試合中の選手には長話はしない。選手それぞれの適性や状態を見て、的確な数少ない言葉を投げかける。聞けば当たり前のことなんですが、なそうだよねってオシム語録は、サッカー選手ではない僕にも、ちゃんと伝わります。この教本見てると、サッカーって深くて面白いんだなと。これだけ普及したスポーツなのに、まだまだ無限大で可能性を感じれます。クリエイティブな仕事ってこういうことかなと思う。他のスポーツにも、こんなトレーニング本があると、僕はそのスポーツの虜になる気がします。写真の世界も、撮る主体が決まった後は、アイデアが次にくると思う。その主体をどう見せると効果的か?技術的なことは、後追いで習得すればいい気がします。 新しい視点を発見するためにも、もっとアイデアを生み出す努力は続けなきゃなと本読みながら思ってました。サッカーはアートだって、ほんと思います。
個展終了しました。たくさんのご来場ありがとうございました。前回よりもバリエーション豊かな展開に、前回見ていただいた方からは、「進化」「パワーアップ」という発展形の言葉をいただき、意図していたことが少しは伝わったのかなと安堵しております。また京都グラフィー開催中で、写真好きな方々が、その流れの中で見ていただけたことも良かったです。今回のテーマは、機械的な抗えない流れの中で、生きるスピードってなんだろう?をテーマにしたMyAutomatism LIFE SPEED+としました。+としたのは、これからも+2 +3と発展させていきますという宣言でもあります。2回目の個展、大成功ですねという言葉を多くいただきました。とても、ありがたいと思います。次の作品作りへの励みにもなります。 今回の個展を開催するにあたり、二つを意識しました。(1)テーマを意識した作品構成で、グッと深い思考をしていただきたいこと。(2)カジュアルな感覚で、アートな写真を、楽しんでいただきたいこと相反する、二つの目的をバランスよく構成することを考えました。一枚一枚に添えたキャプションは、カジュアルな感じを出すため、そして作品を深めるために必要な要素として考えてのこと。このキャプションを読まれた方から文章を含めた写真集の発売を、希望する声もありました。この試みは続けたいと思っていますが、逆の指摘もあり、なかなか難しいものだと思いました。今回いろんなバリエーションの作品を展示したことで、これからどうなっていくのか? 今後の展開を一番楽しみにしているのは多分、私自身ですね。いろんなアイデアが頭の中にあり、どうまとめていけるのか? 自然な形で進んでいければ良いかなと。趣味レベルからプロのレベルへ展示が発展出来たのか?は、見る方の判断に委ねるとして、今後は写真作家としてプロレベルの作品が作れるよう、意識も技術も向上させたいと思っています。今回ご来場いただいた皆さんに感謝申し上げます。是非とも、また見たいと言っていただけるような写真作家になれるよう、頑張ります!!引き続き応援よろしくお願いいたします。
仲間に手伝ってもらって、ギャラリーでの設営が完了。自分の作品が壁に掛けられ作品化していくと、ほんといろんな想いが湧いてきます。作品を展示する意義は、自分の中で沸々と湧き上がってくる思考を知るためなんじゃないかと思うことがあります。見ていただいた方の中にも、何か芽生えることがあると良いなと思います。 4/26-5/1 同時代ギャラリーでお待ちしてます
来週からの個展に向け搬入する作品の梱包が完了。どんな風に見ていただけるのか?不安でもあり、楽しみでもあり。一週間なんて、あっという間だけど濃厚な時間にして会場に来ていただいた方が、楽しんでもらえれば良いなと思ってます。季節外れの5月始まりのDM風カレンダーです。
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大阪は鶴見区にある鶴見はなぽーとブロッサムという建物です。1階から3階は、大阪鶴見花き卸売市場になってます。その上はアウトレットモールだったんですが、近くに出来た三井アウトレットーパーク門真に移転。今は、どうなってんだろうね?この建物を、カッコよく撮るには、これかなと思って長時間露光で試し撮り。良い感じになったと思ってますが、日を改めて撮ってみようと思ってます。
この雑誌をみつけた時に、目を疑ったのは、税込330円だということ。スピンは河出書房創業140年を記念した16号限定で発行される文芸雑誌。日常に「読書」の「栞」をというテーマだそうです。なにより、この雑誌紙の手触りがとってもいい。お気に入りで、新刊の発売を心待ちにしてました。 この雑誌をみつけた時は、すでに6号。1号から5号までは、完売。古本もほぼ出回ってない状態でした。 最新の7号が発売され、これも330円。エッセイや詩、短編、連載ものと、幅広いジャンルで掲載されてます。 連載ものは、当然、過去の号から続いています。テレビドラマや連作の小説は、最初から見れないと、だいたい見る気がしない。この連載、最初は敬遠しそうだったけれど、試しに読んでみると、これはこれで面白い。小説なのでストーリーの途中から、知ることになり、前半の話は流れから想像するしかないんだけれど、面白い小説というのは途中から読んでも、面白いんだと、改めて気付けました。 そういえば人と出会った時、その人の誕生から知るケースは、ほぼない。途中の人生で出会うわけで魅力的な人に出会うと、これまでの人生を知ってみたいと思うのと似てるかもしれないですね。 本が好きなのは、知らないことを知れたり、疑似体験できること。それをきっかけに自分の活動の糧になってるんじゃないかなと思う瞬間は多い。今まで、読まずに素通りしていたジャンルの作品に出会える文芸雑誌を読んでみて、これはありだなと、また新しい発見してます。 「スピン」良いですよ。
ちょっと思うところあって、日本海を観てきました。ほぼ雨模様だったけれど、少しだけ晴れ間もあって撮影チャンス。京丹後からうっすら見える能登半島で起きたことを考えながら、いろいろと考えてました。今年は、海を撮りに通ってみようかなと思ってます。
LUMIXの新しいカメラをお借りしました。 重いけど超お気に入りのS1Rと気軽なS5が、最近よく使う機材。デジタルカメラの進化は凄まじい。ただ興味はあるけど、この2機種が結構気にいってるので、当分はこれでいいかなと思ってたとこ。 作品撮りのメイン機であるS1Rの画質は、撮るたびに、このカメラすごいぞって毎回唸るし、なによりメカシャッターのフィールが抜群に好き。撮ってて気持ちいいい。このシャッターフィールを普段使いするのにS1を追加してもいいかなと真剣に思ってたとこ。 起動が遅いとか、オートフォーカスが迷うとか、LUMIXユーザなら誰しも思う課題も、そんなもんかなと思ってるのでネガな印象は、不思議とないんです。オールドレンズ使ってるとオートフォーカス関係ないし。RAWデータでしか撮らないのでJPEGの画質は、どうでもいいし。速射とか連写はしないし。手ぶれ補正も、ぶれそうなら三脚使えばいいしと思ってるので5段分の手ぶれ補正すごいぞって思うくらいで、とくにない。 そんな私が、最新機種のS5MⅡとG9PROⅡを使ってみました。 この2台、筐体が同じ。操作性や握った感じはまるっきり双子です。フルサイズとマイクロフォーサーズ。センサーサイズが違うので、初めてカメラを選ぶ人以外は、どっちにしようかと悩む人は少ない気がしますが、両方使いたいって人は、意外と多い気もします。 まずフルサイズのS5MⅡ。S5に比べてフォーカスの迷いがいくぶん減りました。スナップやら人にフォーカス合わせた時のピント合わせがとっても気持ち良かった。いくぶんファインダーが綺麗になった気がするものの、S1Rのファインダーの出来の良さに比べると、まだ足らないかな。レンズは大型のLUMIX S PRO 24-70mm F2.8だと、バランスが悪くなるのはS5と同じ。S5でよく使ってるSIGMAの45mm F2.8 DG DNだと、S5で充分な気もして、S5MⅡを導入するのは、もったいないって思ってしまいました。 もう一台マイクロフォーサーズのG9PROⅡ。これは、すごい興味が出た。S5系と同じ操作性のメリットは大きいね。マイクロフォーサーズは、オリンパス派。ただフルサイズにLUMIXを使うことが多くなると、操作性の違いに戸惑うこともしばしば。動画用に買ったGH5M2の出番が多いのは、この操作性の戸惑いが少ないから。さら
村上春樹著 3冊にまたがる長辺小説です。ずいぶん前に手に入れ、ずっと積読状態。何気に読む気になり読了しました。 まわりくどい村上節は健在で、苦手な人も多いと聞きますが、僕は、それがないと村上春樹じゃないよなと思っている肯定派です。 良書の条件は、読むたびに新しい視点が生まれること。この小説もまさにそうですね。村上春樹は、この小説で何を書きたかったのか? いろんな考えが頭の中に浮かびます。現代文学作品とは、こういうものなんだって思う名作です。 青豆、ヤナーチェック、シンフォニエッタ、エッソ、広告、首都高、非常階段、さきがけ、リーダー、空気さなぎ、ふかえり、猫の街、二つの月、滑り台、NHK受信料、塾講師、トレーナー、警官、セーフハウス、リトルピープル・・・ 読んでない人には、まったく意味不明なワードも、読了後はふむふむってなると思います。 純粋なラブストーリーだったんだとか。NHKの受診料集金のシーン、海外の人は理解出来るんだろうか?とか、リトルピープルが出てくる場面は、ジブリを妄想したり。途中消えちゃった数々の人は、結局どうなってしまったのか? 考え想像することがとっても多い。それに、このエンディングの後のストーリーは?と。再読したら、また違った視点がみつかりそう。映画化したら、キャスティングは誰が最適だろう?って妄想しちゃうのも、この小説の「あるある」らしいです。 なるほど納得ですね。 像増力逞しく読まれることをお勧めします。
気がつけば3月も半ば。カメラの祭典CP+が終わって、モーターサイクルショーが開催されると春全開って感じが懐かしい。このところ、コロナ禍で、この感覚忘れてました。来週は、北陸新幹線が延伸して、敦賀まで伸びるとか。大阪にいると、伸びるって言われても、ちょっとぴんとこない。大阪ー金沢は、サンダーバード一本で行けたのに、敦賀で乗り換えなきゃならないと・・。それでも、車窓から見える景色って、好きだから、乗りにいこうかな。春になると、あれもこれもと、やりたいことがいっぱい浮かんできて、それだけで楽しいね。
ワタナベアニ著 あっこの本好きかも。手に取った瞬間そう思った。ソフトカバーのしなりかた、紙の手触りがなんともよかったから。 一時期、溢れる本の解決策として電子書籍に切り替えていたけれど、どうも味気なさが嫌になって紙に戻ってます。そういう感覚の人多いと思うんですけど、どうなんだろうね。写真もデジタルの画面でみるよりも、印刷された紙の質感に興味をもってくれる人が増えるといいんですが。 最近、カメラのハウツー本ではなく、写す側のマインドについて書かれてる書籍が多くなってる気がして、とってもいい傾向だと思ってます。個展開催中、写真を趣味にしている方に、いきなり撮り方のレクチャーをされたり。写真は撮って出ししか認めないとか言う方にうんちくに付き合わされたりと、どうなんだろう?と思う人が後を経たない。もちろん、人それぞれの楽しみ方があっていいと思う。ただ写真そのものの本質って、そことは違うぞと思っていて、この書籍は、そういう価値観を分かりやすく伝えてくれる良書だと思いました。 自分が撮りたいものを、撮りたいように撮る 撮りたいように撮れないなら、試行錯誤しながら、技術を突き詰めればいい。 みたいな内容です。 写真で表現するっていうのは、きっとそういうシンプルな考えの上で成り立ってると思うんです。 いいですよ、ぜひ!!
滋賀のメタセコイア並木、紅葉のシーズンには、観光客でごった返すこの場所。平日の冬で、ひっそりとしているかと思いきや、さすが観光地観光バスが停まってたりと、ごった返すまではいかないけれど、人も車もそれなりに多かったです。
田中さんがノーベル賞を受賞されたがが2002年。もう22年も経ったんですね。 田中さんの発見は、数日かかっていた菌特定の工程が1時間足らずに可能になる質量分析器という形で普及し微生物検査に革命を起こしてます。 そんな田中さんの講演を、パシフィコ横浜で開催された微生物学会で、聞くことができました。 医療臨床検査系のソフトウェア開発の仕事を通して学会へ参加していて、たまたまといえばたまたま、講演を聞きました。医療の分野では学会と呼ばれる集会が盛んで、ほぼ毎週、どこかで開かれています。どの学会もテーマごとに幾つかの部屋に分かれ授業のようなコマ割りで発表やディスカッションが行われてます。参加したいテーマの時間が重なってしまうことも、度々。 田中さんの講演は、事前の告知が少なめで同時開催されている部屋に配慮したと思われ、大きな会議場の半分は席が余ってる感じ。白髪になった田中さんは、講演前に自分でパソコンのセッテイングをしていたり、ノーベル賞を受賞した人とは思えない腰の低さが滲み出てました。 話された内容は、質量分析に関する、モノのたんぱく質をイオン化して重さからモノを特定するに至る過程の話。質量分析を応用できるアイデアや、未来の話。アルツハイマーの解析もその一つだとか。数式がドーンと出てくる以外は、素人にも分かりやすい言葉で話されているのが印象的。一貫して伝えようとしていたのは、専門は電気工学。医療には門外漢。だからこそ発見ができたんだということ。専門的な知識が、他の分野にも役に立つことが、必ずありますと。他分野の方の意見を聞く重要性についても、何度も話をされてました。 医療の分野って、勘違いされてる方多いですから、この田中さんの講演は、そういう人にこそ聞いて欲しかったなぁと。 聞けてよかったです。
2024.2.6 京阪電車
内田 和成著 今年になって、これまで読んで良書だなと思った本を、再読しています。 100冊の本を読むより、良書を100回読むほうが良いと言ってたのは、松浦弥太郎さん。 この右脳思考を鍛えるは、楠木健さんの「戦略読書日記」に紹介されていて知りました。本の帯には、その楠木健さんが、「情報整理はこの本以外いらない」と書かれてます。再読してみて、改めて納得です。 この本は、情報を整理する、その先のことが書かれてます。情報を整理するのは、なんらかのアウトプットを目的としているはず。そのアウトプットの重要性を置き去りにした情報の整理方法、つまりインプットを促すハウツー本が、蔓延るなか、アウトプット重視の内容は異質ですが、とても腑に落ちる。この手の本が少ないのは、アイデアを捻り出したり、発想することを体系立てて説明することが難しいからだと思う。アートがなかなか理解されないことと似てますね。 右脳は芸術脳と言われて、閃きや発想を促す役割を持っているとか。情報をいかに右脳が作用しやすい形に持って行くか。それが書かれた良書ですね。 読んでいて、いちいち頷いてしまったのは、まさに書かれてることを経験から、実感していたから。 会議になるとノートパソコンがずらっと並ぶ。もう普通の光景です。記録や議事の共有には、直接パソコンでデータ化したほうが効率はいいし、そうしたこともある。ただ記録することが軸になって、考えるという本来の活動がおなざりで考える効率は格段に落ちてました。なのでいまだに僕は紙のメモ派です。会議中やってることは、ふむふむと思ったキーワードを書く。そして次々に浮かぶ頭の中の妄想を、線でワードを繋げ図式化しながら連鎖させる。そうすると色々と浮かんでくる。これが経験的にしっくりきてたんです。このことが本書でも書かれてました。 IT系の会社でも、誰でも出来るパターン作業にまるまる一日を費やすクリエイターもどきがわんさかいます。ツール使えば数分で終わる作業なのにね、なんてことがザラにあります。指示されたことをこなすことと、発想することは、全く別物のスキル。いうまでもなくこの本では後者のことが書かれてます。 例えば書籍の中では、気になることにレ点を付ける。これを頭の中ですることで充分だという指摘。レ点は、自分の興味本位でOKということ。物事を発想できないのは、気になるというレ点を付け
関西フィルの本拠地、門真で去年から開催されている新年一発目のライブ。オーケストラとか、クラシックに、ものすごく興味があるわけではないんだけど、一度観て、いいなぁと思ったので再び観てきました。2時間で12曲。2回席の一番後ろの席だったけれど、とっても心地よかったです。高校や大学生のオーケストラを聞く機会があって、比べるのもなんなんですが、関西フィル上手いです。素人にもはっきりと分かります。それにクラシックを広めるためにテレビでも活躍されている、指揮者の藤岡幸夫さんのトークも、クラシック初心者には、ありがたい。 作曲家のヨハン・シュトラウスとその子供のシュトラウス2世親子のドロドロした話には、興味津々。曲以上に興味持っちゃいましたから。 良い時間でした。
兵庫県立美術館 1903-1942 38歳でこの世を去った写真家 展示を観た後、図録をずっと観てます。いやはやハマりました。 不思議と古臭さを感じずに新鮮に見えるんです。もちろん、時代を感じる服装や建物が映り込んでる写真もあります。そしてモノクロ。 でも新鮮。海外の美術も勉強していたようで、所有されていたピカソのゲルニカの図録の展示もありました。 興味を引いた写真は、1枚や2枚ではなかったんですが、幼い子のポートレートを、「スケッチ」という名前をつけた2枚。 そうかぁ、スケッチかぁ。写真に、とってもマッチしてこのタイトルの付け方にビビッと来ました。「スケッチ」というキーワードで、ポートレートを撮るのは面白そうですね。 ポートレート、風景、静物画、多重露光、なんでもあります。いろんな技法を試していたことは、バリエーションの多い作品から解ります。探究心が半端なかったようですね。38歳かぁ。惜しいですね。 帰りの車の中、ラジオから、ビートルズが流れてきました。数多い曲は、全てが新しくて斬新。いまだに色褪せない。あっそうか、安井仲治さんの中に、ビートルズを感じた。 これから、ビートルズと聞くと、安井仲治さんを思い出すんだろうなって思います。
いやぁ怖かったです。 ちゃんと怖がらせてくれたことが、この映画の素晴らしさかも。 そして泣かせます。 それほど期待していた訳ではなかったんですが、それも良い影響に。マイナス1.0という題名は、一番古いゴジラ映画の前のストーリーで戦争が終わった直後の混乱した日本が復興へ目指していくなか、再び、ゴジラによって都市が壊されマイナスに作用したことを表したようです。これも観終わった後に知りました。 この映画の凄さは、とってもリアルなこと。もちろん作り物です。でも、それがわかってるんだけど、没入できちゃう。昭和の怪獣映画の手作り感が、とっても薄い。 だからね、大きなスクリーンの劇場で見ることを、めちゃくちゃお勧めします。 思いっきり怖がって楽しめます。 この映画のモノクロ版が、来週から放映されるようです。モノクロかぁ、すごい合ってると思います。 正月早々、いい映画を見れました。 映画館に、ゴジラのポスターがなかったので写真撮れなかった・・。
初詣のおみくじは「吉」でした。どんな年になるのか? 良い年にするために、心して進めってことですね。了解です!! 今年もよろしくお願いします
写真を撮って、作品を発表する機会が増えるにつれ、作品を評価していただく機会が増えます。それがね、楽しいんです。SNSで発信すること以上に、きちんと納得のいくプリントで仕上げたリアルな作品を、観ていただくことが、ほんと好きだなと。足を運んでいただいた方に、何かを届けたい。その何かは、作品ごとに変わるんですが、ベースにあるのは、私の好きを観てほしいこと。その好きの中に、ほらこんな見え方もあるでしょ、って新しい視点を知ってもらって共感してもらえること。それが楽しいんじゃないかなと、なんとなく思います。モノも人も、みんな違う。その多様性を認めることを、表面的には薦めていても、実態は、首を傾げることの方が多い。それをね、写真という媒体を使って、表現をしたい。「視点は無限」ってテーマ、やはり、しっくりくるなと思えた2023年でした。写真を通して出会えた方も多くて、写真をやってて良かったなと思います。来年も、作品を発表することで、出来る出会いを楽しみにしてます。そのためにも、作品作りを頑張らねばですね。
自宅から歩いて10分いや8分の場所で免許更新。事前予約制のためか、まったく混雑なく、スムーズに終了。手続きはこんな感じ 1.受付の機械で無人の受付 免許証、予約のQRコード、顔認識、更新内容を確認されて、暗証番号を二つ、登録。 この暗唱番号、なんのために使うのか? 後の講習時に説明があったけれど、ほぼ使わないだろうなと。 紙が2枚出てきた。 2.お金の支払い 3000円 ここは有人(無人にできると思うけど・・) 3.視力検査 一度、一発目がダメで、時間経ってやり直しでOKになったの経験あり。 乱視だからか、疲れてくると見えにくい。 今回はくっきり見えてすんなりOK。 1.で受け取った資料に印を押される 4.申請 1で、出てきた書類を見せ、チェックされておしまい。 5.写真撮影 ここまで、免許センターにはいって10分もかかってない。 撮影も、10名くらいが並んでる程度で、4つある入り口のひとつにすぐに呼ばれる。 上着を脱いでる人達ばかりなので、コートを脱ぎなさいと言われるかと思いきや 何も言われず、座って、カシャと映されておしまい。 次の講習の指定時間まで、約1時間。 本を読んで過ごす 6.講習 講習の部屋へ10分前に入るように促される。 SDカードの説明 いまだに、こんなことやってるのか?と思う 無事故、無違反の期間を証明するためだけの制度。 この機会にぜひと言われても使うシーンが浮かばない。 隣の女性のオーバーアクションな頷きが、少々うっとおしい。 講習は30分 YouTubeで、見ればいいんじゃないかと思う内容。 映像は、もう何十年も使い倒してるんだろうなと思う質 車のライト、ハイビームを推奨してるらしい。 どおりで、ハイビームで走る迷惑な車が増えてるのは、このせいか? 対向車や、前に車があれば、ローにするという、基本的なことが出来ない人が ハイビームにしてる気がするのは、気のせいか。 7.免許受け取り 古い免許の持ち帰り希望を伝えると、穴を開けて返された。 というわけで、終了まで1時間半。次は、5年後。
表紙の絵に惹かれて買ってしまいました。松浦弥太郎さんが編集長をやってた時は、よく買ってました。編集長が変わってからは、遠のいてましたが、今回、改めて読むと、テイストは変わってないんですが、松浦弥太郎さんの時に、よく目にした「丁寧に」ってスタンスが、良い感じで抜けていて、読んでいてとても気持ちいい「楽さ」を、感じました。年配の女性をターゲットにしてると思うので、すべての記事が、ぴたっとくる訳ではないんだけど、概ね、読んでて気持ちいい不思議な空間が紙面に広がってました。
この時期、書店にどーんと並ぶ手帳。どれくらい廃棄されるんだろうね。SDGsやら資源保護の観点から、いらぬ心配をしてしまいます。 さて来年の手帳はと、毎年毎年悩んでましたが、今年はすんなり「ほぼ日手帳」に決めました。これまで、いろんな手帳を使いました。ファイロファックスのシステム手帳を買ったのが、もう40年も前。それから毎年毎年、次はどうするか?と悩みながら楽しんでいたことになります。 ここ数年は、ほぼ日手帳のweeks MEGAでスケジュール管理して、トラベラーズノートとコクヨの測量野帳をメモとして使うパターンに落ち着いてます。そして毎年、ほぼ日手帳とトラベラーズノートのどっちをスケジュール管理の主にするかを悩む。 来年は、仕事も整理して写真活動の比率を上げたいと思っているので、色々と変化が必要かなと思ってました。ただ今年と同じ感じでいくことにしたのは、ほぼ日weeksの身軽さが、とっても気にいってるので、それは変えなくてもいいかなと。 さっそく、ほぼ日手帳のweeks MEGAを買ってきました。 来年、どんな未来が待ってるのか? 手帳の種類よりも、書かれる内容が宝物になるような一年になるといいなと思ってます。
ありのままの姿を写したいという人もいるけれど、自分が描きたいように写真を撮りたい。そんな風に思ってる気がします。 絵画に例えると、カメラは筆。そして光が絵の具。 いつからですかね、そう思いだして、写真を撮ることがとても楽になった気がします。
写真のファイルサイズが、どんどん大きくなって保存する媒体にも、ちょいと頭を使わないといけない時代になってます。 冷蔵庫みたいな大きさのコンピューターや、紙カードを使って仕事をしてた時代を経験してる身からすると嘘みたいな進化です。1テラなんて誰が使うんだと思ってたけれど、今では半年で使い切ってしまうんですから・・。 このファイルを記憶する媒体、SDカード、USBメモリ、HDD、SSD。まっさらにする初期化の作業、フォーマットともいいますが、それをやって使えるようになります。今では初期化済みの状態で売られている場合が殆どですから、そんなことしたことないぞって人も多いと聞きます。 そういう方は、以降は読み飛ばしてください(笑) カメラ本体で初期化する時は聞かれないけれど、パソコンで初期化作業をすると何やら形式を聞いてきます。どれにしますか?って。 exFATとかNTFSとかいう、それ。 その話です。 街を整備する時に、区画はこのサイズで、高さはこれくらいまでと決めてから、住民を迎え入れるのと同じで、ファイルを入れる箱の中を定義します。この形式をファイルシステムと言うんですが、これ、いくつかの種類があります。 大雑把に分けるとWindowsでしか使えない系(Macでは読めるだけとか・・)、Macでしか使えない系、両方で使える万能系の3グループ。カメラ本体で初期化すると、だいたい exFATって形式になります。これ、WIndowsでも、Macでも使える万能型の形式。 カメラがWINやMACとパソコンに依存しないシステムを採用するのは、当然といえば当然ですね。 ただし、このexFAT、とっても信頼性に難ありなんです。ということをお伝えしたい。 Windows系の主力は、NTFSという、その時代とっても優秀だったWindows NTというOSから採用されたもの。仕事でこのOSを使い始めた頃は衝撃でした。それまでのOSは、プログラムが暴走するとシステム全体がおかしくなるんだけど、このNT、暴走するのは、そのプログラムだけで、他はそのまま正常に動作してましたから。もちろん、いろんな条件がある上でなんだけれども、この仕組みを作ったマイクロソフトってやっぱすごいと心底思いました。うん、ほんとにすごかった。 話は戻ってMAC系ファイルシステム今の主力は、APFSという、
2011年に買ったメッセンジャーバックを、このところ引っ張り出して活用中。CRUMPLERというオーストラリアはメルボルン生まれのブランドで、メルボルン旅行中にお店を探して買ってきたもの。ロゴがかっこいいのと、素材の丈夫さ、大きさや使い勝手がちょうどいい。 先日、量販店で、このCRUMPLERのバックを発見。いつの間にかドイツのメーカーに生まれ変わってるんですが、あの時に良いなぁっと思ったロゴはリニューアルされ、素材も軽薄な感じに変わってました。あの時、グッときたデザインや堅牢さが失われちゃったのはなんとも寂しい。 道具は、使い込んでこそだと思うので、丈夫さが損なわれてる気がするのがね・・・。新しい物が、良いとは、限らないです。 いつも思うけど、カメラのバック選びって難しい・・。
雑誌AERAに、この映画の監督「斉加尚代」さんの特集記事を読み興味が湧いて、大阪は十三にある第七芸術劇場という渋い映画館で観てきました。どこかの団体がステッカーにしそうで、敬遠する人も多い気がする「教育と愛国」というタイトルの映画です。 近年、見えない圧力によって教科書が改訂されている様を丁寧な取材によって解き明かすドキュメンタリー。テレビでも放映されていたらしいんですが、全然知りませんでした。 良質なドキュメンタリーはNHKが独占。それも海外で作られたモノばかり。スポンサーの関係で、この手のものには、お金が付きにくく、放送されることが難しいことは想像出来ます。だから、この骨太のテーマを民間のテレビ局が制作公開したことが、妙に嬉しかったです。 映画の冒頭は、こんなシーン。挨拶の設問(1)おはようございます、と言いながら頭を下げる(2)おはようございます、と言ってから頭を下げる(3)頭を下げた後、おはようございますと言う さて正解はどれ?正解は(2)だそうです。こんなことが、今の教科書には書かれているんですね。 そして道徳の教科書のとある記述部分、背景のパン屋が和菓子屋に変わったという教科書の変更。パン屋は日本生まれのものではないことが、変えられた理由だとか。そんな話題から教科書の改訂の過程が紹介され、核心に迫っていきます。 例えば戦時中の歴史の話題、従軍慰安婦や沖縄の集団自決を例に、国が介入したとされる悲惨な歴史から、国の介入部分がバッサリと教科書から削られる「改訂」がされた等。 教科書は、教科書検定という審査に合格したものだけが使われるそうです。複数の出版社が作る教科書。どれを選択するのかは、学校や自治体に任されているようです。教科書検定の際「あるべき教科書の指針」の定義や、教科書を選択する際、出版社や学校に対し政治の思想をベースとした圧力が介入しているという、恐ろしい内容。 このドキュメンタリーの本質は、「日本人はこうあるべきだ」という理想の愛国主義思想を植え付けるべく、教科書を政治主導で書き換えているという事実を公にするということ。 歴史を都合のいいように湾曲して伝え、偏った思想へ変えていく方法は、まさにプロパガンダ。それがこの日本でも行われているんじゃないかと。そういう事実を知り、とても怖いものを感じてしまいました。 日本も、戦時中、都合の良い
4月は節目で、生活がガラッと変わる季節でもあります。 学生の頃は、卒業式、入学式、クラス替え、などなど、変わったぞってヒシヒシと伝わる行事が目白押し。多分、これが良い刺激になってたんだろうね。 桜って、この絶妙な時期に咲き誇るんです。ずるいぞ。 そんな事を考えながら、まったりと過ごす休日が好きかも。
手塚治虫さんの作品 漫画は不慣れなんですが、次の展開を知りたくてドンドン読み進められた感じです。 この漫画に出てくる3人のアドルフ。一人は、あのナチスの総統。そして日本で育ち幼少から仲のよかった国籍の違う二人のアドルフ。戦争を背景に、人種や国籍の違いから生まれた思想をベースに展開します。面白いというか残酷です。 フィクションだし、時代はナチス全盛のあの戦争当時でも、全く古臭さを感じないのは登場人物のキャラクターや思想が、程度の違いはあれど、今も変わらず存在している事を、薄々感じてるからなんだろうと思いました。 まさにウクライナとロシアで起こっていることもそう。日本でも、暴力には至らないにしても、出身地や出身校で、何かを判断してたり。そんな事を考えてしまいました。 恥ずかしながら初めて手塚治虫さんの漫画を読んで、びっくりというか凄みが解った気がします。
2022年小中高の自殺者が過去最悪の512名だとか。内訳は、小学生17名、中学生143名、高校生352名だそう。学業、進路、入試が、主な理由らしい。 悩みの重さは人それぞれ。時が変われば、なんであんなことに悩んでたんだろうと、思うことも多い。でも、当事者にとっては、なかなかそう思えないのは、みんな知ってること。 512名、この数字を知って、どう感じるのか。 この数字のひとつひとつは、重い重い命の数。 「継続するコツ」という本を読んだ。いろんな理由で継続できないということをどう対応するのか? 例えば、絵を描きたいと描き始める。書くことが楽しい。けれど描いた絵を他人と比べて才能がないと辞めてしまう。でも描くことが楽しいということと、才能がないということは別の話。描くことが楽しいということは変わらないでしょと。そんな話から始まります。 なるほどねと。確かにと思うことも多いし、ちょっと不思議な気持ちになる内容でした。 自殺とは、全く関係ない内容かと思いきや、著者の坂口恭平さんは、「いのっちの電話」というサービスを展開されており、死にたいという方からの電話を24時間受け付けているとのこと。 終盤に書かれた提案。この国は、お金がなければないで、ちゃんと支援する制度があると。それをきちんと学校教育の中で教えるべきだという提案。仕事が無くなれば、生きていけないという不安を少しでも和らげる解決策の一つかもしれない。 そして、やりたいこと、好きなことを続けるには、お金がないこととは基本関係ない。いや関係ないことはないけれど、そんなことはどうにでもなりますよという論旨。 なるほどね、です。 「学校も会社も進学も人それぞれで、悩むことも多い。でもどう転んでも、この世の中どうにでもなるよ」と、そんな風に言ってもらえて、そうだよなと思えると、救われた人もいたかもしれないかなと思いました。 視点が変わるナイスな本でした。
ネガティブな暴露本かなと思ってました。 野口健さんの講演を聞いたことがあります。1時間の予定がなぜか1時間半。とにかく、ずっと話してて、台本なんてなく、ただただ話したいことを話しているんだけれど、引き込まれます。 言葉は悪いけれど、悪意があれはペテン師になれる話術だなと。ただ話していることの本気さが伝わってくるというか、言葉に熱がある。それに話していることは、遠くない未来に実現しちゃうんだろうなと、思わせる雰囲気もある。 ある種の宗教かもしれないですね。 この書籍、野口さんの元で働かれていた方が、書かれてます。 野口さんの人となり弱さ、そしてご自身の葛藤をあから様に表現されていて、なんだなんだと一気に読み終えてしまいました。 野口さん、敵も多いんだろうなとは想像もつく。でも、応援してる人も多いと思う。サラリーマンやってたら、まず、お目に掛かれない人だと思います。 本人も知られたくないことも書かれたこの書籍、なんと野口さんも一緒になって宣伝してます。 すごい人ですほんと。 読後感が、とっても心地よかったのは、作者と野口さんの絆を根底に感じるからなんでしょうね。
2011年、オーストラリアへ旅した時、バスの車窓から撮った一枚の写真。これは、「Lifespeed」としてまとめた作品のきっかけになった記念すべき一枚目の作品でもあります。未来へ繋がることって、今この時点では分からないことの方が多い点と点が繋がるってこういうことなんですね。
体と心がギュっと縮こまった感覚。コロナのおかげで明らかに体力が落ちてます。徐々に取り戻すしか無いんだけれどね。こんな時は、好きなことをするに限る。 やっぱね、写真撮るの楽しい。 何が楽しいのか。 素直に撮りたいと思ったものを撮るだけ。誰かに見てほしいとか、そんなことを考えることなく自分に正直になって撮ってる時が楽しい。 この感覚、ずっと忘れずに続けたいと思います。
油断してました。 2類相当から5類へ引き下げと、コロナの感染症法上の定義が変わることが決まって、なんとなくイメージが軽く思えてきた矢先、感染してしまった。 横浜で仕事を終えた帰阪途中の新幹線車内、風邪引いたかなと思う予兆を感じた。帰宅して、ドット疲れと共に熱が出てきた感じ。 翌日向かったのは、病院の駐車場奥に作られた屋根だけの簡易テント。ここが、発熱外来の診療所。予約時間までに、15名ほどが、集まっていた。 感染防御服を着た方が、2名、慣れた感じで受付を始め、簡単な説明の後、診療開始。 PCR検査とインフルエンザ検査用に咽頭粘液を鼻の中から採取。事前にネットで伝えていた内容の確認があり、これからのことの説明と解熱用の薬を受け取り、終了。 夜、メールで、コロナ陽性、インフルエンザは陰性の結果を知る。 一週間、熱は38度前後をうろちょろ、体がだるく、喉の痛みと咳が出る。とても仕事が出来る状況ではなく、静養するのみ。食欲がないわけではないのが救い。 びっくりするくらい、よく寝てました。 毎日、20時間くらいは寝てたかもしれない。 よくも、これだけ寝れるよねってくらい。 当然ながら、自宅からは一歩も外出せず。 パソコンも触ってない。 枕元のiPadで、たまにニュースを見る程度。 7日目にして熱が下がってきて、体が楽になってきたとこ。 もう少しかな。
遠くから、人の気配を感じることが好き。 何してるんだろう? 何、話してるんだろう? 聞き耳を立てたり、尋ねることはしない。 想像するだけなんだけれど。
マザキ・マザック美術館 ここに美術館?ビルの中にある美術館でした。 アルベール・マルケ、モーリス・ユトリロ、佐伯祐三、荻須高徳 4人がパリで描いた作品が展示された企画展。 アルベール・マルケは、建物の上層階から街を見下ろした構図が新鮮。 ユトリロは、後期の寂しさ真っ只中の少し前の作品。 佐伯さんは、もう、何も言うことがないくらい大好きな画家。佐伯さんに影響を与えたヴラマンクの作品も展示されていて、その対比が面白い。 佐伯さんが、ヴラマンクに絵を見せたところ、「アカデミック」と言われてほ一蹴されたとか。 アカデミック? 学術的でとか、優等生的とか、肯定的な意味がある反面、芸術的には、古臭い古典的という意味もあるそう。もちろん、この場合は後者の意味で言われてるんですね。その一言に落ち込み、以降、野獣派と言われるザ・佐伯の画風になったと言われて、展示されていたヴラマンクの作品からは、その影響が伺い知れて、とっても興味深かったです。 そして荻須さん。パリ滞在中の初期の絵は、もろ佐伯風なんだけれど、どんどん画風が変わってきた画家です。佐伯さんと比べると画風が明るいのも特徴ですね。 この企画とっても良かった、 パリに魅了された画家は、数多くいて、この4人だけでは、語り尽くせないとは思うけれど、この4人だけでも、これだけの違いを描かせるパリって街は、やっぱすごいなと、思わずにはいられなかったです。 それに、この美術館、こじんまりとしているけれど、作品の数が、ちょうどいい美術館でした。
豊田市立美術館は、とても好きな場所。建物の造形もそうだけど、何より室内のとても明るくて作品を見やすい。そしてリヒター展、東京に続いて2回目の鑑賞。会場が変わると見え方も変わる。東京よりも、こちらの方が断然見やすい印象あります。でね、やっぱすごいはリヒターさん。作品に圧倒的な存在感を感じてしまいます。ビルケナウ。もう日本では観れないと思うから、何度も何度も見てしまう。そして、作品を作りたくなる衝動に駆られるんです。すごいね。
里親を題材にした映画。ファミリーホームという一軒家で生活している児童養護施設の物語。ファミリーホームは、養育者の家庭に5名から7人の子供を預かる児童養護施設の形。日本では数件しかないそうです。里親制度には・はぐくみホーム(ファミリーホーム)・養子縁組里親・親族里親・専門里親・週末里親こんな種類があるそうです。なんらかの事情で親と暮らせない子供の数は、全国に42,000人。ほとんどが施設で暮らし、里親で暮らす子供は、厚労省の統計データを見ると平成20年度で6,019名。大阪では152名と明記されてました。この数字、どう思われますか?僕は、少なすぎると思ってしまった。里親? そんな簡単にできることではないです。いろんな障害がすぐに想像できる。実際にその行動をしている方が少ないながらでも居て、でも自分は他人事だと思っている。僕と同じ感覚の人が多いのかもしれないですね。少なすぎると思った数字は、自分以外の誰かがやってくれるだろうと思う他人事として見ていることを反映しての数。ちょっと自分が恥ずかしくなった。そんな自分に何が出来るんだろう?里親になられている方へ、適切な言葉が見つからないけれど、暖かく見守る、そして助けてほしい時に、声をかけてもらえるような、そして自然に何かを僕らが与えられるような社会にしなければいけないのかなと、ありきたりだけど。もちろん、親と暮らせない子供達を減らすことも必要なんだろうけど。映画は、今時のテレビドラマ風にお金をかけたセットや演出はありません。だから安っぽい印象もあります。でも、それが逆によかった。ウクライナの近隣の国は、この紛争で国を逃れたウクライナの人達を受け入れてます。日本もそんな国の一つなんだけれど、果たして本当にそうなのか? 架空の話になるけれど、紛争が起こり近隣の韓国や中国から国を追われてきた人達を、僕らは受け入れることができるんだろうか? 日本人が、国を離れないといけない事態になったとしたら、隣国の人達は、僕らを受け入れてくれるんだろうか?飛躍した想像だけれど、そんなことも、考えてしまった。里親として、子供を預かることは出来ないとしても、何か出来ないものか?そういうことを考えさせる映画でした。そういえば、ドラマ「ファイトソング」の舞台も、ファミリーホームという形だったのかもしれないですね。
市のホールの前には、成人式ではなく「二十歳の集い」に若者が、わんさか集まってました。正装するのは節目として、とてもいいことだと思う。高価な服を着る必要はなくて、ジーンズでも、その人らしい清潔感を持って、出席すればいいと思ってます。ただ、どこかの歌舞伎役者ばりの身なりをしたり、目立つだけの装いって、中身が薄くカッコ悪いイメジを持ってしまって、とても滑稽に見えるんです・・。時代と共に、価値観は変わるものだから、ウダウダいうことでもないですね。ただ成人式に、警察官が安全のために警備するっていつから普通の光景になったんでしょう・・。さて映画です。新海誠さんは、この映画で何を伝えたかったのか? 「君の名は」「天気の子」に続く「すずめの戸締り」天災をテーマに、それを映画のバックボーンとする比重がどんどん増してる気がします。相変わらず、水、雨のシーンは、大きなスクリーンで観て良かったと思える出来栄え。反対に人物の描写が、どこか野暮ったくてそっけない印象の絵が多いのも、いつもの新海風ではあります。新海さんが、凄いなぁって思うのは、アイデアの秀逸さ。このストーリーを考えついてしまう創造力には、ため息しか出ない。天災? 人災?新海誠さんって、古風なしきたりや習わしをとても大切にしてると思うんです。映画を見ている客層が、年齢層高めに思えたのも、そんなところが、一因としてあるのかなと。二十歳の集いに出た若者が、この映画を見て、どう思うのか?すごい興味があります。
スラムダンクの映画です。アニメを映画館で見るのは、水の描写がめちゃくちゃ感動的な新海誠か、スケールが壮大な宮崎駿くらい。スラムダンク?大きなスクリーンで観る価値あるかな?と思いながら・・いい意味で裏切られました。めちゃくちゃ楽しめました。スラムダンク、漫画もアニメも未経験。ストーリーを知りません。バスケットの青春もの。名言がいくつもあって、桜木花道って不良が主役。知識はそれくらい。映画の中では、桜木君以外の登場人物や、その背景。人物間の繋がりが、解りづらかったので、そこは復習して、改めて観てみたい。「諦めたら、そこで試合終了」いい言葉です。いろんな意味で、いろんなこと諦めずに続けてみる。大事なことですもんね。おすすめです!!
simodaのエクスプロール40というカメラバックを使い始めてます。普段はシンクタンクフォトのキャリー、ショルダー、ザックの3種類を組み合わせて使ってますが、どんな場面でも適応するカメラバックって不思議とない。機材だけではなく着替えやら旅道具が増えると、いつも悩みます。歩きが多くなる想定だと登山用のザックを使たり。ただ機材の出し入れが面倒なので、レンズ交換やめたってなることも、しばしば。そんな歩き旅用途で、使えるカメラバックです。背面がガバッと開くことや、コアユニットの間仕切りやを変えたり、コアユニットも大小いくつかあって、工夫ができる。なにより、ヘビーな登山用に負けない、腰や肩ののベルト部分が登山用ぽくて、とても好み。重い機材を入れて歩き回っても快適な時間が長く続く感じがします。色味も、カメラザックっぽくないとこが、気に入ってます。
去年の暮れから出先で活用中のMacBookのバッテリが怪しい。MAC史上最軽量を誇る920グラムで画面12インチの2016年モデル。アップルストアで実物を触って、そのコンパクトさと軽さにビビッときて衝動買いしちゃったモノ。バッテリ端子と共用のUSB-Cの外部端子が一個しかない。外付けSSDやらカードリーダーを繋いでる最中に、バッテリ残量が少なくなるとドキドキするけど、この割り切りは大好き。薄さを徹底的に意識したバタフライキーボードは、その頃から圧倒的に評判が悪く。すぐに改良型が出て、それでも不評だったようで今は不採用になるほどの出来の悪さ。ストロークが浅すぎて打鍵感が気持ち悪い。慣れかなと思っていても、他のパソコンを触ってしまうと、なんとも苦々しい感触が毎度蘇ります。でもこの薄さとカッコ良さは無敵です。このMacBookの圧倒的な軽さは、ほんと正義。メモリは8ギガ、SSDは256ギガの低スペック版。モバイル用途でテキスト書き、WEBの閲覧、写真データの保管が主な用途。快適ではないまでもillustratorやPhotoshopのアドビ製品もちゃんと使えます。テザー撮影も、問題ない。スペックが欲しいと思うこともあるけど、大丈夫。途中バッテリ交換をして、7年も使ってることになります。このMacBook、残念ながら最新のOS Venturaに対応されませんでした。僕の使い方ならばOSをアップデートしないといけない理由もないけれど、セキュリティの心配は残ります。新しいM1とかM2のチップを積んだMacBookも気にはなるけれど、僕の用途ならば高性能は求めてない。でもバッテリが持たない問題は、なんとかせねばということで、お守りがわりに電源ケーブルかモバイルバッテリを鞄に入れてましたが、ついに、バッテリーの警告が出ちゃいました。「修理サービス推奨」と。そろそろ買い替えか? 充分減価償却出来た気がしますが現行製品のMacBook Airが、軽さも価格もちっともAirではないので、気が引けてます。バッテリー交換すれば、まだいけそうな気もするし・・。アップルストアに持ち込んで相談したのがクリスマス前。この12インチのモデルは、それ以降、後継の製品が出てないこともあって、いまだ使ってる方が多いらしいとの話。解る気がします。これ、ビンテージモデルという扱いになっていて修理は部品の在庫がある場合だけ可能とのこと。見積価格は2万3千80
あけましておめでとうございます。2023年がやってきました。今年も良いとしにしましょう!!
人と同義語だと思ってた「人間」という言葉。なんで「間」という字を使うんだろう? スピリチュアルな書籍「なまけ者ののさとり方」を読んだ影響だと思うけれど、ふと考え込んでしまった。人間とは、こんな概念を示す言葉だそうです。・人の住むところ。世の中。世間。・人が生きている人と人の関係の世界。・またそうした人間社会の中で脆くはかないさまを概念的に表すことば。・(社会的なありかた、人格を中心にとらえた)人。また、その全体。全ての問題は人間関係に起因すると心理学者のアドラーさんは言ってました。そうであるような、ないような。人と人の間に必要なモノってなに? 「愛」「憎」なんてm想像出来るけれど、調理人ならば料理。サービス業ならば、サービス。執筆かなら、文書。そうも置き換えられる。間に置くモノやコトによって、人と人との関係性は良くもなるし、悪くもなる。一生かかって、その間に入れる何かを探し出して、創り出して、そしてそれを極める。なかなか哲学的なことを考えた、本日でした。