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2020/10/12

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  • スナップは突然に

    何やら楽しそうなリズムで会話をしながら、立ち止まった僕を追い抜いて行った二人。楽しそうな二人の背中を撮ってみたいと衝動的に感じポケットからコンパクトカメラを取り出していた。僕は人の後ろ姿に、とても惹かれるみたい。理由はよく解らないけれど、なぜかそう。そのうち、なぜか?って答えに気づけると思う。今は自分の欲求に素直になるだけですね。それにしても、楽しそうだった。

  • 誰でもできるけれど、ごくわずかな人しか実行していない成功の法則

    この手の本は、気力があり余ってる時に読むと、納得感が大きいんですが、体力気力が落ちてる時に読むと、相当疲れます。わかっちゃいるけどねって感じで、本を閉じてしまいます。自己啓発系のおススメ本を聞かれると「七つの週間」が、迷うことなく頭に浮かびます。これも落ちている時には、結構きつい。だけど最初に知った時のインパクトが大きすぎて、僕の場合は人生のバイブルとして未だに活用してます。 この「誰でもできるけれど・・」も、自分の人生を自分で切り開く考え方を指南してくれます。自分で決めて自分で動く、その際、自分が影響を与えられることにフォーカスしましょうと。根底に流れる考え方は「七つの週間」です。 うん、行動を習慣化して自分を変えてしまおうという、すばらしく真面目な考え方です。ダラッと人生を謳歌したい人、ちょいと疲れてる人に力説すると間違いなくうっとおしがられます(笑)成功の法則?なにが成功なの?個人の考えによるところが大きいわけですが、自分が「成功」だって思う人生に向けて、こうしましょうって論旨で書かれてる訳です。サラリーマンを長くやっているとその目標とするところってなんなのか? 働くって何? 人生って何? って疑問が浮かぶことは、一度や二度ではないはず。でも、結局今の場所に収まってる。大多数のサラリーマンはそうなんじゃないかなと。この本は、そこを一歩踏み出しましょうって勇気を与えてくれます。そうだよなと。でもね、読んでも実行しないと何も始まらない。読んでその気になって勇気もらって、いつかはねって思って終了。そんな使われ方なんだろうね、で次の本読むみたいな。 隣にコクヨの測量野帳ってノートを並べてみました。もう何十年も使ってますが、気になったこと、浮かんだことをバシバシ書いてます。もう百冊は優に超えてます。取材ノートですね。成功への法則ではないけれど、このメモから、やりたいことが明確になって実行したことも多いので記念に・・。

  • 目薬

    疲れのバロメーターは目の焦点。合わなくなると疲れてるなぁと思う。目の周りの筋力が衰えてくるからだと医学的な根拠も知らずに思ってます。乱視と老眼です、多分。普段メガネはかけてません。映画館とかスタジアムでのサッカー観戦で、くっきりと見たい場面にメガネを使う程度。あとは本を読むときに老眼鏡、もといリーディンググラスの一番軽い度数のものを使ってます。メガネがないと生活出来ないほどではないです。コンタクトレンズは一度使って辞めました。乱視の場合は装着時にレンズの上下を合わせる必要があってレンズの下を重くすることで角度を決める。これが何かの拍子でその角度が簡単にズレてしまうんです。バイクに乗っている時、瞬きをした瞬間、それが起こった。世界が思いきり歪んでしまい恐ろしくなって以来、コンタクトはしてません。 カメラは、ファインダーの視度調整機能で普通に見えるレベルです。さて、そんな目には目薬はとても大事だと思います。なので目薬は多用してます・・。なんてことはなく、たまに使う程度。自慢ではないけれど、ボールペンや万年筆のインクは、しっかりと使い切ってから交換します。でも目薬って最後まで使い切ったことないんです・・。使い切る前にどこか無くしてしまって・・。この目薬も、そのうち、何処かへ旅立ってしまうんでしょうか。

  • 古いMacBook Airはキーボードが素敵

    いまだにMacBook Air (11インチ, Mid 2013)を現役で使ってます。DISKは128ギガ、メモリは4ギガ。買った当時も最低スペックのモノ。サブ機として割り切って買ったので不満もない。写真の現像やら動画、デザイン系の作業はスペック的にきついので諦めているし、そういう用途では使ってない。でも普通に使えます。アウトドアでは、ネットも使えないポメラを持ち出すことが多いけれど、インドアでEVERNOTE使ってテキスト作成に限定するならば、打感の好きなこのMacBook Air 11inchを使うことが多い気がします。 このMacBook Air は、最新のOSへ更新出来るギリギリのモデル。最新のmacOS Big Surにしてます。メインのMacBookPROと同じOSが使えるのは、気分は良いけど、最新のOSでなくても全然問題ない。多分、これが最後の最新OSだろうけど、まだまだ使うつもり。

  • 太陽の蓋

    映画です3.11 福島の原発にまつわる映画です。短縮バージョンがあるみたいだけど、WOWOWでやってた130分版を鑑賞。 FUKUSHIMA50が、現場目線に対して、これは官邸の記者目線でもある。当時の総裁だった菅さんへの風当たりは相当強かった。けれどここでは、それなりに頑張っているように描かれている。東電の本店の人達のダメダメっぷりは、この映画でも同様にあぶり出されていたので、実際もそうなんだろうと思いました。 記者が秘書官に対して発した言葉「情報があったら何か出来たんですか?」この言葉が、全てを語っているように感じた。できれば、東電の本店目線で、描かれた映画を見たいと思う。良い映画です。

  • 過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道

    森山大道さんの映画です。パリフォトに向け、1968年に発行された写真集「にっぽん劇場写真帖」を復刻。その舞台裏のドキュメンタリー映画でした。もちろん森山大道が主役でその人となりや活動を中心に、写真集を復刻させる仕事に情熱をかける人達のドラマでもありました。 大阪は池田の出身である森山大道。生活圏が同じ箕面出身で俳優の菅田将暉のナレーション。僕も箕面出身なので、親近感を抱きながら鑑賞スタート。最後まで、あっというまに飽きることなく見終わりました。途中流れる音楽が、大袈裟過ぎる印象を持ってしまったんですが、逆にそれが音楽が無い場面とのコントラストを極めていて、良かったのかもしれないと、観賞後に思いました。 この映画のハイライトは、森山大道さんの写真が、劇場のスクリーンいっぱいに映し出されること。モノクロの「アレ・ブレ・ボケ」の作品を、これでもかって見せられ、強烈なインパクトが残ります。僕は、森山大道さんの写真が、よく解らなかったんです。去年「森山大道の東京」を見て、そのインパクトにやられました。その延長で今回の映画です。改めて、その時のインパクト以上のモノを感じて、森山さん、すごいぞって。森山さんはモノクロがいいですね。映画のなかで、こんなことも知りました。寝室にはフランス人のニエプスの世界で初めて撮影された写真を飾っているとか。モノクロの荒い写真は、まさに森山大道の原点だなと思ったこと。フィルムカメラには、全く未練がない。大好きな印画紙が無くなってしまい、プリントは辞めたこと。カメラはほとんど買ったことがないこと。バーで個展を開催、写真を画鋲で貼り付けて展示。これがいいんだよって場面とか。友人の中平卓馬を心からリスペクトしていることが画面から滲み出ていたこと、とか。気になる場面は多過ぎて書ききれないほど。最後がね、「一枚撮っておこうかな」って写真を撮る。これも良かった。森山さんは、全てをちゃんと受け止める度量をもった人なんだなと思った。場面場面に遭遇することを、心から楽しんでる。写真を撮ってる姿は、カメラ小僧そのもの。写真の業界ではすごい人なんだれど、コンパクトカメラを持った森山さんを、身近な街で見かけるような気がして。それが森山大道の魅力なのかなって。写真家って、写真そのものと生き様が重なって、世間に認められる。そんな気もしました。見終わった直後より、時間が経って、ジワジワといい映画だなと思う。そんな映画でした

  • 洗車場で考える

    急に思い立って車を洗車しにきた。いつもは自宅前でゴシゴシやるんだけど、なぜか洗車場を使いたくなった。その方が楽だという理由もあるけど・・。 実は車の中から写真を取ろうと思いたった。水が吹き飛ばされる瞬間をね。一人でやってきたんだけど、洗車中は車から降りてくださいと注意書きが。そりゃそうだ、安全面考えるとそうなるはね。でも、撮るぞって気持ちでやって来た意志は変わらない。さて、車を所定の場所に停めて洗車を開始しようとしてはたと困った。スタートボタンは車の外でしか押せない。ダッシュして車に潜り込もうと身構えた。そのあたりは抜かりなし。で、気合を込めてスタートボタンを押した。押した瞬間、ぐわーと音がして洗車が始まった。その瞬間、怖くなり体が固まってしまった。作戦失敗。洗車される我が愛車を、そっと眺めるだけでした・・。 学んだことは作戦は二人で実行すべき・・。

  • さがす はじめる

    断捨離、ミニマリスト、かたづけと、モノがあふれすぎる課題と向き合いたい人が増えてくる。これが仕事になるんなんてこと、モノが無い時代には考えられなかったこと。フィルムカメラの時代は、撮影したフィルムを現像所でプリントしてアルバムで保管。どこの家にも立派なアルバムがありましたね。懐かしい。さてそんな写真ですが、今はどうしてるんだろう? デジカメ、スマホで撮影した写真は、そのままカメラやスマホに収まったままの人って結構多いらしい。お袋がそうでした。家電量販店、コンビニには、スマホからプリントアウトするサービスも出来てます。写真をみつけるのも大変だろうね。googleフォトやAmazoneフォトのサービスでは、そんな問題を解決するため、AIを活用して人や場所、モノの種類を特定して探しやすくしてくれます。すごい時代になりました。何かを始めるために、「さがす」って労力は少ない方がいい。でもその探すことで、みつかることもあります。それが人生を変えたりすることもあるから、人生は解らない。

  • オリンピック開催しそうですね

    こんなにもモヤモヤしたオリンピックは、誰得なんだろうね? ズルズルズルズルと中止、延期、開催の議論がメディアで繰り広げられてはいたけれど、決定機関は開催ありきで動いていたとする見方が妥当かなと思います。安全ならいいんじゃないかなと思うけど、この安全の基準が未だによく解らないからモヤモヤしてます。中止だ開催だのニュースの後に、観客数を制限しているもののプレーに歓喜するスタンドの観戦者が映されてしまうと、まぁやるんだろうねと思う。 開催基準の納得感が、曖昧な問題。人が集まると意思決定のヒエラルキーが出来ます。決定する者は、その決定事項を納得させるだけの説明責任を追うのは、あたり前のこと。それがないと独裁者って思われてしまう。それなりの立場の人達ですから、それなりのコメントは出します。民主的にやってますよって意味を込めて。でも、それなりのコメントで、納得出来ない人が多いと、まとまるものもまとまらなかったり、一体感はなくなる、それだけの話。国会の答弁聞いててもそうだし、企業でもそう。組織の中では、よくあることです・・。自分のことはよく解らない。悪人が悪人だと思ってるケースは少ないんです、どこの世界も。 このオリンピック開催の是非、オリンピック選考で勝ち抜いた選手の意気込みを聞き、選手や関係者が来日したニュースを見るにつけ、開催するんだなぁと実感しだしてくる。感染が拡大しないことを祈るばかりです。

  • エリオット・アーウィット 美術館へ行こうよ!

    美術館へ行こうよ(1998)エリオット・アーウィット(1928-) パリ生まれ10才でアメリカ移住の写真家 美術館に行くと作品を夢中に見てる人達を、眺めていることがあります。このシーン撮りたいなって思いながら。日本では多くの美術館で写真撮影が禁止されていました。最近は常設展は許可してる美術館も増えてきたけれど、やはりまだまだ少数派でしょうか。 この写真集は、そんな美術館で作品に触れ合う人達を主題にしてます。作者は「小さなカメラで、監視員の目を盗んで撮影した」とのコメントを残してます。そうか、アーウィットは、普通に作品に触れる人達に興味を持ち、衝動的に撮りたくて撮影したんですね。美術館って作品と同じくらい人間観察出来る場所ですからね。後半は観光地、宮島とか京都とか、ピサの斜塔なんかも題材にしてます。ビジュアル+ユーモアが作品に散りばめられていて、アーウィットは人が好きなんだろうね。こっそりと撮ってるんでしょうけど、撮られて人からも、にっこりとされてる感じがある。 アーウィットの「我われは犬である」(1992)という別の写真集は、犬を人と見立てて撮影しています。人にカメラを向けると、色々と面倒なことがあるけれど、犬なら、カメラを向けても何も言われないと。なんかね、感覚が一緒だなと。写真家って、なんかズカズカ入り込む人が多いイメージありますよね。マグナムフォトのメンバーだって知ると余計にね。 『私にとって写真とは観察の芸術だ。ありふれた場所で何かおもしろいものを発見することだ。自分が「何を」見ているかというのはあまり関係ない。それを「どのように」見ているか、がすべてである』こんな言葉も残してます。なるほどね、写真集見てると解る気がします。

  • 断線しちゃうぞ

    アップル製品に付属するオプション製品のロイヤリティは、他社に比べて恐ろしく高いのは有名な話。アップル独自規格のLightningケーブルとかね。そのiPhoneやiPadに付属する純正のLightningケーブルは、根本の部分が簡単に断線します。以前はサードパーティー製も普通に1000円越えてましたが、最近は安くて断線しにくいと謳うモノが出回ってます。ライセンスの何かが変わったのか?は解らないですが、消費者にとっては嬉しいこと。ただ中国製だと、当たり外れがあるようで・・・。消耗品だと割り切ってお試しで3本990円のもモノに変更しました。当たりだったのか、今のところ使えてるので断線しそうなケーブル3本を、お役御免ということで手放しました。

  • 二酸化炭素濃度

    二酸化炭素濃度なんて、これまで気にしたこともなかったです。700ppm以下が良いとされていて、COVIT-19の対策としては、1000以下が基準になってます。外では400ppmと言われてます。ランチに入ったこのお店は、扉は開け放たれて外気レベルでした。 人間は酸素を吸って二酸化炭素を出すと習いました。人が密集すると、この二酸化炭素が増えてたまる。空気が外と循環する指標として二酸化炭素濃度が使われているんですね。この二酸化炭素濃度を減らそうという呼びかけは、コロナ以前から言われてます。地球の大気は酸素、窒素で覆われていて、それだけだと地表の温度はマイナスになるとか。大気中に温室効果ガスがあることで、地表の温度は現在の温度になっているそう。この温室効果ガスが増えてしまうと、地球の温度が上がってしまう。それを防止しましょうということで温室効果ガスの多くを締める二酸化炭素が悪者になっていると。太陽を起点にした地球の位置、大気の状態、絶妙なバランスがあって今の地球がある。奇跡だなと思います。二酸化炭素が出過ぎるから、呼吸しちゃだめですよとは、誰も言わないし、換気すれば薄まる程度。呼吸で地球を破壊することはなさそうですね。それに比較して化石燃料の利用による二酸化炭素の排出量は、半端ないみたい。温暖化の防止のため、製造メーカーは、温室効果ガスの発生を、ゼロにする目標を発表して世間にアピールを始めてます。僕が所有しているバイク、車はガソリン仕様。運転すること操ることが好きだし、まだまだ乗れるから、今すぐ手放すつもりはないし大事にしたい。でも、乗るたびに、心苦しくなるのは複雑な気持です。カフェで見た、二酸化炭素の濃度計。色々と考えさせられました。

  • 言葉にできるは武器になる

    ずっと積読状態だった本です。読み初めて、なぜ早く読まなかったんだろうって悔やむほど、共感の嵐。言葉、文章を編む手法ではなく、もっともっと本質的なことが書かれてます。「言葉は意見を伝えるための道具。」「ならば意見を育てることが重要ではないか。」何を伝えたいのか?それを「内なる言葉」というキーワードを使い、自分の中で伝えたいこと「内なる言葉」を膨らませて、磨き上げる。そうすると、少々言葉が少なくても、文章が荒くても、伝わりやすい。そんな考え方がベースです。言葉そのもので、人間性を評価されるという、背景にも言及されてます。伝えられた側への伝わり方は、不理解・誤解・共感・共鳴のどれかに当てはまる。不理解、誤解を招く場合は、言葉の使い方への課題ではなく、その人の理解力、整理力、思慮の浅さを図ってしまうと。「相手の言葉に宿る重さや軽さ、深さを通じて、その人の人間性そのものを無意識の内に評価している。」また人を動かすことは不可能であると胸に刻み、人が動きたくなるような空気を作る。「大切なのは、自分の考えや思いを把握していることである。その内容を伝えるためには、難しい言葉も、耳障りの良い言葉も、美しい言葉もいらない。人の心を動かすのは、話している本人の本気度や使命感であり、生きる上で感じてきた気持ちが総動員された、体温のある言葉なのだ。」その内なる言葉を、いかに磨き上げるかという部分は、写真家の仕事と同じです。「言葉」を「写真」に置き換えて読むと、合点がいくことばかり。面白いです。比較の文章として、こんな一節がありました。「素材のよさを活かすために、料理人は存在している。そのため、素材がよければ味付けは必要最低限でいい。むしろ、よい素材を見極める目利きの力こそが、料理人の真髄である。」「私は料理人として最高のスキルとテクニックを持っている。そのため、どんなに素材が悪かろうが、顧客が満足して帰る料理を出すことが出来る。プロの料理人としては当然のことだ」どちらの料理人のお店に行きたいでしょうか? 僕は前者。素材が怪しいものは食べたくない。言葉も同じですね。 写真家は、埋もれていたり見過ごされている素材の本質を表に出す仕事でもあります。表面的な部分だけを写し撮り消費されてしまう写真が氾濫している今の時代にこそ、写真家の仕事の価値があると思います。この本は、写真を生業にされる方に是非とも読んで欲しいなと思いました。

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