2025年春 倉敷から石巻まで
天草牛深より阿久根海の駅に向かった。 ポンツ−ンは小型であるが空いていれば快適だ、 電気はとれる。 電話 0996-73-2141 徒歩5-6分のガソリンスタンドで手続き。 近くにス−パ−や温泉あり。 ここは旧港にあたるのであるが川向うに大きな新港が存在する。 手狭のときにはそちらの利用も考えられる。
宇土城と宇土古城 地図 宇土マリ−ナからバスに乗りグ−グルマップで最寄りのバス停に降り、お城を探しながら現地に向かった。 …
内之浦にてエンジンの回転計の故障に気が付き、油津ヤンマーの代理店に電話して修理を依頼した。 ヤンマーの事務所の前の岸壁に着け、すぐに修理をしてもらい無事回復した。 夜中より胸に違和感を感じ、すぐに入院して5/10より6/8まで滞在することになった。漁協、ヤンマーエンジニアリング、末永電機マリンの方々に長い間お世話になりありがとうございました。
宇土マリ−ナから三角の瀬戸を抜けて八代港には適当な泊地が見つけられなくて姫戸に入った。 フィシャリ−ナ天草へも行きたかったのであるが、これも三角瀬戸を抜け、天草の橋をくぐっていく方法が見つけられずに断念した。 橋高が足りないようで16m以下のところ自艇を抜けた記録が無い。 確かな情報に接することが出来ればあるのかもしれないが。
訪れる人が少ない。 城跡としてはかなり大きく有馬氏の居城であった。 鎌倉時代に時代に築城され、1496年に支城として原城が築かれた。有馬晴信は1582年に洗礼を受けてキリシタン大名となる。近くに有馬セミナリオを建設。晴信の朱印船は数多く渡航したという。晴信は島津氏について龍造寺軍を破り、秀吉に従い安堵される。江戸時代になり日向に転封となり去る。しばらく天領となっていたが、1616年松倉重…
指宿から志布志城などへ行ってきました。 前日に鹿児島中央駅の観光案内所でここから志布志までの行き方を尋ねた。 JRで宮崎まで行き日南線に乗り換えて志布志まで行くのが良いと教えられた。 さすがに鹿児島へヨットで初めて来たとはいえ、おかしいと思えた。医者のセカンドオピニオンではないけれど、階段を下りた駅前広場にもう一つの案内所があり、そこでも訪ねた。垂水へフェリーで渡りそこから志布志行きのバ…
口之津より三池へ行くことを考えていたが、三池の潮汐が4mになるという情報もあり、港内に適当な停泊地も見当たらないので断念した。熊本の飛行場近くの海の駅もいつも空が無いとのことである。 従い宇土マリ−ナへ行くことになった。 ここからJR赤瀬駅を使ったり、路線…
口之津には3/19から3/24までの5泊滞在した。 新しく整備されたフェリータミナルの情報に疎かったので、ヨット停泊場所に不安をもちながらの入港であった。 旧フェリー桟橋の他に新桟橋が3つある。 そのうちの北側にある小さいポンツーンに最初はヨットを着けた。 ほどなく一番大きな桟橋のフェリー利用の反対側を支持されてシフトした。 あとでその方は地元のヨットマンの人で何かと気にかけていただいた。 …
口之津からバスにて島原城と日野江城を見て来た。 ヨットで行くつもりでもあったが、適当な停泊場所がないので取りやめる。島原の武家屋敷やどちらの城も想像以上で満足のゆくものであった。 島原城 行く途中のバスの中で、あの普賢岳、今でも思い出す火砕流の滑り落ちて迫る映像のそれに…
串木野からわざわざNさんが枕崎に来てくれました。 彼の車で坊津歴史資料館と鑑真記念館に連れて行ってもらいました。 枕崎から野間池…
平佐城、碇山城、清色城 JR川内駅より徒歩で平佐城と碇山城へは行ける。 清色城と入来麓武家屋敷はバスで行く…
ここには漁協直営の関サバ・関アジの食べれるところがあるとの情報を得て、寄港した。 午後4時過ぎであったので直売所は閉まっていた。販売はしているけれど、食を供する雰囲気は無かったので、そこでは無いかもしれない。 龍馬と勝海舟がここに寄港した時には、街を挙げて歓待したようで、その案内板があちこちで見受ける。 北港は愛媛と結んだフェリ−乗場があり、ここにもヨットは留められそう…
司馬さんの小説でしっかり有名になった。 日本初の新婚旅行で坂本龍馬夫妻が立ち寄った塩浸温泉に行ってきました。 有名になるまでは村の温泉場であったようです。 その雰囲気を残しています。 近くに宿泊施設も見当たらないので、立ち寄り湯なのでしょう。 当時は川沿いに旅館があったというけれど名残は感じられない。 入浴料380円。 霧島温泉からタクシーで3000円余りなので鹿児島空港からの本数の少ないバ…
喜入は石油タンクが多くあり、沖にはそれに石油を運んで来た大きな大きなタンカ−が見られる地である。 給黎城は肝付氏の居城で会ったが、1411年に伊集院氏の所領となり、さらに1414年には島津久豊がここを攻略した。 この時に喜入と地名を改めた。1595年に肝付氏が入場し1653年に廃城となる。 給黎城は東へ伸びた3つの尾根にそれぞれ曲輪を設け、北之城、本丸、南ヶ城(下図参照)と呼ばれる。 現地を訪れ…
西郷隆盛の関連地図 鹿児島城を訪ねたときに西郷洞窟、終焉の地、銃弾跡,私学校跡を見た。 西南戦争は私学校から城…
港内から南東方向を見てみるとちょうど山間で風が抜ける地形のようだ 指宿より内之浦に向かった。 このことは今回のクル−ジングで難…
里港の北部漁港に停泊した。 意外と潮汐があり2-3m、赤丸にある階段位置につけるのがふさわしい。 すぐス−パ−がある。 上甑 里 赤丸停泊地、…
ハウステンボスを訪れた。今は無いオランダ村に行ったことがありますが、その時に感じたほど良かったとは思えなかった。 どうしてもデイズニ−と比べてしまうのか。 想像していた規模・街並みは小じんまりしたものであった。 アトラクションも見たいものが余りない。 陶磁器把握物館は無料地区にあるのだが、これは見ごたえあり。 運営会社も変わるようである。 マリ−ナから訪問したのであるが、ホテル泊なら少し…
島津斉彬の幕末の殖産興業策には興味を持っていた。 その集成館事業の地磯庭園を訪れた。 磯庭園は仙厳園ともいい、島津藩の桜島を借景とした別邸である。 そこには紡績工場、溶鉱炉、機械工場や反射炉などがある。
富岡城は熊本県では熊本城に次ぐお城だという。 ここをヨットで訪ねるべき長崎サンセットマリーナより富岡西港へ向かった。 ポンツ−ンにもやいを取った。 すぐにも漁港の関係者らしき2人が現れ係留拒否を申しわたされた。 着けたときに近くにいた漁師さんに邪魔になるか尋ねて差しさわりないであろうと聞いた直後であった。 他の場所を探したが、適当なところがないようなので口の津を目指した。 滅多に無いが、クル…
JR川内駅よりバスに乗り小1時間で清色城と入来麓武家屋敷に着く。 こじんまりまとまっているのでお城を含めて徒歩で雰囲気を楽しむことが出来た。 清色城の空堀は難攻不落のお城を思わせる。 見ものだ。
崎津教会の見学を終えて、コロナ前の2018年春巡航以来の念願の世界遺産の教会巡礼を完結した。
司馬遼太郎さんの小説でこの加治屋町のことを知った。行ってみれば確かに今住んでいる自分の町内の広さである。 この狭い区域の人々で司馬さんが云うように「明治維新から日露戦争までこの町内の人でやったようなもの」であるので、小生にはすごいことだと思う。 松下村塾生も小さい集団だが、なにか優れたものがあるのなら、ここのように歴史が動かせるということでしょう。 どちらも教育のなせる結果だったのであ…
水俣港のビジターバ−スに係留して、水俣病資料館、八代城、麦島城、水俣城を訪れました。 ポンツ−ンがあり電気と水がとれます。 電機は200vを100vに変換するコ−ドが必要で、事務所ではそれを用意していないので持参する必要あり。 ポンツ−ンは水鳥のフンだらけで自分で動くところを清掃した。 所長が訪ねてこられて利用が少ない理由を尋ねられた。 2000円程度利用料を支払った覚えがあるが、HPを見…
コレジョは英語でカレッジですので大学にあたります。キリスト教布教のための教育機関にセミナリオは中学、コレジョは大学に相当します。 口之津と天草の大江をヨットで訪れ、これらを見て来ました。 これらの施設は他に大分や安土にもあった。
野間池 赤丸は笠沙えびすポンツ−ン <…
潜伏キリシタンの世界遺産のひとつ原城を訪ねた。 昨年に五島列島にある若松島でタクシーにより教会を見学していた。その時に運転手が述べるには、この地区の住民はすべて島原の乱で帰ることはなかった、という話を聞き、天草、島原の教徒だけでなく五島の教徒も参加していたのかと驚いた。 3万7千名が死亡したということなので、近辺の教徒がすべて一揆に加わったということだろう。
肥後との国境近くの重要拠点に出水麓はある。 亀ヶ城の麓の武家屋敷であるが、肝心のお城は案内板も見当たらず見ていない。 立ち入り禁止になっているとも云う。 ここには150軒があったと言い、薩摩藩最大の武家屋敷群であった。
宇土マリ−ナ最寄りのJR赤瀬駅よりあまくさみすみ線に乗り三角へ行く。 三角は終点の三角港と明治に開港した三角西港地区に分かれる。 三角西港 三角駅よりタクシーにて西港地区に向かう。 レトロな雰囲気を残す風景が見える。 現在の港の中心は三角の新港に移っており、ここは観光地としてある。 熊本県には良港がなく、それ…
佐世保は軍港のイメ−ジが強く、ヨット停泊地としてはいささか敬遠気味ではないでしょうか。しかし、ポンツ−ンも整備され、おまけに町の真ん中にあり、買い物も補給にも便利な地である。 難点は人通りが激しくヨットが見世物になってしまうところと港湾局のお役人が厳密を求めるてくるところかな。
佐世保は軍港のイメ−ジが強く、ヨット停泊地としてはいささか敬遠気味ではないでしょうか。しかし、ポンツ−ンも整備され、おまけに町の真ん中にあり、買い物も補給にも便利な地である。 難点は人通りが激しくヨットが見世物になってしまうところと港湾局のお役人が厳密を求めるてくるところかな。
福田城と丸木館 天正3・1575 福田大和守が築いたとされる。 ここは1565-70まで
記念館 串木野駅からバスで薩摩藩英国留学生記念館へ行く。 あいにく雨で風の強い日和であった。 開館の30分前であったが、気持ち…
ヨットで枕崎に停泊した。天候待ちの数日の間に、バスにて加世田と知覧にある特攻平和祈念館を訪れた。 漢字変換で祈念を記念と間違えそうになる。犯してはならないものでしょう。 万世特攻平和祈念館(ばんせい)
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2025年春 倉敷から石巻まで
第7艦隊旗艦ブル−リッジ 米国海軍の艦艇数はいつのまにか中国海軍の艦艇数に負けた。 恐るべき中国の発展である。 米国海軍の建造能力は中国の1/…
FNNプライムオンラインより 2026年から16歳以上に自転車の法規違反に対して青切符の罰金制度が導入されようとしています。 自公…
西園寺公望 1849-1940、 仏留学中の写真 小生には18歳年上の友人がいて武漢ウイルスにやられて最近に友を亡くした。 彼は少年時代…
木村強 1889-1978 昭和の時代はラワンの原木を輸入していた時代がある。 30代の小生はボルネオ島よりそれを積んで運んでくる商船の…
青山議員が「財政改革検討本部 役員会」にて財政法4条の改正の提起を議論したことについて下記のように述べられました。 …
「危険!地雷!」と書かれた標識、ウクライナ北部チェルニヒウ近郊、 ロイターより ウクライナ戦争にて、4月13日にス−ミ市へのロシ…
小生には最近はやりのAIのことは何も分かっていない。 この頃パソコンに組み込まれてきている「CHAT何某」について、やり方にも詳しくない。 …
スペイン古分書通じて見た 奈良靜馬著 経営科学出販、 フィリピンを植民地にしたスペインと対した秀吉…
セントラル バンク デジタル カ−レンシ− 入社式のテレビ報道を眼にしている。 やっと大卒初任給が30万になった…
Phaeton 長さ39f 乗員280名 砲数38門 「捨て足軽」という言葉に興味を持ち調べてみた。 フェ-トン号事件という出来事が幕末開国の50…
ようこう型中型輸送艦LSV 建造中 最近に三自衛隊の統合作戦司令部ができたところである。 先の帝国軍では陸軍、海軍という国の中…
浜田謹吾の像 大村城・玖島城を訪ねた時に少年の像があった。浜田謹吾の像という。大村藩は幕末の勤皇藩であり。ここで渡辺昇とその…
ミゲル・リンコン 1979- 30代のときにリュ−トを習って初期段階に途中で投げ出し、今ではタンスの上にルネッサンスとバロックリ…
アヘン戦争 1877年(明治10年)12月に発覚したイギリス人商人ジョン・ハートレー (John Hartley)による日本でのアヘン密輸事件である。…
金井昭雄さん 2006年10月2日、1983年から行ってきた難民へのメガネ寄贈活動が評価され、国連難民高等弁務官から「ナンセン難民賞」を日本人初受賞。 富士…
中世・ルンrッサンス・バロックの時代に使用されたオリジナルの楽器のさまざまを紹介いたします。楽器博物館に眠って展示されていたものや戦後になって複製されたものが演奏されます。なんといってもその音色にご注目ください。音色に重きをおいた時代です。 1. クルムホルン
すぎやまたつまる 1919-1987 アジアやアフリカで日本人が砂漠を緑化した偉人はここでも遠山さん、近藤さんらの何人かとりあげ…
好きなゲ−ム 以前に更新を止めているHPに「太平洋戦争のまとめ」があります。 項目は下記の12編で…
この表題には「再」の字を加えるのがふさわしいのかもしれない。 それは第1次大戦大戦後に10万の兵員しか持たされなかったナチスがヒットラ−の登場と供に強烈に軍備を拡大した時に使われた歴史的タ−ムである。 数日前にドイツ債務ブレ−キ条項の改憲により見直す戸云うことを記した。 ロシアのウクライナ侵略とトランプの欧州戦略の変更という状況の変化により、ドイツ政権はソ連崩壊前の冷戦期の軍備と冷戦…
今治海の駅に停泊して55番から59番札所までお遍路した。 55番南光坊は港から徒歩10分位でいくことができる。そこからはタクシーに手59番国分寺まで参詣することになった。
60番札所の横峰寺からの帰りに登山バスを降車して乗り継ぐ路線バスの時間が2時間余りあったので、JR氷見駅まで歩いて下山した。 途中で森家(住吉屋)を見ることが出来た。 内部まで見るみることができなかった。見学会は月1回であるという。 江戸時代末期(1841年)に建てられた大地主のお屋敷。 下記でお雛様や内部をごらんください。
JR伊予西条駅よりバスにて横峯山行きの登山客と同乗して、横峯登山口で下車、すぐ近くの横峯寺登山バスに乗り換える。 路肩の狭い山道を専用マイ…
お遍路12 61番香園寺、62番宝寿寺、63番吉祥寺、64番前神寺 伊予西条のお遍路図 仁尾マリーナより新居浜マリ−ナへ航行し周…
三角寺 周辺図 ばくちで首になった会長の製紙会社で有名になった伊予三島駅よりタクシーで向かった。タクシーのドライバーいわく地元の恥…
お遍路10 68番神恵院、69番観音寺、70番本山寺、67番大興寺、ロープウエイで66番雲辺寺 仁尾マリ−ナより観音寺行きのバスでお遍路した。 観音寺港に停泊すれば楽であるけれど、適地の情報が得られなかった。
2024年 春巡航 四国一周 ヨット四国88ヶ所お遍路の旅 4月の半ば…
全国ヨット泊地を更新しました。 https://hayame.coolblog.jp/custom4.html#spb-bookmark-36 今回は2024年春巡航のために、 四国88ヶ所をヨットでお遍路する準備として、 四国のヨット泊地を加えました。 泊地候補の青丸ばかりですが、今夏にはクルーズを終えて実際の係留地赤丸印に加筆訂正していきます。 2024-4-17
田口さん 明日から人生の残り少ないヨット巡航へ出発する。 そのための荷物をハーバーへ送ったところだ。 大好きな袋詰めチ…
永平寺よりバスにて一乗谷・復元町まで行く。 谷あいの川を挟んだ狭い地域に朝倉氏が住んだ。 復元の街並みを見ることができる。 当日は鉄砲隊の実演があり。谷間に銃撃音が予想外に大きく響いた。
京都駅より1日巡回バス券 800円を購入してここを訪ねる。 街並み保存地区であり、よく整備保存されている。 お昼の訪問であったので、京都で見かけると云う芸妓さんは見かけなかったけれども、若いカップルが和装してポーズを決めてカメラマンが撮影しているの見た。 このようなツアーがあるのであろうか、他所でも目にする。 金沢芸妓 https://kanazawageigi.jp/chaya/higashi.html
もう60年も前の話を取り上げるのは笑止千万とはこのことでしょう。 小生には受験勉強になじめずに苦悶した時代でもありました。 実はナマケモノであっただけ。 今思えば、学生の本分に従って努力してきた人には結果的に、半世紀経っても少しは報われた世代でもありました。 しかし時代が変わる。 チャットGPTが誕生してきた現今では、まだどうなるかは分かりませんが秀才の職業は無くなっていくでしょう。 弁…
金沢駅よりバスで香林坊にて下車してここは徒歩5分です。 金沢有名観光地 大野用水沿いに加賀藩の上・中…
福井駅、永平寺、一乗谷 福井駅より永平寺行の直通バスに乗った。 30分ほどかかる。 着いて参道の坂道を登ると、大きな寺院…
初めて小学生の頃に映画「ゴジラ」を見て以来、映画館に行って今回の「ゴジラ-1.0」を見ました。 アカデミ賞もとったんですね。 これを耳…
福井駅よりバスにて丸岡城へ行く。 他に永平寺よりここを経由して芦原温泉へ行くバス便もある。 福井から芦原温泉へ この城は現存1…
縄張り図 能登地震から3か月余りであるが、金沢市内にはその影響を感じるところが少なかった。金沢城も普段ど…
信長から越前を任された柴田勝家が1575年北の庄城を築く。 ここは九層の天守を持つが七層の安土城をしのぐ天守であったという。 1583年の賤ヶ岳の合戦に敗れた勝家は3000の兵とともにここにこもり、秀吉に敗れてお市の方と勝家は自害した。 現在は勝家神社の周辺に石垣が残り、面影はない。 小さな資料館があるが開館前の時間(0900)であったので見ていない。
ヨット巡航では無く、単なる観光旅行をここに取り揚げるのは稀です。 安い北陸フリーパスの切符が発売されていた。それを手に入れた老人夫婦の3泊4日の庶民の旅行では被災地貢献にはなりません。 けれど、我々は少しは楽しむことが出来ました。
WAC刊