元ライターが書く昔懐かしのエッセイです。時代は1980〜90年代。アホで食いしん坊で全力投球だった末っ子が、田舎の家族(祖父、祖母、父、母、姉、兄)と過ごした話を綴ります。読むと元気が出るよ!
しず子。38歳。夫と娘と3人暮らし。B型。左利き。好きなアーティスト:ハーパニエミ。子どものときに好きだったもの;にこにこぷんのピッコロ。子どものときになりたかった職業:ピンクのうさぎ。好きなドラえもんの道具:グルメテーブル掛け。1日だけホグワーツに行けたら:ファイアボルトに跨ってクィディッチのビーターやりたい。
志村けんが見たい。子どもの時はいつも、そればかり願っていた。土曜の夜8時になると「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」が放映される。カトちゃんこと加藤茶も好きだったが、私は断然、ケンちゃんこと志村けん派だった。しかし、当時の私の両親は志村けんを観ることに反
暑い暑い夏休みのこと。小学生の私も兄も自宅で退屈していて、何をして遊ぼうか考えていた。「そうだ!いっぱい着よう」兄が唐突にこんなことを言い出した。私はこんな意味不明な提案に即座に乗った。そうだな。こんな暑い日には、いっぱい着ればいいんだな。私は、上半身に
小学5年生のとき、家庭科の授業で調理実習があった。実習を行うのは来週にせまり、担任の教師が卵料理を作りましょうと言った。我が班では厚焼き卵を作ることになった。班員は、普段から家事を手伝っているランちゃんと、縄跳びやマラソンで私を鍛えてくれたコーチ、私が密か
私が中学3年生のとき、ピアノ教室の先生が夏に発表会をやると言った。先生は私のレベルを見て、発表会はバダジェフスカの「乙女の祈り」か、モーツアルトの「トルコ行進曲」はどうかと訊いてきた。乙女の祈りは姉が弾いていたので知っている。色んな子が弾いてるし、ありきた
これは2006年、当時24歳の自分が初めて書き起こしたエッセイです。「HJ引越しコンテスト」というサイトに投稿し、エッセイ部門で優秀賞を受賞しました。このサイトは現在なくなっており、元原稿も無くしてしまっていたのですが、姉が印刷して14年間大事に保管し、郵送してく
高校一年生の冬だった。私は連日の部活人生に嫌気がさしていた。古い体質の吹奏楽部は上下関係に厳しいどころか、地獄だった。すでに三年生は引退していて、先輩である二年生と後輩である一年生しかいないという環境で、ほぼイジメのような状況が続いていた。特に、私は目上
6歳くらいのときのことだった。祖父がイモ掘りをすると言い出したので、兄と一緒に庭へ出た。この年はたまたまサツマイモの種をまいたらしく、陽当たりのいい庭には濃い緑の葉が所狭しと並んでいた。そこへ、同じ保育園に通う友達のエミコちゃんが遊びにやってきた。これから
小学3年生くらいの頃、自分の部屋の押入れの中で、一枚の懸賞ハガキを見つけた。差出人のところに父の名前が書いてある。よく見ると応募締め切りから1ヶ月以上経過していた。そういえば数ヶ月前、父にこのハガキを出すよう頼まれていた。言われたことなんでも後回しにする私
保育園では2月頃に「お遊戯会」と呼ばれる、学芸会のようなものがあり、我が年中クラスでは白雪姫のお芝居をやることになった。 女の子の大半は白雪姫をやりたがり、じゃんけんになった。勝ったのはマキちゃんだった。なのに、今の保育現場では到底考えられそうにないことだ
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