元ライターが書く昔懐かしのエッセイです。時代は1980〜90年代。アホで食いしん坊で全力投球だった末っ子が、田舎の家族(祖父、祖母、父、母、姉、兄)と過ごした話を綴ります。読むと元気が出るよ!
しず子。38歳。夫と娘と3人暮らし。B型。左利き。好きなアーティスト:ハーパニエミ。子どものときに好きだったもの;にこにこぷんのピッコロ。子どものときになりたかった職業:ピンクのうさぎ。好きなドラえもんの道具:グルメテーブル掛け。1日だけホグワーツに行けたら:ファイアボルトに跨ってクィディッチのビーターやりたい。
実家にはリビングも暖炉もない。長テーブルもなければ、銀色に輝く燭台もない。クリスマスツリーやリースもなければ、庭にクリスマスローズやポインセチアが咲いているはずがなく、教会を訪れる習慣もあるわけがなかった。あるのは茶の間で、そこに座卓や座布団やアナログテ
私が4歳くらいのときのことだ。家族と親戚、総勢10名以上の大所帯で新潟にスキーへ行った。一面が雪で覆われた銀世界に到着した一行は、リフトに乗ってスキーを始めた。幼い兄と私だけは、ゲレンデのふもとでソリ滑りに興じていた。このソリにはハンドルもブレーキも無い。た
中学2年生の一学期が終わろうとしていた、7月の半ば過ぎのことだった。私はいつも通り学校に行き、吹奏楽部の朝練に行き、ホームルームの前に女子トイレへ寄った。 鏡を見ると、なんだか自分の顔が少し赤らんでいるような気がする。けど、気のせいかもしれないと思い直した
前跳びも、後ろ跳びもできる。あや跳びも、交差跳びだってできる。だけど、二重跳びができなかった。そのまま、小学6年生になった。3学期を迎えた1月の寒空のもと、体育の授業で縄跳びをやることになった。先生が体育の成績をつけるにあたり、二重跳びは30回以上跳べるように
目の前で母猫が死んだ。それは衝撃的だった。私が小学5年生のとき、実家の物置に野良猫がいるのを父が見つけた。父は子猫達をダンボールに入れると裏庭に放り出したという。そのうち鳴き声に気づいた親猫が迎えにきて、居なくなってくれることを期待して。動物好きの私はそれ
ダーン!「各馬一斉にスタート」という競馬実況者の声が脳内再生された。正確には、女子生徒が一斉スタートである。私の高校には女子生徒が約600人いた。マラソン大会では学年ごとに分けず、1年生から3年生まで一斉に走る。私が一年生のときの順位は144位で、二年生の時は143
小学校入学当時。私は走ることが得意だった。1年生の女子が45人ほど居るなか、マラソン大会では4位だった。2年生になると、順位を落として12位だった。3年生になると、18位だった。この頃には外でほとんど運動せず、休み時間には友達とノートに漫画を描くのが常だったのが原
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